~089~
茜色に染まる住宅街から外れた一角にある、少し寂れた雰囲気を放つアパート。
外壁がくすんだ薄茶色で、所々に老朽化からくる罅割れが目立つ。
表札で苗字を確認してチャイムを鳴らすと、すぐに扉が開き――中から無愛想な少女が顏を覗かせた。
「…………………………」
“僕達”を見た少女――暁美ほむらは無言で僕を睨み付けてきた。
無言の圧力を感じる。誰がどう見ても、お怒りの表情だ。
「聞いていないのだけど」
底冷えする声でほむら。
「……そりゃ言わなかったからな」
「なぜ?」
「だってお前、言ったら断るじゃん」
「………………」
僕の弁明にしばし黙考。
「でしょうね」
「なら、秘密裏に連れてきて、なし崩し的に会ってもらうしかないわけじゃないか」
「………………」
僕の来訪は前以て告げていたが、もう一人の帯同者に関しては伏せていた。
こんな騙し討ちみたいな真似したくはなかったが、先の通りこれはほむらの性格を踏まえてのこと。
そう、この場所――ほむらの自宅にやってきたのは僕一人だけではなく、三つ編み眼鏡の委員長さんも一緒に来ていたのだ!
「取り敢えず紹介しておくと、こいつは同級生の羽川」
「どうも、初めまして。羽川翼です」
折り目正しく優美なお辞儀を交えて羽川。
しかしそれを無視する形で――
「なぜ部外者を?」
言葉少なに、どういう意図があって羽川を連れてきたのかを詰問してくる。
抑揚のない冷淡な声音が、ほむらの不快指数を物語っていた。
「どういう了見かと訊かれれば、そうだな。至極端的に説明すると、この羽川に対ワルプルギス戦の陣頭指揮をとって貰おうかなと」
「は? ただの一般人に頼るようなことなんてないわ。それとも何? 彼女も魔法少女なの? 魔力の波動は全く感じ取れないけれど」
「んーそういった意味ではただの一般人――魔法少女って訳じゃないけれど、この羽川って女は世界屈指の頭脳をもった逸材なんだぜ!」
「世界屈指、ですって? 阿良々木暦。あなた、ふざけているの? 貴重な時間を割いていると言うのに――」
眉根を寄せ、一層表情が険しくなっていく。
やばい。ぶち切れ寸前だ。
「ふざけてなんかないない! 僕は至って真面目だって! ほら、羽川からも何か言ってやってくれ」
「……阿良々木くん、そりゃそんな荒唐無稽な発言したら暁美さんだって怒るわよ。それに私は至って普通の女の子だよ。とはいえ、そうだね――暁美さん」
と、優しい声で呼びかける。
流石に名指しでの呼びかけを無視することはできなかったようで、ほむらは僕から羽川に視線を切り替える。
「私のことは第三者の視点をもった協力者とでも思って貰えれば幸いかな。二人で考えるより三人いた方が気付けることも増えるだろうし。ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうじゃない」
和やかな笑みを浮かべ羽川は言う。
と、そこまでは幾分柔らかい口調だったのだが、
「ただ、もし暁美さんが私のことを不必要だと判断したのなら、その時点で切り捨ててくれて構わないよ。でも、このまま何もせず引き下がっちゃたら、私を推薦してくれている阿良々木くんの期待を裏切ってしまうことになるから、ほんの少しだけでいい、お話させてくれないかな? 判断はその後で下して欲しいの」
次いで発せられた言葉は真剣味を帯びた実直なもの――年上からの丁重な懇請を受け、らしくもなくたじろいだ反応をみせるのだった。
~090~
僕達の言い分に納得を示したということではないのだろうが、不承不承ながら家の中に招かれる。
玄関先での立ち話は、否応なく近隣住民の目に触れることになるから、それを避けたかったのかもしれない。
さてさて、今更ではあるが、なぜほむらの自宅へ出向いたかについても触れておく。
