そこは暗黒の世界だった。暗闇を彷徨うのは死装束を纏い、三角頭巾を被った者達だ。
そこに居る者達は皆、虚ろな瞳をしていて、ゆらゆらと目的もなく、果てのない道を歩いていた。
彼らは一体何をしているのか、近くの老人に尋ねてみる。
「あの、すみません。」
すると、老人は私に気づいたのかゆっくりと顔を上げる。
「あぁ、なんだい?君は随分と若いね。」
老人の声は随分と枯れていた。下手をすれば喉が潰れるのではないかと、危惧する程だ。
「此処はどこですか?貴方達は誰なんです?」
すると老人は不思議そうにこちらを見つめる。
「君は自分が何故此処に居るのかわからないのか?」
「はい。」
老人は嘆息する。瞼を覆い何を呟いたかと思えば、「残酷だな」と言葉を漏らす。
「此処は生者は決して立ち寄ることのできない場所、とだけ言っておこう。」
「……なっ…」
愕然とする。つまり、此処に居る者は皆、生が尽きた者ということになる。
「正確にはね、人並みの幸せを願いながらも、叶わず死した者達が此処に来るんだ。」
「幸せを願いながらも…叶わない?」
老人はゆっくりと首肯する。
「そうだ。此処に居る誰もが幸福を願った。だが、不慮の事故、病、または殺されるなど無念の思いで亡くなった者達ばかりだ。」
「……そんな…」
「彼らの瞳には彩りがない。全てを諦観し、絶望している。彼らは願いが叶わないことを知っている。理想が人の都合の良い産物でしかないことを知っている。運命に翻弄され裏切られることを知っている。その結果がこれだ。」
彼らは世界の醜さを知っているのだろう。世界のシステムがいかに理不尽で不遇であるかを。
世界にとって不要な物は全て切り捨てられる。切り捨てられた者達には救いがない。行き着く先は絶望の彼方である。
「君も此処に来たということは、願いが叶わなかったんだろう?」
老人の言葉に鼓動が強くなる。
―――願いが…叶わなかった……?
「違うのかい?」
拳を握り、歯を食い縛る。
認めたくない。これが現実だと受け入れたくない。
老人は私を見つめ、悟ったような表情をする。暫くしてから慈しむように微笑んだ。
「ふふ、君はまだ……。」
その先の言葉は聞こえない。ただ、老人の瞳が羨望の色を見せていたのが印象的だった。
☆
重い瞼をゆっくり開ける。
見慣れた家の天井ではない。薬品の匂いが充満している。
心臓の鼓動が聞こえる。私は生きている。
「海未さん、身体の調子はどうですか?」
「……お母様。」
体中が石のように動かない。全身に錘をつけているようだった。
「貴女が学校で倒れていたのを、部員の方々が見つけて、病院に搬送されたのです。」
「お母様。私の体はどうなっているのですか?」
母の表情をはっきり窺うことができなかった。
けれど瞳が僅かに濡れている。
「先程、お医者様からお話を伺いました。貴女の病気はステージⅣの膵臓癌です。つまり末期の癌ということです。」
「そう……ですか。」
奇しくも、その病気は穂乃果と同じ病気だった。膵臓癌は非常に見つかりにくいと言われている。気づけば末期、なんてことも少なくない。
「驚かないのですか?」
母はじっと私を見つめる。母の瞳からは哀惜を感じると共に慈愛も伝わってくる。
「正直、驚いています。頭が追いついていないのが本音です。」
「……そうですか。」
聞いたことがある。癌は末期になると、手術はかえって寿命を縮めるらしい。仮に腫瘍を除去できたとしても、癌細胞そのものはどうにもできないのだ。
つまり―――。
私はスクールアイドルをやめて延命治療を受けることが最善である。
「……私は…。」
合理的に考えて延命した方が身の為であるのは理解している。体もきっと思うようには動かない。
