広い太平洋の海原を往く大型の船舶があった。潜水母艦剣崎をモチーフにしたこの学園艦は、バラトン水産技術学院の学園艦である。
これまで様々な企業や学園に渡ってきたこの船は、巡り巡ってバラトン水産の学園艦となっている。その発端は内陸国であるハンガリーが海洋技術に興味を持ち、『飛び地』として公認の取れる学園艦を欲したことにある。ハンガリーが買い取ったこの船舶を、日本の企業と共同で学園艦バラトン水産として運用しているのだ。それ故に、この船はハンガリー国籍で、ハンガリーの所有地なのである。
...しかしながら、生徒も日本人、教員も日本人、寄港する港も日本となると、必然的にハンガリーの要素は薄くなるもので、残ったのは船乗り魂だけであった。
「...よいしょ...っと」
おっさんのような声を上げてダンボールを抱える。その指は長く、雪のように白い。髪は艶やかな茶髪のロングヘアであり、『綺麗』だとか『美しい』という表現がよく似合う容姿をしていた。
バラトン水産の海洋技術科に所属する瀬戸優奈は、研究用機材の詰まったダンボールを抱えて教室を出た。
海洋技術科はの活動は、波力発電や海流発電などの自然エネルギー利用を始め、微生物や深海生物の調査、魚類などの生態研究など多岐にわたる。私はその中でも海流発電を主に学んでいた。
バラトン水産の学園艦は、施設の多くが屋内に配置されている珍しいタイプの学園艦である。というのも、他の学園艦が学校と居住区を丸々移設したような構造であるのに対し、バラトン水産は企業とその研究施設をごっそりと船に乗せたような設計のためで、つまるところ、この艦内研究スペースは全て企業のファクトリーという事になる。
そんな艦内ファクトリー施設に含まれる、潮流研究用の大型プールに、ひとりの少女の姿を見た。小麦色というには少々焼けすぎな肌。水に濡れ艶やかに輝く、黒の短髪。競泳水着で泳ぐその少女は、紛れもなく我が親友であった。
「ちーちゃん、何してるの?」
「お、ゆーちゃんおつかれ!何って...泳いでるんだよ」
健康的に焼けた肌から推察できる通り、彼女は運動神経に優れる。水泳とて例外ではなく、まるでイルカのように泳ぐ彼女の姿に見とれてしまう。
「...程ほどにね。海技も授業終わったから、先生来るかもよ」
「あ、そっか!やばいやばい」
前述の通り、ここは研究用プールである。遊泳は基本的に禁止。先生に見つかるとこっぴどく叱られる。プールを上がったちーちゃんは体を拭くのも程々に更衣室に駆け込んだ。
数分後に更衣室から出てきたちーちゃんは水色のブラウスと紺色のスカートからなるバラトン水産の制服に着替えていた。ただし湿った髪はどうしようもなく、これでは先生に見られたが最期である。
「仕方ないなぁ...ほら、早く部室行くよ」
「ほいほーい、あ、私持つよ」
そう言って私が抱えていたダンボールを颯爽と奪い取った。
「大切に扱ってね?」
元気印の我が隊長に、苦笑いを送るのであった。
少しじめっとした、コンクリート打ち放しのガレージで、私はドライヤーの生暖かい風を浴びていた。
「こら、動かないの」
そう言って頭をぐいっと押さえつけられる。
「ドライヤーってあんまり好きじゃないんだもん」
「もしかして、いっつも自然乾燥なの?」
「うん、そだよ」
耳元で、はぁ、とため息が聞こえた。
「...よくもまぁ、それでこの髪質維持できてるね」
「何でなんだろうね?」
自分でも分からない。これだけ潮風を浴びて、適当にケアしている髪なのに何故か他の人よりサラサラだ。たまにこうして羨ましがられることがある。
「私の努力はいったい...」
「ゆーちゃんだって髪綺麗じゃんか。私よりはサラサラだよ」
「頑張って手入れしてこれなのに...ちーちゃんが羨ましいよ。...はい、できたよ」
「ん、ありがと」
私は椅子から飛び上がると、ガレージの奥へと小走りで向かう。そこにはバラトン水産戦車道チームの保有する戦車10両が堂々と鎮座していた。
バラトン水産の保有戦車はハンガリー国産戦車とハンガリーが使用していた戦車である。隊長車のトゥラーンⅢの他にも、ズリーニィⅠやトルディⅢなどもあり、高次元でバランスの取れた戦車隊であると自負している。
「...よし、全員揃ってる?練習始めるよ」
集まったメンバーの姿を見て全員揃っていることを確認する。
「さて、じゃあ皆戦車に乗って!今日は昨日言ったとおり、紅白戦やるからね!」
メンバーが各車両に続々と乗り込んでいく。私とゆーちゃんも例外ではなく、自らの車両に乗り込む。私が車長を務めるトゥラーンⅢも、エンジンに火を灯し、コンクリートを踏みしめてじりじりとガレージから歩みを進める。
