~077~
「それで――アタシへの話ってのは、もしかしなくてもワルプルギスを倒すのに協力しろってことかい?」
一連の話――『ワルプルギスの夜』についての話が一通り終わったところで、先んじて杏子が口を開いた。
話の流れから、大よその事情を汲み取ったようだ。
「ええ、察しが良くて助かるわ」
それに対しほむらは、取り澄ました表情で肯定を示す。
「今週末にでもこの見滝原に現れるんだっけ? 噂で訊いたことぐらいあったけどさ、アンタはどうしてヤツが現れる場所と日時まで予測できるんだい?」
「統計よ」
「統計だ? おいおい……それをどう信じろっていうのさ」
「別に無理に信じる必要はないわ」
「はぁ?」
「だってそうでしょ。現れなければ取り越し苦労だったってことで済ませればいいだけの話なのだし。だから今語るべきことは、一つの可能性として『ワルプルギスの夜』が来襲した場合に、あなたが手を貸してくれるかどうかよ。いつ来るか予測できない災害に備えて、準備することは決して無駄ではないでしょ」
「ものは言いようだね」
ほむらの言い分に共感した様子もなく、杏子は憮然とした面持ちのまま手近にあったジャムクッキーを掴み取り乱暴に口に運ぶ。
ここだけを切り取れば、張り詰めた空気に支配された、剣呑な会談風景のように思えるかもしれないが――実際にはそれほど重苦しい雰囲気というわけでもなかった。
というのも。
「もー佐倉さん。ポロポロこぼさないの。ほら、口元にジャム付いているわよ」
「あーもういいって自分でふくから!」
杏子が食べ溢したクッキーの欠片を拾い上げ、口元の汚れをティッシュで拭ってあげようとする巴さんの母性溢れる行動と、なぜかほむらの横にべったりとくっついた美樹の存在が、どうにも空気を弛緩させているからだ。
些か緊張感に欠けるような気がしないでもないが、殺伐とし過ぎるのもよくないので、これでいいんだろう。
しかし美樹は本当にどうしてしまったんだ?
失恋の影響で、精神に異常をきたしてしまったのだとすれば一大事だけど……ほむらが自宅に美樹を泊めたというし、その時になんらかのやり取りを経て、急速に仲がよくなったとみるべきなんだよな。
でも傍目から見ていると仲が良くなったのではなく、美樹の方から一方的に懐いているといったほうが正しい。なんかほむら嫌そうだし。
どうすれば一夜にして、ここまで人間関係に変化が生じるのか……。
まぁ美樹のこの心境の変化は、決して悪い方向に作用しているわけでもないんだよな。寧ろプラスに作用していると言えた。
いやほんと、ほむらが美樹を連れてやって来た時は肝を冷やし(事前のメールではほむら一人で来る予定だったのだ)、険悪の仲である杏子とどう折り合いをつけさせればいいのかと焦ったものだ。
なんせ数日前に殺し合いをした間柄である。
だがどういう訳か、杏子が食って掛かるのを美樹が大人の対応でスルーしてみせたのだから、驚きを禁じえない。
冗談でも大げさでもなく、この場が戦場になってもおかしくなかったからな。本当に助かった。
「で、もし仮にアンタの話が的中したとしてもさ、アタシが手を貸さなきゃいけない理由はないよね? 別にアタシはこの町がどうなろうと知ったこっちゃないし、噂によればワルプルギスってのは、相当に手強いヤツなんだろ? 勝てる見込みがない相手に下手に手を出して、無駄死にするのは御免だね」
まぁ変に話が拗れなったというだけで、本題である杏子の説得は難航しそうだ。
見滝原の命運がかかっている非常事態であれど、杏子の出身は隣町の風見野だし、例え風見野に被害が出ようとも杏子は気にかけないのかもしれない。
それに加え杏子がほむらに対しあまりいい印象を持っていないのも痛い。
気に食わない相手からの頼みごとなど、誰も訊き入れたくはないものだろう。事情がどうあれ突っぱねたくなるものだ。
交渉は自分に任せろとほむらは豪語していたけれど、いったいどうするつもりなのか?
