~067~
期せずして辿りついたのは、闇に覆われた異空間だった。
目を凝らして辺りを見回すと、すぐ傍に巴さんと杏子の“人影”を発見――『影の魔女』の結界内にいたメンバー(キュゥべえ含む)はこの結界に呑み込まれた際、ほぼ同じ座標に集められたようだ。
依然として影絵空間が継続しているようで、黒いシルエットでしか判別できない。
それに加え、この真っ暗な空間と合わさった所為で、人物そのものの視認が困難なレベルになっている。
僅かな濃淡の差異があるので背景との同化だけは免れているが、“普通の人間”であれば、何も見えない状態だろう。
それほどまでに闇が濃い漆黒の世界である。
そして、もう少し念入りに周囲を確認すると、ここが頭上一面に星空の広がった、真っ暗な半球状のドームであることが判る。
ただこれを、“プラネタリウムのような”と表現することは憚られる…………だって、夜空を彩る星々がこれっぽっちも輝いていないのだ。
影絵空間の影響なのか、元々の仕様なのかは知らないが、星の煌めきがただの白い点でしかなく、なんともがっかりな景観になっている。
まぁ魔女の結界にムードや風情を求めるのもどうかと思うが。
ともあれ、僕と巴さんがお互いの無事を確認していると、杏子の苛立った声が聞こえてきた。
「ちょっと、キュゥべえ。これってどういうこと!?」
「どうやら、魔女の結界に呑み込まれてしまったようだね」
「それはわかってるつーの。アタシが訊いてんのは、何で魔女の結界の中で違う魔女の結界に取り込まれるのかってこと!」
キュゥべえの少しずれた返答に、杏子が語調を強め詰問する。
「んーこれと似た事象として、魔女同士が同調して結界を創りだすことは、既に観測されているよ」
「っつーと、同じ場所に魔女が複数いてもおかしくないってそう言いたい訳?」
「そう考えるのが、妥当な線じゃないかな」
「ふーん。ま、見滝原に潜伏している魔女の数は段違いだからね――で、あの魔女は?」
キュゥべえの意見に一応の納得を示した杏子は、続けて問い掛ける。
槍の穂先で指し示すその先には、魔女らしき物体が空中でふわふわ浮かんでいた。
巨大化した金平糖みたいな身体(?)から出鱈目な方向に手足が生えていて、なんとも珍妙な見た目をしている。
「あれは『暗闇の魔女』だね」
杏子の問いに、キュゥべえはそう答えた。
「変幻自在に姿を変えることができる『夢の使い魔』を従え、性質は『妄想』を司っている」
「ちっ、幻惑タイプの魔女か。ちぃーとばかり厄介だね」
相手の性質を訊いて、舌打ちともに警戒心を露わにする。
杏子の懸念は尤もだ。この闇に乗じて、幻覚や精神に作用する攻撃を仕掛けてくるのは容易に想像できるからな。
そして何より名前からして、かなりヤバそうな相手だ……そう思ったのだが、
「いや、幻惑とかそんな器用なことをする魔女じゃないよ。自身の妄想を使い魔に命じ具現させ、気ままに遊び呆ける怠惰な魔女だからね。此方から危害を加えない限りは、ずっと妄想を繰り返しているだけだよ」
キュゥべえの解説を訊く限り、なんとも残念な魔女のようだ。
魔女の周りでは、使い魔の一団がくねくねと輪になって踊っている。
魔女の妄想が反映されているのか、使い魔の姿に統一性はなく、どいつもこいつも奇怪な姿をしていた。イメージし易いところで例えるなら、『ゲゲゲの鬼太郎』に登場する妖怪たちが盆踊りしているような感じ。
「あっそ。はぁ、また手応えのない相手っぽいね。あーあとさ、さっきの魔女は何処にいっちゃったわけ?」
「それは『影の魔女』のことかい?」
「そ、折角あとちょっとだったのに、逃げられてたら最悪」
「それはないと思うよ。おそらく、まだこの結界の外に居るはず。その証拠に結界同士が干渉し合った状態にあるからね」
「あーだから、真っ黒のままなんだ」
と、杏子が一通りの状況確認を済ませた、その流れで――
「っつーことだからさ。今度は邪魔しないでよね」
――僕と巴さんに向かって、憎たらしく文句を言ってくる。
「……佐倉さん。くれぐれも油断しないで」
それに対し巴さんは、最低限の返答をするだけに止めた。
この戦いが終ったら、杏子を説得して関係の修復を図ろうとしているのだから、これが今、巴さんが伝えられる精一杯の言葉なのだ。
「ふん。余計なお世話だね」
そんな捨て台詞のような言葉を残し、杏子はそのまま戦闘態勢に移行――長槍を引っ提げ突貫する。
周りで踊っている使い魔のことは無視して、いきなり魔女本体に攻め込んだ!
