真剣で恋について語りなさい   作:コモド

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姉、ちゃんとしろよ

 

 夢の中で見覚えのないスキンヘッドの学生がおれを見ていた。

 夢だと分かったのは、変態の橋のど真ん中でおれとスキンヘッドの学生――めんどいからハゲでいいや――が対峙しているという、現実的なんだか非現実なんだかよく分からない光景を客観視しているおれがいたからだ。

 ハゲは肉体的にそこそこ鍛えてはいるが、学生の域を超えてはおらず、おれから見れば赤子もいいところ……なのに、おれは手を出せずにいた。

 夢の中のおれは相対しているだけで滝のような汗を掻き、精神を足元から切り刻まれているかのような感覚を味わわされている。

 これほどのプレッシャーはジジイや姉さん相手でも感じたことがない。これほどの剛の者が川神にいたか? いや、ない。

 いったい、こいつは、何者……?

 

「ふん、雑魚が……」

「!?」

 

 ハゲはおれを鼻で笑うと、悍ましい形相で言った。まるで天上から愚民を見下しているかの如き物言いだった。

 ハゲは人治主義国家で暴君に恐れおののきながら生きる民を見るような目でおれを見る。

 

「あわれな奴だ……まだ世間体を気にしているとは」

「なんだと!?」

「俺は自分を偽ることをやめたんだ……」

 

 ハゲは悟りきった声でそう言うと、念仏を唱えるときにやる祈りの所作をした。

 ハゲから後光が差し、迸る穢れ切った白い光が世界を覆い尽くす。

 

「くっ……!」

「誰もがはじめは自分をノーマルだと思う……」

 

 ハゲはそう呟くと同時に結跏趺坐(座禅の座り方)の態で宙に浮いた。すると、光の中から蓮の花が咲き、ハゲは神々しく巨大な蓮の上に座しておれを諭した。

 

「しかし、裏を返せば、ノーマルであることは性について初心者であると告白するも同義。女の人の裸を見て、なぜおちんちんが固くなるのか分かっていないお子様から何一つ進歩していないと打ち明けたに等しい。

 そもそも、人は平等ではない。十人いれば異性の好みからオカズの媒体、竿の扱き方に至るまでちがって当たり前。歩んできた人生がそこに如実に現れ、結集しているものだ。

そう、性においても人は進化する――」

 

 ――まさか、このハゲは神なのでは?

 圧倒的なオーラに呑まれ、打ちのめされるおれに神は言った。

 

「潔癖な処女厨が、好きなヒロインが薄汚いおっさんに犯されたショックでNTRに目覚めるように……

 可愛いと思ったヒロインが実は男で、ショックを受けるどころか男の娘に目覚め、いつしかショタでも抜けるようになり、気づけばバイになっていたように……

 普通のオナニーで満足できなくなり、アナニーに挑戦して前立腺を開発すると、ドライオーガズムでしか満足できない体質になってしまうように……

 己の性的嗜好を自覚し、それを極めてようやく半人前。それを昇華して、人はやっと一流になれる――」

 

 神はゆっくりと瞳を開けて、この上なく優しい目でおれを見た。

 

「業を背負いし者よ。世間に媚びへつらうのをやめよ。ありのままの自分になれ。

 そして世界に向けて叫ぶのだ。自分の性癖を――」

「えー。おれはハゲのお前とちがってモテるから、世間体捨てるメリットなくね?」

「……」

 

 そのひとことで神は魔王になった。半狂乱になった魔王は、これでも昔はモテていたこと、寝てるあいだに幼馴染に毛根を死滅させられたこと、それがきっかけとなり開き直ってロリコンをカミングアウトしたことを体育座りで愚痴り、おれは隣に腰を下ろし、その肩を叩いて励ました。

 

「まー、ロリコンを隠す必要がなくなって返ってスッキリしたけどな」

「その頭みたいに?」

「こやつめ。ハハハ」

 

