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戦場ヶ原の言い分は、婉曲な言い回しですんなりと納得がいくものではなかった。けれど、『約束』の主観が彼女にある以上、事実は事実として受け止めるしかないだろう。
まどかちゃんがキュゥべえと契約する芽は、潰えてなどいなかった。完全な僕の早合点だった訳だ。
「………………ああ、それは理解した。じゃあ本題に入ってもらえるか? お前の出した解決策、その具体的な方策を教えてくれ。っとその前に一つ――」
魔法少女の抱える『闇』は根深く多岐に渡る。
元凶であるインキュベーターが策謀するマッチポンプ。世界中に蔓延る魔女。魔法少女の逝きつく先……。
いつだったか、キュゥべえは言ってた。
まどかちゃん一人の『願い』で、大多数の魔法少女を、元の身体に戻すことができるかもしれない――と。
その通りことが進み、目標とするエネルギー回収ノルマが達成できたなら、インキュベーターはこの地球から撤退するという――あくまでも自己申告などで、あまり鵜呑みにできないが。
しかしだ。それはインキュベーターが欲しているエネルギーを回収できた場合の話であり――至極当然の帰結として、まどかちゃんが絶望し、魔女に堕ちたことを意味している。
表裏一体――僕とほむらが絶対に看過できない譲れない問題点だ。
そういったことを、釘を刺す意味を込め、機先を制して告げておく。
「決してまどかちゃんの契約を容認した訳じゃないと、念を押した上での質問だ。もしまどかちゃんがキュゥべえと契約したとして、その『願い』だけで、全ての魔法少女を救うなんてことが本当に可能なのか? どんな願いが叶えられるとは言っても、叶えられる願いはたった一つなんだぜ?」
僕の指摘を訊き終えた戦場ヶ原は、大きく嘆息し、殊更嫌味っぽく言うのだった。
「はぁ、これだから阿良々木くんは阿良々木くんなのよ」
いや、これを嫌味として受け取っていることに、疑問を呈したいところだが……悲しいことにまず間違いなく僕への罵倒として成立していた。
「…………何だよ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「じゃあお言葉に甘えて――まず『全ての魔法少女を救う』なんて、そんな都合のいいことばかり考えているから、雁字搦めに陥るのよ。それと、もう一つ言わせて貰えば、一つの『願い』で全ての問題を解決しようなんて、愚考の極みね。難問は幾つかに分解して解くのがセオリーなのよ」
などと得意気に嘯く戦場ヶ原だった。
「そりゃ口で言うのは簡単だけどよ、魔法少女の抱える問題は、どれをとっても、解決困難な問題ばかりじゃねーか。なぁ戦場ヶ原、そこまで言うのなら、いい加減、はっきりと解決方法を提示してくれないか?」
「――いいでしょう。ただ当然のことながら前提条件として、鹿目さんがキュゥべえと契約することを、念頭に置いていることは改めて言っておくわよ」
「…………ああ」
ここで突っ掛かっても話が進まないので、反駁の言葉はぐっと呑み込んでおく。
ほむらの様子を横目で窺ってみると、不満ありありの表情だが、どうにか自制が利いているようだ。
まどかちゃんが両手でほむらの右手を握り込んでいるのが、精神安定に大きな効果を齎しているものと思われる。
「では比較的容易に解決できる一例として――私の『約束を遵守させる力』を使って、あの害獣が今後新たな少女と契約することを禁止する。そうすれば、新たな被害者が出ることはなくなるわ」
「……待て待て! いったいどうやったら、そんな『約束』取り付けられるんだよ!? 相手はキュゥべえなんだぞ!? 机上の空論もいいところじゃねーか!」
「机上の空論――ねぇ。阿良々木くんはそう思うの?」
「違うってのか? どう考えたって無理だろ。お前の能力は両者の同意の上に成り立つもののはずだよな? 脅しが効く相手じゃないし、お前の能力は既に筒抜け状態なんだぜ?」
部屋の隅には、僕らのやり取りを最初から、逐一観察しているキュゥべえの姿がある。
狡猾でしたたか。人間の価値観が通用しない白い悪魔。
「キュゥべえにとって不利益な条件しかないのに、んな要求を呑むような奴じゃねーだろ!」
「その通りよ。よく解かっているじゃない阿良々木くん」
