真剣で恋について語りなさい   作:コモド

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"待"ってたぜェ!!この"瞬間"をよォ!!


ジャストライクユー!

 

 もし人格というものが一度のミスもなく続けられた一連の演技だとすれば、性癖は役者を飾る衣装やアクセサリーに類するところがあって、仮に演技が一流ですばらしいものであったとしても、衣装がみすぼらしかったり、役者や演劇に合っていなければケチがつけられてしまう。

 おれが性癖をカミングアウトすると人格まで否定されるのは、第一印象が良すぎるために各人が勝手に連想するイメージと乖離しているからなのだろう。

 同年代の京や大和はともかく、人生の先達にまで引かれるのは、少し心外だった。

 

「お前、その顔その歳でその性癖って前世でなにやらかしたんだ?」

 

 胡散臭い見てくれで痩身の、くたびれたスーツを着込んだ中年教師・宇佐美巨人はおれの性癖を知ると難しい顔をして眉根に力を入れた。

 大和に面白い先生がいる、と言われてついていった第二作茶道室で寝っ転がっていたのがこの人間学とかいう哲学的な授業名のわりにリアルな題材を取り上げる、うだつの上がらなさそうな教師だった。

 生徒からの愛称はヒゲ。蔑称もヒゲ。特徴もヒゲ。ダンディズムを微塵も感じさせない申し訳程度に伸びたあごひげが彼のトレードマークである。

 ひょろひょろで何とも頼りがいがないが、体は締まっていて動作に我流の洗練された光るものがあった。意外と修羅場をくぐっているのかもしれない。大和の言う通り、彼の話は含蓄があって面白い。

 爛れた青春を過ごしていそうな中年オヤジは、やれやれとでも言いたげなため息をついて語りだした。

 

「マゾっ気がある、リードされるのが好きとかならまだ分かるが、中坊の時点で万能ハードマゾを自覚するって人としてどうよ?」

「奉仕系も苦痛系も羞恥系も何でもいけます」

「いや、おじさんにアピールされても」

 

 ヒゲは珍しく困惑していた。ヒゲはあごひげを撫でて、遠くを見つめながらまた嘆息した。

 

「おじさんが三河の顔だったら人生楽しくて仕方なかっただろうなぁ。葵みたく手当たり次第若いコ食い漁って、大学まで遊び呆けて卒業間近に金持ちの女たらしこんで逆玉で今頃ウハウハだったろうぜ」

「逆玉婚、格差婚は男の尊厳捨てなきゃダメらしいけど」

「おじさん、そんなもの端から捨ててるから」

 

 ヒゲは誇らしく情けないことを宣う。おれはそのどや顔にイラっとしてきつい声で言った。

 

「ねえ、なんか面白い話してよ」

「三河、それ女から振られて一番困る無茶ぶりだからな? 特に関西人と芸人にプライベートで言うとブチ切れられるから気をつけろよ」

 

 貫禄の経験談を忠告しつつ、ヒゲは澄ました態度で、「ま、おじさん大人だからしてやるよ」と話し始めた。

 

「おじさん、これでも昔は三股とかしてたプレイボーイだったんだが、素人だけじゃなくてプロ、俗に言う風俗も足繁く通う下半身の持ち主でもあったんだぜ? 今じゃ見る影もないが」

「千なら持続力も回復力も全盛期に戻せるよ」

「マジかよ。おじさん頑張っちゃう」

 

 誰も治すと言ってないのにヒゲは張り切り始めた。授業中でも気づけば勃起しているおれにはわからないが、中年の下半身事情はかなり切実らしい。

 このあいだ九鬼英雄を安請け合いで治療したのがじじいにバレて、世界中の人間を救うつもりでもないなら気安く力を使うなと御叱りを受けたばかりなので、少なくとも学校では使いたくないんだけれど。

 

「前回は三股がバレたときの切り抜け方を教えたんだっけな。なら、今回は風俗の話でもするか」

 

