~005~
「しっかし酷いことするよな、お前」
「そうかしら」
真っ当な生き物と呼べるか怪しいとはいえ、一つの生命を終わらせた後だというのに気負いもなく、すました表情で答える。当然ながら罪悪感を抱いた様子はないようだ。
「悪・即・斬――それが私の信条よ」
しかも新撰組三番隊組長の有する正義をキメ顔で言う戦場ヶ原だった。
さっきのカッターナイフ捌きは見事だったし、もしかしたら、牙突の使い手なのかもしれない。
「とりあえず、どうすっかな。これ」
短絡的な戦場ヶ原の判断により、無残にも物言わぬ骸と成り果てたキュゥべえを見据えながら思案する。
死体をそのままにしておくのもあれだし、
「埋めるか? いやそもそも普通の人間には見えないんだっけか?」
「そこまでしてやる義理もないでしょうに。カラスの餌にでもすればいいんじゃない」
それとなしに相談ともいえない口調で尋ねてみるも、至極どうでもいいと言わんばかりに、投げやりな調子で返される。別にチベットなどで行われている供養の一種、鳥葬を提案したわけではないだろう。
もう捨て置くことで決定済みらしい。
何はともあれ、当初の目的である戦場ヶ原の『重さ』の件と併せて忍野に報告した方がよさそうだな。
ならこの遺体を処理する前に、一緒に見せた方が話は早いだろうか。忍野にこいつが見えるかは解らないけど……。
相談するなら正直なところ、もう少し情報を聞き出すべきだったかもしれない。
だが、時すでに遅し。もうキュゥべえが口を開くことは決してない――
「酷いじゃないか。まさか、いきなり殺されるなんて思いもしなかったよ」
――はずだったのだが。
頭上から聞き覚えのある声がした。
ってこの声は! まさか!
視線をあげると――そこには、フェンス上でこちらを見下ろす白い獣の姿があった。
「キュゥべえ!?」
僕は驚きの声をあげる、その横で戦場ヶ原も少なからず戸惑いの表情を顕わにしていた。
いや、おかしい……なら、この地面に横たわった死体はなんだ?
新たに出現したキュゥべえは軽い動作でフェンスから飛び降りると、そのまま屍骸に近付いていく。戦場ヶ原が息の根を止めたはずのキュゥべえだったモノに、だ。
「代わりならいくらでもあるけど、だからといって意味もなく殺されるのは困るな。勿体無いじゃないか」
戦場ヶ原を非難しながら、おもむろに死体に顔を寄せる。
いや……これは!!
食ってる……?
むしゃむしゃと、くちゃくちゃと。自分の死体を食べている……だと?
いや、人間からみたらほぼ動物なんて見分けはつかないのだし……見た目が同じだけで、同種の別個体なのかもしれないが……。
その姿は、暴走したエヴァ初号機が使徒ゼルエルを貪り食っていたあの光景を想起させ、一層キュゥべえの気味悪さに拍車がかかる。
「ぎゅっぷぃ」
妙に愛らしい噫気を洩らし、ものの数秒で自身の死体を平らげてしまう。自身と同等の体積があったはずの肉体を、体内に納めることができてしまう辺り、僕達の常識が通じる相手ではなさそうだ。
配管工のおっさんに使い捨てられる緑の恐竜と通ずるものがある。
「お前は……キュゥべえ……なのか? でも……さっきお前は死んだはず――戦場ヶ原に殺されたはず、だよな?」
故に。こいつは外見が一緒なだけの、別個体と考えるのが妥当なのだが――どうにも引っかかる。 物言いから微かに感じ取れるという程度の、明確な根拠があるものではないが、意識がさっき殺されたはずのキュゥべえと同一のような気がするのだ。
「そうだね。確かに殺されはしたけれど、それはただ単に、肉体が使い物にならなくなったってことさ。肉体が壊れたからといって、何も精神の死に至る訳じゃない。僕らに君たち人類にとっての『死』という概念を当て嵌めるのがそもそもの間違いなのさ。と言ったところで、君たちには理解できないかな?」
などと嘯くキュゥべえだが――
「ああ、まったくな。お前の言ってることなんて何一つもわかんねーよ!」
僕は早々に理解を投げ出し、相互理解することは出来ないと力強く言い放った。
ニュアンス的な話だが、殺人犯の気持ちを理解できない、理解したくもないと、突き放した言い方する探偵の如くだ。
しかしその傍から、
「肉体はあなたにとって器に過ぎず、精神は別次元で存在しているってことかしら。肉体が死んでもその大本の精神が死ぬわけではない。別個体が同じ意識を共有しているというわけではなく、大本の精神が予備の器に移っただけ。言ってしまえば、遠隔操作されているロボットのようなものじゃないの? それを制御する中枢機関が存続する限りあなたにとっての本当の死とはなり得ない」
戦場ヶ原が自身の見解を述べる。なんとも冷静な判断力をお持ちで!
くそ! 僕……馬鹿丸出しじゃねーか!
