~100~
「……そうね、その刀は使えるかもしれないわね」
ほむらが少し気恥ずかしそうに、そんな事を言った。
魔女に対して、絶対の切り札となる『心渡』の存在。
それに微かな活路を見出したほむらは――まだ感情の整理がしきれていないものの、どうにか気持ちを繋げることができたようだ。
会話ができる程度には冷静さを取り戻したことで、僕の挑発まがいの言葉は、自分を奮起させるためのポーズだったと汲み取ってくれた。怒りも静まっている。
そこから幾らか言葉を交わし――ほむらは僕に対しある問題点を指摘してくる。
「一太刀いれることさえできれば……ね。でも、その一太刀をいったいどうやっていれるつもりなの? 相手は空の上。それに、その刀ってあなたにしか使えないのでしょう?」
ほむらの言う通り、『心渡』は吸血鬼専用にカスタマイズされているので、ほむらは扱うことができない。故に、僕自らワルプルギスの懐に潜り込み、接近戦を演じなければいけないのだが、その相手は空の遥か彼方。
その対策が出来なければ話にならないと、ほむらは言いたい訳だ。
吸血鬼化した今の脚力であれば、ジャンプして届かないこともないだろうが、今一つ自分の跳躍力の限界を把握し切れていない。加えて、真正面から飛び込めば、標的になる可能性が高いと、羽川に駄目だしされた案だ。いや、今までの戦闘を見た限り、ワルプルギスが迎撃の態勢に入ることはあまりなかったように思う。
でも、やはり一足飛びでワルプルギスの元まで向かうのは、どうにも確実性に欠ける。目測で微調整できる距離じゃない。例えるなら、空を飛んでいる飛行機に対し、ピンポイントで着地することができるのかって話だ。うん、どう考えてもできそうにない。今は制止しているが、活動を再開して動き出す可能性だってある。
全開でパンチを打ち込む特訓は事前にしたのだが…………少しぐらい空中で移動する術を身に付けておくべきだった。忍のように、羽を生やして自由に飛びまわることは出来なくても、忍の物質創造能力でハングライダー的なものを作ってもらえば、空を飛ぶ真似事はできたかもしれない――なんて今更後悔しても遅い。
とはいえ、無策という訳でもない。大見得切ったのは僕自身。
「考えはある。うん、あるにはあるんだけど…………」
だがろくに検討もしていない、ただの思い付きなので、いざ口にするとなると躊躇してしまう。
「何よ? 早く言いなさい」
ほむらからの催促。
馬鹿だと思われたらどうしよう。
でも…………迷っていられる状況ではない。
「えっと、ほむら。まだ防衛ラインに設置したミサイルは残っていたよな?」
「ええまだ残っているけれど……それは、残りのミサイルでワルプルギスを撃ち落とす、ということ? 正直、アレに対して有効である気がしないわね」
「いや、そうじゃなくてだな…………そのミサイルに僕が乗っかっていこうかな……なんて」
「は? あなた馬鹿なの? 気は確か?」
尻すぼみ気味に発せられた僕の提案に対し、ほむらが真顔で返してくる。
馬鹿だと思われた! 正気を疑われた!
「いやいや、大丈夫。僕は正常だ」
「本気なの?」
「本気も本気だ。そんな心配すんなって」
「いえ、心配なんてしていなけれど」
「………………」
おい、少しくらい心配しろよ。
「ともかく、吸血鬼ってのは常識外の生物、不可能を可能にする存在なんだぜ!」
常識の枠に囚われるのは、吸血鬼にとっては愚行。一般常識は捨てるべきなのだ。やってやれないことはない!
