~078~
巴さん特製のアップルパイをご馳走になりながら親睦会のようなものを開催し(僕の分は心優しい巴さんがわけてくれた)、それから今後の方針を軽く話し合ったところで、その日の会談は終了となった。
日課のパトロールに関しては、ほむらからの提案もあり中止――彼女曰く、『ワルプルギスの夜』が現れるその日まで、見滝原周辺に措いて際立った活動を起こす魔女はいないということらしい。というかほむらの手によって既に退治されたというのが事の真相のようだ。
そりゃあんだけのグリーフシードを手に入れたんだから、必然的にそれ相応の魔女を仕留めたことになる。
これは勝手な憶測だが、ここのところほむらがずっと一人で行動していたのは、そういった裏事情があってのことなのかもしれない。
まぁそんな訳で、いつもより少し早い時間に帰宅することになったのだ。ちなみに杏子は当面の間、巴さんの家で厄介になるもよう。
自宅に帰り着いたのは、夜の八時になろうかという時分。
お気に入りのマウンテンバイクにチェーン錠を施したのち(こんな郊外の田舎町、盗難などそうそう起こりようもないのだけれど)、明かりのついた我が家の扉を開ける。
「兄ちゃん、おっかえりー!!」
と、同時に溌剌とした大きな声。
なぜかそこには大きいほうの妹の姿が。
阿良々木火憐。上の妹。栂の木二中に通う中学三年生。ファイヤーシスターズ実戦担当。
いつもと代わり映えのないジャージ姿(部屋着用)の愚妹である。
多分、自転車に鍵をしていた時の物音に気付いて出てきたんだろうけど……懐いたペットでもあるまいし、わざわざ玄関口にまで出迎えにきてくれるような、出来た妹ではないはずなのだが?
「おう、ただいま。で、どうした。また厄介事か?」
だとすれば、何かしらの問題が起こったから、その報告にやってきたってのがいかにもありそうな話だ。
「何だよ。厄介事って」
「違うのか?」
よくよく観察してみれば、表情がやけににこやかだしな。少しばかし邪推が過ぎたようだ。
はて、何か良いことでもあったのだろうか?
と、そこで僕は気付く。
火憐が両手を後ろに回し、何かを隠していることに。
「なぁ、火憐ちゃん。手に何持ってんだ?」
「さっすが兄ちゃん。鋭いぜ! もう気付いちゃったか!? なら、出し惜しみせず、見せちゃおっかな! ジャジャン!!」
そんな自前の効果音と共に、火憐は後ろ手に隠し持っていた"モノ”を披露した――僕の眼前に突き出した。
「!?」
それを――いや、"そいつ"を目にした僕は絶句する。
「ふっふーん。変わった見た目だけど、この猫可愛いだろう! な、兄ちゃん!」
意気揚々と同意を求めてくるけれど、それに答えてやれる余裕などあろうはずもなかった。
確かに、見た目だけなら"可愛らしい猫"に見えなくもないが――
どう見ても――
嘘だと信じたくても――
火憐が手に持っている猫の正体は――キュゥべえなのだから。
って、これ以上ないレベルの厄介事じゃねーか!
