BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.94

 

 

 

 

 

 

 

 

朽木ルキアが修行に励み、黒崎一護が己の精神世界に埋没していた頃。

虚圏(ウェコムンド)でもまた物語りは動く。

 

破面の、そして藍染惣右介の城である虚夜宮(ラス・ノーチェス)より遠く離れた砂漠、白く見果てぬ砂だけの世界。

そこでただ気ままに、争いや殺伐とした殺し合いとは無縁の生活を送っていた破面、ネル・トゥ、ペッシェ・ガティーシェ、ドンドチャッカ・ビルスタン。

彼等の素性は既に周知のところであり、今更説明するには及ばないだろう。

こうして虚夜宮から遠く離れた砂漠に彼らがいたことも、彼らが今まで辿ってきた道を思えば至極当然と思えた。

 

だが時に運命は個の思惑をいとも簡単に押し流す。

 

それもやはり彼等にとって運命と呼ぶべきものだったのだろうか。

この広大な果て無き砂漠でソレと出合ったこと、この出来すぎた出会いこそまさに運命だと。

そして運命とは望む望まざるを介さぬ濁流である。

彼等、いや彼女を除いた彼等二人の思惑、それは定められた必然の如き運命によって流されるのだ。

 

背を向けた始まりの地、二度と近付かぬと決めた思い出の地、大切なものを守れなかった悔恨の地に向かって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんてことするのだッ! なんてことするのだッ!こっちはもういよいよ折れたかと思ったのだ!ていうか逆に折れてない事にビックリなのだ!」

 

 

地団駄を踏むシロアリ、もとい地団駄を踏むペッシェ。

プンスカといった風を存分に押し出し、ダンダンと砂漠を踏みつける彼。

おそらく折れた折れていないというのは彼の足の事なのだろうが、その様子を見る限りまったく問題は無さそうだった。

 

 

「そうでヤンス! なんで折れてないでヤンス!ここは絶対折れてた方がオイシイ場面だったでヤンス!」

 

「ドンドチャッカ、そっただこつ言っだらダメッス。そんじゃペッシェが空気読めないシロアリみたいでねぇだか」

 

「ってまさかの裏切りッ!? 」

 

「………… 」

 

言葉の援護射撃を期待したペッシェだったが、待っていたのは味方誤射、いや誤射ではなく正確に背中に狙いをつけた言葉の射撃だった。

振り返り様のツッコミはまさに神速であり、無駄なところに能力が割かれているのがありありと見て取れる。

まぁ彼らからすればその無駄な部分こそが日常であり、平穏の象徴であるのだから仕方ないのだが、彼等の前に座り先程までペッシェに文句を言われていた男は、彼等の調子に合わせることも無く無言である。

 

 

「……え? 何この感じ? 私もしかしてスベってるのだ? 」

 

「そんなこつねッス。 ペッシェがスベってるのはいつもだけんど、まさか無視されるっつのは予想外ッス」

 

「あばばばば。 オイラたちオモシロくなくなったでヤンス~」

 

 

ツッコんだのち流れた沈黙。

たっぷり十秒ほどそのまま固まっていたペッシェら三人は、ササっと角を突き合わせるように集まると小声で状況を確認する。

彼らとしては図らずも砂漠から引っ張り出してしまった(・・・・・・・・・・・)相手に対し、どういった対処をすればいいか迷った結果、とりあえず反応を見ようと普段通りのやり取りをしてみたのだろう。

彼の反応如何で相手を量ろう、という魂胆だったがまさか完全に無視されるというのは予想外。

だがここで重要視されているのが、相手の素性や反応より自分達が“面白かったのかどうか”というあたり実に彼ららしい。

 

そんなやり取りの中、チラリと今も尚無言で明後日の方を向いて座る男を見るペッシェ。

無意味ではあるが見た目はおおよそ20歳ほど、短く逆立った髪は金髪で、後ろ髪はやや長いのか頭の後ろの方でぞんざいに結われいた。

上半身は裸、下は所々血の付いた白い袴で足下は裸足。袴は足首の辺りで結われており。 顕となっている上半身は細くはあるが筋骨隆々の身体つきで、胸には横一文字に刀の傷跡のようなものが見て取れる。

そして何より左の目の下あたりに白い仮面の名残、額には菱形の仮面紋(エスティグマ)、極めつけは胸のやや下あたりには孔が空いている、ということはもう答えは一つ。

 

 

(コイツ、どう考えても破面なのだ。 しかも野良じゃなくて完全に成体の…… )

 

 

そう、その姿は完全に人型の破面。

破面は元となる大虚(メノス)の階級や破面化時の状況によってその見た目を左右されるが、完全な人型という事は最低限でも中級大虚(アジューカス)か、或いは完璧な破面化技術、またはその両方の可能性しかない。

そして現在この虚圏でそんな技術と素体を備えているのは、藍染惣右介の虚夜宮以外ありえないのだ。

 

 

(どういう事なのだ? まさかネル様への追っ手…… いや、それでは辻褄が合わない。 追っ手ならこの状況で何の行動も起さないのは不自然、なによりこの破面の身なりは追っ手とは到底思えないのだ。しかし成体であることに間違いは無い…… )

 

 

仮面の奥で眼を細めるペッシェは、視線の先に捉えた破面について思考を巡らせる。

彼にとって最も危惧すべきは、この破面がネル、いやネリエルに対する追っ手であるという事。

風の噂でネリエルは失踪という事になっているのは既に彼らにも判っている。だがそれでも、彼らをこの状況に貶めた張本人達からすれば話は別だろう。

少なくとも彼等張本人達はネリエルが生きていることを知っている。

そしてノイトラは別としてもう一人、ザエルアポロにとってこの状況は非常に興味をソソる事だろうと。

確かに今まで追っ手らしい追っ手が彼等の前に現われた事は無い。だがそれが今後もそうであるという保障には何一つならない。

ソレが今目の前に現われた、という可能性をはじめから無視することは出来ないのだ。

 

