神祇探しと居候   作:多賀皓一郎

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第七葉

世一

 

 横になってもぞもぞと微動しながらも体を休めているのを確認すると、普段ならされているものを代わった。洗剤には手が負けると予想して掛かっていたが、最近はそうでも無いんだな。

 具合が悪い理由とすれば自律神経を少し失調したものとみられる。急性上気道炎(かぜ)と並ぶ医者の方便の一つであるから、例え誰であろうと唯の仮病(かばねやみ)である。所詮確かな誇りも持てなかった凡夫の因果応報、自業自得というところだろう。

 彼の精神は実は丈夫ではない。身体は頗る良かったものの、些細な事で(なじ)ったり、意識させたりすると自覚しようがしまいが常の倍疲労する。

 居候になったのは(そもそも)間違いだったのかもなあ、寧ろ立場が逆であればこんなに堪えさせることもなかったろうし、などと流石に思う。僕を拒む事は出来ない質なのが災いだったな、多分何かしらの便宜を図ってやらない限り扱い辛いのは変わらない。

 呼び鈴が鳴る、受話器を取る。大崎が催促を柔らかな語調で催促してきた。

「おお、熊谷君かい。初雁はどうした」

「彼奴は具合悪いなんて言って今寝込んでる」

「大丈夫か」

 初雁は多分心地良い寝息を立てている。

「多分疲れているだけじゃないかな。僕なんていう気を遣う奴が来てしまったもんだから」

「いや、そんな事ないだろう。君は結構器用なはずだから」

「どうかな。完全なお客さんだから」

 嗚呼、そんな為体(ていたらく)か。

「ところで、初雁が相談してこなかったかい」

「そんな事もあったな」

「爆破予告の頃だろう」

「そうそう。ああ、そうだ」

 彼は声を上げた。

「二人で近々仙台に来てもらいたい、って話は」

「聞いたよ。まだ決められちゃいないが」

「それで、どうだい」

 上ずった語尾がどうも催促に聞こえる。

「うむ、金に困らないんだったら今直ぐでもいいんだけど」

 僕は冗談めかした。

諸費(かね)は負担する」

「大丈夫か」

「大丈夫だ、うん」

 妙に地に着かない声だ。

「何かありそうだな」

 鼻でふうんと息を吐いた。

「君は矢ッ張り鼻が利くよ。実は、あの店を潰すつもりなんだ」

 僕は初雁と大崎の職場についてはよく知らないから、通り一遍の対応に留まるのみ。

「そりゃまたどうして」

「最近他県でやっていた地元の伝統工芸品関係を寄せ集めて、無印みたいにして始めた新事業が上々だから、ここの県でも始めようかと思うんだ。社員は変わらずに利益になる事ができるんだ」

「あんたの事情(ところ)は良く知らないが、社員は相当戸惑うだろう」

「それは確かだ。だから、社員には二週間程の休みを交代して与えようと思う。何せ、社員の意向を殆ど聞いていないものだからね」

 これは僕が初雁に成り切っていいのだろうか。

「抑、君がそれだけの英断をできるのは…」

「実は初雁のお蔭だったりするんだけど」

 大崎は少し御機嫌な調子になって言う。

「彼奴が」

「面倒な人だろうけれど、彼からは無心に何かを為す事が先ず大事なのを教わったからね」

「ふうん」

 彼の何がそんなに有益なのだろう、あの自分勝手な人間の。話の流れ上一つや二つは聞くことになっても仕方がない無駄話だった。

「それはそれとして、一つだけ聴いてもらいたい」

 前言までとは打って変わって、改まって言った。

「何だ」

「君達二人はちゃんとした自分の過去を知っているのかい」

「ちゃんとした、って」

「初雁風に言うならば、編纂(つくられしもの)ではない純正(裏の取れる)事実だよ」

(いや)、無いね。──どれだけ頑張っても僕等が誰かの養子である理由が判らなくて」

 ここで何となく失態を冒したような気持ちになる。 言わなくても良かった事を妄りに。

「俺だって、あんなに近くにいた癖に、最近になって親父から教えてもらうまで知らなかったから、それはそれでいい。今回来てもらうのは、折角だからそれを二人に教えようかという事なんだ」