このままでは交渉決裂が目に見えている。
まぁなんにしても、今はほむらの抗弁に期待するしかないか。いや最悪、僕と巴さんで誠心誠意、平身低頭頼み込むことも念頭に置いておくべきだろう。
「あなたの言い分は尤もだわ。多分、私が逆の立場だったなら、訊く耳さえ持たなかったでしょうね」
「なら、大人しく諦めてくれんのかい?」
「いえ、『ワルプルギスの夜』を倒すのに、あなたの力は必要不可欠。そう簡単に諦めるつもりはないわ」
「へぇ。随分と高く買ってくれたもんだね。でも、その期待に応えてやる義理はないんだよね」
「でしょうね。あなたが義侠心にかられ、率先して協力してくれるとは思っていないし――無論、私だってただで手を貸してくれだなんて虫のいいことを言うつもりはないわ。これはあくまでも"依頼"よ。あなたが納得してくれるよう、それなりのメリットを提示させて貰う。断るのはそれを訊いてからでも遅くはないでしょ?」
そう言えばこいつ、交渉材料を用意してあるとか言っていたな。
だけど、秘密主義のほむらが僕に事前に教えてくれる訳もなく、それが何であるのか僕は知らない。
「ふーん、そりゃ興味深い話ではあるね。なら、早速そのメリットとやらを教えてもらおーじゃないの」
杏子が値踏みするように眼光鋭く問い質すと、ほむらは至極端的に答えた。
「グリーフシードをあなたに譲るわ」
「ん? それはワルプルギスを倒した時に獲られる、グリーフシードの占有権をアタシに譲るって話かい?」
「それは勿論そのつもりだけど、今私が言っているのは前料金として、私が所持するグリーフシードを譲るということよ」
「そりゃ確かに一考する価値のあるメリットかもだけどさ、個人で所持するグリーフシードの数なんてたかが知れてるよね。残念だけど、アタシを納得させるにはちょっと厳しいんじゃないの。ま、どうしてもっていうんなら、グリーフシード十個で手を打つよ。そん時は喜んで協力させてもらおうじゃないか」
ほむらの高圧的な態度(本人は自覚ないんだけどね)が気に入らなかったのか、杏子は小馬鹿にしたようなニュアンスで言った。
無茶な要求でほむらを茶化すことが目的なのだろう。
「佐倉さん、それはあまりにも横暴だわ。あなただってグリーフシードの希少性は十分わかっているはずよ! そんな蓄えあるわけないじゃない!」
それに対して真っ先に反発したのは、ほむらではなく巴さんだった。
杏子との交渉役は、ほむらに一任することになっていたのだが、さすがに口を挟まずにはいられたなかっといった感じか。
巴さんが声を荒げるのも尤もである。
ただでさえグリーフシードの確保に苦心している状況だというのに、それを十個だなんて到底支払える数じゃない。
おいそれと備蓄できるようなものじゃないし、慢性的に不足しているのが現状である。
僕が知る限りで巴さんの手持ちが三個、美樹が一個。ほむらの所持している数は知らないが、言っても巴さんと同数ぐらいだろうし、これがいかに馬鹿げた数をふっかけられているのか、わかろうというものだ。これでは交渉もなにもあったもんじゃない。
「なにさ。マミにとやかく言われる筋合いはないじゃんよー! 断るのはアタシの勝手だろ!?」
「そうかもしれないわね。でも、あなたがそのつもりなら私にも考えがあるわ」
底冷えするオーラを纏いながら、巴さんがおどろおどろしい声音を響かせ微笑する。
それは見るものに畏怖を押し付ける、氷の笑み。
そして――無慈悲に通告した。
「今、オーブンでじっくり焼き上げているアップルパイは、佐倉さん以外の皆で分けることにします」
「え?」
杏子が茫然とした面持ちで巴さんを見やる。
しかし、そんな彼女の悲嘆に暮れる様子に同情することなく、巴さんは追い討ちをかけるように一気に捲し立てる!
「知っているわよね。私が丹精込めて作ったアップルパイの美味しさは! 何層にも織り込んで作ったパイ生地が生み出すその触感はサクサク! 中には程よい甘みのカスタードクリームでコーティングされた、しっとり甘酸っぱいリンゴがこれでもかと敷き詰められているわ。そして隠し味程度に利かせたシナモンの風味。熱々のアップルパイに添えられた冷た~いバニラアイス! 一緒に食べれば極上のハーモニーを奏でることでしょうね。それを佐倉さんは指をくわえて一人で見ているだけ! 当然、この場から逃げようとしても無駄よ。今のあなたは私のリボンによって拘束されている。目を閉じようとも、甘い香りがあなたの鼻腔を刺激する。この責め苦にあなたは耐えられるのかしら!?」
いやいや、杏子の食い意地が張っているからといって、こんなことでどうにかなるはず――
「ひ……卑怯だぞマミ!? それはアタシの為に作ってくれてたんじゃないのかよ!?」
杏子がうろたえていた!!
