真剣で恋について語りなさい   作:コモド

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一匹の子豚

 

 おれが性に目覚めたのは、ご存じのように姉さんに武闘家として負け、仰向けに寝っ転がっている顔に尻を押し付けられ、椅子代わりにされたことがきっかけだが、決して姉さんの尻の柔らかさと運動後の熱と股間の匂いに欲情したわけではない。

 いや、ぶっちゃけ興奮したし、後でかなりの頻度でオカズにしたが、それは添え物に過ぎず、勃起を促したのは実力で完膚なきまでに叩きのめされ、武人としての自信を折られたこと。

 そして、万人が褒めそやすおれの美貌を、うんこやしょんべんを出す汚い部位で踏み躙ったこと。

これに尽きる。女の柔らかさや匂いとか、そういった性的興奮を感じる要素に先んじて、おれは自分を穢されることに興奮を覚えたのだ。

 おれは自分が大好きだ。誰と比べても、顔、スタイル、武力、知能のどれかが必ず勝る自分におれは大変優越感を抱いている。それが過信ではなく、自惚れにならないほど傑出している自分が大好きだ。

 そして持って生まれた才能を鼻にかける自分を諫める、もう一人の僕的なおれの良心とも呼ぶべき心の声も存在するのだが、彼はおれの理性とも呼ぶべき部分で、欲望にすぐ膝を折る。

 こんなこといけないのに……! ダメだってわかってるのに……! 悔しい……でも!

 と、容易く快楽と誘惑に屈する。そんなおれだから、自制心がない養われることなく育ち、基本的に後先考えない人間になり、目先の餌にすぐ食いついてしまう男になった。

 

 だから、恋は一目惚れがいい。一目見た時点で恋に落ちて、盲目的に慕って、悪い部分が見えて冷める前に燃え尽きたい。

 一目惚れした女性が、おれの顔にビンタ食らわしたついでに罵ってくれるとなお良い。消える寸前のロウソクのように激しく燃え上がるだろう。

 どっかの偉い学者さんが、人の印象の七割は第一印象で決まると言っていました。その理論から行くと、三河千は初対面の美女にビンタされたり罵られると七割の確率で惚れてしまうんじゃないでしょうか。

 これってトリビアになりませんか? 

 

 

 

 実際にやってみた。

 

 

 

 SMクラブから出てきた女王様は、豚さんのリードをぐいと引っ張って歩き出した。豚さんは人間が発したとは思えない奇怪な鳴き声をあげた。

 女王様と豚さんは道のど真ん中を我が物顔で闊歩している。道行く人は関わり合いになりたくないのか、道を空けて遠巻きに恐々と眺めていた。何アレ~、キモい、ウエー等々、えげつない恰好で四つん這いになって犬の散歩をさせられている中年のオッサンを厭う声が聞こえる。

 女王様については聞こえてこない。中年小太りハゲオヤジがパンツ一丁という悍ましい姿なのに対して、見立ては美人だし、悪口が耳に届いたら持ってるバラ鞭で打たれそうだからだ。

 豚さんは女性のキモがる声が聞こえたのか、息を荒げて興奮していた。

 スリル満点の羞恥プレイにとても悦んでいる。羨ましい限りだ。いくら払ったんだろう。どことなく社会的地位のある人の貫禄が見え隠れするのだが、今はどう見ても豚さんだった。

 さて、ガラの悪い風俗街の面々もそそくさと道を空けるなか、おれは道のど真ん中でボーっと立ち尽くしていた。

 生まれて初めて見る生の公開SMに見惚れていたのもあるが、半分は期待と打算だった。

 悠然と歩いてくる女王様を前にしてもおれは突っ立っていた。女王様は距離を詰めても退こうとしないおれをじろりと一瞥すると、つかつかと歩み寄ってきて、一歩手前で足を止めた。

 

「鈍臭い坊やだねぇ」

 

 言うや否や、女王様は手の甲でおれの頬を叩いた。おれは思ったより勢いが強くて、叩かれた頬を抑えて蹲った。

 

「邪魔だよ」

 

 そう吐き捨てると、おれなど眼中にないかのように通り過ぎてゆく。すれ違った際、豚さんが同情しているのか、はたまた羨んでいるのか、「ぷぎぃ」と鳴いた。

 ――おれはDVを受けた女のような恰好で茫然としながら……嬉しさのあまり震えていた。胸が熱い。目頭が熱い。漏れ出る吐息が熱い。頭に血が上って思考が真っ赤に染まった。遅れて全身も煮えたぎったように熱くなる。

 まさか……まさか初対面の人に躊躇なくビンタする人が実在するなんて! しかも手の甲で! 殴られた人も痛いけど殴った人も痛いよあれ!

