真剣で恋について語りなさい   作:コモド

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マゾヒスト夜を征く

 

 

「まぁ元気だせよ、三河。今日の昼飯おごってやるぜ?」

「おや、顔色が優れませんね。私が保健室まで付き添いましょうか?」

「元気だせよー。ウェイウェーイ」

 

教室に着くと、Sクラスの仲良し三人組が、半分は優しさでもう半分は愉悦でできている表情で話しかけてきた。

学園にはおれが誰かに振られたという実話が拡散していた。

というのも、否応なく注目を集めるおれが、あずみさんに振られて以降やさぐれていたから、その原因は何だろうと噂好きの学生の間で話題になったのが始まりらしい。

とはいえ、クラスではおとなしい美人……じゃなかった、美少年で通っているおれの実情を知るやつはいないし、大半の者は安直に失恋でもしたんじゃない? と考えた。

 失恋だとしたら、相手が川神学園の生徒の場合噂になってないのがおかしいので、中学生か大学生以上、年下は想像しにくいから相手は年上、少なくとも姉さんより美人でないとおれが惚れる理由が納得できない、という結論に至り。

 まとめて、年上の半端ない美人のOLにおれが一目惚れし、告白して玉砕したという噂が広まったのだった。

 安直極まりないのに、正鵠を射ているのがムカつく。

 

 まぁ、ここまでは信憑性のないゴシップのひとつに過ぎなかったのだが、今朝、風間ファミリーの面々と登校している最中、まだ噂が耳に入ってないときにガクトから声をかけられた際、

 

『よう千、振られたからって落ち込むなよ。女なんて星の数ほどいるぜ』

『……なんでガクトが知ってんだよ』

『え、やっぱあの噂マジなのかよ!?』

 

 先日の件で京と冷戦中だったおれは、てっきり京がバラしたのだと思って疑心暗鬼に返してしまった。風間ファミリーは目立つ。周囲にはおれたちの会話に聞き耳立てている生徒もいて、学園に着くころには登校した生徒全員が知っているのでは、というほど周知されていた。

 そんなに人の恋愛事情が気になるのか。

 ……まぁ、おれは有名人だからな! かーっ! つれーわー! 人気者はつれーわー! 実質学園一くらいしかモテてないからなーっ! おれがもうちょっと不細工で頭悪くて要領が悪かったらこんなに騒がれなかったのになー! かーっ!

 

 おれは話を耳にして絡んでくるやつらと一通り話をした。

 

 

 

「ヒュホホ、あの三河が女に振られるとはのぅ。どぉぉぉしてもと頼むなら此方が慰めてやってもよいのじゃ。どぉぉぉぉぉしてもと頼むなら」

「フハハハハハハ! 青春しているな三河千! こうして若人は苦い思いを力に変え、酸いも甘いも噛み分けた漢になるのだ……そうであるな、あずみ!」

「そ、その通りでございます英雄様ぁ!」

「ま、これも経験さ。愚痴こぼしたくなったらだらけ部に来い。話くらい聞いてやるぜ」

「ふふ、青春してるわね。甘酸っぱい匂いと、ほろ苦い味がする」

「OH! モモヨ! シンデル!」

「よーう、色男! 影のある良い表情するじゃねえか! 普段は野郎なんて撮らねえんだが、ピンときちまってよ。コンクールの題材に使いたいんで協力してくれ、見返りにお宝何枚かやるからよ」

「ふっ……君も失恋なんてするんだね。ま、恋に現を抜かす暇があるなら、己を高めることに時間を注ぎこむ方が有意義だと僕は思うがね」

 

 

 

 生暖かい目がウザい。平時は嫉妬と羨望が入り混じった視線と態度で敵対しているSクラスの連中も、今日ばかりは優越感と余裕に満ちた上から目線でおれに接してきた。

 唯一の救いは相手があずみさんだとバレていないことと、あずみさんが英雄にも秘密にしてくれていることだが、おれはかつてない屈辱を味わっていた。

 女に振られるだけでこんなに見下されなきゃならんのか!? お前ら一晩でおれより偉くなったんか!? 核兵器より恐ろしいとか言われるジジイやMOMOYOと同格のおれより凄いんか!? おぉん!?

