神祇探しと居候   作:多賀皓一郎

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挿入話のつもりで書いていたので、実質サイドストーリーの扱いです。


第三葉

 

 あんな事を言ってしまった以上、いつか話さなければならなくなった事だろう。あかつきの余韻の中で戦慄を感じ取らせるような言葉を独り聞いたのかもしれない。蒲団の中で寐惰這(ぬだば)りながらそんな事を考えると、私には無知が故の反省が自ずとやってくる。

 そこで、寝顔を少し見留めると、蒲団から滑り出でて薬缶(やかん)煎鍋(フライパン)焜炉(こんろ)()べた。二器(ふたり)の賑やかな声を聞きながらざっくりと作ったモーニングセットを振舞って、平凡に明るい話題をするように努めた。熊谷は、多少(のろ)くなる程度で、寝起きでもあまり変わっていないので、話すには気兼ねが要らなかった。

「そういえば、家に居てばかりだとどうにも屈託した顔にならないか」

 ベーコンを呑み込みながら何の事だか今一焦点が合っていないような顔をしたので、表現を改めて言い直す。

「少しばかり散歩してみないか」

 熊谷は弾指(だんし)恐ろしく暗い顔をしたかと思ったが、無表情に戻って言った。

「僕かい。いや、そんなに出たいとは思わないや」

()して。こんな家よりは気が晴れないか」

 彼は私に溜息を吐いて言う。

「そりゃそうだけど、初雁にこうやって居候していると、遠慮というものは微分(なしくず)して消せるものじゃないんだ。寧ろ積分され(つみかさなっ)ていく一方さ。申し訳ないけど、元々僕の仕事には(おもんぱか)るという文字抜きでは成り立たないんだ」

 頭が回らなくなった瞬間を突かれたから、咀嚼できずに話を文字面だけで処理せざるを得なかったが、訳の解らない事を言われたにせよ、また熊谷に不満を言わせた私はまた愚行を反省せねばならなかったのは確かだ。(すす)めるというのは、他人の為に相手を捻じ曲げようとする行いである。つまり、私は善意のつもりで自分の理想を()し付け、小さな負荷を与えていたのだろう。

 だからと言って何らかの要求を押し付けなければ何事も成り立たない。大崎によれば、年末には爆破予告の話題もあるのだ。私の周りが忙しく物騒になる前に余暇を楽しむのもあって然るべきではないか。此処は天壌(てんじょう)平穏にして人口三十万を有する都市の中にひっそり(かん)として建っている古民家に過ぎず、拘束も娯楽も無い。だが、寝衣(ねまき)以外の総てが白い病院とは異なり、外界に飢え切るまで引籠る事も、敢えて縛られる必要もない。

「じゃあ、気兼ねなくなる為に遠慮が必要なら、今日は遠慮して(おれ)の散歩に付き合ってくれよ。今日は平日だから騒がしい祭り事もないし、静養(リラックス)には丁度いいんだ」

 少しばかり思考し、熊谷は流石(さすが)に折れたと見え、(うち)微笑んで、膳を下げた。すぐ後にキュッ、と海綿(スポンジ)が食器を()ぜる音、小さく高く鳴る水道の出でる音、手で遮った分明後日の方向へ散じた水が流しの底を打つ音、その他諸々が鉄琴や木琴のごとく響き、名も無き曲が生まれていた。

 身支度という程の物は二人とも無かった。歯磨きや洗顔などは説明するまでもない。ただ、衣服に関して格差を縮める為に手袋や襟巻を貸し与えたり、私が比して華やかにならないように装いを改めたりというぐらいはした。優秀な餓鬼大将がただ偉そうにしているのではなく、子分の忠誠に対して納得の行く飴を与えなければいけないように、私も彼が尽くす以上の配慮をしなければいけないという、訳知らぬ義務感の為であった。

 短針が西を指した朝、玄関にて上着(ジャケツ)を手渡した。目の前で着られてみると、怪しうはあらぬ様子であった。茶色が本人の落ち着いた雰囲気を崩さないでいる。西洋で見る灰色熊(グリズリー)は確かこんな感じかもしれなかった。なんか強そうでもあるように良く見えた。

