~114~
「確かに鹿目さんと『約束』は交わしたけれど、それはあくまでもこっちの都合よ。決して善意からくる行為ではないわ」
まどかちゃんとキュゥべえの契約を封じた件について訊いてみると、戦場ヶ原は変わらず冷めた調子でそう言うのだった。
なぜか頑ななまでに、僕からの賛辞も受け取らない。まぁコイツは天邪鬼だし、素直じゃないからな。性格がねじくれ曲がっている。ここは好意的に照れているのだと解釈しておこう。
ひねた見方をすれば、キュゥべえに対しての、嫌がらせ行為って線も十分あり得る訳だけども。
「ところで戦場ヶ原。そのまどかちゃんは何処にいるだ? 僕はお前と一緒に行動しているもんだと思っていたんだけど?」
「ええ、さっきまでは一緒にいたわね。ここに来る前に別れたけれど」
「そうなのか……あぁ……お前、まどかちゃんと二人きりだったわけだよな……」
「何、その顔は、文句でもあるの」
「文句はないけど、心配になっただけだよ。お前が好からぬことを企んで、まどかちゃんに変な事吹き込んでんじゃねーかってな」
「吹き込んだ、吹き込んでいないで言えば、吹き込んだわね」
「否定してくれよ! って何を吹き込みやがった!?」
「色々――よ」
「詳しく話してもらおうか!」
「何てことはないただの世間話よ。例えば学校での阿良々木くんの生活態度やらテストの成績、落ちこぼれ具合――他にも阿良々木くんの性癖、購読している卑猥な雑誌、小学生女子に働いた不埒な行為について、あることないこと面白おかしく脚色して話しただけよ」
「お前には血も涙もないのか! そして捏造だけはやめてくれ!」
「でも、彼女が一番引いていたのが、阿良々木くんには男友達が一人もいないってところなのが傑作よね」
「真実だけに、余計辛いじゃねーか!」
弁解できないじゃん!
まどかちゃんの中での僕の評価が、直滑降だ! 頼れるお兄ちゃんとしての称号は潰えた。
「まぁ正確に言えば、二人きりじゃなく、羽川さんも一緒にいたんだけどね」
「羽川が?」
「ええ、羽川さんに止められなければ、もっと阿良々木くんの痛い話を教えてあげられたのに、残念だわ」
「痛い話って言うな。つーか、やっぱ羽川も来ていたのか」
羽川翼の人となりをよく知っている身としては、予想通りと言えば予想通り。驚くことの程ではない。
あの春休みの『鬼』に纏わるあれこれに、危険を顧みず率先して介入してきた女だ。
「で、その羽川は――」
と、羽川の行方を戦場ヶ原に問い質そうと口を開いた瞬間――――
ガラガラと、引き戸の扉が開く音。
噂をすれば影が差すとはよく言ったもので――件の人物の姿を見せた。
いや、その後ろにまどかちゃんと、ほむらの姿もある。
戦場ヶ原はいつの間にかというか、羽川達が部屋に入ってきた時には、魔法少女の変身を解き、私服姿に戻っていた。
あまり人前に晒したい姿じゃないのかもしれない。
「お待たせしちゃったかな?」
申し訳なさそうに、そんなことを言うが、僕に羽川を待っていたという認識はない。
羽川が見滝原に来ていることも、今し方知ったばかりだ。
そんな怪訝な感情が顔に出ていたのだろう。恐ろしいまでの察しの良さを発揮した羽川が、僕が訊くまでもなく疑問に答えてくれる。
「あ、もしかして伝えてもらってないのかな? 忍野さんが教えてくれたんだよ。阿良々木くんがここにいるって」
「忍野が?」
「うん、ほら忍野さんから携帯で連絡を受けて」
そう言いながら、羽川は自身の携帯電話を取り出し、着信履歴を見せてくれる。
着信時間はついさっきだ。
ああ、そういうことか。
