冥府を思わせる暗黒の闇が広がる不思議な空間。そこに半透明の眉目秀麗の表現の相応しい顔立ちの整った青年の姿が浮かび上がる。
「この世界に存在してはならないものが現れました。故に排除しなければなりません。巨大なる力は、必ず人の世界を、この世界そのものを破滅させます」
青年は、闇の向こうに浮かぶオーロラに目を向ける。
「世界は、世界のあるべき場所で事を解決させなければなりません。その戦いを、他の場所に持っていくなど許されません。故に、排除しなければなりません。人を世界を救うために……」
青年の手の甲に蛇に似た文字が描かれた紋章が存在していた。力が込められると同時に紋章が光り、青年の周りに無数の光の玉が現れる。
「行きなさい。そして、排除するのです。この世界に、”他のもの”は必要ありません」
けんぷファー WITH~AGITΩ~
「学 園」
オレこと瀬能ナツルは、いつものように朝はベットで横になっている。時間はすでに四時をまわっている。いつもは五時に起きるのだが、今日に限って意識がかなりさえているのだ。
理由は言うまでもなく昨日の事が強烈に記憶に残っている。昨日は朝からまさに激動の日だった。
オレの机に置いてあるあの腸を出した趣味の悪いぬいぐるみがしゃべりだし、さらにけんぷファーなる存在と関わる”敵”と戦えというお告げを受けたのだ。
そのけんぷファーと関わる敵に遭遇し、今に至っている。けんぷファーっていうのは、戦うために存在するエリートらしい。
けんぷファーは選ばれる存在らしく、そのメッセンジャーとしてあのぬいぐるみが派遣されるとのことである。
ここまでの流れを見るなら、オレもけんぷファーだろうと思われるが、オレはけんぷファーではない。オレはけんぷファーではなく”アギト”だ。
”アギト”っていうのは、人間の進化の可能性の一つと言われる一種の”突然変異体”の事。しかもその原因がオレの想像のつかない外的ファクターが関わっているのだ。
これはおいおい話すとして、アギトの特徴は戦闘能力の高さと外見の劇的変化なのだ。これをいうとどこかの特撮ヒーローみたいだが、別に悪の組織に改造されたわけではない。
実際にオレは、アギトに変身することができる人間なのだ。他にも変身できる人がいるのだけれど、ほとんどの人が正体を隠して暮らしている。
以前にアギトを撲滅しようと政府が一時的に動いたこともあったから、たまったものではない。好きで得た力ではないのに、なぜそんな理不尽な扱いを受けなければならないのだ。
だから、オレのような人たちのほとんどが人と深くかかわらないように生きている。だけど、オレが働いているレストランアギトは変わっていて、アギトが普通の人間を相手に商売しているのだ。
アギトを見せものにしているわけではなくて、普通の人と同じように働き、接しているだけだ。ここは、オーナーの特に悩むことの無い能天気な気質が全面的に出ている。
オーナーの津上翔一さんもアギトである。この人の場合、特にアギトであることを悩んでいたわけではないらしい。ただ、自然に受け入れていたとのこと(本人談)
普通とは違う力に対して、精神的に追い詰められ、何もかもが嫌になっていたオレとは天と地ほどの差がある。
それも置いておいて、オレのようなアギトをけんぷファーの元締めである”モデレーター”が何かと戦わせたくて、メッセンジャーを送り込んできたのだ。
その何かだが、昨日遭遇したあの豹だかジャガーなのか、よくわからない怪人がけんぷファーを襲っていた。
本当なら、オレは勝手にやってくれと見捨ててしまうはずだったのに、なぜかけんぷファーを助ける形でその怪人と戦ったのだ。
後で翔一さんに確認を取るとあの怪人は、
”翔一さん。今日、オレ変なのと関わったんだけど”
うまく言えないオレの精いっぱいの質問。これなら、学校へ行った方がましになったかもしれない。でも、あそこは簡便ね。
”そうか、ナツル。そいつらは、”アンノウン”だ”
”アンノウン?”
