嵐の前の静けさです!
冬季杯の開幕戦は、いよいよ明日に控えていた。私は最後のねぎらいとして、パンターを隅々まで洗車していた。傍から見ていると分からないような、キズや汚れが至るところに。しかし、これも私たちの練習によってできたキズだ。誇れるものだろう。
「戦車を洗車。ダジャレみたいだね」
そこには操縦手の涼子さんがいた。スポンサーロゴが所狭しと並んでいるレーシングスーツを着ているということは、戦車レースの練習の帰りなのだろう。ツナギ状になっているスーツの上半身だけをはだけて黒のキャミソールが丸見えになっていた。汗で下着のラインが浮いて、見てる私も恥ずかしい。
「うん。ずっと酷使してたから、戦いの前に綺麗にしてあげようと思って」
「...だね。私も洗車しようと思って来たんだけど、粗方終わってそうだね」
そう言うと彼女はおもむろに靴を脱ぎ、濡れたままのパンターによじ登る。
「何するの?」
「操縦桿にグリップ巻こうと思って。あれ手痛くなるんだよね」
急発進、急制動による回避行動や、
「そうだね。だってただの鉄パイプだもんね...」
加えて言うなれば、パンターの弱点が操縦手にさらなる苦悩を強いている。アウトバーン校で運用しているパンターは、D型をA型仕様に改造したニコイチ仕様である。問題を抱えたエンジン周りや足回りを全てA型仕様に換装したことで機械的信頼性を上げたが、資金不足に悩まされ最大の泣き所である変速機がそのままになっているのだ。壊れやすく、デリケートなシフトワークが求められる上に、長時間の機動戦闘には適さず、強力なパンターにおける最大の泣き所となっているのだ。
「トランスミッションも換装しないとね。涼子さんにこれ以上負担を強いるわけにはいかないし」
「まだ前線で戦えるだけマシってもんだよ。私はⅣ突の改良を優先するべきだと思うな」
Ⅳ突にはアップデートプランがいくつか存在する。それを優先するべきか、パンターの改良を優先するべきか。それは一回戦が終わってからでも問題はないだろう。
「ともかく、ただ速いだけが取り柄の私に戦い方を教えてくれたのは夏紀さんだよ。ありがとね」
グリップを巻きながら涼子さんが言う。こう改めて言われると、なんだか気恥ずかしい。
「いえ...優秀な乗員なくして源流は成り立ちませんから。私だけでも、涼子さんだけでもダメなんですよ」
磨き上げられたパンターを見上げる。私より1メーター半くらい高い相棒は、薄暗いガレージの中で、差し込む陽光を受けていぶし銀の車体をぎらぎらと輝かせていた。7.5cm砲は勇ましく天に掲げられている。
「私は家の戦車にずっと乗ってきたんだ。Ⅱ号、BT-2、ジャクソン...でも、パンターが一番好きかな。硬くて、速くて、強い。やっぱりそれが戦車の本質だと思うから」
『戦闘装甲車両』。今ではレースをしたり、移動手段として活用されたりと、足として使われることも多い。しかし戦ってこその『戦車』だ。走るだけでは、その勇ましい砲も、たくましい装甲も全てがただの
グリップを巻き終えた涼子さんは、ハッチから出て伸びをした。ちらりと覗く健康的な腹筋は、レーサーというものの過酷さを物語っているようだった。
「明日も頑張ろうね。私も全力で走るからさ」
「...うん」
その日の夜。下関とは関門海峡を挟んで対岸に位置する、門司に来ていた。下関と比較しても活気にあふれている...とは言っても、下関市街地は既に私有地だ。活気がある方がおかしいのだが。
ここは門司にある倉庫街。レンガで作られたそこは観光スポットにもなっていて、多くの人が集まっていた。お目当てはその倉庫を彩るイルミネーションだろう。愛し合うカップルや、仲のいい友人同士で華やかなイルミネーションを見て、感動を目に浮かべていた。私にもそれは綺麗に見えたが、右側の視界の無い私の目には、きっと少し華やかさは劣って見えているのだろうな、なんて思っていた。
気温は氷点下にもなった寒い夜。私は温かい缶コーヒーを飲みながら歩いていた。待ち合わせをしているのだ。そろそろ時間なので来るはず。
「ごめん。待ったかな」
ゆるやかにウェーブした長い銀髪が黒いダッフルコートに映える。今日は睡眠が足りているのか元気そうな私立ブリテン高校の隊長、ヴィヴィアンだ。
「いえ、全然。それより用ってのは?」
「まぁ、場所を変えようよ。おいで」