だが僅かな逡巡の後、ペッシェはその可能性が限りなく少ないとも考えていた。

まずもってこの状況、追っ手にとって標的とも呼ぶべき相手が目の前にいる状態で、この呆けたような態度はありえない。

それが演技である可能性も無きにしも非ずであるが、この破面はペッシェを含めた三人を意に介してすらいない。

この立ち居振る舞いは追っ手として立てるにはあまりに無理がある。確実性に欠けるのだ。

 

しかしそれでも、目の前の破面が成体の破面であることもまた事実。

一目見てそれがわかる程度には、この破面も力があると感じるペッシェ。

たとえ呆けていようとも、こちらを意に介していなくても判る程度の力、存在感を備えていると。

 

 

(下手に突けばこちらが馬鹿を見るのだ。 対処は慎重に慎重を重ねてもお釣りが来る。まずは相手の出方を伺うことが先決なのだ )

 

「ところでアンタ一体こっただとこで何スてたッスか?」

 

「ネル~!!?? 」

 

 

一人真剣に思考するペッシェ。

思考に埋没し、まるで考えうる最良を探り出さんとするかのように。

至上命題はあくまでネルを守ることである彼にとって、この得体の知れない破面は今もって尚危険な相手に他ならない。

まずはこの破面がどういった類の相手なのか、それが判るまでは慎重を期すと決めた。

 

だが彼の思惑は早々に破綻する。

 

ペッシェが目を離し思考していた僅かな隙、その隙に事もあろうにネルは(くだん)の破面へと近付き、無防備にも話しかけていたのだ。

その様子を確認したペッシェはもう光をも超えるかという程の速度でネルを回収し、三人で固まっていた場所まで連れ戻す。

 

 

「な、何をやっているのだネル! あんなどこの馬の骨とも知れない相手に無防備な!知らない人には付いて行かない話しかけないは、もう虚圏を跳び越えてどこでも共通認識なのだ!」

 

「んだども、ワルいヤツには見えねッス 」

 

「見た目と中身は別なのだ! 私やドンドチャッカのようにオモシロフェイスがそのままオモシロいってのは希な例なのだ!」

 

「ペッシェたつは顔はオモシロいかもスんねけど、中身はそうでもないッス」

 

「今はそこを掘り下げる時間では無いのだ! 」

 

 

ネルと件の破面の間に入るようにして、ネルの顔に数センチのところまで肉薄して叫ぶペッシェの心中はもう穏やかとは程遠い事だろう。

彼にとってネルは何にも増した最優先事項であり、守るべき相手。それが自分から危険に飛び込むのを見るのは、肝が冷えるなどという言葉では生易しいもの。

だがそんなペッシェの心配を他所に、無理矢理連れ戻されたネルは頬を膨らませてご立腹の様子。

慌てるペッシェを他所にその場でピョンピョンと跳びはねながら、ペッシェの肩越しに指を刺し、ネルは再び件の破面へと話しかける。

 

 

「アンタも黙ってねでなんか言ったらどうッス!言葉知らねだか! それともただのネクラか!コミュ障か! 」

 

 

まずもって口が悪い。 しかしそれはこの際問題では無いだろう。

今の今まで延々黙ったままの相手に、僅かばかり苛立ちを感じてるのは仕方が無い。

そんなネルに更に慌てるペッシェとドンドチャッカだったが、彼女の言葉にかそれともいよいよ面倒だと思ったか、ついに件の破面は口を開いた。

 

 

「言葉は知ってる。 ネクラでも無ぇ。ただうるせぇのは無視に限る、おそらく経験上……な」

 

 

明後日を向いていた顔を三人の方に向け、紅い瞳で彼らを見据える件の破面。

別段特別な動作はしていない。 だがどうにも気味が悪いというか、居心地の悪さを感じるペッシェとドンドチャッカ。

理由は判らないが現状のままこの破面の前に立つのは得策では無いと、本能的な部分がそう囁いているかのように。

だがネルだけはそんなもの微塵も感じていないのか、ペッシェの横をすり抜けると、砂漠に座る件の破面の前に立った。

 

 

「そんならアンタこんな砂漠で砂に埋まってなにスてたッスか?」

 

「さぁ? 覚えて無ぇ(・・・・・)な 」

 

「じゃアンタどっから来たんッスか? 」

 

「さぁ? 覚えて無ぇ(・・・・・)な 」

 

「んじゃアンタはどこの誰なんッスか? 」

 

「俺か? 俺は…… 「ハイ! スト~~プ!そしてタ~~イム! 」…… 」

 

 

ネルは次々に件の破面へと質問を繰り出すが、そのどれもが要領を得ない。

何故此処にいるのか知らず、何処から来たのかも知らず、まるで何かが抜け落ちている(・・・・・・・)ような、そんな破面。

そしてネルのオマエは誰なのだ、という問いに迷うような様子を見せた瞬間、再びネルは器用に両手で“T”の字を作って飛び込んできたペッシェによってもとの場所に連れ戻された。

 

 

「なにするッスかペッシェ! 」

 

「オマエこそ何してるのだネル! 相手はどう考えても破面なのだ!それも我々とは比べ物にならないくらい強力な!そんな破面、あの場所以外の何処から来るというのだ!」

 

「あの場所って何処ッスか? 」

 

「あの場所はあの場所なのだ! 」

 

 

再び連れ戻された事に怒るネルを他所に、小声で捲くし立てるペッシェ。

件の破面の覚えていない、という言葉にどれ程の信憑性があるかは疑問でしかないが、それならそれとして下手に思い出させる必要もないと考えた彼は、事をこのまま穏便に済ませる方向に話を持っていくことを考えていた。

 

 

(下手に虚夜宮の名前を出して刺激してもマズいのだ。おそらくドンドチャッカもそれには気付いている筈、私をアシストしてネルを宥め、あの破面を放り出す手助けをしてくれるはずなのだ!)