 これは興味深いですねえ。おれは身を乗り出して傾聴した。

 

「まぁお前らの歳で行くことを薦めたりしないが、将来先輩から奢ってもらったり、童貞捨てるためだったり、性欲を発散するために利用することがあるかもしれない。そのときなるべく失敗しないようにする参考程度に聞いておけ」

「そんなにいいものなの?」

 

 大和が乳臭い口調で尋ねた。おれたちはオナニーしか知らなかった。

 

「そりゃあ、一人虚しく自家発電するより良くないと誰もカネ落とさんだろ」

 

 ヒゲは乾いた笑いを浮かべた。童貞の高校生を憐れむというより、微笑ましく見てる笑みだった。

 

「おじさんの後輩に二十代半ばなのに童貞の男がいてな、これがモテないくせに妙に潔癖で、童貞は捨てたいけど商売女は嫌だって駄々こねる面倒なヤツだったんだわ。

 彼女欲しいって口癖みたいに言うけど女と接した経験がないからどうにもならない。それが見てられなくて、奢ってやるからソープで素人童貞にランクアップして来いって無理やり連れてってやったんだよ。

そいつの童貞最後の言葉は、『せめて高級店がいい』だ」

「それでどうなったん?」

「出てきて開口一番、『次はいつおごってくれますか!?』だ。ノンスキンの高級ソープだったし、よっぽどサービスよかったんだろうな」

 

 純粋なおれにはノンスキンの意味が全くこれっぽっちも見当がつかなかったが、彼がとても晴れやかな顔をしていたのは容易に想像がついた。ちなみに川神は全店ゴム着用である。

 ヒゲは目を瞑りながら言う。

 

「ま、お前らは筆下ろし目的でいく必要なさそうだが、気をつけろよ。風俗は女に困ってなくてもハマるヤツはハマる。要は風俗は疑似恋愛だから、惚れて貢いだり、逆に通常の恋愛で得られない女性を金で買うことの感覚に病みつきになったり、色んなヤツを見てきた。

 金が絡むと面倒だぞー? おじさんから言えるのは、楽しいが程々にしとけってことだ。性病の危険もあるしな」

 

 それで終われるとでも思ってんの? おれと大和は話を畳もうとしているヒゲに抗議の声をあげた。

 

「なに綺麗に終わらせようとしてんだYO!」

「おれたちが聞きたいのはもっと生々しい体験談だー、キレが悪いのは尿だけにしろー」

「いや、おじさんと君たちは一応教師と生徒だからね? だから十八歳未満を風俗に行くよう促したと思われるのはちょっと……あと三河、おじさんそれも悩みなんだ。助けてくれ」

 

 あんたの下半身ボロボロじゃないか。おれは少し同情した。目頭をおさえて頭を抱える中年男性の肩はとても狭く見えた。

 

「全部出したと思ってしまってからチョロっと漏れたときの悲しさ……あなたたちにわからないでしょうね」

「素直に泌尿器科行けば?」

「泌尿器科とか肛門科ってハードル高くないか? まだ日常生活に支障をきたしてないから躊躇っちゃうんだよなぁ」

 

 今までたくさんの風俗嬢に全身さらして、現在生徒に自身の情けない下半身事情を打ち明けておきながらなに恥ずかしがってるんだろう。

 ヒゲのメンタルの回復を待ってから、お楽しみの失敗談が始まった。人の不幸は蜜の味である。

 

「とりあえず、ソープで嬢を選ぶ際に、ほぼ確実に地雷な要素がある。おじさんからの忠告は、巨乳は選ぶなということだ」

 

 指名するときにスリーサイズと顔隠した下着姿が映ってるアレのことか。

 

「おじさんも若いころは巨乳が好きでね。プロフに巨乳と書いてあったら真っ先に選んでた。胸がデカけりゃ顔は多少我慢できるって思ってたわけよ。実際に出てくるのはぽっちゃりが多いのはご愛敬で、理想の痩せ巨乳が出てくることはなかったけどな」

