悪役が女の子を虐める描写がありますので、ご注意ください。
所沢国の中心部。
商店街が立ち並ぶ市街地を、銅之助と望未の二人が並んで歩いていた。
望未は通学に使用している自転車を押し進めている。
その道すがら、望未は自分の事を銅之助に話していた。
「そうか。望未はこの国の自警団員に入るのか」
「といっても最初は見習いからなんだけどね」
詳しく聞くと、銅之助を心配して声を掛けたのは未来の自警団員としての心構えから来たものであると望未は語った。
困っている人がいたらなるべく助けてあげるようにと、件のま~ちゃんからも言われているらしい。
「ま~ちゃんとやらも、自警団員なのか?」
「うん。ま~ちゃんはね、プロペラーズの団長なの。いつも頼りになって、すっごく格好いいんだぁ」
そう言って頬を赤らめながらウットリする望未。
自警団同士の大規模な抗争を封じたツインタワー宣言があるとはいえ、自警団員であれば何かと危険な目に会うことも多いはずだ。
そのリスクを冒してまで、望未は想い人と一緒にいたいのだと銅之助は受け取っていた。
何と健気な乙女心であろうか。そう思うと銅之助は望未を応援せずにはいられなかった。
目的地の美味しいお団子屋とやらに着いたら、自分自身の旅先での話をたっぷりと聞かせてやろう。
「あれ、まだ帰ってないんだ……」
一件の商店の前を通り過ぎようとしたとき、寂しそうに望未が呟いた。
そこは古びた外観を持つ、一軒の茶屋であった。
茶屋と言っても喫茶店のようなものではなく、茶葉を取り扱っている業種の店である。建物の雰囲気から、相当の老舗であることが伺えた。
望未と共にそっと中を伺うと、店内では一人の老婆が席で居眠りをしていた。
「ここ、ま~ちゃんのお家なんだ。実はま~ちゃん、ある人と一緒にいま所沢を離れてて……もう何週間も会ってなくて」
そう語る望未の表情が暗くなる。
愛しい人と会えていない寂しさを思い出してしまったのであろう。
それにま~ちゃんと同行しているという人は何者なのか。もしかすると恋敵の女性かなにかではないのだろうか。もしそうであれば、望未は心中が穏やかでいられないはずだ。
銅之助は何か気の利いた言葉を望未に掛けたかったが、あいにく何も思い浮かばなかった。
「えっと、なんか暗くなっちゃったね。ごめんね? 行こっか」
誰が見ても無理をしているような作り笑い。
銅之助の胸が締め付けられるように苦しくなる。
再び歩き出す二人。
茶屋の側には簡易式のベンチが設けられており、一組の老夫婦が腰を掛けていた。彼らの手には一本のお団子。
前方を見て、茶屋の隣がお団子屋だということに銅之助は気づいた。
こちらも茶屋に負けないくらい趣のある建物だ。
屋根に掲げられた木製の看板には「焼きだんごのもりとも」と書かれていた。
「えへへ、気づいちゃった? ここが目的地だよ。私んち、お団子屋なんだ」
望未は銅之助にこの場で待つように告げると、自転車を押して建物の脇へと入って行った。
その間、お団子屋の方を向いた銅之助はギョッとした。
お団子屋は道に面してカウンターが付けられており、店内に入らずとも商品を購入することが出来るようになっているらしい。そのカウンターの前に一人の人物が立って、商品が出来るのを待っていた。
背丈から見るに小学生くらいであろうか。
それだけなら珍しくもないが、問題なのはその服装であった。
頭のヘルメットはまだいい。だが、夏だというのに襟に白いファーが付いた緑色のフィールドジャケットを羽織っている。よく見れば手袋まで付けていた。それも料理で使うミトンのような、生地が分厚いタイプのものだ。
そして何より、頭部全体を覆うタイプのガスマスク装着していたことが銅之助を驚かせた。
ヘルメットと襟から覗かせている金髪の長髪を見るに、恐らく女の子と推測できる。
太陽は今もカンカンに照りつけている。あんな重装備で暑くないのか。
先ほどの望未ではないが、あの少女が熱中症にならないかと銅之助は心配になった。
ビニール袋に入った商品を受け取った少女が、袋の端を広げて中を覗きながら銅之助のいる方向に歩いてくる。
その刹那、自転車をしまい終わった望未が駆け出してきて、少女とぶつかりそうになった。
だが袋の中に夢中な少女は望未に気づかず、そのまま歩いていく。
望未も少女の格好に驚いたのか、その場で足を止めていた。
余計なお節介かもしれないが、声を掛けておくべきだろうと銅之助は判断した。
「おい。ちょっといいか」
自分の側を通り過ぎようとした少女を銅之助は呼びとめた。
少女が立ち止まって銅之助の顔を見上げる。
ガスマスクの目の部分はサングラスのように曇っていた。そのため銅之助には少女の素顔は分からなかった。
「今日はすごく暑い。熱中症に気を付けろ」
なるべく怖がらせないように、銅之助は落ち着いた口調で少女に忠告した。
「……」
少女はこちらを見上げて黙ったままで、何も言葉を発しない。
そのまま数秒の時が流れた。
しまった。不審に思われてしまったか。
旅続きのせいで銅之助はお世辞にも奇麗な身なりとは言えない。
下手をすると自警団に通報されて、事案になってしまうのではないか。
かつて別の国で善意から人を助けた際に、不審者と間違われた苦い記憶が銅之助の頭をよぎった。
「うん、わかった。気をつける」
助けを求めるために銅之助が望未の方を向きかけたとき、少女が喋った。
どこか幼い、舌足らずな喋り方であった。
少女はそれだけ言うと、そのまま銅之助の側を通り過ぎていき、道端に停めておいた小型のバイクに乗って走り去っていった。
通報されずに済んだことに銅之助は胸を撫で下ろす。
「武甲くん、今の子……知り合い?」
望未が駆け寄ってきて、銅之助に尋ねた。
「いや、初めて見た。近頃はああいう格好が流行っているのか?」
「それは無いと思うけど」
そして訪れる沈黙。いくら考えても少女の事は何も分からなかった。
道端でこうしていても仕方がない。銅之助は望未に連れられて、もりともの店内に入った。
外からの印象と同じく、落ち着いた雰囲気の店内であった。