 

 

成体の破面、そんなものが何処から来るかなど火を見るより明らか。故にそれを口に出すこともないと。

そして口に出すことで下手に相手を刺激し、何か思い出されても困ると考えたペッシェ。

ネルを守る、という事を至上命題とする彼は、同じくそれを至上命題とするドンドチャッカなら、うまくこちらに話を合わせネルを宥めるだろうと考えた。

下手な危機には近寄らせない。 あまつさえあの虚夜宮に絡むような危険は絶対避ける。これが彼等二人がネルを、ネリエルを守る上で決めたこと。

故に此処は二人でネルを宥める方向に話は進むはず、ペッシェはそう確信していた。

 

 

 

 

「そうでヤンス! あんな破面が居るのは“虚夜宮”くらいなもんでヤンス~!! “虚夜宮”には破面がごろごろ居て、とってもとっても怖い場所なんでヤンス~!だから“虚夜宮”には絶対近付いちゃいけないんでヤンス~!!」

 

「ちょっ! えぇ!? 」

 

「虚夜宮……? なんだ? 聞き覚えがある…… 」

 

「ある意味ナイスアシストーーっ!! 」

 

 

 

これ以上ない場面で連呼される言葉。

いっそわざとだと言って欲しい、そう思ってしまうほど連呼される言葉。

性質が悪いのは本人に悪気は一切無い、という部分だろうか。

ペッシェの確信がもうほとんどフリでしかないほど、ドンドチャッカはものの見事な間で叫んだ。

そしてドンドチャッカが叫んだ言葉は、ものの見事に件の破面の琴線に触れるものだった。

 

 

「虚夜宮っつえば、ものすごく遠くッスよ?アンタそっただとこから何でまた? 」

 

「だから覚えて無ぇ。 チッ! 頭ん中がどうにも冴え無ぇ…… 」

 

 

見事に思惑が外れうな垂れるペッシェを他所に、ネルは親しげに件の破面に話しかける。

厳密には違うのだが、その見た目どおり子供特有の無警戒さは有利に働いたのか、件の破面ももう無視を決め込むのは止めた様子。

ただその様子はどうにも冴えない。 本人も言う通り頭が冴えないという状態が、そのまま纏う雰囲気にも現われているようだった。

それはまるで朝靄の中を歩くかのような感覚なのだろうか。朝という目覚めのときにあって視界を塞ぐ靄の存在、行く先を薄くだが隠すそれは、薄く見えるだけに不安を抱かせる。

見えているからこそ、触れられそうだからこそ、実はそれが幻なのではと。

 

 

「なんだ、そんなこつなら気にすることねッス。ネルも昔のことは覚えて無ッスけど、毎日楽しいッス!ペッシェとドンドチャッカが一緒に居てくれれば、ネルはそれで満足ッス!」

 

「…………ハッ! 満足……かよ 」

 

「ん? ネルは何かおかしいこつ言ったッスか?」

 

「いや、何もおかしな事は無ぇだろうさ 」

 

 

自分も同じだと。 覚えていないのは自分も同じだと。

だがそれでも自分は今に満足しているからきっとお前も平気だと。そう語るネルの顔には満面の笑みが浮かんでいた。

その笑顔はきっと彼女の言葉が心底本心によるものであるという事であり、疑いも不満も無い事の現われなのだろう。

そんな彼女の様子に、件の破面は本当に小さくだが笑った。

まるで物珍しいものを見るように。 何の疑いも無い姿に驚いたように。そしてどこか羨むように。

 

件の破面にとってネルが発した“満足”という言葉は、たとえ頭に靄がかかっていようとも突き刺さるに充分なものだった。

それはきっと彼にとって満足とは、ネルが語ったようにただ誰かが一緒に居てくれれば得られるものではないからなのだろう。

彼の歩んできた道程、その中で彼が求めた満足とは、ただ平々凡々と暮らせば得られるものではなく。むしろ平々凡々な日常を自ら忌諱するように歩む事でしか得られないと。

思考ではなく彼の本能的な部分がそれを叫び、しかし目の前の小さな破面はその平々凡々の満足(・・・・・・・)に欠片の疑いも持っていない。

その様子はきっと彼にとって衝撃的なものですらあり、冴えぬ頭であってもおもわず笑ってしまうほど、彼にとって真新しい感覚だったのだ。

 

ただ誰かと共に、記憶など無くとも彼らと共にある、それだけで満足。

今の彼は思い出せないだろうが、そういう満足を得られる者は他にもいる。

二人で一人の彼と彼女、いや主にその片割れである彼の場合それ以外にも余計なものを背負い込んでしまう性質があるが、それは今語るべくも無く。

ネルにも、二人で一人の彼と彼女にも共通するのは、自分以外の誰か(・・・・・・・)の存在だろうか。

その存在がいるだけで、それだけで満たされる事。そんなこともあるのだなぁと、きっと件の破面は冴えぬ頭で改めてそう感じたのだ。

 

だが彼は気付いていない。

 

他者の存在があるだけで満足だ、と言うネル達を物珍しくも何処か羨むみながら、彼の求める満足にもまた他者の存在(・・・・・)が不可欠である、という事を。

 

 

 

「えぇいもういいのだ! ドンドチャッカの天然にはウンザリなのだ!おいオマエ! せっかく砂漠から引っ張り出してやったんだから、もう何処へなりとも好きなところへ行けばいいのだ!私たちは私たちで行きたいところに行くからここでおさらばなのだ!」

 

 

いい加減面倒になりました、という雰囲気を隠そうともしない声。

そもそも穏便に、とか気を使ってというのが面倒を生んだ種と気付いたペッシェ。相手が追っ手で無いなら、いや追っ手であったとしてもここは呆けているうちに逃走を諮るのが一番手っ取り早いとした彼は、ネルを小脇に抱えて立ち上がり、件の破面から距離を置く。

 

 

「えぇ~! ペッシェそんな冷てぇこつ言わねぇでッス。かわいそうでねぇだか 」

 

「そうでヤンス! そうでヤンス! 」

 

「よしドンドチャッカ、まずオマエは黙るのだ。そしてネル! 世の中とは常に非情なものなのだ!それによくよく考えればこの辺は長居するべきではない(・・・・・・・・・・)場所。そういう場所ではお荷物は放置、これ基本なのだ」

 

 

ペッシェに抱えられながらも件の破面に対し、あまりに冷たいと憤りを見せるネル。

だがペッシェは煽るドンドチャッカを黙らせ、更にネルの言葉も却下した。

その理由はおそらく彼が言った長居するべきではない、という言葉に帰結するのだろう。

そしてペッシェは最後に件の破面へと声を掛ける。

 

