こよみハッチ~その2~(Charlotte)
~019~
「おお! 奇遇だな」
「“これ”を…………奇遇ですって?」
僕の気さくな挨拶に、苛立ちを感じさせる冷めた声音で応じたのは、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした美少女。
精緻な彫像めいた顔立ちと、無表情とが相俟って、どこか人形のように見える。
“これ”というのは、繁華街の路地裏奥深く、陽光さえ微かにしか届かない、湿り気を放った場所での、偶然を装った出会いのことなのだろう。
「はぁ…………いい加減にして頂戴。関わらないで、と言ったはずなのだけど――まさか性懲りもなくまた現れるなんて、嫌がらせのつもり?」
黒髪の美少女こと暁美ほむらは、ごく自然な動作で通学鞄から拳銃を抜き放つ。
まぁ鞄の中に拳銃が在中しているぐらい、ほむらと相対するに当たっては、想定の範囲内と言える。
こんなことで臆する僕じゃない。
「嫌がらせって、そんな訳ないじゃないか」
それでも、やはり拳銃という殺傷能力に秀でた凶器を向けられるのは、精神衛生上よろしくない。
若干腰が引けてしまうのも、致し方ないこと。
「こんな所まで“つけて”来たのだから、尤もな理由がない限り、正当防衛の名のもとに殺されたって文句は言えないわよ」
「……殺すって、何もそこまで警戒することないだろ」
どう考えても過剰防衛のような気がするが……いや、待て。ほむらの言葉を鑑みて――ふと自分の置かれている……むしろ自分が作り出した状況を客観的に分析してみる。
人気のない裏通りの奥深く。
中学生女子をつけ回す、眼つきの悪い男。
ここでほむらが悲鳴の一つでもあげれば、間違いなく変質者にされてしまう。
今後の人生が、限りなく好ましくない方向へと転がっていくことが、容易に想像できる!
なんと! 僕がやっていることはストーカー行為そのものだった!
「警戒するのはわかる! でも取り敢えず、そんな物騒なもんしまってくれ!!」
「それは、阿良々木暦。あなたの返答次第ね――――私はあなたの事を“ちゃんと撒いた筈”なのに、どうして私の居場所が解ったのかしら?」
ううむ……どう説明したものか。
まぁ隠し立てするようなことでもない、包み隠さず話すべきだろう。僕は率直に事実を伝える事にした。
「匂いを追ってきた」
僕の答えを訊くや否や、ほむらは躊躇せず引き金を引いた! 引きやがった!!
耳元を掠める銃弾。というか、髪の一部を持っていかれたようで、パラパラと僕の頭髪が宙を舞っている。
まさか、本当に撃つなんて馬鹿かこいつ!? 正気の沙汰じゃない!
心の片隅では、威嚇用の代物で、実際人に向けて撃つことはないだろうと、高を括っていたのに!
銃について大した知識を持ち合わせていないので、よく解らないけど、
とは言っても、僕の度肝は抜いたことには違いない。
「あなたは真正の変態のようね。ここで息の根を止めた方が、世のため人のためなんじゃない?」
照準をずらし、僕の頭部に狙いを定めるほむら。
「まてまてまてまて! 誤解だ! 言葉が足らなかっただけだ! 『におい』とは言っても、体臭とかそういうのじゃなくて、そう、“血の匂い”だ!」
「血の……匂い? ああ、そういえばあなた、吸血鬼だったとかなんとか言っていたわね」
僕の発言に、察し良く理解を示してくれたようで、もう今更ではあるが得物を収めてくれる。
瞳は依然として、鋭く細められたままだけど…………。
さて、前後してしまったが、この状況に至るまでの経緯を、簡単にだが語っておこう。
今日は5月12日。金曜日。
