こよみアフター~その1~
~121~
後日談というか、今回のオチ。
いや、オチというよりは、落とし所と表現した方がいいのかもしれない。
あの出来事から数日たったある日のこと――
僕はいつものように二人の妹、火憐、月火に叩き起こされた。
まぁ一度目が覚めただけで、僕はベッドの上から出ることもなく、そのまま惰眠を貪りたいという要求に屈し、剥ぎ取られた布団を手繰り寄せ二度寝へと突入した。誰にでもある、日常の風景だ。
深い眠りに再び辿りつかんと、うつらうつらとした心地で目を閉じる。
と、不意に僕の頬が叩かれる。そっと優しく触れるような、軽いタッチ。
完全に眠った訳ではなく半寝半起とでもいうべき、半覚せい状態だったので、ある程度の物音には気付くはずだ。つーか妹達の襲撃に備えて、警戒を怠る僕ではない。
けれど、あのデンジャラスシスターズが扉を開いた音は、僕の耳に届いていない。
だったら、その正体は自ずと限られる。
考えるまでもない。僕の影の中に封印された、幼女吸血鬼の仕業か――なんて結論付けて、重い目蓋を開けてみれば、僕の頬に触れる、か細い手が目に飛び込んでくる。
雪のような真っ白い肌。
大きくつぶらな瞳。
小さな顏に、すらっとした体躯。
衣服も着用せずに寝床に潜り込み、僕の胸元に身体を乗せ密着してきた段階で、ようやくその正体を把握する。
「………………キュゥべえ」
朝からテンション駄々下がりである。どんな寝起きドッキリだ。
「やぁお目覚めかい?」
「……ああ……最悪の目覚めだよ……で、朝っぱらから何のようだ?」
「挨拶にきたんだよ」
「挨拶?」
「うん、羽川翼に頼まれていた仕事が、ようやく片付いたからね」
羽川から頼まれた仕事? あぁ世界中の魔法少女への事情説明のことか。
世界各国に散らばるすべての魔法少女にコンタクトできるのは、キュゥべえくらいしかいない。
羽川の指示によって、キュゥべえはここ数日、奔走していたもんな。
こんな奴に任せて大丈夫なのかという、ご意見もあるだろうが、そこは羽川翼。抜かりはない。
伝令任務に向かうにあたって、羽川直々による指導が執り行われていた。
マンツーマンで模擬面接みたいな練習を、繰り返し繰り返し――羽川のOKがでるまでエンドレス。
一種の洗脳である。
で、肝心の伝令内容であるが――魔法を使い過ぎて穢れを溜め過ぎると死に至る可能性がある――という警告である。
まぁご存知の通り、本当は魔女になってしまうのだが、そこは嘘も方便ということで、表現は可能な限り暈している。だが危機感を抱かせるという意味では、誇張もしている。
それともう一つ、魔女が減少傾向にあるので、もう普通の生活に戻っても構わないということだ。
状況の変化に伴い、色々あったからな。
にしても……戦場ヶ原の『約束の力』を駆使して、キュゥべえを自在に操る羽川が怖い。
まぁそれはいいとして、大よその話が見えてきた。それで挨拶ってことか。
要は『別れの挨拶』をしに来たってことだと、僕は察する。
そうだと解かれば、中々に清々しい朝じゃないか。
コイツが、この地球に居座るメリットはなくなったのだ。
丁度いい、ここらで魔法少女の現状について語っておくとしよう。
あの出来事のその後について、語り部として最低限の顛末ぐらいは回収しておくべきだしね。
投げっぱなしという訳にもいくまい。
さて、何から語ったらいいのか、悩むところではあるが、やはり一番に触れておくべきは、まどかちゃんの『願い』によって齎された影響についてだろうか。
まどかちゃんの願った祈りは――『この世界にいる、全ての魔法少女の穢れを癒す』というものだ。
ソウルジェムに蓄積する穢れ、その総量が閾値に達した時、魔法少女は魔女へと生まれ変わる。魔女へと堕ちてしまう。
生きているだけで少量とはいえ穢れは溜まり、負の感情を抱いた時や、魔法の力を行使しただけで、穢れはどんどん蓄積されていく。グリーフシードで浄化しない限り、穢れを取り除くことができず、それが魔法少女にとっての死活問題であり、魔女に成ることは逃れられない運命だった。
けれど、まどかちゃんの願いによって、その呪縛は断ち切られた。
まどかちゃんの願いは、魔法少女の穢れを癒すこと。
つまり――穢れの『浄化』『抑制』だ。
その効果は絶大で、ソウルジェムに穢れが溜まっても、継続的な浄化作用が働き、穢れが蓄積することはなくなった。
ただ注意しなければいけないのは、あくまで穢れを浄化するだけなので、後先考えずに魔力を使い続けたり、精神崩壊レベルで負の感情を抱いた場合に関しては、浄化の力が追いつかいことも考えられる。