ここでようやく、忍野が整えた『場』がいかなるものなのかを理解した。
僕が意識を失っている最中や、忍との血液循環作業を行っている時、忍野は部屋から出て行っていたし、多分、その時に携帯を使って呼び出していたのだろう。
それはそれとして、羽川と忍野が携帯番号を交換している事実が、何か苛つくな。我ながら、みっともない嫉妬心である。
で、羽川の話によると、忍野から僕の居場所を伝えられ、戦場ヶ原は一足先に僕の元へ。羽川とまどかちゃんはほむらを迎えに行っていたので、遅れたってことらしい。
あと意識を失っている巴さんと杏子の治療を美樹が請け負ってくれているようだ。
ただ、そもそもこの三人は、ほむらの『事情』を知らない訳だし、どの道席を外して貰うしかない訳だが。
とまれかくあれ、これで『場』が整ったということ。
忍野の話では、僕の疑問は時機わかるって言っていたけど、果たして、どうなることやら。
~115~
本題に入るその前に。
見滝原中学の制服を着た二人の少女が僕の元にやってきた。
「阿良々木暦。無事だったのね。怪我はないの?」
「ああ、この通り傷跡一つ残ってないよ」
「でも、本当に大丈夫なの? どこか痛みが残ってたり……」
「いや、そんな心配すんなって、僕は不死身の吸血鬼なんだぜ」
「…………そう。よかった」
今までのつっけんどんな態度は何処へやら。ほむらの態度が目に見えて軟化していた!
正直、気持ち悪いぐらいにしおらしい。
というか、なめまわす様に僕の全身を隈なく覗きこんでくる、ほむらの視線がむず痒い。
「ど、どうしたんだ?」
「……羽川さんが言っていた通り、キュゥべえと契約はしていないようね」
そうか、ほむらからしてみれば、あの強大な突出した戦闘能力――加えて、このファンタジー衣装の僕の姿を見れば、キュゥべえとの契約で変身した姿だと誤解するのも無理はないか。
そこんとこは、羽川が事前に誤解を解いといてくれたようだけど。
流石の手回しのよさである。
「……………………」
で、今度はなぜか無言で僕の前に立ち尽くすほむら。
「……今度はどうした?」
「…………その…………上手く言葉が出てこないのだけど………………助かったわ……ありが……とう」
「おう」
恥ずかしそうに、たどたどしく。消え入りそうな、か細い声で。
けれど彼女なりの精一杯のお礼の言葉だ。
これが嬉しくない筈がない! 今までのほむらの僕への辛辣で苛烈な応対を思い返せば、これがどれだけの偉業かわかろうというもの! 小躍りしたいぐらいだ!
そんな僕達のやり取りを、微笑ましいものを見る、優しげな視線で見守っていたまどかちゃんが、声をかけてきた。
「暦お兄ちゃん、本当に本当に、ありがとうございます! わたし、絶対勝ってくれるって信じてました」
涙を浮かべ、まどかちゃんが感謝を伝えてくれる。
「あと…………その…………わたし、暦お兄ちゃんのこと…………ずっと、ずっと前から…………」
と、何やら感極まったように言葉を呑込み、胸元を手で押さえ、切ない眼差しで僕の瞳を覗きこんでくる。
え? なにこの反応!?
伝えにくい事をどうにか伝えたい、でも伝えることを恐れている、そんな感情がありありと見て取れる仕草。
そう、それは正に、想いを告白するように――切実な声音で言うのだった。
「大切な友達だって思ってましたから! 同性の友達がいないからって悲しまないでください! 暦お兄ちゃんにはわたし達がついています!」
「ああ、うん、ありがとう、嬉しいよ」
戦場ヶ原の所為で、余計な気遣いさせてるじゃねーか!!
愛の告白を受けるのかと思って焦った、惨めで憐れな僕を笑わば笑え!
