Fate/editor's duty   作:焼き鳥帝国

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日常を過ごす八都。そんな彼の前に白い少女が現れる。そのとき彼は……。


開戦前2

 冬の朝というものは人間の儚さと力強さを感じ取るには良い時間帯かもしれない。人間は暖房器具やまともな防寒具がなかったころからこの厳しい時間帯を行動していた。雪こそちらついてはいないが、今日の朝も一際寒い。

 八都はマフラーに顔を沈ませ、眼だけを動かしてちらりと横を見る。そこには元気に自転車をこいでいる男子生徒もいれば、毛糸の手袋に息を吹きかけて顔を温めている女子生徒もいる。ちなみにその女子生徒はこちらに気づいたのか元気良く手を振って来た。別のクラスの子であるが、八都の事は知っているらしい。手を振り返すと嬉しそうにはにかんだ。朝一で有名人に会えた気分なのだろうか。八都は自分が目立つことを自覚しているが、こういう場面に会う度に、前世の自分や知己が笑っているような気がしてならない。

 やがて校門が見えてくる。今日はまだ平和な風景がそこにはあった。

 明日にはどうなっているか分からないが、今日が良いならそれでよしとしておこう。

 八都が校門に入ってゆくと、弓道場が目に入ったので少し寄り道してみる。180cmというそこそこの長身を生かして格子窓から覗き見ると、丁度桜が弓を引いているところ。桜の立射は美しく洗練されていた。彼女がどれだけ鍛錬を積んでいるのかが良く分かる。その姿から矢の行方までを頭の中でシミュレートしてみると、見事ど真ん中を射貫いていた。そして、実際彼女が放った矢はそのシミュレーション結果をなぞるように的へと突き刺さる。

「こ~ら」

 そんなことをしていると、声がかかると同時に後頭部に何かが振り下ろされた。首をひねって避けてみると、それは弓道だけに及ばず、武芸百般に明け暮れた女性の手であった。端から気配には気づいていたので誰かは見当がついている。

「美綴、人の頭にチョップするもんじゃない」

「後ろに目でもついてんのかあんたは。後、覗きほどに咎められることはしちゃいないよ」

「覗きとは失敬だな、後輩の成長を見てるだけだ」

「物は言いようだね」

 会話の切れ目を合図に振り返ると、ショートボブがさわやかなさっぱりとした美少女がいた。男前な笑みを浮かべてはいるが、男装が似合いそうにない程度には女性らしい。彼女こそは弓道部現主将美綴綾子だ。こう見えて乙女ゲーが趣味。

「今度は人をじろじろ見腐って」

 綾子は冗談めかして体を隠すように掻き抱いた。それを見た八都も、笑って冗談めかす。

「相変わらずきれいだな、と」

「刺されてしまえ」

「乗ってやったのに酷いな」と八都、彼も元々は弓道部に所属していた。しかし、聖杯戦争も間近となり鍛錬に割く時間が増えるにつれ、練習に参加し辛くなった。そうでなくとも休みがちなのに弓の腕はピカイチという嫌な存在だったのだ。一年の終わりごろには弓道部を去っていた。

「衛宮、弓道部には戻らないのか?」

 綾子が何気ない口調で問うてくる。

「弓道よりも考古学に集中したくてな」

「衛宮と考古学ね、合うといえば合うし、合わないと言えば合わないな」

 納得いかないという表情の綾子。彼女にしてみれば合わないのだろう。この会話を続けたくない八都は、真顔で言う。

「美綴の弓道着姿には敵わない」

「お前ね、お前の場合慎二と違って冗談にならないんだから自重しなよ?」

 綾子の顔は少し赤かった。容姿と魅力がカンストしているような状態で言えばそれはそうなるが、それより明確な男女関係の見えない男であるのが問題だ。下手をすれば本気になる人間もいるだろう。

「女性は褒めておけというのが爺さんの遺言だ」

「ろくでもないなお前の爺さん」

 八都は、「自慢の爺さんだよ、練習頑張れ」と言って、その場を去ろうとする。綾子も、あえて止めるようなことはしなかった。八都の決心が硬いことは彼女もよく知っていた。

「たまにでいいから顔出せよ」

「そうだな、たまにでも」

 或いは、明後日ごろには。

 そういう八都は、やがて迫りくる脅威を見据えていた。

 

