結果、ラブライブ本戦に出場するグループはμ'sとなった。
μ'sは今まで以上に注目を集め、ファンサイトや観客席を見ても一層華やかである。
華やかさとは裏腹に黒い靄が以前にも増して濃くなる。
目を背けたくなるがいずれ邂逅する日が来るのだろう。
☆
ラブライブ予選を終えて年末年始を迎えようとしていたが、本戦に向けて怠惰に過ごす訳にもいかない。冬休みの予定は練習メニューで詰まっていた。
走り込みを終え、準備運動の最中だった。
「う、海未ちゃん。冬休みなのに毎日が練習日な上に、練習メニューも前に増して多くないかな?」
そんな不安を零したのは花陽だった。普段、花陽は主張が少ないだけに意外である。が、ここは許容してはならない。
「本戦を終えるまで気を抜けません。予選はあくまで前哨戦みたいなものです。ここからが本番なのですよ?妥協は許されません。」
「うぅ、きついにゃー…」
「何か?」
「な…何でもないにゃ」
気を引き締めなければならない筈がどうも緩んでいる気がする。いくら私が積極的であっても肝心のグループ全体が消極的では困る。
「海未ちゃん、凛ちゃんと花陽ちゃんの言う通り休養も必要やで。」
「希の言う通りね。貴女、気づいてないだろうけど最近、少し変よ。」
「希に真姫まで口答えするのですか。」
すると、二人はぶるっと震えたように後退する。
「…どうしたのですか?」
背後から絵里が私の肩を掴む。
「海未、貴女とても怖い顔をしてるわよ。本戦前で緊張するのも分かるけど、過度な練習は士気を下げるだけよ。」
「それは…っ」
「焦燥に駆られる必要はないわ。もう少し肩の力を抜いても良いんじゃないかしら。」
ああ、真っ当な意見だ。非の打ち所がない程に正当だ。グループ全体の士気を下げるのは私とて本意ではない。
だが、妙な気の焦りがあるのだろう。怖い顔、と絵里は言っていたが、そのせいかもしれない。
―――刹那。
再び黒い靄が視界に入る。靄は蛇のように私の身体に絡み付いてくる。
「……っっ!」
思わず口元を抑える。首元に刃を向けられているような感覚に陥る。
「ちょっと海未!しっかりしなさい!海未⁉︎」
「ちょっ、一体どうしたってのよ!」
皆んなが駆け寄ってくる。だが、靄に対する恐怖のあまり、私は無意識に皆んなの手を払い除けた。
「触るなっ!」
声が怒号のように響く。後に残ったのは静寂とメンバーの怯えきった表情だ。
「……ぁ…。」
故意に傷つけたわけではないが、言い様のない罪悪感に苛まれる。
「……すみません。」
その場に居るのが辛くて、気づけば逃げ出していた。
☆
海未が去った後、暫く沈黙が続いていた。
遠くから烏の鳴き声が聞こえてくる。雲行きが怪しくなる。
「どうしたんだろ?海未ちゃん……。」
「分からないわね。」
「まぁでもラブライブ予選終わったあたりからおかしかったやん?」
「そうね…。鬼の形相って言うとオーバーかもしれないけど、それに近い感じではあったわね。」
メンバー達は俯いたまま、顔を上げようとしない。
「えりちはどう思うん?」
希は、暫く沈黙を保っていた絵里に話を振る。他のメンバーも絵里に視線を向ける。海未が居ないこの場において、責任感と統率力を備えているのは絵里である。それ故か、メンバーも絵里への期待が厚い。
「海未は聡明な子だから、きっと理由があるのは間違いないわ。ただ、現状では理由を知る術がない。精神が不安定な状態では問い質すのは難しいだろうしね。」
「海未ちゃんは精神不安定にゃ?」
「ここ最近の態度とさっきの言動みれば一目瞭然でしょ。まぁ、絵里の言う通りね。」
「……そういえば。」