ヴィヴィアンさんについていくと、そこには銀色の乗用車、ロールス・ロイス 40/50HP シルバーゴーストが。その目立つ車に若干困惑しつつも、助手席に乗り込む。
「じゃ、行くよ」
100年以上も前のクルマとは思えない、軽やかなエンジン音を立てながら、シルバーゴーストは路端から発進。国道に合流して、なめらかに速度を上げていく。
「ごめんね。ちょっと話がしたかっただけなんだ。君の、その...決意?みたいなものが」
夜の国道は結構な混み様だった。信号が赤になるたびに行列が出来上がる。赤いランプの列に照らされながら、私たちは少しずつ夜道を進んでいく。
「決意...ですか。そんなものは特に無いですよ。ただ、目的のために戦うだけです」
「目的ね...聞かせてもらっていいかな、その目的ってやつを」
私の目的。あまり人に話したい内容ではないが、ヴィヴィアンさんになら話す事にためらいを覚えなかった。それは、彼女の母性というか、人として寛容な面がそうさせたのだろう。
「...妹を連れ戻すためなんです。ずっと探してたんです」
「そっか...」
誰か、とか何故、とかは聞かれなかった。ただ私の心を浅く理解し、深くまで踏み込まない。そういう大胆に見えて遠慮がちな姿勢は、不思議と居心地がいい。
料金所を通過して、しばらく進んだ先は、大きな橋。関門海峡にまたがる関門橋を渡る。ドアや窓がない上に海抜60mの高所にかかる橋だ。風は非常に強く、冬の寒さも相まって体を冷やす。
「寒いね...」
「そうですね...」
するとヴィヴィアンさんは、来ていたダッフルコートを脱いでこちらに手渡した。
「貸してあげるから着るといいよ。風邪ひいちゃいけないし」
きっと彼女が男性だったら惚れていた。お言葉に甘えて、ダッフルコートを羽織ると、人肌ほどの暖かさを感じた。
関門橋からは関門海峡に面する二つの街が見える。色とりどりのい光に彩られて輝く門司と、その光を反射して僅かに輝く下関。まるで太陽と月のようだ。
「...綺麗」
「昔はもっと綺麗だったよ。海をはさんで互いの街が光り輝いててね。海がそれを反射して黄金に輝いてた」
景色が頭を過る。想像してみると、非常に絵になる。
「...私の目と、同じですね」
向かって左の門司は輝き、向かって右の下関はくすんで見える。
「だったら、キミの右目はまだ何かが見えているんだね」
「...え?」
私の右目は黒の眼帯で覆われていて、何も見えない。見えるはずもない。彼女の言った言葉の意味が、私には理解出来なかった。
「下関の街は、既に街として機能していない。でも、まだこうして少しだけど輝いている」
下関の街にそびえ立つガラス張りのタワー、ゆめタワーは、門司が発する人々の営みの色を反射して、様々な色に輝いている。既にランドマークとしても、展望台としても機能しないが、確かに私の心に『綺麗』と思わせるものだった。
「キミの右目もそう。目として機能しなくても、きっと何か別のものが見えてるんじゃないかな。キミの心が、目の代わりに何かを見ているんじゃないのかな」
時々見える鮮やかな情景。ふと思い出したように映るのだ。それは、私の心が見せていた虚像。
何故か涙がこぼれていた。雫がぽたり、ぽたりと革のシートを濡らした。ヴィヴィアンさんは私の頭を撫でてくれていた。母のようなその暖かさに、私の涙は滴り続けた。
試合当日。水族館跡のすぐ横で開会式が行われた。
相手側の隊長が一歩歩み出てくる。オレンジに輝くツヤのある長髪を即頭部のピンでまとめた特徴的な髪型の、マクラーレンさんだ。
「アタシは隊長のマクラーレンだ。正々堂々と勝負しよう」
オープンフィンガーの手袋を外して握手を求めてくる。私も右手を出してそれに応じる。
「隊長の三城です。全力で臨みますので、いい試合をしましょう!」
ぎゅっと握り締められた手からは、戦車乗りとも違う、独特のザラっとした感触が伝わってくる。これが整備熱心な吉森工業の特徴なのだろうか。
『只今より、吉森工業高等学校 対 アウトバーン女子学院の試合を開始します!互いに、礼!』
『『お願いします!!』』
――――いよいよ始まる。私の、忘れられない戦いが。
次話より、本格的に『冬季杯』が開幕します。
今回はキャラクターの掘り下げとシリアスシーンをテーマに書いてみました。少しSS調に展開させてみたので、他の話より読みやすくなっているのではないかと思ってます。
何か不満な点、過去話と食い違う点、改良すべき点等ありましたら指摘をお願いします。