Fate/editor's duty   作:焼き鳥帝国

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凛ちゃんはっちゃけ回。彼女の活躍を乞うご期待。


魔術師たるもの

「さて、そろそろ召喚の儀式に移るか」

「召喚の儀式って言っても、そんなに時間がかかるものじゃないでしょ、あれ」

 一服して落ち着いた八都が切り出し、凛が疑問の表情で返した。アーチャーは本来の意味のサーヴァントよろしくお茶の後片付けをかって出ていた。赤い外套に白いエプロンが眩しい。

「どうせなら最高の状態で呼び寄せたいと考えるのは誰もが一緒じゃないか?」

「そう思うなら事前準備位しときなさいよっ」

 凛は、自分も確かにそうだったと、アーチャー召喚により無駄に終わってしまった宝石の数々を思い出す。その声は八つ当たりで少々荒げられていた。

「準備をしていなかったわけじゃない。最良の召喚に対して準備は進めてきた。今日この日、この時間がベスト」

「でも、召喚は一瞬みたいなもんでしょ?」

 凛は、召喚の手順を思い返す。既定の魔術陣を描き、既定の文言を詠唱するだけで召喚は完了する。彼女の場合は特定の触媒をあえて用意しないことで相性のいいサーヴァントを手に入れようとしたが、通常は呼び出したい英霊にゆかりのある物品を触媒とする。彼女が大量の宝石を使って儀式の質を上げようとしたように、触媒の質いかんによってはサーヴァントは多少強化された状態で呼び出されることもある。一番良いのは知名度補正を狙って開催地ゆかりの英霊を呼び出すことなのであるが、聖杯探訪がそもそも西洋であるので、東側のアジア圏内の英霊は基本的に呼び掛けに応じることはないし、狙って呼び出されることもない。基本的に近代寄りの神秘の弱いだろう英霊しか呼び出すことができないからだ。

「強化を狙ってちょっとばかし特殊な儀式をするんだ」

「ふ~ん」

 自分もやろうとして失敗した手前、凛としても強くは言えない。

「何呼ぶの?」

「遠坂が失敗したセイバー」

「喧嘩売ってんのあんたっ?!」

「そりゃ確かにセイバー狙うって言ったけどさ!」と凛。一通り彼女をからかい終わった八都は、笑顔を真顔に変え、警告した。

「どうやらお出でになったようだ」

「凛、サーヴァントの反応が二つだ」

 アーチャーも同時に飛び出してくる。先程まで着ていた純白のエプロンは脱ぎ捨てたようで、すっかり臨戦体勢である。

「もう少し余裕があるかと思ったが、遠坂、背中は任せる」

「余裕余裕、迎撃システムだけきっちり権限預けときなさい」

 凛は余裕の表情で髪を掻き上げた。人の身を遥かに超えたサーヴァントに挑むというのに、その様子に一切の逡巡や不安はない。八都は頼もし気に頷いて走り出しながら注文を付けくわえた。

「五分程度持たせてくれると有難い」

「馬鹿ね、三分で片付けちゃうわよ」

 不遜に笑って見せる彼女は、ポケットから手袋型の礼装を取り出し、先へ行く八都を追って中庭へと向かって出陣していった。

 

Fate/editor's duty

第五話 魔術師たるもの

 

「おやおやおや、誰かと思ったら、遠坂と衛宮じゃないか……っておい、衛宮どこに行くんだ? おいっ!」

 中庭に出ると同時、即行で土蔵へと駆けてゆく八都、その様子に後顧への憂いはない。

「ライダーっ!」

 慎二の命令に反応し、ライダーが即座に行動を阻害しようと釘剣を放った。跳びかかる蛇のように鎖を引き連れ、その速度は軽く音速を超えている。普通ならば背を向けている八都に防ぐ手立てなど無いはずであった。しかし。

「あんたの相手は私よ、慎二」

 予め詠唱していたのだろう、それを差し引いても異常なほどの高速詠唱で釘剣は地に叩き落された。凛は、その絶技をただの余技と言わんばかりに泰然とした様子で佇んでいる。内心、「あいつったら余裕見せて」と、一般人程度の速度しか出していなかった八都に悪態をついていたが。

「……ふんっ、女に任せて自分は穴熊か? 随分な奴じゃないか、なあ遠坂」

 にやつきながら慎二が八都を揶揄する。凛に気がある慎二としては、八都を下げ、自分の方を上に見せたいのだろう。慎二はなるべく大物ぶって腕を組んでいるが、凛の視線はその腕に抱えられている本に向けられていた。