「それに、お前だって戦闘機の上に乗ってたじゃないかよ。アレと似たようなもんだろ?」
「…………む」
僕の言葉でほむらが黙る。客観的に自分の行動と照らし合わせて、思うところがあったのだろう。僕の提案は却下されることなく、検討の工程へと進む。
「でも、それは魔法での制御があって初めて成立することよ」
「うん。だからこそだ。ミサイルだってある程度は、魔法で弾道の補正ができるんだろ? それをお前に任せたいんだ」
「出来なくはないけれど…………普通に考えてあなたが爆散するだけよ」
「…………うん、それも承知の上だ。だけど僕は不死身だ。たかが一度の爆発ぐらいどうってことない。つっても、飛び移るなりして爆発には巻き込まれないようにするつもりだけどさ」
「…………そんなことが成功すると思っているの?」
「絶対成功するなんて言えやしないが、当たって砕けろだ」
「………………それは笑うところ?」
何とも言えない微妙な静寂が流れる。僕の所為だけど。
「今僕が思いつく作戦はこれだけだ。やるしかないだろ?」
玉砕覚悟――文字通りの意味で当たって砕ける可能性がある作戦で。
正攻法でどうにかなる相手でもない。
つーか、ほむらが戦闘機を使い捨てなければ、そっちを使えたのに…………なんて文句は胸の内に留めておく。
「…………元より、あなたに任せる他、選択肢はないのだし、あなた自身がいいと言うのなら、異存はないわ。それに賭けるしかない」
これで一応、話は纏まった。
ならばミサイルの設置された防衛ラインまで移動しなければならないが、その前に――
「なぁほむら。お前のソウルジェムかなり濁ってるぞ。さっさと穢れを除去しといた方がいいんじゃないのか?」
魔力の消費だけでなく、心に負の感情を抱くだけでも穢れが溜まる。ソウルジェムの厄介な特性。難儀な代物だ。
「そうね」
ほむらはそう言って、グリーフシードを取り出し、自身の手の甲に張り付いたソウルジェムに近づける。すると、共鳴するように音を立てながら、黒い霧状の物体がグリーフシードに吸い込まれていく。ソウルジェムの穢れは消え、元の透き通ったアメジストのような輝きを放ち始める。
対し、穢れを吸い込んだグリーフシードは元々の黒より、なお一層どす黒く変色していた。
このグリーフシードは、巴さんと杏子の治療にも使用したもの。
三人分の穢れを溜め込み、魔女が孵化する閾値まで到達していそうだ。
このまま持ち歩くのは危険だな。
「ほむら、パス!」
主語のない言葉でも、意を汲んだほむらが、グリーフシードを僕の目の前に放り投げてきた。
それを慣れた動作で斬り伏せる。
長い刀身で扱いにくいが、僕も徐々に刀の扱いに慣れてきた。いや、吸血鬼化したことで身体能力やら動体視力が向上しているお陰か。
グリーフシードは刀が触れたと同時に消失していた。
うん、正常に機能している。グリーフシードを処理するお手軽な方法だ。
「ふーん。なるほどね。そうやって処理していたんだね」
と、僕らのやり取りを観察していたキュゥべえが、興味深そうにしている。
そういや、こいつに直に見せたことはなかったな。とは言っても、随分前から大よそのことは知っていたようだし、今更である。もう隠す必要もないのだし。
「『心渡』か。阿良々木暦。それを僕に預ける気はないかい? 調べてみたいんだけど」
「ねーよ! よく臆面もなくんなことが言えるな!」
「そうか、それは残念だ」
図々しいとも違うが、こいつの神経はどうなっているんだ? 吃驚するわ!
僕の中で、この害悪生物を斬りたい衝動が芽生えてくる。勿論、心渡でだ。
うん、悪くない。心渡で斬ってしまえば、存在そのものを抹消できる――かもしれない。
しかし、キュゥべえが怪異に属するかと言われれば、違うような気がする。
でも物は試し、やってみるか?
いや、待て待て。
もし心渡の効力が作用し、キュゥべえを抹消できたとしたら、それはそれで問題だ。
後々の交渉も残っているし、グリーフシードの処理然り、キュゥべえにしかできない役目があるのは確かなのだ。一時の感情に身を任せてはならない。我慢だ我慢。
それに、どうせ斬ったところで、別の個体が出てきてお終いだろう。
こいつは同時期に複数体で活動しているのだ。その末端の一部を斬ったとしても、全体に効果が及ぶとは考えにくい。
核となる部分を直接斬ればいけるかもしればいが、その中枢が存在しているのかも判然としない。
謎多き生物だ。
ん? 何か引っ掛かる。なんだこの嫌な感覚は?