「似合ってるね」

「なんか()憔悴(しょすい)なあ」

「大丈夫だ、何も()えって」

 口ではそうは言えど、自己中心的な思考を許せば、これは服を選んだ私の方に言い聞かせるように言ったのだ。

 扉を開けて先に外へ一歩出た。青天井が視える。浄土などと呼ばれるものがどういうものか何となく感じられそうな景色だ。

 二人で住宅地を歩き始めた。私はどうにも軽い沈黙が(いず)くて仕方がなかったため、今日も当たり障りのない話題を提示した。

「そういえば、盛岡(ここ)を歩いた事ってある」

 彼は思い返すように少しううんと唸った。

「いや、無いな。故郷を離れたのは青葉山にいた六年ぐらい」

 私は察したというか、はっとしたというか、間延びした嗚呼をゆっくりと(しぼ)り出した。

「ああ、そうか」

「ごめんね。これだと嫌味に聞こえるよね」

「『今は昔』さ。気にすんな」

 熊谷のそれを解釈できれば、上辺からすごい嫌味な返答であるのは自明だが、私にはそういう方面に対しての諦めが遠についていた。それに、昔の話だから正直どうでもいい、という思いもあった。

 

什一

 

 僕は初雁と、家からほど近い盛岡駅構内を歩きながら思う事があった。

 記憶の無い彼は僕を心情では面倒な客人として扱うはずだ。おもてなしは期待するな、とも言っていた。それでも、実際には相当に恵まれた待遇を受けている。いみじさに戸惑いながらも、何とか馴れていくところだ。

 初雁の申し出を断ったのは、確かに遠慮の所為ではある。だが、それ以上に無気力の所為であった。折角もっともらしい理由があって、時間もあるにも関わらず、何だかんだと上辺は言葉を並べていながら仕事を探してなどいない。罪滅ぼしに家事などを手伝っているのに過ぎない。段々と鬱屈としていくのが自分でも判る。だからこそ、本当なら真っ先に彼の言葉にしがみつくのが普通の策である。

 だが、遠慮なく頼れるほど素直でもなくなっていた。故に、だらだらと反発した時にはとても気が気でなかったが、彼が強引に連れ出そうとした時には寧ろ安心した。顔が思わず綻んでいた。体も軽くなったような心地がしていた。

 二人は北上川を開運橋で渡り、大通りを只管歩いた。焼き鳥、レストラン、カフェなどの外食店が並ぶ通りを抜けると、銀行と産業会館に挟まれた前方の隙間から緑が見えてきた。更に進めば、どうやら小さな神社のようなものもある。

 初雁はそこでは止まらず、博物館のような建物を通って右折していった。途中の案内板から、岩手公園という所に来ているのだと判る。

 色んな人がいるものだ。石垣にもたれかかって瞑想する人がいるかと思えば、ジャージを身に纏って敷地内を走っている人もいる。ダウンジャケットを着た小さな兄妹が、鬼ごっこしていたり、様々だ。

 初雁はある一角で止まった。高い石垣が建ち、よく整備された芝生に疎らに生えている松が観える静かなところである。冬だから、雀のような小鳥以外には虫も小動物もいなかったのを確かに確認すると、目の前で芝生に腰を降ろした。手振りで誘われるがままに私も座る。

 景色はよく観えないが、緑を見ていると胸にメントールのように清涼な空気が入る。心身の何かがみるみる癒えていく。

「なあ、熊谷。及第点だろう」

「まあね」

 十分程経って前方に目を遣ると、初雁にゆっくりと近づいて来る男性がいた。一見普通の通行人に視えるが、紅色のスウェットパーカーが少し袖余りしているところからちらっと光の反射がした。私は戦慄して初雁に伝えた。

「あの袖のところ、アーミーナイフじゃないかな」

 初雁は目を凝らすと、合点したように言った。

「ん、あれか。少し離れてろ」

「いやいや、初雁も一緒に」

「いいから離れて見てろって」

 言われるがままに、近くの公衆便所に行く振りをして石垣の裏に隠れて初雁を観ていた。彼の右後ろの肩が視える。限界まで相手は通り過ぎる風に装って近づいていく。そうして、その限界に達すると、黙って短刀の刀身を露わにして胸から頸に向かって刃物を振りかざし、初雁は咄嗟に右手を盾にした。僕は咄嗟に目を逸らしたが、すぐに視線を戻すと、目を見張った。

 彼の手が、勢いよく突き立てた刃を反動のみで突き返した。手から受けた反作用の力で相手がよろめく、その瞬間を突いて初雁が左腕で彼の頸を絞める。正常な呼吸が失われ、顔が段々と赤くなっていった。刃を受けても無傷の空いた右手で手招きしているので、されるがままに小走りで向かった。