「はい?」
「不利益を被るのなら、それを越える利益を提示すればいいだけの話じゃない」
そこまで言われて、ようやく戦場ヶ原の意図に気付いた。
…………そういうことか。
キュゥべえにとっての利益。そんなの決まりきっている。
「……まどかちゃんとの契約を、交換条件にするってことか?」
キュゥべえにとって、まどかちゃんと契約することは至上目的。
今までのキュゥべえの行動を鑑みれば、奴がどれほどまどかちゃんに固執しているかは一目瞭然だ。
「“概ね”その通りね」
僕のその答えに、戦場ヶ原は語調を変え、煮え切らない言い回しで首肯する。
「概ねって、なんだよ……何かしら僕の解釈に間違があるのか?」
「そうね。阿良々木くんは、私が今からあの畜生との『約束』を取り結ぶと思っているようだけど、私はそんな段取りの悪いことはしないわ。既に『約束』は締結済みよ」
「……『約束』って、『願い』の力を行使したという意味……だよな」
「当然でしょう。それが私自身が魔法少女に成る見返りとして、キュゥべえに提示した交換条件よ」
そうして――戦場ヶ原は、自身がキュゥべえと交わした『約束』について語り出す。
少々ややこしいので僕の方で纏めてしまえば、詳細と経緯はこんな感じだ。
まず、キュゥべえと戦場ヶ原が交わした『約束』の内容――正確な条件は以下の通り。
『戦場ヶ原ひたぎの手引きで、鹿目まどかを魔法少女にすることができれば、キュゥべえは戦場ヶ原が提示した要求を許諾する』――というもの。
どうやらその『約束』を結ぶことと引き換えに、戦場ヶ原は魔法少女になったようだ。
戦場ヶ原が魔法少女となると同時、キュゥべえと『約束』が取り結ばれる。
キュゥべえとの口約束は全く信用ならないが、『願い』を用いた絶対遵守の『約束』なので、約束が反故にされる心配はなくなる訳か。
また、まどかちゃんとの契約に難航していたキュゥべえにしてみれば、戦場ヶ原の申し出は渡りに船だ。
交換条件付きとはいえ、協力者が得られるのだし、加えて、戦場ヶ原の“手引き”という制約もあるので、キュゥべえ自身の導きで魔法少女にさえすれば、戦場ヶ原から提示された条件も無効となるのだから、相当美味しい餌に見えに違いない。
おまけに、戦場ヶ原が魔法少女になる付加要素まである。
ただキュゥべえの誤算は、まどかちゃんとの契約が戦場ヶ原の『約束の力』によって封じられたことだ。これは想定外の出来事だったに違いない。
まぁ今にして思えば、これも最初から戦場ヶ原の計画の内だったのだろう。
だから、まどかちゃんが先走って、契約することをよしとしなかった。
あくまでも、戦場ヶ原がまどかちゃんを手引きし、キュゥべえと契約させることが計画だったから。
あと戦場ヶ原が提示した要求についてだが――先ほど言っていた『新たな少女と契約することを禁止』に加え、他にも“細かい取り決めが多数”あるらしい。
僕としてはその“細かい取り決め”の詳しい内容が気になったので、訊き出そうとしてみれば、別紙を参照するように言われ――なんの冗談かと思えば、本当に精密機械の取り扱い説明書みたいな紙の束を羽川から渡されたのだった。
詳細な取り決めを文書として記したのは、後々齟齬をきたさないようにする為。キュゥべえが後々やってきそうな揚げ足取りを、事前に潰しておく目的があるようだ(羽川談)。
全文確認した訳ではないが、ざっくり一言で言ってしまえば『人間側にとって、不都合な行動をとらないように』みたいな内容がびっしりと文書として記されていた。
僕には難解な文書であり、憲法を読んでいるような気分になった。
どうやら、これが羽川の『調整』――――『軌道修正』の名目で追加要求した条件のようだ。
まどかちゃんとの契約(魔法少女化)を『約束を遵守』させる力で封じた段階で、主導権は完全に戦場ヶ原が握っている。この時点で、多少の無理は押し通すことできる程の、力関係が生じていることになる。
なんせ、戦場ヶ原のさじ加減で、まどかちゃんとの契約が左右される状況なのだ。
差し障りない条件で最初の『約束』を交わし、意図的にまどかちゃんの契約の裁量権を掌握した後、相手の足下を見て追加の条件を出す。
どんな制裁を受けるかわかったものじゃないので、決して口にはしないが……やり口が詐欺師めいているよな。