 

 おれは昂った気を静めて、短く息を吐いた。そのとき、三人組の榊原さんと目が合った。榊原さんはにっこり笑って、

 

「ウェイウェーイ」

 

 と挨拶? をしてきたので、

 

「ウェーイwwwwwwwwww」

 

 と、元気に返事をしたら、

 

「うわーん! とりあえずそれ言えばコミュニケーション成り立つと思ってる大学生みたいにおざなりな挨拶されたよー!」

 

 泣かれた。なんなのもうむーりぃー。

 

「あーあ、泣ーかせた。ちょっとぉ、ウチの子が泣いてるじゃないですか。責任とって泣き止ませなさいよー」

「そうだそうだー」

 

 悪ノリする井上と便乗する榊原さん。すでに泣き止んでいる。なんだこの茶番。

 

「……どうして人は泣くんだろうな」

「お?」

「どうした、急に物思いに耽って」

 

 おれは遠くを見つめた。人が涙を流すのは生理的機能と感情の大きく分けて二つに分類される。赤ちゃんは生まれたことが辛いから泣くのだと誰かが言ったが、あれは身も蓋もないことを言えば効率的に肺呼吸をするために泣いているに過ぎない。

 でもリアルティを追求すると面白くないのが現実だ。生まれ落ちた瞬間に世の無常を悟って泣く赤ちゃんがいてもいいじゃない。おれなんて一歳のころには物心ついてたからな。初めての離乳食を母親の手からスプーン奪って食べてたし、そんなおれなら人の姿に生まれ落ちた悲しみに泣いたという可能性もかなりの確率でありうる。記憶にないけど。

 

「私の股間は千くんを想うと泣いてしまいます」

「若、三河への恋心は痛いほど分かったから少しは空気をね」

「あれも涙みたいなものだよね。生理的な要素と感情の昂りで出るんだから」

「乗るんかい」

 

 井上はおれを気遣っているようだが、男は辛い時に優しくされると余計惨めになって落ち込む生き物なのだ。慰められてコロッと行くのは女だけだ。

 そもそもみんながおれに口々に言う『青春してる』ってなんだ? 青春ってなんなんだ?

 青春って要するに人間の未熟さ故の計画性のない行動の連続であって、それを実感できるのはヒゲくらいの年齢になってからだろう?

 同年代のお前らはおれの行動を見て青春を感じれるほどに達観してるのか?

 青春は甘酸っぱい? ほろ苦い? ちがうね。青春は男の子の味がするのさ。

 どんな味かって? ネット小説サイトみたいな味さ。

 若さだけが取り柄で、活力に満ち溢れてて、世間知らずで向こう見ずの少年が願望に忠実に行動して一喜一憂した過去が青春だ。『今』にはなくて、何年か経ってから、ふと振り返ったとき初めてそこにあったと気づけるものだ。

 青春が終わらないと人は青春に気づけない。そして青春は子供の特権だから、青春を知る大人は青春を感じたとき、大人と子供の立場から必ず見下しているものなのだ。

 思い返してみるといい。今回のおれのように失恋した人を見るとき、部活動で汗を流している者、試合に敗れた者を見るとき、人間関係が上手くいかなくて悩んでいる若者を見たとき、傍観者は「青春してるねえ」と言う。

 その声には過ぎ去った過去への羨望と若さへの嫉妬、努力して思い悩む者を食った歳の分だけ見下した感情が綯い交ぜになった複雑な彩をしているはずだ。

 

 だからおれは青春を語る大人が嫌いなんだよ!

 同年代で青春青春うるさいやつも嫌いだ。夢中になれてないなら青春できるわけないだろ!

