~036~
ところ変わって、病院程近くの喫茶店。
日が暮れてきたこともあり、店内には、まばらにしか人がいない。
それぞれ、飲み物だけを注文して、周りに人がいない隅っこの席を確保――僕とほむらが隣り合って座り、対面に戦場ヶ原という配置で腰を下ろす。
現在この場に居合わせているのは、僕、戦場ヶ原、ほむらの三人のみ。
全員が揃った状態で話すと、折角、段階を置いて説明した――というより、美樹とまどかちゃんに内密にしておきたい話までもが筒抜けになるので、場所を移したかたちだ。
まだ精神的に疲弊している巴さんを連れ回す訳にもいかないので、巴さんともその場で別れ――気力が回復次第、帰宅するように言っておいた(念のため、美樹とまどかちゃんに家まで付き添うように頼んである)。
キュゥべえは、美樹が気を利かせて、引き取ってくれている。
さて、談合の場を設けることはできたけど…………え、何、この針のむしろは!? 僕の精神値がガリガリ削られていくんですけど。
牽制し合うように睨みあう、戦場ヶ原とほむら。
共に、黒髪長髪の整った顔立ち。
似通ったオーラを放つ、一見、姉妹のように見える彼女達ではあるが、残念ながらシンパシーを感じて、意気投合って訳にはいかないようだ。
二人の間で、目に見えない火花が散っている。
これ以上ない、殺伐とした雰囲気が出来上がっていた。
移動中に自己紹介(らしきもの)はして貰ったけど、まだ会話らしい会話はしていない。
「明るくしろとまでは言わないが……少しぐらいは敵愾心を隠せよお前等…………特に戦場ヶ原。お前は一応、人にモノを訊く立場なんだから、それ相応の態度ってもんがあるだろ」
この状況に耐えきれず――両者に向けてではあるが、比重としては、戦場ヶ原よりに、僕は呆れ気味に窘める。
「別に…………わざわざ、この子にご足労頂く必要はなかったのだけど。説明であれば、阿良々木くんから訊ければ、それで事足りるのだし」
僕の言葉を受けて、戦場ヶ原。
丁寧な言い回しが、かえって嫌味っぽい。
「おいおい……説明してくれるのは、ほむらだってのに」
「阿良々木暦。勝手な事を言わないで。私は、あなたが余計なことを喋らないか、ただ監視しているだけよ」
「え? そうなの? …………僕個人の見解じゃどこまで話していいか判別がつきにくいし、魔法少女や魔女に対しての知識もあやふやだから、出来ればほむらに一任したいんだけど…………」
「これはあなたが一存で決めた事。それに私が口出しするのも違うでしょ――ましてや、あなたの代わりを務めるなんて、御免よ」
辛辣な口調でほむらは言う。
目に見えて不機嫌そうである。
まぁほむらはそもそも、魔法少女のあれこれを説明することに、難色を示していたからな。この状況は、本意ではないのだ。
反対する彼女を、僕が無理矢理説き伏せたのだから、非協力的なのも致し方ない。
つーか、説得の仕方を間違ったかもしれないな…………戦場ヶ原の危険性を提起したのは、間違いだとは思わないが、まどかちゃんにまで被害が及びかねない事を示唆したのは余計だったか。
ある意味、脅しともとられる言い方だった。
まどかちゃんを過剰なまでに守ろうとするほむらが、戦場ヶ原を敵視し、警戒するのは至極尤もなことかもしれない。
「ええっと……なら、僕の方で、話しちゃっても構わないんだな」
「ええ、巴マミに話した程度のことなら」
それは、つまり……巴さんに対して伏せた内容――――ほむらの固有の魔法『時間停止』能力と、妖刀『心渡』に関しては、口外するなってことか。
「その前に――キュゥべえとの関係を先に話して貰えますか? 誰とも知れない相手に、情報を分け与える程、私はお人好しじゃありませんから」
ほむらは、戦場ヶ原を見据えながら、険のある声で言った。
「あらあら、中学生のお嬢さんが、随分と不躾な物言いね」
今までは、僕を経由したやり取りであったが、ここにきて初めて直接言葉を交わす二人。
やだよー、何かこの二人怖いよー。
「相手が何者であっても、素性が知れない以上、無条件で下手に出るようなことはしない主義なもので――気に障ったのであれば、謝りますが」