ここから、オレのわかる範囲での説明なんだけれど。
何年も前に、長野県で古代遺跡が発掘された時に未確認生命体と言われる怪物たちが事件を起こしていたんだ。
その事件の二年後ぐらいに”不可能犯罪事件”。俗に言うアンノウン事件ってのが起こった。未確認生命体とは別種の人型の異形達。それを警察は”アンノウン”と呼んだんだ。
アンノウンって、正体不明の”UN KNOWN”て言葉からきているんだって。
元々、アンノウンが事件を起こしていたのは、人間がアギトに進化し、種族間で大きな争いが起こるのを阻止するためにアギトになる人間を襲っていた。
勝手な話だと思うが、争いの原因を取り除くためなら、それも仕方がないと思うだろうが、取り除かれる立場にあるオレからすれば、ふざけているとしか言いようのないほど勝手な理屈だ。
結局、事件は早い段階でアギトに覚醒した人たち。つまり、翔一さん達の手で決着がついた。
だけど、そのアンノウンがまた姿を現した。けんぷファーもアンノウン、いや、人間にとって有害になりそうな原因を含んでいるのだろうか?
勝手にメッセンジャーを送り込んできたモデレーターの都合に関わりたくもなかったのだが、オレが知り合ったけんぷファーは、オレが接客したレストランの客だった。名前を三嶋 紅音という。
ただの客ではなく、昨日の朝にオレを殺そうとしたけんぷファーなのだ。普通、殺そうとした奴を助ける奴なんていないのだが、知り合ったけんぷファーは、普段はおとなしい娘ですごくシャイなのだ。
だからこそ、変身すると戦うために好戦的になるのだろうな。それだけの理由で許すのかと突っ込みを受けてしまうが、オレはそれで納得している。
世の中は広いものでアギト以外にも普通ではない力がうようよと存在している。死んだ奴が蘇った”オルフェノク”とかいうのも。ただこっちは、殺人衝動が強く、人を襲うのがほとんどだ。それと話し合いが通じない。
一時は、人間になり替わり社会を支配しようと考えていたこともあったらしい。別に全てのオルフェノクが悪いわけじゃないんだけどね。
それに比べたら、けんぷファーの方がおとなしい。それにアギトの事を知って、オレに笑いかけてくれた人でもある。
普通、アギトみたいに普通じゃない力を持つ奴に笑いかける人間は、ほとんどいないと思う。だけど、紅音ちゃんは、オレに対して笑いかけてくれたし、積極的に話しかけてくれたりもした。
後、携帯の番号とアドレスも教えた。普通、オレはここまで開放的じゃないのに、どうして紅音ちゃんと関わりを持つようなことをしたのだろうか?
嫌なことがあって学校を拒絶し、レストランアギトで下宿しながら働いているオレ自身、もしかしたら、自分と同じ年代の人との繋がりを求めているかもしれない。
まだ、紅音ちゃんにはまだ言っていないことが一つだけある。それはオレが男でも女でもない両性具有者であることだ。この体のためにオレは男と女、どちらにも居場所がないのである。
いずれ、言わなくちゃいけないのだけれど、その時に”気持ち悪い”って言って、オレの事を嫌いにならないかな?
美杉先生が言うように、誰かと接する前に怖がっていたら理解してくれる人には会えないと言ってくれたが、正直言って、オレは怖い。
誰かと接して自分が傷つくのが………
いつもながら暗い考えに支配される。自分を卑下しすぎているのだろうか?ただ、オレ自身、自分自身をあまり好きじゃないということもある。
男でも女でもない半端者で、化け物じみた力を持っていて、社会からみれば抹殺すべき存在だろう。だからこそ、自分の普通じゃない境遇が嫌だった。
ただ、オレに笑いかけてくれる紅音ちゃんは、オレの事をどうおもうだろうか?
(そんなことを思っても、いずれは言わなくちゃいけないんだよな。オレ、ちゃんと言えるかな?)