「ふ~ん、随分と変わった礼装ね?」

「ん……あ、ああ、こいつがないとこのポンコツはろくに動くことすらできやしないからねっ」

 慎二はその本を、さも自分の成果だと言わんばかりに掲げて見せびらかす。事前に八都から話を聞いていた凛は、それがマスター権限の代理行使の秘密なのだろうと直感的に理解した。彼女の直感は、時折の啓示を除き八都に並ぶ精度で冴えわたっている。主に、八都に連れていかれた人外魔境における防衛本能発露の産物である。

 凛は、いつの間にか取り出した宝石を手で弄り出す。何気ない仕草であるが、見るものが見れば戦場帰りの兵士が銃を手放せないのと同じであると気づけるかもしれない。戦闘を前にして、凛の戦意が人知れず高まった証拠である。

 そんな凛の様子に気づきもしないで、慎二は努めて甘い調子で凛に話しかけた。

「な、なあ遠坂、衛宮なんかと組むのはやめて、僕と組まないか?」

「ん? 間桐君と?」

 ふと顔を上げ、言葉に反応する凛。一体何の意味のある提案なのかと逡巡した証なのだが、慎二は好感触と受け取って調子を上げて交渉を続ける。

「そうさぁ! だってそうだろ? 所詮初代の衛宮なんて僕ら名家から見たら雑草じゃないか。今だって名家の遠坂を頼って、自分は地下に潜って行ったじゃないかっ」

 凛は、宝石をいじりながら、少々思考に埋没した。いざというときはアーチャーが守ってくれるという確信有っての余裕であった。

 

 凛が初めて八都と出会ったのは、否、魔術師衛宮八都と出会ったのは中学生に上がった頃であった。遠坂の屋敷に一人乗り込んできた美貌の少年は、優雅さを尊ぶ遠坂のお株を奪う見事な振る舞いで挨拶をしてきたのだ。

「お初にお目にかかります遠坂家当主遠坂凛殿、わたくし、衛宮家をこの度再興致しました衛宮八都と申します。この度はセカンドオーナーたる貴女にご挨拶に参りました。以後お見知りおきを願います」

 初めのうちは魔術師の常識にのっとり、この小生意気な新興魔術師を甘く見ていた。魔術師としての深さは神秘の深さ、即ちその家の歴史の深さ。その日も、多少雰囲気に飲まれこそしたものの問題はなかったと、挨拶もそこそこに追い返した小さな魔術師を記憶の隅に追いやった。後見人たる綺礼に話すらしなかったのだ。

 しかし、その日からどうしても八都の事が気になり出す。あの日のことが忘れられなかった。なぜなのか、自問自答に答えは出なかった。そして、ある日八都が街をしばらくはなれるという旨を伝えてきた。あくまで世間話の上での話、凛は気にも留めなかった。

 だが、その頃からだった。異常に卓越した魔術を操る小さなフリー魔術師の活躍を耳にし始めたのは。

 曰く、それは日本の少年だ。曰く、既に第四階梯の魔術師だ。曰く、魔術師の工房を真正面から打ち破った。

 耳にする度、その時期の重なりに気づく度、凛の脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。

 またある日、何気ない会話の中ふと少年が告げてきた。また、しばらく出かける旨を。凛は、それを好機ととらえた。何故かはその時分からなかった。ただ衝動に任せて自分も同行したいという旨を伝えたのだ。

 その選択を後悔したことは何度もあった。なぜあの時あんなことを言ってしまったのかと。同時に、あれがなければ今の自分はありえなかったと凛は悟っている。

 端的に言い現わすのならば、幼い凛にとってその旅は地獄だった。言葉もまだ碌にわからぬ国の僻地。そこで非道な実験をしている魔術師の討伐。神秘の漏洩とその魔術師の研究成果の将来性を天秤にかけた末の良くある依頼ではあったが、彼女にとっては大冒険だ。凛は当時、その齢にして既に一廉の魔術師を名乗れるだけの実力を手にしていた。そこにも、生意気な少年初代魔術師の影響があったのは今思い返して分かることだ。彼と出会う前後では訓練への身の入り方が一味違った。

 それでもなお、旅は地獄だったのだ。敵の魔術師の低級使い魔一匹相手するだけで息が切れる。自信をもって魔力を込めた宝石が頼り無い。魔術師の工房から感じられる容赦のない殺意。何より魔術師本人から感じ取れたとてつもない根源への狂気。

 魔術師とはこういうものなのか? こうまでも狂ったどうしようもなく救いようもない存在なのか? 神秘の世界の狂気が幼い凛を苛んだ。このような世界に足を踏み入れさせた父を恨みさえした。