「あの、どうしても同性の友達が欲しいっていうなら、もしよければ、弟のタツヤを紹介しますよ? まだ小さいですけど、すぐに大きくなりますから」
「ああ、うん、それは心遣いだけで…………ほんと大丈夫だから、ね?」
「そう……ですよね。タツヤが居ても、学校の体育は一人でやり過ごすしかないですもんね…………」
「いや、そういうことじゃなくて」
お願いだから、辛い記憶をほじくり返さないで!
お願いだから、そんな親身になって僕の交友関係(男友達)について心配しないで!
「ほ、ほら、僕、ひ、一人で……行動するのが好きなだけだから」
「はい…………そうですね。わかってますから」
その、深くは追及しませんという優しさも僕の精神を深く抉ってくる。
「この話は置いといて、まどかちゃんとほむら、二人に知っておいて欲しいことがあるんだ」
「知っておいてほしいことですか?」
「どういうことかしら?」
話題を変えるため――もとい、二人と会話していて、僕が気に掛かっている点について、ちゃんと話しておきたい。
二人が僕に対し称賛の言葉を並べるのは、僕一人で『ワルプルギスの夜』を倒したから――そう勘違いしているからだ。
あの戦果は、ほぼほぼ忍野忍の手柄である。
忍野は僕の力が寄与してのことだと言ってくれたが、やっぱり最大の功労者は僕ではなく、忍野忍なのだ。それを隠したままというのは、僕としても居た堪れない。惨めな気分になるだけだ。
ならば、ここははっきり説明しておくべきだろう。
ということで、僕は掻い摘んでだが、僕の影で眠りについている相棒について、包み隠さず打ち明けることにした。
あまり『吸血鬼』について多弁するなと忍に釘を刺されたこともあり、率先して開示するつもりはなかったが、今回は仕方ないだろう。
「そう……なら、直接、その忍さんにお礼が言いたいのだけれど…………睡眠の邪魔をしちゃ悪いわよね」
「……そうだよね」
僕の話を訊き終えたほむらとまどかちゃんが、僕の影を見据えながら困ったように言う。
「まぁ元々あまり人前に姿を現す奴じゃないからな。感謝の言葉は僕の方から伝えておくよ」
「でも……それじゃあ余りにも恩知らずだわ」
「んーそう言われてもな。じゃあお礼としてドーナツでも買ってやってくれないか? 忍の大好物なんだよ」
「それで満足してくれるのなら、喜んでそうさせてもらうけれど」
「あの! それって、別に手作りでも、構わないですか? その……少し前にパパと一緒に作ったことがあって……それがとてもおいしかったから……」
「あーうん、多分問題ないと思うよ」
僕はミスタードーナツしか買い与えたことがないから、断言はできないが。
何にしても、これで忍へのドーナツ供給ノルマが分散された!