経緯としては――内々に話したいことがあるとほむらに電話で伝えた所、立て込んでいるので家まで来いとのお達しがあった(無論、羽川の存在は伏せてある)。
問答無用で断られなかったのは、大した進歩。多少なりとも信頼されてきた証拠――だと思いたい。
で、メールで住所が送られてきたので、それを頼りにやってきたという訳だ。
しかし、自宅に呼びつけるなんて、一体何をしているのだろうと疑問に思っていたのだが――その疑問は部屋に入った瞬間に氷塊する。
「…………これはまた」
「不用意に触ると危険よ」
言われるまでもなく、見りゃわかる。
部屋中に所狭しと転がる拳銃・ライフル・バズーカ。他にも色々、無造作に置かれた手榴弾や、多種多様の用途不明の物体、弾薬の山。山。山。
そしてライトに照らされた作業机の上には工具が並べられており、分解された爆弾と思しき物が…………物騒なことこの上ない。
どうも、対ワルプルギス戦で使用する武器の最終調整を行っていたらしい。
「は、ははは」
困惑した表情で、渇いた笑いを漏らす羽川さん。
事前にほむらの戦闘スタイルに関しては伝えていたが、この光景は予想外だったのだろう。
もし警察に見つかれば、銃刀法違反なんてものでは生ぬるい――どれ程の罪が科されるのかわかったもんじゃない。
ある意味、重犯罪に加担するも同然なのだから、やはり相当な抵抗感もあることだろう。
「やっぱ、羽川。お前は帰ったほうが……」
「何言ってるの。これは私から言い出したことだし、どんなことになろうとも覚悟はしてる」
それでも腹は括っているらしく、気遣う僕に対し、意志の強い眼差しで羽川は言った。
とはいえ、僕自身がこの銃火器に囲まれた状況がどうにも気が気でなかった。
「なぁほむら。もしこれが見つかったらヤバくないか?」
僕の両親って…………此処だけの話、警察官なんです。その境遇を踏まえれば、僕が必要以上に警戒してしまうのもご理解頂けると思う。
「何をつまらない心配しているのよ。魔法で結界を張ってあるから、私が認めない限り普通の人間がこの部屋に立ち入ることはできないわ」
「……そう、なのか?」
「それに、防音・異臭対策もしてあるから、銃の試し撃ちや、化学薬品の調合を行っても外に漏れることはないから安心なさい」
「また違うベクトルで安心できない発言があるな! なんだよ銃の試し撃ちって!」
化学薬品の調合も、絶対科学の実験的なものではあるまい。
「別に壁を撃つわけじゃないわよ。あなたも知っての通り、私の小楯は異空間に通じているから、その中で動作チェックを行っているだけ。跳弾の心配も後片づけをする必要もないから便利なのよ」
どこか誇らしげなほむらであった。
しっかし、随分とラフな格好をしているほむらである。我が身が可愛いので指摘こそしないが、直裁的に言ってしまうと――ダサい。あまりにもダサい。
語り手の責務として言及すると、紫のタートルネックに……デフォルメされた猫さんマークのワッペンが際立つピンク色のちゃんちゃんこを羽織り、下は見滝原中学のジャージという有り様。
普段のクール美少女には似つかわしくない、あるまじきコーディネートなのである。
まぁ相手が僕だけだと思っていたから身なりを整える必要はないとの判断であろうし、作業着も兼ねて汚れてもいい服装を選んだけで、これは部屋着として着用しているのだから、問題ないと言えば問題ないのだが…………。
閑話休題。
ともあれ、武器庫と言っても強ち間違いではない部屋を抜け、まだ比較的足の踏み場のある和室に案内される。
ただ和室としての趣は皆無であり、壁や襖を埋め尽くす様にワルプルギスに関する資料が張り付けられていた。
しかも事細かに加筆された痕跡や、マーカーによって強調された箇所があり、パッと見ながら凄い労力が割かれて書き上げられたものだと解る。