 しかし、それでも凛が魔術師をやめなかった理由、その旅で心折れなかった理由は単に少年、八都の存在だった。

 凛自らの申し出とは言え、そもそも彼が連れてきた旅ではあるが、八都は凛をよく支え、常に矢面に立ち、凛に魔術師としてのまた違ったあり方を見せ続けた。

 その背中から感じられる存在の大きさ。小さな背中は思い出にある父の背に重なるほどだった。そしてついに、彼は狂気の魔術師を倒してしまう。かの魔術師が作り上げた邪悪な工房を攻略し、その恐るべき配下を塵に変え、輝く炎で狂気を焼いた。

 彼は結局魔術師を殺さなかった。強引に刻印を摘出し、魔術回路を引きずり出し魔術師としては再起不能とし、魔術協会に引き渡したのだ。

 刻印の所有権だとか、その他取得物の交渉だとか、凛は既にそんなことを気にしている余裕はなかった。魔術師の工房を出てすぐ、彼女は気を失ってしまったのだから。

 結局、働き分以上の報酬が手渡されたと気付いたのは、全てが終わった後だった。契約もすでに結ばれ、彼女にはもうどうしようもない。しかし、その時の凛にそんなことは些事だった。凛は問うた。何故こんなことを続けるのかと。何故魔術師であり続けるのかと。

 八都は答えた。かなえたい夢があるから、守りたい約束があるから、何よりそこに救えるものがあるのだから、と。その目には確かな意思と真摯な思いがあった。

 幼い凛にはまだ理解できなかった。しかし、それが眩しいもので、貴いもので、きっと父も目指したものなのだと信じられた。常に余裕を持って優雅たれ、魔術師には不要に思えるこの家訓が、今までよりもさらにずっと輝けるものに思えたのだ。

 同時に彼女は悟った。なぜ彼女が八都をこうまでも気にかけてきたのかと。初めての同い年の魔術師だから? 生意気だから? 凄い噂を聞くから? 否、彼女は既に一度敗北していたのだ。あの初めて出会った日に、遠坂凛は衛宮八都に飲まれてしまった。

 そのカリスマ性、精神性、実力。全てがひそかに、暗に、しかし確かに語っていたのだ。衛宮八都は遠坂凛を超えていると。決して届かぬ壁があると。

 恐怖には出会ったことがある。魔術師とは違う、殺人鬼の狂気には出会ったことがあった。今回また恐怖に出会った。魔術師である限り目を背けられない神秘の世界の狂気に出会った。しかし、超えられぬ壁に挑むという狂気的な確定事項に、凛は既に直面していた。それは幼い心が作り出した偽りの壁であったし、根源に挑むことからすれば小さなことではあったが、確実なその事態への自覚であった。

 しかしそれでも、それでも彼女が当時魔術師をやめなかったのは、そして今、未だ超えられぬ壁に挑み続けているのは。

 

「なあ遠坂、僕と組もう、衛宮なんて何の役にも立たないさ」

「もし、もし役立たずが打ち捨てられるなら、私はあの日死んでいたわ。超えられないものに意味がないのなら、私は既に死んでいるの」

「はっ?」

 凛の眼に最早慎二は映っていなかった。今超えるべき壁、ライダーのみを注視していた。宝石を握りしめ、あの日よりも確かな感触をその手に感じながら。壁を超える魔術師として。

「慎二っ、下がってくださいっ!」

 その異様な気迫に押されたライダーが慎二をその背に隠す。ジャラリと鎖の付いた釘剣を構え、長身の美女は確かに凛を倒すべき敵として見ていた。

「な、何だよ遠坂、ライダーに、僕に挑むって言うのか?! ら、ランサーっ!」

 同じく、否、それ以上にその気迫に押された慎二は、なりふり構わずランサーを呼んだ。事前に合った余裕の態度など既に消え失せている。しかし、サーヴァントが二騎居ると言う事実が、彼の心を辛うじて支えた。

 塀を超え、無音の内にランサーが地に降り立つ。下らない演出に付き合わされたはずの彼であるが、その表情に暗いものは一切ない。ただ牙をむいて敵に歓喜している。強敵がそこにいると。

「ふ、ふふふ見ろっ! ランサーだっ! サーヴァントだぞっ。ライダーもっ! 二騎もいるんだっ!」

 慎二が誇示するように見せびらかす。しかし、それにこたえる声は無感情だ。

「だからどうしたの?」

 凛がさらに宝石を取り出す。そして、その指の間全てに煌めく脅威が納まった。その瞳は気高い魂を薪に、赫き決意を火種に燃えている。圧倒的な精神エネルギーが物理的に世界を歪め、揺らめくオーラは炎のよう。ミシリ、と、幻聴ではなく空間が悲鳴を上げた。ライダーの顔がさらに引きつり、ランサーの凶相がさらに深まる。