忍を連れ回すことで生じる周囲への影響を懸念して、忍野がいろいろ手回しをしていた都合で、2日間ほど身動きがとれなかったのだ。
そんな訳で、本日も午後から早退した僕なのだけど――移動手段にバスを用いるのは止めることにした。
自宅を経由して、通学用ママチャリからマウンテンバイクに乗り換え、そのまま見滝原へ。
自転車での遠征には相応の体力を要するが、その問題点も、吸血鬼度の増した今の僕には苦にならず、バスの待ち時間なんかを踏まえれば、自転車の方が早く到着するぐらい。
理由は言うまでもなく、バス代が馬鹿にならないので、経費削減のため。なにぶん親のお小遣いでやり繰りしている、バイトもしていない困窮者なもので、無駄遣いは出来ない。
見滝原についた僕は、違法駐車になるのを承知の上で商店の軒先に自転車を停め、行動を開始した。
向かったのは、前回と同じく見滝原中学校の正門前。
そこで待ち伏せすること数10分。
目的の人物であるほむらを発見し、そのまま動向を探るため、尾行を開始したのだけど…………なぜか路地を曲がったところで見失ってしまった。
普通なら、そう易々と見失った人物を探り当てるなんて芸当を出来る筈がない。だが、ここで困り果てた僕を見るに見かねたのか、忍が救いの手を差し伸べてくれたのだ。
そこで彼女のとった対応策が、前述した――“血の匂い”を辿るというもの。
魔法少女であるほむらの血の構造は、かなり特異なものであるらしく、容易にその臭いを辿ることができるらしい。
故に忍探知機を駆使して、ほむらを再発見することは容易だった…………ただ僕の尾行はバレバレだったようで、路地裏の奥深くに入ったほむらをつけていくと、お冠のほむらが待ち構えていたって訳だ。
撒いても撒いても付いてくる僕の尾行に、嫌気がさしたのだろう。
かくして、現在に至る――――
「そう、吸血鬼だ!」
僕はほむらの言葉に応じるかたちで力強く宣言する。
「そして今の僕なら――」
反動を付け、その場でジャンプ。
軽く地を蹴っただけで、冗談のような高さまで跳躍した僕は――空中で壁を蹴り、前方にヨーヨーのように回転しながら着地した。
一瞬にしてほむらの頭上を飛び越え、背後をとった形だ。
身体能力の向上具合は、春休みに遠く及ばないまでも、人間の力は遥かに凌駕している。
少々忍に血を飲ませすぎたきらいはあるが、力を認めて貰うという名目だしこの際、目を瞑ろう。
「――この程度、造作もないことなんだぜ! どうだ、ほむら! これでもまだ僕の事を足手纏いだと言えるのか!?」
借り物の力で得意気になるのはどうかと思うが、此処は大目に見て頂きたい。
ただ……僕のこのパフォーマンスは、彼女の琴線に触れるモノではなかったようで、
「下らない。少し身軽になったところで――」
僕に背を向けたまま、振り向きもせず口を開く。
その言葉の途中で、彼女の身体が光に包まれ、瞬時に魔法少女の姿へ――そこまでは確かに目視した…………筈なのだけど。
いつの間にやら僕の背後に陣取ったほむらは――意趣返しとでも言わんばかりに、僕の背に拳銃を突き付けながら宣告する。
「――私にとっては、足手纏い同然ね」
なんとも手厳しいお言葉だ。
一度下された評価は、そう易々と覆らないってことか…………さて、ほむらを説得するにはどうしたものか? 今の僕のセールスポイントと言えば、身体能力の向上なんてものではなく、やはり吸血鬼の不死性だろう。
それを証明するには…………拳銃で僕のことを撃って貰えれば、手っ取り早く実証できるかもしれないが、あまりにも恐ろしいM過ぎる考えだ。
他に何か、ほむらに認めて貰えるような、いい案はないだろうか?