 

 それくらいなら全然妥協できる。というより地雷でもない。高望みしなければ十分いけるラインじゃないか。おれはそう思っていた。ヒゲは言う。

 

「忘れもしない。その日指名した嬢のスリーサイズは92-63-88だった。溜まっていたおじさんは数字だけを見てこの娘に決めた。ウキウキして浴場に行ったら……トロールが出てきた」

 

 いつから中年オヤジがファンタジーの世界にトリップする話になったんだ。

 

「おかしいよな、癒されにいったのに終わったあと、俺は疲れ切って昏倒してたよ。それ以来公表スリーサイズ60以上は指名してない」

 

 ヒゲは手短に語った。その苦々しい表情は思い出したくもない内容の悲惨さを物語っていた。

 

「おじさんからの助言としては、事前にちゃんと予約か下調べしていくことだな。人気のコは予約が多くて待たなきゃならんが、その分サービスは期待できる」

 

 ついでに客引きがいる店はたいしたことないとも言った。ヒゲは裏稼業に詳しそうで、踏み込めば色々な事情も教えてくれそうだが、興味半分で尋ねるには危うい気がした。

 なんというか、そう。深淵を覗く覚悟がなかった。覗き返されたら怖いし。

 ヒゲは顎を擦りながら天井を見上げた。

 

「あとは……そうさな。地方のセクキャバやおっぱぶも用心しとけ。地方はそっちも高齢化が深刻でな、近場に大学があるところはそうでもないが、店員の年齢を逆鯖してるところがままある。

 おじさんが出張したときにふらっとセクキャバに入ったら、メデューサが出てきたんだ」

 

 ヒゲ、ペルセウスだった。

 

「メデューサは俺を見るなり、『あら、かわいいわねえ』と言って舌なめずりをした……それ以降の記憶がない」

 

 負けてんじゃねえか。

 

「お前ら、中年男性のトラウマほじくり返して楽しいか?」

「すっげえ楽しい!」

 

 ここにドSがいる。彼は大和だった。

 

「最近の子供はおっかないなぁ。これがジェネレーションギャップってやつか」

「おれは子供を子供扱いする大人が嫌いだ。具体的には三十代後半~六十代が嫌いだ」

「おじさんはギリギリセーフだな。しっかし、最近の若年層は上の世代に敵愾心ありすぎだろ。いや、おじさんたちも若いころは反発したものだけど」

「校舎の窓ガラス割ってないだけマシだろ!」

「行儀よく真面目なんてできなかったんだ、おじさんたちは」

 

 ヒゲは目頭を押さえた。どうでもいいけど近頃の若いもんは~発言する前に若いころ自分たちが何してたか思い出してもらいたい。

 オナニー以外に罪を犯していないおれを見習ってほしい。性欲に忠実なおれはヒゲに向かって声を張り上げた。

 

「ヒゲ! SMの話が聞きたいわ! SMクラブの話はまだなの!?」

「おじさんそっちはあまり趣味じゃないんだよなぁ。友人に聞いた話じゃ、立ったまま全裸で壁に縛りつけられた状態でゴムボールを先っちょに投げつけられるプレイがよかったらしいが」

「そんな、ゴムボールだなんて……いやらしい……」

「どう考えてもネタだと思うが、おじさん、真剣で三河が悪い女にだまされないか不安になってきたよ」

 

 アイマスクとボールギャグされて両手両足縛られた状態でドSなお嬢様に何から何まで世話される監禁生活を送りたい……そんなささやかな幸せを願っているだけなのに、どうしてそこまで言われなければならないのだろう。

 おれは何もわかっちゃくれない大人への反骨心を胸の内に養いながら、今日のおかず何にしようか考えた。

 

