BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.93

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふんふ~ん」

 

 

四番隊隊舎、その廊下を鼻歌交じりに歩く女性がひとり。

名を虎徹(こてつ) 勇音(いさね)。四番隊副隊長の肩書きを持つ彼女。

銀色のやや短めの髪、右のコメカミ辺りからは二房ほど細く結われた髪が垂れる特徴的な髪型をし。

女性にしては身長が高く、顔立ちも何処か凛々しい雰囲気を感じさせることから一見優男のようにも見えるが、その内面は怖がりで年下の妹に何時も怒られてばかりという少々残念な具合。

ただ今はその凛々しい顔立ちも、どこかホクホクニンマリとした笑顔になっている。

 

理由は彼女の手に収まった小さな包み。

中身は今瀞霊廷で大人気の甘味処『甘々庵』の、“数量限定大甘々苺大福みたらしはちみつあんこ全部のせ”。

この最早口に入れた感想が単純に、「甘い」しか出てこないであろう一品を、勇音は至極嬉しそうに手に乗せ、僅かに跳ねるように歩いていた。

甘いものに目がないのは女性の(さが)。勇音もその例に漏れず、この限定の一品を手中に納め上機嫌といったところなのだろう。

まぁ、この一品は女性全般の憧れ(・・)であると同時に天敵(・・)でもあるのだが、今は憧れが勝った様子。

嬉しそうに私室へと向かう勇音。 早くこの一品を思う存分頬張りたい、そう思いながら歩く彼女だったが。

 

世の中そう簡単では無い。

 

 

「虎徹副隊長!! 」

 

「ひゃい!!? 」

 

 

突如、自身の背にかかった声に、思わずビクッと肩を震わせ答える勇音。

答える声は裏返り何とも情けないが、それでも手の上のいとしい一品は落とさない。

 

 

「ごめんなさいごめんなさい! ダイエットするって言いながらこんなもの食べようとしてごめんなさい!でもこの子がどうしても私に食べて欲しそうだからつい…… 出来心だったんです! もう今後甘いものは控えるからこの子だけは取上げないで!そして清音にだけはバラさないでください~!!」

 

 

呼び止めた相手が何かを言うより早く、勇音は一息に言い訳を捲くし立てた。

目の端に涙を浮かべごめんなさいと連呼する様子は、やはり彼女が臆病であると、それ以上に周りに気を使い大それた事など出来ない人物である事を伺わせる。

ただ、それでもこの甘い苺大福だけは手放したくない、という台詞からも以外にちゃっかりした性格なのかもしれない。

 

 

「え? あの、虎徹副隊長? いや、そんな事より急報です!大至急第一級集中治療施設に向かってください!患者が急変しました! 」

 

 

勇音を呼び止めた死神は、勇音の様子に若干の困惑を見せるが、ハッとした様子でその困惑を振り切り報告を叫ぶ。

患者の急変、四番隊は主に治癒術を修めた死神が配属される隊である。そこにあって患者の急変は別段珍しいことでは無く、それに対応できるだけの力量を持った隊士は少なくない。

だがその中で尚、高い技術を持った副隊長である勇音への急報。それが示すのは余程困難な症例か患者が重要な位置にいる人物か、或いはその両方(・・・・・)である場合だ。

 

何よりその患者がいるとされた施設、第一級集中治療施設に収容されている人物は今、一人だけだった。

 

 

「第一級集中治療施設!? という事は黒崎一護君ですか!? 判りました、直ぐに向かいます。報告ご苦労様。 あ! これは…… これは差し上げますのでッ」

 

 

患者の居場所を聞き、そこに収容されている人物に思い至ると勇音の顔に驚きが奔る。

黒崎 一護。 破面との戦闘により重度の霊力汚染と身体的外傷によって治療中の人物は、勇音をはじめとした護廷十三隊、いや尸魂界にとって恩人とも呼べる人物。

現在は身体の限界を超える負荷によるものか、精神が深深度に潜行するという特異な症例によって眠ったままの様な状態だった彼が、その容態を急変させたという報告に勇音には嫌な予感が過ぎった。

回復の報ならば目の前の死神の焦り様は無い。この焦り様は間違いなく回復とは逆(・・・・・)の状況を確信させるに充分であると。

では問題はその状況だが、今はその報告をこの場で聞くよりも自分の目と耳でそれを把握する方が早いと判断した勇音は、急ぎ第一級集中治療施設へと向かう事を選択する。

何度か向かう先と手に持った甘々庵の、数量限定大甘々苺大福みたらしはちみつあんこ全部のせを交互に見た後、状況を報告してきた死神にそれを渡し、急ぎ瞬歩でその場を後にする勇音。

苺大福を頭から放り出し、今は四番隊副隊長としての責務だけを満たす。

 

 

 

 

「状況は! 」

 

「状況も何も無いですよ! こんなの見たことありませんって。とりあえずご自分の目で確認してください! 」

 

 

第一級集中治療施設へと到着した勇音は、普段の頼りなさそうな雰囲気を感じさせない声で叫ぶ。

その問いに答えたのは、四番隊第八席にして第一上級救護班副班長の荻堂(おぎどう)春信(はるのぶ)

勇音と共に歩きながらこんな症例見た事がない、と零す彼。治療室へと向かう道すがら一護の生命徴候を確認しながら進む二人、そんな二人が到着した治療室はさながら戦場にも似た雰囲気だった。

 

「止血剤足りないぞ! もっと持ってこい! 」

 

「常勤だけじゃどうしようもない! 副隊長まだかよ!」

 

「こんなの…… どうやって対処すればいいって言うんですか!」

 

「馬鹿野郎ッ! 呆けてる暇があるなら目の前の傷の一つも塞げ!それも出来ないなら此処から出てけ! 邪魔だ!」

 

 

一護の周りを囲む死神と、それを補助する死神達、皆一様に尚早と困惑を浮かべながら、それでも一つの命に対して真摯に向き合っている。

命を繋ぎ、救うことこそが四番隊の務めであり、この光景はまさに四番隊の真髄を見るかの如く。

彼らは皆、敵と戦う力こそ他には劣るかもしれないが、それでも治療(ここ)という彼等の戦場にあっては、まさに最高の戦力を持っている、と言えるだろう。

 

 

「お待たせしました皆さん。 状況、経過報告をお願いします!」

 

 

極薄の手袋を着けながらそんな戦場に飛び込む勇音。

彼女の登場に何処か閉塞感が漂っていた治療室に、僅かではあるが風が通った様に見えた。

皆、焦燥と困惑の瞳にどこか安堵を浮かべている。それだけ勇音は皆から信頼に足る人物だという事なのだろう。

 

 

「患者の状態が急変したのはつい先程です。常勤の治療班で即時対応したのですが…… 」

 

「こんな症例今まで見た事も聞いた事もありません。刀傷(・・)である事は間違いないのですが、しかし…… 」

 