 初雁は唐突に腕を放した。唖然としていると、二人で勝手に何か寸劇、または茶番を始めたので黙って観る羽目になった。

「ハロウィンはひと月も前だし、どんなに油断していても、そんな肥後守程度で斃せると思ったのか」

 初雁が手首を捻って言うと、野太い悲鳴が聞こえた。

「そりゃ、勿論思っちゃいないさ。でなかったらあんなに愚鈍な手口を使う訳ないだろう」

「己だから茶番で済ませられるが、それでも訳知らぬ熊谷氏は真剣に己の身を案じる羽目になったんだからな」

 更に捻った。既にさっきとの累計で四分の三倍半円程度には達している。

「痛でっ、悪かった。もう煮るなり焼くなり地獄に落とすなり好きにやってくれ」

 初雁は一つ不機嫌そうに唸って捻った手を戻した。相手は手をぶんぶん振って痛かったような辛かったような感覚を表現していた。僕の元にはようやく言葉が戻ってきた。

「初雁、この人は」

 そう言いかけると、本人が説明した。ほんの僅かな訛りと多少はもごもごしているのが合わさって何を言ってたとしても遠慮なさげに聞こえる。

「ああ、諫早(いさはや)(あがた)って言って、初雁の高校時代の後輩っす」

 潮風に吹かれたように視える少し黄味がかった肌色で、取り立てて美貌という訳では全くないが、少なくとも僕よりは何をしても洗練されているのが匂ってくる。初雁ともまるで似ていなく、動作も整っている。

 取り敢えず、さっきは周囲に誰もいなくて本当に幸いだった。だが、もう油断ならないから、近くの喫茶店にでも避難するように提案した。

 

什二

 

 ついさっきの飲食街の終点、つまり今は始点にあるドトールが一番条件が良かった。三人は適当にサンドイッチと各種飲み物を頼むと、それを傍にまともな話が始まった。

 まず、諫早が熊谷に話しかけるところから始まった。

「改めまして諫早縣です。あの、生徒会で一緒だった」

 記憶によれば、彼は

「おい、昔己に言っていた名前と違うぞ」

 初雁が横から指摘すると、諫早は面倒そうに言い直した。

「ええと、普段使っているのは、字の縣。諱は義之助(よしのすけ)。フルネームで諫早(あがた)義之助(よしのすけ)

「かっこいいな」

「恥ずかしいからあんまり言いたくないんだけどね」

「何も恥じる事ないだろう。将軍みたいでいいじゃねえか」

「そういうのが厭なんだよ。あの、偉い生まれとかじゃないから箔が付かないし」

 僕は三国志すら知らないような人間だったから、姓名にミドルネームが入るのは相当新鮮だった。

「ええと、確か、熊谷さん」

「熊谷靖人です」

 指で名前を書く真似をしながら伝えた。

「ああ、そうか。なるほどです。平朝臣(あそん)靖人って訳ですな」

 初雁が囁いた解説に拠れば、熊谷氏は桓武平氏の子孫らしい。何だろう、この感心するくらいの無駄知識。

「…まあ、そういうのは冗談として、お久しぶりです。」

 ところで、諫早が何に合点したのかてんで判らない。私が熊谷と呼ばれているのに合点したのか、予てから聞いていたのが目の前にいて合点しているのかが。

 ここで時計を持っていない僕が時間を確かめてみたくて抹茶ラテを一口飲むと、酷く冷めていた。初雁が、諫早を凝視して落ち着いた口調で迫った。

「取り敢えず、季節外れのハロウィンについて釈明してもらおうじゃないか。熊谷君の警戒心を無駄にしないためにも」

 もういいよ。初雁が思うほど気にしていない。

「あれは形式的にやったまでさ。でないと、俺だって危なかったんだから」

「ああ、頼まれたんだ。って、よくある云い訳だろうが」

 初雁は真剣にじりじりと責めていた。僕は、もういいよ、って視線を送っていたつもりなんだけれど、気付いちゃいないだろうなあ。

「今からきちんと話すからさ」

 諫早曰く、以下のようである。

 爆破予告の大分前。勤務を終えて帰る頃に、家に程近いところで通り魔的に頸に刃物なんかをあてがわれた。手元に紙の重い感触がする。

「これと同じ刃を以って隣人の隣人を突き刺せ」

 それだけだったら忘れるのだが、手元には封筒があって、札束の真ん中丁度のところに綺麗に小さなメモ用紙が挟んである。それには、初雁の住所がはっきりと青黒い万年筆の筆跡で描かれていた。