僕も僕で誠心誠意、最大限ドーナツを買ってやるつもりだったが、それでも限界はある。
忍にしてもドーナツの供給量が増えるのだから、文句はないはずだ。
「ならほむらちゃん、よかったらだけど私の家で一緒に作らない?」
「まどかの家で!?」
「……駄目かな?」
「いいえ、問題ないわ」
クールを装っているほむらの口元が、ひくひくと痙攣しにんまりと口角が上がっている。
よほど嬉しいらしい。
よし、ほむらの機嫌も良さそうなのでここは一つ――
戦場ヶ原の存在を警戒するほむらに対し、戦場ヶ原が行った功績(まどかちゃんの契約を完全なかたちで阻止した件)について、教えておくことにしよう。これで戦場ヶ原への印象は幾分緩和されるはずだし、あわよくば良好な関係が築けるかもしれない。
元々の相性が最悪過ぎるから、一気に打ち解けることは難しいだろうが、多少の歩み寄りぐらいは期待できる。
ほむらだって、大切な人をキュゥべえの魔手から守った恩人に対し、邪険な扱いはできまい。
そう思い立ち僕がほむらに対し喋り始めた瞬間――
「待って、阿良々木くん! その話は止めてもらえないかな?」
なぜか、羽川によって遮られてしまう。
形としてはお願いとしての体裁だが、その語調は有無を言わせない力強いものだった。
いつもは気さくな明るい振る舞いが常の羽川だが、今は真剣な表情で冗談を言い合えるような雰囲気も一切ない。
「ど……どうしたんだよ羽川?」
ただならぬ様子に、僕はおっかなびっくり問い掛けた。中学生二人も、空気を読んで口を噤む。
「ううん、ごめんね。驚かせちゃったかな」
「……それは全然いいんだけど、何か僕、まずいこと言ったのか?」
「そういう訳じゃないんだけど……多分、阿良々木くん、ちゃんと状況を理解していないから、話しがややこしくなるというか、誤解を生むというか……だから、ね?」
「…………おう、わかった」
羽川にしたら、やや歯切れの悪い返答。
「それでね阿良々木くん………………私、阿良々木くんに謝らなきゃいけないことがあるんだ。それを訊いてもらってもいいかな?」
「え? そりゃ構わないけど、別にお前が僕に謝ることなんて何一つ……」
「そんなことないよ。私は阿良々木くんの信頼を裏切ったんだから」
「……それって、もしかして僕を完全な吸血鬼化にすることで、生存率を高めたとかって話のことだろ? 忍野が言ってたよ。でもそれは僕の身を按じてのことだし、とやかく言うつもりはないって。お前の感覚としては、僕を騙したみたいな感じになってんのかもしれないけど……」
「ううん。そのことじゃないの」
羽川が首を振り――心を落ち着けるためか、一度深呼吸を挟んだ。
「阿良々木くん、私に言ったよね。『出来ることなら、世界中全ての魔法少女を救いたい』、私に、そう相談してくれたよね」
「あ、ああ。そのことか」
あの放課後の出来事を思い出す。
キュゥべえから魔法少女の真実を明かされ、精神的に疲弊した僕を羽川が励ましてくれた時のことだ。
「って言われても、それで何でお前が謝罪するって話になるんだ?」
「様々な方法を模索して、どれだけ考えても…………阿良々木くんが望む答えがでなかったからだよ。私は阿良々木くんの期待に応えられなかった」
「待て待て! お前が気に病む必要がどこにあるんだよ! 無理難題を押し付けたのは僕なのに、魔法少女の問題は一朝一夕で解決できるようなもんでもねーだろ。どんな責任感だ。んなことで謝罪なんてされちゃあ僕が困るって。まだ方法が見つからなくても、これから見つけていけばいいんだからさ」
「違うの…………解決……できないわけじゃないんだよ」
「は? つーことは、何か解決策があるっていうのか!?」
「……解決策なんて綺麗なものじゃないし、さっきも言った通り、この方法は……阿良々木くんが望む結末とはかけ離れた、代償の上に成り立つものだから。私の足りない頭じゃ、こういう風にしか“調整”できなかった」
まるで懺悔でもするように、羽川は重々しい口調で言葉を絞り出す。
その表情から、苦渋の末に導き出された答えだということが読み取れる。
「最低最悪な忌むべき選択だよ。私を恨んでくれて構わない」
「いやいやいや、僕が羽川を恨むとか、なに馬鹿なこと言ってんだ! そんなことあるはずないだろ。お前が苦心して考え出してくれた解決方法なんだぜ。それに任せたのは僕なんだ。それがどんなものだって受け入れるよ」
自責の念に駆られる羽川を、励ますように声をかける。
でも、それはあまりに考えなしの言葉だった。
羽川を盲信した愚か者の、浅慮な言葉だった。
自分自身の発言の薄さを――思い知る。
割り込むように発せられた、戦場ヶ原ひたぎの言葉によって――まざまざと思い知ることになる。