第五話目を投稿します。
「ありがとうございました。またごひいきに」
望未が帰ってから、もりともへ立て続けに客が三組もやってきていた。
最後の客は顔にガスマスクを付けており、たまにたこ焼きを買いに来てくれる少女だった。彼女が二日連続で来店するのは珍しい。
商品を買ってくれたガスマスクの少女を笑顔で見送ると、日向代は店の奥へ続く入口を見た。
望未は部屋に戻ったきり、出てこない。
先ほどの望未は明らかに機嫌が悪かった。帰りに銅之助と会ったらしいが、彼とケンカでもしたのだろうか。
様子を探りに行くか、そっとするか日向代は迷っていた。
「……年頃の子ってのは難しいねぇ」
客が続いて少し疲れたのだろうか。日向代は呟いた。
「あらやだ。さっきまで晴れてたのに、一雨来るのかしら」
外のカウンターに面している窓から見上げると、空はうっすらと曇り始めていた。
遠くからゴロゴロと雷の音も響いてくる。
午後は客足が減りそうだと、日向代は思った。
◇◆◇◆◇
八国山公園。
所沢の中心部からやや離れたこの公園は、隣国である東村山との境目に存在している。
園内の大半が雑木林になっており、かつての都道府県時代には某国民的アニメ映画の舞台としても有名な場所であった。
敷地も広く、所沢国民の憩いの場として愛される平和な公園。
そこに武甲銅之助と執行がバイクに二人乗りをしてやって来た。銅之助は免許を持っていないため、運転しているのは執行だ。
執行はバイクを駐車場に止めると、後ろの銅之助に降りるよう促した。
銅之助は指示に従って地面に立つと、周囲を見回した。辺りには散歩中と思われる人たちが静かな時間を過ごしている。
執行もバイクから降り、ヘルメットとライダージャケットを脱いだ。それらをメットインにしまうと、腕を広げて大きく身体を伸ばす。
銅之助は視線を周りから執行へ移動させ、ジャケットを脱いだ執行の身体をこっそり観察していた。
彼は初対面の執行に逆ナンパをされてここにやってきたと思っている。これから行われることに対して、期待と不安で胸を膨らませていた。
『あんな子のことなんか忘れてさ。場所を変えて、あたしとイイことをしに行かないかい?』
『そんなつれないことを言わないでおくれよ。これからたっぷり、二人きりで楽しもうじゃないのさ』
ほんの少し前、銅之助は執行に抱き着かれながら耳元で囁かれた。
イイこと。二人きりでたっぷり。これらのことから男女がすることといえば一つしかない。
いわゆる男女の秘めごと、というやつだ。
銅之助はゴクリ、と唾を飲んだ。激しい緊張で全身が震える。
彼はいままで異性とそういうことをした経験がない。いわゆる童貞である。ませた幼馴染に言い寄られたことはあったが、生来の初心のため最後までは行かなかった。
いまも気恥ずかしいという気持ちはあるが、それ以上に期待が上回っていた。
背中に担いでいるずだ袋に避妊具は入っていない。彼女は持っているのだろうか。
「ん? ソワソワして待ちきれないのかい。奇遇だね、あたしもだよ。
さっきから身体がほてっちゃって仕方がないのさ」
執行がニヤニヤしながら銅之助の側に立った。
「別にソワソワなどしておらん。ところで、こんなところでするのか? 周りに人がいるようだが」
「人目が気になるのかい? あたしは見られながらするのも大好きだよ」
「見られ、ながら……!?」
銅之助は愕然とした。
ああいうことは隠れてするから秘め事というのではないだろうか。それを執行は人に見られるのも好きだといった。
世の中には様々な性的嗜好が存在する。それは銅之助も承知している。
執行は経験豊富なのかもしれないが、銅之助は今回が初体験だ。
初めてが明るい屋外で、しかも衆人環視のなかというのはいささかハードルが高過ぎないだろうか。というか、こんな公園で事に及んでしまったら自警団に通報されてしまうのではないか。
「どうしたんだい。そんなにポカンとして」
不思議そうに銅之助の顔を覗き込む執行。
「なっ、なんでもない!」
銅之助が答えると、執行は腑に落ちない顔をした。
「ま、なんでもいいけどね。それじゃ行こうかね。もう待ちきれないよ」
執行は銅之助に腕を回し、園内を歩きだした。
彼女の柔らかい胸が銅之助の身体に当たる。その途端、銅之助の鼻の下が伸びた。
たしかに執行は特殊な性癖を持っているかもしれない。だがもう、そんなことはどうでもいいのだ。男だったら度胸を決めろ。見たい奴には見せつけてやればいい。ピンク色に染まった銅之助の頭の中は、そんな考えでいっぱいだった。
「この辺がいいかねぇ」
足を止めて執行が呟く。そこは公園のど真ん中だった。周囲に遊具などは無く、芝生や土が拡がっており、見通しがよい場所だった。
「う、うむ」
銅之助は頷いた。いよいよそのときが近づいてきた。
できれば初めては布団の上がよかったが、相手がここが良いというのならば仕方がない。
さらに高まる緊張を抑えるため、銅之助は深呼吸をする。
「おや、ガチガチじゃないか。そんなに固くなってたら、楽しめるもんも楽しめないさ。
少し待ったほうがいいかい?」
「いや、気遣いは無用」
執行の申し出を銅之助は断った。こんな緊張と期待が入り混じった状態で待たされたら気が狂いそうだ。
「そうかい。それじゃ、始めるとするかね」