Fate/editor's duty

第二話 開戦前2

 

「やあ、衛宮じゃないか」

 教室に入ってバッグを置いたところ、声をかけてきたのは一人の青年。ウェーブがかった短髪が特徴的で、生意気そうな風貌だ。

「慎二、おはよう。弓道部の方はもういいのか?」

「ああ、時間ギリギリまでやるなんて馬鹿らしいからね、切り上げてきたよ」

 彼は間桐慎二、魔術家系マキリの嫡男であり、極めて多才且つ有能な人間だ。しかし、彼に魔術的素養は皆無であり、実際は義妹の桜が魔術を継いでいる。義理の家族云々は学校では明らかにされておらず、桜が魔術を継いでいるのもメタ的な知識であるのだが。

「美綴を困らせるのはよしてやれよ」

「ふん、僕の勝手だろう? ま、今日は気分が良いから許してやるよ」

 本人の言葉通り、今日はどうにも気分が良いらしい。史実通りなら、もう少しでサーヴァントという大きな力が手に入る、と気が大きくなっているのだろう。ちなみに、彼は八都が魔術師であることを知らない。ただの考古学マニアだと思っている。依頼で学校を休んだりしている理由を考古学の遺跡を見に行くためだと言っているからだ。基本目立ちたがり屋で、少年期からのトラウマゆえ僻み屋な所も多々ある彼であるからして、女子人気があり思い人の遠坂凛と良く行動している八都と仲良くできているのは、魔術家系の自分の方に結局はアドバンテージがあると思っているからであろうと推測された。何だかんだで気が合うのが大本の理由だろうが。主に女性関連で。

「近頃は物騒だ。慎二は良く出歩くだろうから気をつけろよ」

 慎二は気障ったらしく自身の癖毛を撫ぜた。優れた容姿から溢れる清々しい程の自信。癖は強いが、境遇を鑑みればほぼほぼ完璧な男だ。魔術的才能さえあれば、と一応友人をやっている八都も何度思ったことか。

「ま、女の子と遊びに行くことは多いよねぇ。だけど衛宮、気を付けるのはお前の方だぜ」

「これでも腕には自信があるんだけどな」

「ははっ、それがどれだけ役に立つことか」

 慎二はそれだけ言うと、女子の待つ自分の席に引っ込んでしまった。今後も友人を名乗るのであれば、来るべき暴走は止めるべきだろう。

 八都はそこまで考えると、さっさと一限目の用意を済ませて、授業の予習に移った。別段する必要はないのであるが、空いている時間というものを嫌う質なのだ。そうでもなければ、成長のために心身ともに自分を追い込んで鍛錬と死地へ行くことを繰り返すなどできはしないだろう。

 

 昼休み、八都は昼はいつも生徒会室でとっている。理由は簡単、そこに兵糧を待つ生徒会長がいるからだ。ノックをすると「どうぞ」と几帳面な声がした。戸を開けて生徒会室に入ると一人の青年が窓際に立っていた。

「一成、待たせたか?」

「いや、俺も丁度来たところだ」

 彼の名は柳洞一成。柳洞寺の子供で、文武両道容姿端麗な現生徒会長だ。色々と人助けをすることの多い八都とは友人だ。八都に追随するレベルのカリスマ性があり、時代が時代なら寺を出て大名にでもなっていたかもしれないほどの秀才だ。

「今日はそこそこ自信作だぞ」

「ほほう、それは楽しみだ」

「召し上がれ」

 二人して生徒会室の席に着く。弁当箱の包みを解くと、様々な食材で彩られたその中身が姿を現す。自信作の名に恥じない眼にも楽しい弁当である。

「おお、本当に豪華だな、何か祝い事でもあったか?」

「いいや、偶然良い材料が手に入ったんだ。気合も入るさ」

「成程な、衛宮は良い料理人にもなれると思うぞ」

「主夫にもな」

 二人して笑う。実際の八都の活発さを考えると全く絵にならないのだが、実際想像してみると意外なほどに合っていた。

「最近は何かと物騒だが衛宮、なんぞ無理はしていないだろうな」

「いかんせん、無理と無茶は友達でな、放っておくことは出来ないんだ」

「全く」

 暫し無言で食事が進む。言葉を交わさずともお互いがお互いに不快で無い関係。親友という得難い関係がそこには合った。そして、十数分後、先に食べ終わっていた八都は、水筒に持って着ていたお茶を一成に差し出す。一成はそれを一杯飲むと、大きく息を吐いて言った。