「というわけで、そんな状況設定(シチュエーション)悪戯(いたずら)しただけさ」

 初雁は無表情に固めた。名画のように味のある表情で、見ていて噴き出しそうになる。

「あ、もしかして、これ信じてもらえないパターンですかね」

「当たり前だろう。これが()(きず)で済んだからよかったものの。(しか)も昔は本気で危ない事やってのけたし」

 初雁が僕には絶対言えないような失敬な事を平気で言うのは自分の身に相当に自信があるのだろう。

「そりゃ、昔は脂茶(やんちゃ)でしたよ。でもあれはもう昔の話でしょう。ほら、熊谷さんも何か言ってくださいよ」

 ここはもっと戯れるべきか、自重すべきか。

神の子(イエス)無垢(ノア)だったかと騙っていた紳士(ロリコン)を弁護しろと言われてもね、どうしようか」

「全く、熊谷さんまで。勘弁してくださいよ。」

 諫早は笑みを浮かべながら言った。道化師のようにすっかり口角を上げきって、いかにもな笑いのようだ。

 彼との高校での面識はあった。その頃は先輩後輩の間柄だからか、いつも初雁の側にくっついていた印象がある。当時から今に至るまで、彼の背丈は初雁よりも一インチほど高いうえに、二人とも精悍な顔付きだったからか、実際には殆ど同級生の友達のように大崎や木谷らとも付き合いがあった。ロリコンかどうかなど知らない。あれは基督教をネタにして()っ掛けてみたら上手い具合にいったというだけの話だ。

「僕はちょっとからかったまでさ。疑い続けるのは苦手だよ」

 ここでほぼ同時に呑んだ二人ともが、冷め切った珈琲やエスプレッソに苦笑した。僕はそろそろ不揃いの記憶に係るよりは、完全に共有できるだろう今に話題を変えたかった。

「それにしても、本当に怪我してないんだね」

「これを見ろよ」

 初雁は右の手の平をこちらに見せ付けて言った。傷一つないごく普通の蛋白質で成り立つ弾力のある肌である。

「へえ、どうなってんだこれ。金属なのか粘土なのか」

「それすら我々の科学力では判らない、だっけ。おい、五月蝿いぞ」

「あはははっ」

 そう言って、初雁は諫早から取ったアーミーナイフの刃を摑むと、前後にぐにゃりと曲げ、説明した。

「刃だけがシリコン製だ。アルミ箔を綺麗にはってそれっぽく仕立てていたんだ」

「なあんだ」

 そんな風に馬鹿みたいに明るい雰囲気で会話が進む。ここで、俄かに諫早がジーンズのポケットをまさぐり、携帯を覗いた。

「あの、ここにもう一人押し掛けてくるそうです」

「まだいたのかよ」

 初雁はやれやれ、というような顔をした。

 

什三

 

 四、五分経過し、誰かが来た。背丈はこの中では一番低いようにも思える。

「ああ、先輩達じゃないっすか」

 名前をど忘れしたかと刹那は思ったが、よくよく考えれば、この場合は彼が入ると僕だけが部外者だったのだ。そりゃあ、判らない。

「ええっと。初雁、この方は」

 彼が僕の方を、腕を動かして指し示す。僕は、記憶の無い初雁の代わりに名乗った。そうして、相手は折り目正しい人なのだろう。名刺入れから一枚取り出して、丁寧に手渡した。曰く、

赤星(あかぼし)(さだめ)

 名刺は、普通に視れば判らないかもしれないが、何か革の匂いの他に、シンナー系の匂いが僅かに嗅ぎ取れる。

「もしかして、建設業やっている」

 赤星は目を大きく視開いて、少し言葉に詰まる。図星だったようだ。

「やっていた、だな。でも、どうしてそれが」

「名刺に杉とシンナー系の匂いが付いていたんだ。それだけだったら画家かもしれなかったけれど、指の一部に思いっきり縫った痕があるから、木彫りでもない限りは建築業かなと」