「へえ。でも、ここじゃいけないんだ」

「そりゃあここらで話しちまうのも有りだろうが、躰に沁みて解る方がいいんじゃないか。それに、君等の根抵を揺るがす相当大事(おおごと)なんだ」

 まさか体験する訳ではないような。それは何があっても無理だろう。拡張現実はまだ先の技術だ。

「まあ、今は想像もつかないだろうな。兎に角、そういう事で早目に来てもらいたいんだ。ほら、ライブ観に行くついででいいから」

「矢ッ張り君が差し向けたんだな」

「そうだな。別に隠す事は無かったんだが、彼女は言わないからな」

 彼は他に何も言わなかった。何かあったはずなのに敢えて言わなかった気がして変だ。

「そうか。じゃあ、またね」

「うん、また」

 僕は誰も信用できない気がした。大崎はだらしないし、初雁は頼りない。もしかして、僕がこの締まりのない人間関係を纏め上げなければいけないのだろうか。そんな寸劇(ドラマ)のような展開を仕向ける無言の圧力が働いている。だが、圧力だとしても初雁よりは嫌いになっていないはずだ。

 何故か、やれば出来るからである。彼より当然能力はあるのだが、経済的基盤は無い。それに餘りに出しゃ張ると臍を曲げかねない。

 さて、初雁は脱力して概ね心地よく寝ているようだが、寝顔が何処となく暗い。何かを抱いて寝るように横を向いている。

 この寝顔が何となく好きだった。最近の子供や猫は寝顔ですら可愛気が無くなり、何か物足りない気持になっていた為とは言ってみるものの、此処で心和むとは世も末だ。

 また、間も無く電話が鳴る。

「はい、もしもし」

 電話には出ているのだが、直ぐに言葉が来ない。また言おうかと思ったがそうなると、絶え絶えに聞こえた。

「はあ、…く、熊…熊谷」

 酷く呼吸が荒く、単語が中々揃わない。愕いて夢中で声を上げた。

「どうした」

「もう、二人で先に医大病院に行け」

「何で」

「…刺された…救急車はもう呼んだから、うっ」

「おい、大崎。確りしろ」

 此処で信号音が流れる。自分で切ったものらしい。

 さて、うかうかしてられない。初雁の肩を挟むようにぽんぽん叩く。常人からしたらばんばん、だろうか。

「初雁、起きろ」

 初雁は眠た気にもぞもぞと赤子のように揺れる。

「何だい」

「寝惚けてないで。大崎が刺されたんだ」

 彼は無理矢理意識を起した。立ち眩みらしき物と闘いながらも訊いた。

「何処だって」

「医大病院だと」

「熊谷、最低限の支度したら直ぐに玄関に来い」

 初雁はそういったが、実際は初雁の金銭や身分証などを携帯するまでの用意が要ったことから、二、三分は待たせたと思う。

 僕が行李(リュック)を借りて玄関に来ると、初雁は手首をがっしりと握った。注射する時の紐のように、血流が妨げられる。

「準備はいいな」

 何の準備だ────そう思うと、とんでもない速度で走り出した。車を追い越しながら、疾る僕等は物理の眼からも明らかに人の速さではなく、猛虎の如くと形容するが相応しい勢いで先日にも通ったような道を進んで行く。僕の身体は餘りの勢いに、襟巻が棚引くがごとく浮沈を繰り返し、脚腰の負担らしい負担も風の抵抗以外は無かった。