「まぁ『約束』というより、今回の場合は『取引』といった方が言いかもしれないわね。或いは『契約』ね」
総括として、戦場ヶ原はそのように締め括った。
『契約』で少女を誑かす悪魔に対し、『
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「戦場ヶ原ひたぎ。話はそれで終わり?」
だが、どんなにキュゥべえの思惑を封じ込め、搦め手で手玉に取った見事な立ち回りであったとしても、最終的な解決方法は、まどかちゃんの魔法少女化を前提に進められた企みだ。
暁美ほむらにとって、それは、絶対に許容できない
「結局はまどかを犠牲にするということでしょう。そんなの容認できるわけがないわ。例えこの手を血で染めようとも、阻止してみせる」
どこまでも冷めた声音で、ほむらははっきりと断言する。
武力行使も厭わないと、宣戦布告した。
いや、武力行使で済むはずがない、ほむらは戦場ヶ原を殺してでもこの計画を阻止するつもりだ。ほむらと戦場ヶ原が牽制するように睨み合い、嫌な静寂が場を支配する。
「暁美さん。待って」
その沈黙を打ち破ったのは、ぶつかり合う二人の視線を遮るように身を滑り込ませた、三つ編み眼鏡の委員長――羽川翼だった。
「戦場ヶ原さんを殺すつもりなら、その前に私からだよ。確かに、この筋書きを考えたのは戦場ヶ原さんで間違いないけれど――でも、それを調整して『仕組んだ』のは私なんだよ」
「…………羽川……さん」
戦場ヶ原に対しては悪感情が大半を占めているので躊躇もなかったのだろうが、短期間とはいえ『ワルプルギスの夜』討伐のために協力し合っていた相手では、そうもいくまい。
羽川に対しある種の敬意を抱いているほむらは、目に見えて気勢を削がれていた。
それでも――だとしても。
ほむらの優先順位は明確だ。
「………………恩を仇で返すことになろうとも……私の邪魔するのなら――如何なる手段にでも打って出る覚悟はあります」
「うん。暁美さんの覚悟が本物なのはよくわかる。でも、その上でお願いしたいの――暁美さんの望む未来じゃないことは理解できるけれど……どうか、鹿目さんの選んだ未来を尊重してあげて欲しい。鹿目さんの選択を見届けて欲しい」
「尊重ってなんですか? まどかが選択したって…………何なんですか!? あなた達がまどかを唆した結果でしょ!? そんなの認められる訳がないわ!! 見届けられるはずないでしょう!? やっとここまで辿り着いたの! まどかが契約したら、全てが台無しになる! 私が何のために繰り返してきたと思っているの!?」
ほむらは吼えるように怒りをぶつける。
声を張り上げ、泣き叫ぶように慟哭していた。
「残酷なことを言うけど…………見届けた『結末』が許容できない――不本意なものであったのなら、もう一度やり直せばいい。暁美さんにはその力が残っているでしょ?」
「…………本気で言っているんですか?」
信頼していた相手に裏切られた、そんな感情がありありと見て取れる。
あまりの暴言に怒りを通り越し、絶句するほむら。
「おい、羽川。幾ら何でも、それはあんまりだろ? ほむらがどれだけ苛酷な道を歩いてきたのか、どんな思いでここまでやってきたのか、考えてみろよ」
羽川と対立することになろうとも、流石に黙って見過ごせる言葉ではなかった。
「考えた上での発言だよ。勿論、取り消すつもりもない」
非難の言葉にも何ら臆することなく、強い口調で羽川は言う。
「…………なんだよ、えらく厳しいじゃねーか。羽川らしくないぜ」
「厳しくはあっても、らしくないなんてことはないよ」
「そうか? 僕には相当無理して言っているように見えるけどな」
「…………阿良々木くんは、優しいね…………でも、優しいだけじゃ駄目なんだよ」
「いや、別に僕は優しくなんて……」
「うん、そうだね。優しいんじゃなくて、甘いんだよね。阿良々木くんは一番弱い人の味方になるだけだから――暁美さんに対して、感情移入し過ぎているよね」
「………………そりゃ感情移入もするさ! ほむらの味方をするのは当たり前の事だろ?」
「だったら、阿良々木くんは暁美さんの意志を全肯定するの?」
「全肯定とは言わないけど、ほむらの想いを踏みにじるようなことだけはしたくないとは思っているぜ」