ふと思い出したように真姫が話を進める。全員の視線は真姫に集まる。
「ここ最近、海未の顔色悪くないかしら?」
「そうかな?」
「怖い顔してるけどそんなことは…。」
真姫以外のメンバーの反応が鈍い。
「考えすぎだったかしら?」
「そんなこともないんじゃないかしら?私も気付かなかったけど、真姫はお医者さんの娘だからね。体調面の些細な変化には敏感なんだと思うわ。真姫の意見を聞きたい。」
絵里は真姫に説明するよう促す。他のメンバーも同意なのか、真姫に注目する。
真姫はメンバー達から目を逸らし嘆息する。
「まぁ、本当のところあまり言いたくはないんだけどね。」
ただ、と付け足し、メンバー達の方に向き直る。
「言わなければならないわね。」
「ええ、お願い。」
「海未ちゃんはどうなんや?」
「率直に言うとね、病を抱えている可能性が高い。」
万物を氷結させるような冷たい風が吹く。
「海未ちゃんが病気……?」
「ええ。憶測でしかないけど、幼い頃からパパが勤める病院で病人の顔は何人も見てきた。だからほぼほぼ間違いはない。」
「嘘…でしょ」
「本当よ。付け加えるとね、穂乃果と同じ顔していた。」
「ちょっと待って」
静止したのは絵里だった。
「貴女はもしかして穂乃果の病気のことも、いち早く気づいていたんじゃないの?」
その問いに真姫は躊躇いなく「ええ」と答える。
真姫の答えに絵里は真姫に詰め寄る。
「どうして言わなかったのよ!貴女は病気だっていち早く気づいていたのに…!教えてくれさえすれば穂乃果は今頃!」
「え、絵里ちゃん落ち着いて!」
「やめるんや、えりち!穂乃果ちゃんは自分でスクールアイドルの道を選んだんや!生きる道を捨てて!えりちだって分かってるはずやろ!」
「それ……は…」
絵里は歯を食い縛る。握る拳は震えていた。
絵里に責められた真姫は激怒するでも詰るのでもなく、憂うように彼女を見つめていた。
「穂乃果はスクールアイドルの道を続けることを選んだけど、海未はどうかしらね。」
その問いに答える者はいなかった。その場にいる誰も選ぶ権利はない。選べるのは園田海未ただ一人である。
☆
一体この靄の正体は何なのだろう。お前は誰だ、と何度問うても、靄は言葉を発さない。
蝕むように私の身体を覆う。
「まったく厄介なことになりましたね。」
他の誰も見えていない。私だけが見えている。つまりは私が幻覚を見ているという解釈に成り得る。
だが、幻覚にしては妙にリアリティがあり、目を逸らそうとしても背くことができない。きっと何かの報せであり予兆なのだろう。
「今日は取りあえず帰宅して休みますかね。」
今日のところは練習を続けても無意味だ。先程の私の言動により、場の空気を悪くした。私としても彼女の立場からしても今日は解散するのが最適だろう。
「皆さんには明日、謝りましょう。」
そう決意し、起立しようとした時だった。膝が崩れ落ちる。
「……なっ…」
脚に力を入れるが、上手く立ち上がれない。石像のように重たい。
「どうなっているのですか…。」
いざ、立ち上がることはできても上手く歩けない。同時に胸に何かがせり上がってくる。
「ゴホッゴホッ」
せり上がったものは咳となる。直様、口元を手で押さえる。
するとヌメリと液体の感触がする。その正体を知るべく、恐る恐る掌に視線を向ける。
掌は鮮紅色に染まっていた。
「………血?」
動揺を隠せず、体中から発汗する。
再度、黒い靄が揺らめく。靄は私を嘲笑するように見つめている。
「そうですか。貴方の正体は………。」
思わず胸を押さえる。心臓の鼓動が時計の針のようにカチリカチリと、カウントダウンを始めていた。