え、おれにマジチンないの?
初体験を終えたおれは打ちひしがれていた。
AVやエロ漫画で予習バッチリなおれは、挿入できれば勝ち確だと思っていた。
自慢だが、おれのマイサンは雄々しくも美しい。こんなので突かれたらどうなっちゃうんだろうと持ち主であるおれでも思わず生唾を飲むほどの、惚れ惚れする芸術品だ。
挿れた瞬間、どんな女の子でも「んほぉ」と喘がざるを得ない……そう思っていたのに。
現実は上手く入らないし、強引に入れたら滅茶苦茶痛がられて、止むを得ず回復して痛みを消してから、落ち着くのを待って、やっとのことで初体験を済ませた。
行為に及ぶ前の昂りはどこへ行ったのだろう。ベッドを突き抜けて地の底まで沈みそうな意識の中で、ひとつの現実が突きつけられた。
おれは、セックスが下手だ。
「そ、その千くん。最初は痛かったけど、途中からはちゃんときもちよかったよ」
裸の千花はぎこちない様子でおれを労わってくれた。それがおれの自尊心をいたく傷つけた。
気を遣わせてしまっている。あんなに痛がっていた彼女に気を遣わせてしまっている……!
こんなに自分を不甲斐ないと思ったことはない。こんなことは二度とあってはならない!
おれは千花の肩を掴んで向き直り、彼女の目をまっすぐに見て言った。
「おれ、頑張るから! 千花が気持ちよくなれるように努力するから!」
「う、うん。その気持ちは凄く嬉しいけど……」
「だから千花もどこをどんな感じで刺激されたら良いのか教えて!」
「え?」
千花は怪訝そうな顔をした。
「えっと、待って。どういうこと?」
「たとえば、してる最中にもっとこうしてほしいって要望を出し合ったり、終わったあとに反省会をして、あのときはこうしてこうすればよかったって、改善点をお互いに指摘しよう。それを続けていけば必ず満足なエッチが出来るようになる」
「えー……」
千花は不満げだ。というより嫌そうだ。
「あの、普通にエッチするんじゃダメなの?」
「千花だって気持ちいい方がいいでしょ。それに初心者同士なんだし、スキルアップも兼ねて楽しみながらしようよ」
「……あたしの知ってるピロートークって、将棋の感想戦とかテストの答え合わせみたいな乾いたものじゃなくて、もっと愛があってしっとりとしてるんだけどなぁ」
千花はめんどくさそうだった。なぜ意見が割れるのだろう。
おれはただ、彼女に気持ちよくなってもらいたいだけなのに。
「本番中ずっと演技した徒労感に苛まれながらピロートークするより、一緒に気持ちよくなったあと、その余韻に包まれながらのピロートークの方がよくない? それにおれ、下手くそなのにセックス上手いと舞い上がる勘違い馬鹿になりたくない。それに男だけ気持ちいいのは不公平じゃん。オナニーじゃないんだから、女の子にも気持ちよくなってもらわないと」
「う~……しょうがないなぁ」
説得の末、千花も渋々と納得してくれた。
「でもさ、わたしはエッチが上手くなくても、好きな人に抱かれてるだけで女の子は満足すると思うんだけどなあ」
それは千花が若くて性欲が薄いからで、年を取ったらエッチ下手な旦那に失望して浮気したくなると思うんだ。
何より「あいつはセックスが下手」という噂を流されたりしたら溜まらない。それに自分本位な独りよがりのセックスはおれの流儀に反するのだ。
おれは千花が帰ったらセックス指南書やAVを買い漁ることを決意した。
●
「彼女が出来て、最初の休み明けの千の空気が変わってやがる……これは!」
「いや、そういう空気じゃなくない? 何か修行僧みたいになってるし」
月曜日、いつものメンバーで河川敷を歩いていると合流したガクトとモロがおれを見て言った。思い悩むあまり近寄りがたい空気を醸していたようだ。
「ピリピリしてるから話しかけられなかったんだけど、なに。もう喧嘩したの?」
「なんだなんだ、もう別れたのか?」
京と姉さんが嬉しそうに言う。先週はあんなにシリアスな感じになっておれを悩ませたのに、なんだこいつらは。
おれはため息をついてかぶりを振った。
「あなたたちには分からないでしょうね」
「なんだこいつ」
「なにその態度」
「大和、あれどう見る?」
「俺が童貞卒業したらお前らが子どもに見えてあんな態度を取る自信はある。だがあんなに思い悩まず晴れやかな心地になるはずだ。だから分からん」
ふっ……そうだろうな、この童貞と処女の集まりにはわからないさ。おれが、セックスが下手だから悩んでいるなんて。
恥ずかしいから精神的に、未経験ばかりだから技術的な面でもこいつらには打ち明けられないので、おれの心の憂いは晴れなかった。
「ヤったのか!? ヤっちまったのか千!? あのエロスの塊と!」
ガクトがおれを揺さぶって暑苦しい顔で問い詰める。
誰が誰とヤっただのヤってないだの、その程度のことでこんなにも必死になるとかなんて滑稽なんだろう。地球はこんなに広いのに。多馬川の水はこんなに澄んでいるのに。
どうしてこんなに小さいことにこだわるんだろう。そんなことを気にするより、もっと自分を磨くべきではないか。このおれのように。
「ハァ……」
「だからなんだその憐れむような面は!」