壁際には四人掛けの木製のテーブルが二つ。その隣には畳掛けの小さなお座敷が設置されていた。両者の間には昔ながらの扇風機が設置され、風を送りながら忙しそうに首を振っている。
それらを含める店内の全てのものに年季が入っており、長い歴史を感じさせてくれた。その垢抜けない古っぽさを銅之助はすぐに気に入った。
「お母さん、ただいま! お客さん連れてきたよ!」
入口のすぐ左側にある調理場に立っていた女性に望未が言った。
声を掛けられた望未の母親、日向代(ひなよ)は眉をしかめた。
「んもう、この子は大きな声をだして……お客さん、すいませんね。騒々しい子で……狭いところですが、ゆっくりなさっていってくださいな」
そう言って日向代は銅之助に微笑んだ。
思わずドキッとしてしまった銅之助は何も言わずに頭を下げる。そのまま空いている席に座り、荷物のずだ袋を足元に置いた。
タイミングが悪いのか、いつもそうなのかは分からないが、銅之助の他に客の姿は見えなった。
帰ったら手を洗うようにと、望未が日向代に注意される様子が背中から聞こえてくる。
やがて小さな足音と共に銅之助の席へ日向代が水とおしぼりを運んできた。
「メニューは壁に貼ってある紙を見てくださいな。お勧めは名物のお団子ですよ。
お茶はお隣の宇徳園さんのをサービスでお出ししています。暖かいのと冷たいのがありますから、お好きな方を選んでくださいな」
「お、おう」
言い終わると、日向代は調理場へ戻っていった。
銅之助は顔だけを後ろに向け、チラリと様子を伺う。何かの作業を始めた日向代の背中が目に映る。
美人だ。銅之助はそう思った。
短いながらも緩やかにパーマが当てられた髪。望未のような大きな子供がいる割にはスタイルもよい。年相応に落ち着いた雰囲気を持ちながら、全身からそこはかとない色気を感じる。
身に着けている着物もお団子屋の女将らしくて、とても似合っていた。
そして何より、あの柔らかい物腰が心地よかった。あれが接客のものなのは分かっているが、気を抜くと思わず見とれてしまいそうだ。
銅之助は気持ちを落ち着かせるため、テーブルの上の水を一気に飲み干した。
そこへ店の奥で手を洗った望未が戻ってきて、銅之助の向かい側の席に座った。
「あれ、武甲くん、顔が赤いよ?」
「き、気のせいだ」
動揺をごまかすように銅之助はコホンと咳払いをした。
それを見た望未は、顔が赤いこととあわせて銅之助は風邪気味なのかと思った。
「望未はアレだな、きっと父親似なのだな」
「え?」
ポカンとする望未。
突然こんなことを言いだした銅之助の意図が望未にはよく分からなかったが、何だか褒められてはいない気がした。
「注文は望未に言えばいいのか? 焼き団子を三本くれ。お茶は熱いので頼む」
「焼き団子を三本に、熱いお茶だね。かしこまりましたーって……本当に熱い方でいいの?」
「暑いときに熱いものを飲む。これ即ち健康の秘訣なり」
「武甲くんって、やっぱりお爺ちゃんみたい」
「なぬっ!」
お返しとばかりに放たれた言葉の短刀が銅之助の心を容赦なく抉る。
望未は注文を日向代に伝えるため、席を立った。
その時である。
遠くの方から何か大きな音が聞こえ、もりともの建物が少し揺れた気がした。
「えっ、なに? 地震!?」
「それにしては変な音が聞こえた気がしたけど……」
慌てる望未とは対照的に落ち着いた様子の日向代。
音は銅之助の耳にも確かに聞こえていた。
かなり離れていたが、あれは爆発音に違いない。音の響き方からして、かなり大きな爆発が起きたと銅之助は推測する。
やがて近所から消防車のサイレンのような音が聞こえ、何人かの人々が大きな声を出しながら、もりともの店の前を駆けて行った。
「やっぱり何かあったみたい。私ちょっと見てくる! お母さん、お客さんにお団子三本と熱いお茶!」
日向代が止める間もなく、望未は店を飛び出していった。
「まったくもう、あの子ったら野次馬根性丸出しなんだから。
お客さんを放って行っちゃうなんて、帰ったら説教しなきゃ」
プリプリと怒りながら日向代が呟いた。
そんな怒ったところも可愛いなと思いながら、銅之助は日向代に見とれていた。
「お待たせしました。焼き団子三本と、熱いお茶ですね……って、お客さん、あたしの顔に何かついてます?」
「いや別に」
注文の品を運んできた日向代の言葉に我に返ると、銅之助はまたワザとらしく咳払いをしてごまかした。
不思議そうな顔をしながら調理場に戻る日向代。
銅之助はおしぼりで手を拭いてから、両手を合わせて目を閉じた。
「いただきます」
食事の挨拶を済ますと、銅之助は団子を一本手に取って口に運んだ。
「うむ。うまい」
焼きたてのお団子は銅之助の想像以上に美味しかった。
美人が作ってくれたと思うと、より一層おいしく感じる。
銅之助が呑気に舌鼓を打っていると、今度は店の前を先ほどとは逆の方向に人々が駆けていく音が聞こえた。
そして遠くの方から爆発音がもう一度響いた。
「えっ、ちょっと、一体どうしたのかしら」
連続する爆発音に日向代の顔にも不安の色が浮かび始める。そうしているうちに、また新しい爆発音が響いた。
これにはさすがに日向代も慌てた様子で、店先にいた人を捕まえて事情を聴こうとしている。
「どうしたもこうしたもないよ! 南の茶畑の辺りでモサが暴れてるんだよ! 俺は急いで逃げてきたんだ!」
日向代が捕まえた男が慌てながら叫ぶ。
銅之助はそれを背中で聞きながら、櫛に刺さった二つ目のお団子を口に運んだ。
「ツインタワー宣言がある以上、そんなに心配することはあるまい。
人がこうしてお団子を食べているのだ。静かにしてくれんか」
挑発されたと思った男が店内に入り、銅之助に食って掛かる。
「団子どころじゃねぇよ! あいつはツインタワー宣言なんか、お構いなしで暴れてるんだ!」
「所沢にも立派なモサがいると聞いている。そいつが何とかするだろう。分かったらサッサとどこかへ行ってくれ」
不機嫌に喋りつつ、銅之助は櫛に残った最後のお団子を口に収めた。
皿の上には手つかずの団子が、まだ二本残っている。
「いないんだよ! そのモサ……マッチャグリーンは所沢を留守にしてるんだ!