「発生の原因も判りませんし、規則性も無く予想も出来ません。今はこの程度の傷で済んではいますが、このまま傷が増える、または致命的な傷が突然発生する(・・・・・・)事は否定できません」

 

 

誰一人手を止めずしかし次々に飛ぶ報告に、勇音の顔が僅かに曇る。

いや、顔が曇った理由は報告よりも目の前に横たわる一護の様子だろうか。

点滴や心電図のような管が腕や胸につけられたその姿、しかし目を引くのはそれよりも身体のそこかしこに見える傷。

真新しいそれは明らかに刀による傷(・・・・・・・・・)であり、しかし意識も無く戦えるはずも無く、そして彼に害をなす者など皆無である治療施設で、それが生まれる事はまずありえない。

何よりもその刀傷は。

 

 

「これは…… 外からではなく内から(・・・・・・・・・・)斬られている?」

 

 

呟くように、そう零した勇音。

その呟きに対して周りの死神達は、無言の肯定を示した。

そうなのだ、一護の身体に見られる刀傷はそのどれもが明らかに外側からではなく、内側から外に向かって(・・・・・・・・・・)斬られている、という特異なものなのだ。

 

「そうです。 何度も言いますがこんな症例見たことがありませんよ。一応周囲の虚や破面の霊圧は探査しましたが、当然そんな霊圧引っ掛かるわけない。となると患者自身の問題か、或いは…… 考えたくは無いですが死神の斬魄刀による攻撃か…… 」

 

 

荻堂が言う事はもっともであり、可能性として残されるのはふたつ。

患者である一護自身にこの刀傷の原因があるか、もしくは死神による一護への攻撃。

後者の発言に対し、他の死神は驚きと疑念が入り混じったような表情を見せるが、勇音だけはそうではなかった。

 

 

「いえ、おそらくこれは黒崎 一護君自身に原因がある、と考える方が妥当でしょう。死神の中に彼を嫌う者はいない…… とは言い切れませんが、もしそうならばわざわざ致命傷を避ける理由にはならないですし、彼を攻撃できるという事は周りにいる私たちも攻撃できるという事。彼の命が目的なら治療をさせる事は彼の命を永らえさせるのと同じですし、殺害が目的ならば効率的ではありませんしね」

 

 

僅かに眉間に皺を寄せ、考えを巡らせている様子の勇音は後者の可能性を否定する。

確かに一護は尸魂界にとって恩人に当たるかもしれないが、それだけで皆が彼に対して好意的であるとは言い切れない。

もしかすれば何かの理由で彼を恨むものもあるかもしれないし、その者が自分の斬魄刀の能力で一護を狙っている可能性はある。

しかし、一護の身体には刀傷は刻まれているが致命傷になるようなそれは見られないのだ。

命を狙っているなら、わざわざ致命傷を避けることに意味は無く、また一護を治療させる事にも利は無い。

時間を掛けて甚振っている、という事も考えられるが、時間を掛ければかけるほど自分の正体が露見する可能性は増えるのだから、そこに意味を見出すのは愚かだ。

結果、この内から外へと斬られた刀傷は、一護に起因すると結論付けた勇音。

そんな様子を見た荻堂はポロッと言葉を漏らす。

 

 

「副隊長っていつもは、ぽわ~んとしてんのに、治療室入ると人変りますよね」

 

「自分の隊の副隊長をつかまえて失礼ですよ、荻堂君? ……では治療に入ります。 まず優先すべきは黒崎一護君の生命、彼を五体満足で現世へと帰す事が四番隊の使命です。傷の発生が予想できない事から主要臓器や霊的重要臓器には常に治癒を施し、傷が出来た瞬間に治療を開始します。手足の傷は深度三までの傷は後に廻し、それ以上のものを優先し治療。身体的欠損が診とめられた場合は現行の治療と平行し、その場で接合術式を行います。では各自最善を! 」

 

 

言葉が終わると、他の死神達は威勢の良い返事をし、各自の仕事に取り掛かった。

勇音もまた一護を囲む輪に入り、治療を開始する。

その顔には苺大福を前にしたニンマリ顔は微塵も感じられず、凛々しく、何より命に対する真摯な姿勢が感じられた。

卯ノ花(うのはな) (れつ)という絶対的な治癒技術を持つ隊長の影に霞んではいるが、彼女もまた四番隊の副隊長を任せられるだけの技術を持っているのは確か。

その彼女が最前線に立って治療するその戦場に、敗北などありはしないのだ。

 

だが彼女は知らない。

一護の身体に現れた内から外へと斬られる刀傷は、一護が深深度の精神世界で戦って出来た傷に他ならないという事を。

そして精神世界での傷が霊体にまで還元される、という事は即ち。

 

 

一護の目覚めが近い、という事を。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

(何も…… 感じない…… )

 

 

目の前はただ白く、他に何も見えない中、ルキアは内心そう零した。

内心で呟いたのは、声にしないのではなく出来ないから。口を動かすことすら億劫になるほど、今の彼女は朦朧としていた。

自分が立っているのか、座っているのか、それとも横たわっているのか、それすら今の彼女には認識出来ない。

外へと向かう意識や感覚、それらが根こそぎ衰えたかのように、今の彼女はただ精神に埋没し、目に映る白一色の世界をただ眺めるのみ。

 

実際の彼女は今地に伏したまま、薄く目を開けるにとどまっていた。

彼女の眼に映った白一色の世界は何も彼女の眼前だけではなく、彼女の周り全てがそれであり、何よりも静か。

地に伏したルキアの身体を半ばまで埋めるのもまた白。空から舞うように降るそれがただただルキアを音も無く白く染め上げていく。

激しい剣戟の音も、霊圧がせめぎ合う音も、爆発音も衝撃音も何も無く、ただ静かに全てを覆う。

 

その白の名は“雪”。

 

今ルキアは雪に埋もれ、まるで静かに眠るようにその意識を手放そうとしている。

その様子を離れた位置から見下ろすようにして立っているのは、白髪の翁、朽木(くちき)銀嶺(ぎんれい)

手の中には長柄の棒状のものが握られており、それを身体の正面で杖のように雪面に突いて立っている。

静かなその眼差しは、まるで地に伏すルキアを見定めているようにも見えた。

 

 

「ワシの斬魄刀『雪霽(せっさい)』は、最も静かな(・・・・・)斬魄刀。降り積もる雪は全てを覆い、全てを(ましろ)に染め上げる。 ……ルキアよ、極限の静寂と極寒の中、己が力を見つめるがよい…… 」

 

 

届かぬとは知りながら、それでも呟かれる言葉。

銀嶺にとって己が斬魄刀の能力は、一歩間違えばルキアを再起不能にするものだと判ってはいた。

しかし、ルキアの真剣な願いに答えるには、やはりこれ以外の方法など無く。荒療治と知りながらも彼はこの方法をとったのだ。

今も尚降り積もる雪はルキアの体温を奪い、動きを鈍らせ、感覚を奪いそして意識すら奪い去ろうとしている。

そんな極限の状況に追い込まなければ、彼女の進む先に道は開けないと銀嶺は知っているのだ。

 