一応敬語らしき体裁を保っているが、ほむらの言葉は、どこか挑発的だ。
って、あれ? 僕に対しては一度たりとも敬語なんか使った事ないぞ? ……ほむらの中で、どういった線引きが行われたのやら。別にいいけど。
「いいえ、結構よ。上辺を取り繕って、腹の底で何を考えているか解らない相手よりも、よっぽど好感がもてるわ」
それに応じる戦場ヶ原は、一見落ち着き払った、大人の余裕を感じさせる態度だけど、こいつこそ、腹の底でいったい何を考えているのか解ったものじゃない。
ただ断言できるのは、戦場ヶ原が、言葉通り『好感』を抱いているようにはとても見えないってことだ。
「特にこれといって暁美さんに語って訊かせるような素性も、経歴も持ち合わせていないのだけれど――私ってほら、少しばかり病弱な、善良ないち高校生な訳だし」
……どの口が言うのだ。話の腰を折るのもあれなので、いちいち突っ込まないが。
「でもそうね、関係性というか、簡単な経緯ならこんな感じ。あの獣、キュゥべえに契約を持ちかけられたのは、先日の月曜日。私に魔法少女の素質があるだとか、何でも願いを叶えるだとか、胡散臭いこと甚だしい、妄言を垂れ流していたわね」
「そう、あなたが阿良々木暦の話していた……」
そういや、ほむらと初めて邂逅した時に、戦場ヶ原の事を話したっけか…………いや、話したというか――あの場合、銃で脅されて口を割ったと言った方が正鵠を射ているだろうか。
「まぁ当然、断ってやったけど――――ふふ、こんな“見え透いた裏のある契約”に乗るようなお馬鹿さんは、そうそういないと思うけど。ねぇ、暁美さん?」
こいつ…………どんだけ性格悪いんだよ……。
まだほむらが『魔法少女』であるとは明言はしてはいないけど、この話の流れで、読み取れないほど、おつむの弱い奴じゃないだろうに! 絶対にわざとだ!
つーか、戦場ヶ原自身、詐欺師に騙された経歴の持ち主の筈なのに、よくもまぁいけしゃあしゃあと。
しかし戦場ヶ原の言葉で、気付かされたが、この人一倍警戒心の強いほむらが、どうしてキュゥべえの契約に乗ってしまったのだろうか?
よほど叶えたい願いがあったってことなんだろうが…………以前訊いてみた時は教えてくれなかったからな。
「あなたは正しいわ。私を含め、キュゥべえと契約を結んだ少女達は、総じて愚か者よ。理由はどうあれ、あんな奴の口車に乗ってしまったのだから…………でも、戦場ヶ原さん――私は…………私の願いを完遂する為になら、同じ過ちを何度でも繰り返すでしょうね。それが悪魔との契約だったとしても、私はそれを厭わない」
戦場ヶ原の挑発に、ほむらは、鬼気迫る表情で抗弁した。
ただ、その確固たる決意を感じさせる言葉の意味を、僕は正確に推し量ることができなかった。
何でも願いを叶えられる契約の筈なのに、ほむらの弁では、それはまだ達成していないかのような物言いではないか。
俄然ほむらの願いがなんだったのか、気になってきたけど、これはほむらにとって、繊細な問題の筈なのだから、おいそれと触れていいモノでもない。
踏み込んではいけない領域の話だ。
となれば、この話はさっさと打ち切り、本題に入ってしまおう。
これ以上この二人に言葉を交わさせると、なんだか危なそうだし……。
ということで。
ほむらからの要請を訊きいれ、『時間停止』の能力、『心渡』の存在やらについては伏せることにして――口止めされている箇所には感付かれないように細心の注意を払い、それ以外の情報を簡潔にではあるが、僕が知っている範囲で説明し、それにほむらが一言二言補足を加えるというような運びで話は進む。
戦場ヶ原も途中で余計な口を挟んだりはしてこず、質問は最低限に留め――場の空気は兎も角、進行自体は思いの外スムーズで、意外にすんなりと説明を終える事ができたのだった。
~037~
基本無口なほむらと、この数年間、対人関係を遮断してきた戦場ヶ原との間で、話が弾むことなどあろう筈もなく――ほむらは説明が済むと、早々に帰っていった。
今後の予定が、何も決まっていないのは気掛かりだけど、まぁ連絡先を手に入れているのだから、メールなり電話で確認すればいいだろう。
