ひたぎウィッチ~その8~
~111~
長い艶やかな黒髪をポニーテイル風に結わえた、見慣れない髪型。
とは言え表情は相も変わらず見慣れた、不機嫌そうな鉄面皮の如き無表情。怒っている訳ではないのだろうが、どうしてもそう見えてしまう。その原因は、吊り上った目尻と切れ長の目にあると思われる。鋭い目付きが、否応なく剣呑な雰囲気を作り出しているのだ。
服装は黒に近い紺を基調としたシックなワンピース。スカートの丈は短いが、そこから覗く太ももは黒いストッキングで覆われている。
装いに関してはそんなもので、一応、彼女の有するデータを今一度、再確認しておこう。
名前、戦場ヶ原ひたぎ。
口を開けば暴言毒舌。性格は極悪にして冷淡かつ冷酷かつ悪辣。周囲を凍てつかせる程に冷たい。不用意に触れれば凍傷を引き起こす。液体窒素みたいな女だ。
一見クールに見えるが限りなく凶暴であり苛烈。無慈悲で無愛想。傍若無人。
取り扱いが非常に難しいというか、怒りの爆発ポイントが地雷原のように隠されており、対処は極めて困難。ただし、その本性を曝け出すことはしていない。
学校の中では大人しく無口な――深窓の令嬢というポジションを保っており、人を寄せ付けないオーラを放っている。
人当たりは酷い(彼女のパーソナリティスペースに介入したものに限る)。なので当然、友達もいない。
容姿端麗。可愛いというより美人と言うに相応しい。スタイルはなかなか。身長は高く、体重は平均より軽い(本人談)。
成績優秀。頭はいい。学年でもトップクラスの成績を誇る。
七月七日生まれ。一七歳。直江津高校三年生。僕の同級生であり恋人。蟹に行き遭った少女。
なんて彼女の有する情報を思いつく限り羅列してみたが、そこに新たに加わった――加えなければいけない要素があるとすれば……………………『魔法少女』ということになってしまうのだろう。
魔法少女ひたぎ。
だが、まだ確証がある訳ではない。往生際が悪いと思われるかもしれないが、まどかちゃんとキュゥべえの証言から、そう判断せざるを得ないというだけの話だ。
けれども、戦場ヶ原の魔法少女化を裏付ける証拠が否応なく、目に入ってしまう。
彼女の左手中指に装着された指輪。魔法少女の証――ソウルジェム変形状態。
いやいやいや…………指輪なんて幾らでも偽装できる。似た指輪を買ってきてそれをはめているだけかもしれないじゃないか!
何は兎も角、真相を彼女の口から訊き出さなければ始まらない。
訊きたいことは山ほどある。けれど、どう切り出すべきか…………というか、真相を問い質すことを躊躇している自分がいる。
結果は変わらないのに、訊いた瞬間、本当に確定してしまうような――戦場ヶ原が魔法少女になったという事実を恐れているのだ。そんな情けない感情で二の足の踏んでいる。
なんて葛藤をしている間にも、戦場ヶ原は後ろ手で扉を乱暴に閉め、つかつかと急接近してくる。
「ご苦労様」
労いの言葉にしては平淡な声で、あまり労わりの感情は感じられない。まぁいつも通りと言えばいつも通り。というか、やや不機嫌そうな感じがする。
「あ、ああ。なぁ戦場ヶ原…………何か怒ってる?」
「そうね。ったく、阿良々木くん。あなたは私の彼氏、私の所有物なのよ? つまり命の所有権も私にあるの。それをあんな無茶をして…………生殺与奪の権利が私にあることを忘れられては困るわね」
「彼氏の自覚はあるけど、お前に生殺与奪の裁量まで握らせた覚えはねーよ!」
「あの時、約束したじゃない!?」
「いつだよ! んな約束した覚えはねー!」
「あらそう。まぁ阿良々木くんの無事を祈って待っていた人がいるってことを、知っておきなさい」