 殴っていい顔の造形してないのは一目で分かるだろうに……このパーツと配置にするのに神様がどれだけ試行錯誤とリセマラ繰り返したと思ってるんだ。

 それを躊躇なく殴れるなんて……なんて素敵なんだ。これこそ運命ではなかろうか。

 彼女なら、誰よりも特別なおれを特別扱いせずに、むしろこき下ろしてくれる。そう思えてならなかった。

 再起動したおれはすぐさま立ち上がると、稲妻よりも早く動き、女王様の目の前に回り込んだ。

 

「なっ!?」

 

 目を剥いて固まる女王様の両手を胸元で握り、唇が触れるほど顔を近づけ、サディスティックな瞳を見つめて情熱的に告白した。

 

「あなたに一目惚れしました! 主従関係を前提にお付き合いしてください!」

 

 女王様は固まった。おれの海綿体も固まった。殴られたおれに同情的だったギャラリーはざわついた。豚さんは鳴いた。

 

「プギィ! プギィ!」

 

 NTRの気配を感じ取ったのかもしれない。豚さんの悲鳴に我に返った女王様は即座に豚さんに向き直った。

 

「誰が声を出していいと言ったんだい、堪え性のない豚だね」

「んォォォ!!」

 

 豚さんはお仕置きが欲しくて身悶えした。でも鞭は飛んでこなかった。おれが女王様の手を掴んでいたからだ。

 勤勉な女王様はバラ鞭を振るおうとし、強欲な豚さんはご褒美を心待ちにしていたが、おれはその手を離さなかった。

 おれもまた、強欲な豚さんだったからだ。

 

「坊や、手を離しな」

「いやです」

 

 諌めるような女王様の声をおれは頑なに拒否した。

 ビビビッときて、コロっと行った。目と目が合う前に好きになった。

 愛は真心で恋は下心だとかいう、最初に言い出した奴の反吐が出るようなドヤ顔を想起させる言葉があるが、おれはちがうと思う。

 

 恋は落ちるものだから下に心があって、愛は育むものだから真ん中に心があるのさ。

 

 まぁ、おれには下心しかないけどね。

 

「くっ……悪ふざけもいい加減に」

「冗談や悪ふざけでこんなこと言いません」

 

 女王様はおれを振り解こうとしたが、おれは決して手を離さず、見つめているだけでMっ気がうずく瞳を覗き込んで口説いた。

 仕事中だということもあって迷惑そうだった女王様だったが、次第におれの力の強さに気づいて抵抗を緩めた。

 力むことをやめて冷静になったのか、表情に余裕が出てきた女王様はおれの顔を品定めするように、舐るような眼差しで観察し始めた。

 

「へえ」

 

 じゅるりと舌なめずりして、女王様はおれに寒気のする微笑を送った。

 

「かわいい顔してるじゃないか。それに……途轍もなく強い」

 

 するりとおれの手を抜けて、女王様の手がおれの頬を慈しむように撫でた。冷たく、すべすべの指がおれの頬に触れる感触とシチュエーションにおれはぞくぞくした。

 これだよこれ。こういうのでいいんだよ。

 

「アンタ、学生かい?」

「は、はい! 高校に入ったばかりです!」

「ふぅん……それなのにこんな所にきて、お姉さんをナンパなんて、イケない子だねぇ」

「ご……ごめんなさい。でも……居ても立っても居られなくなって」

「私に一目惚れだって? ふふ、面白い坊やだこと」

 

 自分が優位にあると察した女王様は、幼気な男の子をからかうお姉さんポジションにシフトしていた。

 調子が出てきた女王様の獲物を見定める視線に、純情な少年を装うおれの演技も加速する。

 

「フー! フー! フー! フー!」

 