さてさて。
成り行きというか、話の流れで、戦場ヶ原を家まで送っていくことになった。
ただ、行きの交通手段がそれぞれ違ったので(僕が自転車で戦場ヶ原はバス)、どちらかに統一する必要があったのだが、僕の大切なマウンテンバイクを長時間違法駐車して、撤去されたら敵わないので、此処は僕に合わせて貰う。
それに――バスが到着するまでの待ち時間に乗車時間、下車した最寄りのバス停から戦場ヶ原宅までの距離(徒歩20分はかかるらしい)を鑑みれば――僕の自転車に同乗した方が、金銭的にも時間的にも効率的だ。
「精神的には苦痛だけど、我慢するわ」
などと、感謝の念が微塵も感じられない、失礼な事を
僕も一人の紳士として、女子をエスコートするぐらいの甲斐性は持ち合わせている。
暗がりの道を、自転車で突き進む。
アップダウンの激しい道が続くが、半吸血鬼化した僕にとって、こんな傾斜どうってことはない。後ろに人一人乗せようとも、足取りは軽やかなもの。
というか、“普通”にペダルを漕ぐと、勢い余ってチェーンが外れかねないので、そっと漕がなくちゃいけないぐらいだ。
「この体勢って首を絞めやすそうよね」
後ろに乗った戦場ヶ原が、不穏な呟きを漏らす。
「ごく自然な雑談の
マウンテンバイクの後輪に装着した、名称不明の棒の上に足を乗せた彼女は、直立状態で、バランスを崩さないよう僕の肩に手を置いているのだが、そんな物騒な発言をされると、僕としては気が気でない。
背後から絞殺される光景が、すんなりと想像できてしまうのはどうしてだろう。
「ねぇ阿良々木くん」
「なんだよ?」
「あの子達……魔法少女の争いに首を突っ込んで、阿良々木くんは何を得るの?」
僕等の住む町へ突入しようかというタイミングに――話題の一つとして、戦場ヶ原がそんなことを訊いてきた。
「何を得るって……別に何も得はしないけど」
「相当危険な目にあったんでしょ? 一歩間違えば、命を落とすことになっていた…………見返りもなく命を懸けるなんて、正気の沙汰じゃないわね――いいえ、たとえ見返りがあっても、ね」
僕の事を馬鹿にするような、ともすれば叱責するような、そんなどっちつかずの声音で戦場ヶ原は言う。或いは、怒っているのだろうか?
「………………」
彼女の心情が読み切れず、返答を窮する僕に対し、戦場ヶ原は続けて言葉を紡ぐ。
「阿良々木くんは、私の事を
「正義の味方って…………僕は毛の先ほども、そんなもんを標榜するつもりはないよ」
僕の妹達、ファイヤーシスターズじゃあるまいし。
「だったら無理に深入りする必要なんてないんじゃないの? 元々は邪魔者だと、唾棄すべき汚物のようだと、
「邪魔者は兎も角、何もそこまで強く嫌悪感を露わにされてねーよ!! まぁあれだ……結果的には役に立つって認めて貰えたわけだし……少なからず、有益な力を行使することができるんだ。それに何より、見て見ぬふりはできないだろ。助けられるモノを見過ごして、後悔はしたくないじゃないか」
そう、だからこれは、僕の自己満足なのだ。
「はぁ……やっぱり」
戦場ヶ原はこれ見よがしに――殊更大げさなため息をつく。
「薄々はそうなんじゃないかと思っていたけれど、阿良々木くんって、そうなのね。あなたはそういう人なのね。得心がいったわ。これではっきりとした。いえ、幻想が掻き消えたとでもいうのかしらね」
「なんだよ、やっぱりとか得心がいったとか……、今の僕の言葉で、何を納得することができたってんだよ」
ただでさえ何を考えているか解らない女なのに、今回はその極め付けだ。
「阿良々木くんが、相手の都合を押し退けてお節介を焼く、傍迷惑な人物だと再認識できたって話よ」
「……左様で。はは、随分と失礼な評価をされたもんだ」
「勘違いされては困るわね。私にしては珍しく、阿良々木くんのことを褒めてあげたつもりなのに――阿良々木くんはね……誰にでも等価値に優しいのよ。ええ、それはもう、残酷なくらいに」
「勘違いも何も、意味わかんねーよ……お前は何を言っているんだ?」
『傍迷惑な人物』と称しておいて、褒めたとはこれ如何に?