「知りません。私の家の材料で私が作ったものなんだから、佐倉さんにとやかく言われる筋合いはないはずよね。断るのも私の勝手でしょ?」
意趣返しとばかりに、杏子の台詞を真似て巴さん。
「うっ……だって……お菓子を食べる量も少なめにして……ずっと楽しみに待ってたのに…………」
これは!? もしかしてあと一押ししたら、どうにかなるんじゃないのか!?
「巴マミ。あなたは余計な口を挟まないで。交渉は私に任せてといったでしょ」
と、そこに割って入ったのは空気の読めていないほむら!
「え、でも」
「いいから私に任せて頂戴」
「暁美さんが、そこまでいうのなら……」
「おい、待てよ。アタシのアップルパイはどうなるんだよ!?」
「私と阿良々木暦の分をあげるから、それで我慢なさい」
「え? いいの!? お前いいやつだな! サンキュー!」
なぜ僕の分まで!? 声を大にして抗議したかったが、ほむらの評価が上昇している手前、ここでケチをつけるのは躊躇われる。つーか文句を言おうものなら、後で泣きを見るのは僕なので、それこそ泣き寝入りするしかないのだけれど。
つーか、あのまま見守って巴さんに任せていれば、ほぼ無条件(アップルパイのみ)で協力してくれたんじゃないのか? そう思ってしまうのは幾らなんでも杏子を馬鹿にし過ぎだろうか?
「さて、話を戻させて貰うわ。佐倉杏子、あなたの要求をもう一度確認しておくけれど、グリーフシード十個、それで間違いないのかしら?」
「ん? まぁ確かに言ったけどさ」
「そう。よかったわ。先にはっきりとした数を提示してくれて。あなた自身で言い出したのだから、今更、意見を変えないで頂戴よ」
「おいおい。意見を変えるって、そりゃどういうことだい。まさか、本当にグリーフシードを用意しようってんじゃないだろうね?」
この反応をみる限り、やはり杏子にしても断る為の方便として言った発言で、本気ではなかったのだろう。
だがしかし。
「そのつもりだけど」
真顔でほむら。
「…………いや、そのつもりって、簡単に言ってくれるけど、どうやって工面するつもりなんだい?」
「なぜ、今から工面して回ると思っているのかしら? 手持ちで十分賄える数よ」
「はい?」
杏子のぽかんとした反応を無視して、ほむらは徐にショルダーバッグの中からのビニール袋を取り出す(ちなみに僕以外この場にいるメンバーは全員私服だ)。
それはごくごく普通のロー○ンのコンビ二袋であったのだが、その中には大量の黒い物体が……上下が細く尖った丸い球体のシルエットが透けて見える。
ほむらの発言から鑑みて、グリーフシードで間違いなさそうだ。数は軽く十個以上。
つーか、ビニール袋なんかに入れているから、袋から突起部分が突き出てんじゃねーか!?
扱いが雑過ぎだろ!? 袋が破けて落としたらどうすんだ!? 希少なもんなんだから、もっと丁重に扱えよ!?
色々突っ込みどころ満載ではあるが、ぐっと堪えて成り行きを見守る僕。
「あなたの望みどおり、グリーフシード十個。確実にはあるはずよ」
「いや……その……そんなつもりじゃ……」
「もし足りないのであれば、もう少しぐらい上乗せしても構わないわ」
「え? ううん、だい……じょうぶ……つーか、ほんとにこれ、貰ってもいいのかよ?」
「それは勿論。これは依頼だといったでしょ。正当な対価なのだから、受け取って貰わなければ、こっちが困るわ」
「……じゃあ……遠慮なく……貰っとくよ。いや、何か、わりぃな。あ、そうだ、アンタの分のアップルパイは返すよ。流石に貰ってばかりじゃ気が引けるし」
「あら、そう? ではこちらも遠慮なく」
…………一応これで話は纏まったのだろうか?
まぁ過程はどうあれこれで杏子の説得……いや、説得などではなく、ほぼ買収したような感じだけど、何にしても、無事新たな魔法少女を仲間に引き入れることに成功したのだった。
しかし、なんだろこの釈然としない負の感情は。
あ、そうか。僕のアップルパイは返ってきていないんだ。