~025~
巴さんの様子を窺ってみると、口を半開きにした放心の
突然叫びながら急接近してきた男に、力いっぱい胸を触られたことが、ショックだったのかもしれない…………なんてことは断じてないと思いたい。
人間の腕が喰い千切られる光景ってのは、相当にショッキングな映像だったことだろう。
その当事者である僕が言うのも、おかしな話ではあるが。
ただ幸いな事に…………いや、この場合、不幸中の幸いだが、僕の右腕は徐々に再構築されていく。
ぶちまけた血液も間を置かず蒸発していった。
学ランとカッターシャツに関しては、流石にそのままだけど。右半分だけ不格好な、夏服仕様になってしまった……。
悪夢に
今回は『異常』に『以上』なまでの、吸血鬼として備わった不死力が、遺憾なく発揮されたかたちだ。
これでもまだ、完全に吸血鬼となった春休みの時と比べれば、治癒速度が遅いぐらいなのだから、『伝説の吸血鬼』のポテンシャルには驚かされるものがある。
そうは言っても、痛みは軽減されることなく感じるので、この激痛には発狂しそうだし、魔女の獣性剥き出しの、血気にはやる気性には背筋が凍る。
それでも尚、僕がこうして正気を保っていられるのは
今まで感じたことのない衝動が、僕の中で暴れ回っている。
心が熱い……。
おっぱいに触れるだけで、こんなに幸せな気持ちになれるなんて…………もう何も怖くない!!
いや、やっぱ怖いものは怖い。
こればっかりはどうしようもなかった。
さてと……どうしたものか……。
巴さんの容態が気掛かりではあるが、魔女が臨戦態勢で構えている以上、駆け寄って声を掛ける暇も、そんな余裕もなかった。
なんせ、
魔女の放つ禍々しい雰囲気に気圧され、怯みそうになる。
だけど、この場で立ち
だからと言って、『逃げる』という選択肢はありえない。今の巴さんはあまりにも無防備すぎた。
僕がしなくてはいけないのは――しっかりと“標的”になって、魔女を引き付けること。
付かず離れず、一定の距離をとり、常に左右に動いて、的を絞らせない。
蛇のような体形のクセに、地を這うのではなく、上空から狙いを定め、急降下しての強襲。
しかも、しなる胴体から繰り出される噛みつきは、鞭のような不規則な軌道で、避けるのにも相当な集中力を要し、厄介極まりなかった。
かろうじて身を躱し続けるが、少しでも油断すれば、噛み殺される。
いくら不死性を帯びているとはいえ、頭を丸ごといかれたら、アウトだろう。
いや、もしかしたらそれでも再生する可能性はなくはないが…………だからと言ってそんなの試すのは御免だ。
魔女を倒すことだけを考えるならば、ここは僕の影に身を
しかし、それは出来ない。
これは事前に忍が、強く言い含めていたことでもある。
――儂自ら率先して魔女を退治することはないということは、弁えておくがよい。
そう忍は言った。
あくまでもこれは人間側の問題。これが忍による線引きだ。
というか、
『さぁ、我があるじ様よ。これをどう乗り切るか見物じゃな。まぁこれぐらいの相手、お前様ならば、容易かろう』
悠々と高みの見物を決め込んでやがる。元々争い事を好む性格だし、なんか嬉々としていた。
つーか容易いって、そんな訳ないだろ! 避けるだけで手一杯だってのっ!
そう言えば、あの地獄の苦渋を味わった春休みの折にも、歴戦の吸血鬼ハンター達の下に、単身で送り込まれたことがあったっけか…………。
僕の――自身の眷属の力を、過大評価し過ぎなきらいがある奴なのだ。
どんな途轍もない力を得ようとも、それのベースとなっているのが、平凡な落ちこぼれとしか言いようがない僕であるのだから、其処らへんをしっかり加味して判断して貰わなければ困る。
でも、そうだよな。
これぐらいで尻込みしているようじゃ、
ほむらに散々言い含められていたことだ。
ここを乗り切る事こそが、僕に課せられた試練といっていい。
「望むところだ!!」
自分自身を鼓舞するように、敢えて口に出して気合を入れる。
なんて熱く勇み立ってはみたものの、現状魔女に近寄ることすら叶わない。
一応魔女と戦う事を想定しての『切り札』を用意してはあるのだ――ほむらと『委員長の魔女』の戦いを目の当たりにして、無策で魔女と相対しようなんて思い上がった考えは捨てている。
切り札を切る為にも、魔女との間合いを詰めなければ話にならないが、あの強襲を掻い潜るのは至難の業。
だからと言って捨て身覚悟で飛び込むのは、あまりにもリスクが高い。
魔女の攻撃を凌ぎながら、反撃の隙を窺うも一向にそんなもの訪れやしない。
くそ…………どうにかして、此方からも打って出なければじり貧と言える。
と、その時だった。
「あなたの相手は私よっ!!」
虚脱状態から立ち直った巴さんが、大声を張り上げ魔女の注意を引きつける。
僕を庇うように――凛々しくも
だけど僅かながらに声が震え、上擦っているのが解る。
そりゃそうだ。僕だって怖くて怖くて仕方がないのに……ましてや、彼女は中学三年生の女の子。
魔法少女としての使命を懸命に果たそうと、自分の心を“偽装”して、気丈に振る舞っているだけなんだ。
それでも彼女は魔女に立ち向かう。僕を、美樹さんを守るために、自分自身を犠牲にして――
「レガーレ・ヴァスタアリアっ!!」
戦線に復帰した巴さんは、言うが早いか魔法を発動した。
幾重ものリボンの帯が、これでもかというぐらい魔女に巻き付き、瞬く間に簀巻き状態へ――そして、尚も圧搾するように締め上げていく。
不快そうに身を捩って抵抗するが、リボンは完全に魔女を搦め捕っていた。
巴さんの手柄を横取りするようで申し訳ないが、これならすんなりと魔女の間合いに入れ…………いや、駄目だ。
嘘だろ、おい…………魔女の大きな口から、脱皮するかの如く、同じ姿の魔女が這い出てきやがった!