戦場ヶ原の言わんとする意味が、いよいよもって要領を得ない。
「私って口下手だから、あまり素直な気持ちを伝える事が出来ないのだけど――」
そこで、唐突に戦場ヶ原が身を寄せてきた。
自転車で二人乗りしている状態の為、背後から背中に伸し掛かるというか、しな垂れ掛かるというか、そんな感じで。
当然しっかりと、背筋に柔らかな感触が触れている。
え? なにこの状況?
右肩に戦場ヶ原の小顔が乗っかってくる。すると、微かに甘い香りが! うわ! めちゃくちゃいい匂いだ!
そして、その甘い香りに負けない、甘美な声音でもって彼女は囁くのだった。
「――これでも私、阿良々木くんに感謝しているのよ」
戦場ヶ原の唇が、僕の耳元を掠めるかのような、そんな至近距離からの耳打ち。
反射的に僕は身体を捻って距離を離す。これは純粋な気恥ずかしさによる逃避だ。
とは言っても、ほんの一瞬、密着状態から脱却しただけで、二人乗りの最中では大した効果はない。
如何様にしても、背後を取られてたままなのだから。
「せ、戦場ヶ原……戦場ヶ原、さん?」
不意な急接近に、あたふたと、狼狽する僕である。
「だから、細やかながらお礼でもと思っているのだけど、阿良々木くんは何がご所望かしら?」
元の平素な声色に戻って、戦場ヶ原は言う。
ってなんか、話の流れが一足飛びに流転しているようで、僕の中で状況の整理が全く追い付けていない。
感謝? お礼?
「……それは……何の話だ……?」
「この間のことよ」
「あ、もしかして忍野を紹介したことに対してか? だとしたら、それは忍野本人に言ってやれよ。僕はただ仲介しただけなんだからさ」
「嫌よ。私、あの人のこと嫌いだもの」
嫌とか嫌いとか、えらく直截的な物言いだな。そんな感情論で片付けていい問題でもないだろうに。
「それはそれ、これはこれ、よ。どうあれ、阿良々木くんが“お節介を焼いてくれた”ことで、私の抱えていた――もう半ば諦めていた、問題が解決した。あれほど手痛い仕打ちを受けて、凝りもせず私に手を差し伸べてくれた。それが私にとって、どれほどの救いだったか。私が特別ではなかったけれど……寧ろそっちの方が単純でいいわ。そして、私は『借り』をそのままにしておくような、厚顔無恥な女ではないのよ。しっかりと、受けた恩は清算しとかないと、気持ちが悪い」
所々言葉のチョイスに疑問を感じずにはいられないが…………段々と戦場ヶ原の言わんとすることが分かってきた。
ついさっき、褒め言葉として、僕を『傍迷惑な人物』と称したのは、そういうことか。
『
「でも、それこそ、それはそれ、これはこれだって。別に僕はお前に恩を売る為に声をかけたんじゃないんだからさ。戦場ヶ原が感謝してくれていることは、気持ちとして受け取っておくけれど、貸し借りで語るような話でもないだろ。ほら、僕達って友達だし、言うだろ『友情は見返りを求めない』とかなんとか。そういったいい意味での、遠慮のない間柄になれたらいいなって、僕は思って――」
「うだうだ言ってないで、さっさと私にして欲しい事を言えと言っているのよ!」
「強制された!?」
結構、自分ではいい事言っている風に喋っていたのに、台無しじゃねーか!