 そのとき、精通を迎えて以降、賢者になるとき以外は性欲に支配されていた頭が、反骨心に刺激されて耳元でこうささやいた。

 

 

 

『YOUも彼女つくっちゃいなよ!』と。

 

 

 

 

 

 

 おれは今まで姉さんの理不尽な暴力やエロス、京の言葉攻めやワン子のビンタに欲情してきたが、最近になって複数の女性に責められて興奮するのは不誠実ではないかと考えが変わってきた。

 おれが本当に誠実で忠実なマゾヒストなら、女王様以外の異性に罵られたり、ビンタされて発情する節操のない豚であってはならないし、そんな移り気では女王様にも愛想を尽かされてしまうだろう。

 相方は一人いれば十分十分! というか彼女ほしい。切実にほしい。今まで気にも留めなかったが、そういえばおれってモテるじゃん。川神学園イケメン四天王(五人いる)筆頭じゃん。

 そのおれが未だにオナニーに甘んじているなんて、世界の損失ではあるまいか。

 まだ川神学園に入学してから告白されたことはないが、メールと電話がひっきりなしにくる顔と名前が一致しない女の子ならたくさんいる。入れ食いでござる。撒き餌も、糸を垂らす必要もなくあっちからクーラーボックスの中に飛び込んでくる状態だ。

 求められているのだから応えてやるのがせめてもの礼儀ではないか?

 おれを好きな人の中に運命の人がいるかもしれないし、相性もあるから試しに付き合ってみるのもいいのでは?

 

 ……いや、自分を正当化して取り繕うのはやめよう。正直になるべきだ。

 

 

 

 好きとか恋とか、そういうのはよくわかんないけど、とりあえずエッチしたい!

 めっさスケベしたい! めっちゃセックスしたい! めちゃくちゃズッコンバッコンしたい!

 キスしたい! お尻さわさわしたい! おっぱい揉みたい! 太ももに頬ずりしたい!

 男が穴があったら入りたくなるのは神話時代から続く人類の伝統であり、くわえておれは性欲に忠誠を誓った騎士なので、性欲に命じられたらどんな禁忌だって犯しちゃう狂信者系ナイトなのだ。つまるところ性欲がとどまるところを知らないのである。

 ヒゲが言っていたじゃないか。

 

『おじさんが三河の顔だったら人生楽しくて仕方なかっただろうなぁ。葵みたく手当たり次第若いコ食い漁って、大学まで遊び呆けて卒業間近に金持ちの女たらしこんで逆玉で今頃ウハウハだったろうぜ』

 

 これを参考にしていいかわからないが、大半の男は似たような願望を抱いているに違いない。

 かくいうおれもヨコシマな感情は人並みにありましてね。女子高生という存在を前に抑制がきかなくてですね。

 それに葵やヒゲの猥談も重なって大変なことになっていましてね。もう、羨ましくてですね。こう……ムラムラっとね。辛抱たまらんのよね。

 それにね、ガクトとか嫉妬団が恨み言述べてくる程度に女の子寄って来るのよね。姉さんがいるといっても、赤信号みんなで渡れば怖くないの精神で学校でも徒党を組んで群がってくるし、学校を離れれば携帯にひっきりなしにね。

 

 そんな状況が毎日続いたらさぁ! ちょっとくらいつまみ食いしてもいいかなって思うじゃん!

 なんかぐいぐい来るからさぁ! 突き放そうとゲスいリクエストしたらさぁ! ノリノリで要求に応えてくれるんだもん!

 これがバレたらおれのあだ名が『写メセン』になっちゃうよ……別にエロ写メ強要したりしてないけど。

 でもこの誘惑に屈するのが十代の自然な姿なんだよな。最近の主人公は自制心が強くて困る。

 美少女に迫られたらとりあえずエッチして後のことは賢者になってから考えればええんや。

 せやろ?