 それに伴って豚さんの鼻息も加速していた。豚さんの顔は真っ赤に染まっている。怒りかと思ったら、あれは興奮している男の紅潮具合だった。

 なんてことでしょう。敬愛している女王様を目の前でどこの馬の骨にNTRようとしているこの状況に、豚さんはこの上なく興奮していたのです。

 おれは偉大な先達に敬意を抱きつつも、自分の欲望を優先し、口説き落とすことに集中した。

 

「坊や、名前は?」

「三河千って言います!」

「ミカワセン……あぁ、アンタがあの……」

 

 名乗ると女王様は心当たりがあったのか、ひとりごちると、自己完結して頷いていた。おれは傾国の美少年として有名だから、川神に住んでいるならどこかで耳にしたことがあっても不思議じゃない。

 女王様は不敵で素敵な笑みを浮かべた。

 

「私の下僕になりたいんだって?」

「はい!」

 

 おれが食い気味に答えると、女王様は愉快そうに「フフッ」と短く笑った。

 

「師匠や辰より強い男は初めて見たよ。そんな男が自ら飼われたいと申し出てきた……壊れそうにない男も初めてだから、どうなるか楽しみだねぇ」

「こ、壊されちゃうんですか?」

「壊されたいのかい?」

 

 はい、ぜひ! ――そう即答するのを寸での所で堪える。どう答えたらよいかビビって返答に詰まったふりをした。たぶん、こっちの方が女王様の好みだろう。

 またしても気のよさそうに微笑んだ女王様は名刺を取り出すと、裏に何やら書き始めた。

 それをおれに手渡すと、おれの耳元で秘め事を話すように囁きかけた。

 

「明日の九時にそこに来な。仕事が終わったら、たっぷりかわいがってあげるよ」

 

 それはプライベートってことですよね!? おれは歓喜のあまり叫びそうになったが、首を縦に振る程度で収めた。

 やべえ、こんなに順調に事が運ぶなんて、おれ凄すぎない? イケメンって得だわー。

 

「ほら、行くよ。一人で盛ってないで、とっとと歩きな豚!」

「フゴッ!?」

 

 リードを引っ張られながら、豚のお散歩を再開する。おれはその凛々しい背中を見つめ、見えなくなってから手に持った名刺に視線を落とした。

 亜巳さんっていうのか……素敵な名前だ。

 おれは恋する乙女の如く、名刺を胸元で抱きしめて、熱に浮かされたため息をついた。

 憧れの女王様のお家にお呼ばれしちゃった……これは初体験のチャンスでは?

 三河千、十五歳。数多くの機会と誘惑にさらされながらも、童貞を貫き通してきたが、ついに……ついに色を知る歳か!

 こうしちゃいられない! おれは遠巻きに眺めていた野次馬を一睨みすると、明日の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 薬局で近藤さんを買ったおれは、明日持っていくSMグッズの選別を済ませた。

 買ったはいいものの、使う機会に恵まれなかった逸品たちが日の目を見ることに感慨深くなる。が、期待に胸が逸る一方、童貞喪失するという未知にそわそわして、もどかしくなり、落ち着かなかった。

 落ち着かないでいると考え事に耽る時間もできて、色々余計なことを思い浮かべてしまう。

 そもそも、おれは亜巳さんの家にお呼ばれしたけれど、付き合ってすらないし、いきなりそんなことするか、とか。

 仕事で色んな豚さんとプレイしてるプロが、こんなガキに本気になるわけないじゃん、遊ばれてるんちゃう、とか。

 冷静になった途端にネガティブになるが、亜巳さんのエロい肢体を思い出して悶々として、細かいことはいいからエッチしたいと再び性欲に流されるループを延々繰り返し。

 紆余曲折を経て、明日本番をするかもしれないのに抜くのはダメだという結論に至ったおれは、川神院に足を運んで精力的に汗を流していた。

 性欲を昇華させる腹積もりであった。

 

「シャッ! くたばれエロジジイオラァ!」

「邪念まみれじゃ戯け、エロガキがッ!」

「わー。千ったら気合い入ってるわ。あんなに気迫のこもった組手してるのいつ以来かしら」

 

 あくまで本気を出さない組手で、性欲を発散させようとジジイに相手してもらっていたが、さすがスケベジジイ。

 おれが性欲に突き動かされているのを見抜いていた。ま、姉さんではなくジジイに相手してもらっているのも、姉さんだと暴発するかもしれないからなのだが。

 その姉さんはというと、なぜかドヤ顔で胸を張っていた。

 

