元六色聖典が一つ《陽光聖典》隊長ニグン・グリット・ルーイン。
スレイン法国が掲げる人類救済の理念を厚く信仰しており、地位はそれなりに高く、召喚したモンスターを強化するタレント持ち。そのうえ第四位階魔法を使用できる数少ない人間である。
いずれかはもっと上の地位につき、法国にて大きな役割を担うであろうと彼はずっと思っていた。
あの運命を変えられた日までは…
それは簡単とも言える任務。他の部隊に村を襲わせ王国最強のガゼフ・ストロノーフを抹殺すること。貴族派の王国貴族もこの作戦に関わっており、ガゼフは秘法とも言える装備を一つも着けずにまんまと罠にはまり、天子天使の群れで嬲り殺しにする。ただそれだけだったのに…
漆黒のローブを纏った可笑しな仮面をつけた魔法詠唱者。
貴族のような身嗜みをした白い面の剣士。
護衛だと思われる全身黒い鎧で覆った女。
たった三人に赤子の手を捻るように敗北し捕らわれた。
当初は拷問される予定だったらしく見るに醜いモンスターがいる拷問部屋に送られたが、どうやら考えが変わったらしく監視を行える部屋に移送されることになった。
これは好機だと思った。向こうが我々の価値を理解したのなら再び交渉の余地がある。モンスターを連れて誘導するメガネをかけスーツを着た悪魔を見られつつ助かった後の算段を考え始めたのである。
しかし、この考えはすぐに間違いだと気付く。
到着した場所では黒いドレスを身にまとった貴族の令嬢らしき少女がスーツの悪魔と話し合いをしていた。たかが小娘が見張りをするのならば逃げることも出来るかともニグンは甘い考えをめぐらせた…少女が何者かではなく何物かを詮索することなく…
入れられた部屋は黒で覆われた部屋。扉が閉まりニグン達だけになるはずだった…
カサカサカサ…
何かが這う音が聞こえた。目を細め音の在り処を探す。
それは一匹の虫だった。そんなとき
「ひゃああああ!」
一人の隊員が叫んだ。
気付いた
理解した
思考が停止した
部屋を覆っていた黒い影は明るさによって生まれた影などではなかった。幾百、幾千、幾万ともいう無数の虫、虫、虫の群れ。
認識したからだろうか。無数の虫はこちらへと大移動を開始した。
大慌てで扉を引き返し開きもしないドアに懇願する者。
あまりの光景に思考が停止して身動き一つせず立ち尽くす者。
ニグンは諦めることもせず止まる事もせずに生き残るために動き出した。
踏みつけた。たった数センチの虫を。ぐちゃと汚らしい音を発して潰れた。はずだった。踏んだ虫はびくともせず足の下で動き続けていた。踏みつけようとも殴ろうとも魔法を使って攻撃しても決して消えることのない虫の群れ。
「な、に…ひ、ひぎゃああああああああああああああ!?」
その虫の強度に驚愕する間も与えず虫の群れに取り込まれていく…
どんなに抵抗しようともそのすべてが無となり、視界までも黒い虫で覆われた…
ただ理解できるのは虫が自分のありとあらゆる身体を走破し、その音で自分の耳を満たしていくこと。
逃げる隙も交渉する事もなく、そこにあったのは一つの絶望。
身動き一つとることのない世界…そこに自分が居ることを理解した。理解は出来ても納得できない。なぜこんな目に私が合わねばならぬのだ!
ニグンはただもがき続ける。その何の意味もない行為を気に留めるものも居なかった。
「ぐうううううううぅぅぅぅぅぅ…………」
無駄な抵抗をし続けて疲れきったニグンの耳に一人の男の声が聞こえ止んだ。何が起こったのかは見ることは出来なかったが何が起こったのかは理解した。
舌を噛み切ったのだ。
この恐怖や苦痛に耐え切れず死に逃げ道を見たのだろう…ニグンも瞬間的にその逃げ道に飛び込もうとした。
「くそ!は、もがあ!?」
噛み千切ろうと口を開いた瞬間を狙っていたのだろう。大きな黒い虫が口の中に割り込んできた。追い出そうと手を動かそうとしたが腕に纏わりつく虫がさせてはくれなかった。ならば!と噛み殺してやろうとしたが踏んで殺せなかった物が噛んで殺せるわけがなかった。
あれからどれほどの時が経ったのだろうか…
一時間…
一日…
一ヶ月…
一年…
分からない…すでに衰弱しており思考すら働かない…ただ目が覚めては口の中にある味も見た目も分からぬ物を飲み込むだけの毎日…
死にたい…
でも死ねない…
それでも死にたい…
………誰か……殺してくれ…
そんな時だった物音が聞こえたドスン、ドスンと何物かが近づいてくる。前の自分だったら警戒や敵対行動を取ったのであろう。だが、もはやそんな気はない。これで死ねるのかと思ったのだ。
扉が開き虫たちが身体から退いていく。あの時と同じくそこには白い面をかぶった男が立っていた。