 おれと魔王は打ち解けた。魔王はロリコンであることを明かし、おれはドMであることを素直に話した。

 おれと魔王は橋の上で世界が暮れ色に染まるまで語り明かした。

 夢の中とはいえ、充実した時間だった。変態の橋に現れる人物は、彼のような些細な子出来事でタガが外れてしまった被害者なのかもしれない。

 世界が夜闇に染まるにつれて意識が現実に引っ張られるのを感じ、物寂しい感慨に浸りながら。

そういえば、ハゲの名前、聞きそびれたな……と、おれは心友を思った。

 

 

 

 

 

「夢、か。夢の世界の住人にしておくには惜しいヤツだったな……」

 

 うたた寝から醒める。周りを見渡すと自分の部屋だった。どうやら小説を読んでいる途中で寝てしまったようだ。

 強烈な印象を残した夢だったが、細部はすでに曖昧な記憶となっていて断片的にしか思い出せない。

 だけど、あのハゲとは仲良くなれそうな気がした。あれもまた、カルマを背負いながら、おれとは異なる道を歩んだ者……ロリコンの性犯罪者予備軍として人に後ろ指を指され、愛する幼女には触れようとするたびに防犯ブザーを鳴らされる宿命を義務づけられた男だ。

 似たカルマの持ち主として同情せずにいられない。

 現実で会ったら警察に通報してやろう。

 

 仰向けで寝転んだ胸元に開いた小説が重ねてあったので、読みかけのページに栞を挟んで畳に置き、携帯で時計を確認すると、ワン子との勉強会の時間になろうとしていた。

 起き上がるとあくびをして、のそのそと準備をする。ワン子の学習用に自作した、問題集と要点・解説をまとめたプリントやノートをちゃぶ台に置くと、お茶と甘味を用意して正座しながらワン子の到着を待った。

 

 ……待ち惚けているあいだの長閑な静寂に、クビキリギスの鳴き声がわびしく初夏の訪れを告げていた。

 学校は部活に励んでいるものは総体に向けて慌ただしく動き、そうでなくても受験勉強が本格化しだし、教師も生徒も騒がしくて煩わしい。

 川神院はいつも通り、修行僧の熱気と血気と元気とやる気が充溢していて鬱陶しい。

 こうして時折物思いに耽ると、集団行動に向かない自分が恨めしくなる。運動系の部活レベルでは、おれや姉さんのような存在は返って邪魔になるだろうし、部活の指導レベル程度で得られるものも少ないだろう。

 思うに、部活の存在意義は、集団が協力して目標に向かい努力することによって得られる、友情やら絆やら連帯感などと呼ばれるイデオロギーで人を縛ることなのだ。みんな頑張っている、みんなもやっている、みんな我慢しているのに……お前はやらないの?

 この意識が刷り込まれることによって社会に出て辛い場面に直面しても折れない精神が出来上がる。ハードなスケジュールにもめげないし、上からの無茶ぶりにも周りが同じことをやっているのだから、とやり遂げることができるのだ。

 レギュラーを目指すなどして競争を勝ち抜く向上心もここで磨かれる。

 

 上記の意識がおれには著しく欠落していた。

 きっと川神院でも、それらを学ぶことができるのだろう。川神院は人間性を磨くステップアップの場として、経歴に箔をつけるなどの理由で修行に来る者も多い。彼らの優秀さは輩出したOBでも保証済みだ。

では、なぜ長く川神院に預けられているおれにそれが身につかないのかと言えば、天才だから。このひとことに尽きる。

 ここから先は何を語っても嫌味にしかならないと思うから仔細は省くが、結局、凡人に天才の心は分からないし、凡人の心も天才には分からないのだ。

 おれと姉さんと釈迦堂さんの共通点は、武道の天賦自然の才が備わっていたことだが、お互いのことなんてこれぽっちも理解していなかった。それでも惹かれあったのは才能があったからだ。

 もっともこれは武道のみの、極めて感覚的な話で、人間性の理解者なら風間ファミリーにいる。姉さんはおれの武道における理解者だが、人間性は理解できていない。一方で京や大和はおれと武道の話になってもさっぱり話が合わないだろうが、人間性は理解と共感ができている。