プロペラーズが何とかしようとしてるみたいだけど、モブなんかいくらいても吹っ飛ばされるだけだ! もう所沢はお終いだ!!」
肩で大きく息を荒げながら、男が叫んだ。
「望未……」
日向代が真っ青な顔で呟いた。
先ほど様子を確かめに出掛けたまま、望未はまだ戻ってきていない。
銅之助は足元のずだ袋を左手で掴むと、勢いよく立ち上がった。
「それを早く言わんか、馬鹿者!」
◇◆◇◆◇
もりともを飛び出した望未は、愛用の自転車に乗って騒動の現場を目指していた。
遠くから大きな土煙が舞い上がっていたため、場所の見当はすぐについた。
恐らくガスか何かが爆発したに違いない。望未はそう考えていた。
望未が現場に向かったのは野次馬根性だと日向代は語っていたが、それだけが理由ではない。まもなく入団を予定している自警団員としての責任感が彼女を動かしていた。
今まで望未は、ま~ちゃんや両親を始めとする所沢の人たちに助けられて生きてきた。
自警団への入団を希望したのも、その恩返しをしたいと考えたためである。
そんなところに爆発騒動が起きた。
自分にも何か出来ることがあるかもしれない。そう思った瞬間、望未は身体は駆け出していたのだ。
最初の爆発が起きたと思われる場所の近くに望未は差し掛かった。
そこは市街地と茶畑の境目のような場所で、未整備の野原が左右に広がっている。その真ん中に作られた道を進んでいると、新しい爆発が起きた。
それは望未がいる地点から割と近い場所だった。
強い爆風に煽られ、自転車のコントロールが怪しくなる。
「わ、わわっ、わーっ!」
急いで自転車を停める望未。両足を地面につけて、何とか踏ん張る。
幸いなことに爆風はすぐ収まった。
「あ、危なかった……」
望未が安堵したのもつかの間。何かが聞こえた気がして空を見上げると、電柱より遥かに高い距離で大勢の人々が宙を舞っていた。
「えっ、なに、なに? どういうこと!?」
望未の頭が一瞬でパニックに陥る。
ガスの爆発ではこんなことにならない。何か自分の思いもよらないような事が起きている。
やがて人々が地面に向かってゆっくりと落下してくるのが分かった。
その姿が大きくなるにつれて、彼らのほとんどが水色のジャケットを着ていることに望未は気づいた。
それはプロペラーズの団員が着用することを義務付けられている制服であった。
普段からま~ちゃん目当てにプロペラーズの事務所にお邪魔している望未だ。間違えようがなかった。
団員達はバラバラの方向に向かって落ちてきている。その中の一人は望未のすぐ側の野原に落下しそうだ。
モブとはいえ、この世界の住人は頑丈である。地面に叩きつけられても、そうそう死んだりすることはない。だが打ち所が悪ければ大怪我では済まない。
「た、助けなきゃ!」
先ほどまで慌てていた思考が落ち着きを取り戻していく。
意を決した望未は自転車をその場に停めると、野原に向かって駆け出して行った。
落下予想ポイントにたどり着いた望未は、両腕を大きく拡げてキャッチの構えをとる。
落ちてくる団員の背中がどんどん近づいてくる。残り十メートル、九メートル、八メートル――
それは無限と思えるほど、長く感じられた。
「ま~ちゃん、力を貸してっ!」
望未が叫ぶ。望未と団員の姿が重なったのはその次の瞬間であった。
なんとか受け止めることは出来た望未だが、衝撃の強さには耐えられず、団員と一緒に草むらに倒れ込んでしまう。
「やった、私やったよ、ま~ちゃん……って、田(でん)さん!? だ、大丈夫ですか!?」
感慨に耽るのもつかの間。望未は落ちてきた団員に向かって呼びかけた。
その団員はプロペラーズの副団長で、みんなから田さんの愛称で慕われている人物だった。
もちろん望未も彼とは顔見知りだ。
「う……あ……俺、どうなって……」
望未は、意識が朦朧としている田さんを抱き起した。
「しっかりしてください、田さん」
「望未ちゃん? どうして……こ、ここは危ない、すぐ逃げるんだ! 君に何かあったら団長に申し訳が――」
「そんなことより、はやく病院に」
「俺のことはいいから、早くしないとあいつが!」
「あいつ……?」
首を傾げる望未。
「練馬のモサが、襲ってきたんだっ、俺たちはそいつに吹っ飛ばされちまって――」
望未に事態を説明しようとする田さん。二人の頭上に何か大きなものが影を落とした。
「きゃあっ!」
見上げた望未は悲鳴を挙げた。
身長二メートルはあろうかという大男が、クワを担いで二人を見下ろしていた。
今回の騒ぎの張本人。練馬ダイコンズ団長の沢庵であった。
「しまった、間に合わなかった……!」
「え、えぇぇぇっ……! この人がモサっ!? 練馬のっ……!?」
「所沢にも可愛い女がいるとは驚いた。お前、なんて名だ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべた沢庵が望未に尋ねる。
「やめろ、彼女に手を出すな!」
ズレた眼鏡を直しながら、田さんがヨロヨロと立ち上がる。望未を守るように、両手を広げて沢庵の前に立ち塞がった。
「誰かと思ったら、俺に吹っ飛ばされたプロペラーズの副団長さんじゃねえか。