「一体これは何だ──」

 そうかと思うと、段々と減速しては綺麗に立ち止まる。視界はもう既に別の風景を取り込んでいる。突然の事に此処まで言って絶句した。確かに医大病院の前に居る。

「家に車は無かっただろう」

 初雁はそう言った。でも、これは身体は丈夫な僕でも辛い。身体が大きいと空気抵抗も大きく受ける。体格を考慮しても僕の耐久はそれなりにあるとは思うが、車より疾い所為か豪く彼方此方が疲れているように痛い。

 さて、問い合わせると未だ運ばれていないようだった。だから、凡人が入れる限り近そうな所に待機した、というのも治療室の前の長椅子に座るというだけだが。

「初雁」

 僕は気怠い調子で言った。先刻の疲れから未だ快復していない。

「何」

「どうしてあれが出来たんだ」

「あれって──」

驀進(ばくしん)だよ」

 初雁は少しばかり合点が行かない間の抜けた顔をした。

「だって、あれは人間の能力とは思えない」

「人間じゃないとでも」

 僕は頸元を打たれるような心地になり、刹那に間違った物言いだったと悟った。

「そりゃ、あれができるのは自分でも不思議さ。でも、其れだけで己の人性を否定するか」

 急にこう言い出すのは理に適ってはいないが今迄を軽く振り返れば、仕方の無い事だった。

ここに到るまで、認めていなかったのは幅広い人の閾だった。未成年の間で、常識が僅かにでも欠けている人が居ればその人を障碍児と決め付けるのと何の違いがあろう。彼も僕も人には違いなかった。

「ごめん、熊谷には(ひがごと)無いよな。ただ、己が幼いばっかりに」

「そんな、僕も悪かったよ。でもさ、不思議は不思議なんだよ。どうにもあれが懐かしく思ったから」

「何か憶えているのかい」

「少しはね。仕方ないから話そうか」

 

世二

 

 僕は不得已語る事になったが、表現が辿々しいのは言うも更なり。話そうとするとその度に夥しい情報の流れを受けるのも併せて。

 ──目の前の初雁はにっこりと笑って僕の手を握って引っ張り上げた。僕はその力に驚いた。僕は彼よりも十四分上回る軀を持っているはずで、何故平衡感覚を慌てて修正(なおさ)なくばならない程に引き揚げられるのか判らなかった。彼は僕に何処へ行こうか、何をしようかと頻りに話し合おうとしている。──

「慥か、僕が君と会った時には既に苛められっ子だった。誰の言う事でも問答無用に聞かなければならないんだという思い込みで生きていた」

 ──気の弱い僕は彼に捗々しい返答をしてやれなかった。すると、彼は僕の腕を掴んで駆ける。段々にそれは加速して、冗談でなく海上を滑るように進む。僕の軀が細長い布のように完全に浮いてしまうほどで、恐らく間近で見たとしても誰も判らない。

 二人は緩やかに減速して街中で停まる。そこが僕には大都会だった。百万人が住む街は名前を聞いた事がある(みせ)が連り、巨大な鐵道の駅が茶色の城壁にしか見えないなど、もし文人なれば筆を休める暇もなく描いてしまいそうな感慨があった。その中を知った顔で百貨店なり喫茶店なり色々巡った。初雁は何も持たない僕に何でも奢ってくれた。憚かろうとすると可愛気が無い、と怒りっぽくなって、慌てて言葉に甘えると妙に笑顔だった。どうしてそこまで優しくしてくれるのか判らない。僕は其処までの身分でないのに。──

「君は大層運動が出来、勉強をやらせても頂に立っていた。雲井の人のようで、何で僕と接してくれるのか理解に苦しむばかり」

 ──模試の成績を覗き見ると国史と国語は全国一位、その他も偏差値は七十前後だった。彼はそれでも何でもなかったように英語の参考書を只管解いている。それを悪戯心で抜き取ると、少し不機嫌な顔をするものの、僕の顔を見た途端少しにやけて頭を撫ぜる。