 ……人が努力する意味をワン子で知れたのも大きかった。ガクトやモロで俗っぽい価値観が得られたし、ジジイが風間ファミリーとの付き合いを大事にしろ、と口を酸っぱくして言った意味もようやく分かってきた。これだけでもキャップには感謝だ。武道家としては大きくマイナスだろうが。

 

 ま、あれこれ考えたところで栓無きこと。今は初夏の訪れを肌で感じて安らごう。

 日本は山と田園、そして季節の虫の鳴き声はどこでも在るのがいいね。こうして故郷を思い出せる。故郷で過ごした時間より、川神で過ごした時間の方が長いけど、まあ生まれた土地の補正ってのは変えようがないんだろうなぁ。

 

「千、入るわよー」

「あ、はい」

 

 ワン子の声が障子越しに聞こえたので立ち上がって迎えにいった。開けさせる手間をかけさせられない。

 

「今日は遅かったね」

「あはは……うん」

 

 時間が思いのほか経っていたため、嫌味ではないが挨拶代わりに言うとワン子は歯切れ悪く返事をした。

 疑問に思う暇もなく、ワン子の背後に女性にしては高い背丈と人間にしてはデカすぎる気の圧力を感じて目を向けると、姉さんがいた。姉さんはおれと目が合うと、無理のある声で舌をちろりと出して、

 

「来ちゃった♪」

 

 と言った。おれはワン子を部屋に入れるとすぐさま障子をピシャリと閉めた。

 

「来ちゃった、ニャーンッ!」

 

 障子が壊れんばかりの勢いでオープンザドアした姉さんが悪鬼羅刹の如きオーラでおれを威圧したが、おれは怯むことなく睨み返した。

 

「帰れよ」

「断る」

「せ、千、お姉様はアタシたちが勉強に集中してるか監督してくれるんだって」

「は?」

 

 一触即発の空気に間に割って入ったワン子だが、その仲裁の言葉におれはますますカチンときた。

 

「ワン子、姉さんがいて勉強に集中できるか?」

「え? で、できるわよ」

「なら、姉さんが勉強の邪魔をしないと断言できるか?」

「それは……」

 

 ワン子は閉口した。普段の姉さんを見ていて、勉強に集中だとか片腹大激痛ベルリンの壁崩壊クラスの冗談としか思えない。

 追い返す気満々のおれに姉さんが口を尖らせて言う。

 

「おーい、そんなこと言うなよー。誓って邪魔したりしないさ。ただ姉として不安になってな。来年、ワン子が川神学園に入学できるか……勉強会と言いながら遊び呆けてたりしていないか。千はちゃんとワン子に勉強を教えられているのか。普段どんな感じで勉強してるのかこの目で見れば安心できるだろ?

 もしダメだと思うところがあれば口出しさせてもらうし、何も問題なければ千を信頼して帰るから、な? いいだろ?」

 

 嘘つけ。おれがワン子との勉強会のあとでオナニーしてるから気になって堂々と覗きアンド釘差しにきただけだろ。

 おれは言い返そうとしたが、ワン子がいるために口に出すことができず、歯噛みした。

 

「お姉様は心配してくれているのよ。だからここでマジメに勉強してるところを見せて、安心させてあげたいの」

「……邪魔したらソッコーで追い出してやる」

「そんなことしないニャーン。私は隅っこで漫画読んでるからがんばれよー」

 

 ごろんとはしたなく寝っ転がった姉さんは、公言通り秘密基地から持ってきたと思われる漫画を読み始めた。ああ、追い出したい。

 

「じゃあ始めましょうか、千」

「うん」

 

 いつも通り、おれが座るのを確認したワン子が、ストンと膝の上に腰を下ろす。と、

 

「はいアウトーッ! そんないやらしい恰好で勉強に集中なんてできませーん!」

 

 起き上がった姉さんがイエローカードを提示して、ワン子を引きはがした。

 

「え? え?」

「邪魔すんなって言っただろうがっ!」

 

 引きはがされたワン子は困惑して周りをキョロキョロし、初っ端から邪魔されたおれはキレて姉さんに食って掛かった。

 