そんな体でナイト気取りか? 女の前だからっていい恰好しようとしてんじゃねぇよ」
沢庵は空いている左手で田さんの胸ぐらを掴むと、そのまま軽々と持ち上げた。
「やめろ、離せ!」
「お邪魔虫は引っ込んでな!」
ブンッと音がしたかと思うと、田さんは大空高く放り投げられてしまった。
その様子を望未はただ見ていることしかできなかった。
望未は恐怖で腰が抜けそうになる自分を何とか奮い立たせ、口を開く。
「この騒ぎはあなたの仕業ですねっ、皆にひどいことをするのはやめてくださいっ」
「ひどいこと? 俺はただツインタワー宣言に乗っ取って、副団長さんと正々堂々の勝負をしただけだぜ?」
実際は沢庵が一方的にプロペラーズを蹂躙していたのだが、少しも悪びれた様子が彼には見られなかった。
「う、嘘ですっ、ま~ちゃんや、マッチャグリーンがいない隙を狙ってきたくせにっ!」
「相手の隙を狙うのは立派な戦術だぜ? そんなことよりも、おまえ、可愛いなぁ……
この俺にズケズケと物を言うところも気に入った。なぁ、おまえなんて名だ?」
「……」
望未は何も答えず、沢庵を睨み返す。
プロペラーズの皆や所沢の人達を傷つけた輩の言うことなど、聞く気にはなれなかった。
「この俺に反抗的な態度をとるとは、ずいぶんと気が強い女だなぁ。
ようし決めた。俺ぁ、おまえを嫁にする」
「え、えぇ……っ!? な、なに言ってるんですかっ!?」
沢庵の発言に、望未は動揺を隠せない。
「うるせえ! もう俺が決めたんだよ!」
「きゃあ!」
沢庵は担いでいたクワを近くに投げ捨てると、力任せに望未を草の上に押し倒した。望未の上に跨って馬乗りになる。そのまま片手一本で彼女の両手をひねり上げた。
「いやっ、放して!」
望未は懸命に逃げ出そうと抵抗するが、巨漢の大男に圧し掛かられてはどうすることもできない。ひたすら身を捩ったり、足をバタつかせるくらいが精々だ。
「どうした、さっきまでとは大違いだなぁ。おまえはもう俺の物だ。観念するんだな」
「誰がっ、あなたなんかに……!」
「へっへっへ。好きなだけ抵抗しろ。俺はなぁ、気が強い女を力尽くで無理やり思い通りにするのが三度の大根メシより好きなんだ。 ええっと……おい、お前、なんて名だ?」
「い、言わないっ、絶対に!」
貞操が風前の灯のいま、これが望未にできる唯一の抵抗であった。
しかしそれは状況をより悪化させることになりかねない。事実、望未の反抗的な態度が沢庵の加虐心に火をつけてしまった。
そして望未を屈服させる妙案を思いつかせることになってしまったのである。
「まぁ、名前なんか全部終わってから聞きだしゃいいか。おい、女。そんなに所沢を守りたいか?
だったら、この優しい俺様が一つ条件を出してやろうじゃねぇか。
大人しく俺の嫁になれ。そうしたら今日のところは練馬へ帰ってやるよ。もちろんお前も一緒だがな。夫婦水入らずで楽しもうぜ」
沢庵が厭らしくほくそ笑んだ。
要するに、所沢を破壊されたくなければ身体を差し出せと望未に要求しているのである。
汚い。まさにその一言でしか言い表せない醜悪さであった。
しかも「今日のところは」と前置きしている。つまりこれは一時しのぎでしかなく、望未に乱暴の限りを尽くして満足した後は、再び所沢侵略に乗り出すことは火を見るより明らかであった。
「え、ぇっ……」
沢庵の一言により、所沢の未来は望未に託されてしまった。
自分の返事によっては所沢が目茶目茶にされてしまう。その重圧が望未の心に圧し掛かる。
「お、嫌か? そうかそうか。それならそれでもいい。だったら、ここで所沢が消し飛ぶところを見てるんだな」
「ま、待って……っ!」
再び動き出そうとする沢庵を、望未は引き止める。
望未の脳裏に、所沢の人々の顔が次々と浮かんでは消えた。もはや彼女に選択肢は残されていないのだ。
望未はギュッと目を閉じると、心の中でま~ちゃんの名を叫んだ。
観念した様子の望未を見て沢庵の興奮が高まっていく。目は血走り、鼻息がどんどん荒くなる。彼女の返事を今か今かと待ちわびていた。
そして、覚悟を決めた望未がゆっくりと目を開ける。
「わ、わかりました……わ……わたし……は」
「わたしは、なんだ?」
沢庵が目をギラギラさせながら、望未の目の前に顔を近づける。沢庵の荒々しい吐息が彼女に掛かった。
その臭いに望未は顔をしかめそうになる。
だが、グッとこらえた。ここで沢庵の機嫌を損ねるようなことがあれば、覚悟が水の泡だ。それは全ての終わりを意味していた。
「あなたの、お……お、お……」
「お、の後はなんだ? 早く聞かせてくれや」
緊張で言いよどむ望未を急かすように、沢庵が望未を押さえている手に力を入れる。
万力で挟まれたような力に、望未の両腕がメキメキと音を立てて軋んだ。
「いたぁっ、いっ! あ、あなたのっ、お嫁さんになります……っ!」
両腕を襲う激痛と闘いながら、絞るような声で望未は宣言した。
言った。とうとう言ってしまった。もう取り消すことはできない。
だがこれで所沢は、大事な人々は救われる。望未はそう祈らずにはいられなかった。
「はっはっはっはっはぁっ! 生意気な女の鼻っ柱をへし折ってやったぜ! これだからモサはやめられねぇ!