どうすんだよおい…………頭が真っ白だ。思考がままならず、呆然と突っ立っていることしかできない。
「おーい? 人の話ちゃんと訊いてんのかよ!」
「ああ、悪い。うん。可愛い……猫だな」
動揺している所為か、どうにも反応が鈍くなってしまう。
でもここで取り乱してはいけない。
落ち着け。落ち着くんだ僕。まずは状況を正確に把握しなければ。
「で、火憐ちゃん……その『猫』……いったいどうしたんだ?」
「拾った」
「……いや、まぁそうなんだろうけどさ……何時どこで?」
「ん、ああ。道場の稽古から帰ってきたそん時に、家の玄関前に居たんだよ。なんか誰かを待ってるみたいに、ちょこんと座ってた」
「……そうなのか」
「そうなんだよ。そんでさ兄ちゃん、驚くなよ。いやちゃんと驚いてくれよ。なんと、この猫! 喋れるんだぜ!!」
「お前!? こいつと喋ったのかっ!!?」
いや、そりゃそうか。
キュゥべえが人間側の常識に配慮して、わざわざ普通の動物のように振舞うことなどあろうはずがない。そんな気の利いた奴じゃないのだ。
「ふっふっふ。やっぱ、驚くよなー。期待通りいいリアクションしてくれるぜ!」
僕の驚いた反応に上機嫌な火憐ではあるが、僕達の間には決定的な認識の隔たりが生じている。
今更言うまでもないことだろうが、一応注釈しておくと、僕が驚いているのはキュゥべえと火憐が言葉を交わしてしまった点についてである。
キュゥべえが喋れることなど、百も承知だ。
「つーかさぁー訊いてくれよ兄ちゃん。なんか知んねーけど、月火ちゃん猫なんかいないってあたしのこと白い目で見て、頭がおかしくなったとか、拾い食いでもしたのとか言いたい放題いいやがんだよー。ひっどいよなー。そりゃ、かなり風変わりな見た目だし、世にも珍しい喋る猫の存在を信じたくない気持ちもわかるんだけどさ。最終的には相手にもしてくんないんだぜ」
どうやら、月火には魔法少女になる資格がないらしい。姉妹でどういった線引きがされているのか全く検討もつかないが、そんなこと今はどうでもいい。
「……そりゃ、酷い扱いを受けたな……うん、可哀想に」
取りあえず火憐の愚痴に話を合わせつつ、どう対処するべきかを考える。
いや、なによりまず先に。
「なぁ。その猫、僕にも抱かせてくれよ」
「おう、いいぜいいぜぇ――ほい」
キュゥべえを受け取り、一応は赤子を抱きかかえるような体勢で、
「いやー綺麗な毛並みだなー。可愛いなぁ」
などと感想らしき言葉を並べ、見せ掛けのポーズとして頭を撫でてやる(心持ち乱暴に)。
次いで。火憐には気付かれないようキュゥべえに向かって――「これ以上一言も喋るな、いいな」と、小声で釘を刺しておいた。
今までの経験上、こういった要求に対しては案外素直に聞き入れる傾向があるので、多分これで余計な口を挟まれることはなくなっただろう。
これ以上話がややこしくなるのは御免だからな。
でだ。
「えっとさ火憐ちゃん。さっき、この猫と喋ったって言ってたけど、いったいどんなことを話したんだ?」
どうにか平静を装い、平素の口調で僕は質問した。
「ああ、それがさーあたしには素質があるだとか、悪い魔女と戦って欲しいだとか、願いを何でも一つ叶えてくれるとか」
要点を掻い摘んだざっくりとした断片的情報なれど、これだけでどういった旨の話がされたのかは明白だ。
そして――案の定、火憐は決定的なワードを口にする。
「そうそう、魔法少女になってくれって頼まれた」
くそ、最悪の展開じゃないか!
町の平和を護る正義の味方を自認するファイヤーシスターズの火憐にとって、この誘いはかなり魅力的なはずなのだ。
戦闘あり、かつ願いを叶えてくれるだなんて付加要素まである。これに食い付かないはずがない。
深く考えもせず、二つ返事で承諾する火憐の姿が容易に想像できた。
「……もしかしてお前、それを受け入れたのか!?」
「お、兄ちゃん。あたしの話を信じてくれるんだ。てっきり馬鹿にされるもんかと」
「火憐ちゃんが嘘を吐くような子じゃないって僕は知ってる! で、どうなんだ!? 魔法少女になっちゃったのか!?」
火憐が言うように、本来であれば『魔法少女のことなんて何馬鹿げたこと言っているんだ』と、そういった振る舞いをしなければいけないところだが――余裕のない僕は、つい責めるような口調でもって火憐に詰め寄っていた。
だが、僕の予想とは裏腹――
「いや、断ったけど」
意外や意外。キュゥべえからの要請は訊きいれなかったのか。
ともあれ最悪の展開にならずにほっと胸を撫で下ろす。
でもそうなると、どういった理由でこの判断を下したのか気になるな。
「なんつーか、お前のことだから、喜び勇んで応じるものかと思ったんだけどな。ほら、危険な橋があったら、嬉々として渡ろうとするだろ」
興味本位で遠まわしに訊いてみた。
「んー面白そうな話だったけど、だってスカート履きたくなかったし。セーラー戦士のような格好で戦うのは、あたしの信条に反する!」
思いの外くだらない理由で断っていた!
