こよみハッチ~その6~(Elsa Maria)
~064~
「えっと……佐倉さん、今……なんて?」
きっと、聞こえていなかったわけでもないのだろうが、巴さんが困惑気味に問い直す。
「だから。コイツがガキのパンツを奪おうと――」
「おいおい! や、藪から棒に……な、なななな何を言っているんだ!?」
堪らず僕は、杏子の発言を遮った。
だが焦りで舌がもつれてしまう。それに全く動揺が隠しきれていない上擦った声なのが、自分でもよくわかる。
それでも、何とか言葉を紡ぎ惚けてみる。
「僕がなぜ小学生のパンツなんかを――」
「あ? 何? アタシが嘘ついたってそう言いたいの?」
が、今度は杏子が僕の言葉を遮り、睨みを利かした冷たい視線を向けてくる。
恫喝が板に付きすぎだろ! 女子中学生相手なのに、軽く竦み上がってるもん!
このまま白を切り通すのは危険か……杏子の機嫌を損ねる結果にしか繋がらない。
そう判断した僕は、即座に対応を切り替える。人間、保身の為になら頭の回転は速くなるもの。
「いや、お前の表現では誤解が生まれるというか――」
誤解も何も、杏子は事実しか話していないけど。なればこそ、僕も事実を盾に自己弁護を試みる。
「――あの子も言ってただろ。あれは一種のじゃれ合いみたいなものだって」
「あー、そういやそんな事も言ってたかな」
杏子も別に、嘘を吐いてまで僕を陥れようとは思っていないようで、ちゃんと真実であると認めてくれた。
よし、杏子の証言が得られたところで、今度は巴さんの認識を修正しに掛かる!
ここでちゃんと同意(?)の上の悪ふざけであったと伝えておかなければ、今後、蔑視の視線に耐えながら巴さんと一緒に行動しなくてはいけなくなる。そんな状態はキツ過ぎる!
どうにかして印象をマイルドなものにしなくては!
「だからさ、巴さん。杏子が言ってたのは事実ではあるんだけど、別に如何わしい行為ではなくただのおふざけというかスキンシップであって――」
「ふふ」
と、僕の苦しい弁解を訊いていた巴さんが笑みをこぼした。
「大丈夫ですよ。阿良々木さん」
「え? 大丈夫って?」
「確かにちょっとはしたない遊びですけど、小学生の子供ってそういうので喜んじゃうところありますもんね」
「え? あ、まぁ」
なん……だと……理解を示してくれた、だと!?
「ただ人目もありますし、あまり羽目を外して遊ぶのは気を付けてくださいね」
「うん……気を……つけます」
注意されたものの、嫌悪感のようなものは特に感じられない。
巴さんは類稀なる寛容な精神の持ち主なのだろうか? それで納得できないこともないが、そこはかとなく違和感が……。
「でも小学生と一緒に遊んでいる阿良々木さんの姿、見てみたいかもです」
あ、違和感の正体がわかった。
巴さんの言葉のニュアンスから僕は察した。
確証はないけれど、多分、相手の小学生を『男の子』だと思っているんじゃ?
そうだ、杏子は『小学生のガキ』としか言っていない。性別を明言していなかったのだ。
多くの人は『ガキ』という表現から、男の子を連想してしまうのではないか?