呟かれた言葉、それすらも覆うように降り積もる雪。

その雪に埋もれ朦朧とする意識の中、ルキアは夢とも現ともとれない場所へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

「――ちき。 お―朽 ―き! 」

 

 

ふわりと浮かぶような感覚、その中でルキアは声を聞いた。

どこかとても懐かしく、しかし胸が締め付けられるような。

胸に去来するそんな思いに、ルキアは目を閉じたまま僅かに顔を歪ませる。

 

 

「お―― ら! 朽―! おい―― ! 」

 

 

耳が覚えているその声。

安堵、敬意、そして後悔と自責。

浮かび来るそんな感情に、ルキアはそのまま消えてしまいたいとさえ思ったことだろう。

 

何故ならその声は、嘗て彼女が殺した(・・・・・・)男の声そのものだったのだから。

 

 

 

「コラ朽木ぃ! 寝ぼけてんじゃ……ねぇぞ! 」

 

「ッ~~!? 」

 

 

直後頭に降った衝撃に、ルキアの意識は否応無く呼び起こされる。

そして頭を押えてしゃがみ込んでいるルキアに、今度は彼女の頭を叩いた長い棒状のモノを肩に担いだ男の声が降る。

 

 

「オマエなぁ…… また(・・)修行中に居眠りかよ。てかどんだけ器用なんだ。 俺がせっかく修行に付き合ってやってんのに…… 忘れてんのかも知んねぇけど、俺って一応オマエの隊の副隊長なんだぜ?副隊長って実は割と忙しいんですけど? 」

 

「も、申し訳ありませぬ海燕(・・)殿 」

 

「おし。 わかりゃいいんだ 」

 

 

口をついて出た名には、やはり懐かしさが多く感じられた。

見上げる視線の先に映るのは、黒い短髪の男。

柄の長い三叉の矛を肩に担ぎ、先程とは打って変わり、ニカッと明るい笑顔を浮かべる。

その男を一言で表せば、快活という言葉が何よりもしっくり来るだろうその男の名は『志波(しば)海燕(かいえん) 』。

護廷十三隊十三番隊副隊長であり、朽木ルキアにとって人生の岐路に当たる人物。そして今となっては故人(・・)である人物。

 

あぁこれは夢なのだ。

海燕の顔を見たルキアは直ぐにそう思った。

何故なら彼は自分が殺した(・・・・・・)のだから、どんな理由があろうとも、彼の命を奪ったのは自分なのだからと。

現にルキアは自分の意思で動くことも言葉を発することも出来ない。

意思とは裏腹に言葉は紡がれ身体は動く。まるで走馬灯、白昼夢、自分に起きた出来事を追体験する夢を見ているような、そんな感覚。

 

貴族に拾われ、伴わぬ実力に苦悩し、しかし彼と、海燕と居られる事に救われていた頃の自分。

ただ尊敬していた彼に、ただただ敬愛していた彼に、“よくやった”と褒められる事だけが目標にさえなっていた頃の、いつか自分がその彼を殺す日が来る事になる事など、欠片も想像していなかった頃の自分がそこにはあったと。

 

普段思い出さないよう務めていた思い出たちは、海燕の顔を見た瞬間にあふれ出し、波となってルキアに押し寄せる。

こんな事があった、あんな事もあった、朽木ルキアにとって最奥に押し込められた思い出たち。志波 海燕との思い出たち。

これもまたそんな思い出の一幕。

何度か修行をつけてもらい、無事斬魄刀を始解させることが出来た頃の、そんな一幕だと思い出しながら、ルキアはただ暖かで輝いていた思い出に耽ることにした。

 

 

 

 

「しかしオメーも随分とサマになってきたじゃねぇか朽木。一端の技も出来た。 『袖白雪(そでのしらゆき)』だったか?いい斬魄刀だと思うぜ 」

 

「は、はぁ…… あ、ありがとう御座います 」

 

 

修行が一段落し休憩となって二人が木陰で休んでいた折、海燕はふとこんな事を口にした。

始解したルキアの斬魄刀は刀身も、鍔も柄も、全て白一色の純白の斬魄刀で非常に美しかった。

彼からしてみれば新米隊士の頃から修行をつけているルキアが始解し、そんな美しい斬魄刀を振るいこうして戦う姿というのは、やはり感慨深いものがあったのだろう。

ヨチヨチ歩きのひよこが、ようやく少しはまともに歩けるようになった、そんな思いが零れた彼の言葉に、しかしルキアの返事は何とも歯切れの悪いものだった。

 

 

「……なんだそれ。 反応薄いなオイ。 何か?俺に褒められんのは嬉しくないってか? 軽くキズ付くぜ…… 」

 

「い、いえ決してその様な事は! ただ…… 」

 

「ただ何だ? 」

 

 

そんなルキアの返事に半眼になって海燕は文句を零す。

まぁ半分以上冗談な訳ではあるが、それでも慌てて否定するルキアの姿はどうにも面白い事は判っているため、ちょっとした悪戯心という奴なのだろう。

そしてやはり慌てて否定したルキアは、しかし何とも歯切れも悪いまま。

思い悩んでいるかの様なその姿に、海燕はいたって気軽に先を促す。

 

 

「いえ、比べる事がおこがましいのは重々承知してはいるのですが。やはり同じ氷雪系である日番谷十番隊三席と比べると…… 」

 

 

ルキアが何とも気まずそうに口にしたのは、十番隊三席、日番谷(ひつがや)冬獅郎(とうしろう)の名。

今でこそ隊長である冬獅郎だが、当然彼にも席官の時代はあり、しかし席官の頃からその勇名は他の隊にも知れ渡るところで、今は現役を退いた前六番隊隊長朽木 銀嶺に勝るとも劣らないともっぱらの噂だった。

そうともなればやはり同じ氷雪系の斬魄刀を持つルキアは、彼を意識せずにはいられない。

比べる事などおこがましい、といいながらもやはり冬獅郎と自分の力を比べずにはいられないのだ。

 

 

「劣ってる、ってか?」

 

「いえ、そんな事は当然だと言われれば当然なのは判っているのです。あちらは隊長、副隊長に次ぐ席官、それに比べて私はその末席にも加わることが出来ないただの隊士に過ぎません。力の差など判りきっている…… おかしな事を口走ってしまい申し訳ありませぬ」

 

 

ルキアの言葉を継ぐように呟いた海燕に、ルキアは捲くし立てるようにして答えた。

劣っている。 それは当然の事だと、やはり比べる事などおこがましいことだったと。

向こうは鳴り物入りの天才であり、若くして席官の上位たる三席、対して自分は名門朽木家に拾われはしたがそれに見合った成果も席次も得ることが叶わなかった半端者。

そんな思いがルキアに自分を否定するような言葉を並べさせるが、それを座って聞いていた海燕はスッと立ち上がると、木陰から出て自分の斬魄刀『捩花(ねじばな)』を構え、くるくると廻し始めた。