 

 

 

 というわけで彼女つくろう。

 おれの立場だと、誰かと付き合うのは選り好みしなければたやすい。

 迫って来るコに「どうせおれの身体が目当てなんでしょう!? 好きにすればいいじゃない! エロ同人みたいに!」って言えばいいだけだ。

 けれどもおれは割りと面食いで、身近にいた異性が姉さん、ワン子、京とハイレベルな幼馴染なのもあって理想が高かった。この時点でかなり選り好みしているように思えるかもしれないが、童貞が選り好みするのはごく自然の行為なので何ら不思議ではない。

 

 だったらその三人を狙え、とおれの心のうちを知った者は口を揃えるだろう。

 しかし、性欲に流れに流され、恋なんてちんぷんかんぷんなおれが女の子と【自主規制】なことをしたいというだけで付き合うには、その三人は身近過ぎたし、何より不純な動機で付き合うには不誠実だという後ろめたさが勝った。

 身体目当てで付き合いたいおれには、おれというアクセサリーがほしい異性がお似合いだ。

 

 おれは危うい影響の受けやすさがあったが、それでも選り好みする図々しさと理想の高いある種の潔癖な貞操観念があったため、その相手も丁寧に選んだ。

 というか、はじめから気になってる人はいて、これまでのすべてはその後押しだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたいは焼きそばパン買って来いっつったろーがハゲッ! なにグラタンコロッケパンなんて炭水化物の塊買ってきてんだ、あたいのスタイル崩れたらどうしてくれんだアァ!?」

「いやぁ、正直焼きそばパンもたいがい……それに歳も歳だし食べ物に気をつけんと太りますよねそりゃ」

「太ってねえよ! お前の髪といっしょで体に栄養いってねえんだよボケ!」

「とうとう自虐まで……かわいそうに。あと二十年若ければ慈しみながら慰めてやったのに……うごぁ!?」

「なんで妙に上から目線なんだよテメェ!」

「こうなるの分かっててあずみに言い返すあたり、準は誘い受けのマゾとしか思えないよねー。ハゲでロリコンでペドでマゾでハゲって何重苦なんだよーって感じー」

「何で二回も言ったし。だいたいハゲにしたの君だし、俺はペドじゃないし、年増好きでもないから」

「誰が年増だボキャァ!!」

 

 昼休みの九鬼英雄不在時に、お付のメイド・忍足あずみは本性をあらわにして井上をパシリにし扱き使っていた。おれはその光景を歯ぎしりしながら眺めていた。

 井上はあずみさんに後ろ手に捻られて、関節を極められながら悶絶している。できることなら代わってあげたい。どうしてあのポジションにいるのがおれじゃないんだろう。というか代われよ。今すぐ代われよ。はよ代われや。

 年上のドSのメイドに折檻されながら、幼馴染(たぶんS)に言葉攻めされる高校生。どこのギャルゲの主人公だよ……

 おれは井上を嫉妬のあまりどうにかしてしまいそうだった。

 あずみさんは本性をあらわにした際の標的を井上にロックしたまま固定し、事あるごとに下僕扱いで従わせては気に食わなければ折檻していた。その矛先がおれに向くことはなかった。

 

 だいたいおかしいのだ。なぜ前世で日本中の地蔵を蹴っ飛ばしたかのような業を背負っている井上がSっ気ある女性に囲まれて、

 

「千くん、相変わらず良いお尻をしていますね。細めのスラックスにうっすらと浮き出たラインがセクシーで素敵です」

 

 神が懇切丁寧に設計したおれにはホモが付き纏っているのだろう。世の中絶対にまちがっている。

 神様、あなたの最高傑作の尻がピンチですよ。

 おれは葵を適当にあしらいながら、世界への憎しみを募らせていた。気づけばその憎悪を井上に向けていた。

 身震いした井上が挙動不審におれを一瞥した。

 

「また三河が俺を睨んでるんだが、俺なにかしたか?」

「準は呼吸してるからなー」

「そんなダンスしてるからみたいな気安さで人の生を否定しないでくれませんかねえ」

 