気楽な口調で呟くと、執行は銅之助から少し距離を置いた。まるでムードがないが、二人は初対面だ。恋人同士のような甘い語らいを期待するのは無理というものだろう。
自分のシャツを脱ごうとした銅之助は、執行の様子を見て手を止めた。
どこに隠していたのか、一メートルを超える巨大な安全ピンのようなものを肩に担ぎ、準備万端といったふうで執行が銅之助を見つめている。
執行が持つ道具は今まで銅之助が見たことがないものであった。
針を収めるカバーの部分には旗が括り付けられ、さらにその旗には花菖蒲を模した飾りが付けられている。
なぜこのタイミングで執行があんなものを取り出したのか。銅之助は首を傾げる。
まさか、男女の行為にあれを使うつもりなのだろうか。
人に見られたがったり、得体のしれない道具を使おうとしたり、執行はどれだけ特殊な性癖を持っているのか。
彼女に釣られてここまでやってきた銅之助だが、しだいに執行のことが怖くなってきた。
「ほら、あんたも得物を出しな」
急かすように執行が言った。
「お、おう」
この状況で得物といえば、あれしかない。全裸になろうと思っていた銅之助だが、執行が服を着たままなのを見て全てを理解した。
きっと彼女は服を着たままするのが好きなのだろう。それもありかと納得した銅之助は自分のズボンのジッパーに手をかけた。
「あんた、なにしようとしてんだい?」
「得物を出せと、言ったのはお前ではないか」
怪訝な表情を浮かべる執行に、銅之助は答えた。
「木刀を出せって、言ってるのさ。隠したって無駄だよ。
その袋から頭を出してるのが木刀だってことくらい、こっちはお見通しさ」
「なぬっ」
銅之助は愕然とした。
自分が愛用している木刀を、執行は出せと言った。それはつまり日河白鳳を使ったプレイをするということだと銅之助は受け取った。
「まっ、まて! それは困る! これは俺が剣を習った師匠からいただいた、とても大事なものだ。いくらなんでも、そんなことに使うわけにはいかんっ」
執行は木刀を自分のアレで挟んだり、大事なところに入れて楽しむつもりなのだ。
日河白鳳は銅之助にとって相棒であり友である。いくら美人の頼みでもこればかりは承知できなかった。それに、もしそんなことに使ってしまったのが師匠の藤原春にバレたら間違いなく殺されてしまうだろう。
「はあ? いま使わなかったら、いつ使うってんだい?」
「いつって、そりゃ、闘うときに決まっているだろう!」
「だからさっさと出せって言ってるんじゃないか」
銅之助は執行の言っている意味が全く分からなかった。これから二人はお楽しみタイムのはずである。それなのに闘いとはこれ如何に。
そのとき銅之助はどこかで聞きかじったことを思い出した。世の中には秘め事を勝負に見立てて、相手を先に達せさせたほうが勝ちとする趣があるという。
恐るべき執行はまだそんな性癖を隠しもっていたのだ。彼女は底なしの変態だと銅之助は思った。
「断る。そもそも道具など必要ないではないか」
銅之助が言うと、執行の目がするどく細まる。
「へえ……木刀使いのあんたが、素手とはねぇ。あたしも舐められたもんだ」
木刀使いとはなんだ。変なあだ名をつけないでほしい。確かに執行の身体を舐めてみたいとは思っているが。銅之助は鼻息を荒くする。
「まぁ、いいさ。そのうち気が変わるだろうしね」
「うむ。分かってくれてなによりだ」
これで日河白鳳を変なことに使わずにすんだ。銅之助はホッと胸を撫で下ろした。
「そ、それでは……その、はじめるか」
銅之助は背中のずだ袋を足元へ置くと、顔を赤らめながら執行に向かって足を一歩進める。
今は亡き父よ、母よ。いよいよ大人の階段を登るときが来た。
朝起きたときには、まさか童貞を今日捨てることになるとは夢にも思わなかった。
人生とはいつ何が起きるか分からないものだ。銅之助はしみじみと思った。
そう、いつ何が起きるか分からない。
執行の目が怪しく光ったと思うと、彼女は肩に担いだ巨大な器具を振り上げた。そのまま銅之助に向かって素早く飛びかかる。
「な、なんだっ!?」
執行の突然の凶行に、銅之助の身体が無意識に反応した。とっさに横へ飛び跳ねる。
彼女の持つ巨大な器具が、一瞬前まで銅之助が立っていた位置に勢いよく振り下ろされる。器具の先端が地面にめり込んだ。
「ん……なんか感触がいまいちだねぇ……って、あれを付けるのを忘れてたか」
愕然とする銅之助をよそに独り言をつぶやく執行。彼女は上着のポケットをゴソゴソと探ったかと思うと、何かを取り出した。
それは普段から執行が愛用している黒いチョーカーであった。
今日は晴天であり、気温も高い。首元がムレそうだと思った執行はいつものチョーカーを外していたのである。
だが今はこのチョーカーが必要だった。チョーカーを付けた執行の首元で、ハート形の小さな石がピンク色にきらめいた。
「おまえ、その石はまさか――」
「ヒロイック・ガーネット。あたしはそう呼んでる。どうしたんだい? これを見て目の色が変わったね」
銅之助はゆっくりと立ち上がる。
間違いない。彼女はモサだ。銅之助の額から一筋の汗が流れた。
「これはいったい何のつもりだ」
「そんなの決まってるじゃないか。あんたもモサなんだから分かるだろう?