どことなく鬱陶しい気持ちをもてあそびながらオレは、何気なく机の上に置いてあるしゃべるぬいぐるみハラキリトラに視線を向けた。
沈黙しているから多分寝ている。人が悩んでいるというか、こんなことに巻き込んでおきながら無責任なものだ。
少し長めの前髪を軽くサイドに流しながら、オレはベットの上から降りた。
レストラン アギト
レストランアギトの朝食サービスを設けているため、営業時間はかなり早い。朝の七時から始まる。
営業時間は、朝の七時から十時、昼は十二時から三時、夕方は、六時から九時までの三シフト制で行っているのだ。間の時間は仕込みの時間である。
こんな営業時間で経営がうまくやりくりができるのか疑問だが、かなりうまくいっているらしい。食材はじっくり選ぶ。それがこのレストランの流儀なのだ。
当然のことながら、瀬能ナツルもまた朝の七時から顔を出している。今日は、珍しいお客さんが一人来ていた。
「おはようございます!!!!ナツルさん」
眼鏡をかけたどことなく小動物を思わせるオドオドとしたシャイな女子高生 三嶋 紅音がナツル指名で来ていたのだった。
「おはよう、紅音ちゃん。今日は、早く来たんだね」
ナツルは朝一番で来店した紅音に対してそんな言葉を吐く。店を開けてみたら、真っ先に紅音の姿が目に見えた時は、本当に驚いたナツルであった。
「はい!!!昨日、約束しましたよね!!!!明日、必ず来ますって」
(そういえば、そんなこと、言ってたかな……)
そのために態態自分のところまで来てくれたことに対して、ナツルは心から嬉しいと思った。
「じゃあ、さっそくだけどメニューは、昨日言ってた、ナツルスペシャルで行く?」
ナツル自身、用意をしていなかったわけではなかった。仕込みの方は昨晩の内に行っていたのだ。
「はい!!!そちらでお願いします!!!!!!」
「わかったよ。じゃあ、今日は特別な朝食を作るから、待っていてね」
ナツルは笑みを浮かべて、紅音に答えた。元々、綺麗に整った顔立ちのナツルが笑うとかなりさまになる。その笑みに対して、紅音は顔を真っ赤にして再びうつむいてしまった。
「あれ?紅音ちゃん。どうしたの?また、顔が赤くなっているけど?」
うつむいてしまった紅音を覗き込むようにナツルは顔を近づける。心配そうに眉を寄せて、これでもかと言わんばかりに顔を近づける。
昨夜と同じく綺麗に整った顔立ちのナツルの顔に対して、紅音はさらに顔を赤くしてしまった。
「な、ナツルさ、さん。わ、わ、私は、だ、大丈夫ですから、ほ、ほんとうに大丈夫ですから!!!!」
はた目から見てテンパっている紅音に対して、ナツルはさらに心配そうな表情をする。
「そう?本当に、大丈夫なんだね」
上目づかいで紅音に対して、ナツルは問いかける。
「は、はは、はい!!!大丈夫です!!!!!!!」
声を上げる紅音に対して、ナツルは釈然としなかったが、大丈夫というのなら、大丈夫だろうと思い、料理を作りに厨房へと向かうのだった。
厨房へと向かうナツルの後ろ姿に対して紅音は、
(はぅぅぅ~~~~~~っ、ナツルさんって、本当にきれいです…)
紅音は、先ほど見たナツルの美しさに対してため息をついた。日本人離れした白い肌と綺麗に整った顔立ち、サラサラの長髪にモデル並みの高身長とスタイルの良さ。
完璧な理想の女性像だと紅音は思った。自分の学校にもセイテツ二大美女なるものが存在しているが、ナツルはそれと比べてもまるで特色がなかった。
同じ女でも全く違うんだなと紅音は思った。
厨房ではナツルが紅音のためにメニューを作っていた。内容としては、サンドイッチと野菜のスープにサラダと言ったかなりシンプルなメニューである。
朝は、がっつり行きたいところだが、柔らかく食べやすい方が最高の朝食だとナツルは思う。
「それにしても紅音ちゃん。あんなに顔を真っ赤にして、本当にシャイなんだな」
先ほどの紅音のやり取りを思い出しながら、ナツルは軽く笑った。小動物みたいな紅音に対し、不覚にも可愛いと思ってしまったのは、失礼なことだとナツルは思った。
右手を口元に当てて笑みを浮かべるナツルの仕草は、100%女性のものだった。その様子をオーナーの津上翔一は
「ナツルの奴。嬉しそうだな……」
翔一は、昨日からナツルの様子が一変したことに対して思うところがあるのか、何かを考え込むように目を細めた。
自分自身を嫌っているナツルが、他人のために何かをするシェフの見習いになったのは、レストランアギトの人間に少しでも近づきたいと思って自発的に始めたことだ。
誰かのためではなく、自分自身のためにやっていたというのが主な理由である。何かをしようとするナツルの姿はよいのだが、そのあとにどうするかが問題だった。
今までのナツルなら、このままこのレストランアギトから離れずに生きていくことはできなかったのかもしれない。
それはそうだろう。ナツル自身、普通ではない身体とアギトの力を忌々しく思い、それでいて自分自身に対して希望を見出していないのだ。
これは、過去にアギトへと覚醒した人たちも同じであり、そのほとんどが”アギトの力”の闇に絶望し、自ら命を絶ったり、逆にアギトの力の赴くままに破壊を行うものがいた。
ナツルもまた、同じだった。自分と出会わなければ、ナツルは取り返しのつかないことをしていたかもしれない。
”ああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!”