 

「ということでオマエはここに放置なのだ。何処へなりとも行くがいい。 ただここに留まる事はあまりオススメしないのだ。きっと面倒な事になる…… 」

 

「あぁ。 そうするさ。 ……だがな、ひとついいか?」

 

「な、なんなのだ? 」

 

 

それはペッシェなりの優しさだったのかもしれない。

置いていく事への負い目か、或いは別の考えか、どちらにせよこの場に留まる事は避けた方が良い、という彼の言葉に嘘は無いのだろう。

そんなペッシェの言葉に、件の破面はさして異を唱えることもなくそれを受け入れた。

ただ意味深な一言だけを残して。

件の破面の言葉に妙な凄味でも感じたか僅かにたどたどしくなったペッシェを他所に、件の破面はその場において決定的な言葉を口にした。

 

 

 

 

 

「その面倒事とやら。 どうやら避けては通れない(・・・・・・・・)らしいぜ?」

 

 

 

 

 

え? とペッシェが聞き返すよりも早くそれは現われた。

轟音と共に現われたのは、砂漠を下から突き上げたような巨大な砂の柱。驚き振り返ったペッシェの視界に映るその砂柱の中から現われたのは筋骨隆々の大男だった。

はちきれんばかりに肥大した筋肉、身長は2mを優に超え、上半身は裸で腰と上腕、脛の辺りにはなにやら獣毛(じゅうもう)で出来た布を巻き、右手には片刃の大斧。

ボサボサの長髪で、頭の両側には鋭く長い角のような仮面の名残が。

そう、虚夜宮に住まう洗練された姿のそれとは違うが、この大男はまさしく破面だった。

 

 

「なんてこった! イヨック・ナ・モデントなのだ!この辺り一帯はコイツの縄張り、だからさっさと逃げようとしてたのに水の泡なのだ~!!」

 

 

その破面の姿を見るや叫ぶペッシェ。

イヨック・ナ・モデント、それがおそらくこの筋骨隆々の破面の名なのだろう。

そしてその名をペッシェが知っている程度には、この界隈では名の通った存在であるという事が伺える。

 

 

「どこのどいつだぁ? このチョーツヨイおれ様の縄張りに勝手に入り込んだチョーヨワイ馬鹿野郎はぁ!」

 

 

叫ぶだけでバリバリと空気が震えるような大声。

ネルやドンドチャッカは思わず両手で耳を塞ぎ、ペッシェも顔を背けてしかめる。

相手を威圧する、萎縮させる手段として強烈な声というのは効果的であるが、今はまさにそれがハマった状態。

大声一つで相手をその場で身動きできなく縛り付ける。原始的であるが効果的だ。

 

 

「このチョーツヨイおれ様の縄張りに勝手に入ったチョーヨワイ馬鹿野郎は皆殺しだぁ!チョーヨワイお前らに文句は言わせねぇ!! 」

 

 

大声で叫ばれる言葉は理不尽極まりないもの。

だが恐怖と暴力、それが支配する虚圏においてその理不尽は転じて真理となる。

弱ければ死に、強ければ生きる。 絶対の真理は力の強弱に帰結し、この場で己が強者だと疑わないイヨックの言葉は神の宣告にも似た力を有するのだ。

 

 

(どうするどうするどうするのだ!? ヤツは野良破面だが強いッ!逃げるかそれとも戦うか? 逃げても逃げ切れる保障はどこにもないのだ!かといって戦って勝てる保障もないのだ!ここは私とドンドチャッカが生み出した“融合虚閃(セロ・シンクレティコ)”で一気に決めるか?だがもしそれが効かなかったらお終いなのだッ!どうする? どうやってお守りする!どうするのだペッシェ! )

 

 

ぐるぐると高速で回る思考。 だが遅々として答えは出ない。

このまま何もしなければ死ぬ、逃げれば活路はあるが確実では無い、戦ったとしても同じ事。

なにより“ネルを守る”ことが命題であるペッシェとドンドチャッカが、ネルを危険な状態に晒したまま戦えるはずが無い。

回る思考の中、ペッシェは己の無力さ、至らなさを痛感していた。

数年前も、今も、自分にもっと強力な力があったなら結果は変わっていたことだろうと。

研鑽を積んでも二流が関の山、それもドンドチャッカと二人でようやくそこに届く程度。恨めしいまでの無力感。

そんな力で“守る”と口にすることの愚かさ、しかしそれでも守ると決めたことに対する“誇り”、そのふたつが鬩ぎ合い、しかしこの状況を打破する回答は得られない。

 

どうする、どうする、そう問うばかりで答えは出ない。

足を止めても死、動いても死、なにをしても死、望みは劇的な変化(・・・・・)だがそれも薄い。

どうするどうすると問いながら、そんなわずかばかりの希望に縋りたくなってしまうほど、ペッシェは状況に追い詰められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「声が無駄にデカイんだよ。 木偶の坊(デク)

 

 

 

 

 

 

 

 

それはペッシェの後方から発せられた。

座ったままそう呟いたのは件の破面。 イヨックに比べ決して大声という訳では無いが、その場にいた全員がその言葉をしっかりと聞き取っていた。

一言零すと件の破面はスッと立ち上がり、袴についた砂を払うと、ネルを抱えたペッシェの隣を音も無く通り過ぎる。

その先にいるのは無論イヨック。 そう件の破面は無造作にもイヨックの前に立ったのだ。

 

 

「なにを考えているのだ! オマエが成体の破面だからといって、必ず野良破面に勝てると思っているなら大間違いなのだ!」

 

 

あまりにも無造作に横切った件の破面に、一瞬呆けてしまったペッシェが叫ぶ。

イヨックの強さを件の破面よりは正確に知っている彼は、件の破面の無造作な立ち振る舞いを“慢心”と受け取っていた。

自分は成体の破面、相手が破面でも野良程度に負けるはずもないと。

だがそういった考えは危うさでしかない。 相手を型に嵌めて考え、その型をはみ出す事を想定していない考え方。

力の差は歴然であるという決め付け、その先に待つのは死だ。それも相手ではなく自分の。

無造作であり無謀、それとしか取れない件の破面の振る舞い。

だが叫ぶペッシェを他所に件の破面はそれが自然なことのように口を開いた。

 