「…………ああ、心配させて悪かったよ」
「ええ、羽川さんがずっと心配していたんだから」
「お前のことじゃないのかよ!」
羽川に心配されている事実は素直に嬉しいが。
「でもさ戦場ヶ原。お前の言い分を借りるなら、お前は僕の彼女、僕の所有物な訳だよな?」
「は?」
疑問符としでなく、何を馬鹿なことを言っているだと言いたげな、見下した物を見る冷たい目。
「飼い犬に手を噛まれるとはよく言ったものね」
「お前のいう恋人関係ってのは、飼い主とペットの関係なのか!?」
「別にそんな風には思っていないわ。私、阿良々木くんのこと蟻を観察する学者のような気持ちで見ているもの」
「ペットよりも扱いが下だと!?」
「聞き捨てならないわね。私は蟻をこよなく愛しているのよ」
「……さいですか」
「ほら喜びなさいよ」
「蟻と同等と言われて喜べるかよ!」
「何勝手にお蟻様と同等に並んでいるの。身の程を知りなさい」
「僕の方が下なのか!? いや、まぁ…………そうだな。お前がそこまで蟻が大好きだっていうのなら、いつか蟻に並び立つ男になってやるぜ!」
自分で言っていて悲しい台詞だが、ここは大人の対応で。いつまでも戦場ヶ原のペースに乗せられてちゃ、話が進まない。
「いい心掛けね。ここで一つ、最近、蟻の巣キットで蟻の育成に励んでいる私からの有り難いお言葉よ。蟻は死んでも廃棄が楽だし、幾らでも補充ができて便利なのよね」
「その情報はどういう意味だコラ! お蟻様の扱いがそんなのでいいのか!?」
人をおちょくるスキルが高すぎるぞこの女。
「え? 蟻なんて所詮虫けらの一種でしょ?」
「蟻を愛しているんじゃなかったのかよ!?」
「お『蟻様』の扱いなんて、この『有り様』――ということね」
したり顔で、戦場ヶ原は言う。
なんで、こいつは時折さも上手く言ったみたいな雰囲気で、こうも暴投するのだろう。
「さて、阿良々木くんをいたぶることにも満足したことだし、話を戻してあげるとして、私が阿良々木くんの所有物だとして何なの?」
戦場ヶ原を所有物扱いするのなら、危険物取扱免許とか取得しなきゃいけないような気がしてきたけれど、それはさて置き、意を決して僕は本題に入る。
「だからさ……所有物…………じゃなくて、お前は僕の彼女だろ。なら何で僕に何の相談もなく、勝手なことをしたんだよ! というか、今更ながらに訊かせてもらうけど、お前は本当に魔法少女になっちまったのか!?」
「それにしても阿良々木くん、随分とハイカラな服装ね。時代を先取りしているわ」
「露骨に話を逸らすな!」
まぁ忍特製の、このアバンギャルドな服装に関して見て見ぬふりはできないだろうが、今はその時ではない。あとハイカラって表現もどうかと思う。
「さて、どうなのかしら?」
戦場ヶ原は小首を傾け言う。僕の反応を見て、口元に愉悦の笑みを形作る。笑顔の類ではなく、悪巧みをした者が浮かべる悪い表情だ。
つーか、この段階ではぐらかされても困る。
「ま、阿良々木くんが知っての通りよ」
「知っての通りって…………でも……本当の本当なのか? お前のことだから、何か裏があるんじゃないのか?」
そう言ったのは、何も戦場ヶ原の魔法少女化を認めたくないという気持ちだけで出てきた言葉ではない。
忍野の言葉を思い出していたからだ。
僕は何かを見落としている。欺かれている。
だとしたら、僕が戦場ヶ原に騙されている可能性だってあるはずだ。
「ふーん。随分と疑り深いのね。話は訊いているのでしょう?」
「そうだけど……」
「なんなら、変身でもしてみましょうか? そうしたら信じられるのかしら?」