違うとは言わせないよ。こっちは昨日の闘いを見させてもらってるからね。
まったく、あの筋肉ダルマはあたしの獲物だったのに、横からかっさらっていっちまうなんてね。この執行さんもバカにされたもんさ」
執行。彼女の名前をこのとき銅之助は初めて知った。だが、彼はその名に聞き覚えはなかった。
銅之助を睨みながら、ジリジリと近寄ってくる執行。
銅之助も木刀で対抗したいところだが、先ほどの一撃を飛んで避けてしまったため、あいにく手元になかった。木刀の入ったずだ袋は執行を間に挟んだ向こう側にある。だがすんなりと取りに戻らせてはくれなさそうだ。
なんとか相手の気をそらして、木刀を回収せねば話にならない。
「そいつはすまなかったな。こちらにも、事情があったのでな」
「まあ、代わりに坊やをブチのめさせてもらうからいいさ」
「それは御免こうむる。というか、なぜこんな回りくどいことをしたのだ?
俺と闘いたかったのなら、最初からそう言えばよかったであろう」
「はあ? それはどういう意味だい」
銅之助の言っている意味が分からず、執行が眉をしかめる。
「イイこととか、二人でたっぷり楽しもうとか、俺の身体をベタベタと触って誘惑してきたであろう! だから、俺はてっきり……そういうことをするのだとばっかり思っていた!
せっかく童貞を捨てられると、ソワソワしていたのだ!」
「なっ、えぇっ……!? いや、あたしはそんなつもりは」
銅之助の言葉に困惑する執行。自然と語尾も弱くなり、オロオロし始めてしまう。
「なのにお前は、未経験の俺の前で、外で人に見られながらするのが大好きだとか、変な道具を出したりしてきてっ、挙句の果てに愛用の木刀をプレイに使いたいから出せとか、それでもっ、俺はっ、俺はっ……!」
いつのまにか銅之助の目は涙ぐんでいた。淡い期待が粉々に打ち砕かれたのだ。泣かずにはいられなかった。
「ちょ、ちょっと待っとくれ! それじゃまるであたしがド変態みたいじゃないかっ!?」
執行も顔を真っ赤にして銅之助に抗議する。
彼女からしてみれば、最初から銅之助にモサ同士の対決を持ちかけているつもりであった。
そりゃ確かに銅之助の初心な反応に、途中でイタズラ心が疼いてしまったのは否定できない。されど、痴女扱いされるのは心外であった。
「うるさいっ! よくも俺の心を踏みにじったな! よくも俺を騙したなぁぁぁぁぁっっ!!!」
銅之助が吠えた。彼が所沢に来てから一番の大声であった。
「わ、悪かったよ! 謝るよ! だから、その、気を取り直してあたしと闘ってくれないかい?
そ、そうだ! もしあんたがあたしに勝てたら、それこそ何だってしたげるからさ!」
もう執行は完全に困り顔だ。銅之助を傷つけてしまったことにたいして、申し訳ないと思ってしまっていた。すっかり戦意も消えてしまっている。
そこに、隙が生まれた。
「はっ!」
銅之助は小さく呟くと、全力で駆け出した。執行の横を走り抜け、ずだ袋目がけてスライディングをする。銅之助は滑ったまま、ずだ袋から木刀をキャッチした。
そのまま勢いが止まるのを待たず、体を反転させて大地を蹴る。銅之助は執行から少し離れた位置に着地すると、急いで木刀の周りの包帯を剥き、戦闘準備を整える。
「お前っ、あたしを出し抜いただとっ!? さっきの涙も演技だったのかい!?」
執行が驚いた顔で銅之助の方を振り向いた。
「いいや、あれは本当の涙だ」
銅之助は目元をゴシゴシと手で拭った。
「執行とやら、さっき言ったことを忘れるな。もし俺が勝ったときは、遠慮なくお前の身体で童貞を捨てさせてもらう」
「くっ、憐れんだのが仇になっちまったようだね。でもまあ、あたしが勝てば何の問題もないか」
ククク、と可笑しそうに執行が洩らす。まるで出し抜かれたことすら楽しんでいるようだ。
「よし。話は決まった。申し遅れたが、俺の名前は武甲銅之助だ」
「あたしは執行玖仁子(しぎょうくにこ)。巷では『武器使いの女帝』とか呼ばれてるけど、知らないかねぇ」
武器使いの女帝。
十年前の東京大決戦で全国から集まったモサ達に一人で戦いを挑み、その大半を蹴散らしたという伝説のモサの異名である。
打ち負かした相手の武器を奪い取り、コレクションしていることからその名は付けられていた。
銅之助も武器使いの女帝の本名は知らなかったが、その異名だけは聞いたことがあった。
彼女が持っている奇妙な武器も、きっとどこぞのモサからの戦利品なのだろう。
目の前の女性が本当に伝説のモサであれば、かなりの強敵である。
銅之助は、己の背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
武器使いの女帝といえば、歴戦のモサだ。
最初から決闘が目的だったとすれば、闘いはとっくに開始されていたのである。
もっと言えば、市街地で執行が銅之助に声を掛けた時点から二人の勝負は始まっていた。
往来で銅之助に抱き着いたり触ってきたのは、彼の身体を直に調べるためだろう。
それに昨日見た闘いの様子と、執行の長年の経験をプラスして考えれば、銅之助の大体の実力が弾き出される。