これで俺たちはめでたく夫婦だ。さっそく夫婦の営みってやつを始めさせてもらおうか。 初夜にはまだ日が高いが、何事も早いに越したこたぁねぇ。おまえも故郷の土のうえで夫と結ばれるんだったら文句はねぇよな?
へっへっへ、優しくしてやるから安心しろや。おまえも俺様のような逞しい男と子作りができて嬉しいだろう」
上機嫌になった沢庵は望未の両腕を離すと、今度は彼女が着ているシャツへ手を掛けようとする。
望未はこれから自分に襲い掛かる暴力に怯え、顔を背けて固く目を閉じた。
その刹那であった。
細くて長い小さな物体が、どこからともなく飛んできたかと思うと、油断しきっていた沢庵の左目を貫いた。
「ぐっぎゃあああああっっ!!」
不意の激痛に襲われた沢庵が望未から手を離した。そのまま自分の顔を手で覆いながら辺りの地面を転げまわる。
その隙をついて、何者かが倒れている望未に駆け寄った。その人物は望未を優しく抱きかかえると、苦しんでいる沢庵から距離を置いた。
恐怖のあまり目をつむっていた望未だったが、聞こえてくる異変に、ようやく目を開ける。沢庵ではない誰かが、自分を抱きかかえながらこちらを見つめていた。ちょうど太陽の光で逆光になってしまい、望未からは眩しくて顔がよく見えなかった。
「ま~、ちゃん……?」
望未は思い当たる人物の名を呟いた。
危ないときは真っ先に駆け付けて、いつも自分を助けてくれる幼馴染の名を――
「すまない。遅れてしまった。あと、ま~ちゃんでなくて、すまない」
望未を助けたその人物はきまりが悪そうに言った。その声は望未の聞き覚えのあるものだった。
「え……もしかして、武甲、くん?」
「左様。お爺ちゃんくさいと、望未に評判の武甲銅之助だ」
ようやく太陽の光に慣れてきた望未の瞳に、銅之助の顔がはっきりと映る。
途端、望未の緊張の糸がプツンと切れた。今まで必死に抑えていた感情が一気に溢れ出してくる。
「ぶ、ぶこ、くんっ、うわぁぁぁぁっ!」
銅之助の腕の中で望未は大声で泣きじゃくった。
「よく頑張ったな、望未。もう大丈夫だ」
銅之助は赤子をあやすように、望未の頭を優しく撫でた。
この小さく細い身体で、いったいどれほど怖い思いをしたのだろう。
震えながら泣く望未を見て、銅之助は騒動の張本人であるモサに怒りを燃やし始める。
「ちっくしょう! なんだぁ、これは!?」
地面を転げまわっていた沢庵が、ようやく己の左目に刺さった異物を引き抜いた。
残った右目で確認すると、それは木で出来た細い櫛であった。しかもところどころ白い食べかすのようなものが残っている。明らかに誰かが使ったものだ。
「ふざけやがって!」
沢庵は櫛を握りつぶし、自分を襲った犯人と望未の姿を探した。
「練馬のモサとやら。こっちだ」
銅之助に呼ばれて、沢庵が声の方に振り向く。
少し離れた場所で見知らぬ少年が望未を抱きかかえているのを見て、沢庵はますます頭に血が上った。
「てめぇの仕業か! しかも俺の嫁を奪いやがって! 八つ裂きにしてやる!」
「いつ望未がお前の嫁になったのだ? いいだろう。問答無用で叩き潰そうと思ったが気が変わった。望未、歩けるか?」
望未が泣きながら頷く。
それを確認した銅之助は望未をそっと地面に降ろし、少し離れた木の根元で隠れているように指示を出す。
フラフラと歩き出す望未を視界に捉えながら、銅之助は沢庵の方を向いた。
「いいか。お前には言いたいことが三つある。よっく聞いておけ。
まず一つ。望未にはちゃんとした想い人がいる。だから望未を嫁にするのはやめろ」
「それはてめぇか!?」
銅之助は首を横に振った。
「二つ。お前、年はいくつだ? 少なくとも俺より年上であろう。いい大人が、望未みたいな少女の尻を追っかけてどうする。
いいか、結婚するなら姉さん女房が一番と昔から相場が決まっておる。お前のしていることは間違っている」
「うるせえ! そんなの俺の勝手だろうが! それになんだ、女房と畳は若い方が良いっていうじゃねえか!」
「くっ、確かにそうとも言う。お前、思ったよりも学があるな」
フフンと、沢庵が鼻を鳴らした。
「とにかく三つ目! 俺は、お前が暴れたせいで団子が一本しか喰えなかった。手つかずの団子を二本も店に残してきてしまった。それも美人の女将さんが作ってくれたやつだ!