「う~ん……厳密には全く違うけど、君たちが認識する上ではその考え方でも問題はないよ」
その曖昧な肯定の仕方が気に食わなかったのか戦場ヶ原が軽く舌打ちをする。そこそこ自信のあった考察だったのかもしれない。
「つまり、お前をまた殺してみても――」
「まぁ無意味だね。とは言っても、代わりを用意するのに少なからず労力を必要とするから、できれば遠慮したいな」
「少なからずってことは、殺し続ければ相応の被害がでるって解釈も可能になるわよね」
往生際悪く食い下がって、相手に少しでも痛手を与えようと躍起になる戦場ヶ原だった。
相手の嫌がることになら労力を厭わないその姿勢は、ある意味敬服に値する。
「はぁ……」
流石のキュゥべえも、億劫そうに大きなため息をつく。
「例え君がそれだけに残りの人生を費やしたとしても、それで僕らの被る被害は無きに等しい値だよ――限りなく零に近い。言うなれば海水をコップですくうようなものだ。確かに海水の量は減るだろうけど、その程度ってことさ。とても意味がある行為じゃないからお勧めはしない」
キュゥべえが辟易とした様子で答える。
「そう、殺しても意味はない、と」
自身の言葉を改めて確認するように、戦場ヶ原が呟く。
「ふぅ……僕としては是が非でも君と契約したいけれど、無理強いはできないしね。君に何も願いがないと言うのなら、僕は大人しく引き上げることにするよ」
戦場ヶ原の苛烈な応対を受け、これ以上の勧誘は無意味だと悟ったのか、キュゥべえが撤退の意思を示す。
うん、それが懸命な判断だろう。
「別に願いが一つもない、なんて言った覚えはないわよ」
踵を返し、立ち去ろうとするキュゥべえをなぜか戦場ヶ原が呼び止める。何考えてんだこいつは?
「ふふ、『願い』と言えば前々から試してみたいことがあったのよ。その点で言えば、あなたの存在は好都合よ――キュゥべえ」
嗜虐的な笑みを浮かべる戦場ヶ原。絶対よからぬことを考えてやがる。
「その『願い』はなんなんだい? 君が叶えたいのなら、今すぐにでも――」
「その必要はないわ」
キュゥべえの言葉をぴしゃりと遮り、
「だって、その願いは――あなたを使って、自力で叶えるんですもの」
そう言って、戦場ヶ原は両腕を左右に広げ、瞬時に臨戦態勢に入る。
「戦争をしましょう」
その両手には、あり得ない数の文房具が握られていた。
本日二度目。学校の踊り場での悪夢再来。ただ、攻撃対象は僕ではないから、巻き添えを食らわないよう、密かに戦場ヶ原から距離を取る。
「……わけがわからないよ」
キュゥべえの戸惑いもご尤もだ。僕も戦場ヶ原の思考が理解できない。ほんとに何を言っているんだろうこの子は……。
「生きているからこその地獄もあるってことを教えてあげる。そういうことよ」
「察するに、交戦の意志を明確化したってことでいいのかな?」
戦場ヶ原の抽象的な言葉を、キュゥべえなりにそう解釈したらしい。
「厳密には全く違うけれど、あなたが認識する上ではその考え方でも問題はないわ」
これは……ついさっきのキュゥべえの物言いをそっくりそのまま言い返してやがるな……意趣返しってことだろうけど。
やはり、プライドが傷ついていたのかもしれない。
「僕はこんなにも友好的に話をしようとしているのに……戦場ヶ原さま。君は何が気に食わないんだい?」
「全てよ。あなたの存在そのものを全否定してるの。私がこの世で尤も嫌いな存在はね『詐欺師』――甘言を用いて人を誑かす忌むべき存在。お前からもそれと同種の匂いを感じるわ」
戦場ヶ原の過去に何があったのかは知らないが、詐欺師に対して並々ならぬ憎悪を抱いているようだ。怒り心頭の彼女を刺激させないよう細心の注意を払いながら、控えめなトーンで問い掛ける。
「ええっと、なぁ戦場ヶ原。お前の願いって、一体なんなんだ?」
文房具で武装した戦場ヶ原。
キュゥべえを使って、前々から試してみたかったこと。
生きているからこその地獄。
ここから導き出される戦場ヶ原の『願い』とは…………
何となく嫌な予感はしている。
僕の問いに酷薄な笑みを浮かべて、戦場ヶ原は簡潔に教えてくれた――「拷問」と。
~006~
「花の女子高生なら拷問や監禁なんて、誰でも一度はやってみたいと夢想してみるものでしょう」
「殺して意味がないなら、生かさず殺さず、捕獲して自由を奪い生きながらえさせる」
「だって虫を潰してみても反応ってないのよ。だからといって人間を標的にするのは法律上許されない。これほど拷問の実験に適した存在、そうはいないわね」
戦場ヶ原ひたぎが発した、台詞の一部を抜粋したものだ。
意図を問い質すと、弾んだ声でこんな風に答えてくれた。