「あらよっと!」
軽い身のこなしで、距離を一気に詰めると――魔女に避ける隙を与えることなく、先手必勝の刺突を繰り出した!
魔女が串刺しになり、それだけで勝負あったかに見えた――が、杏子は即座に槍を引き抜き、更に執拗なまでに魔女を切り刻む。
なぜか一向に、攻撃の手を緩める気配がない。
「駄目です。攻撃が当たっていません」
「え?」
攻撃が当たっていない? ちゃんと槍は魔女を捉えているはずだけど……なんて巴さんの発言に疑問を覚えつつ、よくよく注視してみれば――ああ、確かに杏子の攻撃は全て、魔女を“素通り”していた。
魔女の身体が霞んで……あれは透けているのか?
何にしても、魔女の身体には、槍によって刻まれたはずの裂傷が一つも見当たらない。
と、その時――攻撃されても、ずっと身動きせずただ浮かんでいるだけだった魔女に変化が起こる。
金平糖みたいな身体がぴくぴくと痙攣したように蠢きだし、不気味というか、かなり不穏な気配が……。
案の上、その嫌な予感は的中。
身体の突起部分が鋭く尖り――まるでハリセンボンが身を護るため、全身から棘を伸ばすような感じで攻撃を仕掛けてきた。
尖った幾本もの棘が伸びてくる。それでも杏子は直前に危険を察知していたようで、ちゃんと回避の行動をとっていた。
しかし出遅れたのは否めず、どうしても避けきれない棘が身近に迫る。
「ちっ」
条件反射というべき咄嗟の判断で、杏子はその棘を槍で打ち払い、軌道を逸らしにかかった。
けれど、槍は先ほどと同様、魔女を実体として捉えることができない。まるで闇そのものを斬っているかのように槍は空振りしてしまう。
それでも杏子は寸前に、格子状に編み上げた鎖の結界を自分の周囲に展開させ、ぎりぎり防御態勢に入り、魔女の得体の知れない攻撃を防いだ。いや、ちゃんと防いだはずだったのが、魔女の棘は防御結界さえも“透過”して――
「がはっ!!」
どういう理屈か、実体のないはずのその棘は杏子の脇腹を“実体”として刺し貫いていた!
「うっ……!」
小さな呻きを洩らし、腹部を押さえながらもどうにか後退――魔女はそれ以上の追撃を仕掛けてくることはなく元の状態に戻る。
あたかもそれは、妄想中にちょっかいを出された事に腹を立て、追っ払っただけみたいな対応で、僕達のことなど眼中にないかのようだ。
でもこの場合、魔女が好戦的な性格をしていなくて助かったとみるべきだろう。
「おい、大丈夫か!?」
「佐倉さん!」
すかさず、僕と巴さんは杏子に駆け寄った。
「くそっ、ヘマしちまった…………」
怒りに満ちた声で、自身の落ち度を嘆く杏子。
右手で押さえた脇腹から、血が止め処なく溢れ出てくる。傷口を魔法で治癒しているのだろうが、その上で腕を伝い、ぽたぽたと血が滴り、地面に血溜りが形成されていく。
かなりの重傷を負っていた。このままでは相当に拙い。
「すぐに治すからじっとしてて」
「いい。自分で治せる」
「駄目よ。佐倉さん、治癒魔法は変わらず苦手なんでしょ」
「いいって言ってるだろ!」
巴さんが治療を申し出るも、杏子は訊く耳もたない。
けれど今回ばかりは巴さんが譲らなかった。
「なら好きなだけ抵抗してみなさい。できるものならね」
そう巴さんが言うや否や、杏子の身体にリボンが巻き付いた。
なんというか、手術台で暴れる患者を無理矢理大人しくさせるため、手脚をベルトで固定するような感じで、杏子の四肢をリボンで拘束したのだ。
「おい!? こらマミ!? 離せ!」
「応急処置が終ったら、ちゃんと解放するから黙ってて。でないと今度は口を塞がせて貰うわよ」
その脅し文句が効いたのか、ぼそぼそとした声で不平を漏らすものの、取り敢えず抵抗はなくなった。
~068~
治療が始まると、程なくして杏子が意識を失った。
これは多量の血液を失ったことと、気張っていた緊張の糸が
とは言え、外傷に関してはほぼ完治しており、巴さんの話では命に別状はないようだ。
これで一安心、と言いたいところだがまだ魔女の結界に取り込まれている状態なのだから、油断はできない。
そして――これからどうしたものかとしばし相談を続け、僕達は戦略的撤退することを決めた。
杏子も意識を失っている状態だし、魔女もなんだか得体が知れない。ここは態勢を立て直すべきだと、判断した次第だ。