実際、そんなことはなく子供の俗称ではあるし、これは僕の勝手なイメージだけど。
何にしても、杏子の乱暴な言葉遣いに救われたかたちだ。
ならこれ以上の弁解は必要あるまい。寧ろ不用意な発言で墓穴を掘らぬようこの話は打ち切るのが得策! いやいや、こんなどうでもいい話をしている状況ではないのだ。
「そんなことは兎も角さ! まずお互い、その物騒な得物をしまおうぜ?」
さっきから二人とも、手に武器を持ったまんまだからな。普通に怖い。
「………………そう、ですね」
僕の申し出に、巴さんは躊躇しながらも応じてくれた――それでも杏子の一挙手一投足、僅かな動きも見逃さないよう油断なく警戒しているのがわかる。
「ふん。ま、余計な魔力を浪費したくないしね」
巴さんが先に武器を収めた事をうけて、杏子も不承不承ながら武装を解除する。
だが友好的な歩み寄りはなく、依然として一触即発の気配が漂っている。
仲良く共闘しようって雰囲気ではないよな。
でも、こう見えて昔は友好的な関係だったんだよな? なら出来ることなら仲直りしてほしいものだが…………。
「えっと、今の状況ってどうなってるの?」
「状況も何も、この魔女をアタシに譲ってくれりゃいいんだって」
僕は巴さんに尋ねたつもりだったのが、杏子が口を挟んできた。
ある意味、要点を集約した実に明瞭な説明になっているから、いいんだけど。
で、大まかな流れは――巴さんが僕の到着を待っているその間に、杏子が現れ、そして杏子が
「あなたには、自分の縄張りがあるでしょ」
と、杏子の発言を受けて巴さんが嗜めるように指摘する。
巴さんの言う通り、暗黙の了解として魔法少女には、それぞれある程度担当地域のようなものが決まっているらしい。だから今回の杏子のように他所の地域の魔女を狩りにくるのは、褒められた行為ではないのだ。
「だから風見野の魔女は粗方狩り尽くしたって言ってるじゃん」
が、希少な戦利品であるグリーフシードを求めて、その規律を無視する者も多くいる。
相互扶助の活動理念を持った魔法少女達と共に行動している僕としては、今ひとつピンとこないが、他の町ではグリーフシードの奪い合いなんてのはごく当たり前の光景なのだ。
「それはあまりにも自分勝手というものよ」
かといって巴さんはそれを容認しないし、杏子だってそう簡単に引き下がるはずもない。
「自分勝手は百も承知してるけどさ。でもこれって、マミからしたら別に問題ないんでしょ。今回アタシは魔女を狩ってやろうって言ってんだからさ」
「何を言ってるのか、理解しかねるわね」
「自分の発言には責任持ちなよ“マミ先輩”。確か昔にアンタから『大事なのは一人でも多くの人々の命を守ること』『魔法少女同士で争うのは間違っている』って、そう教わったはずなんだけどね。ほら、だったらさ、アンタが手を引いてくれればこの場は丸く収まる」
「そんな屁理屈が罷り通るとでも思っているの?」
「別に思っちゃいないさ。アンタが融通の利かない奴だってのは知ってる」
「だったら、どうするつもり?」
「さっきまでは、ここではっきり白黒つけてやろうかと思ってたんだけど――でも余計な邪魔が入っちまったからね」
ちらりと僕を一瞥し、杏子は言う。
どうやら二対一で事を構えるのは不利だと判断したようだ。いや、それは僕の思い上がりで、実際は、巴さんだけを警戒しての方便かもしれないが。
抜け目ないというか、リスクとリターンの計算には長けている奴だからな。
まぁここで大人しく撤退してくれるなら、願ったり叶ったりだ。
正直な話、魔法少女同士で戦いを始められたら、僕に止められそうもないし。
「じゃ」
杏子が片手を挙げて、意外なことに別れの挨拶をしてきた――と一瞬思ったが、そうではなかった。
「早い者勝ちってことでいいよね!」
なんて事を一方的に言い放つと、掲げた手をすっとずらし魔法陣を展開させ、魔女の結界への入り口を創り出す。そして杏子はキュゥべえを引き連れ、そのまま結界の中に飛び込んでいく。
「なっ!? くそ! あいつ!」
「阿良々木さん! 私達も後を追いましょう」
すかさず巴さんも結界の入り口を創り出し、数秒遅れで僕達も杏子の後を追ったのだった。
~065~
魔女の結界の中は、白と黒の異空間に繋がっていた。
事前にほむらから訊いていたが、確かにこの空間を一言で言い表すのなら『影絵』となるだろう。
全身、衣服も含めて黒一色に塗りつぶされ、大まかなシルエットでしか判別できない。
その為、表情など読み取ることはできそうもなかった。
結界自体は単純な構造で、軽い登りの傾斜がある一本道のみ。
先に進むほど狭くなっていき、その道中中程で、先に結界内に突入していた杏子が、既に使い魔と交戦を繰り広げていた。
頭部が様々な動物に置き換わった(シルエットなので判別し難いが、把握できるのは犬、鼠、馬、鳥、羊、兎などなど)、蛇のような体躯をした使い魔の一群と大立ち回りを演じている。
十を超える使い魔に囲まれながらも、圧倒的な槍捌きで薙ぎ倒し邁進していく。