『全く、熊谷は仕方無い奴だな』

 悪い気がしなかったのは段々思い入れが強くなったのかもしれない。──

「君を僕と付き合わせた梟は初めに言っていたんだ。『彼となら、きっと八千代を経ても経験できないのに、何回でも巡りたくなる人生に変えられる』」

 ──或る日、精神が家庭内の環境に耐えられなくなった。

 その訳をば思い起こせば。我が家では酒乱に家族が血を見ることを避けたくば、この体は壁となるべきであった。正当防衛の為にいかれた親と取っ組み合って鎮まるまで待つ。その際に、其奴がめそめそと泣く。

『どうして俺ばかりを責めるんだよ』

『繋ぎ止めるためだ』

 そんな事が当たり前になっても、その人も人間である訳で、罪悪感を懐かないわけがない。

 同じ人間に生まれたのに色々な人に出逢って、各々に申し訳無いとは思う。でも基本的人権というものが有るなら、僕にだって欲しいさ。──

「一回屋上から飛び降りた時、君は受け止めた」

「嘘だ」

「でも、色んな人がそれを認めている」

 ──次に目が覚めた時、僕は死んでいるものだと思ったが、それにしては身体が重かった。それもそうだ、僕の顔を初雁が覗いている。

『大丈夫か』

 僕が彼に背中を押されて上体を起こすと、初雁は僕を抱き締めた。

『良かった、生きていて良かった』

 彼はぼろ糞に泣き(じゃく)って言った。

『何があったのかは知らないが、黙って行かないでくれよ』

 僕に此処まで言ってくれる人を今迄知らなかった。表情一つ変わらずに涙が流れる。

『家が辛いなら無理して帰らなくていい』

 僕は、尋常でない活力とそれを制する圧力を

がたがたと小刻みに震える背に血がまた通った手を廻して感じた。──

「熊谷、初雁」

 聞き憶えのない老いた声がした。僕等は我に返り、二人で原因を求めると、大崎に似た老爺だった。皺も少なく、丁度大崎の髪の色素を抜いて瞳を鼠色にしたようだ。二人で彼に戸惑っていると、彼は多少の微笑みと共に言った。

「そうか、知らないよな。おれは鎌祇の親の塩椎(えんすい)だ」

「ああ、そうでしたか。これはどうも」

 初雁は僕がしようと思うよりも先に何でも行動してしまう。

「息子はまだかな」

「そうですね。連絡を受け取った時にはまだ救急車が来ていなかったようですし、今はまだ縫っている最中だと」

「そうか」

 塩椎は落ち着ききれないような表情をした。

「ああ、餘り畏まらなくてもいいぞ。友人の親ってだけだからな」

 彼は穏やかに話すものの、きっと僕等以上の不安を感じているに違いないが、親子揃って出来た人間なのだろう、平静を装い振舞っている。

 結果として看護婦さんがやって来て、彼の無事を告げて曰く、直に面会を許可するという。

塩椎は欣悦して手の舞足の踏むを知らず、というところまではいかないものの、非常に似たような心地はあっただろう。僕等二人だって家族のように無事を喜び、この点では塩椎と共通の心持のはずだ。

 最近の病室の例に洩れず、タイルさえ排した白い部屋で、大手の模型家のようにも見える。その中で、鎌祇は病牀一杯に身体を広げていた。頰笑みを見せるなど、見た目は健康そのものだが、機器や衣服、雑な字で書かれた標札などは列記とした患者なのだ。

「大丈夫か」

「この通りだぜ、父さん」

 鎌祇は塩椎を励ますつもりで表情も快くそう声を掛けたが、若干疲れが見て取れた。

「ああ、初雁に熊谷もか。随分早くに来たんだって」

「そうだな」

 答えたのは初雁で、僕は口籠ってしまった。

「そういえば、他の誰にもこれは言ってなかったよな」

「その暇無く駆け付けたんだ」

「だったら、これは話すべきかな」

「何をだ」

「俺等大崎家と二人の繋がり」

 初雁は寝耳に水だという顔をした。僕が話し忘れた所為だ。

「そんなものがあったのか」

「本来ならゆっくりと話そうかと思ったんだが、どうやら安心していられないのでね」

 