一方、銅之助は執行の戦闘力についてはほとんど把握していない。戦闘の序盤における情報戦において、彼は完敗してしまっていた。
銅之助は自分のうかつさに歯ぎしりをした。
だがまだ勝機はある。風のうわさでは武器使いの女帝は強いモサにしか興味がないらしい。こうして闘いを挑んでくるということは、彼女に強さを認められたと思っていいだろう。
厳しい状況だが、勝利の可能性がないわけではない。
「よし自己紹介もすんだところで、おっぱじめるとしようか。あたしが欲しいなら、全力で来な!」
先手を取ったのは執行であった。
執行は得物を構えて駆け出すと、地面を強く蹴った。彼女の足元から爆発が起こり、まるでロケットのような速さで、二人の間合いが一気に詰められた。
「いただきっ!」
執行が全力で武器を振り下ろす。
銅之助はそれを木刀で受け止める。ズシリとした衝撃と重みが、銅之助の腕から全身を走り抜ける。
激突したそれぞれの獲物から激しい閃光と爆発が発生し、広場を包み込んだ。
だがそんなことは気にせず、銅之助は力任せに巨大安全ピンごと執行を跳ね除けようとする。
「っらあ!」
そうはさせまいと、執行が銅之助の脇腹目がけて蹴りを繰り出した。
両手が塞がっている銅之助はそれを避けられない。
「ぐぁあっ!」
激しい苦痛に銅之助の顔が歪む。だが握った木刀は離さない。何とか執行を払いのけ、少し距離を置く。
執行の顔を見た銅之助は戦慄した。彼女は歯が見えるほど口を吊り上げ、目を血走らせながら、妖しい笑みを浮かべている。
戦いに取りつかれた者の姿がそこにはあった。執行に心奪われていた銅之助だが、彼女のあまりの変わりように落ち着きを取り戻し始める。
相手の狂気に飲み込まれてはならぬと、銅之助は自分を奮い立たせた。
次に仕掛けたのは銅之助だ。
素早く相手に駆け寄り、一度、二度、三度と木刀を激しく打ち込み続ける。
執行は武器で防御するが、押されて徐々に後ずさっていく。
「たりゃああッ!」
銅之助は木刀の先端を巨大安全ピンの針金部分に引っかけ、そのまま大きく上へ振り上げる。
勢いに負けた執行は武器を手放してしまった。
跳ね上げられた巨大安全ピンが、大空高く舞い上がる。
「ちっ、しまった!」
丸腰になった執行が叫ぶ。
驚く彼女の顔を見て、銅之助は勝利を確信した。
武器も持たない女性をいたぶるのは銅之助の趣味ではない。執行に降伏を勧めるため、攻撃の手をいったん止めた。
「勝負はついた。観念するんだな」
「はっ、バカにするんじゃないよ!」
執行は狂った笑みのまま背中に手を伸ばす。束ねられた鎖を素早く取り出すと、銅之助の木刀目がけて投げつけた。
まるで生き物のように鎖が木刀に絡みつく。
「なにっ!?」
「はぁっ!」
執行が全力で鎖を横に引っ張る。
己の手を離れそうになる木刀を逃がすまいと、銅之助は力を込める。
鎖に引っ張られ、銅之助の身体が木刀ごと宙に浮いた。
執行は鎖を手放すと、銅之助に向かって突っ込んだ。無防備になった銅之助の腹に拳が打ち出される。
執行の手にはいつの間にかメリケンサックが装着されていた。
一撃をまともに浴び、吹っ飛ばされた銅之助は地面に激突する。なんとか木刀は手放さずにすんだ。
ここで銅之助は執行の異名を思い出す。
武器使いの女帝――
一つの武器に拘らず、状況に応じて様々な暗器を使いこなす。それが執行玖仁子の戦闘スタイルだと、銅之助は理解した。
「くそっ!」
銅之助は起き上がり、執行の姿を探す。
首を振って辺りを見回すが、どこにも姿が見つけられない。
その刹那、銅之助は上空から迫りくる殺気を感じ取った。
遥か頭上では、空中で武器を回収した執行が、銅之助に向かって落下してくるところだった。
巨大安全ピン型の武器は執行の手によって変形させられ、鋭い針がむき出しにされている。それはまるで槍のようだ。執行はその先端を銅之助目がけて突き出していた。
銅之助は体を捻じって避けようとする。
だが、木刀に絡みついたままの鎖が重みとなり、動作が一瞬遅れた。
「っがああああッッ!!」
銅之助の絶叫が園内に響き渡る。
木刀を握る銅之助の右肩を、巨大安全ピンの針が深々と貫いていた。
◇◆◇◆◇
銅之助と執行が激闘を繰り広げている頃。
日吉町にあるプロペラーズの本部も混乱に陥っていた。
モサ同士が八国山公園で決闘をしていると、近隣の住民から通報が殺到しているのだ。団員たちが必死で応対しているが、電話のベルが鳴りやまない。
「もう電話は取らなくていい! みんな出動準備を急げ!」
副団長の田さんが室内にいる団員達に号令を出す。
「二日連続でモサがらみの事件とか、もうやだーっ!」
女性団員のリカコが頭を抱えて叫んだ。他の団員達も同様にほとんどが混乱していた。
「みんな落ち着くんだ!」
「田さん!」
受話器を取っていた団員の一人が田さんに声を掛ける。
いつもヒーロー物のオモチャのベルトを身に着けている、ひとしという少年団員であった。
「匠座から連絡がありました! 例のアレ、たったいま完成したそうです!