浮浪者を思わせる身なりと全てに絶望した荒んだ目で、自分を睨みつけ、アギトの力を解放するナツルの姿が翔一の脳裏に浮かんだ。
あの時の姿と比べるとナツルは、ずいぶんとよくなったと思う。だけど、まだ自分自身に怯え、他人を恐れているのだ。
そんなナツルに昨日から変化が起きていた。昨日、感じたあの”アンノウン”の気配とナツルと紅音。この事例は、関係しているように見える。
よくはわからないが、これがナツルに対してどのようなことをもたらすのだろうと翔一は思う。
「氷川さんにでも相談してみるかな?」
自分が首を突っ込んでも役には立ちそうになさそうなので、しっかりしてそうな人物に白羽の矢を立てる翔一だったが。
「あっ、でもあの人は不器用で武骨で、間が悪いからな…」
氷川という男に対して、翔一は頼りになるかもと思いつつも失礼なことを言っていた。
「う~~ん、どうすべきかな?ああっ~~~せっかく、ナツルを心配してるのに、役に立ちそうもないな~~~」
あれこれ、翔一は悩みだした。ナツルは翔一にとって、家族も同然の人物である。弟のようでもあるが、妹のようでもある。そんな人物がこの先の人生を決める重要な岐路に立たされているかもしれないのだ。
大事な時に、なにもしないでどうすると翔一は悩む。うんうん、悩んでいる翔一に対し、ナツルが近づいてくる。
「翔一さん。何か、悩んでいるんですか?オレでよろしければ、相談に乗りますけど?」
ナツルが心配そうに上目づかいで翔一を覗き込んでいた。翔一は180もあるので、ナツルは彼を見上げなくてはならない。
「そうだな。大事な人がこの先の人生で大事な岐路に立とうとしているんだよ、俺は、どうすればいいかなって、悩んじゃってさ」
「えっ?また、オレみたいな人が居るんですか?だったら、なおさら、何とかしなくちゃいけませんよね」
ナツルは、また自分のようにアギトの力で苦労している人が出てきたと思った。ならば、心配である。そのためか、僅かにナツルの目が潤みだした。右手を口元に添えて……
(そういえば、俺って。ナツルのことで悩んでいるんだった……なんで、ナツルの事をナツルに相談しているんだっけ?)
翔一は、自然にナツルと対応してしまったことに対して、”あちゃ~”っと内心、自分のうかつさに呆れた。本人に相談してどうすると思うところだが、
「ねえ、翔一さん。その人は、どんな人なんですか?」
ナツルも興味を示している。
「あ~~。まあ……」
翔一は気まずそうに、目をそらしてしまう。あなたのことで悩んでまして、あなたに相談しましたとは言えない。
「あ、それより、ナツルっ!!!!お客さんを待たせてるんじゃ!!!!」
「あ、そういえば。じゃあ、またあとで、相談に乗りますね」
ナツルは笑顔で翔一に答えて、トレイを持ってテーブルへと向かって言った。厨房では、自分のうかつさにため息をする翔一の姿があったとかなかったとか
”翔一君!!!!!何やってんのよ!!!!!”
