~082~
僕と羽川の二人以外、他には誰もいない静かな教室。
作業スペースとして机を向かい合わせに引っ付け――羽川の的確な指示を受けつつ、黙々と作業をこなしていく。
もっぱら僕の役割は雑務だった。
羽川が書き上げた文化祭の計画表を職員室までコピーしにいき、その刷り終わった用紙(再利用のわら半紙)を、冊子のように纏めてホッチキスで綴じていったりと。
ちなみに、軽く目を通してみたのだが、個人個人の適性に応じた割り振りが事細かに書き記されており、買い出しリストやグラフ化された進行表などなど……どこぞの一流企業に提出する企画書のようだった。
「ねぇ、少しいいかな?」
そして作業が一段落ついたところで、羽川は徐に切り出した。
いや、それとなくずっと機会を窺っていたのかもしれない。
「ん? どうした?」
「阿良々木くん、無理してない?」
「無理って……別にこれぐらいの作業で、疲れたりなんか――」
「そういうことじゃなくて」
僕の言葉を遮って、真剣な表情で羽川は言う。
「自分では平静を装っているつもりかもしれないけど、すごい思い詰めた顔してるよ。作業中もどこかずっと上の空な感じだったし」
「何でもないって。ちょっと昨日夜更かししたから眠たいだけで」
羽川の追及に、僕はそれっぽい言い訳で対抗する。
だが、相手は火憐のような単細胞じゃない。それですんなり納得してくれるはずもなく――
「ううん、そういうのとは違う気がするな。悩み事があるのなら……んー、これもちょっと違うかな……うん、今の阿良々木くん、私には苦しんでいるように見える。そんなのほっとけないよ。私に出来ることなんて、高が知れているけどさ――私、阿良々木くんの力になりたい」
僕の精神状態などお見通しのようだ。つーか、羽川は自分自身の力を過小評価し過ぎだ。
「……いや、これは、お前には全く関係のないことで」
「やっぱりあるんだ」
しまった! 言質を取られた!
「関係がないなんてことあるわけないでしょ。阿良々木くんが悩み苦しんでいるのなら、それだけで関係大ありだよ」
僕の顔を真正面から射抜くように見つめながら、更に羽川は言葉を重ねる。
「だって私達……友達でしょ?」
力強く頼もしい、縋りつきたくなる言葉だった。
「……そうだけど。友達だけど……でも」
「その口ぶりから察するに、私を巻き込みたくないって感じかな。阿良々木くんらしいけれど、もう私決めたから。阿良々木くんの相談に乗るって」
「気持ちは嬉しいけど、そんな相談の乗り方ってあるかよ! 自分勝手すぎんだろ!」
「自分勝手で結構です」
お節介な性格だとは、身に染みてよく知っているが、ここまで頑なな態度をとるのは珍しい。
「あのな……羽川――」
そこから同様の押し問答が繰り返されることになる。
僕が突っ撥ね、羽川が訊きいれず、みたいなやり取りを数回に渡って――だけど、最終的に僕が折れるしかなかった。
決め手となったのは羽川のこの台詞。
「だったら、勝手に調べるよ」
これ以上ない脅し文句だった。
こいつの場合、意図も容易く真実に辿りつく。それはもう間違いなく。絶対に。
忍野が僕に警告していたことだ――羽川は有能過ぎるのだと。
そして羽川の力強い眼差しは、一切引く気はないと雄弁に物語っていた。
こうなった彼女は梃子でも動かない。主張を曲げることはないとみるべきだ。
そうなると、僕が頑なに口を閉ざそうとも無意味――反って彼女を巻き込むことになりえる。
探りをいれるという行為は、それだけで危険を伴うものなのだ。
もし罷り間違って、魔女の結界に取り込まれたら、幾ら羽川が有能だとはいえ抗う術はない…………のだろうか?