でも、まだテストが出来てないそうで、動作は保障できないと言っています!」
「そうか! すぐに使うことになるかもしれない。
それでも構わないから、現場で準備するように伝えてくれ!」
「了解です!」
ひとしは電話口の相手に田さんからの指示を伝え始めた。
「いくぞみんな!」
田さんは叫びながら団員達を外に追い出していく。
最後に飛び出した田さんも、建物の脇に停めてある自分のバイクに向かった。
ヘルメットを付けようすると、冷たい感触が頬に当たる。
見上げると空はすっかり黒雲で覆われ、ポツポツと雨が降り始めていた。
「ちくしょう、天気まで俺たちの味方じゃないのか」
恨めしそうに空を睨みながら、田さんは呟きながらヘルメットを被り、車やバイクで先に出発した団員達の後を追った。
プロペラーズのメンバーが八国山公園に着くころになると、雨は次第に勢いを強くしていた。空は真っ黒な雲で覆われ、激しい雷がときおり光った。
バイクから降りた田さんは傘も差さず、団員達を連れて現場へと向かった。
そこでは通報があったとおり、二人の人物が距離を置いて睨み合っていた。
一人は武甲銅之助。もう一人は田さんの知らない女性だった。
二人とも泥だらけ傷だらけになっており、その姿が闘いの激しさを物語っている。
プロペラーズの一団は銅之助達から離れた場所に陣取った。
『そこの二人! すぐに闘いをやめてくれ! 我々はこの国の自警団だ!』
拡声器を使って田さんは銅之助達に呼びかける。
だが二人は睨みあったまま、田さんの方を向こうともしない。
「田さん、武甲さん怪我してませんか?」
団員の中でも少年っぽいあどけなさを残した、まり夫が田さんに言った。
彼の言うとおり、銅之助の右肩は血で真っ赤に染まっていた。傷で右手が使い物にならないのだろうか。銅之助は左手で木刀を握っている。
「まずいな。あの出血で激しく動いたら命に関わる。ひとし、アレの準備は?」
「え~っと、まだ匠座は来てないみたいです。あっ、いま来ました」
ひとしが辺りをうかがうと、白い法被を着た集団が少し離れた林の中で何らかの作業を開始しているのが見えた。
「そうか。準備が出来たら合図してくれ。クロコダイル、のぼる、まり夫は俺と一緒に来るんだ」
田さんの傍らにいた三人が頷く。
「女性メンバーはここで待機。それじゃいくぞ」
田さんは拡声器を女性団員に手渡すと、指名した団員達を引き連れて銅之助達に向かって走り出した。
銅之助は田さん達が駆け出すところを視界の端で捉えていた。
状況は最悪であった。
田さんの見たてどおり、銅之助は怪我で右腕が使えなくなってしまっている。
なんとか左腕で木刀を操って闘ってきたが、そろそろ体力の限界だ。
失血の影響だろうか。視界も霞みはじめている。おまけにこの雨で体温も奪われていた。もう長くは闘えない。
そんなところへプロペラーズが現れてしまった。彼らを守りながら闘う余裕は銅之助にはない。執行はモブである彼らにも容赦をしないだろう。
ツインタワー宣言に乗っ取った闘いならともかく、個人的な私闘で田さん達に怪我を負わせるわけにはいかなかった。
こうなったら一か八かの手段に賭けるしかしかない。銅之助は覚悟を決めた。
銅之助は木刀を大地に突き刺すと、逆手に握り直し、そのまま引き抜いた。木刀を持った左手を背中に回す。
銅之助の身体からモサパワーが溢れ、木刀の握り手に括られたハート形の石がまばゆく輝きだした。
「へえ、まだやるってのかい」
口内にたまった血をペッと吐き出し、執行が感心したように呟く。
正直に言って、銅之助の力量は執行の予想を超えていた。だが闘いの最中に相手に情けをかけるなど、モサとしてはまだ未熟だと執行は感じていた。
銅之助の甘さのおかげで、彼女は致命的な一撃を彼に喰らわせることができた。
あとはもう時間の問題かと思っていたが、まだ何か隠していたとは。
掘り出し物の相手に出会えたことに、体中が歓喜で打ち震える。このまま何かを繰り出した銅之助をねじ伏せることを想像すると、思わず恍惚に浸ってしまいそうだ。
さあ、坊や。遠慮なく奥の手を出してごらん。執行は嬉しそうに唇の端を吊り上げた。
銅之助は執行を睨んだまま、モサパワーを練り上げる。高まったモサパワーが竜巻のように彼の周りを取り囲んだ。
「くっ、動けないっ!」
銅之助のモサパワーが送り出す強い風圧に阻まれ、田さん達はあと少しというところで進めなくなってしまった。両腕で顔を守りながら、その場に立っているしかない。
少しでも気を抜くと、強風に飛ばされてしまいそうだ。
「ふんっ!!」