なんて、そんな事を思案していると――不意にほむらが、焦燥に駆られた声で呟きを漏らす。
普通なら聞き取れない蚊の鳴くような小さな声ではあったが、吸血鬼モードの聴覚は、はっきりとその声を捉えていた。
『この魔力の波動は…………まさか!?』
その言葉と同時に――背後からほむらの気配が消失した。
~020~
「忍、頼めるか?」
僕はすかさず、自分の影に語りかける。
正確には、影に身を潜めた忍に対してだけど。
『ドラえもんのように安易に頼られるのは、癪じゃが……他でもないあるじ様の頼み、無下にもできまい――』
詳細に説明せずとも、僕の言わんとする事を汲み取ってくれたようで、
「――ふむ、此処から凡そ北北西、距離は然程離れてはおらんようじゃの」
上半身を影から出して、ほむらが居るであろう方向を指さしながら教えてくれた。
気取って方角を口にしているが、出鱈目である可能性が高い。まぁ方向自体はあっているのだろうけど。
だんだんと解ってきたことではあるが、ほむらの能力は『ステルス迷彩』的な能力ではなく、瞬時に僕の背後を取ったことも併せて考えてみると『瞬間移動』のような力なのだろう。
一瞬にして、離れた場所に移動していることが、それを裏付ける。
“消えた”のではなく“移動した”。
便利な能力もあるものだ――なんて感心している暇はない。
直ぐに追跡を開始。
僕は、吸血鬼となって増強された脚力を惜しげもなく使って、最短ルートで疾駆する。
建物が立ち塞がっていようが、お構いなしに飛び越え、屋上や屋根を伝い一直線――そして、血の匂いを頼りにたどり着いたのは、とても大きな病院だった。
何階建てだよ、おい……軽く見上げた程度じゃ頂上が見えやしない。都市開発が進んでいる見滝原の中でも一際大きな建造物だ。
その病院に隣接された自転車置き場でほむらの姿を発見した。
いや、ほむらともう一人、見滝原中学の制服を着た女の子の姿がある――――あれは確か……そう鹿目まどかって子だ。
ちなみに今僕は、自転車置き場のトタン屋根の上に陣取っている。
何やら神妙な様子で話しているようなので、割り込むことはせず、その場で訊き耳を立てて二人の会話を傾聴する。
さっきまでいた繁華街の路地裏から、然程離れていないこともあり、タイムラグは微々たるもの――彼女達も今し方言葉を交わし始めた所のようだ。
「またあなたは…………何度忠告すれば理解してくれるのかしら?」
「…………ごめんなさい」
何やら厳しい口調で、鹿目さんを責め立てている。
果たして二人の関係はどういったものなのだろうか? 鹿目さんを過剰なまでに保護しようとしていることから、かなり親密な間柄、仲のいい友達だとばかり思っていたのに……なんかそういうのでもないような……?
「こんな危険だと解りきった場所でうろうろして、どういうつもり?」
「ほむらちゃん、違うの…………そこの壁に孵化しかかったグリーフシードがあって…………それをさやかちゃんと……あとキュゥべえと一緒に見つけて…………」
「ええ。まだ微かに魔力の痕跡が残っているようね」
「それでね……そのまま放置することも出来ないから……携帯でマミさんを呼ぼうとしたんだけど、此処からじゃ電波が繋がらなくて…………わたしが電波の繋がる場所を探して少し離れている間に、見張っていたさやかちゃんとキュゥべえが結界に飲み込まれちゃって……」
たどたどしくではあるが、精一杯状況を説明する鹿目さん。
「なら、結界の中に美樹さやかは取り込まれているというの?」
「あ、でも、マミさんにはちゃんと連絡がついて、さっきさやかちゃんを助けに結界に入っていったから……心配はないと…………思う」
「……そう。あなたは付いて行かなかったのね。賢明な判断だけど、今までのあなたの行動からしてみれば、少し意外ね」
「……うん、本当は付いていこうとしたんだけど……マミさんが、もう危ないから魔法少女体験ツアーはお終いだって…………『危ない事に巻き込んでごめんなさい』って謝られちゃって…………でも、わたし、マミさんと一緒にいるって約束したのに……いいのかな」
「鹿目まどか。あなたが気に病む必要はどこにもない。あなたのその優しさだけで、彼女は救われているのよ。あなたの想いは絶対に伝わっている…………そう、絶対に」
感情を伴わせないぞんざいな口調ながら――鹿目さんを労わる、慈しみを感じさせるほむらの言葉。 ただその声音が、憂いを帯びた物悲しい声に聴こえたのはどうしてなのだろう……。
「そう……なのかな……」
「ええ。だから自分を卑下しないで。自信を持ちなさい」
最初は、辛辣な態度にどうなることかと思っていたが、やはりほむらが鹿目さんに抱く根底の感情は、思い遣りで溢れているのだと解った。
きっと、ほむらの想いも、鹿目さんに伝わったはずだ。
その証拠に――
「ありがとう、ほむらちゃん」
ほむらの手を取り、目尻に涙を浮かべ微笑む鹿目さんの表情が、それを雄弁に物語っている。
春の日差しのような、心がじんわりと温かくなる笑顔を前に、心を氷で覆った少女が、素の表情を見せていた。春の日差しに当てられては、氷だって溶けてしまうだろう。
頬を微かに赤らめて照れるほむらが、年相応の少女のようで可愛らしい。この子、こんな愛嬌のある表情もできるんだな。
ただ残念なことに、すぐにいつもの厳しい顔つきに戻ってしまったけれど。
そんな心温まる情景を盗み見ている今の自分のあり方に、疑問を覚えないでもないが、スピードワゴンよろしく、クールに去ることはできない。
僕にも、後には引けない事情があるのだ。ただのお節介だと言われれば、それまでではあるが……。
どうやら、既に結界の中には、巴さんが潜入しているようだけど――あの冷静沈着を旨とするほむらが、焦って駆け付けた程の結界。
「念のため私も、向かうことにするわ」
案の上、巴さんに一任するということはなく、ほむらも結界の中に進入するようだ。
念のためと言っているが、僕の直感では、鹿目さんを心配させない為の方便のように感じた。
いや、十中八九そうだろう。
確か魔女を狩ると見返りがあって、それを求めて魔法少女同士で競争みたいなモノがあると、ほむらは語っていた。
だとしたら、巴さんより早く魔女を狩ろうとするか、此処は巴さんの縄張りとして、この場を任せて退散するってのが、ほむらの取りそうな選択じゃないだろうか?