「邪魔っていやらしいことの邪魔ってことかっ? そうだよなーこんなことしながら勉強教えてたらムラムラするよなー。どうしても女の子を膝に乗せたいなら私を乗せろよー、乗ーせーろーよー!」

「あー、うっさいなぁ! 構って欲しいならあとで相手してやるから、今は口出さずおとなしくしてろ!」

「構うって、このやろ、お姉ちゃんをペット扱いしたなー!」

「にゃーにゃーうるさい駄猫だにゃ。猫草と爪とぎプレゼントしてやるから、毛玉でも吐いてろにゃ」

 

 姉さんの血管が切れる音がした。おれは涙目で怯えているワン子を退避させてから、久しぶりの喧嘩にドキドキしていた。

 このあと滅茶苦茶殴り合いした。おれはかなりボコられた。

 ちょっと気持ちよかった。

 

 

 

 

 

 

 部屋のなかを飛び出して中庭で大喧嘩したあと、姉さんがジジイに説教されているあいだ、おれは部屋で謹慎を命じられたので片づけを済ませてから瞑想で気を静めていた。

 おれは腹が立っていた。股間が、ではない。ムシャクシャしていた。無性に腹が立っていた。

 あの傍若無人さがダイナマイトでエロスな姉さんに滅茶苦茶腹が立っていた。腹がいきり立っていた。

 この猛りを鎮めるにはどうすればいい。怒りのオナニーで気を落ち着かせようか。

 思案した末、かわいかった昔日の姉さんを思い出して溜飲を下げることにした。

 

 

 

 

 

 ……姉さんは会ったばかりのころから、しきりにおれを独占したがった。

 川神院に来た当初のおれは、素直で、明るく、可憐な、特異な出自ゆえに親元から引き離れたかわいそうな少年だった。これは自惚れでも何でもなく、川神院の大多数がこぼしていた評価をまとめたものであるから、客観的な事実である。

 人に命じられる新鮮さに嬉々として働いていたのが素直に、田舎から都会に出て真新しいものに眼を輝かせていたのが明るく、整った美しい目鼻立ちが可憐という印象を残したのだろう。

 そんな年端もいかない子供が自分たちと同じ稽古をこなしながら、雑用も一生懸命やっていたら、大人たちはどう思うだろうか?

 おれは気味が悪いと思うが、兄弟子はかわいくて仕方なかったらしく、いらないと言っているのにたいそう面倒を見てくれた。隣にいる川神百代という我が儘が擬人化したような存在が比較対象になったのも少なからずあるだろう。

 

 この姉さんがほかの兄弟子をやたらと煙たがった。稽古の合間に兄弟子がおれに話しかけたり、おれが教えを請うたりすると割って入って、自分のものだと主張した。

 川神院の修行僧は大人だから、嫉妬する幼い姉さんをかわいいものだとあたたかく見守ってくれたが、同年代相手でもこの独占欲は翳ることがなかった。

 鍛錬疲れで寝てばかりいた小学校時代でも鮮明に覚えている。放課後にクラスの女子に呼び出され、瞼をこすりながら足を運んだ先で、照れた様子の彼女に告白された。どうしようかと返事を考えていると、いつの間にか背後に現れた姉さんが、おれをその子から阻むようにして仁王立ちして言った。

 

『お前、私から千を取ろうとしてるのか?』

 

 そう難詰された女子は、しどろもどろになって何か言い返していたが、姉さんに睨まれると泣きながら去っていった。

 こういうことが何度も繰り返されるうちに、おれの小学校生活はとても静かになった。

 大和の話を聞いているとずいぶんと世紀末な小学校で、いじめられるのが当たり前みたいな状況のクソの掃きだめみたいなところだったから、おれは姉さんのおかげで風間ファミリー以外と関わり合いにならずに済んで感謝しているが、中学でも似たようなことをやらかしている。

 おれはこれを動物が縄張りを荒らされないように威嚇するのと同じ行為だと認識していた。実際、おれは小便をかけられたことがある。

 

 

 