銅之助が叫ぶと、ひときわ強烈な光と風が周囲に拡散した。モサパワーの竜巻が一気に広がり、衝撃波を伴って周囲に飛び散った。
「う、うわぁああっ!!」
モサパワーの勢いに、田さん達は離れて待機していた団員達のところまで弾き飛ばされる。
それと同時に真っ暗だった空が急に明るくなった。モサパワーによる衝撃は、公園の上空を覆っていた厚い黒雲も吹き飛ばしてしまっていた。
この間、銅之助は左手を後ろに回したままの姿勢で立っていたが、モサパワーの竜巻が消えると同時に、執行に向かって弾丸のように駆け出した。
モサパワーの衝撃に一歩も動じず、執行はじっと銅之助を見つめている。その瞳は彼の木刀の刀身が紫色に光り輝いていることを捉えていた。
「くらえっ!」
猛烈な勢いで執行に接近した銅之助が、左手の木刀を彼女に目がけて全力で振り上げた。
執行はその一撃を持っていた武器で防ごうとする。二人の武器が重なった瞬間、銅之助達の間から激しい爆発と土煙が発生し、周囲を包み込んだ。
「ちょっ、うわぁあぁっ!」
「きゃああっ!」
銅之助達から距離を取っていた団員達が叫んだ。何人かは空に吹き飛ばされてしまった。残りのメンバーは、地面や手じかな木に捕まってなんとかその場に留まろうとする。
「ど、どうなったんだ……!?」
全身が土だらけになった状態のまま、田さんは勝負の行方を確認しようとする。
公園の中心部は土煙に覆われて、なにも見えない。
やがて土煙の中から一人の人影が浮き上がる。
木刀を杖代わりに地面に突き立て、膝をついた状態で銅之助がうずくまっていた。
肩で大きく呼吸をし、疲労困憊なのが遠目にも分かる。
田さんは彼の元へ駆け寄ろうとしたが、すぐに足を止めた。
銅之助の背後から、土煙を割るように執行が姿をみせたからだ。
銅之助の一撃を浴びたのだろうか。彼女の衣服は胸元の中心が下から上へ大きく縦に切り裂かれていた。使用していた安全ピンのような武器も、針のような一部分しか持っていなかった。
フラフラと、酔っぱらいのような足取りで執行が銅之助に忍び寄る。
「銅之助くんっ、うしろだっ!」
銅之助に危機を知らせようと、田さんが叫んだ。
しかし銅之助は膝をついたまま動こうとしない。いや、動けないのだろうと田さんは思った。
執行が持っている針を両手で振り上げる。
もう駄目だ。このまま銅之助は止めをさされる。田さんはそう確信した。
執行はニヤリと笑うと、銅之助目がけて針を力いっぱい振り下ろした。
その刹那、銅之助が動いた。片膝をついたまま振り向くと、まるで居合のように放たれた剣先が執行の手から針だけを弾き飛ばす。
針はクルクルと回転しながら宙を舞い、やがて地面に突き刺さった。
銅之助は剣の切っ先を執行に向けた。
「くっ……わかった、わかったよ。あたしの負けさね」
執行は観念したように両手を挙げた。
「いやー、本当にビックリしちまったよ。あんたいったい何者だい?
まさかこの執行さんを相手にして勝っちまうとはね。
さっきのすごいのは何なんだい? もしかしてその木刀に仕掛けがあるのかい?」
執行の問いかけに、銅之助は答えない。じつをいうと、喋る余裕すらなかった。
もはや体力はこれっぽちも残っていない。流血した状態で激しく動き回ったため、体中が悲鳴を挙げている。
手になじんだ木刀が、今はいやに重い。こうやって突きつけているのも辛いほどだ。
「なんだい黙っちまって。ほらほら、約束通り、あたしの身体を好きにしていいんだよ。
あんたの剣を受けて、あたしも思わず感じちまったよ。あぁ、もう我慢できないねぇ……」
銅之助の一撃で、執行の衣服は下から上へ大きく切り裂かれている。そのちぎれた部分に執行は手をかけた。執行の形のいい胸が見えそうになる。
いけない、と思ったときにはもう遅かった。銅之助は木刀を降ろし、つい彼女の胸元を凝視していた。
執行が敗北宣言をしたことにより気が緩み、代わりにスケベ心が出てしまっていた。
その瞬間を執行は見逃さなかった。彼女の手のなかで何かがきらめく。それは衣服の裏側に仕込まれていた針金であった。
「油断大敵なんだよぉッ!」
執行はまたたく間に針金を取り出すと、銅之助に飛びかかった。仰向けになった銅之助の上に執行が馬乗りとなった格好だ。
呆然とする銅之助の首に執行の針金が素早くまかれる。
執行が力を込めて引くと、針金がギリギリと音を立てて銅之助の首を絞めていった。
「ぐ、ああぁぁっ!!」
銅之助は悶絶した。すでに極限状態に達した身体はほとんど動かない。
押し倒されたときに木刀も手放してしまった。万事休すであった。
「とっとと相手の息の根を止めないから、こうなるのさぁ……!