「戦場ヶ原。それは、感謝を示そうとしてる奴の物言いじゃねーだろ」
「そうね。それについては謝罪しないでもないわ」
「いや、まぁいいんだけどさ、僕に対し恩義を感じる必要性は全くないんだしな」
「謙虚さが日本人の美徳だなんて思ったら大間違いよ」
「………………」
この女、めんどくせぇ……。
「いいじゃない。取り敢えず、何か言ってみなさいよ。私が苦渋に耐え忍び、阿良々木くん如きの命令を訊いてあげようって言っているのだから。こんな
重ね重ね、めんどくせぇ!
つーか、今に始まったことじゃないけど、基本、上から目線だよなこいつ。
「そんな殊勝な心構えで感謝してくれるなんて、ほんと有り難い話だな」
突っ込みを放棄し――僕は投げやりな調子で、皮肉交じりに話を合わせる。
「で、お前は僕のお願いを訊いてくれるってことか?」
「ええ。何でも言ってごらんなさい。私に不可能はないわ」
「また大風呂敷を広げたもんだな。幾らなんでも大言壮語が過ぎるだろ」
「は? 私の力を見縊らないで頂戴。どんな事でもお茶の子さいさいよ」
「何でそんなに自信満々なんだよ…………」
嘘を吐いて引くに引けなくなり、意地を張って更に嘘を重ねる小学生みたいなこと言って……こんなことでむきになるなよ。
「なんだか、失礼なことを考えている気がするわね」
鋭い奴だ。
「どうも阿良々木くんは、私の言っている事を虚言だと思っているようだけど」
「誰がどう考えても虚言だろうが!」
「それはどうかしら? 阿良々木くんの叶えたい願いを、私がキュゥべえに伝えれば、それは間接的に阿良々木くんの願いが叶ったことになる――言ってしまえば、私には何でも叶える力があると言っても過言ではないのよ」
「過言だよ!! そう言うのを『人の褌で相撲を取る』っていうんだ! ったく……それに第一、僕の願いを叶える代償に、お前が魔法少女になる運命を受け入れるなんて、どう考えてもありえないだろ?」
「それもそうね。ならここは、『私に出来る事なら何でも』という条件にしておきましょうか」
ここであっさり主張を取り下げることができるのは、何気に凄いよな。一貫性のない緩急自在な言動には、翻弄されるばかりだ。
いやでも……思わず否定してしまったが、よくよくちゃんと考えてみれば、あながち戦場ヶ原の言っていることは妄言でもないのかもしれないな。
戦場ヶ原が望めば、どんな願いでも叶えられるというのは、紛れもない事実なのだから。
「しっかし、急に何でも言うことを訊いてくれるって言われてもな、そんなパッとは思い浮かばないぜ…………」
「優柔不断ね――そもそも男なら、こういったシチュエーションに、狂喜乱舞して然るべきじゃないの」
僕の反応に、不満を露わにする戦場ヶ原だった。
そうは言うが…………全身で喜びを表現しようものなら、「浅ましい」とか「見苦しい」とか文句を言ってくる構図が目に見ているし――何か裏がありそうで怖いんだよ。
「まぁ、そうなんだろうけど……ならお前はどうなんだよ。逆に、もし僕がお前のいうことを何でも訊いてやるっつったら、どんなことを頼むんだ? 参考意見として教えてくれよ?」
「生涯奴隷として私に絶対服従するよう命じるわ」
間髪を入れず、極悪非道な返答をしてくれた。
「お前な……」
「何よ。ただの冗談じゃない」