ほむらなら何か有効な対策を知っているだろうし。
そんな訳で、僕が意識を失った杏子を抱え上げ(火憐を見習った訳ではないがお姫様抱っこである。杏子が起きていたら激しく抵抗されたことだろう)、巴さんの先導で魔女の結界からの脱出を試みる。
が、しかし。
「……駄目……みたいですね」
巴さんが何度試しても、結界からの出口が創り出せないでいた。
どうも外界との接続が上手くいかないらしい。
極力、関わるのは避けたかったが、この状況では止むを得まい。
「なぁ、キュゥべえ。これってどうなっているんだ?」
渋々ではあるが、コイツに訊いてみることにした。
「それはきっと、魔女の結界同士が歪な形で干渉し合っているのが原因だと思うよ」
僕の質問にキュゥべえはそう返答してきた。
ここ最近は不快害虫を扱うような排他的な接し方をしていたから、無視されるかとも思ったが、こういうところは相変わらず律儀な奴である。
「今、僕達のいるこの結界は、『影の魔女』の結界で覆われた状態にあるからね。だから、ここからでは直接、出口を創り出すことができないんじゃないのかな」
「なら、『影の魔女』の結界に移動してそこからなら……」
と、僕が思いつきをそのまま口にしてみたものの、
「それも、さっきから試してみてはいるんですが……」
既に試した後らしい。
つまり、この結界内からの脱出はできない…………。
なら残された選択肢はあの魔女を狩る以外ないってことか。
まぁ退路が断たれただけで、元より魔女を倒すのが主目的だったわけだし、そう悲観することでもない。撤退を決めたのも、念には念を入れた故の判断だ。
とは言うものの『暗闇の魔女』への有効な対処法が思いついていないのも事実。さてどうしたものか。
巴さんと意見交換してみるも、手詰まりな現状を思い知るだけだった。
杏子の攻撃は全て魔女の身体を実体として捉えることができなかった。だから斬撃や殴打なんかは効かないとみていい。当然、僕の刀でも巴さんの銃撃でも同じこと。ダメージを与えることは不可能だと思われる。
まだ試した訳ではないが、不用意な攻撃で魔女を刺激することは避けたい。
できることなら、一気に勝負を決めたいところだ。
そういった考えで、最悪の場合――キュゥべえに見られる事を覚悟の上で、『心渡』を使用すれば魔女を倒すことができるなんて考えも浮かんだが…………すぐに致命的な問題に気が付いた。
『心渡』の特性を一言で説明すると『かすり傷一つでこの世ならざる者を殺し尽くす』――既に何度か語っている通りだ。
で、今回の場合、その『かすり傷』がつけられない相手なのである。
これは、大見得を切って実行に移す前に気付けてよかったと見るべきかもしれない。無様に魔女の返り討ちにあい、串刺しにならずに済んだのだから。
うーむ……にしても、一向に打開策は出てこない。
「攻撃を無効化とか、どうしろってんだよ……」
変わりに出てくるのはこんな泣き言だけだ。
と、そこでふと、あの『エピソード』との一戦が頭を過る。
ヴァンパイアハーフにして、ヴァンパイアハンターを生業にする性悪な男。個人的に大嫌いな奴だ。
話題の俎上にあげるだけで、あまりいい気分ではないので、こいつの説明は省略して、関係ある要点だけを抽出すると、奴の得意とする戦術の一つに、自身の肉体を霧状に変化させ攻撃を全て無効化するというものがあった。
ヴァンパイアの有する変身能力。
この魔女の特性と似通ったところがあるのではないか?
あの時は羽川の助言で、『霧化』したエピソードに砂場の土を浴びせることで強制的に実体化させることに成功したんだよな。
「どうにかして、あの魔女を実体化させる
「……ですね」
しかし、そんな手段が簡単に思いつくようなら苦労はしない。
巴さんからも、沈んだ返事しか返ってこなかった。
「なぁ。お前は何か有効な対策知らないのか?」
もう駄目もとでキュゥべえに頼ってしまうような有り様だ。
「知ってるよ」
でも、キュゥべえが知っているような、そんな都合のいい展開があるはずも…………って、ん?
「知ってんのかよ!!」
思わず前時代的な懐かしいノリでツッコミをしてしまったぞ、この野郎!