 榊原さんの毒舌は日に日に磨きがかかっており、最近は井上が口を開くたびに存在を否定するまでになっていた。

 無論そこには親しいからこそ言える友情と、弄りを許容できる井上の懐の広さがあっての関係が垣間見えて、傍から見てコントとして通じる温かみがあった。

 きっとこれまでも榊原さんが井上にとんでもないことをやらかしても、そのたびに井上は許してきたのだろう。その積み重ねたイジラレオーラがあずみさんのサディズムを刺激して、その鬱憤の捌け口として井上を標的にしているのだ。

 

 対して、おれは誰にも弄られたり、からかわれたりすることがなかった。なぜだ。

 いつも京には罵倒されてるのに。姉さんのおもちゃとして幼少期を過ごしてきたのに。去年はワン子の椅子になっていたのに。年上の女性に好き放題されたいと毎日思っているのに。どうしてだ!?

 やっぱ井上の頭みたいな明確なネタ要素がないと弄りがいがないのか?

 おれも井上のロリコンカミングアウトみたいにドMをカミングアウトしないと弄ってもらえないのか?

 だがおれの性癖暴露は、あずみさんのようなドSなお姉さんに身も心も調教された末に、捨てるついでに周りにマゾを言い触らされるまでがプレイの交際で、と心に決めている。

 

 もう説明する必要もないだろうが、おれは九鬼英雄のメイドさん、忍足あずみが気になっていた。

 あのにじみ出るサディスティックなオーラと素のときの笑みに、おれのマゾヒズムなメンタルはもう闇堕ちさせられていたのである。

 いやでも好きじゃないよ。恋愛とかじゃないよ、たぶん。

 グラビア雑誌を眺めてスタイルの良い女性に欲情する男の心情に近しい心の動きだと思う、きっと。

 付き合いたいとは思うけれども、実際のところはかわいいなー、と頭の片隅に残っている遠い世界のアイドルと、できたら付き合えたらいいなー、なんて漠然と妄想してるものに近い、おそらく。

 これは恋愛感情ではなく性欲に突き動かされているのであり、井上に抱いている嫉妬心は、性的に魅力を感じている女性がもしかしたら取られるかもしれないという危機感に由来したものに過ぎない、メイビー。

 

 だから下っ端として扱き使われてる井上と、あずみさんを従えてる九鬼英雄が憎いなんて醜い感情持っていても仕方がないんだなぁ、これが!

 

「あのー、やっぱり三河が俺のこと睨んでるんですけど、俺だいじょうぶ? 殺されたりしない? マジで」

「きっとあずみの尻に敷かれてる準が羨ましいんだよー。準はハゲでロリコンのくせに隅に置けないねー」

「いやぁ、それはないだろ。だってこの人俺たちと干支いっしょなんだぜ。女の子が小学校卒業してババアになるのと同じ時間分、歳食ってるんですよ。ないわー」

「テメェほんとに死にてえらしいな……」

 

 煽り上手の井上さんは、怒りで震えているあずみさんの手で直々に肩の関節を外されていた。

 もう我慢できない。おれは行動に移すことにした。動くことを決心してからは物事が進むのは早かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後の屋上でおれは手持無沙汰で佇んでいた。

 あのあと、おれは誰にも書いているのを悟られないように慎重に手紙をしたため、誰にも察知できない速さですれ違いざまにあずみさんの懐に手紙を潜り込ませた。

 恐ろしく早い手渡しであり、姉さんかジジイでなければ見落としちゃう代物で、手練れのあずみさんも衣服の違和感でようやく渡されたことに気づいたくらいだ。

 

 手紙の内容は、『放課後、一人で屋上に来てください。待っています。 三河千』

 

 思い返すだけで全身がむず痒くなる文章から意図が丸分かりだろうが……そう、おれは告白する。

 もう辛抱ならなかった。一刻も早くあずみさんにおれのご主人様になってもらいたくて疼いてたまらなかった。

 井上が折檻くらっている姿が、かつて姉さんの下僕として過ごしていたおれを彷彿とさせて、腹からせりあがる熱い情欲に頭が煮えたぎって何も手につかなかった。

 だってあずみさん凄いドSなんだもん! 学校生活を観察しても、Mの気質を微塵もちらつかせないレベルでドSなんだもん! こんな人見たことないんだもん!