 

「涙と先走りの相関性が証明されたところで、続いての議題です。青春という美しい光の影にある欲望の醜さに焦点をあてましょう」

「やべえ、話についていけねえ」

「話題が飛びますね。こちらの話は断片的に聞いているだけで、何か考え事でもしているのでしょう」

「どうせろくでもないこと考えてるのだ。千って準やトーマと同じ匂いがするもん」

 

 思春期の男の子はみんな汗と栗の花の臭いがするものさ。

 

「女の子はどちらかというと自分を邪険にする男に惹かれますけど、男の子は自分に懐いてくれる女に惹かれますよね。そして女の子は体目当ての男を嫌いますけど、男は体目当ての女は大好きです。

 女の子の悩みは自身の魅力が男性の性欲と切っても切れないところにありますが、男性は最大の魅力が自身にはではなく、付属物にすぎない金や地位にあるところにあるのが、人間の面白いところではないかとおれは思います」

「そうですか? たいていの女性は私が真心をこめて口説けば堕ちてくれますが」

「女ってクズな男を好きな層が多いしな……でも少女漫画は奥手な主人公にグイグイくる男も多いぜ」

「前者は売れないミュージシャンを支える自分、暴力を振るわれながらも男に尽くす健気な自分が好きなだけ。後者はイケメンだから許されるだけで不細工なら通報されてる」

「よくここでど真ん中直球投げる勇気あるねー」

 

 おれは顔面死球も平気で投げられるぞ。打たれたってへこまないからな。

 

「女の子が可哀想なのは、男はモテる要素が小学校は足の速さ、中学時代は容姿、高校では頭のよさ、そして就職先や年収へと歳を経るごとに変遷するけど、女の子は一貫して容姿が評価されることだね。家柄? 育ちの良さ? 性格の良さ? 頭の良さ? それら全部の前に『美人で』がつかなきゃ魅力にならないんだよ! 女は顔、顔、顔! 色の白いは七難隠す。昔の人は為になること言ってくれますねえ」

「それ千のことだよね」

「ブーメラン刺さってるよな」

「つまり千くんは、多少の性格の不一致や欠点を受け入れてくれる懐の広い人なんですね」

「物は言いようだな」

 

 やだー、あたしのこと黙ってれば美人だって思ってるんでしょー? もう、顔に出てるぞっ☆

 

「ぶっちゃけ都合のいい男扱いして散々弄んだ末に手酷く振ってほしい」

「ひっでえ願望持ってんな」

「さっき自分で言ってたクズな男に入れ込む女そのものだよ」

「好きな人には尽くすタイプなんですね、素敵です」

「身内にきついこと言いたくないけど、若も大概だよなぁ」

 

 お前も大概だぞ。

 

「……人生は物を知らないからこそ輝くのであって、知ってしまうとたちまち輝きを失って、色褪せて見えるものなんだ。何も知らない子供が人生を謳歌しているように見えるのも、大人がくたびれて見えるのも、その所為だ。人は知るごとに世界が狭く、堅苦しくなってゆく。

 ……ところで、お前たちはおれが振られたことを知ってしまったが、そのときどう思った? ぷぷ、千のヤツ振られてやがんのって思った? ざまあwwwって思った? これでお前も魍魎の宴の一員だなって思ったか?」

「お前どこでそれ知った?」

「なんか目がぐるぐるしてるよー」

 

 おれは榊原さんに詰め寄って両頬をぎゅむっとわしづかみにした。

 

「学園一の美少年が女に振られるような男だと分かって、幻滅しました三河君のファンやめます言われた気持ちが分かるんか!? 本当のファンなら苦しい時こそ応援するべきじゃないのか!? さっきからおれが支離滅裂なこと言ってるけど内容分かってるか!? ええ!? 分かるのか分からないのかどっちなんや!!」

「知らないよー」

「三河、お前大丈夫なのか? 具体的に頭とか」

「あんしんしろ おれは しょうきだ」

「絶対に裏切るじゃねえか、信用できねえ」

 

 おれは情緒不安定のまま午前を乗り越えた。ちょくちょく葵が心の隙間に付け込んで、おれの体を好きにしようと画策していたが全て跳ね除けた。

 落ち込んでるからといっておれが安易に慰めックスすると思ったら大間違いだ。

 