世三

 

 鎌祇は塩椎の同意の下、語り出した。

 ──大崎塩椎は、生物学を専攻する若き院生だった。丁度縣義之助の父、諫早阿形(あがた)(すすむ)と同級生で、二人は教養を切磋琢磨するという端から観ても理想の友達関係を築いていた。

 この二人の中で瑕疵があるとすれば、謹には猟奇的好奇心が強過ぎる事があった。それに、それを指摘できる程塩椎に強い心がある訳でも無かった。

 諫早家は上流階級のお零れに有り付くのを得意として成り上がった現代の豊臣秀吉みたいな家だった。勿論、その為にとんでもない財力を持っていて、自分で研究を行うための研究所を国内外問わず数限りなく持っていた。それは大学に器具を貸出する事もあるぐらい。そこで、塩椎はよく謹に連行されて研究所に顔を出すようになった。研究所自体は明るく開けた雰囲気で、大学よりも幅の広い分野と人物を抱え、其処の人とも次第に仲良くなった。

 或る日、謹は研究所の奥の暗い通路の先にある一室に塩椎を連れて行った。それは大きさも解らないぐらいに暗い場所で、病院並に消毒の匂いがした。

「これを見て御覧」

 そうやって謹が照明を点けると、とんでもないものが眼に入る。

 下手な空想科学本にあるような筒型のタンク中に充たされた無色の培養液に浸かるのは、裸体だった。中高生の保健の教科書にも載っているような蹲った赤児の姿だ。而も、二人分。違いと言えば、子宮が無い事だ。

「これは…」

 謹は嬉々として説明に乗り出した。

「完全に女体を必要としない、所謂試験管ベイビーって奴だ、世界初の。羊水などを一から再現して、やっとここまで来た」

 塩椎は幽霊と顔を突き合わせたような恐怖を感じた。宗教や古典文学などの文化的素養もある彼は、神域にまで踏み込もうとする彼の行いが生物の本能を逆撫でするのをはっきりと意識する事となる。無くても判ることかもしれないが。

「どうして…」

 彼は塩椎の驚愕を様々に汲み取って、説明を続けた。

 塩椎の忍耐力を以って聞き取った其処までの経緯の梗概はこれである。

 戦後に人造人間の話が流行った時期があった。多分高度経済成長による近未来の空想科学技術の流行の一環だろう。それを馬鹿正直に夢見た一族が金に物を言わせて密かに研究し続けたのが諫早家だった。ただ、そんな対象は反対も多いだろうからと、徹底した秘密主義の下に行われた。彼は家系としては第九子なる故に後継には絶望的ではあったが、病弱な長子等は亡くなったり文系を専攻してしまってからは彼が第一候補として先代から継いだのがこの研究所だった。

 正に彼はフランケンシュタインだった。知っていればこれは蛇足だが、原書ではフランケンシュタインが怪物を造ったのであって怪物がフランケンシュタインではない。兎も角、彼は人類を創造した神と同列に並びたかったのだ。そうして、死体を用いない人間の設計図を、五年掛けて書き上げた。

 この二人、だろうか。それについて曰く、遺伝子を持つ素材さえあれば、容れ物となる任意の人間の精子と卵子を用いて創り出せるらしい。想像するのも吐気を催すが、いつか生体認証として失敬された私の毛髪から取り出した遺伝子と彼の精子を基にした人工の精子を二つ作り、各々を二人の女性から採取した物と繫げたものが今培養液に浸かったそれなのだ。技術の安定もしてない時期に繁殖されると迷惑であるから、二人とも男にしたものと見える。これは疎外を恐れたものだ。