やっと死ねる…そんな安堵が押し寄せてくる。
男がゆっくりと近づき、自身の前で足を止めた。そしてその絶対的な強者は自らの前で膝をつき何かを差し出してきた。
目が定まらない。身体が動かない。そんな状態で受け取れるはずもなかった…
身体が浮いた…いや、持ち上げられたのだ。頭を支えられ膝で体制を促された。口の中に何か暖かい物が入れられ飲み込んだ。
それはスープだ。今まで何度も口にしたことがあるようなスープ。
思考が戻る。感覚が視界が戻った。目が合った…
「・・・・・・うまいか?」
「……うまい…です」
「そうか・・・」
生きている。いや、今この瞬間に生かされたのだ。この絶対的強者に…
手が動く。彼から器を引っ手繰って口の中に中身を突っ込んでいく。おいしい。今までに食べたことがない。いや、空腹が感じさせてくれるか分からない。ただ食らいついた。口端からこぼしても突っ込み続けた。
周りを見る。私以外の者にもその男は慈悲を与えていた。
それを満足そうに見届け彼は扉を開けたまま去っていった。
どうすればいいのか分からない自分達の前にあのスーツを着た悪魔がやってきた。困惑を含んだ表情で…
世界中の美女を集めたメイド達に世話をされた。弱り汚れきっていた身体の隅々まで優しく手間をかけて掃除された。
その後は劇的に変化した。
まず生活空間から変わった。あの身動き一つ取らせなかった虫の部屋から王が住まう部屋のように見たことのない品々に囲まれた部屋に隊ごと置かれた。置かれてもなお広いと感じた。
次に食事だ。まるで貴族の食事だった。何か分かりたくなかった食事から何か分からない食事になった。おいしすぎるのだ。どうやったらこんな物が作れるのかわからなかった。たかが食事になぜこれほどの効果を持つのか。それも捕虜以下の我々に…
食事を運んできたメイドに聞いてみた。
「なぜ私達は生かされているのでしょうか?」
「それがぼっち様の御意思ですから」
とても優しい顔で答えてくれた。それは自分に向けられたものではなくその『ぼっち』様に向けられた物なのだろう…
「どのようなお方なのですか?」
彼女は語ることが嬉しそうに『ぼっち』の英雄譚のような数々の武功、無口ながら優しい性格などの数々を語ってくれた。周りのメイド達も口々に語り出し、私だけではなく隊員全員が心の底から耳を傾けていた。
そしてある言葉に耳を止める。『白い面をつけている』
そう『ぼっち』はあの時我らを返り討ちにした男であり、あの時に我らを救った男…
憎しみ…は無かった。あったのは崇拝…いや、狂喜だった…
我らが崇めていた神々が霞み、壁の隅の染みと変わらぬほどに小さく見えるほど強大で絶対的な存在。そんな存在が我らのようなあってもなくても変わらぬ虫にも劣る存在に膝を突き、お救い下さったのだ…なんというお方だ…
感極まって涙が流れてきた。メイドが気に留めたか声をかけてきた。
「なんでもします。我らにもあなた様の神々に仕える機会をお与えくださいませんか?お願いします」
涙を流しながら頭を地に着けた…
俺はただ拷問は人道的に良いのかなあ的な事を言ったのになぜに恐怖公の部屋に入れることになったのか理解できなかった。
確かに監視の目も無数にあり逃げる事も出来ないだろうが精神的に死ぬだろうがあの部屋じゃあ…
守護者内でも彼らを嫌っているのに。あ、コキュートスとエントマは別で…
入れる原因を作ったのは俺だから飯だけでもあげに行くかと足を進めた。
メイド達は我々がと言ったが俺でも行くのを躊躇う部屋に女の子を行かせるわけに行かないと断った。
近づく度に何かが蠢く音が聞こえる。いつも間にか足音が強くなる…
入って目に付いたのは離れていく虫達。少しほっとして対象物を見つけた。
対象物って思った辺り、本当に人間の考え方じゃないよなと思いながら膝をついてスープを差し出す。
一週間ほどここで動けなかったのだろうと理解して食べやすいように姿勢をとらせてスープを口に持っていった。まるで雛に餌をやっているようだ。
ぱしっ
いつの間にか奪われ食べていた。あーぁ、そんなに入れるから口から漏れている。はあ……とため息をつきつつ、他の者にも餌を与える。
やっとのことで与え終わるとさっさと退散していった。嫌いではないけれど居たくはない………
数日後にメイド達に彼らの事を聞いた時にはびっくりした。
俺が食事を与えた=慈悲を与えた=彼らに対して虐げる行為は避ける=扱いが良くなる
なぜこうなったし?そのうえ最後には=アインズ・ウール・ゴウン狂信者が発生した。
本当に何がどうなってこうなったし……………
チェリオは最近まで連れ帰った事を忘れてた…