 

 

 

 

 

 ある晴れた昼下がり。おれは屋上の給水塔に乗って空を見上げていた。空はこんなに晴れて澄み切っているのに、おれの心はどす黒く濁っていた。

 昼下がりと聞くと体を持て余した人妻を連想してしまうのは、刷り込みだと思う今日この頃。団地妻も同じく。

 これらの単語には男心をくすぐって奮い立たせる淫靡な響きがある。おっぱいという響きに男が乳房の形や張り、柔らかさや乳首の色を想起してしまうのと同じくらいのエロスがあるように。

 だがニュアンスを変えると言葉は意味合いを全くちがうものに変質してしまう。

『弄る』という言葉にもそこはかとないエロい響きが内包されているが、これが『いじり』となるとイジメに似た響きを含有して、面白くないものになるのだ。

おれがハートブレイクしたと知った途端に連中ときたら、慰めるふりをして近づいてきて、隙あらば弄ってやろうという魂胆が見え見えなのである。

もしかして、みんな機会さえあればおれを弄り倒したくてウズウズしていたのだろうか。弄るなら俺の乳首を弄ってほしいのに、みんなが弄りたいのはおれの自尊心。

このすれちがいにおれは耐えきれなくなって屋上でひとり黄昏ていた。だって男の子だもん。無性にひとりになりたい時もあるよね。

おれは無心に、無人の屋上でぼーっとしたかった。だが無粋な気の持ち主が屋上に向かってくる。おれはげんなりして身構えた。

 

「千……」

 

 来訪者は姉さんだった。扉を開けて、給水塔の上にいるおれを見上げている。本日、知らない間に弟に好きな人ができていて、いつの間にかフラれていたことを知り、間接的に失恋した川神百代さんである。

 おれは屋上の影になるところに飛び降りると、姉さんも遅れてついてきた。

 気まずい。いや、別にフッたフラれたの関係じゃないけど、間接的とはいえ、あなたに恋愛感情はありませんと打ち明けたに等しい異性に面と向かって何を話せばいいのか、恋愛経験のないおれには判断がつかなかった。

 キスとかペッティングはしてたけれど、おれの場合は性欲の延長と、姉さんへの好意に応えただけに過ぎなくて。男は自分を好きになってくれる女を好きになる。その理論が作用していただけだった。

 性を知った時、美人の姉がいたら身近な女体を意識してドギマギしてしまうだろう? 実際に姉がいるヤツが「女と思ったことない」とか「裸見ても何とも思わない」とか言うが、それは女と認識する機会に恵まれなかっただけだ。

 関係を迫られれば、嫌でも意識する。まぁ、おれたちの場合は血縁がなかったり、姉が超絶美人だったりとかなり特殊だけど。結局のところ、男と女なのだから。

 おれだって姉さんの蠱惑的に過ぎる肢体を好きにしたい、セックスしたいとは思うけれども、ヤリ目で付き合って、性欲が冷めた時を想像すると、家族・風間ファミリーとがんじがらめになった関係性が壊れるのが怖くなる。

 だって絶対に別れるから。

 

「なに?」

 

 壁を背にしておれはおざなりに答えた。今朝、おれがフラれたことを知った姉さんはショックで茫然自失としていたが、おれは敢えて声をかけなかった。

 弟離れする気がない姉さんに、それを決心させる良い機会かもしれなかったから。姉さんの白桃色の唇が訥々と開いた。

 

「好きなコ、いたのか?」

「いないよ」

 

 たぶん。

 

「でも告白してフラれたのは本当なんだろ?」

「だったらなに?」

「……どうして、私じゃないんだ?」

 

 さて、困った。おれは目をそらした姉さんの自己主張の激しい胸元に視線を向けた。

 