第一形態から第二形態へ移行する為の、変身的な能力じゃなかったのか…………!
――今回に限っては相性が悪い。
意固地なまでに、巴さんを魔女との戦いから遠ざけようとしていたほむらの意図が、本当の意味でよく解った。
実力を認めた上で、それでも巴さんの使用する魔法の特性が、この魔女に対して有効ではないと判断してのことだったのだ。
戦闘に於いて主体と思われる、巴さんの拘束魔法は、この魔女に対して全く効果を示していない。
これでは、折角の捕縛も意味をなさない。
巴さんは苦虫を噛み潰したように顔を顰めると、魔女の拘束を解く。
抜け殻となった魔女を拘束しても意味はない。魔力の無駄遣いになるだけだ。
すぐさま、マスケット銃を呼び出し応戦するが、奴は、巴さんの決め手と言える、大砲の一撃を受けても生き延びているのだ。生半可な攻撃が通用するとは思い難い。
巴さんもそれを痛感しているのだろう。その表情から焦りが見て取れる。
巴さんの攻撃では決定打に欠ける。
でも僕が有する『切り札』をお見舞いすることが出来れば、十分に勝機は見出せるはずなんだ。ただそれにはやはり、奴の警戒網を潜り抜けなければいけない。
銃撃を浴びて巴さんに意識が傾いている今ならと――
隙を窺って、軽く近寄ってみたが……ぎょろりと目玉が動き、僕を捕捉する。駄目だ……ある一定の間合いに入ると感付かれる。
知性は感じられないが、野生の獣並みに、外敵を察知する能力に秀でている。
真上から俯瞰するような見下ろす態勢の為、視界の幅が広く、気付かれずに近付くのは困難だった。
どうにか奴の注意を逸らせれば…………。
――あ、そうだ!
ふとした思い付きだが、試してみる価値はあるかもしれない。
後方に跳躍を決め、美樹さんが身を隠している所まで退避する。巴さんには悪いが、今しばらく一人で耐えて貰う。
魔女は銃撃を受け応戦状態なので、此方が襲われる心配はないだろう。
身体を縮こませ震え上がっている美樹さんだったが、やにわに接近してきた僕に対し、当惑した眼差しを向け――距離を離すように
彼女からすれば、僕は見知らぬ男で、腕が喰われたにも関わらず再生するような得体の知れない人物なのだから、警戒するのも尤もである。
何か言いたそうな感じではあるが、口を微かに開閉させるだけで、上手く言葉が紡げないでいるようだ。
「おい、キュゥべえ! ちょっと来てくれないか!?」
ただ用があるのは、美樹さんの傍で戦闘を眺めるキュゥべえにだった。
「どうしたんだい?」
「早く、こっちに!」
呑気に小首を傾げているキュゥべえの問い掛けを無視して、有無を言わさず強要する。
だけど、キュゥべえにとって僕は、ほぼ交流のない相手なのだから、素直に従うようなことはなかった。えーい! 焦れったい!
「巴さんからの伝言だ!」
然らば――適当な理由をでっち上げ、手招きしながら呼び寄せる。時間が惜しい。
「マミから伝言って一体なんなんだい――」
巨大ドーナツの上に陣取っていたキュゥべえが、やってきた。
僕の言葉を鵜呑みにして尋ねてくるが、そんなのはまたもや無視――尻尾を乱暴に引っ掴み、作戦を開始すべく、魔女との間合いを一気に詰めに掛かる。
掻っ攫われたキュゥべえの身を案じてか、美樹さんが何やら叫んでいるが、リアクションを返す余裕はない。
テリトリー内に侵入したのだろう。巴さんに襲い掛かるのを切り上げ、威嚇するように目を剥く魔女。
あと一歩でも近寄れば、こっちに飛び付いてきそうな危険な間合い。
獰猛な炯眼に威圧され、射竦められそうになる。
蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なのだろうか………………だけど、尻込みしている場合ではない。
はぁ、ほんと。生きた心地がしないぜ……ったく。
そして僕は、手に持ったキュゥべえを、旋回させる。
正確に僕がやっていることが伝わっているだろうか?