そしてあらかた車両が出きって、最後の車両。それはこの戦車隊の中で最も強力かつ、最も完成度の高い車両であった。
切り立った正面装甲。幅広の履帯。分厚い防盾に守られた砲塔。そこからそびえるのは、数々の連合軍兵器を屠った長身の名機だ。
「いい?相手が誰だろうと、やるからには勝つよ!」
隊員たちの威勢のいい返事を聞き、千尋はニヤリと口角を上げた。
練習を重ねるごとに隊員たちの技術は確実に上昇していた。自動車科チームも美術部チームも、各々が最大限に努力し、創意工夫でじゃじゃ馬を乗りこなそうとしていた。
「...何描いてるの?」
「あら、隊長。描いている...というほど大したものではありません。ただの落書きですから」
あはは、と笑ってみせる彼女、厳島 花凛の手元にあるスケッチブックには、得体の知れぬ混沌が広がっていた。
「これは抽象画と言ってですね、何かを具体的に描いたわけではない絵画なんです。心象世界をそのままキャンバスに書き写すような絵画です」
よく見るとそれは、幾何学的模様をいくつも積み重ねたような精緻な絵画であり、何度も何度も上塗りを重ねられて、炭素で黒く染まった部分にもうっすらと模様の影が見える。
「戦車に刺激を求めてこの部に入部しましたが、戦車も戦車で楽しいものですね」
最初彼女たち美術部が兼部の申し込みをしてきたときには心底驚いた。皆大人しそうで、戦車とは無縁の雰囲気だったからだ。実際無縁だったようで、入部理由は『自分の芸術に刺激が欲しかった』だそうだ。
「...私が今までその抽象画の良さを知らなかったように、まだ知らない刺激がいっぱいあるってことですね」
「えぇ。自分の知らない自分。誰も知らない自分。一番近くにありながら、一番見えにくいものですね」
「灯台下暗し、ですか」
とりとめのない話をしていると、グラウンドの奥の人工林から戦車のエンジン音。甲高い音を立てるV型12気筒のガソリンエンジン音はじわじわと近づき、林から飛び出した。
草木をまき散らしながらグラウンドに現れたのは、我が校待望の重戦車、T29重戦車だ。キューポラから顔を出す瀬玲奈さんが停車の号令をかける。揺動が収まり105mmの主砲が飛鳥さんの操作により火を噴く。我が校における最大火力である105mm砲は、グラウンドの端に置かれたターゲットを木っ端微塵に粉砕した。
「...流石。カタログ値はティーガーⅡより上だからね」
装甲・走行性能・火力。全てにおいてティーガーⅡを上回るためにアメリカが開発した本気の重戦車は、本当にティーガーⅡを凌駕した。しかしパーシングと同じく戦場には間に合わず、導入される前に陳腐化してしまった悲運の戦車でもある。
『どうです隊長!見てました?』
「うん、見てたよ。その感じで本番も出来れば文句なしです」
そもそも重戦車はあんなに走り回って撃つ車両ではない。T29は特にそうで、とんでもなく砲塔が頑強なため、砲塔だけを出して停車したまま真っ向から撃ち合うのがベストではないかと考える。
「...この感じなら、心配いらないかな」
私のビジョンは、既に練習試合でなく、全国大会へと進んでいた。
7月上旬。大洗の奮闘をキッカケに参加者の増えた全国大会は、必然的に地区予選を開催することとなった。
そんな地区予選、中国大会での出来事である。
『中央、突破されます!』
「何としても阻止して!じゃないと...!」
『こちらIS-3!左右履帯破損!移動不能!』
「...くっ...」
越前 紀伊は歯噛みした。自らを圧倒する敵に。そして、自らの不甲斐なさに。
『こちら中央集団!敵に突破されました...きゃっ!』
垂直に切り立った、それでいて頑強な装甲を持つ駆逐戦車隊が、こちらの主力部隊...IS-3やSU-152、T-34/85などを含むそれを突破、遊撃部隊を突入させ前後から袋叩きにされみるみる数を減らしていく。
救援に向かう私のT-44も、もはや間に合わないのは目に見えていた。
諦めかけた紀伊の前に現れたのは、壁。異形の戦車がこちらを見つめていた。その超大口径の砲で。
「...お姉ちゃん...」
吹き飛ばされたフラッグ車から上がった白旗が、無慈悲にも戦練専の敗北を告げたのだった。
バラトン水産は少しばかり特殊な構造に設定したので、こうして掘り下げる回を設けました。実は千尋がすごくお気に入りのキャラだったりします。
さて、そろそろ練習試合に突入させようと思います。最後のシーンがどこに繋がるのかは...まぁ、お楽しみに。