俺は、それが、いま一番腹立たしい! よってこの場でお前を成敗する!」
銅之助はそう言うと、肩に引っかけていたずだ袋に手を伸ばした。袋から伸びている棒状の物体を引き抜いて目の前にかざす。物体に巻かれていた包帯を銅之助は剥ぎ捨てた。
その下から姿を見せたのは一本の木刀だった。
長さはおよそ一メートル程だ。相当使い込まれたのであろう。黒光りする刀身には細かい傷がいくつも刻まれていた。握り手の下には穴が開けられており、そこからピンク色の小さなハート形の石が紐で括られている。
それは沢庵が首から下げている石と同じ種類のようだ。
「てめぇ……モサか!」
銅之助の手慣れた動作に見入っていた沢庵だが、彼の木刀のハート形の石に気付くと驚いたように叫んだ。
「ああ、流れのな」
沢庵の問いかけに銅之助は短く答えた。
モサの中には一定の場所に留まらず、様々な理由で各地を転々とする者もいる。人は彼らを流れモサと呼んだ。
言葉の響きから乱暴者が多いと誤解されやすいモサだが、集団に属さない流れモサは特にその傾向が強い。銅之助が望未に正体を隠していたのは、初対面の少女を怖がらせないためだった。
余談だが、多くのモサは銅之助達のようにこのハート形の石を身に着けている。沢庵が銅之助の正体に気付いたのはこのためである。
一説では、この石は空から降ってくるパワーストーンの一種であり、モサが持つ不思議な力を増幅させる効果があると信じられていた。
「くそう! こうなったら俺も武器を……って、俺のクワが無ぇ!」
武装した銅之助に対抗するため、自分も武器を手にとろうとした沢庵だったが、肝心のクワがどこにも見当たらなかった。
四~五メートルはあろうかという巨大なクワだ。そんな簡単に無くすことはありえないのだが。
「あのクワなら、お前が望未に襲い掛かっているうちに処分させてもらった」
飄々とした態度で銅之助が言った。
「てめえっ、よくも俺の大事なクワを! 汚ねえぞ!」
「心外だな。敵の戦力を削ぐのは立派な戦術だ」
「ぐぬぬ……」
似たようなことを望未に言っていたため、沢庵は言い返すことが出来なかった。
「それに愛用の武器というものは、いわば一心同体の存在であり、文字通りの相棒だ。
相棒をその辺に放っておいたお前が悪い。
そもそも武器への愛情が無いからそんなことになるのだ。俺は一日に十回はこの木刀に話しかけるようにしている。俺を見習え」
「ただの危ない奴じゃねぇかっ! まあいい、そんな棒っきれ、怖くも何ともねぇ。俺が叩き折ってやる」
「棒っきれ呼ばわりはやめてもらおう。これは師匠の藤原春(ふじわらはる)先生から頂いたものだ。ちゃんとした名前もある」
「知らねぇなぁ、そんなモサ。どこの田舎もんだ?」
「先生の悪口もやめてもらおう。先生はな、剣の腕が滅茶苦茶立つのに子犬が怖いという、お茶目な一面を持つお方なのだ」
「うっせぇ! そんなことどうでもいいわ!」
沢庵が大声で怒鳴り返す。
そろそろか。銅之助は良い頃合いだと思った。
この無駄にしか見えない一連の沢庵とのやりとり。これこそが銅之助の作戦であった。
相手を刺激し、怒らせ、調子を乱す。そうすれば相手は本来の力を発揮できず、こちらが有利となる。藤原春から教わった戦法の一つであった。
「そういえばまだ名乗っていなかったな。武甲銅之助、参る!」
銅之助は肩のずだ袋を放り捨てると、沢庵目がけて駆けた。
沢庵はモサパワーを両腕に込め、拳骨を振りかざして銅之助を迎撃する。
二人の姿が重なった瞬間。強烈な光と爆風が辺りに吹きすさんだ。
しかしそれは、今まで沢庵が起こしたものに比べると遥かに小さいものであった。
「なにぃっ!?」
驚きの声を上げる沢庵。
銅之助が木刀で拳骨を受け止めた瞬間、彼は巧みに木刀をずらし、爆発の発生源となるエネルギーを散らしたのである。
また、銅之助は密かにモサパワーを木刀に込め、簡単に折れないように準備していた。
「すまないが、近くに望未がいるのでな。大きい爆発を起こさせるわけにはいかん」
そのまま斬撃を沢庵に浴びせる銅之助。
だが、日頃の農作業で鍛え抜かれ、モサパワーでさらに硬くなった沢庵のボディはそれを受け付けない。
銅之助は知らないが、その強度は鉄で出来た鉈をを折ってしまうくらいだ。いくらモサパワーで強化している木刀でも、なかなかダメージが与えられない。
長期戦となれば、スタミナのある沢庵の方が俄然有利だ。このままではいずれ銅之助は敗北してしまうだろう。
そうすれば望未に再び危害が及んでしまう。それだけは避けなければならない。
あいつの、無敵の筋肉に弱点は無いのか。銅之助は考える。
弱点の無い人間などいない。必ずなにか手があるはずだ。
その時、銅之助の脳裏に師匠の藤原春の言葉が蘇った。
『よいか、銅之助。人間の身体というものは鍛えれば鍛えるほど強くなる。
だが、どうしても鍛えることの敵わない場所も存在する。いわゆる人体の急所、というやつだ。分かるな? よし。
心もそれと同じだ。いくら克服しようとしても、出来ないものは誰にでもある。
例えば私は犬が怖い。これは私の心の急所だ。
昔から何度も治そうとしたが、どうにもならない。これは仕方がないことなのだ。だからもう、二度と私に犬を近づけるな。
……っておい! 言ってる側から犬を持ってくるな! やめろバカ! このバカ弟子!