うーむ……機転を利かしてどうにかしてしまいそうな気もするが、それでもやはりリスクが高すぎる。
ならば、前以て危険性を知らせ、警戒を促し対処してもらったほうが、幾らかマシといえよう。
それにあの忍野が一目も二目も置く存在である羽川なら、何らかの妙案を提示してくれるのではないかという期待がないわけでもなかった。
僕だけの個人的な問題なら、意地でも拒んだだろうが…………彼女達のことを思えば。
そんな葛藤もありつつ、僕は重い口を開いた。
僕が知り得る全ての情報を――ただ、ほむらの時間停止の魔法に関しては、口止めされているので伏せておいたが、それ以外のことは、出来うる限り詳細に伝えたのだった。
~083~
「…………難しい問題だね。答えがないというか、既に取り返しがつかない段階に入っているというか…………」
僕の話を訊き終えた羽川は、重々しいトーンでそう言った。
多分、僕には及びも付かない次元で、思考を巡らせてくれてはいるのだろうけれど、根本の問題が変わるわけではないのだから、この結論に行き着くのは当然と言えた。
有能な羽川とは言えど、決して全能ではないのだから。
至極真っ当な総評だと思う。
「悪い羽川。こんなどうしようもないレベルの厄介事、やっぱり話すべきじゃなかったな」
「謝られても困るかな。これは私が無理に訊き出したことなんだからさ――阿良々木くんこそ変に一人で背負いこもうとしないで。それにまだ、阿良々木くんが“どうしたいのか”を聞いてない。まずそれをはっきりさせとかないと」
「どうしたいって言われてもな…………幾ら考えても何も思い浮かばないぜ。どうすることもできないってのが現状だよ」
考えれば考える程に、打つ手のなさを思い知るだけだった。
「違う違う。別に解決策を講じて欲しいんじゃなくて、私が聞きたいのは、阿良々木くん自身がどうしたいのかを教えて欲しいんだよ」
「……僕自身がどうしたいのか?」
「どうすることもできないからって、彼女達の事を諦めることができるの?」
「んなことできるかよ! 諦めるつもりなんてない! 助けたいに決まってる!」
「だよね。阿良々木くんならそういうと思ってた。じゃあさ、その上でもう一つ質問――阿良々木くんは誰を助けたいの?」
「誰って……皆だよ」
「『皆』って、それは阿良々木くんと関わった子達で『皆』かな? それとも――世界中全ての魔法少女の子達で『皆』?」
「…………」
僕は言葉を詰まらせる。
口で言うのは容易いが、しかし――でも、それでもどうにか僕の考えを羽川に告げる。
「…………………出来ることなら全員救いたい。世界中全ての魔法少女を…………皆」
が、その声量は小さく、力ない言葉を返すことしかできなかった。
僕自身、どれだけ無茶なことを口にしているかが解かっているからだ。
「けど……現実問題、これは理想論と言わざるを得ないよな……」
唯でさえ手を拱いているお手上げ状態なのに、それを世界規模でどうにかしようなんて…………。
「阿良々木くんがそんな弱音吐いてどうするの。“諦めるつもりなんてない”じゃなかったのかしら? まぁ途方に暮れるしかない状況だっていうことも判るけど、別に私は阿良々木くんを止めるつもりで、こんなことを訊いたんじゃないよ」
叱りつけるような厳しい口調ながら、それはとても優しい声音だった。
「ただ生半可な気持ちじゃ立ち向かえないってことを、知っておいて欲しかったから。無茶を押し通すつもりがあるのなら、阿良々木くんもそれ相応の覚悟が必要だよ。気持ちで負けてたら、絶対に上手くいきっこない。始める前から負け戦になっちゃうよ」
「そう……だよな。僕がこんな調子じゃ、駄目だよな」
ほんと、いつも助けられてばかりだ。
「うん、いい顔付きになったね。その調子その調子――じゃあ改めて訊かせて貰おうかな。阿良々木くんは、どうしたいの?」
再度、羽川が問い掛けてくる。
それに対し、僕は力強く宣言した!
「全身全霊、僕の全てを賭けて事に臨む。絶対に彼女達のことを救ってみせる! 神に誓って――いやさ羽川に誓ってな!」
「なんで神様から、誓う対象を私に変えたの!?」
「え? だって僕にとってお前は女神のような存在だし」
存在が不確かな神に誓うより、よっぽどいいと思ったんだけど。何より僕のモチベーションが上がる。
「止めてください。本当に止めて」
が、当の本人による切実な訴えは無視できないか。
ならば仕方あるまい。
代替案として、常日頃から僕が崇め奉っているモノに誓いを立てておこう。
「じゃあ、僕の家で大切に保管しているお前の下着に誓って!」
「阿良々木くん、調子を取り戻したのはいいことだけど、調子には乗らないで」
うわ。冷淡な口調の羽川超怖い!