「姉弟だから。じゃ、ダメ?」

「血は繋がってないだろ。それに……普通の姉弟は、キスしたり、しないじゃないか」

「そうなの? おれ、お姉ちゃんともキスしたことあるけど。あと、おれは女の子がキスを特別視する気持ちも理解できないから、姉さんの言ってること全然わかんない」

 

 実姉は兼ねてから可愛がっていた弟のおれを、小学校高学年の頃に異性と認識したようで、男を試してみる感覚でおれにキスしていた。当時の姉は素材を活かし切れていない優等生の真面目ちゃんで、その真面目さ故に表に出せない欲求が身内で逆らえない弟のおれに向けられていたのだと思う。

 おれと実姉の関係も奇妙と言えば奇妙で、血縁関係にあるのに会えるのは年に数回しかない、幼少期に離れ離れになった容姿端麗な弟は、ストイックな日々を送っていた姉には目に毒な存在だったのではないか。殆ど他人のように暮らしているのに、明確に近親者な異性が、会うたびに異性として魅力的になってゆくのは、想像すると辛いものがある。

 これが家族のように暮らしているのに、明確に他人の異性だと、話はとても簡単で、姉さんはすんなりと芽生えた恋心を受け入れられた。

 すなわち、姉さんにとってこの姉弟関係は形式だけのもので、おれを私物化できる体のいい方便なのだ。

 つーか、弟に欲情する姉とかないわー。優しいお姉ちゃんだと思ってたのに、ある日突然豹変した身内に襲われるとかトラウマなるっつーの。やっぱ恋してる人間ってないわー。キモい。

 ……実姉にキスされたときはともかく、姉さん相手には勃起したが、これは生理現象だから仕方ない。

 

「……好きなんだ。千が好きなんだ。だから」

「おれも好きだよ。姉弟として」

 

 おれが努めてそっけなく言うと、姉さんは唇を噛んだ。まともに取り合う気はさらさらなかった。恋愛ごっこはまっぴらごめんだった。

 こうも縋り付こうとする姉さんを見ると、一度突き放す方が得策に思えて、おれはジジイの方針通りに距離を置く気でいた。風間ファミリーとしての仲は維持したまま、家族、異性としての関係をうやむやにするつもりだった。

 姉さんは苦虫を噛み潰したような表情でおれとの距離を詰める。なんだ、キスでもするのか。それとも抱き着いて同情でも誘おうとするのか。

 してきたら唇を離して唾を吐いてやろうと思案したその矢先、おれの胸がトンと軽く押された。壁に背を預ける形になり、退路を断たれたおれは抗議の声をあげようとした。

 

 あげようとしたけれど口を開けた瞬間、姉さんの手がおれの顔の真横を通過し、壁に叩きつけられた。びっくりして竦みあがったおれは口を噤んでしまった。

 え? なにこれ壁ドン? どっちの意味の壁ドン? ていうか壁大丈夫? 姉さんの馬鹿力で殴られて崩壊してない?

 おれの懸念をよそに姉さんはぐいと迫り、唇が触れそうな近さでおれの目を捉えて離そうとしなかった。至近距離で見つめ合った眼は、近年おれに向けられた覚えのない険しいものになっていた。

 

「私は男として千が好きなんだよ」

 

 吐息と声と感情とが生々しく肌を伝う。男女逆じゃないのこれ。ああ、でもなんかゾクゾクする! 退路を断たれた状況、おっかない姉さん、びっくりして増えた心拍数。

 姉さんの熱気が肌を這ってくるような至近距離で、誰もいない昼下がりの屋上、年上の美女に迫られているシチュエーション。

 おれのなかに眠るマゾっ気が刺激されて、告白されているのに性欲がアップを始めていた。

 手始めに、おれはじっと睨みつけられているのに耐えきれなかったような素振りで目を逸らそうとした。すると、

 

「目を逸らしたらキスする」

 

 抑揚のない声で姉さんが釘を刺してきた。おれは一度だけ視線を合わせると、反抗的にぷいとそっぽを向いた。姉さんはおれの顎を掴んで強引に振り向かせると、勢いに任せて唇を触れ合わせた。