「造ってどうするつもりだ」

 うむ、と暫し考じて彼は当然のように言った。

「安定して成長するならば彼等を人間に混ぜてしまおうと思う、ただ」

「ただ?」

「二人とも普通の人間にはしなかった。二人は時期は粗同じだが、厳密に言って先に造った方には熊の遺伝子を混ぜ、後の方には身体形成に関わる遺伝子を全て操作した。つまり、ヘラクレスみたいなものだ」

 完全に人間の精神ではなく、倫理を喪った動物以上の狂者である。

「仮に成功して、そんなものが許されるのか」

「仮に、じゃないさ。もう既に何人かは成功はしている。名もなく散った何人かを弔っている」

 冗談で済まない事をこんな平然とやってのけるそれに慍りさえ感じた。小学生の図画工作かなんかと勘違って愛玩動物かなんかの為に生命に干渉するなんて。

「君には心が無いんだな」

「俺もそれは実感しているが、もう六ヶ月を過ぎてしまっている。だから、此奴等の面倒は君に」

「巫山戯んな。手前の都合で合成生物(キメラ)作っといて手に負えなくば人に押し付けるのか」

「俺だってそうはしたくなかった。でも、もしかしたら真面な人間としても育つかもしれない。そうしたら、俺は彼等に人並みの幸せを与えてやれる。フランケンシュタインみたいに不幸ばかりじゃなくなるだろう」

 塩椎は二人に用意できる最高の人生を想像したい。文学にそれは為せるが、現実にそれを成そうとすれば最悪には本当に不幸しか残らない。だか、もうすでに謹の手に負えない程に事が大きくなっている。であれば、可能な限り普通の人に育て上げれば良いのでは。

「きちんと人間としては生きるんだろうな」

「上手くいけばね。基本は人間だから、生きていれば、人間としての喜怒哀楽を経る事だって造作無い筈だ」

「解った。だか」

「君は学力や周囲の評価がどうであれ、もう神なんかじゃなく、人間以下に堕ちた存在だ。こんな俺にすら多少の敬意を払ってもらうし、世間には慎ましくしてくれ」

 彼は傲慢な胴を素直に折った。

「いいだろう」

 彼の援助を基に塩椎は二人が出生したのを引き取った。その兄弟各々に碩哉と靖人と名付け、面倒を看る事となった。だが、既に妻子を持つことが確定していた上に経済的基盤が弱い為、当時高校時に後輩だった福澤に頼んで里親を探してもらった。

 だが、事情を知った福澤は恐怖を感じて焦ってしまった。碩哉は初雁家、靖人は熊谷家に引き取られたが、何方も蓋を開ければ家庭事情の酷い家だった。後にそれをひどく後悔して、できるだけ目の届く環境に移り住んだ。

 塩椎は間も無く実子の鎌祇を設けた。それは三月のことで、三人とも同級生となった。

 熊谷は酒乱の養父を抱え、初雁は育児放棄の中で育った。福澤は二人の幼少期には近所のおじさんとして二人を監視し、高校生になって教師として二人を見守った。彼は二人を友達として引合せ、お互いの傷を舐め合わせるという手段によってのみ彼等を救う事にした。

 その時、丁度能力を存分に使っていた事を知り、危険を感じた塩椎は謹に頼んで記憶の書き換えを依頼した。それを福澤とともに遂行し、人間として暮らさせた。後に福澤と共に暮らした熊谷には真相を伝え直したが、初雁にはそれをしないままになってきたから、熊谷を直截寄越した。

 謹はやはり気になって仕方無く、監視のために息子の義之助に改造を施し、自分の魂の匣とした。既成人、況してや息子にそれを為すとはもう暴走であったが、塩椎はそれを隔離する事もできずに無事を祷るばかりであった。