「ご馳走様だ」

「お粗末様」

 二人の弁当はきれいに完食されていた。特に一成は八都よりも味わって弁当を食べていた故、満腹感は一入(ひとしお)だろう。八都は無言でお茶を注いで、二人して暫しお茶を楽しんだ。

「そう言えば一成、ストーブが壊れたとか言っていなかったか?」

「ああ、そうだった。生徒会の備品なのだが、つい最近まで使えていたものがどうにも逝った。念のため見てらえるか?」

「どれ」

「隣の資料室においてある」そういう一成に続き、八都は部屋を出て隣の部屋へと移動した。実際に現物を見てみると、随分と年季の入った電気ストーブだ。

「学校の長老格だな」

「ああ、この建物が建ったころからあるそうだ」

「買い替えたら?」

「長老になんてことを」

「いや、良いけどさ」

 悪ふざけしながらもストーブを運び出す。するとちょうど、一人の少女が通りかかったところだった。

「あら、柳洞君に衛宮君じゃない」

「むっ、出たな女狐」

「遠坂か」

 黒い長髪をツーサイドアップにしたその少女は、いかにも優等生然とした優雅な笑顔を二人に送った。彼女、猫を被った女悪魔こと遠坂凛とは犬猿の仲だ。一成は人を見る目も確かな模様。

「可愛い可愛い狐さんがどこにいるかは知らないけれど、二人とも何をしてるの?」

「遠坂に最も関係ないことかな」

 そういって八都はストーブを見せてやる。凛は手を後ろ手に腰を折ってストーブを間近で見てみた後、「だから、何やってるの?」と言った。

「ストーブが壊れたから衛宮に見てもらっていたのだ」

「遠坂に電子機器を任せるなんて、酔っぱらいに財布を任せるより危なっかしい」

 一成の説明を継いで八都が呆れ口調で言うと、凛は少々むっとした様子だ。

「むっ……私だって少しくらいわかるわよ」

「ストーブを見てストーブと分かることを褒められるのは幼稚園児までだぞ」

 八都が指摘すると、凛はふくれっ面で睨みつけてきた。

「ちょっと酷く無い?」

「遠坂に任せた携帯が数分後に煙を上げていた様を俺は忘れない」

 ここまでの会話で分かるように、八都と凛はある程度の関係性を築いている。と、いうのも八都が切嗣の死早々に自分が魔術師であることを凛に伝えたからだ。自分の魔術師としての力量を鑑みて、これを隠していたら敵対関係では済まないと悟ったが故である。それ以降、凛とは休み中依頼を共にしたり、その一環としてちょっと遠出したりする仲である。力量が近いのも相まって、ライバルとして切磋琢磨している。

 何はともあれ現在、過去の過失を持ちだされた凛は、「ふんっ」と顔をそらしてから横目でにらみつけてきた。

「い、今なら電話くらいかけれるもん」

 どこからどう見ても強がりだが、八都はあえて追及しなかった。未だに家で黒電話を使っている人間の台詞であるからして。それを隙と見たか一成がしっしっと追い払う仕草をする。

「まあ、そういうわけだ、さっさと去るが良い女狐」

「……覚えてなさいよっ、酷いんだから!」

 一成一人だとそこまで猫は剥がれないが、八都が一緒にいると被った猫も頼り無い。ずかずかと歩いて行くその後ろ姿は、とてもではないが学園のアイドルたる優等生の姿ではなかった。