 触れ合うだけの幼いキス。唇が合わさったまま、目が合う。おれが反抗的な目をすると、姉さんは目を閉じて口を開くよう舌で催促してきた。

 幾度となく舌を絡める深いキスをしてきたが、おれは頑として拒んだ。おれの意地とMの素養が更なる快楽を求めそうさせた。

 強引に口を割り入ろうとする舌に抵抗し続ける。やがて姉さんは唇を離して、耳元でこう囁いた。

 

「口開けろ」

 

 冷たい命令口調に背筋が恍惚と震えた。おれは一度生唾を嚥下させると、ゆっくりと距離を詰める姉さんの唇を前にして、瞳を閉じて受け入れた。

 こちらの意思を全く意に介していない舌と自分のそれを絡めながら思う。ちがう。いつもしてるキスと全然ちがう。めっちゃ興奮する。

 いつもは姉さんが求めてきて、それに応える形でしていたが、主導権はおれが握っており、培った経験の中で掴んだコツを総動員して姉さんの要求を満たすという、なんというかそういうお店のような形式だった。

 でもこれはちがう。この無理やりされて、男として大切な部分とか尊厳とかが奪われているような感覚。

 これはあれだ。モロに借りたエロゲやエロ漫画のNTRもので、ヒロインが小汚い太ったオッサンに犯された時に、負の感情で鬱屈としているのに興奮している自分がいることに気づいたあの感覚だ。

 畢竟、おれはきれいなものが汚されることに性的興奮を覚えるのだ。だから非現実的な素材で作られたような精緻な美しさを誇るおれが、甚振られて壊されそうになる危うさに背筋がゾクゾクするし、舐られて穢される背徳感に体が火照るし、能力に裏打ちされた自惚れた人格を否定されると屈辱に心が昂るのである。

 

 みんなが授業を受けている中、誰もいない学校の屋上で、姉のように育った女性に無理やり犯されて、おれは勃起していた。

 密着していた姉さんももちろん気づいていた。唇を離した姉さんは屈むとおれのズボンに手をかけた。

 おれは情事の最中に男性に恥をかかせないよう感じたフリをする女性の如く演技をした……

 

 

 

 

 

 ……そして、おれが青空の下で果てた結果だけが残った。

 姉さんに散々に弄ばれたおれは、人気のない水場で体の一部を洗うと、保健室に行って学校が終わるまで仮病を使って不貞寝した。

 直前まで誰かが寝ていたのか、生暖かさが残る気持ち悪い布団に包まりながら、おれは自己嫌悪に浸っていた。

 どうしておれは事前にしていた主張や決意を簡単に翻意してしまうのか。性欲に流され過ぎではないか。これでは行動に一貫性がない情けない男ではないか。

 いや、性欲に勝てないことは一貫してるけど、それでいいのか三河千。

 他人の体液で汚された。でも、それに興奮する。頭から爪先、果てはチ○コに至るまでイケメンなおれの体が汚れることに下腹部が熱くなる。

 不甲斐ない。これはおれが未熟だからだ。つまるところ、童貞だから制御できないでいるのだ。

 童貞を卒業することは目標でもなければ終わりでもなく、通過儀礼であって、それを終えてようやくおれは男としてスタートラインに立てる。

 こんなんじゃダメなんだ。今のままではダメなんだ。決意を固めてすぐ性欲に屈する。軟弱で愚かな自分でいては人としてダメになる。そう思わずにはいられなかった。

 おれはおれが貶されて落差に興奮できるように、他者に誇れる、誰から見ても美しく優れた男でなくてはならなかった。女からフラれたことをネタにされて嗤われる男であってはならなかった。

 そしておれは決意する。童貞からジョブチェンジすることを。

 

 

 

 

 

 

 学校が終わるとおれは自宅に直帰して、シャワーを浴び、そういえば金曜集会があることを思い出して気乗りしないながらも重い足を動かして秘密基地に向かった。

 金曜集会での風間ファミリーの面々は、どこかぎこちない。おれがフラれたことが今週最大のニュースで話題になるはずなのに、姉さんがいつも以上におれにべったりで、いつもなら真っ先に先陣を切る京があからさまに不機嫌に唇を尖らせていたからだ。

 昼間の一件で気を良くした色ボケの姉さんは、一発ヤっただけで彼女ヅラする女の如く、私の女だと喧伝しているようにおれを侍らかした。

 これが恋愛脳か。おれの精子脳とどちらが酷いんだろう。というか、おれと姉さんの現状を見てジジイは何も思うところがないんだろうか。頭の中エロいことしか考えてないのに。ジジイと同じじゃないか!