もう少し詳細に説明しておくと、僕はキュゥべえの尻尾を掴んで――それをライブとかスポーツ観戦の時なんかにタオルを振り回して応援している感じで、回転させているのだ。
遠心力によって長く垂れ下がった耳(と思わしき器官)が伸びきり、ぶんぶんと風を切る音が聴こえてくる。
キュゥべえが僕を非難する言葉を投げかけてくるが、馬耳東風を貫く。
あとは――――
「巴さんっ!! 僕に任せてくれ!! あと、ほむらの拘束を解いてやってくれないか!?」
魔女の動きを警戒しながらも、巴さんに向け、一方的にお願いする。
言ってはみたものの、考えてみれば――巴さん、ほむらに対し不快感を示しているからな……それに、ちゃんと彼女と言葉を交わしたこともない、信用もへったくれもない僕の申し出を訊いてくれるとは限らない。それでも、ほむらが居れば最悪の事態は免れる……はずだ。
取れる対策は取っておかないと。予防線を張るに越したことはないし。
巴さんが、僕の言葉を受け、どう判断するかは解らないが…………って、僕の大声が気に障ったのか、魔女がにじり寄るように距離を詰め、今にも飛び掛かってきそうな気配を醸し出していた!
もう猶予はない。作戦決行だ!
いい感じに勢いに乗ったキュゥべえを――あれだ、鎖鎌に付いた分銅を投げる要領で、そのまま頭上高く放り投げた。
空高く舞い上がるキュゥべえ。
急角度の放物線を描いて落下するその先には、魔女が待ち構えていた。
魔女は、飛来してくる物体を視線で追いかけ、それが生き物(生もの)であることを把握すると――――
フリスピーを追う犬さながらに空中で見事キャッチ、キュゥべえの頭が魔女の口に収まった!
まぁキャッチとは言っても、当然『咥えている』訳ではないから……強靭な上顎と下顎が噛み合わさったことにより、口の中に入っていたキュゥべえの頭部は飲み込まれ――噛み切られたことにより、頭のない身体が、ぽとりと落下していく。
キュゥべえ……ありがとう。
お前の尊い犠牲を無駄にはしない!!
魔女はキュゥべえに食い付いたが故に、身体を天に向かって伸ばしている。パン食い競争で吊るされたパンを食べようと、全身を伸ばすようなもんだ。
そのお陰で、伸びきった胴部分が、がら空きとなっている。
隙がなければ、つくればいい。それが戦いに於いての常套手段と言えよう!
草薙京に言わせれば「ボディがお留守だぜ!」状態だ。
この機を逃す手はない! 意を決し突貫する!
とは言え何も、徒手空拳で拳を叩きこもうなんて腹積りはない。
春休みの頃ならば、素手とは言えど十二分に武器とたり得るが、この中途半端に吸血鬼化した僕の力では、巴さんの大砲の一撃を越える威力など、望むべくもないだろう。
だけど――――僕の有する『切り札』ならば話が違う。
一足飛びで魔女との距離を詰めると、“僕の影から突き出した”一振りの刀を抜き放つ。
全長2メートルになろうかという大振りの日本刀――大太刀である。
妖刀『
全盛期――鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、怪異の王と称されていた頃の忍野忍の通り名でもあるが、元々『怪異殺し』とはこの刀の
その俗称通り、『怪異』に対して、絶大な効果を及ぼす。
文字通り、『怪異』を『殺す』ために存在する刀。
怪異を殺し尽くす凶刃。類稀なる妖刀。
怪異を屠る最強の武器と言っていいだろう。
少し傷をつければ、それがもう致命傷となる、言うなればそう、『チンケスレイヤー』のような効果を秘めているのだ!
あれ、おかしいな。武器の特性をうまく言い表しているはずなのに、全然強そうに思えない。
というか『チンケスレイヤー』ってどれぐらいの人に伝わる知名度なのか。
兎にも角にも――
忍野曰く、『魔女』も『怪異』と言ってしまって問題ないらしい。
性質はまるで違うとか言っていたが、相応の効果は期待できる。
確証はないけど、分が悪い賭けではない筈だ。
どんなに強力な魔女だろうと、それが『怪異』であれば、一太刀で殺してみせる!
今更ながら僕の存在に気付き、急降下してくる魔女ではあるが――もう、手遅れだ。
僕は忍から借り受けた刀を、抜き放った勢いそのままに振り上げ――魔女の伸び切った胴体目掛け、叩き付けるように振り下ろす!
生憎、剣術は言うに及ばず、剣道の心得も有りはしない。
それに加え『心渡』の長すぎる刀身を持て余し、傍から見れば、不格好でぎごちない動きだったことだろう。
だけど。それでも。
『心渡』の刀身は、確実に魔女を斬り裂いた。
豆腐を切るように何の抵抗もなく、魔女の肉体に深々と沈み込んでいく。
『障り猫』に対し僕は、不完全な生殺しをしてしまったが、今回は違う。
幾ら僕の腕が
これ程の刀傷を負えば…………。
幕引きとしてはあっけなく、大口の『魔女』は――――この世から切り離されたのだった。