キュゥべえの生態に関しては、既に把握していていた…………複数体、同時に――行動できる。
他の場所でも、現在進行形で行動している。それは間違いない。
だとしたら……こいつが此処にいるからと言って――
そうだ。
キュゥべえが狙っているのは――
インキュベーターの最大の目的は――
鹿目まどか――まどかちゃんとの契約だ。彼女を魔法少女にすることを最優先に動いている。
なのに……この策略家が、何もせず静観しているだけなんてことが有り得るのか? そりゃほむらを魔女にしようと画策して、間接的に動いてはいたがそれだけでは不十分だ。
だってそうだろう。
もし僕達がワルプルギスの夜に対抗できなかった場合、間違いなく避難所にいる人間の命もない。
そうなった場合、まどかちゃんも巻き込まれて命を落とすことになる――しかし、それはキュゥべえにとっても痛手だ。そんなこと看過できないだろう。
このままではワルプルギスによって全滅――キュゥべえだってそうなる前に手を打っておかなければ…………。
いや違う。既に手を打っているからこそ、キュゥべえは余裕綽々の態度で傍観者を気取れているのだ。
だがこれは憶測だ。まだ確定したわけじゃ…………美樹に様子を見てもらえればいいのだが、テレパシーが繋がらない…………いや、これも――
「マズい……ほむら! まどかちゃんと連絡取れないか!?」
「まどかに? なぜこんな時に…………あ」
ほむらも直に"僕の言わんとする可能性"を察したようで、息を呑む。
ほむらがテレパシーでの会話を試みようとしているが、その表情から見るに――上手くいかないようだ。
「キュゥべえ! お前の仕業か!?」
僕達を静観するキュゥべえに、怒鳴りつけるように問い質す。
「それはテレパシーが繋がらない原因のことを言っているのかな?」
「それ以外にねーだろ!」
「そうだね。僕が干渉させてもらっているよ」
「いったいどういうつもりだ!?」
「交渉の邪魔をされたら困るからね。念の為の処置だよ」
悪びれる様子もなく、いけしゃあしゃあと自分の仕業だとのたまうキュゥべえ。
嫌な予感は的中ってことか。
「まどかちゃんと契約したってのか?」
「いや残念ながらまだ交渉段階だ。まぁそれも時間の問題だろう。彼女も既に、この窮状を把握しているからね」
ならまだ間に合う。が――その言葉を聞いたほむらが、血相を変えキュゥべえに詰めよった!
「まどかに何を吹き込んだの!?」
「何てことはないよ。僕と一時的に視覚と聴覚をリンクして、ワルプルギスとの戦い――それとさっきのやり取りをそのまま、まどかに視てもらっただけだ。彼女も強くそれを望んでいたからね」
ってことは僕たちが苦境に立たされていることも、ほむらの秘密も知られてしまったのか……まだどういう風にまどかちゃんが受けとめているのか分からないが、キュゥべえの口振りから察するに、今この瞬間にだって、契約に踏み切る可能性はあるということだ。
ワルプルギスに立ち向かえるのが自分だけだと、そう思っているのかもしれない。
「まどか! まどか!!」
ほむらが取り乱し、声を出して懸命に呼びかけるが、キュゥべえの妨害によってその声が届くことはない。
くそ、どうする。どうすりゃいい? キュゥべえに対し言葉で説き伏せることなんて出来っこない。
落ち着いて考えろ。冷静になれ。
避難所まで全力で向かえば?
いや、そんなことより、もっと手っ取り早い連絡手段が残されているんじゃないのか?