が、使い魔は倒したそばから次々と湧き上がってくるので、まだ魔女の下には辿りつけていないようだ。とはいえ、苦戦しているという印象は全く受けない。
道を外れれば奈落の底に真っ逆さまとなる狭いフィールドで、かなり動きが制限されているはずなのに大したものだ。
そして一本道の最奥には、この白と黒にのみ色分けされた影絵空間に於いて、例外的に赤く染め上げられた塔が建っていた。
異質なまでに禍々しく、鮮血を想起させる赤い塔――太陽を象ったシンボルが掲げられた、オブジェのような不可思議なモニュメントである。
それに向かって、両手を胸の前で組んで
魔女としての形態はほぼ人型で、少女の姿をしているように見える。
侵入者の存在などお構いなしに、身動き一つせず一心不乱に祈りを捧げていた。
さて――現段階に於いて、使い魔の標的となっているのは杏子だけで、魔女にも動きがない。
警戒を怠ることはできないが、話をする余裕はありそうだ。
「癪かもしれないけどここは杏子の誘いに乗っておく? 巴さんの正確無比な射撃の腕があれば、この遠距離からでも魔女を仕留めることは可能だろうし、寧ろアイツに使い魔が集中している今がチャンスじゃないか?」
少し卑怯な気もするが、これは杏子から言い出した勝負だ。
あと、さも僕が自分で考えたような口ぶりで話しているが、この作戦はほむらの助言に従った攻略法である。
「阿良々木さんの仰る通り、魔女の動きもないですし、ここからなら十分射程範囲ではあるんですけれど……」
だけど、反応は芳しくなかった。
「無理そう?」
「無理ではないんですが、魔女を確実に仕留めるとなると、少し問題が……」
意図していることが分からず、僕は首を傾げる。
「ごめん、問題って?」
「単発のマスケット銃で狙撃するぐらいなら支障はありません。ですが、魔女を一撃で倒すとなると、ティロ・フィナーレ
「あ……そっか」
考え足らずというか…………僕は馬鹿か。
狙撃からのヘッドショットを決めればいいなんて思っていたが、そんなので魔女を仕留められる保証はないよな。
巴さんが危惧する通り、あの必殺技はレーザー砲みたいなもんだから、かなりの範囲を撃ち貫いてしまう。この狭い一本道で魔女を狙えば、射線上で戦っている杏子諸共吹き飛ばしてしまいそうだ。誤射しましたじゃ済まされないしな、これは考えを改めなければ。
なら、僕達に出来ることは……リスク承知で接近戦に挑むか――悔しいけどこの魔女は杏子に譲るか……いや、でもほむらからなるべくグリーフシードは回収しておくよう念を押されてるからな。う~む、真っ当な案が浮かんでこない。
「巴さんは、どうしたらいいと思う?」
やはりここは巴さんの、意見を訊いておくべきだろう。
「……私は、魔女退治を……優先したいです」
巴さんが遠慮気味に口を開くも、少し要領を得ない。
「…………優先って?」
「……私の我儘なんですが、今回は佐倉さんの援護にまわって、魔女を倒すことを最優先にしたいんです」
「ってことは、グリーフシードは杏子に譲るってこと?」
「はい、多分そうなります…………けどその前に、この魔女との戦いが終ったら、もう一度、一緒に戦ってくれるよう説得したいんです! また昔みたいに……解り合えると思うんです……だから……」
切実とした声で、巴さんが訴えてくる。
これを我儘ということなんて僕にはできない。
「それなら僕に異存はないよ」
グリーフシードを持って帰らなかったら、ほむらに文句を言われるかもだけど。
「いいんですか?」
「うん。僕も出来ることなら仲直りして欲しいと思ってたし、喜んで協力する。んーでもさ、結構な剣幕で言い争っていたけど、大丈夫なの?」
あまり野暮なことは言いたくないが、さっきの言い合いをみた手前、楽観視はできそうもない。
説得するのに骨が折れそうだ。下手したら、本当に本当の意味で骨を圧し折られるかもしれない。
「そう……ですね……正直、難しいと思います。でも佐倉さんが言ったんです」
「ん? 言ったって?」
「『大事なのは一人でも多くの人々の命を守ること』『魔法少女同士で争うのは間違っている』。私が昔、佐倉さんに言った言葉をちゃんと覚えていてくれた。私を揶揄する為の皮肉として使ったってことは、ちゃんと解かってるんですけど、でも……それでも……それが嬉しくって」
巴さんが、すっと手で目の辺りを拭う。
影絵空間の所為で表情は見えないが、もしかしたら涙腺が潤んでしまったのかもしれない。
二人の過去にどんな事情があるのかは判らないけれど、巴さんの想いは確かに受け取った。
「おし。そうと決まれば、全力で杏子のサポートにまわろう!」
影の魔女(エルザ・マリア)。
久しぶりの魔女戦です。そして杏子&マミ編でもあります。
次話は数日後に投稿できる予定です。
※マミと杏子の過去の関係は、漫画『The different story』とドラマCD『フェアウェル・ストーリー』の設定を拝借しています