いやぁっ! 銅之助、おまえっ! 犬をどかせ! ちょっ、駄目っ、あんっ、この犬、そんなところを舐めてっ、やめっ、ほんとに、イヤああぁぁぁっ!!』
銅之助はこの後の稽古で、春に普段の十倍くらい痛めつけられた。
痛みと共に覚えたことはいつまでも忘れないものだ。
余談だが、春に犬を近づけた件について、銅之助に悪気はいっさい無かった。師匠に弱点を克服して欲しいという一心での行為であった。
「人体の急所……そうか!」
左目を失った沢庵の死角を利用して、銅之助は相手の側面に接近する。
「てぃっ!」
沢庵の頭、正確にはこめかみに向かって木刀を打ち付ける。
頭部に一撃を受けて、沢庵の脳が揺れた。平衡感覚が麻痺し、足元がおぼつかなくなる。
この隙を逃すわけには行かない。
銅之助はこめかみ以外に急所と呼ばれる部分を次々と攻撃する。
あご、喉、肩口、みぞおち、モモ、スネ――
まるで舞踏のように軽やかに、だが確実に沢庵にダメージを与えていく。
「とどめっ!」
銅之助が最後に狙ったのは沢庵の股間――いわゆる金的であった。
ここを攻撃された場合、特に男性の場合は悶絶するほどの激痛を伴う。
痴漢撃退のマニュアルにも攻撃対象として記載されるほど、急所としての知名度が高い部分である。
「ぶ、があぁぁぁぁっっ!!!」
銅之助の攻撃を受け続けた沢庵は白目をむき、口から泡を吐いて地面に倒れた。もはや彼は完全に意識を喪失していた。
銅之助はそのことを慎重に確かめると、近くで隠れていた望未の元へ向かった。
望未は木の陰から顔を少し出して、こちらを見つめていた。まだ先ほどの恐怖が抜けていないのか、その表情には影が差している。
「望未。怪我はないか」
「……えっと、あの人に掴まれた手がちょっと痛い、かな」
「みせてみろ」
銅之助は望未を座らせると、自分も彼女の前に腰を降ろした。そのまま望未の両腕を手に取って観察する。
もの凄い力で握られたためか、望未の両手首の辺りが赤くなっていた。銅之助が触診してみた限りでは、幸いなことに骨には異常がないようだ。
銅之助は安心すると望未から手を離した。
男子に腕を触られたためか、望未の顔は少し紅潮していた。
「……ねえ、武甲くんはどうして私を助けてくれたの?」
「どうしてだろうな。俺の人生、いつもこんなことばかりだ」
銅之助が今まで立ち寄った国では毎回のように揉め事が起きていた。
京都では国内の二つの自警団同士の団長が喧嘩をしていた。
名古屋では旧愛知と三重が紛争をしていた。
つい先日の東京でも、自警団の団長が所持していたハート形の石を盗んだ犯人にされかけたばかりであった。
銅之助はこれらの騒動に巻き込まれるたびに、なんとか解決してきていたのである。
「まあ……強いて言えば、望未が傷つくと女将が悲しむ。美人の泣き顔は見たくない」
銅之助の言葉に望未は吹き出しそうになる。
「美人って、私のお母さんのこと? 武甲くんって、お母さんみたいなのがタイプなんだ」
「むむっ。年上好きで何が悪い」
「べ、別に悪いっていう訳じゃないけど、なんていうか……その」
顔を赤くしたまま口ごもる望未。
「言っている意味がよく分からんが、その様子ならもう心配いらんな」
銅之助は側に置いていた木刀を持ってゆっくりと立ち上がる。
「あ、あれ……どこか行っちゃうの?」
「ああ。さっき放り捨てた袋を拾いに行く。あれには俺の全財産が詰まっているからな。
そしたらその足で、所沢を発つ」
このままここに留まれば、自警団員がやってきて必ず面倒なことになる。
流れモサという存在に対して基本的に自警団は良い感情を持っていないものだ。
銅之助の経験上、自警団に捕まってしまえば痛くもない腹を探られたうえ、何日も拘束される。そんなことは御免であった。
「ま、待って!」
歩き出そうとする銅之助の腕を望未が掴んだ。
まだ望未は銅之助にちゃんとお礼も言えていない。
さらに今回の紛争を収めてくれた人物をこのまま帰すわけにもいかなかった。田さん達に事情を説明する際にも、本人にいてもらった方が良いだろう。
それになにより、望未としてもこのまま銅之助と別れるのはどうしても我慢できなかった。相手は風来坊だ。もしかしたら今後二度と会うこともないかもしれない。
そう思うと、望未の胸がチクリと痛んだ。その痛みが何なのか、彼女にはまだ分からなかった。
ただ、とにかくこのまま銅之助と離れ離れになってしまうことは嫌だと感じていたのである。
しかし咄嗟に銅之助の腕をつかんだものの、どうやって引き止めたらよいのか、なかなか良い理由が浮かばなかった。
自警団の事情聴取が済むまで待ってほしいというのはどうか。いや、だめだ。そんなことを言ったら逃げられてしまいそうだ。
困った望未の目に銅之助が手にする木刀が映る。その時、望未の頭に銅之助と初めて出会った時の光景が蘇った。
たしか銅之助は言っていた。武士になるのも悪くはないと。
「……武士! 武甲くんは武士に憧れているんだよねっ」
「なんだ、突然……まあ、違うと言えば嘘になる。
そんなことより、そろそろ手を放してくれんか。いきなり腕を掴むとか、ビックリしてまた望未を取り押さえてしまうとこだったぞ」
実を言うと、銅之助も銅之助で内心慌てていた。
最初に望未に会った時に顔を赤くしてしまった事から分かるとおり、銅之助は女性に対して初心(うぶ)なところがある。日向代に見とれたり、年相応に助べえなところも持っているが、実際には手を出せないヘタレであった。
そんな銅之助が望未に腕を掴まれる――いわゆる肉体的接触まで発生したものだから、顔を真っ赤にしてしまった。
緊張で銅之助の額から、冷や汗のようなものが滴り落ちる。
先ほど望未の腕を触ったときは触診という正当な理由があったため何でもなかった。
だが今度は違う。気恥ずかしさが先に立ってしまった。
「ぶ、武士に二言は無いよねっ! 私、まだ武甲くんの旅のお話を聞いてない!