「やっぱり童貞卒業したようにしか見えないんだけど、なんか違う気もする」
「変人が世間一般的な行動を取っても、常人のそれに当てはめるの難しいからな。最近情緒不安定だったから尚更判断できない」
ガクト、モロ、大和の童貞三人衆はまだおれを計りかねていた。まあ……おまえらじゃわからないか。この領域の話は。
「千が、私の千が別の女と……? うぷっ――だめだ、吐きそう……!」
「モモ先輩、逆に考えるんだ。『私が素敵な初夜を迎えるための練習台になってくれてありがとう』と発想を逆転させるんだ」
「京、お前よくそんな発想できるな。私ちょっと引いたぞ」
姉さんと京の領域には足を踏み入れたくなかった。この人たちやべえな。性別が逆なら通報されてたぞ。
おれはおれの貞操が気になる変態な友人から目を背け、ワン子とキャップを見た。
ワン子は逆立ちしながら、キャップは寝ながら歩いていた。純粋な二人は多馬川や青空に負けず綺麗だと思った。
そう思えたのは、この二人以外が人の貞操に執着する醜態を晒していたからに違いない。
真面目な話をするなら、将来を見据えて努力しているのがこの二人だからかな。
このおれのようにな、ふふっ。
「どうすればエッチ上手くなるのか教えてください!」
「教師に訊くことか、それ?」
放課後、だらけ部でおれはヒゲに頭を下げた。ヒゲは困惑していた。おれはキレた。
「若いころ何股もしてたって言ってたじゃねえか! だからお願いしてるのに、なんだよ、あれは吹かしかよ!」
「落ち着け。あーアレか。初体験で失敗した口か?」
ヒゲが困ったような、それでいて口元が釣り上がったなまあたたかい表情で言う。
「よくあることさ。興奮し過ぎて挿入する前に誤射とかな。精神的にも肉体的にもまず慣れなきゃだめだぜ、そういうのは」
「早漏で悩んでるんじゃなくて、彼女が痛がって楽しめないから困ってるんだけど」
「いや向こうも経験ないなら当たり前でしょうが。焦らないでビギナー同士徐々に慣らしていきなさいよ」
「似たようなことをおれも彼女に言った。でもそれとは別に個人的にスキルアップしたいんだよ。ゴッドフィンガーって呼ばれたいんだよ! ほら、何かないの。房中術とか、女の子がおれの身体なしで生きていけなくなるテクニックとか、感度3000倍にする術とかさあ」
「それこそ学園長にでも聞けばいいだろ。高名な川神流なら、そっち方面も万全だろうに」
「身内にそんな恥ずかしいこと相談できるか! アンタだって息子から同じこと言われたら困るだろうが」
「あいつに限ってそれはないと思うがな。そもそも教師に相談するのだっておかしいだろ。堂々と不純異性交友をカミングアウトするな」
話が堂々巡りになり、熱くなった頭を冷やすべくしばし黙る。
何故か童貞卒業の話題になると、どいつもこいつも男が昂っていた前提で話すが、おれはエッチをしている最中、心の底からビビッていたのだ。
あれほど童貞を捨てたかったのに。
相手がどんな風に思っているのか、感じているのか不安で気が気でなかった。挿入する直前なんて、これからすばらしい体験をするという期待より、上手くできるか、失敗したらどうしようかと不安だったのだ。
美少女との初体験が死刑の階段を上がる心境で行われていたなんて、チンコの波動に支配された同年代には到底理解できないに違いない。
そう思って爛れた方面で経験豊富そうな大人に相談を持ち掛けたのに、これではおれの恥部を知られただけではないか。
苛立って畳を指で叩くおれをふっと笑ってヒゲが言う。
「まあ、そう焦るなよ。お前さん、あれだろ。昔から何でも最初から上手くこなせたり、すぐに上達してた人種だろ。そういう優等生が見えない小石に躓いて慌てふためいているだけさ、今の三河はな」
「はあ」
適当に相槌を打ったが、本当は何度も躓いたことがあるし、苦手なものもたくさんあった。
確かにたいていのことは人並み以上にこなせたけど、それで誇るより苦手意識のほうが心を占める割合は多いというのに。
おれの内面など知る由もないヒゲはニヒルな笑みを向けてくる。
「まずは人聞きの情報に頼らず、恋愛を楽しんでみろ。初めての彼女だろ? 飾らない自分で接して、男女のやりとりを覚えるところから始めてみるんだな。手痛い目にあっても、一度女に受け入れてもらえた自信は大きな糧になる。
肩の力抜いて、もっと気軽に、ありのままで彼女と触れ合うところからスタートするのがいいと、おじさんは思うがね」
話半分に聞いていたが、どうしても看過できないところがあっておれは反駁した。
「でも、本当の自分、ありのままの自分なんて他人に受け入れてもらえるわけがない。おれはわかってるんだよ。みんな口では素顔の君が好きと言って、みんな心では素の自分を好きと言ってもらいたいけど、ありのままの自分を曝け出すとドン引きするんだ」
「分かってるなら上辺を磨いとけよ」
「分かってるからとりあえずテクニックを磨いて、性癖を打ち明けても受け入れてもらえるくらいベッドで優位に立てるようが頑張ってるんだよ!」
「訂正。お前は先に内面を磨いておくべきだな」
ほらね、ありのままの自分なんて受け入れられないでしょう?