それでも諦めきれないのだ。私には夢がある。スクールアイドルとして日々を過ごし、大成する。大成できずとも、最後まで成し遂げたいのだ。
「母様、私は…。」
母は私をじっと見つめ、私も凝視した。暫くしてから母は「…分かりました。」と言い、優しく微笑んでくれた。
けれど、瞳から溢れた雫を私は忘れない。
☆
穂乃果が亡くなり、ことりが事故と共に記憶喪失を発症。これだけでもμ's内のダメージは相当であるのに、新規のリーダーの海未まで倒れ、二年生組はほぼ全滅状態。μ'sはついに6人のみとなる。
当然、μ'sの新規リーダーを誰にするか、という話になり、視線の矛先は私、絢瀬絵里へと向けられる。
部室は沈黙に包まれていた。雨の音だけが耳に響いてくる。
「とはいえ、一応海未が戻ってくることも考えてリーダーの件は仮定にして欲しいのだけど。」
「えりち、それは無理や。えりちも聞いたはずやろ。海未ちゃんの癌の進行はステージⅣの末期。これ以上体に負担をかけるわけにはいかんよ。寧ろ、最後までやり遂げた穂乃果ちゃんは異常だったんや。」
「……それはそうだけど」
けれど、私は海未という可能性を捨てたくはなかった。
「……私はそれでも海未と…」
「まぁ、絵里の気持ちも痛いほど分かるけどね。」
「……にこ」
「私は二度μ'sに救われた。一度はアイドルの夢を諦めかけていた私に穂乃果が手を差し伸べてくれた。二度目はμ'sそのものを諦めていた時に海未が手を差し伸べてくれた。一縷の望みがあるなら、私は希望を信じたい。」
皆そうだ。断念するしかなかった夢を二度も救われ、歩んできた。
「凛もにこちゃんと同じにゃ。」
「海未ちゃんがいた方がいいよ。」
あとは本戦を終えるのみ。きっとそれ以降は私達三年生はこの学校を離れなければならないため、必然的に解散となるだろう。
だが解散となるまでの僅かな時間こそが重要なのだ。この時間を有効に活用するためにも海未は必要な存在なのだ。
「無論、ウチだって海未ちゃんが居た方が何倍も良いと思うんよ。でも、ええの?海未ちゃんがスクールアイドルを続けるということは…」
「海未が死ぬ……。」
希の言葉を代弁するように断言する。或いは私達全員の思考を代弁したのかもしれない。
「末期になった場合、手術ではどうにもならない。だから延命治療が最適な療法なのよ。ただ、延命治療を受ける場合は今すぐにでもスクールアイドルをやめなければならない。若しくはスクールアイドルを続けるにしても、死期を早めることになる。」
「つまり海未ちゃんに与えられた選択肢はアイドルを続けるか否かの二択。」
それはあまりにも酷な選択肢だった。一方は夢を諦め、一方は死を受け入れなければならない。齢十六の少女に与えられた運命は微塵たりとも幸福と言える要素はない。
ふと思う。運命とはどこでどのように決まるのだろうか。
μ'sの二年生組は常に仲良く三人並び、無邪気な笑顔が絶えなかった。思わずこちらが微笑むほどに彼女たちは華やかで、愛おしかった。
「穂乃果!貴女、また宿題を忘れましたね!課題を終わらせろとあれだけ言ったのに貴女は…」
「ぶぅ。海未ちゃんのケチンボ!」
「ま、まぁまぁ。二人とも落ち着いて。」
失われた光景が昨日のように蘇る。
あんなに暖かったものは、今はこんなにも寒い。
幸福な時間は人が思う以上に儚い。僅かな干渉だけで、幸福の形は崩壊する。
「これが……運命」
だとしたら何て残酷なのだろう。誰もが幸福でありたいと願いながら、選択肢と権利を与えられていない。だから人は定められた運命に翻弄される他ないのだ。
「ならば、運命に抗う他ないでしょう」
不意に響く声。
漆黒の美髪に凛とした眼差し。固くひき結んだ唇からは生真面目さを感じる。いつもの彼女がそこにいた。