「な、何だって!?」

 慎二は狼狽たえ、凛は答えた。

「一歩踏み違えば死ぬ迷宮も、雲霞のごとく迫る怪物もない。目の前に今まで倒してきた化け物よりも強い化け物がただいるだけ」

 凛の魔力が高まる。度重なる魔術師の討伐や死徒の駆除、時折舞い込む強敵の依頼には必ず彼女もついて行った。幾多の苦難と死闘に裏打ちされた確かな実戦経験。成長した彼女の魔力は、既に成熟した魔術師100人分にも匹敵する。それはすでに、サーヴァントにすら並びえた。

 そして――。

「シンプルだわっ、やることは決まってるっ……!」

 そして何より、心は既に決まっている。礼装が唸りをあげ、その指に挟まれた宝石全てが爆発的に煌めきだした。世界を煌々と染め上げる今にもあふれんばかりの神秘の奔流は、サーヴァントすら打倒するに余りある――!

「ははっ、いいぜ、良い嬢ちゃんだ。お前には勿体なすぎる、なあ?」

「ふんっ、勝手に言うがいい」

 軽口を叩きながら問いかけるランサーに、自慢するかのような笑みを浮かべて答えるアーチャー。両者とも己の獲物を構え、既に臨戦態勢だ。

「慎二、下がっていてください。彼女は危険だっ」

 ライダーが鋭く警告する。バイザーの下の美貌は困惑と脅威への焦りで歪んでいた。

「な、何なんだよ、お前、魔術師だろ? ライダー、お前、サーヴァントだろ? 勝てるわけないじゃないかっ」

 慎二の言う事はある種真理だ。例え高位の魔術師に聞いたとしても、十人から十度同意が得られるだろう。しかし、凛はその答えを覆す。

「そんなちっぽけな道理が、魔術の道に通じるかっ!」

 気合一閃、宝石から放射された閃光魔術が、雷鳴を響かせライダーに迫る。塵も残さず爆散させんとするそれを、ライダーは顔が引き攣るのを感じながら全力で横っ飛びに避けた。そして轟音、着弾地点が爆散する。

「――っ!」

 そして、身に奔る悪寒に従い驚愕を押し殺しつつライダーが再度跳べば、先程までの着地地点に捕縛式の魔術が発生する。更に、行きつく間もなくライダーに襲い掛かるのはこの家の迎撃システムだ。音もなく中空に出現した魔術陣から百と光弾が吐き出され、迫りくる。これは躱し切れぬと判断し、被弾覚悟で逆側に再跳躍した。当然の如く先程まで居た地点に捕縛魔術。Bランクの対魔力だけを頼りに迎撃システムに苛まれながら、刹那の間、その魔術の煌めきと凛を見たライダーは気づく、これは宝石魔術ではないと。高速詠唱と短縮詠唱、礼装の詠唱補助を頼りにした超速の魔術行使だ。

 気の所為では、ない。詠唱速度が、初見をはるかに上回っている!

 中空の迎撃システムはまるで付き従うかの様に凛の背後に浮かんでいる。凛はその宝石の構えを解かぬまま、しかし、それらを使わない。最初の一撃でライダーの力量は見切った。宝石魔術ならば仕留めきれる。後先構わず乱射すれば、瞬く間に消し炭に出来るだろうことが見て取れた。しかし、この先聖杯戦争を勝ち抜くつもりであるのなら、有限である凛の宝石は替えの効かない貴重なリソースだ。両手の礼装を全開にし、凛は詠唱を待機させながら。必殺の一撃を狙っていた。

 宝石魔術とは、何か。それはすなわち宝石を簡易刻印とし種々の魔術を発動させる、芸術品を叩きつけるような魔術だ。宝石の準備に時間はかかり、宝石が手元になければ何もできず、管理の難しい宝石を戦いの場では武器としても扱わなければならない。しかし、一度その真価を発揮できる場となれば、その強力さと速効性に比類はない。魔力を込める必要はなく、一切のタイムラグも無く、礼装として上位のものなら刻印の魔術を指定するだけで様々な意味を成す。それを凛ほどの超級魔術師が扱えばどうなるのか? この光景こそが答えであった。