「よし、邪魔が入ったけど昼休みの間に出来る所までやってしまおう」

 何気に凛の扱いが酷い八都。それはどうなのかと思うものもいるだろうが、ここにいるもう一人はアンチ遠坂の筆頭株だった。

「うむ……それはそうと、あの女狐相手に強いな、衛宮は」

 横で作業を見ている一成に、作業の手を止めずに八都は答える。

「あれで根っからの善人だからな、可愛いもんだ」

「そうか、いやそうか?」

 頷きかけて、自分目線で見直して、首をかしげる一成に、作業に集中する八都。その「可愛い」の部分を赤い悪魔の地獄耳が捉えていたことを二人は知らなかった。不機嫌そうな歩き姿の正面に出れば、ちょっと赤くなった少女の顔が見られただろう。

 

 放課後、夕日に照らされた生徒会室、八都は壊れたストーブに向かい合っていた。後ろでは一成がその様子を感心したように見ている。

「――edit(編纂せよ)」

 小声で詠唱し、解析を掛ける。疑似ラインを循環させ、不備がないかを最終チェック。一切の問題なくこの古びた電気ストーブは蘇った。

「よし、直ったぞ」

「いや、助かる。完全に臨終したかと思ったのだがな」

 一成が腕を組みながらうんうんと頷いて言う。

「ははっ、完全にご臨終じゃあちょっと設備が足りないな」

「何、俺から見たら臨終でも、お前から見れば仮病かもしれないからな」

「何にせよ芸達者なものだ」と、一成は感心したように言った。

 八都は、そんな一成の台詞を感慨深げに聞きながら、ストーブをコンセントに差してみる。

「ご存知の通り、色々と海外なりを飛び回っているんだけど、これが色々トラブルまみれなんだよ」

「必要に迫られての技術習得か、余り学校を休むのは感心しないのだがな」

「学生の本分は守っているさ」

 徐々にストーブが赤くなっていくのを見ながら、二人は会話を続ける。

「その心配はしていないがな、あの女狐めと一緒に行くことがあるとも聞くぞ」

 その所為で一部では二人は付き合っているんじゃないかとも言われているが。

「幼馴染だからな、経験を積みたいと言われたら断れないさ」

 決まってこのように否定している。

「お前が目指しているのは考古学者だったか? 何にせよほどほどにな」

 表向きには考古学者、実際魔術協会時計塔の考古学部を目指しているので間違いではない。

「ありがとう、一成」

「今日はこちらこそだ、ありがとう衛宮。助かった」

 笑顔で礼を言い合う。ストーブを切り、八都は鞄を手に帰る準備、一成は何カ所か戸締りを確認してから帰るという。

「また明日」

「ああ、また明日、気をつけて帰れよ、衛宮」

「ああ、ありがとう」

 校舎を出ると夕色に染まった街並みが出迎えた。身体を一仕事を終えた心地よい満足感が包んでいる。校門を抜け、帰路へ着く一月末の風は身をさいなむが、家に帰れば安らげる家が待っている。今日もまた桜が来て、藤ねえが騒ぐ夕食が来る。

 

 八都は、帰路の途中にある坂までやって来た。彼は気づいた。そこにある人払いの簡易結界に。顔を上げると、紫色のコートを着た十歳前後の銀髪の少女が坂の頂上に立っていた。自然、胸が高鳴る。少女が歩き出し、こちらに向かってきた。彼は金縛りにあったようにそこから一歩も動けない。知識では知っていた。しかし、その姿が養父切嗣から聞きだした姿そのままだったからだ。あたかも雪の妖精が目の前に現れたようで、八都の心を掴んで離さない。彼女は、長年思い煩ってきた愛しい家族だ。今まで会うことも許されなかった大事な大事な家族。

「――――」

 知らず呼吸が止まっていたことに気づく。会いに行こうと思ったことは幾らでもある。しかし、1000年を超えるの妄執そのものが刻まれた、大魔術工房たる『城』に阻まれてきた。魔法使いすら輩出した名門中の名門の居城、そこは英霊にとってすら死地になりうる。唯々実力が足りなかった。