だというのに、見返りもないであろう場所に、わざわざ足を運ぶというのだ。
それが意味することは…………あまり楽観的予測はできそうにない。
「ほむらちゃん、頑張ってね」
鹿目さんの声援を背に受け、ほむらが右手を掲げると、中指にはめられた指輪(訊いた話によると、ソウルジェムと呼ばれる宝石の、別形態らしい)が光り輝き、駐輪場が併設された病院の外壁に、淡い魔法陣のようなものが浮かび上がる。
『委員長の魔女』の結界に入る際、同様のものを見た。
これが魔女の結界への入り口だ。
止むを得まい。
まだほむらから承諾は得れていないが、この機に乗じるとしよう。
吸血鬼度増し増しの脚力を活かして、跳躍する。
何やらトタン屋根を蹴破ったような、不穏な音が聴こえたが、気にしない。
刹那にほむら達の傍に天空より降り立った(大げさ)僕は、すかさず言った。
「おい、ほむら。僕も同行させて貰うぜ」
「…………また」
ほむらが唾棄すべき人物を見る目で、僕を睨むと同時に、その場に居た、もう一人の少女が喚声あげる。
「わっ! ――あっ、この前の」
僕の唐突な登場に驚いた後、まじまじと僕の顔を覗き込む。どうやら僕の事を覚えていたらしい。
そう言えば、彼女――鹿目まどかさんの中での僕は、勘違いとはいえ、浮ついた軟派男になっていた筈だけど…………。
「一緒に結界の中に入るんですか?」
「嗚呼、ほむらを一人になんてできないからな」
鹿目さんの問いかけに、体よく答える僕。
うやむやの内に同行を既成事実としてでっち上げてみた。
と、なぜか僕とほむらを意味ありげに観察する鹿目さん。
そして、何やら妙な考えに行き着いたようで――
「うわぁ……彼女の窮地に颯爽と現れる王子様みたい。そっかぁ……そうだよね。ほむらちゃん、こんなにも綺麗だもんね!」
「何を言っているの?」
鹿目さんの不可思議な発言に、戸惑いを示すほむら。
「いいんだよ、ちゃんと解ってるから。呼び捨てにされる間柄なんて、羨ましいな」
「いえ、多分、何も解っちゃいないわ!」
「幾らわたしがそういう事に疎いからって、それぐらい解るよ。男の人と付き合ってたりもするよね。ほむらちゃんは知らないかもしれないけど、学校でも男の子達から噂の的なんだよ。モテモテなんだよ!」
「ち、違う! 何を勘違いしているの! まどか!!」
おぉ。ここまで狼狽えるほむらも珍しい。面白いほど取り乱している。カメラがあれば記念に一枚収めておきたいぐらい。
もしかしたら僕は、大変貴重な瞬間に立ち会っているのかもしれない。
「別に隠さなくたってもいいのに。でも、そうだよね、ほむらちゃんはあまりこういう事、
今までの気弱で大人しい雰囲気が嘘のように、饒舌で捲し立てる鹿目さん。
塞ぎこんでいたさっきまでの表情より、断然輝いている。
ううむ。ほむらの名誉の為にも、誤解を解いてあげたいのは山々だけど…………残念ながらその猶予はないようだ――
「おいほむら、折角開いた入り口が消えかかってるぞ」
僕は無理矢理ほむらの手をひいて、結界に侵入する。
うん、『僕は悪くない』。
「待って!! 待って!! まどかぁああああああああああああ!!」
暁美ほむらの悲鳴にも似た絶叫が、結界内に木霊した。