 ……ジジイがそうなんだから疑問に思うわけないわな。

 つーか大丈夫か川神院。トップからナンバースリーに至るまで全員色欲の権化だぞ。やっぱり強い人はどっかおかしいんだね……強いってなんだろう。誰か教えてください。

 おれが脳内で川神流の天才みんな頭おかしい説を提唱し審議していると、横に座るガクトがおれを肘で小突いて小声で質問してきた。

 

「なぁ、もしかしてお前がコクったの、京?」

 

 おれはちらりと京を一瞥した。クール系なのか不思議ちゃんなのか、属性がよくわからないロリ巨乳に分類するべきかさえも迷う彼女は澄ました顔で読書に耽っていた。

 今日はひとことも口をきいていない。明らかに何かあったと分かる空気なので、おれが落ち込んだ原因は京にあるのだと勘ぐるのも無理はなかった。

 まぁ見当違いも甚だしいのだが。

 

「ガクトは、昔イジメてた女の子が成長して美人になったから掌返して『好きだ、付き合ってくれ』なんて言うような男をどう思う?」

「ん? ……まー、サイテーだな、としか」

「だろ?」

「? 今の話、千のことか? お前イジメてねーだろ」

「そうだっけ。ま、おれがフラれたの京じゃないから、そう詮索すんなよ」

 

 ガクトはしきりに首を傾げた。テキトーに言っただけなのに深く考えられても困る。

 ただ、イジメの加害者にとっては過ぎたことでも被害者は覚えているから、普通は加害者が被害者を好きになることはあっても、被害者が加害者を好きになるのは非現実的だと思っただけ。

 いやぁ、シャレにならないくらいイジメてた女の子が美少女に成長してから優しくしたら惚れられたって普通ないよね。普通根に持つよ。

 そして例に漏れず、根に持つタイプの京とおれは話すきっかけが見つからないまま、金曜集会を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 帰宅後、ネットで情報収集したおれは、土曜日、童貞を捨てようと風俗街に足を運んでいた。

 これでおれは女への幻想を捨て、ワンランク上の男になる。童貞から素人童貞へのジョブチェンジを果たす心づもりだった。

 幸い、おれは状態異常無効と状態異常回復の特技を習得しているため、性病が効かない……はずで、変な病気をもらう心配もなく、心置きなく入ることができる。

 親の金で通うソープは気持ちいいか? と馬鹿にされたくなかったのでキャップから紹介されたバイトの金を握り締めて、おれは決意を新たにしていた。

 ぶっちゃけおれの童貞ならオークションに賭ければ葵冬馬や姉さんが熱心に競ってくれるんじゃないか。なぜおれが金を払わなければならないのか、むしろ風俗嬢さんサイドが金を払うべきじゃないかとも思うところもないが、手っ取り早く童貞を卒業できるのがソープだった。

 ナンパしてもいいけど、童貞だってバレたら馬鹿にされそうだし、するのも面倒だし、その点風俗は指名すれば最後までしてくれるの確定してるし。

 トロールやメデューサが出てきたら、そのときはそのときだ。天井のシミを数えよう。

 にしても治安悪いな。風俗街を歩きながら、おれは治安の悪い川神でも有数のアレな連中が集まる地域で、すれ違う人々の顔を眺め思う。

 世紀末じゃないだけマシと思うべきか。でも明らかに向こうから肩ぶつけてきて、因縁つけてくるヤツとかちょっとダメだよね。コラ、親が泣いてるゾ☆

 