 赤星は手持ちの名刺を少し嗅いでみた。首を傾げているところから、僕にしか嗅ぎ採れていないらしかった。初雁、諫早も若干引き気味になるぐらいに衝撃を受けていたようだ。

「半年前の話なのに。しかも今は居酒屋でアルバイトしているんだぞ。いやあ、犬みたいな嗅覚だなあ。すげえ」

「熊谷さんは犬谷さんだったか」

 諫早と初雁が咄嗟に思いついたであろうネタで弄る。僕は苦笑する。

 その余韻から醒めると、諫早が破るまで話題を見失って呼吸まで止まったように沈黙した。

「ええと、何だっけ」

「今、熊谷と気晴らししていたら、諫早(こいつ)が襲って来たんで、しっかりと事情聴取しているってわけだ」

「諫早、駄目じゃないか。その方面にまで手を出すなんて」

「そうじゃねえ!」

 内輪では面白いのだろうけれど、疎外を感じてしまうと輪の中に入る事もできない性質が発揮されてしまっていた。しばらくの間は僕以外の三人の談笑を、作った微笑みを浮かべながら眺めていた。

「それでさあ、あの頃は散々ハマっていた物が今では全然興味なかったり…」

 初雁は諫早と赤星だけになった隙を狙って僕に囁いた。

「…熊谷」

 どういう段階まで話が進んだのかを追跡するのを放棄していたので、唐突に初雁から囁かれてもどうするべきか判らなかった。

「なに」

「もっと積極的になろうよ」

「いやあ、僕はいいよ」

 ここで折角初雁が促しているところ何か申し訳ないのだが、既に諫早と赤星は僕を抜きにして話したい事は一通り話してしまったようだった。自分から抜けたのだから他意はないのだが。

 日は幾らか傾いた。諫早が手帳を参照し、赤星は携帯を弄る。そうして、二人とも用事を抱えていたと告げて帰る。

「ああ、そうだ。そろそろ帰るよ」

「うん、じゃあ、また今度」

 こうして、二人だけになって街中を歩いたものの、話しかける気力が湧かなかった。そうすると、沈黙が苦手な初雁が話しかけてくる。

「なあ、熊谷」

「憤けるのは自由だけどさ、少しだけでも話に混ざってほしかったな」

 解っている。僕の話題は避けられないのだから、どうにか記憶が欠けているのを誤魔化す為に苦心したはずだ。

「…初雁が話せる内容以上の事が無かっただけだよ。話したくなかったとかじゃない」

「それでいいんだ。熊谷が思う程まともな話題なんて無かったんだから」

 嘘だ、って言ってしまうのを寸でのところで堪えた。

「でもさ、会話の流れを止めちゃったりしないだろう」

「それは、聴いてないから多分判らないと思うけれど、一度も己から話題を吹っかけてなんかいないからだぞ」

 何も言えなくなった。申し訳ないとかという罪悪感はあまりなかったが、僕には真似できないことを当然のように言ってしまうのは腹立たしかった。

「僕には話す技術が無いんだなあ」

「またそうやって卑屈になるんだな。そういうのはああいう環境にいる内に身に着くものじゃねえか」

「そうかなあ」

「それよりも、さっき熊谷の話ができなくて困っていたんだが、その辺話してくれないか」

 やっぱり気になるんだろうな。

「厭だなあ」

「どうしてさ」

「言ったら家を追い出されるに違いないよ」

 初雁は笑った。

「己がかい。 そんなことしないさ」

「何で」

「ううむ、そうだなあ。己が怒るくらいの事は誰も云えないし、怒って何になるんだって話」

「ええっと、よくわからない」

「つまり、一期一会さ。一番の苦境は一回しか来ないから、そこでの頼みを断るなんてできないだろう」

 色々と頼もしい事を言ってくれるが、無知が故の過大な発言だという事を考慮すると、事実がその胸に飛び込んでもいいのかと訝らずにはいられない。

「でも、言わない」

「そりゃ、たったの三日目じゃあ無理だよな」

「うん」

「まあ、話したくなったらでいいさ。事情も知らない己がつべこべ言うのは道理じゃないんだろう」

 嘗て友達だった事実を信じさせることはできても、それで本当に友達だった実感を取り戻せる訳じゃない。だったら、新しく友達関係を築いてからでもいいじゃないか。

 

十四

 

 一本脇道にそれて通ってみたり、熊谷に手伝わせて、スーパーで買い物をした。帰り着いて、冷蔵庫の矮小さを鼻で笑う。

「今日は己が作るよ。簡単なのでいいか」

「ごめんね」

「いいんだ」

 落ち着かせたものの、彼が思春(むつかしい)(としごろ)のような状態であるのは自明だった。何らかの事情があって構ってもらいたいのだが、もう子供でもないから素直に出す事ができなかったのだろう。そう思うと、熊谷には弟分の心地がした。でも、そんな風に接したら厭がられるかなあ。