「戦場ヶ原、僕が訊いたのは参考意見なんだぞ……もし僕が、そっくりそのままお前にそれを適応したらどうするつもりだ」
「え、なに? 阿良々木くん。私のことを、一生メイドとして雇いたいの?」
「………………」
『奴隷』が『メイド』に変換されていた。しかも、多分雇うにあたって賃金が発生している。
なんて自分に都合のいい思考回路をしているんだ、こいつは。
「別に何だって構わないのよ。どんな辱めを受けようとも、それに耐える覚悟はしているから」
「お前は僕をどういう目で見ているんだ!? 何で如何わしいお願いをするのが前提なんだよ!」
「あら、しないの?」
「しねぇよ!」
「胸ぐらいなら直で揉ませてあげたのに」
「え? そんなのもありなの?」
具体性を帯びた参考意見に、ぐらりと心が揺らぐ、単純な僕だった。
「いやいやいや。違う違う。今のは無しだ―――じゃあ、あれだ。お前の家に着くまで、肩でも揉んでくれよ。それでチャラにしとこうぜ」
別段、肩がこっているって訳じゃないが――まぁ、落としどころとしてはこんなもんだろう。
そんなこんなで――
ドーピング状態のお陰で体力的には問題なくとも、会話と言うにはあまりにも一方的な、ただの悪口ともいうべき、誹謗中傷の数々に、精神的に疲弊した、摩耗しきった僕ではあったが、それでも、どうにかこうにか、戦場ヶ原ひたぎが居住する、民倉荘に無事、到着した。
痛みを感じる程の力強い指圧(もっと優しくしてくれとお願いしたら、なぜか更に力が増した)からも、ようやく解放される。
「駄目ね。こういうのは、策を弄しても、中々思い通りにはいかないものね……」
僕の肩から手を離し、地面に降り立った戦場ヶ原は――口元に手を宛がい、何やら独り言らしき言葉を漏らす。
次いで、深呼吸らしき息遣いを一セット。
「ねぇ阿良々木くん」
「ん?」
「私と付き合いなさい」
「…………はい?」
数秒の間。
戦場ヶ原の言っている言葉の意味を頭の中で咀嚼して――――そして思い至る。
「おーけーおーけー。はっ、どうせ『私と買い物に付き合いなさい』とかそういった裏があるんだろ。馬鹿正直に食い付いた僕を嘲笑するつもりなのが見え見えだぜ」
「男女交際をしましょう、という意味よ」
僕の見解には取り合わず、戦場ヶ原は率直に言う。
誰が聞いても、意味が取り違いようのない言葉に換言する。
「えっと…………それって?」
「私、阿良々木くんのこと好きよ。つまり、そういう事よ」
これってもしかして、戦場ヶ原から告白されているのか?
戦場ヶ原ひたぎが?
いや、でもそんなことがあり得るか? この女が僕の事を? 何故に? Why?
「……おいおい、冗談も程ほどにしておけよな。そりゃ、お前は僕が狼狽える姿を見て、楽しいのかもしれないけどさ、同じ手は食わないって――罷り間違って僕が真に受けたら、どうすんだよ」
「あらあら、『狼少年』ならぬ、『狼少女』になってしまったという訳ね――なら、どう阿良々木くんに思いを伝えたら、信じてくれるのかしら? そうね、手っ取り早く、『言葉』ではなく『行動』で示してみましょうか?」
そう言って、戦場ヶ原が僕との距離を詰めてくる。
自転車に跨って停止している状態なので、僕は後ずさることができないでいた。
待て! 待って! 狼少女に捕食されてしまう!