「なんだ、三河じゃねえか。なんでこんなところにいんだ?」

 

 童貞喪失を前にテンションが上がって、喧嘩吹っかけてきた不良をにこやかに追い払ったおれに誰かが声をかけてきた。浅黒い肌に、ワイルドっぽい、何か不良っぽい、何か悪そうな雰囲気のイケメン。

 

「あれ、タっちゃん。なんでここにいるの?」

「それはこっちのセリフだ。それとタっちゃんって呼ぶんじゃねえ」

 

 ワン子の幼馴染で島津寮に住んでるタっちゃん……じゃなくて、ええと……ゲンさん、ゲンさんだ。島津寮に遊びに行ったときに何度か会話したことがある。

 ワン子がタっちゃんタっちゃん言うんで本名忘れてしまった。ていうか本名をきいた覚えがない。いったいなんて名前なんだろう。タっちゃんとゲンの組み合わせて、ゲンタくんかな。

 ゲンタくんはいささか驚いた様子だった。

 

「何でいんの? 性欲発散?」

「んなワケねえだろ、仕事だ」

 

 ゲンタくんは不機嫌そうに吐き捨てた。プリプリしてんなぁ。

 

「お前こそ何でいんだよ。ここはお前みたいなヤツが来るところじゃねえぞ」

「いやぁ、ちょっとソープでも行こうかなって」

「……お前が?」

 

 ゲンタくんはきょとんとした。その目は、お前は女に不自由してないだろと語っていた。少し間をおいてゲンタくんはいつものツンツンした目つきに戻った。

 

「アホか。高校生が行くようなもんじゃねえだろ」

「それはあなたが決める事じゃない。おれが決める」

 

 おれが煽るとゲンタくんはイラっとしたのを隠さなかった。これ汎用性すごい。

 

「……まぁ、他人がとやかく言うことでもないけどよ。真っ当に生きてる学生が入り浸るもんじゃねえぜ。見てのとおり、ここいらは治安も相当悪い。危険な誘惑もたくさんあるしな」

「やだ、心配してくれてるの? タっちゃん優しい! 好きになっちゃいそう!」

「何で三河が直江みてえに……気味悪いな……」

 

 テンションが上がっていたおれはゲンタくんを前にした大和みたいになっていたが、ゲンタくんは素で引いていた。

 それから二言三言交わして別れた。ゲンタくん、口は悪いけど人はいいよね。次に会ったら名前を聞こう。

 おれは初陣を控えたもののふのように気分が高揚していた。

 プロのテクニックとサービスはいいぞ、とヒゲが言っていたのでウキウキなのであった。

 ルンルン気分で歩いていたおれだったが、ポン引きが立ち並ぶエリアに差し掛かると、周囲がざわつきだした。

 何だろうと思い、原因を探すと、もう少し前にあるSMクラブから小太りのオッサンが目隠しにボールギャグ、首輪にリードをつけられた状態で、パンツ一丁のままハイハイして出てきたのだ。

 いったいどういうプレイなの……おれは生で見るSMプレイにぎょっとして固まってしまった。

 いや、ほら、公園で青姦してる男女を見ると驚いちゃうじゃん。そんな感覚。

 でもこれ大丈夫なのかな。公然わいせつ罪で絶対捕まるよね。やる方もやられる方も勇者だなぁ。

 

 どよめく野次馬に混じってどんな女王様に虐めてもらってるのだろうか気になって、事の顛末を眺めていた。

 オッサンに遅れて、相方らしき女性が悠々と姿をあらわす。

 ――窮屈なボンテージ衣装に収まりきらないメリハリのあるワガママボディに、睨んだものを虜にする妖艶な瞳、獲物を前に舌なめずりをする蛇を彷彿とさせる赤く長い舌……

 

 

 

 ――トクン……

 

 

 

 おれは生まれて初めて出会った真正のサディスティックな女王様に、胸が高鳴るのを自覚した。

 

 

 

 


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