「…………」

 彼は無言のまま少女を見つめる。彼女は歩みを止めず、小さな口元には薄く笑みが浮かんでいた。

 嗚呼。

 実力が高まり、聖杯戦争が近づくにつれ「今ならば或いは、凛の力を借りれば」と何度考えたか。しかし、礼装の多くはその時未だ完成を見ておらず、聖杯戦争への猶予はなかった。彼女を一人にしたのはひとえに己の無力故だったという悔恨が燻っている。少女はこのまま行けば自分の横を通り過ぎるだろう。そう考えた八都は、自然、ゆっくりと歩き出し、そして、少女の前で立ち止まった。坂道のお蔭で、二人の身長差は若干緩和されている。影法師が長く伸びる夕焼けの中、視線を合わせれば僅かに見上げる形の少女。その目が大きく見開き、表情が僅かに驚愕に染まった。八都の切なさと愛おしさに染まった顔を見たのだ。そんな表情を向けられるとは思わなかったのか、少女は僅かに怯んでいる。そんな彼女に八都は語りかけた。

「ドイツに」

「――えっ?」

「ドイツに姉がいるんだ。一度もあったことがない。もし、もし時が止まったままだったなら君のような子だろう」

 一歩間違えずとも他人がこの様子を見ていたなら頭がおかしくなったと思っただろう。しかし、八都は止められなかった。血のつながらない姉のことなど聞きださなければと思ったこともある。ただ情報として知っていればよかったと何度思ったか。愛おしさと悔恨とともに紡がれる養父切嗣の言葉は若返り感受性豊かだった幼い胸に刺さった。両親もなく、一人寂しく雪に囲まれた城で生活する。厳しい訓練を積み肉体は改造される。その後魔術を知れば知るほどに鮮明にその姿が浮かんだ。その、そのままの姿で少女が今目の前にいる。もしかしたら、万が一別人かもしれない。そんな考えは頭の中に無かった。ただ直感に従って言葉を紡ぐ。

「当時は、親権上の問題で会えないと教えられたんだ。爺さん、切嗣は何度も海外へ、ドイツ行きのチケットを持って出かけて行った」

 少女の表情が更なる驚愕に歪み、一歩後ずさる。そこには或いは恐怖すら含まれていたかもしれない。そして、八都は決定的な言葉を紡いだ。家族を繋ぐ一つの記号。

「イリヤスフィール」

「お兄……ちゃん」

 それには万感の言霊が乗っていた。イリヤスフィールの頭からも一切の余裕が消え去った。容姿そのままの子供のような悪戯心で、ちょっとした顔見せと警告をしようとここへ来ただけだった。待っている間、実際に会う自分の弟がどんな人物なのかと想像を膨らませた。自分の姿を鑑みて、皮肉と親愛を込めてお兄ちゃんと呼んでやろうと思っていた。実際に出来たのは、自分の想像よりも大きな弟にそれをか細く呟くことだけだった。

「八都だ、衛宮八都」

 八都は片膝をつき、目線を合わせて名を名乗る。

「ヤツト……」

 イリヤスフィールは噛みしめるようにその名前を口にした。何度も何度も頭の中で反芻する。知っていたはずだった。事前に調べたのだ。世界で活躍する新進気鋭のフリー魔術師のことを。

「っ、そ、そんな顔しても許してあげないんだから!」

 しばらく見つめ合っていた二人だが、イリヤスフィールははっと我に帰ると、身を翻して距離を取った。今までの孤独と、積み上げられたはずの恨みが壊されることを恐れるように。そして、少し行ったところで立ち止まり、また、八都と向き合った。立ち上がりながらその姿を寂しげに見つめる彼と目が合う。ちょっと呻きつつも気合を入れて厳しい表情を作った。十年前の聖杯戦争、母は殉じ、父は帰らず、独りぼっちになってしまった。今自分にいるのは二人の配下と最強の護衛。でも、あの城に家族はいなかった。この目の前の男と父は居た。捨てられたのだと思っていたのに、なんで今になって心を揺らすのか。イリヤスフィールは苦悩する。が、しかし。

「許してほしい」

 紛れもなく懇願だった。切なさと寂しさで死んでしまいそうだと言わんばかりの(かんばせ)と声。抑えきれない愛おしさが滲んでいる。イリヤスフィールが求めてやまなかったものである。