風谷真魚の声が、翔一の脳内に響き渡るのだった。
「真魚ちゃん…俺、ほんとうに頼りないかも……」
そのころ、テーブルではナツル制作 ナツルスペシャルを頬張っている紅音の姿があった。
「昨日と同じで本当にここのお店っておいしいですっ!!!!」
紅音は嬉しそうに傍に立っているナツルに対して話しかけた。相手が嬉しいとこっちも嬉しくなるナツルも紅音が嬉しそうなので、おのずと気持ちが高揚してくるのを感じていた。
「そう?よかった、じゃあ、こっちも入れるね」
紅音に笑みを浮かべながら、ナツルはあいてしまったカップに再び紅茶を淹れる。上品な湯気と赤みが差した紅茶がゆっくりとっ注がれていく。
窓辺から差しこんでくる朝日と相まって、ナツルには紅音が非常にまぶしく見えてきた。
「あ、ありがとうございます!!!!!」
紅音は礼を言って、ナツルに笑みを浮かべた。互いにほほ笑み返す光景は、傍から見れも非常に好ましいものである。
「ナツルの奴、本当にうれしそうだな……」
ナツルの様子が気になっているのか、津上翔一は仕事をしつつもどうしてもナツルが気になり、視線を何度も向けている。
繰り返すかもしれないが、ナツルがあそこまで開放的になるのは非常に珍しいことである。自分自身が嫌いであり、他人に恐怖を抱いている人物があんなににこやかにしている光景は津上翔一からしては、もっと何とかしてやりたいとおせっかいが働いてしまう。
「ナツル君にも、友達ができたようだな、翔一君」
そんな翔一に話しかける人物が一人。美杉先生である。
「あ、先生。おはようございます」
お世話になっている人物に朝早くからあって、翔一は挨拶を行う。
「いつもの顔なじみだから、挨拶は省いてもいいだろう。それよりも、これはチャンスだと思わないか?」
「えっ?ちゃんすって?」
いきなり振られた話題についていけないのか、翔一は頭の上に?マークを浮かべた。
「ナツル君のこれからだよ」
「ああ、俺もナツルの事で悩んでまして……」
陽気な笑みを浮かべつつ、頭をかく彼の姿は何ともしまらないモノである。
「そうだろう。ここに下宿して、働いて自立しようとしているナツル君の姿勢は良いが、もっとナツル君には年相応に過ごしてもらいたい。社会に出て、働くのはもう少し後でも構わないだろう」
美杉先生は、社会には出ているものの己の殻に閉じこもっているナツルに対して、もっと外の世界へ出て、たくさんの事を学んでほしいと願っていた。
その殻を打ち破るチャンスが現れたと美杉先生と津上翔一は、とうとう来たと確信しているようだ。
「思えば、あの日ナツル君が私の家にやってきた時を思い出してみろ。あの荒んだ目、何もかもに絶望して夢も希望もなく、他人に何も思わなくなったあのナツル君が、あんなふうに同年代の子と話しているんだ」
美杉先生の視線の先には、紅音と談笑するナツルの姿があった。仕事中でもナツルは基本的に相手に聞かれなければ、ほとんど応対をしない。だが、ナツルは自分から紅音に話しかけているではないか。
「最近は、私達にも距離を置こうとしている。思えば、私はうかつだった。ナツル君は、もっと人と触れあいたいと思っているのに、それに気づいて遣れずに…」
自分の世界に入りそうになっている美杉先生に対して、津上翔一は
「あの~~~。先生、もしもし?もしもし?」
遠くの世界へ旅立とうとしている先生に対して、津上翔一は呼びかけるのだった。
「こうしては、居られない。ここは、私からも何かをせねば……」
美杉先生は、自分も何かをせねばという使命感から、ナツルと紅音の元に向かっていくのだった。
「ちょっと、先生っ!!!今、いくと、迷惑になりますよっ!!!!」
少し暴走している美杉先生に対して、翔一はストッパーを掛けようとするものの、結局は引きずられるように翔一もナツルと紅音の元に行ってしまうのだった。
「ナツルさん、今日の夕方もお仕事ですか?」
紅音は、一通り食べ終わり紅茶を飲みながらナツルに問いかける。
「うん。夕方も仕事だから、暇じゃないね」
「そうですか…今日は、委員の仕事もないので、早く帰れるから、一緒にショッピングでもと思ったんですが……」
残念そうに表情を曇らせる紅音に対して、ナツルも申し訳ない気持ちになってしまう。
