~101~
『ちょっと待ってね、ほむらちゃん』
電話しながらその相手と話すことは失礼と判断したのか、慌ててほむらに一声かけるまどかちゃん。電話は繋がったままなので声は拾えるが、幾分声が遠のいた……。
その為、ほむらにはむこう側のやり取りが聴こえなくなる。だが間を置かず、携帯を持っている手に、空いている反対の手を添え魔法を発動したようだ。多分、一時的に聴力を強化しているものと思われる。
『……あの――』
その一方――まどかちゃんが恐る恐るという態度で、その相手に話しかけようとしていた。
が。
『ぶっ殺すわよ』
『ひっ……ご、ごめんなさい!』
殺意の込められた暴言を浴びせられ、まどかちゃんは恐怖のあまり謝罪する。
そりゃそうだ。誰だってそうする。僕だってそうする。
ただ、その発言の所為でほむらの目が据わり、一瞬にして剣呑な雰囲気に――
『あぁ違う違う。勘違いしないで。後半の言葉は貴女の足元にいる畜生に言った言葉よ』
なりかけはしたものの、早合点だと解り元の表情に戻った。だが視線は依然として鋭いままだ。会話を聞き漏らすまいと、警戒した真剣な面持ちである。
『そ、そうだったんですね…………よかった…………えっと、戦場ヶ原さん、ですよね?』
『あら、覚えてくれていたのね』
『はい、それは勿論…………あ……なにも踏みつけることは……ないんじゃ……』
『何?』
『いえ、なんでもないです』
聞き覚えのある声だと思ったら、やはり戦場ヶ原ひたぎだったか。
そして、現在キュゥべえが戦場ヶ原に踏みつけられているらしい。多分、内臓が飛び出てもおかしくないレベルで容赦なく(キュゥべえに内臓なんて器官があるのか知らないが)。
その光景を見たまどかちゃんは、完全に萎縮し怯えきっていた。大型の肉食獣を前にした、小型の草食獣の構図である。一瞬にして上下関係が構築されていた。絶対強者としての威圧感を戦場ヶ原は備えているのだ。
しかし――なぜ戦場ヶ原がこんな場所にいる?
もう見滝原病院への通院は終わっているはずだし、偶然で見滝原に来るわけがない。
だとしたら……僕のことが心配で陰ながらついてきたのか?
まぁ僕達は恋人同士であるのだし、その想いは素直に嬉しいが、危険な場所に来てほしくはなかったって気持ちの方が強い。
いやでも何か引っかかる。どうしてこんなタイミングで現れたんだ?
まるで――ずっとまどかちゃんの動向を見ていたようじゃないか。
『それで……その……戦場ヶ原さんはわたしに何か話が?』
『それはもう伝えたはずよ。貴女が魔法少女になる必要はないって』
どういう訳か、戦場ヶ原がまどかちゃんの説得に乗り出してくれていた。
それは大変有り難いことだが、なぜそんな役回りを?
くそ……上手く状況が飲み込めない。
『でも……わたしが魔法少女にならないと、みんなが危ないんです!』
『その判断は早計ね。というか邪魔をしないで』
『邪魔って……わたしが一緒に戦っちゃ、足手まといになるってことですか?』
『貴女がどれほどの力を持っているのかなんて知らないけれど、あの程度の相手、阿良々木君だけで十分事足りるわ。私の彼氏の見せ場なんだから、援護も不要よ』
僕だけで十分とか見せ場とか、何を言ってくれているんだこの女!?
っつーか僕が今からワルプルギスに挑むってことをなぜ知っている!?
キュゥべえ辺りが一枚噛んでいるのか?
でも、まどかちゃんを止めようとしているから…………そうではないのか?
ますます戦場ヶ原の思惑が分からなくなってくる。
『暦お兄ちゃんが……戦うんですか?』
ん? なんだこの反応は?
まどかちゃんは、僕が『心渡』を用いて戦うってことを知らないみたいだ。
ああ、そうか。そんな情報があったら、まどかちゃんの決心が鈍るもんな。そう判断したキュゥべえが意図的に伝えなかったのだ。
まどかちゃんが把握しているのは、ほむらが戦意喪失し消沈したそのあたりまでだろう。
だが、ミサイルに乗って突貫するつもりだなんて無謀な考えを知ったら、心優しいまどかちゃんなら僕の身を案じて、全力で止めてきそうだ。
『ええ、だから貴女が出る幕はないの。おわかり?』
『……本当に大丈夫なんですか?』
『彼が本気を出せばね、この世界で最強の存在なのよ』
不安気に尋ねるまどかちゃんに、戦場ヶ原は当然だとばかりに即答する。とんでもない過大評価だった。どれだけ僕のハードルを上げりゃ気が済むんだ!?