 

「相手がどうの、なんてのは関係無ぇ。 相手が俺の予想を超えるならそいつは儲けもん(・・・・)だろうよ。だがなぁ…… 残念だがコイツはダメだ。 俺の冴えねぇ頭でもそれくらいは判る。コイツじゃ足らねぇ(・・・・・・・・・)って事くらいは……なぁ」

 

 

視線もくれず、ペッシェに背を向けたまま語られる言葉。

その全てに溢れるのは圧倒的なまでの自負。傲慢なまでの確信。

自分が何処の誰で何故ここに居るのかも覚えていないような、そんな状態であるにも拘らず、件の破面には揺ぎ無い何か(・・・・・・)がみてとれた。

それはきっと記憶。 ただその記憶は頭に記録されるものではなく、身体に、魂に刻み付けられた記憶。

彼を彼たらしめるもの、彼という存在を形成するもの、それらがきっと彼に叫ぶのだろう。

 

コレ程度に後れを取る俺では無い、と。

 

 

「なんだぁ? オマエ、チョーヨワイちびの癖にチョーツヨイおれ様への口の聞き方も知らねぇのか!!」

 

 

侮られた。

イヨックがそう感じるのに、件の破面の言葉は充分だった。

叫び声は輪をかけて大きくなり、吹き上がる霊圧も圧力を増すかの様。

怒り、最も単純な衝動、だが最も単純だからこそその衝動は力へと変わり、あふれ出す。

吹き上がる霊圧は砂を巻き上げ、額や腕に青筋が浮かびイヨックの威容をより強大に見せていく。

 

 

「見ろ! あれでもまだやる心算なのか! 」

 

 

イヨックから吹き上がる霊圧、それを目の当たりにしたペッシェは叫ぶ。

まだやる心算なのかと、オマエがどれだけ強いか知らないが、アレを見てまだやる心算なのかと。

ペッシェから見てイヨックの霊圧に対して件の破面の霊圧は明らかに小さい。霊的生物である破面や死神の戦いとは、突き詰めれば霊圧の戦いであり、その強弱が優劣を決する重要な因子になる。

それを知っているからこそ、ペッシェは言外に言うのだ、戦うことなど間違っている、と。

だがそんなペッシェの言葉に、件の破面は小さくクッと笑って答えた。

 

 

「やるさ。 やるに決まってる。 俺はきっとそういう生き方(・・・・・・・)をしていた筈だろうから……な。それにこいつは礼だ、そのガキはなかなかオモシロイ話をしやがった。面倒事くらいは払ってやるよ 」

 

 

やる、と。 やるに決まっている、と。 それが当然の事だと。

件の破面に恐れの色は無く、寧ろ纏う雰囲気は先程よりも活力に満ちている。

それはきっと彼の言う通り、頭の中の朝靄の先にいる彼はそういう生き方をしてきた、という事の証明なのか。

平穏ではなく、霊圧と血、生と死が入り乱れる戦いの中に生きていたという事の証明なのか。

だからこそやる。 それこそが自分にとってもっとも正しい生き様(・・・・・・)だと、彼の身の内に住まうモノが叫ぶにまかせて。

 

 

「おい! チョーヨワイちびの癖にチョーツヨイおれ様を無視するんじゃねぇ!!」

 

 

まるで自分の存在など無い様に語る件の破面を前に、イヨックは怒りを更に爆発させる。

彼にとって絶対的な存在は自分、それを無視すること、あまつさえ自分より弱いものがそれをすることが我慢ならなかったのか。

その考え方は嘗て虚夜宮を震撼させた暴君に通じるものがあるが、今はそれを語るべくもなく。

重要なのはイヨックの怒りが爆発し、戦端はどんな切欠でも開かれるという事。

 

 

 

「なんだ? 随分とお行儀がいい(・・・・・・)こった。仕掛けるなら勝手にしな、戦いってのはそういうもんの筈だろうが」

 

 

 

件の破面にとっては何気ない言葉、だがイヨックにとっては充分な言葉。

まるで畏まった儀式、祭典、あるいは形式が決まりきった演舞かのように。 “はじまり”の合図でもなければ戦いが始められないのか、と問う件の破面の言葉は、野性味溢れるイヨックに対する嘲りにもとれた。

その偉容、野生的な外見にそぐわず随分と礼儀正しい、いや随分と“良い子”な事だと。

虚圏、戦いに生きる者にとってもっとも屈辱的なのは“舐められる”事だろう。侮られ、見下され、獲るに足らぬとされる、それも自分より弱いものから。

故に行動に起すには充分。

イヨックが件の破面へ襲い掛かるのに、彼の言葉は充分すぎたのだ。

 

 

振り被られたのは左の拳、右手に握った大斧ではなく、あえて拳という肉体での一撃。

武器の威力ではなく己の五体の威力で圧倒する、イヨックが本能的にとったその選択は、彼の自尊心から来るものだったのだろう。

それと同時に二人の間の距離はイヨックの豪快な響転(ソニード)によって瞬時に潰され、直後、件の破面が立っていた位置に拳は着弾し、轟音と共にまたしても巨大な砂の柱を生み出した。

 

 

(ダメだ…… 完全に避けられていなかったのだ…… あれだけ大口を叩いて結果はこのザマ。 傲慢が過ぎればこうなるという良い見本でしかないのだ!)