まぁ想定以上にまどかちゃんの浄化の力が強力らしく、相当無茶な使い方をしない限りは大丈夫だろうという見解ではあるが、そこら辺はまだ注意が必要らしい。どこにどんな落とし穴があるか分からない。注意しておくに越したことはない。
とはいえ、現時点に於いて、普通に生活する分に関しては、穢れが溜まる心配はなくなっている。
穢れを取り除く必要がなければ、グリーフシードは必要ない。
故に魔女と戦う必要もなく、戦いとは無縁の日常に復帰できる訳だ。
それらのまどかちゃんの齎した影響と並び、重要な役割を果たしているのが、戦場ヶ原がキュゥべえと結んだ『約束』である。
その内容は『少女と契約することを禁止する』というもので、まどかちゃんを魔法少女にする見返りとして、戦場ヶ原がキュゥべえに対し要求したものだ。
その効果は、そのまんまである。キュゥべえの勧誘活動は禁止され、魔法少女が増えることはなくなった。
もう新たな犠牲者が生まれることはない。
その為、キュゥべえは今いる魔法少女からしか、エネルギー回収は行えない。
けれど、穢れが溜まらない為、魔法少女が魔女になることはなく――当然、キュゥべえが最も欲していたまどかちゃんも例外ではない。
つまり、キュゥべえがどう足掻こうとも、感情エネルギーの回収ができない!
事実上、インキュベーターの構築した『魔法少女』のシステムが、機能しなくなったということだ!
ついでに、ここ数日間の、世間の動向にも触れておこう。
要は現実社会の問題である。
『ワルプルギスの夜』が齎した破壊の爪痕は色濃く残っている。
無論、魔女という存在が一般社会に認知されることはないので、他の原因として処理されることになる。
見滝原の中心街で起こった、天変地異、未曾有の大災害。
或いは、国家規模で行われた化学実験の失敗。
はたまた、大規模テロ組織による陰謀説。
なんて様々な憶測が飛び交う大事件として、ニュースでは報じられている。
また、軍事施設から盗み出された兵器の件も連日ニュース番組で取り沙汰され、各方面の責任問題へと発展している。心苦しくはあるが知らぬ存ぜぬを貫くしかない。
ただ幸いなこと……と言ってはいけないが、ほむらが使用していた兵器の大半は、ワルプルギスの炎に溶かされて、跡形もなく消え去っている。
加えて、忍野の先輩が裏世界を牛耳る権力者のようで、情報操作なども行われているらしい(ホントかよ)。
あと懸念があるとすれば、残った魔女の存在だけど、その件については、現在目下対策中である。
これは――つい先日のこと。
「……残った魔女のこと、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫なんて軽はずみな発言はできないよ。僕が直接関わっているわけじゃないのに、無責任なことは言えない。まぁ訊いたところによると、この件に着手してから日も浅いし、問題は山積みのようだ。まだ『魔女狩り』の組織を編成している最中ってところみたいだね――協力してくれそうな魔法少女への打診もしているらしいけど、人選には相当気を使っているみたいな話だよ。当然実力も必要だし、相手は未成年だからね、色々調整が難しいってのもあるから、まぁ本格的に活動が開始されるのは、一カ月はみておいたほうがいいんじゃないかな」
それが忍野の先輩とやらが手を尽くして創設した、魔女の残党狩りを目的とした組織の内情である。
ほんと、この忍野の先輩は何者なのだろう…………忍野も相当に人間離れした奴だけど、それとはまた違うベクトルでぶっ飛んでいる。謎である。
さて、この話からも分かるように、まだこの地球上には魔女が残存している。
ただ、キュゥべえによる契約が禁じられたお陰で、新たな魔法少女が誕生し、その流れで魔女が増えるというサイクルは消滅した。
けれど、元々いる魔女自身が使い魔を産み、その使い魔が魔女へと成長するという問題は残っているので、何らかの対処をしなくては、魔女は増える一方だ。
とはいえ、魔女の数は元々そこまで多くはない。
魔法少女が飽和した状態で、魔女を取り合っていたのが今までの現状だったのだ。
魔女をこの世界から根絶できるのは、そう遠い話じゃない。
そして、その魔女を狩るのは、魔法少女だけの役目ではなくなったことも重要な点だ。
この世界には、僕が関わった吸血鬼退治の専門家なんて存在がいるように、それに似通った化け物退治の専門家ってのが結構な数いるようなのだ。