 福澤と同じくらいに謹は死に、義之助に魂は受け継がれた。尋常じゃない教養と狂気を湛えている彼は、正史に戻すと称して大崎三兄弟を抹殺しようと隙を窺って、鎌祇についてはたった今未遂に終わった。本人ではないから良いものの、直に二人も狙われるだろう。──

「だから、義之助から謹の精神を取り除いて問題を解決する為にも協力してもらえないかな。親父からこの話を聞いてさ、二人はどれだけ苦労してきたのかなと考えれば考える程に辛い」

 

世四

 

 初雁。情動搖れ易い彼は軀を震わせながらも怒濤の勢いで押し寄せる感情を堪えている。噛み締めた口許は堰のごとくなれど、切るのも時間の問題か。その感情、活力を漲らせた眼を熊谷の顔に向けた。十七歳という外見に魂が降りて来て、初めてそれが意味を成し始めたように見える。

 熊谷も彼程ではないが、流石に何も感じないものはなかった。彼にはやはり友達以上の何かを感じていたが、こうして互いにその理解を得られた事への悦びはもう限りない。榛色の眼は雑る翠(みどり)を強め、服の色まで鮮やかになったように活力を漲らす。

 ただ、今はそういう状況ではなくなった事だ。

「やるか」

「…やろう。只の人間じゃないんだから」

 熊谷が沈黙に応え、破るのを待ち構えていたように横から言葉が飛んできた。

「ようし、だったら二人とも俺の言うに従え」

 鎌祇は二人を振り向かせると、教官か落語家のような高低を滑る調子で命じた。

「仕事場の二階に纐纈がいる筈だから、其処に行け。ついでに塩椎も一緒だ」

「それじゃあ、鎌祇はどうなるんだよ。お前が一番危ないじゃねえかよ」

「いや、殺せていない時点で俺の方が一枚上手なんだよなぁ」

 そうやって、唐突に点滴の管や包帯を剥いだ。腕も、肥えた腹もまっさらの皮膚だった。

「無傷かよ」

「俺に傷付けようだなんて百年早いんだよ。親の智能は総て學びとったし、意外性を突く能力なら人より鍛えたんだから」

 そうだ。商談には刺激を齎す事が常に要求されるし、会社を遣り繰りするには相当頭を鍛えておかなければならない。学生時代の成績は医学部志望を凌駕する程高かったし、初雁から観ても超人だったから、況してや熊谷からしたら高嶺に咲く花であったに違いない。

「まあ、こんな事暴露たら普通病院から追い出されるような物だが、院長は俺の後輩だからな」

「まさか、でもあいつは」

 と熊谷がいうと、唐突に足音がして来た。この前観て嗅ぎ取った有機溶剤の匂いと檜の匂いがした。赤星だ。

「大崎、あれは随分派手にやってくれたなあ」

「見掛けだけさ。血糊と防刃ベストは少し高く付いたがな」

 二人とも呆然としているところに塩椎が熊谷に耳打ちした。

「赤星院長の趣味は日曜大工だからな」

 熊谷は迂闊な自分を恥じた。

「さあ、流石に三人を連れるのはきついかい」

「いや、全然。ただ、手は三本無いからな──そうだ、熊谷は頸にしがみつけ」

「え、でも──」

「俺の頸がこれだけ太ければどんなに重くとも問題無いだろう」

「それに特等席じゃないかよ。有難く順っておけ」

 鎌祇はそんな風に冷やかした。何となく癪に触る気もしたが、初雁の提案を拒否する理由は無い。

「分かった」

 恐らく最後の赤星の発言が聞こえた。

「じゃあ、元気でね」

「ああ、其方こそ」

 鎌祇は塩椎が用意していた服にいつの間にか着替えていた。そしてその塩椎は先に下へ行ったようだ。初雁は熊谷の肩へ手を回し、皆んなで外へ向かった。

「さて。どう片付けたものかな」

 赤星は独り、伽藍堂(がらんどう)の病室でそう呟いた。

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