 幼いころの出来事として、お風呂事件があった。

 姉さんは弟ができたらやってみたかったことを一通りおれで試した。添い寝だったり、オママゴトだったり、背丈を競ったり、そういった微笑ましいものの一つにお風呂があった。

 姉さんはおれに背中を流すように命じ、おれは姉さんが心地よいと感じる強さを探求しつつ、毎日懸命に奉仕した。

 それに気をよくした姉さんはある日、『今日は私がきれいにしてやる』と言い出した。

 気まぐれに一抹の不安を覚えつつ、姉さんのされるがままになるおれ。従順なおれにさらに機嫌を良くした姉さんは、『前も洗ってやろう』と言った。

 

 そこで曝け出されるのは、男女のちがいを明確に表す、股間のゾウさんである。

 姉さんは上から隈なく洗っていき、その先でショタちんを見つけると、おれに気をつけの姿勢でいることを命じ、中腰でガン見した。

 

『おかしい。じじいのとカタチがちがうぞ……?』

 

 包皮付きのショタちんとジジイのジジちんを一緒くたにされても困るが、姉さんは疑問に思ったらしく、首を捻ったり、手で触ったりして長い時間注視した。

 そうやって弄るうち、皮を引っ張ると形が変わることに気づいた姉さんは、

 

『えい』

 

 と、躊躇なく、思いっきり、おれの皮を剥いた。そうして悲劇が起きた。

 

『ぴぎゃあああああっ!!!!』

 

 おれは体験したことのない激痛に泣き叫んだ。包皮と亀頭の癒着がベリベリと剥がされ、むき出しの陰部が外気に晒される痛みは、修行の痛みとは比にならないほど痛かった。

 しかし、おれが痛みに泣き叫んでいるのをおかまいなしに、姉さんはじーっと股間を凝視して、

 

『うわ、なんだこれ、きたないな。ここもきれいにしてやるか』

 

 溜まっていた垢――チンカスを見かねて、シャワーを最大にしておれの股間にあてがった。

 

『○△◇□●◆~!!!?????』

『よし、とれた! あとはせっけんでゴシゴシして……』

 

 追加で刺激性の強いメントール入りのボディソープで力をこめて丹念に洗う畜生行為までやらかしてくれた。

 おれは絶叫したが、姉さんはうるさいのひとことで済ました。

 後に騒ぎを聞きつけたジジイが姉さんを叱りつけたが、その内容が、

 

『バカもん! そこは男のデリケートゾーンなんじゃ! モモも女なら金時様には優しくすることを覚えなきゃダメじゃぞ!』

 

 と見当違いの説教だったので、おれはこのとき始めて偉大な武道家・川神鉄心に不信感を懐いた。

 よくジジイは、モモが儂を敬わないから千も真似をした、というが、これは日々のエロジジイ発言の積み重ねで培われたものである。

 これ以後、おれと姉さんが一緒に風呂に入ることを禁止された。正直、このできごとは思い出すと興奮はするのだが、痛みと恐怖もセットでよみがえるので抜けない。いや、マジで無理。これと爪の痛みで興奮するのはどんなマゾでも無理。

 

 

 

 

 

 中学時代になると、姉さんも色気づき、性についての知識が身についていた。

 思春期を迎えてからの姉さんはそれまでの暴君ぶりがなりを潜め、おれに対し気遣いやら甘えるといった異性を意識した行動が見られるようになり、肉体もけしからん成長をしておれを惑わせた。

 この変化を大和や京、ガクトにモロは恋だと言っていたが、おれは獲物を騙して捕食するためだと思っていた。キャップも同じことを思っていた。ワン子は気づいていなかった。

 基本的に姉さんは可愛い女の子も大好きで、たびたび京を食べようとするが、妹のワン子に性的な興味を持つことはなく、おれも対象外だと思っていた。

 性的な目で見られると妙な気分になり、変化の記憶を頼りに色々と考察してみたが、たぶん、中学生になって視野が広まり、色んな男を見たがおれより上の男がいなかったんじゃなかろうか。

 おれはそう結論付けた。それはどうでもいいが、このころの姉さんの行いは目に余るものがある。

 