 女の子ってどんなに強がっていても、心のどこかでは強く頼もしい男に支配されたがってる節があって、武神の姉さんでもその片鱗はあったのに、あずみさん全然ないんだもん!

 ……うわぁあああああああ! ……やばい、今のおれ頭おかしい。ちょっと落ち着こう。

 おれは空を見上げた。空はとても綺麗な青色で、まるでおれの心を投影したかのように澄んでいた。よかった……曇ってない。小説的には曇ってたり雨が降ってたら先行きが危ぶまれるから、晴れてて助かった。天もおれの味方をしている。

これでおれの告白を妨げるものは何もない。授業が終わったと同時に気配を消して行動したから姉さんに気取られる心配もないし、周囲に人もいないから聞き耳立てられる不安もない。

 

おれは大きく嘆息した。よし、告白の内容を確認しよう。まず第一声で、『おれのご主人様になってください!』と土下座する。あとは流れで。完璧だ。

ここに来るまでに今までに蓄積したあずみさんの行動パターンから、あずみさんの反応をシミュレートして、成功に至るまでの過程をいくつか検討しておいた。

さて、もう一度誤りがないか確認して……しようとしたらあずみさんの気がかなりの速さでこちらに向かってきていた。

思ったより早い! 忍者自重しろよ! 廊下走るなよ! やっべ、考えまとまらない。どないしよ――

 

「お待たせしました、三河さん☆」

 

 きゃるーん、と薄ら寒いポーズと猫なで声であずみさんがドアを勢いよく開けて登場した。

 全然待ってねえよ、もっと遅く来いよ。

 

「それで、どのような御用でしょうか? できれば手短にお願いして頂きたいのですが」

 

 ああ、そうだよね、英雄待たせてるもんね。あいつ忙しいし、それに付き従うあずみさんも同じくらい多忙だから、時間かけないようにしないと。

 

「あー……その、あずみさん……」

「はい」

 

 ――おれのご主人様になってください!

 

「あの……す、好きです!」

 

 

 

 

 

 ……あれ、今おれなんつった?

 

「はい! ……んん?」

 

 おれの勢いに釣られて元気に返事をしたあずみさんは、声を出してからしばらくフリーズして、言われた言葉の意味を理解するのに時間がかかり、それの意味することが分かって再びフリーズした。

 おれもまた自分が口走ったセリフに思考回路がショートして固まっていた。

 

「……」

「……」

 

 見つめ合ったまま互いに無言で、ただ時間だけが過ぎる。おれはいったい何をしているんだ。テンパって事前の内容とちがうセリフを口にしてしまった。

 しかも内容が、あんな……顔を覆いたくなるようなこっぱずかしい……!

 おれは羞恥心に耐えきれなくなり、視線をそらした。それと同時にあずみさんが再起動した。

 

「……それって、あたいに言ってるのか?」

「……はい」

 

 尋ねられたので答えた。あずみさんは猫被りをやめた顔つきで辺りを見渡した。

 

「ドッキリってわけでもなさそうだし……て、ことは……真剣かよぉ」

「……はい」

 

 あずみさんは心底戸惑った様子で、それでいて心底不思議そうにおれを見た。

 

「何であたいなんだよ……自分で言うのもなんだけど、歳が一回り離れてるし、それに、お前なら武神とか、もっと良い女選り取り見取りだろ」

「そんなことないです。あずみさんは綺麗で、仕事してる姿も凛々しくて、頼りがいがあって……憧れています」

「お、おぉう……そ、そうか」

 