世の安寧を願い、陰ながら悪しき者を退治する正義の味方――なんて奇特な人は極少数で、金銭目的としたハンターみたいな連中が多数存在しているらしい。ビジネスライクな世知辛い世界である。
でだ。今まで『魔女』というのは、魔法少女以外は手だし厳禁の、アンタッチャブルな存在だったけど、それも今回の件で撤廃された。
そもそも、魔女は結界の中に隠れているので、棲み分けができていたのだが、これからは率先して魔女狩りが行われることになる。
その為には、やはり魔女を見つけ出す魔法少女の存在が必要になってくる訳だけど――それについては忍野が先ほど言っていた通り、現在有望な人物を選考中のようだ。
勿論、強制ではなく、本人の意思ありきのことだ。
普通の人間として生きていくもよし、今まで通り魔法少女として力を奮うことも選択できる。
ただ魔法少女として戦う道を選ぶというなら、当然の代償として命の保証なんてものはない。
「ああ、そう言えば、阿良々木くんの知り合いにいた、あの、食いしん坊ちゃんが、結構乗り気みたいだね。ただ周りの反対もあって難航しているとかなんとか」
うん、よく知っている。
食いしん坊ちゃんとは、お察しの通り、佐倉杏子のことだ。
杏子は学校に通いたくないとの理由で、魔女狩りへの参加を強く希望している。
で、その杏子の魔女狩りへの参戦に猛反対していてるのが、巴さんなのである。
巴さんに泣きつかれ、連日相談を受けている今日この頃。
ちなみに、巴さんと杏子は現在、郊外の小さなアパートで二人暮らししていた。
巴さんが元々住んでいたマンションは、あのワルプルギス戦の影響を受け半壊してしまったのだ。
その辺りの事情については――ほむら、まどかちゃん、美樹のことも含めて、またの機会に詳しく話すとしよう。
本当に色々と厄介な問題が起こっているのだ。巴さんと杏子の件だけじゃなく、他にも…………特に、ほむらのまどかちゃんへの依存が、度を越え過ぎていて、早急に手を打たないとマジでヤバい!
加えて、相手の気を引きたい――仲良くしたいという感情の矢印が【巴さん→杏子→美樹→ほむら→まどかちゃん】みたいな感じで、一方通行なのが……もう……いや別にそれぞれが仲良くないなんてことは決してないのだけど…………うん。
僕の心労はとどまる所を知らない!
「しっかし忍野。お前、えらく協力的に動いてくれているよな」
忍野の先輩とやらの交渉は、全て忍野が担ってくれたのだ。彼の尽力無くしてこの結果は得られなかった。
「放任主義な奴だと思ってたのに、見直したぜ。つーか、本当にありがとうな」
照れくさいが、やはりお礼は言っておくべきだろう。
「はっはー阿良々木くん。気持ち悪いこと言わないでくれよ」
「おい、感謝の言葉ぐらい素直に受け取っとけよ!」
「僕としては、言葉じゃなく、対価を希望するけどね」
「…………ああ、そう……だな。ここ最近ごたごたしてて……有耶無耶になってたよな…………で、僕が払う代金はどれくらいなんだ?」
あまり考えたくないが……街を覆う規模の結界に各方面への交渉…………それこそ億単位の請求がきてもおかしくないので――できれば有耶無耶のままにしておきたかったんだけれど…………専門家への正当な依頼料なので、踏み倒す事はできない。
「冗談だよ。今回は別に代金の請求とかはないから」
胸ポケットから煙草を取り出し、忍野は何でもないことのように言う。
「は? いいのか!? どういう風の吹き回しだよ!?」
お金の扱いに関しては、結構アバウトな奴だけど、これは!?
「相変わらず阿良々木くんは元気いいなぁ、何かいいことでもあったのかい?」
不思議がる僕の様子を眺めながら、忍野は面白そうに茶化してくる。
いや、莫大な借金を背負う覚悟をしていた僕としては、それはいいことがあったんだろうけどさ!
そして忍野は火のついていない煙草を指で挟み、軽薄な笑みを浮かべながら、さも当たり前のことのように言うのだった。
「崩れたバランスは、正す必要があるだけさ」
それこそがこの男の――専門家としての矜持なのかもしれない。
ふざけた態度で人を煙に巻き、皮肉屋で底意地の悪い、嫌味な捻くれ者。
それでいて……心底、面倒見のいいお人好し。本当に頼りになる…………悔しくて認めたくないが――かっこいい大人の男だ。
「それが
まどかの願い=穢れの浄化(癒し)・抑制
ある意味に於いて、本編の『救済』の下位互換の力とでも言いましょうか。
穢れを回復させる・いわゆるリジェネ効果です。
ただし、少なからず魔女になるリスクは残っています。