 躱す、躱す。ひたすらに大地を駆け、時には釘剣を使い三次元的に、時には牽制に釘剣を放ちながら。ライダーは衛宮邸を縦横無尽に駆け抜けた。屋根を伝い、塀の側面を駆け、跳ね回る毬のように魔術を避け続けながら必殺の隙を伺い続ける。しかし、凛の牙城は崩れない。彼女はライダーを追い、屋敷を一望できる屋根に降り立っていた。迎撃システムを付き従え王のように。否、その美貌、その余裕、その身に纏うカリスマ性。彼女は今まさに女王であった。その宝石()を牽制に見せているだけでライダーは迂闊に飛び込めない。迎撃システムに追い回させながら、時折捕縛魔術を打ち込み続ける。超高速のその魔術は、両手の手袋型礼装の補助も相まって既にシングルアクションの領域だ。時計塔のロードが見れば、すでに戦闘特化の冠位(グランド)クラスであることを確信するだろう。

 

 ライダーは焦る。自慢の宝具を出す隙もない。ただの人間の魔術師相手に、ただ追い立てられる狐のように逃げ回るしかないという現実が彼女を驚愕させる。伝承の頃から幾多の戦士たちを返り打ちにしてきた彼女であるが、今ほどの危機は数えるほどしか、否、初めてと言えた。

 桜、貴女の姉はとてつもない化け物ですよっ。

 ライダーは内心で悪態をつく。仮に迎撃システムが存在していなければ、凛の宝石魔術が先か、ライダーの釘剣が先か、まさに一瞬で雌雄を決する決闘となっただろう。か弱い人間と英霊たるサーヴァントの戦いであるというのに、だ。しかし、凛の宝石魔術のように、ライダーにも切り札があった。それこそ凛の宝石の輝きにも劣らぬような。

 使うしかない。ライダーは慎二の命令だとか、それの危険性であるだとか、無駄を一切排除してライダーは決断した。例え自らの真のマスターの姉相手であっても、手心など考える余裕は一切ないと。そして危惧する。彼女ほどの魔術師が、果たして姉妹の情で敵対する魔術師を生かすだろうか、と。

「今っ」

 夜天へと身を躍らせる。本来ならば鴨打にされに行くような愚行。しかし、次の瞬間彼女の手がその目を覆うバイザー、自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)にかかった。そして、その下に隠されていた魔眼が真価を発揮する――!

「……石化の魔眼よ(キュベレイ)

 呟かれたそれは、解放でも何でもない。月を背にした、ただの宣告であった。四角い瞳と光彩、紫色に怪しく輝く宝石級、A+ランク魔眼、石化の魔眼。魔力がC以下の視界内全ての相手対象を徐々に石化し、Bランクのものも判定次第で石化、それを超える魔力保持者も「重圧」の効果で全ステータスをワンランク下げられるライダーの切り札の一つ――それが解き放たれた。

 発動を察知したのだろう、アーチャーとランサーが寸前で軒下に逃れたようだが関係ない。彼女ただ一人を仕留められればそれでいい!

 見れば、凛は硬直していた。魔眼を全開にした影響で、迎撃システムも全て動きを止めている。そんな中、ライダーがとった行動は異常であった。自らの首を切り裂き、月下の空中に鮮血をまき散らしたのだ。だが、その一見無意味な行動の意味もすぐに明かされる。血液が魔術陣となり、一体の幻獣を召喚したのだ。

「凛―――!」

 アーチャーの必死の警告も空しく、高い嘶きが夜空に響き渡る。見るものすべてを見惚れさせる白い馬体に純白の翼――ペガサス。神代の幻獣がここに姿を現した。ライダーはその背にまたがると、宝具である手綱をその手に。そして、高らかにその真名を謳い上げる!

騎 英 の 手 綱 !(ベルレフォ――――――ンッ!)

 騎英の手綱。あらゆる騎乗物を自在に操れるようになるだけでなく、乗ったものの能力を一ランク向上させる効果も持ち合わせるA+ランク宝具。その力で補助されたペガサスは今、ドラゴンにも匹敵する防御力と、時速500kmを超える速度を発揮し、天頂より一筋の流星となって凛に迫らんとする――!