「そうだな。目の前で魔法少女の姿を見せられちゃ、流石に信じる他ないし、そうしてくれると助かるよ」
やはり、これから今後の話をするにあたって確証は欲しい。
戦場ヶ原の思惑を知る上でも、この目で確認しておかばければなるまい。
「とはいえ、無条件に、という訳にはいかないわね」
「なぜそこで勿体ぶる必要があるんだ!?」
「勿体ぶっている訳じゃなくて、変身をするにあたって一つ約束して欲しいことがあるだけよ」
「約束だ?」
「ええ、約束。交換条件と言い換えてもいいけれど」
戦場ヶ原は念を押す様に繰り返す。
何を吹っ掛けられるか、気が気でないが……ここは従うほかないだろう。
僕は頷き、先を即す。
「そんな警戒するようなことじゃないわよ」
僕の顔色を見て戦場ヶ原は言う。とは言え気は抜けない。
「ただ私の変身した姿、それを見た感想を包み隠さず正直に伝えてほしい、それだけよ」
「………………ほんとにそれだけでいいのか?」
「ええ、それだけ」
「……そっか」
んーむ、肩透かしを喰らった気分だ。戦場ヶ原の言う通り、少し警戒し過ぎていたようだ。
「でも、なんでまた?」
「いえ、だって阿良々木くんが、私の魔法少女の姿を見て、内心で馬鹿にしていたら、それ程腹立たしいこともないでしょう? あーもし、嘲弄してくれようものなら、その時どうなるかは保証しかねるわよ」
「…………でもさ、正直に話せって条件なんだから、僕がどんな感想を言ったとしても、お前は我慢すべきことじゃないのかなぁなんて思っているんですけど、どうでしょう?」
「その時になってみないとわからないわね」
何が警戒することじゃないだ! おもっくそ僕の生死に関わることじゃねーか!
「それで、約束してくれるの? 別に強要はしないわよ」
「…………ああ、約束するよ」
戦場ヶ原がどんなプリティーな衣装に身を包んでいたとしても絶対に笑わないよう、心の中できつく戒める。
正直に話せって条件だが、まぁそんなの戦場ヶ原には解るはずもないのだから、慎重に言葉を選びオブラートに包み込まなければ(そりゃもう何重にも)。そうしなけりゃ、僕の命が危うい!!
~112~
「どう、似合う?」
魔法少女への変身は、一瞬だった。
アニメのように変身バンクがある訳もなく、光に包まれた瞬間、気付いた時には戦場ヶ原の衣服は様変わりしていた。
それを見て僕は――
「…………!」
ごくりと、生唾を呑み込んだ。
本来であれば、直に戦場ヶ原の衣装の感想を言うべきところなのだろうが、僕は言葉を紡げない。
戦場ヶ原の姿に、見入ってしまう! まじまじと凝視してしまう!
夜空を押し込めたような、煌めきを放つ漆黒の装束。
ワンピースとチャイナドレスが組み合わさったようなデザイン。
系統としては杏子の衣装に類似したものだが、胸元がざっくりと開いており、スレンダーな身体をしている割に意外と自己主張した胸が露わになっている。
また、チャイナドレスのように深く大きなスリットが入っており、かなり際どいラインまで太ももが見えている。更に、その隙間から僅かに見え隠れするガータベルトが妖艶だ。
そして、その衣装を包み込むように、大きなマントを羽織っていた。
真っ黒くて分厚いローブのようにも見える。紫の刺繍が入った毒々しい色合いながら、さりとて禍々しさは感じられない。
といいますか、至極簡潔に言ってしまうと――
エロい。
この一言に尽きる。
蠱惑的で扇情的。艶めかしく色っぽい。
魔性だ。完全に僕の心は鷲掴みにされていた。魅了されていた。
戦場ヶ原の魅力的な姿に、見惚れていた。見蕩れていた。
だから、僕が言うべき感想は、戦場ヶ原ひたぎに対して言うべき言葉は決まりきっていた。