悪ふざけが過ぎたようだ。
「ごめんなさい」
「よろしい――ともかく、阿良々木くんが諦めない限り、私も死力を尽くしてサポートさせてもらうから」
「ああ、よろしく頼む」
死力を尽くすという物騒なフレーズに、少々引っ掛かりを覚える僕ではあったが、ここは言葉の綾ということでスルーしておく。
何にしても心強い。羽川が助言をくれるというだけで本当にどうにかなりそうな気がしてくる。
「じゃあ、出来ることからやってかないとね。時間も限られているし、早速動きましょうか」
「流石羽川。もうなにか方策が決まったのか?」
「ん~その前段階の準備といった方がいいかな。それで一つお願いがあるんだけど」
「おう! 任せとけ。僕に出来ることなら何だってやるぜ! って頭脳労働とかは正直勘弁願いたいけど」
「はは、別にそんな難しいことじゃないよ」
「そりゃ重畳。で何なんだ、お願いって?」
「うん。私をキュゥべえくんのところに案内してちょうだい」
「え?」
想定外の要求に面食らう僕。
それを尻目に羽川は続ける。
「阿良々木くんから教えてもらった情報だけじゃ、まだ足りないというか不明瞭な部分が多いし、ちゃんと全容を把握しとく必要があるでしょ」
「いや、それは……」
「さっき何だってやるって言ってたよね、阿良々木くん?」
「…………そうだけど」
「さっき何だってやるって自分から言ったよね、阿良々木くん?」
同様の文言を繰り返し、笑顔で僕に言い知れないプレッシャーを掛けてくる羽川さん。
「言ったけど! それとこれとは話が別っていうか――お前はなんかこうアレだ! 安楽椅子探偵よろしく現場には出張らずに、的確なアドバイスを与えてくれるだけでいいんだって!」
「私の身を慮ってくれるのは有り難いことだけど、少し警戒し過ぎじゃない? 私だってちゃんと分を弁えて動くつもりだし、それこそ、魔女との戦いにまで同行させろなんて言わないって。邪魔になるだけだしね」
「………………」
心の奥底から羽川のことを信用している僕ではあるが、これに関しては信用できそうもない。
あの地獄のような春休み――我が身の危険を顧みず、人外同士の戦いに首を突っ込んできた女だ。
羽川とキュゥべえを引き合わせるなんて、論外である。
って、あれ? よくよく考えてみれば、これって心配するまでもないことじゃないか。
「あー、そう言えば言ってなかったかもしれないけど、キュゥべえが見えるのは魔法少女だけなんだよ。僕は吸血鬼の特性が作用しているのか見えてるけどさ。いやーこれじゃあ仕方ないよな」
「ん? そんなこと全然問題ないじゃない」
しかし僕の言い分など何ともないと、平然とした調子で羽川は言う。
「いや、見えないし言葉も交わせないんじゃ意味ないじゃん」
「たとえ見えなかったとしても、阿良々木くんを介して会話ぐらいできるでしょ?」
「あ」
「それに、多分だけどキュゥべえくんの裁量で、意図的に姿を現すことぐらい可能なはずだよ」
「…………でも」
奴の厄介さを知っている身としては、これは絶対に阻止しなければならない。
とは言うものの、頭ごなしに突っ撥ねても、先ほど同様押しきられるだけか。
だったら――
「じゃあさ間を取って――奴と直にコンタクトするのは僕だけにして、その状態でお前に電話をかけるってのはどうだ?」
これならキュゥべえとの接触を避けることができるし、羽川の要求を訊きいれたことになる。
うん、我ながら悪くはない妥協案だ。
「んー、私的にはそれでも別に構わなかったんだけど」
「構わなかった?」
なぜに過去形?
「うん。だってアレ」
そう言って、羽川は僕の後ろを指差した。
怪訝に思いながら振り返ると其処には――尻尾を大きく揺らしながら、此方に向かってくる四足歩行の小動物の姿があった。
言わずもがな――キュゥべえである。
というか窓も開いていないし、扉が開けた音もしていないってことは、こいつ…………壁をすり抜けたことになるぞ。
当たり前のように、物理法則を無視しやがって…………。
「僕に話があるようだけど?」
飄々とした調子で、白い悪魔は嘯く。
探す手間が省けた……だなんて到底思えるはずもない。