「ふえっ……」

「姉さん、一緒にいたい」

「はうっ」

 続いて高低差を利用して首を傾げての上目遣い。弟でもなければ、夢とも思える甘い容貌だからこそ許される所業であるが、だからこそ左ジャブからの右ストレートばりにイリヤのハートを直撃した。魅力、そしてカリスマはスキルなのだ。

「だ、だ、駄目よ! 駄目ったら駄目っ!」

 真っ直ぐとその瞳を見つめる八都の攻勢に、絆され押し込まれそうになりつつも己を保つイリヤスフィール。しかし、八都としてもイリヤスフィールをここで連れ帰りたくてたまらないのだ。手料理を振る舞ってめいっぱい甘やかして可愛がりたいのだ。罪悪感にさいなまれる暇があったら少しでもこの少女を愛していたい。家族として愛したい。そんな思いが八都からにじみ出ていた。

 立ち上がり、一歩八都が進み、二歩イリヤスフィールが下がる。イリヤスフィールはバッと両手を前に突き出し、そこまで! とポーズした。

「い、今は見逃してあげるけど夜に会ったら逃がさないんだからねっ」

「なら夜、もっと話をしよう」

「お話なら昼!」

「そうか、じゃあ、明日また会えるといいな」

「うぅっ」

 熱烈なアプローチを前に、踵を返してイリヤスフィールは駆けた。これは戦略的撤退である。彼我の戦力比を鑑みて、男性的魅力と家族愛、そして母性本能からとの三正面戦闘は避けるべきだと判断した。

「イリヤスフィールっ」

 そんなイリヤスフィールを留める余りにも痛切な声。イリヤスフィールは振り向かないまま思わず足を止めてしまった。そして、唯一生存している、もう手に入らないと思っていた家族、八都に名前を呼ばれるという嬉しさで赤い頬を、うつむき気味に隠す。「許さない、許さないけど」と呟きながらそっと伺うように肩越しに言った。

「私の事はイリヤ、イリヤでいいわ、ヤツト」

「ああ、イリヤ。またなっ、イリヤ」

 とびっきりの笑顔で八都が言うと、イリヤスフィールの顔が火照る。それを見られぬようバッと正面を向き、片手をもう片手でぎゅっと包んで、勇気を振り絞って振り返り、はにかんだような笑顔で彼女は言った。

「うん……またね、ヤツト」

 聖杯戦争前の、小さな、しかし当人たちにとっては大きな家族としての出会いだった。間幕の三流ハッピーエンドだが、日常に相応しいのはこれでいいだろう。嵐には、まだ少しだけ早い。

 

 イリヤスフィールに、イリヤに会えた。長年の夢が一つ叶った。

 拳をぐっと握りしめる。あの後八都は真っ直ぐ自宅たる武家屋敷に帰って来ていた。もうすでに門前だ。気分は未だに最高に高揚している。鼻歌を歌わんばかりの調子で門をくぐり、前庭を抜けて、施錠を解除し元気よく玄関の戸を開けた。普段の彼を知るものが見たら軽く眼を剥くだろう。

 そのまま洗面台へと赴きうがい手洗い。鞄を自室において制服から着替えてしまう。日常的な動作を落ち着いてトレースした。思い出の品を箪笥に仕舞いこむように感動の余韻を整理していくと、落ち着いた思考が段々と戻ってくる。彼は先程を振り返った。

 イリヤスフィールに説得の前提条件となる「切嗣はイリヤを見捨てたわけではない」という情報は渡せた。効率だけで言えば、もっと会話を伸ばして誤解を解ければよかったが――あの会話はほぼ心の赴くまま、大事な事だけを一つ一つ伝えた。再会に外連味をつけたくなかったから、あれできっと良かったのだ。

 八都は、振り切るように溜息を吐き、結果オーライと両頬を叩いて気合を入れる。人間万事、塞翁が馬――千里眼持ちや魔法使いじゃない限り。

 それに、今まで会ったこともない人間相手に、こんな理由があったから納得して今までの苦労を水に流してくれ、では通らない。時間が必要。反省終わり。飯作ろう。

 軽く伸びをして夕食準備に入る。サーヴァント召喚は今日でも明日でもよかったのだが、なんとなく史実に沿った方がいいような気がしたので明後日予定通り行うことにしている。直感に従った結果である。