(もしかして、オレと遊びたいのかな?いいのかな、オレなんかとで……)
紅音の突然の誘いに対して、ナツルは戸惑いを感じていた。今まで、様々な人たちに拒絶されてきた自分がこのような誘いを受けるなど初めての経験だからである。
「ごめんね。また、休みの時に…「その必要はないっ」
ナツルが言い切る前に、ある人物の声がそれを遮った。
「み、美杉先生?」
声の方向を見るとそこには、美杉先生がいた。ナツルにとっては、一生頭の上がらないであろうという人物である。
「君の名前を聞いてもいいかな?」
美杉先生は、ナツルの隣に座る紅音に対して訪ねてきた。
「は、はい。私は、三嶋 紅音です」
「紅音君か、私は、城北大学で教鞭をとっている美杉というものだ。”ナツル君”の保護者だ」
ナツル君を強調していう美杉先生に対して、ナツルは
「あの~、先生。それに翔一さんも、一体、どうしたんですか?」
いきなり会話に割り込んできた美杉先生に対して、ナツルはすこし混乱していた。
「ああ、そうだった。ナツル君。今日の仕事は大丈夫だ。オーナーから許可は取っている」
「大丈夫って?」
眉を寄せるナツルに対して、美杉先生は、翔一に視線を向ける。
「ああ、ナツル。今日のシフトは休みでいいから、だって、今日で五日の連勤だろう、だったら、休みでイイよ」
突然の休暇に対して、ナツルは
「ええっ!!!、ちょっと待ってくださいよ」
「大丈夫だ。今の君は、仕事よりも”友達と遊ぶ”ことを優先しなさい。だから、これで、遊んできなさい」
ナツルに対して、妙な迫力を出して、詰め寄り、お小遣いを上げる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。オレ、一応給料もらってますけど」
「いいんだ。これは、私からの気持ちだ」
「気持ちって、今、勤務中……」
「ナツル。今日は、大丈夫だから、遊んできたらいいんじゃないの?せっかく、友達もできたんだから、楽しんできなよ」
翔一は、ナツルに対してOKサインをだすのだが、何が何だかよくわからないというのが心情である。
二人の様子を見るかぎり、こっちのやり取りをみていて、助け船を出そうとおせっかいを焼いているのはよくわかる。だからといって、それで仕事を休みにするのはどうよと思うところであるが、
「・・・・・・・・・・・・わかりました。じゃあ、今日は、紅音ちゃんと遊んできます」
翔一にも言われたので、今日の予定は開けておくことにするナツルであった。実を云えば、ナツルも少しだけ嬉しかったりする。
三人のやり取りを見守っていた紅音は、突然、ナツルの予定が空いたことに対してパッと表情を輝かせるのだった。
「じゃあ、放課後になったら、連絡しますね!!!!」
両手を合わせて笑顔を浮かべる紅音の表情はとても生き生きしていた。そんな紅音の表情にナツルを表情を緩める。
「わかったよ、じゃあ、また後でね」
「はいっ!!!じゃあ、これで、失礼します!!!」
すでにお会計を済ませていた紅音はそのまま、レストランアギトを後にして行くのだった。
二人のやり取りを見て、美杉先生と津上翔一は、見えないところで軽くガッツポーズを行うのだった。
そんな二人に対して、どことなく冷めた視線を向けるのは……
風谷 真魚
ナツルがお世話になっている”姉”ともいえる女性。風谷 真魚がテーブルに付き、二人の男に呆れた視線を向けていたのだった。
「何やってんの?二人とも……」
左ほおを変にゆがめながら、強引ともいえる二人のおせっかいに軽くため息を吐くのだった。
そんな真魚の視線に気が付いているのは、ナツルだけだった。
「あははっ……」
とりあえず、笑うしかなかったりするナツルであった。
瀬能 ナツル
それにしても、紅音ちゃん。本当にうれしそうだったな…そんなにオレと一緒に遊びに行きたかったんだろうか
こんな”気持ちに悪い”オレなんかと、一緒に居て、つまらなくはないかな……
オレは自分自身が嫌いだ。男でも女でもない中途半端な身体…”アギト”のように、異常な化け物でもある自分が……
どうして、オレなんだと言いたかった。どうやって、生きていけばいいんだと……
実の両親でさえ、オレを訳のわからない生き物とでしか見ていないのに、他の人たちがオレを”気持ち悪くない”って思うだろうか?