 

 突如鈍くなった体に対する凛の対応は冷静だった。静かに宝石を一つ使用し、身にかかる重圧を一瞬で解除する。ゆらりと顔を上げ、今まさに召喚されたペガサスを『見た』。

 天馬、幻想種カテゴリー、ランク魔獣――経年により幻獣域。属性:水、ギリシャ神話ポセイドン系列。宝具騎英の手綱(ベルレフォーン)により天馬の全能力値1ランクアップ及びアーマークラス上昇――推定+100。騎乗者保護能力有。基本対物理性能EX、対魔力A+――防御性能竜種相当と算定。推定必要神秘――。

 彼女は、袖から滑り落とした小粒のダイアモンドとは別に、礼装に繋がるポケットからある一つの赤い宝石を取り出す。彼女の切り札の一つ、十二個の超Aランク宝具級宝石が一。密かにディアマイライフ(輝かしき十二宝石)と名付けられたそれは、正真証明彼女の人生の軌跡の一つだった。

「Get ready」

 両手の礼装を全開にする。ダイアモンドの力を限界以上に上昇させた上で発動。疑似的な賢者の石となった金剛石は彼女の手中で燦然と輝き、術式投影陣地、術式制御多重平面、三次元球体式魔術補助陣、三連相乗加速式仮想砲身型円環魔術陣を順次展開。高音の魔術式励起音。スパークすら無い、滑らかに輝く圧倒的な魔力流。魔力を吐き出し尽くした貴石が、固着術式とマナプールを最期に残し、黒い炭素の塊となり果て転がり落ちる。

「Set――!」

 凛の瞳が煌めいた。そして、同じく礼装で強化を施され、狙い打つように赤き宝石(弾丸)構えら(装填さ)れる。その神秘の上昇はまさに天井知らず、人間の限界をはるかに超えた魔術行使、神代の再現。

 彼女は、天空の今まさに突撃せんと光を放つペガサスを睨みつけ、天に吼えるように宣言する。

「見せてあげるわ、私の人生の証明を――!」

 ――Gun!

 そして、撃鉄は下ろされた。

 

 慎二は、その光景を生涯忘れないだろう。彼は天空を見上げたままライダーの石化の魔眼に巻き込まれ、身動き一つできなくなっていた。しかし仮にその身が自由に動いたとしても、その眩い光景に眼を焼かれたとしても、彼は決して目をそらさなかっただろう。

 空から流星が落ちてくる。魔術回路を持たない身でも感じられる、灼き切られるような圧倒的神秘と全てを押しつぶさんほどの圧力を纏って、燦爛たる光を放ちながら、地上の全てを破壊せんと――!

 それを迎え撃たんとするは赤い輝き。中心には遠坂凛。気高く貴いその閃光は、何物にも染まらないと夜空すらをも照らし出す。圧倒的なオーラを撒き散らすその光炎は、まるで赤い太陽が地上に降臨したようで、今にも網膜が焼き尽くされるかと錯覚した。

 そして――集束したフレアのような光の爆発が放たれ、上空からの流星とぶつかり合う。大気が音を超えて押しつぶされた。衝撃で家屋が沈み、慎二の体は木の葉のように吹き飛ばされる。巻き起こる土埃の中、飛ばされ、地面で跳ね、辛うじて塀の瓦屋根にしがみついた。それでも目が離せない。赤く輝く光柱と流星の激突は収まらない。一帯を明々と染め上げ、空間を軋ませ、余波で嵐のような暴風を発生させ続ける。神話の世界の光景が、神々の一撃が、今ここに再臨していた。

 ああ、これが英霊、これが真の魔術師っ!

 暴風で息ができない。砂嵐が吹きすさぶ。それでも目が離せない。慎二はいつの間にか涙をこぼしながらその光景を目に焼き付け続けた。自分が求めてやまなかったもの、きっと自分が手に出来ないもの。焦がれてやまない奇跡の場景。彼は今、顕現した神代の神秘に翻弄される木の葉に過ぎない。しかし、その胸には確かな感動が刻み込まれた。嫉妬ではない、彼の心はこの光景に光しか見なかった。それほどまでに美しかった。英霊と言うものの輝きが、遠坂凛の人生の証明が。自分では届き得ないと静かに悟ったのだ。仮に神秘がその身に宿っても。

「とお、さか――!」

 やがて神話の再現も終わりを告げる。流星は墜ちず、赤い閃光は流星を貫()なかった。しかしてこの決闘の、勝敗が決する。

 

 凛が立っていた辺りには余波で煙が立ち込めていた。超級の宝具と魔術のぶつかり合いに、余波にすら古い木造建築物は耐えられなかったのだ。例え、魔術的に強化されていたとしてもだ。内向きに強化された陣地結界が、辛うじて周辺被害のみを抑えている。そんな中を目指して、若干押し戻されたライダーはペガサスを駆っていた。激突の余波だろう。所々服は破け、ペガサスにもまた熱波にさらされた跡がまざまざと残っている。