「わかった! 信じる! 信じるから、それ以上顔を近づけてくるな!」
「そう、よかった。私が本気だということが伝わったようね」
「あ、ああ。本気だってことは重々理解した…………した上で改めて確認させて貰うんだけどさ、それって…………恋人同士になろうって事で……間違いないんだよな?」
「認知力の欠如した、阿良々木くんにしたら上出来な認識ね」
「こういうことを言うのも失礼というか、僕自身情けない話なんだが……なんで僕なんだ? 僕のクラスでの堕落っぷりは知ってると思うけど」
「ええ、よく知っているわ。阿良々木くんがクラスで落ちぶれていく様子を観察するのが、高一からの私の密やかな楽しみだったもの」
「悪趣味な奴だな…………いや今焦点に置いているのはそういうことじゃなくて、そんな駄目駄目な僕を選ぶ理由があるとすれば、だ…………なぁ戦場ヶ原。お前はもしかしたら、先日の件で、僕に必要以上の恩義を感じちゃって、それが負い目となって変に――」
「それは違うわ阿良々木くん。『切っ掛け』ではあったのは間違いないけれど、決してそれが『理由』になりはしない」
僕の口上を途中で遮り、戦場ヶ原は力強い声音で明言する。
「強いて理由を――阿良々木くんを選んだ理由をあげるなら、阿良々木くんとお喋りすることがとっても楽しいから。阿良々木くんと一緒にいると、飽きないから。阿良々木くんの人となりに触れて、私の心がときめいたから。そんな誰にでもあるような、至極当然のごく有り触れた理由」
「いや……え? だって……まだ僕達、そんな話してなだろ……ここ数日で会話する機会は増えたかもしれないけど――それで決断するのは、ちょっと早急過ぎやしないか? 友達として、もっと深く知り合ってからでも遅くないんじゃないのか?」
「そうね。別に、それでもよかったのだけど」
戦場ヶ原は、僕の意見に一応は頷いて――その上で。
「だけど、阿良々木くんは一人しかいないもの」
「そりゃ、僕は僕一人しかいないけど……?」
「気に入った一点限りの商品が、迷ってる間に他の誰かに買われちゃ悲惨でしょ。だから、先に唾を付けておこうって事。一種の先行投資みたいなものね。阿良々木くんが優良物件であることを期待するわ」
「……そっか……なるほどな」
戦場ヶ原らしい着想だ。いや、恋愛に於いては結構当たり前の話なのかもしれないな。
「見込み違いの不良物件だったなら、捨てればいいだけの話だし」
「………………」
情け容赦ない奴だった。だけど、これこそ彼女らしい考え方だ。
「それで、返答は? あーもし、この申し出を断るような舐めた真似をしてくれたら、ふふ、そうね。私の人生の汚点になるといけないから、あのいけ好かない小動物の力で、阿良々木くんの存在そのものをこの世から抹消するとしましょうか――」
ナチュラルに脅しをかけてきやがったよ、この女。
「――というのは流石に可哀相よね」
が、どうにか思い止まってくれたらしい。
「だったら嫌がらせとして、本当に本当の意味での性転換でもして貰って、女の子として、新たな人生を歩んでいくというのはどう? 私、暦ちゃんとなら上手くやっていけそうな気がするわ」
「いっそ一思いに消してくれ!!」
「ん? でも待って。もし、少女暦ちゃんに魔法少女になる力があったとしたら、その時の『願い』でまた元に戻ることも……その可能性は無きにしも非ず……か。これじゃ駄目ね。でもこれが成立した場合、男の姿で魔法少女を名乗るのかしらね? 阿良々木くんはどう思う?」
「んなこと知らねーよ!!」
なんて恐ろしい発想をする女だ。
仮想の話であってもそんな事について考察なんかしたくない!
「つーか、戦場ヶ原。それは僕がお前の申し出を断ったらって時の、仮定としての話なんだよな?」
「ええ、そうね」
「ははははは」
自然と笑いが漏れ出てしまう。
「阿良々木くん?」
「なら怯えたり、変に声を荒げる必要はないってことじゃないか――」
戦場ヶ原の中で、どういう心の変遷があったのかは定かではないが、彼女に選んで貰えた事は、光栄なことだ。本当に、心の底からそう思う。
こんな面白い奴が、僕ではない、他の誰かの手に渡ってしまうのは惜しいからな。
僕も、戦場ヶ原に習って、先行投資させて貰うことにしよう。
「――つまり、そういう事だよ」
阿良々木くんとガハラさんのやり取りは、ある意味『まよいマイマイ』の再構成なので、似通った 箇所が散見されると思われます。
けっこう無理矢理に纏めてしまったので、心情に強引なところがあるやもしれません……。
これで取り敢えず一区切り。次話から新展開で数日飛びます。