「そう………………うん、阿良々木くんがどう考えているのかはよくわかった。なら、ここではっきりさせようか。暁美さんの気持ちを、私もちゃんと知っておきたいから」
そう言って、羽川は僕からほむらに視線を切り替えた。
いつもより少し固い表情。とはいえ高圧的とは言えない自然体。
けれど、言い知れない威圧感を放っている。
その視線を受け、ほむらは得体の知れないものを見るような表情で狼狽えていた。
ほむらも、羽川の異質さを直に体感している身だ。今までは協力関係にあって、味方として接していたが――その相手が敵に回った恐ろしさは、羽川という本物を相手取った者にしかわからない特有の感覚であろう。
「暁美さんに質問させてもらうね。阿良々木くんもよく訊いていて」
強張った表情のほむらに対して、羽川は確認するように尋ね掛けた。
「暁美さんは、鹿目さんが魔法少女になるのは、絶対に認められないんだよね?」
「…………ええ」
「それは、鹿目さんが契約することなく、このままの現状を受け入れる方がいいってことだよね?」
「そうよ」
弱みを見せないようにするためか、羽川に対しての敬語をやめ、返答するほむら。
「でも、暁美さんは知っているでしょう? 魔法少女が……魔女になることを――そうなった時、あなたはどうするつもり?」
「どうもしないわ。魔女に堕ちる前に、命を絶つ。いえ、この場で私の命が亡くなろうとも構わない。まどかさえ無事ならそれでいいわ。それ以上私が望むことはない」
「…………うん。暁美さんなら、そう言うと思ってた」
羽川はほむらの想いを見抜いていた。
だから――こうしてはっきりと、言葉として曝け出すように仕向けたのだ。
ほむらの想いに、僕が“同調できない”ことを見越していたから…………。
ほむらの目的は『ワルプルギスの夜』を倒した段階でほぼ達成している。ほむらは、自身の役目を完了したものだと見做している。
自らが助かろうなんて意識は皆無なのだ。
僕とほむらの想いは、全くと言っていいほどに重なっていない。
「暁美さん。あなたが、鹿目さんを救うその為に、何度も同じ時間を繰り返し、命を懸けてやってきたことは本当に尊いものだと思う。あながたどれほど鹿目さんのことを大切に想っているのかは、これでもかっていうぐらい伝わってくるよ」
羽川は優しく語りかけるように、しかし、その声音は物悲しく憐憫の情を感じさせるものだった。
「でも…………それはね、自己満足なの。自己犠牲じゃ、人の命は救えても、人の気持ちまでは救えないよ。暁美さん、あなたは、残された側の気持ちを蔑ろにしている、見落としている」
そして今度は一転、叱りつけるような厳しい口調で羽川は言った。
「…………自己満足でも……自己犠牲でも構わない…………私は……まどかの為なら…………それが私の生きてきた意味だから…………まどかを救い出すことだけが…………私の希望だから…………まどかと交わした……約束だから」
戦場ヶ原の毒舌も霞むぐらいに、羽川の言葉は鋭利に突き刺さっていた。ほむらだけじゃなく、僕の心にも。
それでも――ほむらが縋ってきた、たった一つの悲願は、そう容易く見切りをつけれるものではない。
「暁美さん。今から私、『嫌な質問』をするね。でもちゃんと受け止めて、考えて欲しい」
そんな前置きを挟み――羽川は、畳み掛けるように止めを刺しにいく。
「もし暁美さんと鹿目さんの立場が逆だったとして、鹿目さんがあなたの為に犠牲になることを選んだとしたら――暁美さんはそれを受け入れることができるの?」
「……………………!」
ほむらは、何かを言い返そうとしたが、一向に言葉は出てこない。
だがしかし、答えは決まりきっている。
そんなの、受け入れられる筈がない! 受け入れられる訳がない!
ほむらの見落としていた――いや、敢えて見過ごしていた問題を、強制的に自覚させる、本当に嫌な質問だった。
でも、羽川はほむらを追い詰めたい訳じゃない。そこに悪意はない。
羽川はただ、気付かせようとしているだけだ。
「暁美さん。本当に大切なこと、本当に護るべきものを見誤らないで! 今、目の前にいる、鹿目さんの想いを訊いてあげて、彼女の気持ちを知ってあげて、理解してあげて。過去の約束に縛られないで! 迷路から抜け出した今のあなたなら、違う選択もできるはずなんだよ!」
僕とほむらが蔑ろにしていた、当事者の気持ちを。