 何と、恐ろしい魔術師だ。ベルレフォーンをまるで寄せ付けないとは、よりにも、よりにもよって、ただの、魔術で。

 発揮された神秘からすると、正気を疑う事にベルレフォーンを超える大魔術――第二十階梯、神々の行使するそれに等しいもの。その気配からして、北欧神話に連なる火の秘術。あれほどの火力となると最終戦争に語られた黒き神の持つ破壊の魔杖、世界を焼き尽くすとされた終末宝具レーヴァテイン、その再現魔術だろうか。ライダーが生き残ったのは、宝具によらない自身の対魔力とペガサスの挺身のお蔭であり、また、ポセイドンに連なるがゆえの水の力の賜物でもあった。だが、怪訝なのは――あの程度で済むとは思えなかったのだ。あの火の秘術は爆発力にこそ重点を置く、いずれにせよ神話の一篇を切り抜いたもの。それこそまるで、手加減されていたような……。

 ライダーは頭を振って、愚にも付かない想像を追いやった。今、重要なのはそれではない。ライダーにもう一度ベルレフォーンを発動させられるだけの魔力は存在していなかったが、相手は宝石魔術師だ。それこそ宝石がある限り攻撃し続けられる。

 ライダーは、そのまま凛のいた場所に突撃した。少しでも相手に隙を与えないため石化の魔眼を全開にしたままである。だが、それは悪手であった。ライダーは知らず勝負に熱くなっていたのだ。本来ならば慎二に命じさせ、多少の強制力を得られる代理令呪、偽臣の書のブーストを得てでも逃げるべきだったのだ、市街地なりを盾にしながら。故に、この結果は必然である。

「Set」

 小さなつぶやきが聞こえる。ライダーは即座にその場所に釘剣を投擲した。が、手応えはなかった。しかし、その音速の余波で煙は晴れる。そこにいたのは、宝石を構え、音速の釘剣を人の身でよけた凛。強化魔術もなしに、である。

「は――?」

 ライダーにはそれが何か理解できなかったが、凛は僅かに燐光を身に纏っていた。気功である。極限の生存状況を様々な魔境で体験してきた凛は、八極拳の教えを下地に自ずと気功術と言う武器を手に入れていた。それは彼女自身の身体能力上限を取り払うだけでなく、更にその上から強化を施し、下級ながら英霊の領域にその身体的機能を押し上げている。

「遅いっ!」

 凛の宝石から魔術が放たれた。緑色の光を放つそれは、先程まで凛が行使していた捕縛魔術の上位式である。人の身で、強化魔術もなしに攻撃をよけられたライダーは、一瞬の隙を突かれてその魔術に至極あっさりととらわれてしまった。

「くっ」

 結果、彼女はペガサスに置き去りにされてしまう。ライダーのうめき声にすぐ反転してきたペガサスがその魔術をなんとか食い破ろうとするも、まるで歯が立たない。序でとばかりに魔眼封じの魔術がかけられる。どこからどう見ても、ライダーの完敗であった。

「石化の魔眼、ペガサス、ここまで来れば簡単ね、メデューサさん?」

 凛が余裕の態度で近寄ってくる。魔眼封じの魔術は完璧に機能しているようだ。それはつまり、宝具級の礼装込みとはいえ、大魔術を一瞬で構築したと言う事。ペガサスがその前に立ちふさがろうとしたが、ライダーはそれを視線で抑える。

「わざわざ捉えて、どうするおつもりです」

 美貌の怪物は、今も脱出の隙を伺っている。自分を殺さない凛に疑問を抱いているようだ。ライダーは先程、間違いなく凛を殺そうとしたというのに。

「う~ん、あなた、桜のサーヴァントでしょ?」

 ライダーが動きを止める。先程までも動いていなかったが、精神が停止したように硬直した。

「やっぱりね、じゃあ、殺すわけにはいかないじゃない。聖杯戦争中、あの子を守ってもらわなきゃいけないんだから」

「人間の魔術師にも負けたサーヴァントですよ? 私は」

 凛の言葉に皮肉を返すライダー。ただの人間の魔術師に敗北したという事実が彼女のプライドを結構傷つけていたようだ。凛は苦笑して続ける。

「貴女が桜を守ろうとしていることは何となくわかるわ、だって、そうでなきゃ慎二に付き合う必要がないもの」

「聖杯欲しさの行動かもしれません」

「それはないわ、私の勘が言っているもの」

 勘、その一言で片づけられてしまえば、ライダーに反論できることなどない。結局のところ、凛は確信を持ってライダーに話しかけていると言う事なのだから。

「となると、あの本は邪魔よね」

 凛が軽く手を振ると、ライダーが空中を移動させられる。ペガサスが慌てて後を追った。出は遅れながらもそれを制し、彼女はライダーとペガサスを引き連れて中庭に降り立つ。その視線の先には、やっとのことで塀を降り、力無くそれにもたれかかっている慎二がいた。