 

 

一瞬の出来事。 それを見ていたペッシェは内心で呟く。

彼とて破面の端くれ、反応も対応も出来ずとも、何が起こったかくらいはかろうじて目で追える。

ペッシェに見えたのはイヨックの拳が間違いなく件の破面に“当たった”光景であり、それは同時に終末の光景。

身体の大きさ、霊圧、それに見合った攻撃の威力、それを幾ら成体の破面といえど正面から受ければ、無事なわけがないと。

煽るだけ煽った結末、呆気なく訪れたそれにペッシェは毒づくことしか出来なかった。

 

 

「ワハハハ!! 見たか! チョーツヨイおれ様に刃向かえばどうなるかを!」

 

 

拳を退き、ふんぞり返って叫ぶ声に浮かぶのは確信。

己の一撃が強力であるという確信と、己の一撃が敵を粉砕したという確信。

確認の必要は無い。 何故なら彼が、イヨックが確信しているという事は今までそれは確定的な結末だったから。

彼が思うことは全て実現し、全ては彼の思い通り。

力にものを言わせ縄張りを支配していた彼の確信は、既に確定的な予言に等しかったのだ。

 

 

今日、この日この時に至るまでは。

 

 

 

 

「おい。 まさか今の程度で終い、じゃねぇよなぁ?」

 

 

 

 

突如発せられた声に、イヨックはその場を飛退いてしまった。

彼にとってそれは驚きの出来事でしかなく、何故なら彼にとって既に確定的な結末を迎えていた筈の相手が、彼に向かって声を発した、という事実。

飛退きやや低い体勢で固まるイヨック。そしてつい先程自分が渾身の力を振るった結果生まれた砂柱の煙が晴れると、そこには先程と何ら代わらぬ姿で立つ件の破面の姿があった。

 

 

「なっ!? 」

 

 

驚きの声を漏らすペッシェを他所に、件の破面はコキコキと首を鳴らし、一度胸元の刀傷へと視線を下げると、今度は拳を何度か強く握っては開くを繰り返す。

その仕草はまるで何かを確認しているようにも見えるが、戦いの最中にあってその行動はあまりに不用意にも見えた。

 

 

「ヌオオオオ!!」

 

 

その不用意さを見逃す事無く突っ込んだのはイヨック。

自分の確信を覆した相手に驚きを感じはしたが、自分にも希に間違いはあるとした彼は今一度、件の破面を屠らんと拳を振り下ろした。

 

 

「!? 」

 

 

だが、先程と違ったのは、拳を振り下ろし件の破面へと当たる直前、拳はあらぬ方へと弾かれてしまった(・・・・・・・・)こと。

件の破面を射程に捉え、拳を振り下ろすを繰り返すが結局拳はあらぬ方へと弾かれ、件の破面を捉えるには至らない。

 

 

「なんだ!? なんだぁ!? 」

 

 

何が起こっているのか判らず動揺するイヨック。今まで経験した事がない違和感が彼を襲っていた。

しかし自分に何が起こってるのかが判らないイヨックとは違い、その光景を第三者として見ているペッシェにはかろうじてだが見えていた。

この出来事、イヨックの攻撃の悉くが何かに弾かれるその原因を。

 

 

(は、払っている……のか? アイツあのイヨックの拳を、怖ろしい速さで払っているのだ…… それも何気なく、まるで自分の周りを飛ぶ虫を追い払うように自然に…… 呼吸のように自然に、何の苦もなく……! )

 

 

当事者としての視野狭窄、己が力に絶対の自信を持ちすぎた事での思考停止。

本来イヨックにも見えるものが見えていない理由は、きっとそれに尽きるだろう。

目の前で払われ続ける己の拳、その理由、考えれば判る事をはじめから斬り捨ていているから判らない。

自分の攻撃が完全に見切られている(・・・・・・・・・・)という結論が導けない。

結果残るのは馬鹿の一つ覚えのような単調な連続、繰り返しだけ。それでもそれを続けるイヨックに件の破面は小さく溜息をついた。

 

 

「まだやる……かよ。 ならどうだ? これなら判るか(・・・・・・・)?」

 

「なっ! がっ!? 」

 

 

いい加減繰り返しも飽きた、といった雰囲気を感じさせる言葉。それが呟かれると同時に事態は変化する。

突如二人を中心に円形の衝撃が奔り、それを追う様にブワッと砂が舞い上がったのだ。

 

そして拳の乱打は止まった。

いや正確には止められた(・・・・・)と言うべきか。先程まで払うだけだった拳を件の破面は受け止めた(・・・・・)のだ、それも正面から微動だにすらせず。

衝撃だけは砂漠へと逃げ、先程の円形の衝撃波へと変わったがその中心は逆に静か。

受け止められたことの驚きもそうだが、イヨックがそれ以上に驚いたのはその後に自分が何も出来ない(・・・・・・)事。

掴まれ受け止められた拳は、力任せに押すことも出来なければ逆に引く事も出来ず、まるでその場に固定されてしまったかのように動かせない。

そしてその理由は簡単。 イヨックがその象の腕が如き太さの腕に込める力よりも、件の破面が受け止め掴んだ手に込める力の方が上回っている、という事実。

ギギギと歯軋りをし、額に汗を浮かべるイヨック。腕には更に青筋が浮かび筋肉が隆起する。

至極簡単な事実を受け入れるよりも、更なる力を込めて状況を打破しようとする行為は無駄でしかないが、彼にはその無駄をするより他の選択しは無いのだろう。

 

 

「おい木偶の坊。 お前その手に握った斧は飾りかよ」

 

「ッ! ンガァァァ!! 」

 

 

件の破面の指摘は至極真っ当だった。

はじめは力の差を見せ付ける、という目的を持っていた拳での攻撃も、いつの間にか目的を失って単調な繰り返しへと意義を落としていたのだから。

だからこそ件の破面の指摘、右手に握った斧を使えばいいという指摘は真っ当で、しかし彼の口から出るべき指摘ではなく、更に彼の口から出るまで忘れていたイヨックには恥をかかされた結果しか残らない。

天高く振り上げられた片刃の大斧、振り下ろされるその軌道に残される結末はきっと両断のみだろう。

その結果は容易に想像できるはず、だからこそおかしいのはその結果を望むかのように、件の破面がそれを指摘しているという事。

すでに膂力という点で圧倒しているであろう相手に、武器の存在を再認識させ使用させる、そこに何の利点があるだろうか?