部屋の中央には卓袱台が設置され、その上には見滝原市内全域が記された地図が広げられており、これにもびっしりと小さな文字で書き込みがされていた。
さながら、此方は作戦本部といったところか。
「それで? 阿良々木暦。いきなり見ず知らずの他人に陣頭指揮を任せるだなんて、到底承服できないのだけど。何か私を納得させる言い分でもあるのかしら?」
「と言われても、羽川と言葉を交わして貰うしかないかな。それが一番手っ取り早いし、心の底から納得もできると思うぞ?」
「…………ということらしいけど、私はあなたと何を話せばいいの?」
「んーその前にここにある“全ての資料”を見せて欲しいんだけど。もししまってあるものがあれば、それも含めて全部――駄目かな?」
疑念を多分に含んだ眼差しで羽川を見やるほむらに、羽川は何とも軽い調子でそんな要望を出した。
「駄目とかそういう問題ではなく、纏めた資料はかなりの量があるし、専門用語も、そもそも暗号で書かれた、私個人でしか理解できない箇所もある。それをいちいち教えるのも御免だし、そんな悠長に待っている時間はないわ」
「なら一時間。その間で目を通せる分の資料だけで構わないから。暗号もある程度見比べさせて貰えれば、法則性が見出せてくるし、読んでいるうちに把握できると思うから、暁美さんは、私に構うことはないよ。作業の続きをするなり、阿良々木くんと話しをするのでも。それでも駄目?」
「…………それは本気で言っているの?」
「あれ? 私おかしなこと言っているかな?」
真顔で返されたほむらは、助けを求めるように僕に視線を寄越す。
言葉こそ発しなかったが、『この人、頭おかしいけど、大丈夫なの?』そういった類の訴えだ。
ともあれ、一時間という時間制限つきながら許可を出してくれた。
「じゃあ見させてもらうね」
それが開始の合図となり、羽川は動き出す。
まず、襖や壁に貼られた資料を端から順に――美術館で絵画の鑑賞をするような足取りで眺めていく。一つの資料を見るのに、20秒もその場にはとどまっていない。
部屋を一周し終え、次いでうず高く積まれた紙の束に手を伸ばすと、上から順に数秒足らずでペラペラと捲っていき、ざっと目を通していく。
時間がないこともあり、読み飛ばしていくしかないのだろう。
大見得を切った手前、“形だけでも目を通しました”という体裁を保つために。
なんて、そんな風にほむらを思っているのかもしれない。
だが、それはない。
羽川翼という人間に限ってそれは絶対に有り得ないのだ。
間違いなく、一語一句読み飛ばす事無く頭の中に叩き込んでいる。
「暁美さん、この部屋にある資料の確認は済んだから、他にもあるなら用意してもらってもいい?」
この時点で、約15分。
別の部屋から持ってきた資料全てを確認し終えたのが、開始から約45分後のことだった。
「うん、終了。ちょっと時間余っちゃったけど丁度いいかな。暁美さん、残りの時間も使わせてもらうね」
「……別に構わないけど」
そんな確認を取ったかと思えば、羽川は通学鞄からノートと筆記用具を取り出し、すごい勢いで何やら書き込んでいく(ちなみに、僕と羽川は学校からそのままやって来たので制服だ)。
そして――羽川の手が止まる。
「よし、準備完了。暁美さん、今からお話させて貰ってもいい?」
この時点で、ほむらの羽川を見る目に変化が生じる。
正確には、羽川が10分足らずでノートに書き上げた、『等高線表現による見滝原一帯の地形図』を見てからと言った方がいいのか。
簡略化されながらも、手書きとは到底思えない精度の地形図。
僕には理解できない記号やら文字で書き込みがされている。
資料の確認に関しては、見せ掛けだけのパフォーマンスにしか見えなかったのだろうが、この目に見える人間離れした芸当を目の当たりにしたことにより、ほむらも気付き始めたようだ。
この