「フフフ、何かいいことでもあったんじゃないか。千はお姉ちゃんっ子だからな!」

 

 ……姉さんは、おれが稽古に精を出しているのは、昨日の屋上での出来事が原因だと勘違いしていた。

 なんだか可哀想になってきた。確かに、おれたちは姉弟の一線を越えることをしたけれども、おれからすれば無理やり襲われただけに過ぎず、半年前から続けてきた関係の延長から逸脱していなかった。

 何というか、姉さんからは一発ヤッただけで彼女面、彼氏面する連中と近しいものを感じる。

 同時に依存体質も。拒絶しても縋り付いてきて体の関係に持ち込もうとする辺りにどうも危ういというか、おっかないというか。

 

「お姉ちゃんっ子だとやる気になるの?」

「あぁ……ワン子にはちょっと早かったかな」

「? ? ?」

 

 得意げに語る姉さんにワン子は首を傾げた。早い、遅い関係なくその説明じゃ全くわからないよ、姉さん。

 ジジイの相手をしながら、姉さんとの関係について考えた。

 

「隙だらけじゃぞ」

「イテテテテッ!!!」

「目の前の相手に集中せんかバカ者」

 

 気を逸らしたところに関節を極められ、思考が途切れた。

 技をかけられながら説教を受ける。いや、でもジジイだって童貞を卒業する前の日はこんな感じだったろ?

 常に思い悩んでるくらいでいいんだよ、童貞はさ。

 

 

 

 

 

 

 翌日、満を持して家を出たおれは、亜巳さんの名刺に書かれていた住所に向かっていた。

 ……向かっていて、不穏な気配に気づく。どんどん中心街を外れて、工業地帯の方に進んでいる。

 人が少なくなり、おまけにガラも悪くなる。先行きが不安になるが、亜巳さんがSM嬢なことを思い出し、そんなものだろうと納得する。

 が、住所に近づけば近づくほどスモッグが酷くて視界が悪くなった。空気も体の弱い人には厳しいのでは、と思うほど汚い。

 なんだよこれ。十九世紀のロンドンかよ。段々と心細くなっていくが、おれは亜巳さんとエロいことができるという目の前にぶら下がった餌を求めて前進した。

 そして目的地につく。こじんまりというにはちょっとボロっちい一軒家だった。借家かな。

貫禄のある女王様な亜巳さんからは想像がつきにくい家だ。あの人なら金持ちの豚を垂らしこんで高級マンションに住んでそうだと勝手に思ってた。

 

「……」

 

 まあ、細かいことはいいんだよ。おれの性欲は些事など気にせず、亜巳さんとしっぽりくんずほぐれつになれれば、あとはどうでもいいと訴えていた。

 おれの理性も同意していた。彼らに背を押されたおれは、ドキドキしながらチャイムを探した。見当たらなかったので扉をノックした。

 ガンガン、と建付けの悪い音が響く。しばらく待ったが返事がなかった。寝ているのかな。

 おれがもう一度ノックすると、人が動く気配がした。おれは身構えた。あれ、この気、亜巳さんのじゃないぞ……?

 

「ンだよ、朝っぱらからうるせーな!」

 

 ――おれはフリーズした。

 粗雑に扉を開けて出てきたのは、タンクトップを着た筋骨隆々の大男だった。

 凄まじくガラが悪い。私は不良です、反社会的な人間ですと宣伝して回っているような男だった。

 何でこんな人が亜巳さんの家にいるの。

 緊張と思いがけない出来事に固まったおれをぎろりと一瞥し、大男は声を荒げた。

 

「なんだテメエは、アァ!?」

「あ、あの……亜巳さんに、今日ここに来いと呼ばれたものでして」

「ハア!? なんだってテメエなんぞ――」

 

 おれがしどろもどろに答えると、男は初め、難色を示して追い払う素振りを見せた。

 が、おれの顔をじっくりと眺め、視線が下に降り、舐めまわすようにゆっくりと再び顔に視線が戻ってくると、

 

 

 

「まぁ上がってけよ」

 

 にこやかにおれの肩を抱いて家に招き入れた。

 

 


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