「慎二、その本を破棄しなさい」

「……」

 慎二は意外にも、何の抵抗も見せずに疲れ切った表情で本を差し出してきた。これには凛もライダーも驚愕する。

「慎二、あんた」

「言わないでくれ、自分の惨めさは自分が良く分かっている」

 そう力無く笑みを浮かべる慎二は、戦闘前とはまるで別人だった。

「この本、偽臣の書は、桜の令呪を一画消費することで作られている。もう一度作られることはないと思うが、どうにかしたいなら令呪を破棄させるしかない」

「どういうつもりよ」

 凛の問いかけに、慎二は僅かに元気を取り戻したかの様に、明らかに空元気で振る舞った。

「はっ、桜を助けたきゃ妖怪爺をどうにかして、桜の令呪もどうにかするしかないってことさ」

 あくまではぐらかす慎二に、凛はこれ以上の追及をやめた。まだ被害が出る前であったし、もう彼に害はないとなんとなく思ったのだ。

「……あんた、これからどうする積り?」

 凛は、これには何も罠はないと、魔術的にも直感的にも判断し、偽臣の書を受け取る。そして、令呪程の拘束力は持っていないが、これで凛はライダーの暫定マスターになった。しかし、桜の令呪、正確には裏で手を引いているだろうマキリ当主間桐臓硯を警戒してライダーの束縛は解かない。

「教会にでも保護されるさ」

「……わかったわ、後で送ってあげる。でも、その前に学校の結界を……ライダー」

 自分が手に持っているもの気付いて、凛がライダーに命じる。

「分かりました。マスター」

 ライダーは素直に返事をした。凛はすぐに簡易使い魔の宝石鳥を使い、学校に向かって高速で飛ばす。一分もしない内に結果は分かるはずだ。

「さて、どうしようかしら」

 一通り、ことは終わった。念話を通して聴くと、多少の負傷こそあれ迎撃システムの助けもあり、アーチャーも無事ランサーを撃退したようだ。凛に比べると戦果が少ないように聞こえるが、あのアイルランドの大英雄クーフーリンを相手にした結果であるのなら褒める以外あるまい。しかも、本来近接を主としない弓兵たる彼の戦果。敵からすれば悪い冗談だ。

≪お疲れさま、アーチャー≫

≪ああ、凛も。しかし、あの小僧は一体何をしているのか――≫

 もう必要ないはずと、ライダーにペガサスは送還させた。そして、念話越しにアーチャーと会話をしていると、土蔵から小柄な人影が飛び出してきた。それに後れ、見慣れた人影も飛び出てくる。

「ヤツト、お気をつけください。敵の魔術師がいます」

「いや、遠坂は敵じゃなくてだな」

 時計を見れば、丁度今、戦闘開始から五分である。召喚は大成功のようで、そのサーヴァントから立ち昇る強者のオーラはここにいる全員を圧倒するに足るものだった。

「あら衛宮君、可愛い子じゃない。良ければ私に紹介してくれない?」

 チェシャ猫のような笑みを浮かべて揶揄する凛に、八都は苦笑いを浮かべて頭を掻くほか選択肢がない。そして、八都の英霊だろう金髪を纏めた青いドレスアーマーを着た少女の、困惑したような表情が、凛の心を僅かに癒してくれた。八都が召喚したサーヴァントなのだから、知名度の上でも最上級のサーヴァントなのだろうが。

「八都」

 そして、凛は真面目腐った顔で言う。八都は、下らないことである予感に眉をひそめながら短く「なんだ?」と促した。

「サーヴァント交換しない?」

「一先ずアーチャーに謝ろう?」

 急いでやって来ただろうアーチャーの憮然とした表情に、八都がフォローを入れたところでこの戦いは終決となった。慎二はその光景を夢の向う側を見るように眺めており、ライダーは拘束されたままであったが。




タグの凛超強化は伊達じゃない。魔力はシエル先達並の英霊級魔術師遠坂さん家の凛ちゃん爆誕です。正直どこまで強化したものか迷ったものですが、近年のFateのインフレ具合を思い出し、いっそのことと思いっきり強化してみました。主人公の活躍が食われている? 凛ちゃんだからしょうがない。評価と感想は随時お待ちしております、よろしければどうぞ。

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