―――きっと震えるように寒く感じるのは秋になったからじゃない。
私の休日は巫女服を纏い、社の落ち葉掃きから始まる。
早朝ということもあり、社は閑散としている。当然ながらがら人の気はなく、見方によっては殺風景にも感じた。何より音の無い今の状況を寂しく感じる。
こぼれる吐息は煙のように白かった。それは清らかな純白ではなく、どこか濁っているように見えた。まるで、自分の胸中を映し出すかのように。
「おはようございます、希」
聞き覚えのある声だった。閑散とした場でも、しっかりと響く声。思わず声の主の方へと顔を向ける。
「海未ちゃん……」
何故、彼女が此処にいるのだろう。
以前まではこの神田明神はμ'sメンバーの練習場だった。
しかし、μ'sは実情、穂乃果ちゃんが死んだあの日から解散したも同然だ。此処に来る理由などない筈である。
「何しに来たん?」
私の問いに毅然とした表情で答える
「練習に此処を使わせて欲しいのですが……。」
「練習?」
「はい。今日は学校も休みですし家の方も客人が来るということで練習場がないんです。」
それは海未ちゃんが此処を練習場に選んだ理由であり、私が抱いた疑問の答えではない。
「そうじゃなくて、何で今更練習なんか……。」
しかし、彼女は悩むことなくこう答える。
「貴女こそ忘れたのですか?私たちはスクールアイドルですよ?練習あるのみですよ。」
「………!」
何故、海未ちゃんはこんなにも真っ直ぐなのだろう。
その揺るがなさは不意にも憧憬を抱いてしまうと同時に腹立たしく感じる。怒鳴りたくなる。自分の感情全てをぶつけてしまいたい程に。
「-----っ!」
言葉が喉元まで出掛かる。恐らく海未ちゃんも私の表情の変化に気づいただろう。
しかし、それでも彼女の瞳は重石のように微動だにしない。その瞳に私は怯み、言葉は口から出る寸前で止まる。
「お社、練習場に使っていいですか?」
「っ、……ええよ」
断ることができなかった。
誰もが枯れ果てたような瞳をしてるのに、彼女の瞳だけは未だに光色が見える。その光の先にあるのは希望なのか絶望なのか―――私には知る由もない。
ああ、でも海未ちゃんはきっと―――。
☆
「ちょっと、花陽。良い加減夜食はやめなさい。太るわよ!」
「………。」
最近、家では家族と口をきいてない気がする。
時間があれば、穂むら饅頭を食している。太る太らないは些細な問題であり、彼女を―――穂乃果ちゃんを忘れてしまう方が問題だった。
おそらく、今の私は狂っているのだろう。普通の人が饅頭を1日に15箱も開けたりはしないだろう。
常軌を逸している、そう言われてもいい。この饅頭さえあれば穂乃果ちゃんを忘れることはきっとない。
一箱、もう一箱開けるごとに思い出す。
あの日、彼女の手に引かれスクールアイドルになった日を。それまで抱えていた葛藤、煩悶は霧散していった。
あの時、あの瞬間、私は救われたのである。それまで殻の中にいた私は、彼女の手により破ることができたのである。
―――これを救いと言わず何と言うのだろう?
μ'sは9人の女神という意味で名づけられた。いつだって私の女神は穂乃果ちゃんだった。
彼女がいなくなった今―――。
外界を遮断する殻がなければ生きていけない。
再び、太く硬い殻が私を覆う。
☆
「星空さん、またタイム落ちてるよ?どこか体調悪い?」
「だ、大丈夫ですっ!」
陸上部顧問は日に日に落ちてゆく私のタイムを気にしてるようだ。
見た目はガッツリとしてるせいで、プロレスラー並の恐怖があるが、性格は温厚で生徒に優しい先生である。
先生の言うように私のタイムは日に日に落ちている。手を抜いたつもりはない。持てる限りの力で走行している。
それでも私の走りは歩みは止まりつつある。全力とは言いつつも、もしかしたら自分の心にそう言い聞かせているだけかもしれない。
遅くなる理由は何となくだが、自身の中で理解している。私が走るときのルールとして、必ずゴールを確認する。当然ながらゴールは常に変わらない位置に存在していて、体に掛かる負荷も変わりない。
しかし、走ってる途中、永遠に先の見えないゴールを走らされてる気がするのだ。同じ距離を走っている筈なのに息苦しさを感じる。
そんな悠久の苦しみを拒絶するが故に、足は走ることを諦めつつあるのかもしれない。
昔はこんな先の見えない混沌とした道ではなく、行く先をちゃんと見据えていた。だから、迷うことなく走り続けられた。
「……この程度で……」
この程度で挫折してしまうのだろうか?
自分がこんなにも弱く、惨めに思うのは初めてだった。
せめて、自分を引導してくれる指導者がいたらと思う。そうすれば、永遠という重みは消え、迷うことなく走り続けられる。
「穂乃果ちゃん………。」
いくら呼んでも、指導者が現れることはない。