~004~
「私の記憶が確かなら、あなたとは初めて遭ったはずよね」
無表情で、酷薄に。抑揚なく、淡々と。
感情の起伏が伴わないぞんざいな口調。けれどその声音からは確かな怒りが感じ取れた。
「うん。そうだね。ひたぎとの接触は今回が初めてだ」
戦場ヶ原によって握り潰されんばかりに頭部を圧搾されているにも関わらず、白い体躯をした生き物は、まるで意に介した様子もなく答える。
恐怖も戸惑いもなく平然としており、感情らしい感情を読み取ることは不可能だった。
「でも、あなたは私が名乗る前から私の名前を知っていた。阿良々木くんが私を呼ぶときは苗字であって、ファーストネームを用いたことは、ない―――それに、私の『重さ』に関した事柄は限られた人間しか知りはしないことなのよ。無論、私が誰彼かまわず多弁する筈もないし、有事の際はしっかりと“口封じ”もしているから、そうそう外部に漏れることはない―――ええ……私の事を嗅ぎまわる、下賤な輩がいない限りね」
「つまり、何が言いたいんだい、ひたぎは?」
「そもそも初対面の輩に馴れ馴れしく名前で呼んでほしくないものだわ」
「名前は君たち人類に宛がわれた、個別の記号のようなものだろう。だったらその個体名で呼ぶのが最も合理的じゃないのかな? 互いの共通認識さえ通じていれば、呼び方に重要性を見出すことは出来ないし……でも君が嫌がるというのなら、控えておくけど。なら、なんて呼べばいいんだい?」
「戦場ヶ原さま。戦場ヶ原さまで勘弁してあげる」
「そうか。解ったよ。ねぇ戦場ヶ原さま」
「まてまて! おい戦場ヶ原」
戦場ヶ原の言葉に唯々諾々と従うキュゥべえもキュゥべえだが、様付けで呼ばせる戦場ヶ原の人間性の方が大いに問題があるように思える。
「何よ。下賤な輩ね。高貴な私を呼び捨てにするなんて。戦場ヶ原さま、でしょ」
「僕にまで適用してんじゃねーよっ!」
「っち、煩いわね」
こいつ舌打ちしやがった。女子高生が舌打ちなんかすんなよ。
「ともかく、幾ら気に入らない相手だからって様付けで呼ばせるのは感心しないぞ。つーか僕は断固として言わないからな」
「誰よ。あなた? 気軽に話しかけないでくれない」
「さっきまで普通に話してただろうがっ!?」
いきなり見知らぬ他人にまでランクダウンされた!
「で。単刀直入に言って、あなたは私の身の回りを勝手に調べ上げた。違う?」
僕のツッコミに反応を示すことなく、元の話題に戻る薄情な戦場ヶ原だった。
あと、もう一度言っておくが、キュゥべえは戦場ヶ原に脳天絞めされた状態のままだ。
平然と対話がなされていることに戦慄を覚える。絵面的にかなり酷い。
「それはそうだよ。誰でも魔法少女になれるわけじゃない。生まれ持った本人の資質、生活環境、経験してきた出来事や、周囲に与えた影響――他にも様々な要素が絡み合って因果の密度が決まる。それを見極め、魔法少女たる資格があるかどうかを推し量り、選別することが僕の使命だからね。事前の調査は当然のことだと思うけど」
「悪びれもせずよく言うわ。いえ、本当に悪いなんて、欠片ほども感じていないようね。この下種が」
「酷い言われようだ。情報の収集は理知的な行為でなんら責められる謂れは無い筈だ――君はいったい何が不満なんだい?」
「それは、そっちの勝手な都合でしょ。それに――」
言葉を区切り、戦場ヶ原は語調を強める。
「なぜ、この“時期”この“時”この“瞬間”を狙って接触してきたのかしらね。大いに疑問だわ」
「どういうことだい?」
戦場ヶ原の言わんとすることが理解できず、キュゥべえが再度説明を要求する。って、僕もよく解っていないから、助かる。