苦しいかい? ねえ、苦しいかい? この執行さんをコケにした罰を受けさせてやるよ。
このままあの世に逝っちまいなっ!」
壊れた表情を浮かべながら執行が手の力を強めた。針金で締め付けられた箇所から血が滴り、首の骨がミシミシと嫌な音を立てる。
もはや満足に息をすることができず、銅之助の顔が紫色に変わっていく。
窒息死するのが先か、首の骨を折られるのが先か。それとも失血死か。
どれにせよ銅之助の命は風前の灯であった。
「まずい、まずいぞ……」
田さん達をはじめとしたプロペラーズは、その凄惨な光景を目の当たりにして動けなくなっていた。
女性団員達も両手で顔を隠し、身体を震わせている。なかには恐怖ですすり泣く者までいた。
「おいっ、アレはまだなのかっ!」
田さんが側にいるひとしに尋ねた。
ひとしは顔を青くしながら首を横に振った。
「それが何かトラブルがあったみたいで、もうしばらくかかるみたいで……」
田さんはひとしの回答を聞いて俯いた。
もう悠長にしている暇などない。このままでは銅之助は殺されてしまう。マッチャグリーンの留守を預かる副団長として、このまま見ているわけにはいかない。
こうなったら一か八かだ。
田さんは女性団員から拡声器を受け取ると、執行に向かって叫んだ。
『そこの女性! いますぐ彼から手を放すんだ! さもないと、巨大ロボを出すぞ!』
「なんだって!?」
執行が驚いて田さんの方を向いた。あまりの衝撃に思わず針金から手を離してしまった。
そう、この世界には巨大ロボットが存在する。
十年前の東京大決戦で繰り広げられた、東京スカイツリーロボと東京タワーロボの激闘は人々の記憶にも新しい。
モサも並々ならぬ強さを持っているが、巨大ロボは更にその上を行く。
東京大決戦で二台の巨大ロボに踏みつぶされそうになったトラウマが、執行の頭に蘇っていた。
『さあ、もう基地から発進したぞ! もうすぐここに到着するぞ!』
田さんがさらに追い込みをかける。
執行はチッと舌打ちをした。もう少しで銅之助に止めをさせるところなのに。
いや、銅之助は虫の息だ。ロボが来るまであと数十秒はかかるはず。巨大ロボと闘って勝つのは無理だが、逃げるだけなら何とでもなる。
このまま決着をつけてからでも遅くは――
「執行様!」
田さん達がいる方とは反対側から、少女の声がした。
ガサガサと茂みをかきわけて、若い少女が飛び出してくる。執行の部下の音無であった。
「音無、どうしてここにっ!? 休んでろって言ったじゃないか」
「それが執行様のお傍にいないと、どうしても寂しくて……って、そんなことはどうでもいいではありませんか! それよりも今はロボです! 逃げましょう、執行様!」
音無は執行に抱きつくと、力任せに銅之助から引き剥がした。
「お、音無っ、いいからお離しっ! あともう少しでこいつをっ」
「ダメです執行様っ!」
ここから執行を連れて逃げたい音無と、銅之助に止めをさしたい執行。
二人はもみくちゃになって暴れている。
「よしっ、みんな、今がチャンスだ。武甲銅之助くんを助けに行くぞ」
執行が銅之助の身体から降りたのを確認した田さんは、団員達に号令を飛ばした。自分が先頭になって銅之助の元へ走り始める。
「わかった、わかったよ音無っ! 逃げる、逃げるからっ、離れろっ!」
「それがその、執行様のお身体の抱き心地がよくって……あぁっ、離したくありませんっ!」
「こ、こんの、アホーッ!」
執行は絶叫した。どうしてこんなやつを部下にしてしまったのか。だが後悔している暇はない。とにかく今は逃げねば。でもその前に、どうしてもしなければいけないことがある。
執行は傍らに落ちていた、銅之助の木刀を掴んだ。
武器使いの女帝の異名で呼ばれ、倒した相手の武器をコレクションすることが趣味の執行にとって、銅之助の木刀を持ち帰ることは当然の事であった。
銅之助が最後に放った奥の手――あれはこの木刀に秘められた力に違いないと執行は考えていた。そんなすごいアイテムを見逃す手はない。
「う、うふふぅ」
東村山に戻ったらこの木刀をたっぷりと愛でてやろう。妖しく微笑んだ執行の口から感嘆の息がこぼれる。だがすぐに我に返った。急がないとロボが来る。
「よ、よしっ、戻るよ、音無っ」
木刀を掴んだまま立ち上がろうとした執行だが、いくら持ち上げようとしても何故か木刀はピクリとも動かなかった。まるで地面から根っこが生えているみたいだ。
そんな馬鹿なことがあるかと、執行がよく見てみると、血まみれの手が木刀の先端をしっかりと握っていた。
「ひ、ひぃぃっ!」
思わず執行は悲鳴をあげた。這いつくばるようにしてこちらへ青い顔を向けた銅之助が、恨めしそうに彼女を睨みながら、木刀を両手で掴んでいた。
「どうしたんですか執行様って、ぎゃあっ!」
まるでホラー映画のような光景に、音無は気を失った。ジョボボボと音がしたかと思うと、彼女の股間に大きな染みが拡がっていく。恐怖のあまり音無は尿を漏らしてしまっていた。
「うぉい音無っ、しっかりしなっ! この、こいつっ、手を、離せぇっ!」
今にも死にそうなはずの銅之助だが、木刀を握る手は凄まじく強かった。
しかも執行を睨みながら「おいてけ……おいてけ……」とうわ言のように呟いている。木刀を奪われたくないという執念だけが彼を動かしていた。
「急げみんな! もう少しだ!」
田さんの号令が執行の耳に入った。まもなくプロペラーズの連中がここへ到着してしまう。
執行もまた銅之助との激闘で傷ついている。モブとはいえ数の力で攻められては、いくら彼女がモサでも勝ち目はない。
どうする。木刀を諦めるか。今なら音無を連れて逃げられる。執行は迷った。
そんなとき、いつの間にか木刀が軽くなっていることに彼女は気づいた。