独特の高い構え、頭よりも高い位置に掲げられた片手の手首を主体とし、それを軸にゆっくりと捩花を廻しながら、海燕はルキアに語りかける。

 

 

「なぁ朽木。 何でもかんでも卑屈になるのはオメーの悪い癖だ。向こうが天才でオメーはお世辞にも天才と呼べる域には居ねぇ。そうやって自分の位置を知る事は大事だが、だからって自分を卑下する理由にすんのは間違いだ」

 

「………… 」

 

 

くるくると、ゆっくりと回転する三叉の槍。

あくまでゆっくりとした回転と、ゆっくりとした足運び。それ故にその姿はルキアに舞を思わせる優美さを感じさせる。

快活、奔放を地で行くような海燕を知るだけに、その優美な舞を踊るような姿はルキアの脳裏に鮮烈に焼きついた。

そうして舞いながら語る海燕の言葉。

副隊長として、いや先達としてルキアに語って聞かせるその言葉。

海燕の舞姿と相まってか、その言葉はルキアの胸にスッと落ちるように入り込んでいく。

 

 

「誰だって完璧じゃねぇ。 そんなのは当たり前だ。得て不得手があるのは仕方が無ぇ。 だがな朽木、せっかくなんだ自分に出来ない事ばかり(・・・・・・・・・・・)見るんじゃなくて、もっと自分に出来ること(・・・・・・・・)を見てやれよ。確かにオメーはまだ日番谷には及ばねぇかもしれねぇ。 ……でもな、知ってるか朽木? 日番谷もオメーも、それに俺もオメーも、結局は同じ(・・・・・)なんだぜ?」

 

「私と海燕殿が同じ……? 」

 

 

ゆっくりとした回転は僅かに速さを増し、手首を軸にした槍の回転は足運びもあってか更に大きく、まるで槍と身体全体の全てが円を描くように。

すると槍の穂先、三叉に分かれたその刃に僅かだがしかしハッキリと見えるのは、水の流れ。

流水系斬魄刀 捩花、その能力は槍撃と共に巻き上げた波濤によって敵を圧砕、両断するもの。

水気は徐々に穂先に集まり、その軌跡を辿るようにして円を描いていく。

そんな海燕の姿に魅入りながら、ルキアは海燕の言葉に反応した。

 

同じだと。

 

冬獅郎もルキアも、そして海燕自身とルキアも、結局は同じだと、海燕はそう言うのだ。

その言葉の意味を量りかね、ルキアはただ鸚鵡返しに言葉を紡ぐ。

同じとは思えないという思いが内に沸き立つルキア。

才能で言えば自分は冬獅郎にも、海燕にも遥かに劣る事だろうと。

斬魄刀の能力にしても、同じ氷雪系の冬獅郎とは言うに及ばず、海燕とでさえ戦闘では歩が悪い。

そんな自分と彼らが同じ、というのはどういうことなのか、疑問渦巻くルキアの心中を知ってか知らずか、海燕は言葉を続けた。

 

 

「あぁ。 自分だけじゃどうしようもねぇ事は誰にでもある。だから…… 一人で無理なら周りに助けて(・・・・・・)もらっていいんだ。もっと周りを巻き込んで(・・・・・・・・)いっちまっていいんだ朽木。周りを頼れ、仲間を、斬魄刀を、オメーの周りに満ちるもん全部を。お前が頼れば、そいつらは必ず力を貸してくれる…… なぁ朽木、オメーが思ってるよりも、もっとずっと世界は気安いもんだぜ?」

 

 

槍に巻き上げられた波濤はその回転がますと同時に勢いを増し、いよいよ瀑布の様相を呈していた。

そうして瀑布を槍に引き連れながら、海燕は言う。もっと頼っていいのだと。

仲間である死神にも、無二の存在である斬魄刀にも、そしてそれ以外の全てにも、お前はもっと頼っていいのだと。

そして請えば、頼れば必ず、それらは力を貸してくれると。

何も難しく考える必要など無く、全てはお前次第なのだと。

 

瀑布を引き連れた槍撃、舞の終わりは三叉の矛を地に叩き付ける様にして訪れた。

槍の矛先が地を割るのを追うように、瀑布の如き水の波濤は波のように四方へと広がる。

槍を振り下ろし波の中心に立つ海燕の姿は実に画になり、これが戦いの術だとは感じさせないほど。

 

 

そしてその波が治まると、そこにはびしょ濡れのルキアが居た。

 

 

「あ…… わ、悪ィな朽木。ちょっとしくじったわ 」

 

「なッ! 何をするのですか海燕殿! 」

 

「いや、だから悪ィって言ったじゃねぇか。 ……あれだ、俺のお茶目なところが顔を出したと思っとけ。な? 」

 

「お、お茶目で水浸しにされては困ります! 」

 

 

頭から爪先まで水浸しのルキアは、バツは悪そうであるがあくまでサラッと事を流そうとする海燕に、飛び上がるようにして抗議した。

いきなり大量の水を頭から浴びせられれた側のルキアの反応としては間違いでは無いのだが、そんな彼女の様子など気にしないかのように語る海燕。

お茶目な自分が顔を出した、と親指を立てながらグッと拳をルキアに突き出し、とてもいい笑顔を見せる海燕だが、それはどう考えても真剣に謝っている人間がする仕草ではない。

それがまたルキアの感情を煽るわけだが、何故か謝る側であるはずの海燕の方が強気に出始める。

 

 

「なんだなんだ! せっかく俺が副隊長っぽくそれっぽいいい台詞(・・・・・・・・・)言ったのに台無しじゃねぇか!どうすんだよ朽木! この空気! 」

 

「台無しにしたのは海燕殿でしょう! それに何ですかその、それっぽいいい台詞とは。完全に内容より雰囲気先行ではありませんか!」

 

「雰囲気先行で悪いか! それに内容だって一応伴ってんだよ!ま、俺の教えを理解するにはまだまだオメーは未熟って事だなぁ?」

 

「なッ! そんな事はありません! 要は未熟者が一人で悩んでも碌な事は無いということでしょう。御教授痛み入ります! 」

 

「いや、オメーその顔どう見ても感謝してる側の顔じゃ無ぇって」

 

 

海燕が言ったそれっぽい台詞とそれっぽい雰囲気に、ルキアは確かに呑まれていたわけだが、結果はこの有様である。

どこか子供じみた言い合い。 席次の上下も関係なく、ただ思ったことを言い合えること。

ルキアにとってその瞬間がどれだけ貴重なものかは言うまでも無く。

彼女に対して“対等”に振舞ってくれる海燕の存在は、確実に彼女の支えだったことだろう。

 