「私としてみても半信半疑で、物は試しという気持ちが強いし、どちらかと言えば阿良々木くんの顔を立ててあげようという私の粋な計らいで、こんな廃墟まで脚を運んできたわけだけど――」
ここまではキュゥべえに向けてというよりは、僕に向けての言葉だ。上から目線なのが少々腹立たしいが、まぁいいだろう。
「――もしかしたらとはいえ、“私の抱える『重さ』の問題が解決できるかもしれないって時”に、なぜあなたは接触してきたのかと、そう訊いているのよ」
圧搾している指に更に力を込めたのか、キュゥべえの頭部が歪んでいく。
「楽天的な考えはしない主義なのだけど、首尾よく問題が解決していたとしたら、私に言い寄る口実がなくなってしまう、私があなたと契約する確率が下がってしまう、そんな邪な計算があったのではと勘操ってしまうわね」
「邪な計算と言われるのも不本意だけど、うん、そうだね。訂正するほど間違ってはいないね」
戦場ヶ原の指摘を泰然自若の構えで肯定するキュゥべえだった。
「ただ勘違いしないで欲しいのは、僕は戦場ヶ原さまに対し悪意を持っているわけじゃないし、君の体重を元に戻したいという願いを、より確実に解決できる方法を提示したに過ぎない。選択の幅が広がっただけで、君がどう判断しようとそれは自由だ。それに、他の願い事でも構わないわけだしね。僕はいつだって歓迎するよ、戦場ヶ原さま」
「あれね。獣風情に様付けで呼ばれるっていうのも、それはそれで不快ね」
眉根を寄せ、苛立ちを顕わにする。
「お前が自分で言い出したくせに、今更文句言うなよ」
キュゥべえの肩を持つつもりはないけど、公正な判断のもと戦場ヶ原を諌める。けれど、それがどうも癇に障ったらしい。
「何よ。学生風情がこの私に文句でもあるの? 死ねばいいのに」
間髪入れずこの暴言。
「お前もその学生風情だろうが! つーか気軽に人の死を願うな」
「そういえば、そこの獣が何かほざいていたわね。何でも願いを叶えるとかなんとか」
「まさかお前! 僕の死を願おうなんてわけじゃないだろうなっ!?」
「ふ、ふ、ふ」
口端を吊り上げ不敵に嗤う悪女が居た!!
「例えばの話、其処にいる冴えないチビの役立たず、かっこ、阿良々木くん、かっことじ、をこの世から抹消するなんてことは可能なのかしら?」
「わざわざ鍵括弧を口にしてまで強調すんなや!」
嘲笑的意味合いが飛躍的に高まる悪辣な言い回しだ。
「そもそもそんなジェノサイド的な願いを、曲りなりにも力を貸そうとしている同級生に対し行使しようとするなんて、お前は正気か!?」
「で、どうなの?」
僕の呼びかけを聞き流し、キュゥべえに返事を促す。
「なんだそんなこと。その程度、君が望むなら造作もない事だろうね」
戦場ヶ原の言葉に、なんとも軽い調子で――しかし確信に満ち溢れた声で言い切る。
「へぇ。そうなの」
ちらりと僕に一瞥をくれる戦場ヶ原。その絶対零度の眼差しに背筋が凍る。こいつ、まさか……口封じに僕を消すつもりか!?
「ええ。わかったわ。わかりました」
「え。ちょ、嘘だろ、おい! 待て戦場ヶ原! 何がわかったんだよ! 何がわかっちゃったんだよっ! いやさ戦場ヶ原さま! 少しばかしお待ち頂けないでしょうか!?」
平身低頭。堪らず戦場ヶ原に媚び諂う。僕だって命は惜しい。
キュゥべえの頭のように――僕の心臓は今、戦場ヶ原の手によって掌握されていると言っても過言ではない状況なのだ! 言ってしまえば、ローの心臓がヴェルゴさんの手中にあるみたいな感じ。恐ろしすぎる!