だから、所沢を出て行っちゃうとか言わないでっ!」
絞り出すような声で望未が言った。
「わ、わかった! いくらでも話してやる! だからそろそろ腕を離してくれ!」
根負けした銅之助が叫んだ。
しかし望未は腕を掴んだまま――
「に、逃げちゃったりしませんか!?」
「逃げん! 約束は守る、武士に二言は無い!」
それを聞いた望未はようやく腕を離した。
しばらくして、田さんを始めとした日吉町プロペラーズの団員達が二人の元に駆け付けた。
その場で簡単な事情説明があった後、望未の手当てをするため銅之助達は病院へと向かった。
気絶したままの沢庵は練馬ダイコンズの団員達が引き取って行ったという。
◇◆◇◆◇
この、練馬国との隣接地帯で行われた銅之助と沢庵の決闘。
その一部始終を物陰から見ていた二つの人影があった。
二つの影は双方の自警団達が去ると、身を潜めていた茂みから姿を現した。
「へぇ……なかなか面白いものが見れたじゃない、音無(おとなし)」
「まさか所沢にマッチャグリーン以外のモサがいたとは……入手していた情報にはありませんでしたが」
現れたのは二人とも女性であった。
音無と呼ばれた小柄な少女は、持参していたメモ帳に先ほどの決闘の様子をペンで記録している。
「まぁ、流れモサは風来坊だからね。いつどこにいてもおかしくはないさ」
もう一人の女性は目を細めながら、戦場となった野原を見つめている。
「そうだ、執行(しぎょう)様、例の練馬のモサが持っていたクワはいかがなさいますか?
たしかご所望されていたかと存じておりますが」
二人は野原で起きたことを観察していたため、銅之助が沢庵のクワを近くの茂みに隠していたことも把握していた。
「あぁ、アレねぇ……前は欲しかったんだけどさ、なんだかもうどうでも良くなってきちゃった。
あの筋肉ダルマ、もう少し骨のあるやつかと思ってたんだけどねぇ……お、あった」
執行と呼ばれた長身の女性が、銅之助がクワを隠した茂みをかき分ける。そこには沢庵愛用のクワが置かれていた。
「いちおう、未練は断ち切っておくとするかねぇ」
執行は四~五メートルもある巨大クワを持ち上げると、そのまま宙へ放り投げた。
成人男性が数人がかりでやっと運べるほどの重量のクワが、空高く舞い上がっていく。
執行はどこからともなくナイフを取り出すと、大地を蹴ってジャンプした。クワの後を追うように執行の身体が高度を増していく。
遥か空中で執行とクワが交錯した。
次の瞬間、クワはバラバラになって次々と地面へと落ちて行った。クワの破片は全て鋭い刃物で切り刻まれた跡が付いていた。それは木製部分だけはなく、鉄で出来た刃の部分も同様であった。
鮮やかに着地した執行も元に音無が駆け寄る。
「さすがです執行様! あぁ、素敵……」
ウットリとした口調と視線を執行に向ける音無。なぜか彼女は内股の姿勢になり、片手で股間を押さえていた。
「べつに。これくらい朝飯前さ。それにしてもあの坊や……ふふふ、楽しみが出来て嬉しいよ」
執行は首元のチョーカーを触りながら、妖艶な笑みを浮かべた。彼女のチョーカーには、ピンク色に輝くハート形の小さな石が取り付けられている。
「……あっ、そろそろ東村山との話し合いの時間です。執行様、参りましょう」
「あぁ、分かったよ」
執行は頷くと、音無と共に去っていった。
こうして練馬ダイコンズの所沢侵略は武甲銅之助により食い止められた。
だが、新たな危機が所沢に迫っていることを彼はまだ知らない。
この執行と音無という二人の狙いは何か。
一難去ってまた一難。武甲銅之助の剣が唸る時はすぐそこまで近づいていたのである。
◇◆◇◆◇
はいどーも! 国境の関所の窓口お姉さんだ!
いやー、所沢が助かって良かっただなぁ! これでオラも職探しせずにすんだだぞ。
それはそうと銅之助くん、望未ちゃんを助けに来るのがちっと遅すぎじゃねぇべか?
そこらの草むらん中でハァハァしてたんだとしてたら、お姉さんちょっと引いてまうど?
次はなんやかんやで所沢に残ることになった銅之助くんが望未ちゃん家にお泊りするみたいだど。
あぁっ、望未ちゃん! 年頃の女の子がそんなことしたらいかんべなぁ!?
次回「一泊無用」!
んだばまず!
お読み下さり、ありがとうございました。