魔法少女がどういう姿で戦うものなのかは、イメージとして一応持ち合わせているようだ。
まぁどちらかといえば、女の子ながら仮面ライダーとかに変身して戦うアクションヒーローの方が似合いそうな奴である(注釈として、現代では女性がライダーになる作品は結構あったりする)。
「ま、それが断った第一の理由ではあるんだけどさ、何でも願いを叶えてくれるとか、不思議な力が宿るとか、そういうのって正直迷惑なんだよな」
「ん? 迷惑ってどういうことだ?」
「ほら、願いを叶えるって言い換えれば、自分の夢を叶えるってことじゃん? でも夢ってのは己の努力によって掴み取るもんだろ。あたしの今の目標は師匠とさしでやりあってぶっ倒すことだからな。自分自身の力で勝たなきゃなんの意味もないし。うん、だから与えられた力なんてあたしはいらない」
ほんと、こまっしゃくれたことを言いやがる。
深く考えずして深いことを言う奴なのだ。くやしいが、有り体に言ってかっこいい。
生き様がどこまでも男らしい。こいつこそ男の中の男だと言っても過言ではないのではなかろうか。
「そんでさ、兄ちゃん。この猫飼っていい?」
話が一段落ついたところで、火憐が切り出した。
まぁキュゥべえの本性を知らなければ、普通に可愛らしい小動物だしな、気持ちは理解できる。
しかし、そんなの駄目に決まっている。
ただ、下手に突っぱねると、反って意固地になって駄々を捏ねられるという可能性もある。ヒステリーを起こした月火よりはまだマシだとはいえ、そうなると火憐も火憐で面倒くさい。
なので、それらしい理由をでっち上げ、口からでまかせで言い包めるしかないのだが、咄嗟に上手い言い訳が思い浮かぶはずもない――と本来であれは、苦慮する場面ではあろうが、幸いにも(?)、常日頃から妹達に対して虚言を弄して嘘をつきまくっている僕にとってこんなの朝飯前だった。
「それは駄目っつーか無理だな」
「おいおい兄ちゃん、駄目ではなく無理ってのはいったいどういうことだよ。兄ちゃんって猫アレルギーとかあったっけ? って普通に触ってるもんな。じゃあママに反対されるとか? でもママ無類の猫好きだし、頑張って頼めば大丈夫なんじゃねーの?」
「いや、そういうことじゃなくてだな――こいつ飼い猫なんだよ。ほら耳輪つけてるだろ」
耳輪(イヤリングを除く)なんてもの寡聞にして知らないが、つーかどう見ても浮いてるんだけど、これなんなんだろうな。
「そんでさ、今しがた思い出したんだけど、ほんとたまたま帰宅途中にさ、ふと見た電柱に猫を探していますみたいなチラシが張ってあって、多分こいつのことだと思うんだよな。うん、特徴も同じだしきっとそうだ」
矢継ぎ早に嘘を重ねる。我ながらかなり強引な理由付けだ。
「ありゃりゃ。なら家では飼えないか」
まぁそれでも僕の虚言をなんの疑いもなくあっさり信じてしまうのが、この妹だ。素直というか単純というか馬鹿というか。まぁ喋る猫を前にしたら、どんな荒唐無稽な話でもずっと信憑性は高いと判断したのかもしれない。
「まぁつーことだからさ。残念だけど諦めてくれ」
「うん、わかった」
「飼い主の人も心配しているだろうし、僕が責任を持って早急に送り届けてくるよ! じゃあ行ってくる!」
「おう! 兄ちゃん頼んだぜ!」
とまぁそんな兄妹間のやり取りをすませ――帰宅したのもつかの間、僕は阿良々木家から出て行くことになったのだった。