オレは、誰にも関わらなくてもいい、今の翔一さんや美杉先生、真魚ねえが近くに居るだけで、良いんだから…
欲張っちゃいけない。欲張ったら、それすら失ってしまいそうで怖い。
だけど、オレは紅音ちゃんに対して、よくわからないが、関わりたいと思っている。
”友達”だからだろうか?でも、オレが一方的に思っているだけかもしれない。だって、オレは、よくわからない”けんぷファー”に関わらなければならないと”メッセンジャー”に言われ、紅音ちゃんに関わっただけにすぎない。
どうみても、オレは流されて戦っているだけ。紅音ちゃんを助けた理由も、それほど自信があるわけじゃない。
ただ、彼女がオレの前から居なくなるのが嫌だっただけだったんだ。初めて、オレに笑顔を向けてくれた同年代の女の子……
オレを殺そうと襲ってきたのに、オレはそれすらどうとも思わなくなっている。無神経で自分勝手かもしれないが、オレは紅音ちゃんに対して好意を持っているかもしれない…
あの笑顔を向けてくれるなら、オレは喜んで彼女が傍に来てくれることを思う。だけど……それは、オレの自分勝手な考えだから、紅音ちゃんに押し付けたらいけないんだ。
紅音ちゃんがオレと関わりたいなら、オレはそれに付き合ってもかまわない。たとえ、オレの事を知って、気持ち悪いと言って、拒絶されて、嫌な思いをして、オレが傷ついても…………また、いつものように戻るだけだから。
やっぱりだめだ。オレはすぐに自分をこんな風に思ってしまう。真魚ねえ、翔一さん、美杉先生も自分自身を卑下してはいけないとよく叱ってくれるけど、一度、根づいてしまったこの感情は、そうそう消えるものではないんだ。
真魚ねえが、オレに対して視線を向けてくるのを感じる。アレはオレがまた、自分自身を卑下しているのを見破っている目だ。
”ナツル君ッ!!!!!”
って、声が聞こえそうだ。叱られる理由は、オレが悪いんだから仕方ない。だけど、オレは、自分が好きになれない。だから、誰かを好きになることなんてないと思う。
それでいて、誰かに好かれたいという勝手な願望をどこかで抱いている。本当に自分勝手で自分自身が嫌になる。
真魚ねえの視線に居心地の悪さを感じたのか、オレは紅音ちゃんが去った後のテーブルを片づけを始めた時に、ちょうど椅子の下にスポーツバックが置いてあるのに気が付いた。
「紅音ちゃん、忘れ物をしている」
「どうしようかな?ここにあるってことは、今日、必要なものなんだよね」
ナツルは紅音の忘れて行ったスポーツバックを見て、そう判断するしかなかった。
「そうだ。せっかくだから、届けよう。確か、セイテツ学園だったから、そんなに遠くはないよね」
紅音が出て行ってから、かなり経っている。いつ、これが必要になるかはわからないが、早く渡すにこしたことはないだろうとナツルは判断した。
「翔一さーーーん!!!!!」
「な、なんだ。ナツルっ!!?さ、さっきの相談事かっ!!?!」
ナツルに呼びかけられたことに対して、えらく動揺する翔一であった。隣に居る美杉先生は”相談事?”と、眉間にしわを寄せる。当のナツルは
「ちょっと、お客さんが忘れものしたみたいなんで、届けに行ってきますが、構いませんよね?」
「ああ、構わないよ。今日は、そんなに忙しい日じゃないから、遅くに帰ってきても大丈夫だじゃなくて、今日は朝だけでよかったから、自由にやってもかまわないよ」
翔一の返事に対して、ナツルはお墨付きをもらったのを確認して、二階にある自室へと向かって行く。
「相談事とはなんだ?翔一君?」
ナツルの言葉が気になるのか、美杉先生は翔一に尋ねる。バツが悪そうな表情で翔一は頭をかきながら、
「あ、はい。ナツルの事で悩んでいたら、ナツルに相談してしまいました」