ささくれだったおれは梅先生とヒゲが結ばれない呪いを心の中でかけ、肩をいからせて退出した。
●
家に帰るとリビングで姉さんと京が寛いでいた。
「やっほ」
「お邪魔してるぞ」
「帰れ」
イライラしていたおれは当然のようにソファでふんぞり返っている二人にそう吐き捨てた。
「幼馴染と義理の姉にそういうこと言う?」
「育て方が悪かったせいだな。ジジイ最低だな。あ、宅配便来てたから受け取っておいたぞ」
おれは無言で段ボールを開けると、Blu-rayの包装を解き、再生機器に入れると、二人を押しのけてソファに座った。
再生が始まると、有名な男優が長々と持論を語りだした。いつもはインタビューも飛ばすのだが、今回は傾聴し一挙手一投足も見逃さないつもりで視聴する。
「なぜこの男は家に帰るなりAVを見始めたのだろうか」
「美少女が二人も一人暮らしの男の部屋にいるのに、見向きもせずAV見るか、ふつう」
外野がうるさい。無視してAVに集中する。
「どうする。見入ってるぞこいつ」
「溜まってるのかな。しょうがないにゃあ」
画面に注視するおれの耳元に京が顔を寄せ囁く。
「それオカズにしてオナニーしなよ。イくところ見てあげるから」
「え!?」
予想に反して魅力的な提案を囁かれて、おれは思わず振り向いてしまった。そこには鼻で笑う京と呆れた顔の姉さんがいた。
「ほら、こういう男なんですよこやつは」
「お前……そういうのが好きなのか。ちょっと予想外だったぞ今のは」
おれは舌打ちして画面に向き直った。視界の端でにやつく京の顔がどうしても目に入る。
「興味ないふりなんてしないで、早く出して扱いてみなよ。見られて興奮する変態のくせに」
「ひとりで出来るか、お姉ちゃんが見ててあげるぞ。ほら、パンツ脱ぎ脱ぎしましょうねー」
「よーし、ゲームでもするかぁ! ケーキとお茶の準備のしてくるから少しだけ待っててね!」
挟まれてしまい、このままだとオセロのようにひっくり返ってしまいそうだったので立ち上がって笑顔を振りまく。
ちくしょう、性別が逆だったら通報できたのに。そもそも彼女持ちになんてことをやりやがるこの痴女共め。
「いいけど、桃鉄とか運の要素が多いのにしてね。千とゲーム対戦するのつまらないから」
「ロボットと対戦してるみたいだもんな。プレイしてるのを観る分には面白いが、一緒にゲームしたくないよな」
「本当に血が通ってるのか疑わしいキモい動きするしね」
なぜおれは身内にまでここまで貶されなければいけないのだろうか。
振ったからか。その仕返しにしてもやり口が汚すぎるでしょう。
今日のおれは酷く傷ついたので千花と夜、長電話をして週末デートする約束をした。
それで気づいたことが三つある。
ひとつは、彼女とのデートがあると思うと、約束の日までの平日も楽しみに思えること。
もうひとつは、いつでも話せると分かっているのに、彼女とのそれだと電話を切るのが名残惜しくて中々できないこと。
そして、幾ら名残惜しくても、明日も電話をする約束をして「またね」と言うのは、不思議と心地よいものだ。