精神鑑定を勧めようとも考えたが、己が身の保身の為、口を閉ざす。わざわざ危険な橋は渡る必要もあるまい。
そんな会話を傍で訊かされていたキュゥべえが、身を翻し逃走を図ったのは無理からぬこと。
このまま居座れば、拷問の実験体にされるのは目に見えているのだから、この判断は大いに正しい。正常な判断力がある者なら誰だってそうするだろう。
だが、その判断を下すのが遅すぎた。既に臨戦態勢に入っていた彼女の包囲網を突破するには至らない。
戦場ヶ原の放った一本の彫刻刀が、まるで影縫いの術のようにキュゥべえを地面に縫い付けていた。
当然、影を縛る忍術なんて使えるはずがないので、影ではなく、尻尾をそのまま刺し貫いているんだけどね。
「阿良々木くん。邪魔したら、ただじゃおかないわよ」
目を爛々と輝かせた戦場ヶ原は、獲物に近付きながら僕に釘を刺す。
彼女の言葉に逆らうほど、僕は自殺志願じゃない。
零崎が……もとい、惨劇が始まった。
――赤齣――
数十分後。
戦場ヶ原による拷問の工程は、あまりにもあんまりで……見るに耐えない悍ましい光景だった。言葉を失うには十分すぎる惨状。
途中から視線を背けて、直視することができなくなる程ほどに……。
だから……僕が語れることは多くない。出来るのは事件後に駆けつけた鑑識が行う、現場検証のようなものに過ぎない。
そこには白い生物の姿はなかった。
居るのは白黒い生物だ。
何を言っているのだと思われたかもしれないが、言葉通りに受け取ってもらって間違いない。
キュゥべえはパンダもどきの白黒姿に変わり果てていた。
傍に墨汁の空きボトルが転がっていたので、それを用いたのだろう。だけど、黒くする箇所が間違っているし、体型も本物とは大違いなので違和感しか沸いてこない。
いや、そんな悪戯的な行為に騙されてはいけない。まだこれは序章に過ぎないのだから……
全身が刃物で切り刻まれ、要所要所に穿たれた彫刻刀が聳え立つ。
様々な箇所を挟む、目玉クリップの数々。
口内に棒状の物が捻じ込まれいるのか頬が左右に伸びきり、その上で、口元が丁寧に赤い糸で縫い合わされいる。
額には油性マジックで記された『皮』の文字。
垂れ下がった耳は輪ゴムとセロハンテープ(ぐるぐる巻き)で一纏めにされ、ホッチキスの芯と安全ピンがピアスのように装飾されていた。
もう戦場ヶ原のやりたい放題だ。
「さぁ仕上げといきましょうか」
何より恐ろしいことは、これだけやってもまだ戦場ヶ原の気が済んでいないってことだ。
拷問は継続される。
「助けて……助けて……」
悲痛な声が、脳内に響く。
口が塞がれようとその声が止むことはない。
良心の呵責に苛まれながらも、僕はそれを無慈悲にも聞き流す。
拷問中も絶え間なくSOSを送ってきたが、僕が耳を貸すことなかった。
キュゥべえの本質を知ってしまった以上、助けてやることはできない。
人類に仇なす存在となり得た伝説の吸血鬼を助けた僕だけど、ここだけは見誤ってはいけない。付け入る隙を与えちゃ駄目なんだ。
戦場ヶ原の機嫌を損ね、新たな生贄にされるのが怖くて黙っているわけじゃない。
手には新たな文房具――凶悪な武器、瞬間接着剤が握られており、キュゥべえの目に近付けると、躊躇無く中身が押し出す。
いや、押し出そうと力を込めた、その間際――
「やめなさい! あなた達、いったい何をやっているのよっ!?」
――悲鳴にも近い鋭い声が響き渡る。
その声の主は一人の女の子だった。
予期せぬ人物の介入に、戦場ヶ原は動きを止める。
うん、あれだ。これはどう見ても、いたいけな小動物を虐待する猟奇的な二人組みだよな。
通報されれば、弁明の余地はない。
戦場ヶ原を止めなかったのは確かだが、僕まで共犯として扱われるであろう事実に、絶望にも似た感情を抱き、どう言い訳すればいいのかと考える。
ん? 待てよ。そう言えば、キュゥべえの姿は普通の人間には見えないはずじゃ……いや、それが実証されたわけではないから、狂言ということも考えられるか……。
しかし、この場所は忍野が張った結界とやらによって、一般人が迷い込むことはない。道を間違えた程度じゃここに辿り着くことはないとか、なんとか言っていた。そこは忍野の言葉を信用していいだろう。
だとしたら、確固たる意思のもと、この場所を目指してやってきたって事になる。
偶然ではなく必然。目的があって訪れた。
なら、この女の子は何者だ?
改めてよくよくその姿を確認してみれば――なるほど。全貌が掴めた気がする。
キュゥべえの役割を思い返せば、明白だ。
だって、その女の子が身に纏う衣装がまるで。そうまるで……
世に聞くところの、世界の平和を影ながら守る、正義の使者――魔法少女そのものだったのだから。