「……………」
何も言えなくなる美杉先生でした。
二人に対して、真魚は奥へ引っ込んだナツルに対して
(ナツル君。また、いつもみたいに、自分のことを嫌って……自分を嫌ってばかりじゃ、他の人を好きになるなんてできないんだよ)
僅かにため息をついて、真魚は視線を窓の外に向けた。
部屋に上がってきたナツルは、さっそく外出用の衣服に手を伸ばす。ちょっとしたクローゼットにはそれなりの衣服がある。その中の赤い皮ジャケットを手に取った。
最近のお気に入りである。赤い皮ジャンに黒いレサーパンツというかなりしゃれた格好。これは、ある人物の服装である。
昨日、紅音ちゃんに年上だと思われたのは結構心外だったけれど……部屋にある姿身で、身なりを確認しながらナツルは
「こんなもんかな。真魚ねえは、カッコいいって言ってくれるけど、そうかな?」
はた目から見れば、カッコいい格好をした女性である。真実は、両性具有の男でも女でもない人間。はたして、自分にカッコいいが適用されるか疑問であるとナツルは思う。
「紅音ちゃんに渡せればそれでいいかな」
机に置かれた紅音が忘れたバックに目を向けてナツルは呟くのだった。
「ずいぶんとめかしこんでいますね~~」
ここでハラキリトラから声がかかる。
「なんだよ?ほめてくれるのか?」
「ええっ、とってもいいですよ。私が人間だったら、告白しちゃいますね~~」
何かと妙に毒と言うか、影のある言葉を掛けてくる。一日ほどしか接していないがこのぬいぐるみは腹が黒そうだ。メッセンジャーとか言ってたから、オレを監視しているのだろうか?
「オレみたいな、変な奴に告白するモノ好きが居ればな」
とりあえず皮肉を返しておいた。色々と嫌な皮肉を言うのは、あまり良くないと注意されるのだが、でるものは仕方がない。
「ナツルさ~ん。それは、皮肉ですか?」
「じゃなかったら、何だってんだ?」
オレは歪に笑みを作って、ハラキリトラに笑いかけてみた。人が見たらそうとう嫌な表情だろうな、オレは。
いや、これが今のオレ自身だ。自分が嫌いで、他人が怖くて、どこにも行こうとしていない卑怯で自分勝手な自分そのものだと思う。
「そうですか、ナツルさん。学校へ行くなら、私から言っておきたいことがあります」
「何?」
「はい。けんぷファーは固まって現れる傾向があります。だから、気を付けてくださいね」
その言葉にナツルは目を厳しくする。僅かながら、ナツルの目がアギトを思わせる赤い目に変わる。部屋に差し込んだ光が作り出したナツルの影は、人間のものではなく”アギト”のそれだった。
「じゃあ、あいつらも現れるって言いたいのか?」
その目は殺気に満ちており、ハラキリトラも身の危険を感じるしかなかった。
「え~と、そうですね。そればっかりは、わかりませんね。こうしたことは、モデレーターも始めてもことですから」
口調がどことなく、腰が引けている。
「……何だ。なにも知らないのかよ」
呆れたように呟いてから、ナツルは部屋を出て行った。出て行ったナツルに対して、ハラキリトラは
「いやぁ~~。本当に恐ろしい人ですね。ナツルさんは……」
けんぷファーの脅威として現れた謎の”存在”に対して、その対抗策として”アギト”の力を持つ者のところへと指示されたメッセンジャーであるが、正直あれが、モデレーターの手に収まるかどうか怪しくなってきた。
けんぷファーも超人的な能力を持っているが、アギトと比べればその差は歴然である。
「モデレーターも馬鹿なことをしますね。いくら何でも、”オーヴァー・ロード”を怒らせるなんて」
ハラキリトラ、仮にも自分の上司に対して、その言葉はないだろうと思うところだが、このぬいぐるみ、味方に対しても相当、腹が黒いようだ。