『そう……ですよね。マミさんも言ってました。暦お兄ちゃんは、物凄く強いんだって。どんな魔女でも相手にならないって。マミさんが、全く歯が立たなかった魔女も、暦お兄ちゃんが代わりに倒してくれたって。今回も絶対にどうにかしてくれるから、安心していなさいって言ってくれました…………そっか……暦お兄ちゃんが戦ってくれるんだ』
だが、まどかちゃんは戦場ヶ原の発言を否定することもなく、受け入れていた。一人納得していた。
でもそれは、戦場ヶ原の言葉に納得したからではないのだろう。
巴さんがまどかちゃんに訊かせた、『僕の活躍』が下地にあってこそである。
つまり、伝説の吸血鬼やら僕への過剰な信頼で、ふんだんに装飾され、盲目的な補正のかかった話を訊かされていたからだ。
まどかちゃんにとって、理想の先輩である巴さんが語る、
巴さんは、まどかちゃんにいったい何を吹き込んだのだろうか…………僕の評価が限界突破しているからな。巴さんの中での僕は、攻撃の効かない無敵の魔女(暗闇の魔女)を、一瞬にして一刀両断した最強の吸血鬼だ。でも、あの戦いを演じたのは忍なので、この評価は勘違いの産物である。
『そうよ。で、ちゃんと阿良々木くんに任せるってことで、納得できたのかしら?』
『……は、はい』
『どうも貴女は信用ならないわね』
『……そんなことは』
『なら、もう勝手に契約しないと、約束できるの?』
『わかり……ました。約束します』
戦場ヶ原が半ば強制的に、そんな約束をとりつける。まぁこれはまどかちゃんのことを慮ってのことなのだろう。戦場ヶ原は魔法少女になった少女達が辿る結末――魔女化についても知っている。取り返しのつかない、破滅の道に繋がっていることを知っている。
それを阻止するために動いてくれているのだ。でもこういった気の回し方……あまり戦場ヶ原っぽくはない。ってことは羽川が頼んでくれたのだろうか? 真相はわからないが、ナイスな働きである。
口約束なので、なんの『強制力』もないが『抑止力』にはなる。
『そう――なら早く伝えてあげれば? 待たせているのでしょう?』
戦場ヶ原が珍しく気を使って、まどかちゃんに言う。
『あ、はい。そうですね――――ほむらちゃん。待たせちゃってごめんね』
戦場ヶ原とのやり取りは終わり、まどかちゃんとほむらのやり取りが始まった。
「いえ、それはいいのだけど…………本当に思い留まってくれたの?」
『あ、聞こえてたんだね。うん、私も役に立ちたかったけど……』
「その気持ちだけで十分よ」
安心した表情で、大きな安堵のため息をつく。
そこからまどかちゃんが気遣う言葉をかけ、ほむらがそれに短く応える――なんてやり取りを繰り返す。それだけでほむらの表情が、強張った顰め面から温和な柔らかいものへと変わっていく。
僕には決して見せることはない類の顔だ。
が、しかし。
『ほむらちゃん……ちょっとだけ暦お兄ちゃんと代わってもらってもいいかな?』
「え?」
『少しだけお話しがしたいんだけど』
「……………」
『あ、別に無理にってわけじゃ』
「……いえ……少し待って」
それもつかの間。表情がみるみる険しくなっていった。
憮然とした面持ちで、ほむらが携帯を突き出してくる。
嫌々、渋々といった感情を隠そうともしない。親の仇を見るような鋭い眼差しで僕を睨み付けてくる。大切な語らいのひと時を、阻害する疎ましき存在に見定められていた。
あと、携帯を力一杯握り締めいているのか、手がプルプルと震えている。
僕に携帯を渡すまいと、全力で抵抗していた。今にも握力で携帯を握り潰しそうだ。
どんだけ嫌なんだ……。
それでも、どうにかこうにか携帯を借り受けることができた。
依然として、ほむらが恨みがましい視線を向けてくるのが気になる。というか殺されそうで怖い。
「もしもし、まどかちゃん。僕だけど」
『暦お兄ちゃん!』
僕の声を訊いたまどかちゃんが、少し明るい声を上げる。
彼女もずっと不安だったのだ。
『……その、こういう時なんて言ったらいいのか、上手く言葉が出てこないんですけど……頑張って下さい』
「うん」
『絶対に負けないで下さい!』
「うん」
『わたし信じてますからね!』
「おう、僕に任せとけ!」
まどかちゃんの激励の言葉に、僕は威勢よく応えた。
心の奥底から力が湧き出てくる。
分が悪い戦いなのはわかっている。
それでも、僕がどうにかしなくちゃならない。
僕がワルプルギスを倒せなければ、今度こそまどかちゃんは、魔法少女になってしまう。
もともと負けられない戦いだったが、俄然やるしかなくなった。
『それはそうと驚きました』
「あぁ……そうだよね。戦場ヶ原が突然来たもんな。いやーごめんね。あいつが迷惑かけて」
ほんと、心臓に悪い。
まどかちゃんと戦場ヶ原は数回顔を合せた程度で、ほぼ交友はない。毒素が強いので、まどかちゃんのような免疫のない子には、あまり近づいて欲しくないな。会話しないで距離をとるよう忠告しておくか。
なんて思案していると――
『迷惑だなんてことは全然ないです。あ、でもわたしが驚いたっていうのは、そのことじゃなくて』
「ん?」
じゃあ何に驚いたんだ?
キュゥべえを出会い頭に蹂躙したことか? うん、確かに驚きの行動だ。
まぁそういった戦場ヶ原の突飛のない行動(いっそ、奇行と言い換えてもいい)は、ほとんど面識のない――『戦場ヶ原ひたぎ』の生態を知らないまどかちゃんにとってみれば、驚きの連続だろう。
ほんと、読み切れない。制御もきかない。予測不可能。破天荒で傍若無人。
僕も、未だ慣れない。予想外の言動には困惑するばかりだ。
だが、それでも僕は見誤っていた。
戦場ヶ原ひたぎという女のことを、知ったつもりでいた。
まどかちゃん自身はただの何気ない会話の延長。僕を驚かせるつもりなんて一切なく――僕は知っていることだと思って発したのだろうが…………死角から鈍器で殴りつけられたような衝撃を受けた。
驚きを通り越して、頭が真っ白になる。
『戦場ヶ原さんも、魔法少女だったんですね!』
「…………………………え?」