 

だがそれを考えるよりも早く、雄叫びと共に斧は振り下ろされた。

 

今日一番の砂の柱。

それだけに留まらず、斧が振り下ろされた軌道上の砂漠は5mほど先まで縦に裂け、V字に砂が弾け飛ぶ。

猛烈、そして激烈な一撃。 怒りによって箍が外れるとはまさにこういう事を言うのだと再認識させられる、そんな一撃が件の破面目掛け叩きつけられた証拠だ。

 

 

「アバババババ~!! 」

 

「こ、今度こそ終わったのだ…… 」

 

 

あまりの一撃に背を向け頭を抱えて縮こまるドンドチャッカと、件の破面の死を確信した様子のペッシェ。

彼らにとって怖ろしいのは、件の破面が殺されたことではなくその後に待つのは自分達だということ。

いや、自分達ならまだいいがそこにネルが含まれてしまう、ということ。

逃げ切れる自身は既になく、あの状態のイヨックと戦って勝てる自信もない。はじめから手詰まりではあったが、更に状況だけが悪くなり最早打つ手なし。

彼らに出来る事はもうない。 そう二人が諦めかけた中、ネルだけが目を逸らさずイヨックと件の破面の方を見続けていた。

 

 

「まだッス…… まだ、終わってねッス! 」

 

 

嘗ての彼女ならばいざ知らず、今の彼女に探査神経(ペスキス)やその他霊的知覚を求めるのは酷だろう。

だがそれでも彼女は言う。 終わっていないと。

それは確信では無い。 ただ彼女がそう信じているというだけの話。

根拠などなく、あまりに薄く、拙く、しかしネルにとってそれはそれだけで充分なもの。

僅かしか言葉を交わしてはいないが、それでも彼女には判った。

嘗て、今のネルが知らぬ過去の彼女は戦いを否定しながらも戦いに身を置き、その中で培った理性を凌駕するある種の直感。

それが今、囁くのだ。

この破面は、金の髪に紅い瞳のこの破面は、“自分を曲げない”男だと。

自分を曲げず、自分の言葉と行動に責任を取れる男だと。その責任のためならば己の命すら厭わない凄味を感じさせる男だと。

直感でしかないがしかし、彼女はそう感じたのだ。

 

だからこそ信じる。

自分の直感を、そしてその直感を感じさせた件の破面を。面倒事くらいは払ってやると、そう言った破面を。

 

 

 

「ハッ! なんだ。 存外そのチビが一番よくわかっていやがる」

 

 

 

声はまたしても砂煙の中から。

一陣の風で振り払われたそこから現われたのは、やはり件の破面。

腕もあり脚もあり、首も胴と繋がった五体満足の姿がそこにあり、足下には砂漠に深々と突き刺さったイヨックの斧が。

その斧の背の部分に片足を乗せて押える件の破面の姿がそこにはあった。

 

 

「馬鹿な…… アレを避わしたというのか……?」

 

 

ネルを抱えたまま立ち尽くしているペッシェは、茫然自失の状態で零した。

元々の膂力に加え怒りという根源的な力の爆発を伴ったイヨックの一撃、その威力は割れた砂漠を見れば一目瞭然。

だがそれに晒されたであろう件の破面はまったくの無傷であり、それが示すのはあの至近距離からの一撃を彼が避わした、という事実。

ありえない、そう口をつきそうなペッシェ。

だが件の破面はそれが至極当然といった風で彼に答えた。

 

 

「避わす……か。 ただ真っ直ぐ落ちて来るだけ(・・・・・・・・・・・)のモノ相手に、随分と大げさな話だ」

 

 

その言葉は疑問すら持っていない、といった風で。

ただ上から下へと落ちてくるもの、それを避けたというただそれだけの事に、なにを驚く事があると。

件の破面にとってはきっと、ふわふわと落ちる羽毛も、イヨックが振り下ろす斧も大差などないのだろう。

 

そして何より大事なのは、この一連の動作によってすでに決着が着いている(・・・・・・・・)という事だ。

 

 

ドスン、という音を立てて崩れ落ちたのはイヨックの巨体。

その挙動はまるで糸が切れた人形のように、意思を手放して崩れた事を伺わせる。

目は白目を剥き、だらしなく開いた口の端には泡が浮かんでいた。

何より目を引いたのはイヨックの顎。 彼の顎は赤く腫れ上がり、痛烈に打ち据えられた事を如実に物語っていたのだ。

 

そう、イヨックが振り下ろした一撃はまさに必殺の威力を有し、しかしそれは彼にとっても必滅の一撃。

武器を思い切り振り下ろす、という行動は人体構造上“腕だけ”で行えるものでは無い。

振り下ろす腕と同じように、足は前へと踏み出し、力を入れて踏み込んだことで上半身は前方に倒れ、重心の移動が更なる腕の加速を生み、攻撃の威力を高める。

問題はこの“上半身が前方に倒れこむ”という部分。

思い切り振り下ろす一撃を放つ為、イヨックは深く踏み込み、深く上半身を倒した事だろう。

生まれた上体の加速は、斧に砂漠を割る程度の威力を与えたがしかし、その上体の加速に反撃を合わせられたら(・・・・・・・・・・)どうなるだろうか?

止まっている物体にぶつかる事と、互いが移動し正面からぶつかる事のどちらがより威力と衝撃を増すだろうか。

それは言うまでもなく後者であり、威力は意識を刈り取られたイヨックの姿が証明している。

 

件の破面は何の苦もなくイヨックの斧を避わし、それだけではなく彼の顎目掛けて的確に、拳か蹴りで一撃を見舞ったのだろう。

イヨックの顎は瞬時に跳ね上がり、頭部は後方へと吹き飛ばされるような衝撃を味わったに違いない。

頭が吹き飛ばなかったのは彼の頭を支える太い首あってのことであり、それだけが彼にとっては不幸中の幸いと言えた。

 

そして結果として残ったのは、件の破面がイヨックを圧倒したという結末。

彼が発したとおり、イヨックでは足りない(・・・・)という証明が、ここに成されていた。

 

 

「さぁ、面倒事は払ってやった。 お前らは何処へなりとも行けばいい」

 

 