言い合いながら明らかに不満顔で語気を強めながら感謝を述べるルキア。

そんな彼女の様子を、若干の呆れ顔で見やる海燕は、しかしルキアに気付かれない程度にフッと笑う。

その笑みはまるで親が子を見るような、指導者が教え子を見るような、見守る者の喜びが浮かんでいるように見える。

なにがその笑みを浮かべさせるのかは判らない。

だが海燕は確実に、ルキアの中に自分の言葉が、教えが残った事を感じたのだ。

そして願い叶うなら今は未熟な雛鳥がいつか成長し、大きく羽ばたくとき、この言葉が、教えが彼女の背を押さんことをと。

 

 

 

 

ルキアにとって今という一幕であり、またルキアにとって過ぎ去った過去の一幕。

いつの間にか当事者としてではなく、ルキアは傍観者として在りし日の光景を俯瞰から見ていた。

そんな“今”を“夢”として見ていたルキアは小さく笑う。

あぁ、確かにこんなこともあったな、と。

そして思うのは、今思えば自分は“何一つ海燕の言葉を理解してはいなかった”のだという事。

 

海燕の言葉は中身伴わぬ雰囲気だけのものではなかったと。

当時の自分が吐露したものに、海燕は確かに道を示してくれていたと。

そしてそれを目の前で(・・・・)魅せてくれていたのだと。

 

 

(海燕殿の斬魄刀、捩花の能力はただ水を操るのではなく、“己が周囲の水気を巻き上げる”能力。それを海燕殿自身の槍術と合わせ、波濤を纏わせた槍撃によって相手を圧殺するもの…… そしてそれは確かに日番谷隊長や私にも通じる工程を踏んでいた…… )

 

 

ただの雑談、じっと座っているよりも身体を動かすことが性に合っていた海燕だったからこそ、それは普段どおりに見えたがしかし違う。

彼はただ槍を振りたくてルキアの前で槍舞を思わせる動きをしたのではない。

その目的は自分にその一部始終を見せる事だったのだと、ルキアは今になって気が付いた。

海燕の斬魄刀、その能力。 頼れと彼は言った、己の周りにあるモノ全てにと、では一体それは何を指していたのか(・・・・・・・・・)を、ルキアはやっと理解したのだ。

 

 

(“水気(すいき)”…… 流水系も氷雪系も、己が霊力だけで出来ることには限界がある。しかし、周囲の水気を集め、用いる事でその力は何倍にも跳ね上がる…… 個人の霊力や資質にばかり囚われ、全ての答えを己のうちに見出そうとしていた狭い視野をもっと外に向けろと、貴方はそう言っていたのですね、海燕殿…… )

 

 

そう、流水、そして氷雪系の最たる利とは、己の武器となるものが大気中に溢れているという事。

大気に含まれた僅かな水分、水気、それすらも己が力の一部として意識する事の重要性。

自分という器に満ちたものに限りがあるとすれば、それ以外のところから持ってくる。限りの無いものから持ってくる。

 

大気に満ちる水、これ全て己が武器なり。

 

知ってはいた、判ってもいた、しかし理解しては居なかった。

確かに彼女の技は大気中の水気を己の凍気によって凍らせてはいる。

だがルキアが今修めている技は全て、刀身を介する(・・・・・・)事によって発動し、基点とするものばかり。

刀身によって描いた円にかかる天地、刀身を大地に突き立てる事によって条件が整う、といった様に全ては己と己の刀が届く範囲に限定される。

そしてそれは、大気中の水気を己が武器としている、と呼ぶには程遠い事なのだ。

 

ルキアは確かに日番谷より才能は劣る。

だがそれ以上に己の力の使い方や、己の武器を意識する事に劣っていた。

自分が劣っている事を当然とし、自分が敵わないことを当然とし、故に伸び悩んでいたのだ、己で己に枷と蓋をすることで。

 

海燕はそれを見抜き、そして伝えていた。

今よりもずっとずっと昔に、今悩むルキアにとっての答えを。

 

 

夢の中でルキアはスッと頭を下げた。

感謝を口にする事は出来ない。

自分は彼をこの手で殺し、この手で命を奪った。

だからありがとう(・・・・・)などとはいえる筈も無い。

しかし、それでも、ルキアの頭は自然と下がったのだ。

真実相手に感謝し、尊敬の念を抱いたとき、人の頭は自然と下がるもの。

敬意と感謝と、慙愧と罪と、それらがない交ぜになる。

 

 

(海燕殿…… 私は貴方を殺した。 私は……私は貴方ほど“価値のある者では無い”。貴方を殺してまで生き延びるほどの…… しかし、私には今やらねばならない(・・・・・・・・)事があります。 ……新しく友が出来ました。 人間の友です。彼奴は一人、私の先を歩んでいます。 護る……と、それだけを願って戦い、自分だけなら傷ついても構わないと思うような大馬鹿者です…… )

 

 

夢の中の光景、自分という存在に気が付くはずも無い彼に、ルキアは頭を下げたまま吐露する。

友が出来たと、人間の友だと、歩む時の速さは違えどしかし、友といえるだけの時間を過ごした者だと。

自分に価値など無い、彼を殺してまで生き永らえる価値など無いとしながらしかし、ルキアは言うのだ、やらねばならない事があると。

彼を殺した罪、理由など関係なくその事実はきっと今もルキアを苛んでいるのだろう。

だがそれでもと、ルキアは深く頭を下げながら思うのだ。

 

 

(だからこそ、彼奴を一人で歩ませることだけはしたくありません。友として隣を歩き、仲間として彼奴を護ってやる事。それが彼奴に救われた私が彼奴にしてやれる事だと、そう思うからです。理屈ではなく感情が、魂がそうせよと私に叫ぶのです。 ……貴方に救われ、貴方を殺した私が何を言うと、貴方は私を責めるかも知れません。それでも私は貴方と出会えてよかった…… そして今再び貴方の教えを思い出せて、本当によかった…… )

 

 

伝えたい事はきっと山のように。

たとえそれが夢幻の如き相手であっても、それでも言わねばならぬ事は山のようにある。

だが今はただ、深く頭を下げる事がルキアに出来る精一杯だった。

本当はただ顔向けできない自分、どんな顔で彼の前に立てばいいか判らず、罪と弱さとを自覚しながら。

 

そうして頭を下げながらルキアは身体が引き上げられるような錯覚に襲われる。

それはきっと目覚めであり、この夢と現との境のような場所からの離別を意味していた。

慙愧、贖罪、そしてほんの僅かな安堵と、更に僅かな名残惜しさ。

ルキアの中をそんな感情たちが駆け巡り、ルキアは頭を下げたままグッと目を強く閉じる。

 

涙は零さない。

涙する事すらきっと自分には許されない。

その涙の理由が何であれ、それを流す事は彼女自身が許さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ。 気張れよ、朽木 」

 

 

 

 

 

届いた声に、ルキアは思わず顔を上げてしまった。

此処は夢現の境、自分は自分の過去をただ見るだけの観測者、故に目の前の光景は自分という存在を無視し、ただ在りし日の光景を映すのみ。

だがしかし、顔を上げたルキアの前には先程までの光景は無く、ただ背を向けて歩き去ろうとする海燕の姿があった。

肩に槍を掛け、後ろでに軽く手を振る海燕の姿があったのだ。

 