 たとえば、AVの話だ。

 姉さんはエロいのを公言している。AVだって見ちゃうエロエロな女をアピールしている。

 そんなエロ女は、深夜におれを自室に呼び出すと、AV鑑賞をしようと言い出した。

 

『千はどんなジャンルが好きなんだ? 気になるのから観ていいぞ』

 

 そういって姉さんが出したAVは全部姉ものだった。おれは恣意的なものを感じたが、適当に選んで無感情で観続けた。

 姉さんはその間、ぴたりと横に張り付き、時折おれの股間に視線を注いだ。おれは勃起していなかった。

 AV女優の喘ぎ声が響くなか、姉さんは思い出したように質問してきた。

 

『この女優かわいいな』

『整形して豊胸もしてるね』

『お前いちいちそんなこと気にすんなよ』

 

 おれと姉さんは徹夜して観続けたが、結局おれが勃起することはなく、姉さんは悔しそうにしていた。

 またある日、姉さんは言った。

 

『千……おねショタってどう思う?』

『なにそれ?』

 

 部屋にやってきて早々に姉さんがおれに差し出したのは、おねショタのエロ漫画だった。

 

『千、おねショタはいいぞ。なにせ姉ちゃんはかわいいし、ショタもかわいい。汚い男がいない優しい世界だ。きっと千も気に入るはずだ』

 

 なに言ってんだこの姉は。姉さんはモロ辺りから集めてもらったと思しき大量のおねショタもののエロ漫画をおれの部屋に置いて行った。

 おれは大半が興奮できなかったが、中に姉がショタを縛って無理やり筆下ろしするものがあって、それだけは使えた。

 

 

 

 

 

 

 ……振り返るとロクな思い出がないことに絶望した。

 現在進行形でオナニー監視やオカズの強制までされているし、おれと姉さんっていったい何なのだろう。

 いっそのこと射精管理してくれないのか。それは恥ずかしいから無理なのだろうか。

 瞑想したら怒りは収まったが、また微妙な気分に落ちた。なぜ人は分かり合えないのか……みんな、夕焼けの河原で殴り合えば分かり合える生き物ならよかったのに。

 

「千、入るぞ?」

 

 欝々としていると姉さんの声がした。促すと静々と障子が空いて、気落ちした表情の姉さんが入ってきた。

 珍しいものを見られて驚いているおれに姉さんは頭を下げた。

 

「さっきはすまなかった。ちょっと不安になってて……」

「次からは邪魔しないでね」

「ああ……」

 

 棘のある声色で言うと、ますます落ち込んで、しょんぼりとしだした。

 辛辣な言葉に手が出てこない姉さんに違和感バリバリのおれの顔色をうかがいながら、姉さんは逡巡して、おっかなびっくりと、

 

「その、なんだ。千は、ワン子が好きなのか?」

「……好きだけど、姉さんが思ってるものとはちがうよ」

「そ、そうか」

 

 望んでいる答えだったのか、少し顔を綻ばせる。それで緊張が解けたのか、きわどい発言を投げ込んできた。

 

「お前、私に知られてるのにためらいなく抜くようになったな」

「どうせ気配を消しても、それで悟られるから無意味だしね」

 

 ずっと気配を消すのも億劫だし、姉さんに疑似露出プレイしていると考えれば、わりかし興奮できた。

 だから隠すこともせずに堂々と言うと、姉さんは顔を赤らめてもじもじとして、

 

「あー、千。その、だな」

「?」

「今まで黙ってたが、お前がしてるのと合わせて、私もしてたぞ……オナニー」

 

 ……は?

 

「私だけ知ってるのもフェアじゃないと思ったんだ。……それだけだ、じゃな」

 

 気恥ずかしくなったのか、そそくさと姉さんは退室した。

 ……不覚にも今のはちょっとドキンとした。ドキンとしたが……

 

「なんかちがうくね?」

 

 いま言うことか、それ?

 あまりにかみ合わないおれと姉さんの歯車に、歯痒く全身がむず痒かった。

 


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