生憎、僕は置いてきてしまったが……。
「ほむら。お前携帯って持っていないのか?」
「え? 携帯?」
僕の言葉に、きょとんとした様子で静止するほむら。全く頭になかったらしい。
そして、ごそごそ盾の異空間に手を突っ込み、中から鞄を――その中から携帯電話を取り出した。
現代っ子にとって、携帯電話は切っても切れないものだ。
すかさず、携帯を操作して電話を掛ける。数回の呼び出しを経て――
『……ほむらちゃん?』
繋がった! 文明の利器さまさまである。
携帯電話の受話口から、まどかちゃんの声が聞こえてくる。吸血鬼イヤーで二人の会話を聞き漏らすことはない。
しかし、その声が少し涙声なのが気に掛かる。
「まどか!! 傍にキュゥべえが居るのね?」
「うん……居るよ」
やはりか……同じ地域には姿を現さないようにしているとか言っていたのに…………いやそんなの遵守する筈ないとは重々承知している。
だがこれは、キュゥべえも切羽詰まっている証拠だ。
ここにきてテレパシーに干渉してきたのも――強硬手段を用いてまどかちゃんとの契約を結ぼうと躍起になっているのだ。
だが、そんなキュゥべえの事情はどうでもいい。
今はまどかちゃんの心境――彼女がどう行動にでるのかが問題だ。
『あのね、ほむらちゃん……わたし、みんなの力になりたいの』
「駄目よ! そいつと契約なんて!!」
『……でもわたしが魔法少女になれば、あの魔女だって……やっつけることができるんでしょ?』
「あなたが戦う必要なんてないわ……ワルプルギスは私達の手で倒す」
『…………本当に倒せるの?』
「ええ心配なんていらないわ」
『嘘だよ……わたし、ずっと視てたんだよ……マミさんも、杏子ちゃんも……死んじゃうところだった………………』
「だとしても、まだ手は残っているわ。絶対にどうにかしてみせるから」
『無茶だよ………………もう、やなの…………誰かが傷つくのは…………』
まどかちゃんが、涙ながらに訴えてくる。
あの戦いを見たというのなら…………楽観的に考えることなどできやしないだろう。ほむらの言葉は気休めにもならない。劣勢にあることは間違いないのだ。
『ほむらちゃんは……ずっと辛い思いを繰り返してきたんだよね? でもね…………わたしのためにほむらちゃんが苦しむことなんてないんだよ?』
「…………それは」
『魔法少女になったら、命懸けで戦わなくちゃいけないことはわかってる。でもこんなわたしでも力があるのなら、その力をみんなの為に使いたい。みんなを守りたい。ほむらちゃんと一緒に戦いたい!! だから』
決意の込められた言葉。
自らの犠牲を厭わない、彼女の気高くも優しい心が伝わってくる。
だが、彼女は魔法少女が逝きつく先を知らない。魔女の正体を――まだ知らされていない。
それはキュゥべえが作為的に情報を統制した結果だ。だが、ほむらだって、魔女化の事実を伝えることなどできはしない。
加えて、ワルプルギスに苦戦をしいられている状況下では、まどかちゃんを説得するのも難しい。
危機的状況であればある程、まどかちゃんの使命感は強くなる。
ワルプルギスに立ち向かえるのは、自分しかいないと考えてしまう。
「駄目よ……お願いだから……あなただけは…………」
こうなってしまえば、ほむらは嘆願することしかでない。
互いに互いのことを想いあっているからこそ生まれたすれ違い。
彼女の決意は揺るがない。既に覚悟も完了している。
『ほむらちゃん、ごめんね。わたし魔法少女に――』
もう誰にもまどかちゃんを止めることはできない――
そう思った――その瞬間。
『その必要はないわ』
まどかちゃんの言葉を遮るように発せられた何者かの声。
電話越しということもあり少し聞き取り辛いが、女性であることは判別できる。
『え? ……あの』
突然声をかけられ、まどかちゃんが戸惑った様子で狼狽えている。
『勝手なことをしないでもらえるかしら』
その何者かが、距離を詰め接近してきたからだろうか、幾分声がクリアになる。
あまり友好的とは言えない、冷たい声だ。
というかその声は、物凄く聞き覚えのある声だった。