それが現実で無い事は、目の前の光景が現実で無い事はルキアにも重々判っている。

これは彼女の夢の中、そこに現われた海燕も彼女の夢の産物に過ぎず、その言葉もまた幻でしかない。

だがそれでも、ルキアにとってこれ以上のものは無かった。

 

まるで大きな手が自分の背中を押すような、暖かくしかし力強いものがルキアの胸を通り過ぎていく。

夢でも、幻でも、たとえ自分の愚かしいまでの夢想でも、今この瞬間だけは彼女にとってそれだけが現実。

グッと胸元で手を握り締め、眉はハノ字になる。

つい先程自分で許さぬと決めたものを、この人はこうも簡単に崩してしまうと、ルキアは滲む視線の先の背を見ながら思った。

 

やはりこの人には一生頭が上がらないと。

だがそれは罪や後悔の意識からではなく、純粋なまでの敬意から。

強く、雄々しく、快活で奔放で、豪快なのに繊細で、そして何よりも暖かい。

ルキアにとっての拠りどころであり、過去も今もそのこころに刻まれた存在。

その背に、去り行くその背に、ルキアは手を伸ばし叫ぼうとした。

 

だがそれは叶わない。

彼女の意識は既に覚醒へと向かい、夢幻から現へと戻ろうとしている。

そして彼女が声を発するより早く、彼女の意識は現実へと舞い戻った。

 

 

 

 

(ッ! ここは……? そうか、私は気を失っていたのか…… だが何か夢のようなものを見ていたような…… 駄目だ、思いだせぬ )

 

 

舞台は現実、白い雪が降り積もる現実へと戻る。

半ば雪に埋もれながら意識を取り戻したルキアは、自分の現状を把握しながらも、内側に残る違和感のようなものを感じていた。

懐かしい感覚と胸にこびり付いたような重さ、何ともいえない感覚に戸惑うルキアだが、その理由がどうしても思い出せない。

そんな状態の彼女だが、ふと頬に感じるものに意識を向ける。

そこには周りの寒さからか、既に凍りついた涙があった。

 

 

(涙……? 一体何故? ……いや、今はその理由を考えるのは後だ)

 

 

雪に埋もれた身体を必死になって起し、頬に触れたルキア。

指には凍った涙が残り、その理由を慮るがしかし今はとそれを思考の外に置く。

何故なら今は修行の中、涙の理由よりも意識を向けるべきは、眼前に立つ翁一人だろう。

 

 

「ようやく目覚めたか、ルキアよ。 さて、まだ続けるか?儂も老体、この寒さは些か骨身に響くが…… 」

 

「……申し訳御座いませぬ。 しかし今しばらく、今しばらく私の我儘にお付き合い頂きたく」

 

「フフ。 一度決めたら曲げぬ……か。 やはり兄妹、よく似ておるわ」

 

 

立ち上がったルキアに声をかけるのは、ルキアが目覚めるのを待ち構えていた銀嶺。

少々わざとらしくも肩を震わせて見せた銀嶺だが、ルキアの答えには満足そうに笑う。

そしてその笑みが消えたかと思うと、鋭い眼差しへと戻った銀嶺は、身体の正面で杖のように使っていた己が斬魄刀、雪霽をそのまま軽く持ち上げた。

雪の中から顕になるのは、鋭い爪状の刃、柄の部分を基点とし左右非対称に伸びたそれは、鎌という程大きくは無くむしろ短い、有り体に言ってしまえば“つるはし”と表現するのが適当か。

軽く持ち上げられた斬魄刀雪霽、それを見たルキアは気を張って警戒を強める。

ただそれだけの動作でルキアがこれほど警戒する理由、それは今に至るまで彼女が味わってきた斬魄刀の強力さの裏返し。

そして銀嶺は一言、ルキアに告げると再び己が斬魄刀、雪霽を雪面へと叩きつけるように下ろした。

 

 

「では今一度味わうが良い。 己の在処すら失わせる程の白い闇と極寒の世界を」

 

 

変化は激烈に訪れる。

深深と降り続いていた雪、それが銀嶺の言葉が終わると同時に突如として様相を変え、辺りは一瞬で吹雪へと変わったのだ。

既にルキアから目の前に立っていた銀鈴の姿は見えない。

視界を覆うのはただ白一色の世界。 既に自分がどちらを向いているのかすら朧気で、かろうじてわかる上下以外は既に失われたも同然だった。

加えて吹雪を巻き起こす風は冷たく、まるで触れたところから切り裂かれるような幻痛を感じさせる。

本来吹きすさぶ風は叫び声のような風切り音を立てるが、麻痺し始めたルキアの感覚ではそれすら捉えられず、結果として静寂が辺りを包む。

音も無く、そして目をあけている事すら困難な状況、その中にあってルキアは刀を構えた。

 

 

(銀嶺様の斬魄刀、雪霽…… 教えていただいたのはこの斬魄刀が“雪を降らせる斬魄刀では無い”という事だけ。 ……実際それだけで真の能力を看破することは難しい。何よりこれは銀嶺様を倒す修行では無い。 私が私自身の力の行方を見出す修行、見るべきは相手の能力ではなく己自身…… )

 

 

吹きすさぶ吹雪はまるで頬を裂くように冷たく、しかしルキアに今それを感じる事は出来ない。

極寒の中もう随分と長い間修行をし、さらに幾度か気を失い、身体の熱は既に大半を奪われていた。

足の感覚は既に無く、手の感覚はかろうじて刀を握っている事が判る程度。吐かれる息もはじめは白かったが、体温が下がったためかそれもなくなっている。

肉体的な限界、刻々と近付くそれを意識しながら、しかしルキアには焦りは無かった。

自らを追い込まずして先など無い、そんな思いも確かにあるだろう。現に先程気を失う前まではこうして命を限界まで危機に晒すことが、力を会得する条件だとすら考えていたルキア。

だが今はそんな焦りよりも何か別の、ある種確信めいた予感が彼女にはあった。

 

 

(命の危機か、あるいは身体から熱が失われたからか、何故か普段より凍気を敏感に(・・・・・・)感じる…… 手足の感覚が薄れた分、そこにある冷たさ(・・・)だけを感じているのか? ……いや、身体だけでは無い。 袖白雪からも、何より私を纏う霊力からも、確かに凍気を感じ取れる…… )

 

 

感じる、確かに。 それも今までよりも鮮明に。

冷気、凍気、氷雪系能力にとって重要な因子であるそれら。今までも確かに感じていたそれをルキアは今より鮮明に感じ、意識できていた。

身を裂くような寒さが、感覚すら麻痺させる極寒が、彼女の思考からをも余計な熱を奪い去ったかの様に。

身体に感じる凍気、己が斬魄刀袖白雪から立ち上る凍気、そして身体と斬魄刀に留まらず彼女の周りにある凍気、それら全てが今ルキアの知覚の内側に存在を主張する。

 