執行が銅之助を見ると、彼は顔を地面につけて、沈黙していた。どうやら力尽きたらしい。
だが何か様子がおかしかった。
銅之助の顔の下には赤い血だまりが拡がっている。たしか彼は顔に大きな怪我はしていなかったはずだ。それに何かを呟いている。
執行は銅之助の言葉にそっと耳を傾けた。
「……むね……むね……むね、が……」
「!?」
執行は慌てて自分の身体を確認する。銅之助によって胸元の衣服が切り裂かれていることまでは把握していた。それが音無と揉みくちゃになった際に、完全にめくれ上がってしまっていたのだ。
そのため執行の胸は完全に晒されてしまっていた。その形の良さも、膨らみのてっ辺に位置する突起物までもが露わになっていた。
「っ、きゃあああっっ!!!」
執行は絶叫すると、慌てて胸を隠した。銅之助は執行の胸を見て、大量の鼻血を出したのに違いなかった。
「こいつっ、こいつぅぅっ! 誰にも見せたことなかったのにっ! どこまであたしをコケにしたら気が済むんだいっ!」
執行は顔を真っ赤にしながら、銅之助の頭をゲシゲシと蹴り続ける。
だがプロペラーズがいよいよ近づいてくるのに気づき、蹴るのをやめた。銅之助の木刀と、気を失った音無を抱きかかえ、傷ついた身体に鞭をうって駆け出した。
執行が逃げ出すのと、プロペラーズが銅之助の元へ到着したのはほぼ同時だった。
「しっかりするんだ!」
田さんが銅之助を抱き起す。彼の二つの鼻の穴からはおびただしい量の鼻血が流れていた。
「これはひどい……」
銅之助のあまりの様子に、田さんは逃げ出した女に怒りを燃やした。
「田さんっ、あいつが逃げちゃいます!」
まり夫が執行の背中を指差して叫んだ。
「深追いするんじゃない! いまは彼の手当てが先だ!」
田さんの指示で団員達が銅之助を担ぎ上げる。
公園を下りれば、ここに来るのに使用した車やバイクがある。
いまは急いで銅之助を病院へ連れて行くのが先決だった。
田さん達は銅之助を連れて、八国山公園から急いで去っていった。
◇◆◇◆◇
「……プロペラーズから連絡が入ったわ。武甲銅之助は瀕死の重傷。相手の女モサは逃亡したそうよ」
大統領府の執務室。
電話の受話器を置いたハルカが目の前の籾山に告げた。二人の表情は険しく、厳しい。
「ハルカ様。その女モサというのは、やはり……」
「執行玖仁子、でしょうね。あなたの報告が本当なら」
隣国の東村山が所沢に侵略を企てているという情報を手に入れたハルカは、定期的に籾山を東村山へ送り込んでいた。
籾山が掴んだ情報では、東村山が流れの女モサと手を組んだとのことであった。
それもただのモサではない。東京大決戦で暴れ回った伝説の女モサだ。このことから東村山の本気度が伺えた。
「その執行玖仁子が武甲君を襲うとは予測できませんでしたな。こちらが彼を雇い入れようとしたことが向こうにバレたのでしょうか」
「さあ、今はそこまでは分からないわ」
ハルカは顔の前で手を組むとため息をついた。先日の練馬の次は東村山だ。頭が痛かった。
おまけに頼りのマッチャグリーンは行方が知れず、頼みの綱の銅之助は瀕死の重傷ときていては、胃に穴が開いてしまいそうだ。
「あ、そうだったわ。武甲銅之助君が怪我をしたことは、千綾には黙っててくれないかしら」
「かしこまりましたが、それはどうしてでしょうか」
「千綾がね、だいぶ彼に懐いてしまったみたいなのよ。おかげで私も久しぶりに千綾とたくさん話が出来たんだけど……」
ハルカは視線を机に落とした。千綾が映った写真立ての側には、銅之助と千綾が合作したハルカの紙人形が立てられていた。
「そのたこ焼きも千綾様が?」
ハルカの前に置かれたたこ焼きの空き箱を見て、籾山が言った。
「ええ。なんだか最近はまっているみたいなの。私が食べてみたいって言ったら、急いで買ってきてくれたわ」
そう語るハルカの顔はどこか嬉しそうだった。
「そうでしたか。これはもりとものたこ焼きですな。私もときどき、食べに行っています。
おっと、脱線してしまいました」
ポリポリと頬を掻く籾山。
ハルカはコホンと咳払いをし、緩み始めた空気を戻した。
「とにかく東村山への警戒を続けること。それからマッチャグリーンの捜索も。本当にあの子ったら、どこで油を売ってるんだか……
あと、武甲銅之助君の容体についても知らせて頂戴。悪いけど、もしもの時は彼に踏ん張ってもらわなければならないわ」
「かしこまりました」
籾山はハルカに礼をすると、足早に執務室を出て行った。
ハルカは窓の方を向いて外の様子を伺う。
八国山公園の上空は銅之助によって雨雲が吹き飛ばされたため晴れ渡っていたが、それ以外の地域は相変わらずのどしゃ降りであった。
空からゴロゴロと不吉な音がうなり、ときおり激しい稲光が街を照らした。
ハルカにはそれが所沢国の未来を暗示しているかのように思えてならなかった。
かくして、武甲銅之助と執行の決闘は幕を閉じた。
だが両者の闘いはまだ終わったわけではない。再び彼らが激しく火花を散らすときは刻一刻と近づいているのだ。
しかし武甲銅之助は傷つき、倒れた。愛用の木刀まで奪われた銅之助は、どのようにして執行に立ち向かうのだろうか。
そして所沢の守護者、マッチャグリーンはいつ姿を見せるのか。
その答えを知る者はいない。
◇◆◇◆◇
はいどーも! 国境の関所の窓口お姉さんだ!
銅之助くんと執行さんの対決だけんど、どうやら執行さんのほうに軍配があがったみたいだな。
ボコボコにされた銅之助くんは大丈夫だべか?
次は今回出番が無かった望未ちゃんのターンらしいど?
……って、オラの出番はいつになるんだべかっ!?
次回「接吻無用」!
んだばまず!
お読みくださり、ありがとうございました。