 桜がもうそろそろ部活を終えて帰ってくるか。今日は少し遅くなると言っていたが。

 そうこうしていると十数分後、玄関でインターフォンが鳴った。八都は食事の準備を進めていたところであったが、手を止めて玄関へと向かった。玄関を開けた先には桜、そして大河の姿があった。どうやら時間が重なって一緒に来たらしい。

「お帰り、二人とも」

「ただいまです、先輩」

「だっだいま~」

 大人しい挨拶をする桜と、元気よくあいさつする大河。年齢的に逆のような気もするが、今更気にしてもしょうがないことだ。

「? 先輩なんか機嫌良さそうですね」

「ああ、良いことがあってな」

「え~何何、彼女でも出来た?」

 大河の何気ない一言に桜が息を飲む。八都は苦笑して首を振り、否定の意を示した。

「ずっと会いたかった人に会えたんだ」

「女の人?」

 大河の台詞に桜がびくっと緊張をあらわにする。

「十歳くらいの子だよ」

 それに対し、八都は努めて冷静に返した。こんなことで桜の気を揉ませたくはない。

「犯罪?!」

 大河は両手をチョップの形にして腰を落とした。制裁準備完了と言わんばかりの姿に頬を引きつらせながら八都は弁明。

「人聞きの悪い、爺さん関連の子だよ」

「ああ、切嗣さんの」

 廊下を進んでいくそんな会話をしり目に、桜は安堵の溜息をついていた。

「桜、そんなところでどうしたんだ?」

 彼女がそのままぼーっと考え事をしていたら、八都が振り返って見てきている。大河も不思議そうにしていた。

「あっ、すみませんぼーっとしちゃって」

「いいや、構わないさ。疲れているんだろう。食事もすぐできるから休んでいてくれていいぞ」

「いえっ、お手伝いさせてください!」

 そういって慌ててかけて行く桜。彼女にとって八都との共同作業は心休まる至福の時間である。まるで夫婦みたい、なんて妄想が捗る程度には八都に参ってしまっているのだから。

「ああ、桜、今日は帰り、送っていくよ」

「えっ悪いですよ先輩」

 恐縮する桜だが、八都は考えを変える気はなかった。こういった日常が脅かされる聖杯戦争はもう目前である。賽は投げられた。もう二度と手元に戻ってくることはない。手を抜いたせいで手元から大切なものがこぼれ落ちるのは許容できなかった。

「遠慮するな、久しぶりにゆっくり歩こう」

「ゆっくり……えへへ、じゃあ、お言葉に甘えちゃいますっ」

 ちょこんと頭を下げてから幸せ一杯といった笑顔を見せてくる桜。八都の笑みも自然深まる。

「ちょっとご両人、二人の世界を作るのは良いけど、ご飯大丈夫?」

「あっいけないっ」

 ぐでんとコタツに伸びる大河の言葉で、慌てて桜が再起動する。八都の方は、手が勝手に動いているというレベルで淀みない。

「あ~また昏睡事件だ。これ犯人いるんじゃない? 愉快犯かな」

 テレビを見ている大河が、そんなことをぼそりと呟いた。平穏な日常の中にも影が潜む。見れば桜も不安そうだ。八都はそんな空気を払拭するために力強く言った。

「大丈夫、すぐに捕まるさ」

「いつもの勘?」

「そんなものかな」

 その後、皆で食卓を囲み、笑顔で食事をしてからその日は解散となった。前言通り八都は桜を家まで送り、ついでとばかりに手までつないだ。今日最後の思い出は、終始幸せそうにしていた桜の笑顔であった。




感極まるという状態を表現したかったのですが、どうでしょう。いい感じに描けていたでしょうか? 家族に飢えていた少女と、その思いを知っていた青年。その関係が穏やかなままであることを祈りつつ。第二話でした。評価と感想をお待ちしておりますので、よろしければどうぞ。
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