ここにいる、ここにある、お前の側に、傍らに、と。

 

そして凍てつく気配に反応するように、もうひとつ。

その存在をルキアに色濃く感じ取らせたのは水気。

水気は凍気によって凍りつき、氷となって武器と成る。水が凍れば氷になるという至極簡単な図式は、水気か凍気のどちらかを強く意識できれば、もう一方を感じ取る事が容易い事だという証明。

吹雪の中にあって風に流れ、煽られながらも、そこには確かに水気が存在していた。

己の霊圧、それに混ざる己の凍気、それが届き感じ取れる範囲の広さ。

今までただ手と刀の届く範囲でしかそれを知覚できなかったルキアにとって、それはまさに視界が拓ける様な感覚だろう。

 

 

(この吹雪にあってなお、水気は私の周囲に在る。私の視界が塞がれようとも、私の手が、刀が届かずともそこに在る。そしてそれは即ち、水気を通して私の凍気(やいば)は常に私の傍らに在るという事。手の長さ、刀の長さに関わらず、大気に満ちる水気の全ては私の力だという事!)

 

 

存在を感じる、存在を理解する、ただそれだけの事はただそれだけの事であるが故に大きい。

吹きすさぶ吹雪にあって己の周りに満ちた水気、己の周りだけではなくそれより広く周囲に満ちた水気と凍気の存在。

今まで己の四肢と刀を介してしか氷結という事象を起せなかったルキアにとって、そのふたつを己よりも遥か外側で感じた事は、己が力の根底を覆すに充分だった事だろう。

描いた円にかかる天地でもない、刀身を地に突き刺し放出するのでもない。

 

そう、それはまるで構えた瞬間“既に切先は敵を貫いている”のと同じ感覚。

 

水気と凍気、己が手足、己が力の内に敵が居るのならば同じなのだ。

どれだけ遠かろうと、たとえ手に握った斬魄刀の刃が敵を捉えられないほどの距離だろうと、その距離は意味を成さない。

ルキアの力とは刃とは斬魄刀だけではなく、彼女自身の凍気と周囲に存在する全ての水気なのだから。

 

 

「……フゥ 」

 

 

身体の正面に斬魄刀を構えていたルキアは、目を閉じ、一度短く小さな息を吐く。

そして息を吐くと同時に正面に構えられていた刀を引きつけ、腰の辺りで構え直した。

右手は柄を握り、左手は鍔元の辺りに上から添えられるように。視界を覆う白い吹雪の中にあって尚、力みの見えないその構えは自然体で、まるでそう在ることが当然かのごとく。

 

 

(不思議だ…… まるでこうする事が当然かの様に身体が動く。まるで何かに…… 誰かに導かれているように…… 理屈では無く、まるで昔から知っているように自然に…… 己の力、それを自覚する事の重要性、それに気が付く事の必然性とでもいうのか。そう、これは既に私の中で完成している(・・・・・・)という確信がある)

 

 

己のうちに在る確信。

そうあることが自然、そうあることが、そうすることが当然という感覚。

ルキアに今不安は無く、あるのは放てば眼前の相手を確実に貫くという確信のみ。

頬を裂くような風も、身を切るような寒さも、今のルキアは意に介さない。

それは極限の環境の中にあってなお深い極限の集中状態。本来四方八方に向いている様々な意識や感覚が研ぎ澄まされ、尚且つたった一つの目標に向かい束ねられている瞬間、今ルキアはその境地にあるのだ。

 

 

(ほう…… 雰囲気が変わったか…… 自棄でもなく賭けでもなく、覚悟、いや確信めいたものを感じる…… どうやら雪霽の中(・・・・)にあって儂の位置も掴んでおる様子、さて何を魅せてくれるのかかのぉ)

 

 

そんなルキアの様子、纏う雰囲気を察した銀嶺。

余計なものが取り払われたようなルキアの様子に、期待からか銀嶺の目尻の皺が少しだけ深くなる。

あえてルキアを追い込み、生死を彷徨わせるかもしれない修行を選択した銀嶺にとって、この中でルキアが何か殻を破る切欠を掴んだであろう事は喜ばしいこと。

あとはそれが真実ルキアにとって力となるかどうか、先達として後に続く者を、また血は繋がらないが孫の成長を受け止めるように、銀嶺はルキアが動くのを待つ。

雄大、勇壮な山を思わせる銀嶺の姿、それに対するルキアはまだまだ及ばず、青さを存分に残している事だろう。

だが青さとは、未熟さであると同時に大いなる可能性。いつか大輪の花を咲かせるための期間であり、力の成長を待つ期間。

 

そして今、その“青さ”を残した刃は銀嶺に向かって奔る。

 

 

「ハァッ! 」

 

 

カッと目を開いたルキアは、短い気勢と共に腰溜めに構えた斬魄刀を前方へと突き出す。

その切っ先の先には吹雪で見えないが確かに銀嶺が立っていた。

銀嶺へと向かって真っ直ぐ突き出された刃、まるで目の前に立っている相手を貫こうとしているかのような動きはしかし、それよりも距離を置いている銀嶺の身体を貫くには至らない。

刀身は空を突き、何も貫いてはいなかった。

だがルキアの目はしっかりと前を向き、何も貫いていないはずの刃には、不安も焦りも浮かばない。

 

浮かぶのは一つ。 それは既に貫いている(・・・・・・・)という確信だけだった。

 

 

(これは…… 気の入った良い突きだが、ただそれだけ…… じゃが先程の予感、そしてあの眼と刃に映る意、そのどれもがそれだけでは無いと語っておる…… では一体…… ムッ!これは…… )

 

 

僅かに眉をしかめた銀嶺は、しかし先程の、そして今もって突きを放った状態で見えぬはずの自身を見据えるルキアの姿に怪訝な表情を浮かべていた。

突きは空のみを捉え自身を捉えずに至らず、しかしその眼は、しかしその刃は銀嶺に語るのだ。

既に貴方を貫いている、と。

その揺るがぬ確信を浮かべる眼と刃が、銀嶺に解せないという思いを抱かせるが、次の瞬間、彼は奇妙な気配(・・・・・)を感じた。

 

それは彼もまた氷雪系能力者だったからこそ感じたもの。

まるで自分の中を冷たい何かが通り過ぎ、それに貫かれたような感覚と何より、自分の背後に感じる刃(・・・・・・・)の気配。

僅かに振り向き目にしたのは奇妙な気配同様、奇妙な光景だった。

何も無い中空に寄り集まるようにしていくのは氷の粒、それらは明確な意思をもって集合し、そして形作る。

それは白く、美しく、そして鋭い光を放ち、触れたものをたちどころに切り裂く鋭利なそれ。斬魄刀の切先。

切先を形作った氷の粒はそこへと更に寄り集まり、切先から峰と刃、底に浮かぶ刃紋までを忠実に形成していく。

そして次の瞬間、氷の刃の形成は劇的にその速度を上げ一息にその鍔元へと奔った。

 