ただ、戦場ヶ原は僕の惨めなまでの狼狽振りには目もくれず、眼光鋭くキュゥべえを睨め付けている。
無視されていると言うよりは僕の言葉が耳に届いていないという感じで、その鬼気迫る表情に僕は言葉を呑む。
「あなたが考えている人間への価値観がどういったものなのかよくわかったわ。ねぇ“キュゥべえ”」
今まで頑なに呼ぶことのなかった名前を、戦場ヶ原は口にした――最大限の敵意を込めて、吐き捨てるようその名を呼んだ。
「それって、どんな願いだろうと取捨選択することなくそのままに叶えてしまうってことでしょう?」
「それがどうしたんだい? それこそが、魔法少女になって貰う見返りとして払われる対価なのだから、特に不都合があるように思えないけど」
「あなたの口ぶりから察するに、私以外にもまだ魔法少女になる資格とやらをもった人間はいるはずよね。その魔法少女候補がもし、他者の不幸を願ったとしたら、お前はそれを嬉々として受け入れるってことじゃないの? そんなの悪魔と同じでしょ」
「う~ん……それでなぜ僕らが悪いというふうになるのかが理解に苦しむなぁ。僕は君たちの願い事を叶えてあげる、ただそれだけだ。その願いがどのようなものであっても、僕の関与することじゃない。願いはあくまでも君たち人類側の問題であって、それがどのように作用しようとも、僕らを責めるのは筋違いじゃないのかな」
第三者の立場で戦場ヶ原とキュゥべえの会話を訊いているが――ああ、なるほど。
まったく。まったく噛み合っていないな、これは。
「それに、そんな倒錯した願いを抱く娘は、そうはいないよ」
「暗に私の人格が否定された気がするわね」
キュゥべえなりの皮肉……いや、ただ純然たる感想なんだろうけど、強ち間違っていないのが悲しいところだ。
「まぁ、いいわ。詰まる所あなたは、人間の命を軽視している、人間という存在を蔑ろにしてるってことよ」
「そんなつもりは毛頭ないんだけどな。例え魔法少女を生み出す為に、人間が一人二人死んだところで、その犠牲は微々たるものだよ。人間は今この瞬間だって生産的に増え続けているし、幾らでも補完がきくじゃないか」
これを何の疑問を抱くことなく、“釈明として”口にしているのだから、致命的だ。
戦場ヶ原はキュゥべえと相対したその瞬間から嫌悪感を抱いていたが、今なら彼女の気持ちが理解できる。痛感した。
こいつは人間を替えのきく、補充のきく“便利な道具”と見做している。そこに人間側の価値観は存在しない。
確かにこの生物―――キュゥべえは不気味だ。
「まぁ私も、あなたを非難できるような殊勝な心を持ち合わせているわけではないのだけど。だからといって、見す見す災いの根源を見過ごすほど愚かでも寛容な人間でもないつもりよ」
そこからの出来事は一瞬だった。僕が口を挟む暇すらない。
言葉を言い切るや否や、徐にキュゥべえを空高く放り投げる。戦場ヶ原による脳天締めから開放され、宙を舞う白い体躯をした生物。
その光景に気を取られていると、耳に異音が届く。音の出所は、戦場ヶ原の右手に握られていたカッターナイフで、一気に刃を引き出し時に生じた音が異音の正体か。
本来正しく使用するのなら、刃となる部分は一センチ程度あれば十分事足りる筈だが、いまの状態は刃が全て出されており、まるで脇差のような見た目となっている。
それを視認した直後。
キュゥべえに向け戦場ヶ原は殊更簡潔に言い放つ。
「死ね」
なんとも明示的な意思表示とともに、落下してくるキュゥべえに向け、限界まで刃が引き出されたカッターナイフを横薙ぎに一閃する。
結果――――キュゥべえは切断された。一刀両断である。
頭部と胴体。ギロチン要らずの見事な太刀筋。
僕は呆気に取られ絶句するしかない。
茫然と、戦場ヶ原のカッターナイフを扱う技術が人並み外れていたのか、切れ味そのものが凄まじかったのか、なんて事を考える。
次いで、つい一時間程前、カッターナイフとホッチキスで襲われた事実を思い出し怖気が走る。
僕、あんな危険な奴に戦争を吹っかけられてたのかよ……。
足元に転がる亡骸に視線を落とすも、同情心を抱くわけでもなく――ただただ戦場ヶ原ひたぎの恐ろしさを再確認する僕だった。