ある意味、僕と戦場ヶ原を繋ぐキーワード。
「…………戦場ヶ原、蕩れ」
本心から僕はそんな間抜けな呟きを漏らしていた。
二人だけの合言葉であり、最上級の褒め言葉。
「ふむふむ、それが阿良々木くんの感想? まぁ目は口ほどに物を言うというし、阿良々木くんに卑しい視線で視姦されているこの状況を鑑みれば、それなりには気に入ってもらえたようね。とはいえ、語彙が貧困ね。もっと具体的にはないのかしら?」
「具体的に……か…………まぁそういう約束だしな。んーあれだ。面と向かって言うのは照れくさいけど、率直に言って綺麗だ。元々美人だとは思っていたけど、その衣装を着ることによって更にお前の魅力が割り増しされたっつーか、いい意味で近寄り難いくらいだよ。いや、正直な話、お前がメルヘンチックな衣装にでもなろうものなら、どうやって笑いを堪えようかと心配していたんだけどな。茶化すこともできないぐらい、ちょっと凶悪なまでに似合ってる。あと何よりエロいな!」
しまった、戦場ヶ原の美貌にあてられ気が動転しているのか、僕、かなり恥ずかしいこと言ってないか? あと、幾ら何でも正直に心の内を曝け出し過ぎだった。本心が駄々漏れ過ぎだ。
「…………ふ、ふふふ。ふふふふふふ」
と、僕の感想を聞いた戦場ヶ原が、口元を手で覆い隠し、笑いをかみ殺している。まぁ大分漏れ出ているが。
どこか琴線に触れたのか、無表情が消え去り、相好を崩していた。これはかなり珍しい反応だ。僕の馬鹿正直さ加減がそこまで面白かったのだろうか?
しばし、笑い続けた後、戦場ヶ原はいつもの澄ました表情に戻し僕を見やる。
「ふぅ。そう、ここまで気に入ってもらえるなんて思っていなかったわ。でも、よかったわね阿良々木くん」
「ん、よかったって?」
「いえ、もし少しでも私を侮辱しようものなら、阿良々木くんを『チョキン』と断罪していたところよ」
「チョキンってなんだよ。物騒だな」
「ああ、そういえば、まだ私の武器を披露していなかったわね」
そう言って、戦場ヶ原は徐に右腕を前につき出した。
と、僕の目線の高さに掲げられた右手が淡い光を放ち始め、次の瞬間――。
「おおぉ」
戦場ヶ原の手には、奇怪な武器が握られていた。
武器――というより文房具。
『鋏』だ。刃渡り三十センチほどの、不自然な程に大きな『大鋏』。
文房具で武装した、『蟹』に挟まれた少女。
「でっかい鋏だな」
「まぁ大きさは自由自在だから、普通の紙きり鋏にもなるし、逆に巨大化させて両手持ちにすることも可能なのだけどね。でも、あれよね。昨今じゃ、別にハサミを武器にするなんて言っても、大して物珍しくもないわよね。『あーまた』みたいな反応になることうけあいだわ」
「そこまで言うなら、別のにしたらよかったじゃねーか。一応お前の意志が反映されているんだろ?」
「嫌よ。折角、憧れの『
「あ、やっぱ、そこ意識してたんだ」
「勿論、ちゃんと分解してナイフとしても利用できるわ」
ただ、その武器、使用者の戦闘力を下げるって触れ込みだけど、いいんだろうか?
「いや、まぁでも、それでチョキンとされるのは御免被りたいかな」
「えー、一度、試し切りをしてみたいと思っていたのに駄目なの?」
「駄目に決まってんだろ! なんだよ、そのお試し感覚!」
「大丈夫ですよー痛いのは一瞬ですよー」
「それ注射を刺す時の常套句だけど、お前の場合、死んで痛みを感じる暇もないって意味合いだろ!?」
こいつ、間違いなく『殺し名』のどこかに属しているよな。
「今、私のナース姿を想像したわね、やらしいんだから」
「いや、恐怖しか感じてねぇよ!」