ルキアが突き出した斬魄刀、袖白雪の鍔元へと。

 

完成したのは長い氷の刀身。

音も無く、吹雪を穿つようなルキアの突きは今、完成を見たのだ。

手の届く範囲、刃の届く範囲、それを手元から伸ばすのではなく、切先は相手の背後に生まれ貫くという一撃。

己が力の、いや己が力とは”何を介するのか”を意識したからこそ、その刃は生まれた。

己が何をもって戦うのか(・・・・・・・・・)を理解したからこそ、その一撃は彼女の中で何の疑いもなく生まれ、そして放たれたのだ。

刃とは、力とは己の内と外にあり、そのどちらも等しく己の武器なのだと。

 

だが。

 

 

 

 

「フム。 なかなかに面白い一撃よ。 惜しむらくはまだ発動に間がある事かのぉ。じゃが初見で避わすは至難でもある。 鍛錬を積めば良い技となるじゃろうて」

 

 

 

 

だが惜しむらくはこの一撃でも、銀嶺は捉えられなかった、という事か。

吹雪が晴れ、ルキアの前に姿を顕した銀嶺。ルキアの刃は銀嶺の直ぐ横を貫いており、刃は着物すら掠めていない。

そしてそれはルキアが狙いを外したのではなく、間違いなく銀嶺が避わしたという事だろう。

自ら初見で避けるのは困難だ、と言いながらもそれを苦もない様子でやり遂せる。朽木の翁は伊達では無いと言った所か。

 

 

「うっ…… 」

 

「おぉ、危ない危ない 」

 

 

銀嶺の言葉が終わると同時に、ルキアは顔をしかめて声を漏らした。

すると同時に伸びていた氷の刀身が砕け、ルキアはその場で倒れそうになる。

その様子は正しく限界そのもの。 渾身の一撃とは読んで字の如く身体全ての力を込めた一撃、ルキアの先程の一撃はまさしくそれであり、最早彼女に寸毫の力も残ってはいなかったのだろう。

そんな倒れそうになったルキアの肩を支えたのは銀嶺。

顔に浮かぶのは優しい笑みで、全身全霊を賭けた孫の姿に誇らしいものを感じているのがわかる。

 

 

「も、申し訳、御座いません。 銀嶺様…… 」

 

「何を言う。 正直切欠を掴めれば上々と思うておったが、予想以上の出来栄えじゃぞ、ルキアよ」

 

「いえ…… ご無礼とは思いますがせめて、銀嶺様に一太刀でも掠められればそうも思えたのですが…… 」

 

「よいよい。 先程の言葉に嘘偽りは無い。これは鍛錬を積めば良い技となる。 それに儂は今少々ズルを(・・・・・)しておるからのぉ。そう気を落とす事もないじゃろうて 」

 

 

ルキアがここに至るまでに歩んだもの、そして末としてみせた技、銀嶺はそれを評価していた。

だが当の本人は別であり、やはりここでも自分を小さく評価する彼女の悪い癖が見え隠れするのだが、それでも銀嶺に対して一太刀浴びせる心算だった、ともとれる発言は良い方に転んでいると取って良いのかもしれない。

そんな孫の様子に何とも満足げな銀嶺。 ルキアは最後の一撃を避わされた事に半ば消沈気味ではあったが、銀嶺からすればそれも致し方ないと言ったところ。

まずもって同じ氷雪系に属する能力であったことが一つあり、更には銀嶺の斬魄刀の能力上、より相性が悪かったというのが全てなのだ。

それを知らないルキアからすれば慰めの言葉に聞こえたかもしれないが、今はそれを追及する気力もきっと彼女には残っていないことだろう。

そんなルキアの様子が判るからこそ、銀嶺には笑みが浮かぶのだろう。

血は繋がらずとも何から何まで良く似た二人の孫の姿というものは。

 

 

「ん? どうした? ルキアよ 」

 

「なんでしょうか、銀嶺様……? 」

 

「気付いておらんのか? その涙に 」

 

「え? 」

 

 

ルキアの肩を支えていた銀嶺は、ふとそれに気付く。

目尻に光り頬を伝うそれ、しかし当の本人はそれに気付いてすらいなかった。

ルキアの頬を流れるのは涙、銀嶺の言葉が切欠になったかのようにポロポロと流れ出すそれに、ルキアは自分自身驚いている様子だった。

 

 

「も、申し訳ありませぬ 」

 

「よい。 どこぞ痛むか? 」

 

「いえ…… 痛みはありません。 ただ、ただ涙が溢れて…… 溢れて、止まらないのです…… 」

 

 

拭っても拭っても後から溢れる涙。

今の彼女からすればそれは訳もなく、ただ溢れる涙なのだろう。

だがその涙は訳も無く溢れるのではなく、きっと彼女の奥底が震えるからこそ溢れるのだ。

記憶では無い、夢現の幻でしかない、しかしそれでも彼はそこに居た(・・・・・・・)から。

彼のおかげで自分は力の本質に気付き、彼の言葉があったから奮い立つ事が出来たと、彼女の奥底が、魂が知っているから。

 

だからこそ溢れるのだ、涙が。

 

こみ上げるのはきっと。

溢れさせるのはきっと。

行く宛てをなくした感謝の言葉。

 

ありがとうございます、という感謝の言葉。

 

それを紡げないからこそ、それを伝えられないからこそ、彼女の魂は叫びを上げ涙を流させる。

だがそれでいい。 きっと今はそれでいいのだ。

ある人は涙する事はこころに対する肉体の敗北だと言った。それは我々がこころという存在を持て余すことの証明だと言った。

だがそれでいい。

こころとは御すものでは無いから。 押し殺し、封じ込めるものでは無いから。

 

だから今はこころのままに、心の叫びたる涙を流すことが、ルキアに出来る全てであり、必要な事。

感謝の言葉を涙とし、溢れさせることが彼女に出来る唯一。

 

 

深く積もった雪景色の中、ただただ涙するルキア。

その涙は、その涙の意味はきっと、彼へと届くことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩み来るは

 

忘我の彼方

 

無くしたものは

 

己かそれとも

 

真実か

 

 

 

 

 

 

 




前回、雪が解ける前には投稿を…… などと言いましたが……

すっかり解けちゃいました。

厳密にはまだ残雪はあるんですが、あの二週連続の大雪の痕はもうほとんど無いです。
ホントは雪がもっとある中で投稿できれば、季節感もあってよかったんですが遅筆が恨めしい。

中身は一護とルキアの回。
まぁほとんどルキアの回、というか海燕の回ですね。
オイシイところは全部持っていってる印象。

夢って朝起きた瞬間忘れちゃうんですよねぇ。
今回のルキアもきっとそんな感じかと思います。
それでも、何処かで覚えている、と。

さて、このペースだと次はGWあたりか?
何かがまかり間違えばもう少し早まるとは思います(オイ

ではまた次回に。

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