「知ってんなら、さっさと教えろよ!」
「訊かれなかったからね」
キュゥべえは悪びれもせず言った。言い切った。
まぁキュゥべえに対して、基本不干渉するよう強いてきたのは僕達だからな……。
それでも勝手な言い分だと重々理解して言わせて貰えれば、何というかもっと臨機応変に対応してくれよ! そう思わずにいられない。
「で、ほんとに有効な対策なんてあんのかよ?」
「あるにはあるけれど、言ったところで意味はないと思うよ」
「んなわけないだろ?」
何を言っているんだコイツは?
「取り敢えず、その有効な策とやらを教えてくれないか?」
「まぁ構わないけど――まず『暗闇の魔女』はそこまで手強い魔女じゃないよ。というより寧ろ最弱の部類だ」
キュゥべえはそう切り出した。
魔法少女として相当な手練れである佐倉杏子を、戦闘不能に追い込んだ魔女。それを最弱の部類だとキュゥべえは評するのだった。
「いやいや…………んな馬鹿な話があるかよ」
「これは紛れもない事実だよ」
僕の反論を受け、キュゥべえは重ねて断言した。その上で――
「ただ、“本来は”とそういった注釈をつけるべきかもしれないね」
――なんとも回りくどい言い回しで、キュゥべえは付け加える。
「ええっと、要するに、本来はここまで強い魔女じゃないってそう言いたいのか?」
「そういうことだね」
「まぁそれはいいとしてだ。さっさと本題に入ってくれよ。ちゃんと有効な対策があるっていうなら、別に問題ないわけだろ?」
「そうとも言えないよ。対策が明確であるからこそ、より問題が浮き彫りになることもあるからね」
僕の催促に、妙な前置きを挟み、ようやく『暗闇の魔女』への対策を話し始める。
僕達の置かれた状況を“懇切丁寧”に語ってくれた。
「『暗闇の魔女』はその通称通り、暗闇を好み、闇の度合いが深いほど力を増幅させる。そしてこの魔女は君達も知っての通り、闇と同化することであらゆる攻撃を無効化することができる。更に、部分的に実体化することも可能だ」
それで杏子の攻撃が一つも通じなかったり、一方的に攻撃を受ける結果になったのか。
闇と同化なんていう凶悪なスキルを持った魔女が最弱の部類だなんて、どういう冗談だろう?
「でも、この魔女の強みは暗闇の空間に於いてのみに限定される。言い換えれば、この魔女は光に弱い。いや、途轍もなく弱いと言える。そうだね、微量でも光源――例えば街の灯りや、微かな星の輝き、それこそソウルジェムが放つ程度のわずかな光でもあれば、十二分に効果はあるはずだよ。それで魔女の動きを弱らせ、強制的に実体化させることが可能だ」
闇に対して光が弱点だっていうのは、まぁRPG世界に於いてもごく当たり前の理論だ。
「なんだ、こんな簡単な方法で魔女の力を抑えることができるのか」
「あの、阿良々木さん、この場合そういうことではなく…………」
「ん?」
「その、これどう見えますか?」
巴さんが悲愴感を漂わせた声で、自身の頭を指差す。
正確には、帽子についた花形の髪飾りを指差していた。
「どう見えるって…………この結界の中じゃ、大まかなシルエットでしか判別できないけど、確かそれ、巴さんのソウルジェムだよね」
「はい。今、かなり強めに魔力を込めてみたんですが、何か変化はありましたか?」
「いや、変化って、全くちっとも…………この影絵空間じゃ真っ黒のままで………あ……そうか」
そこでようやく思い至った。
――対策が明確であるからこそ、より問題が浮き彫りになることもある――
キュゥべえが発した言葉の意味を、遅蒔きながら理解した。
「そういうことだね。今この結界の中では“光が光に成りえない”。『暗闇の魔女』への対抗手段である光が、この状況下ではどうやっても生み出すことができないというわけなのさ」
僕達の置かれた現状を淡々と述べ立てるキュゥべえの声が響く。
そして、ただ事実確認だけを目的とするような事務的な口ぶりで、キュゥべえは僕達に宣告した。
「つまり、影と闇によって組成された光が存在し得ないこの空間に於いて、『暗闇の魔女』はほぼ無敵の存在になったと言っても過言ではないだろうね」
暗闇の魔女(ズライカ)。
多分、知らない人の方が多いでしょうが、ちゃんと原作準拠の魔女です。ただ原作には登場しておらず設定のみ。
『物語シリーズ』に登場する『くらやみ』とは全くの別物ですし、オリジナルの魔女でもありません。
気になる方は、まどマギ公式サイト(SPECIAL→魔女図鑑)を確認してみて貰えれば。
『夢の使い魔(Ulla)』はアニメ三話冒頭に一瞬登場しています。
能力などは既存設定を参考に改変している部分がありますので、ご了承ください。