 気がある訳ではない。偶に仲の良い女の子とカラオケに行ってみたりもする。平凡な人間と苦境に立つ人間の何方(いづかた)に同情するだろうかという話に過ぎない。幼い頃のハチ公から、最近のはやぶさに至るまで、心が単に健気な物に弱いのは自覚している。

 それは兎も角として、彼奴(あいつ)が悩む原因は私だ。熊谷からすれば、記憶を失くした友達に友達だって言って温情をせびっているのだ。此方が何とも思わない事でも、不可抗力で罪悪感を感じ続けなければならない。これはどうしようもない。

 こんなこと考えている内にクラムチャウダーができ、御飯も炊けた。これが炒麦(ルゥ)の力である。あと、さっきから片仮名ばかりで厭だ。

「頂きます」

 今日は不思議と自画自賛が許されそうな出来栄えとなった。牛乳が濃厚だったからかもしれない。

 食事の際には全てが沈黙だったので、後の話を。

「もしかして、お前彼奴らに何かされていたか」

「えっ」

 熊谷は(あま)りにも突飛な話題に驚いた顔をしてみせた。

「いや、何もなかったらお前ちゃんと話せるだろう」

 何かを失ってまごついたような表情は、最早彼の癖だった。そうして、誰かに申し訳なさそうに言った。

「実は、あのついでに二人から昔の匂いを嗅ぎとっちゃったんだ」

「ついでに、って昼間の話の(ごと)か」

 黙って首肯(うなづ)いた。

「んで、どんな」

 熊谷は、羞恥しているようでありながら少しずつ語り始めた。

「実はさ」

 彼は虐められっ子だったらしい。数人から目を付けられていたのだが、無垢につき、学級の会輪(グループ)から露骨に(はぶ)かれていたり、弁当を剥奪されたり、(ぱし)られていたり。そういう訳で、熊谷は彼らの体臭を記憶できるまで、長い事居たのだという。

 彼の嗅覚について。原因は現在のところ不可知だが、鼻を効かせれば昼間のようにあらゆる物を嗅ぎ分けられる。

「観る限りは善人ださ。僕だって悪い事は云えない。でも、今でも昔が怖くてね」

「そんなにかい」

「だって、僕は」

 此処で私の携帯電話は絶叫した。私は話の流れで巡り会えそうな物を逃した事に惜しみながらも電話に出た。

「はい、もしもし初雁です」

「もしもし。上手くいってる?」

 女声が聞こえ、知人だった安心感と落胆を受け取った。

「お前かよ。まあ、少しはな」

 (また)ぶっきら棒に言ってしまうのは敢えて抑えなかった。相手とはそれで通じるのだから。

「また貴方が求めていそうな情報(はなし)を集めておいたの。明日にでも」

「此処じゃ駄目なのか」

 こんな風に返答すれば「やれやれ、これだからこの若造は」とため息をつかれた。もう四十だがな。

「気を使うべき人物を抱えているはずよ。あんたには何も無いから解らないだろうけれど」

大いに畏み奉り候(悪うござんした)

 仄めかして(やっ)と気付いたという不快感の上、後半の一言が気に食わなかったので、嫌味たっぷり含ませてせめての悪態を()いた。それは特に相手に刺さらなかったようだ。まあ、それが良いのだけれど。

「じゃあ、またお邪魔するから」

 言葉は止み、正弦波はまた短く鳴った。画面は待受に戻り、私の意識も家に帰る。

 熊谷は私の話の間に食器を片付けていてくれた。今はまだ蛇口から湯気が出ている。所詮は(あばら)屋だからな。

「おお、すまない」

 まだ(まく)った袖を直していない彼に、私は形式的な謝辞を述べる。首を軽く横に振られた、ということは少しは慣れてくれたのかもしれない。

「明日は仕事かい」

「そうだね。週末に来ていた大崎が昨日来ちゃったから、その分今日休めないんだってさ」

 彼の(まぶた)が少しばかり上って、眼がぱっと開かれた。

「どうした」

「あ、いや。何にも」

 また直ぐに普通の表情に戻してしまった。強情なところがあるから言ってはくれないだろう。私も喰いつき続ける気力は無い。

 

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