 狼狽して、幽かに頬を赤くしたあずみさんは満更でもなさそうな顔をしていた。

 おれは頭を無視して勝手に先走るおれの口を信じられなくなっていた。まるで自分の身体じゃないかのようだ。条件反射で答えんじゃねえよバカ口。

 

「……な、なんていうか……嬉しいもんだな、そこまで素直に好かれると」

 

 ちがうんです! 素直なんかじゃ全然ないんです! 首輪つけて飼ってほしいんです! 好き勝手調教した末に飽きたら周りに性癖暴露して捨ててほしいんですぅぅぅ!

 心の叫びと裏腹に口は堅く結ばれて動かなかった。

 

「じゃああれか、井上をパシリにしてるとき睨んでたのは、友人をコケにされて怒ってたわけじゃなくて、嫉妬してたのか」

「……はい」

 

 おれは壊れたレイディオように返事をした。もう自分が信じられない。この世で自分ほど信用ならないものはないと言い切った主人公がいたが、その通りだった。おれはいったい何をしているのだろう。

 

「おぉう……ま、マジか。マジか……」

 

 噛みしめるようにあずみさんは小さく繰り返した。

 

「……」

 

 暖気を帯びた生暖かい吐息にも似た風が頬を撫でて、前髪を舞い上げた。あずみさんの頬は紅潮していっているのに、おれの頬からは血の気が引いていった。

 あずみさんは何度か切り出そうと躊躇ってから、男気を感じる仕草で頭を掻いてから、逡巡を繰り返して、やっと紡ぎ出した。

 

「あー……その、なんだ。先に返事だけ言っとく。悪いな、三河とは付き合えない」

「そ、う、ですか」

 

 声に詰まったが、なぜ詰まったのか理解が及ばなかった。

 

「あたいは英雄様に忠誠を誓ってるから、他の人は考えられないんだ。だから三河に悪いところがあるとか、そういうわけじゃねえぞ?」

 

 ああ……九鬼英雄への態ってビジネスじゃなかったんだ……いなくなった途端にキャラ変わるから嫌々やってるのかと思ってた。

 

「むしろお前みたいな若くて人気ある男に好きって言われて嬉しかったし……いや、なに言ってんだろうなあたい」

 

 何度も言うけど、どうでもいいと思ってる人に人気があっても嬉しくもないわけで……なに言ってんだろうおれ。言っても意味ないのに。

 

「……付き合ったりできないが、お前は英雄様の恩人だ。個人的に恩義も感じてるし、困ったことがあるならいつでも頼ってくれ。こちらもクラスメートとして仲良くやっていきたいとは思ってる。

 これからも友人として頼む。……ま、友達って呼ぶには歳が離れてるけどな!」

 

 ニカっと半ば強引に微笑んで、あずみさんは締めくくった。おれは自分がどういう表情をしているかわからなかった。

 

「英雄様待たせてるから、もう行く。……んじゃな」

 

 そそくさと立ち去るあずみさんの背中をボーっと追って、誰もいなくなった屋上でおれは風に吹かれていた。

 いや、ダメで元々だったし、そもそも恋とかじゃなくて性欲に突き動かされたからだし、下手な鉄砲数打ちゃ当たる理論で行こうとして、その最初に一番理想的な人に狙いを定めただけだし、恋愛感情とかないし、ダメだったらダメだったで別の娘に行けばいいだけだし、おれのこと好きな娘はたくさんいるし、だからこんなの全然平気だし。

 

「ふぐぅぅううう……」

 

 胸がギュウって……ギュウってしただけ……ギュウって……

 

 

 

 おれは次の日、生まれて初めて学校を休んだ。

 




お待たせして申し訳ございません。
これからA-5プレイします。
ヒャア 我慢できねぇ 旭ちゃんだ!

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