ネルとペッシェ、ドンドチャッカの方へと歩きながら、件の破面はそう口にした。

まるでここまでが自分の範疇、その後の事など知りはしないといった風で。

あくまでこれは、彼にとっては気まぐれの中の一つでしかないのだろう。たまたまネルの言葉が彼の琴線に触れたから、ただそれだけの事。

それがなければもしかすれば彼は、ネル達三人がイヨックに何をされようと無視を決め込んだかもしれない。

だが結果として件の破面はネル達を救った格好となり、売るつもりもない恩を売った形になっていた。

 

 

「あ、アンタはどうするだか? いろいろ覚えてねんでは……?」

 

「ハッ! 間抜けな話だ。 あの木偶に一発殴られて少しは思い出した。テメェが誰で、何でここに居るかくらいは……な。 存外俺の頭も単純だ、って事かよ 」

 

 

去っていこうとする件の破面、それをペッシェの腕から脱出したネルが呼び止める。

どこか心配そうな表情は、多くを覚えていないと言った彼を慮っての事なのだろう。

過去がなくとも今は幸せだ、と言った彼女の言葉に嘘は無い。だがそれは“過去がなくても問題ない”という事とは違う。

今を幸せだと言えるのは彼女を取り囲む世界が幸せなのであって、過去が無い不安というものは限りなく小さくはなるが、決して消えることは無いのだろう。

だからこそネルは心配そうに件の破面を見る。

過去も無く、周りに誰も無くただ一人、この砂漠をだろう往く彼を。

 

だがそれは杞憂となっていた。

彼は言うのだ、少しは思い出したと。

イヨックに殴られた最初の一撃、然したるダメージも無ければ物理的衝撃もさほど無かったであろう一撃は、しかし彼に思い出させたと言う。

自分が誰で、何故ここに居るのか、という過去の記憶を。

きっと切欠とは些細なものなのだろう。 過去の自分が慣れ親しんだ動き、慣れ親しんだ雰囲気、よく見た風景、ふと香る匂い、そういったものがきっと呼び起こすのだ、失われていた過去を。

そして彼にとって朧気で、頭の冴えを取り戻す切欠はきっと、イヨックと彼の間に出来た空間に他ならない。

相手として足らずともその雰囲気が、醸し出された僅かな匂いが、身の内を奔った僅かな疼きが、イヨックの一撃を切欠に叫んだのだろう。

 

彼という破面の本性を。

 

 

「そっか。 そんならよかったッス。 でもアンタにはネルたつの命を救ってもらった恩が出来たッスね」

 

「ガキが気にする事じゃ無ぇ。 俺は俺で俺のやりたい事をした、それだけの話だ」

 

「それはダメッス! ネルたつは受けた恩を返さねようなボンクラじゃねッス!」

 

 

恩が出来た、そういうネルに対して件の破面はそんなもの気にする必要もないと言う。

自分がしたい事をしたいようにしただけ、それで誰かに恩を売った心算も無ければ、売った心算もない恩を返してもらうことも無いと。

だがネルは簡単には引き下がらない。 もうペッシェもドンドチャッカも置いてけぼりに、件の破面へ迫るネル。

子供ゆえの無警戒などとうに越え、ネルの中で件の破面は信に値するところまで来ているかのように。

 

やいやいと騒ぐネルを、どうにも鬱陶しそうに煙たがる件の破面。

全てが一件落着、そんな雰囲気が辺りにに漂い始めた瞬間、それは爆発した。

 

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

 

 

凄まじい大音量。

最早声ですらなく、言うなれば雷鳴のようなその叫び。

吹き荒れる霊圧も、叫ばれる雷鳴も、その全てはただ一人から発せられるもの。

 

 

「ば、馬鹿なッ! おいお前! なんでアイツがまだ!」

 

「ハッ! 思いの外あの木偶の坊も頑丈だったらしい。まぁ俺も殺してやる(・・・・・)心算が無かった(・・・・・・・)から……な」

 

 

突然の事に驚き声を上げるペッシェ。

驚きついでに件の破面へと食って掛るが、状況はそれに割かれるほど悠長では無いだろう。

その理由はもちろんイヨック・ナ・モデント。

件の破面によって意識を刈り取られたはずの彼は、目覚め、己の状態を知り、状況を把握した瞬間に激昂したのだ。

彼の世界の中心とは彼自身、己を中心に世界は回り、世界とは己の思うがままになるもの。

そう信じて疑わなかった彼にとって、件の破面の存在と彼に対する仕打ちは反逆にも似た許されざる行為。

 

故に排除する。

全力を持って、全戦力を持って。

 

 

「踏み潰せェ!! 汗血牛(テメラリオトーロ)ォォオ!!」

 

 

白く濁った霊子の渦、竜巻にも似たそれがイヨックを包み、次の瞬間四散する。

再び現われたイヨックの姿は既に異形。

足から胴体だけで言えば異様に前傾姿勢をとり、頭の位置は事のほか低く。元々鋭く尖っていた角のような仮面の名残は、その大きさを倍以上とし正しく雄牛の角のように前方へ突き出されていた。

異様なのは背中から肩、そして腕だ。 前傾姿勢となった胴体の背中、その肩甲骨の辺りから白い装甲のようなものが大きくせり上がり、そこから太く分厚い装甲に包まれた牛の前脚が伸びている。

本来の腕はその白い牛の前脚と一体となり、前脚の先には人の手ではなく牛の蹄があり、まるで血気盛んな雄牛のように砂漠をけたぐる。

人と牛、それが一体となったかのようなイヨックの帰刃(レスレクシオン)がそこにあった。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

叫びと共に件の破面へと一直線に突撃するイヨック。

最早彼の眼には件の破面以外映っていないことだろう。

それを前にした件の破面は、近くに居たネルの首根っこを掴むとそのままペッシェの方へと投げ付ける。

直後、鋭く伸びたイヨックの太い角が件の破面へと到達するが、件の破面は両手で双方の角を掴み真正面からそれを受け止めた。

だがそれでもイヨックは止まらず、そのまま件の破面を撥ね飛ばさん勢いで駆ける。

 

踏ん張る件の破面の足が砂漠を削り、砂煙が20mほど続いた後、二人は止まった。

件の破面が止めたのか、あるいはイヨックが止まったのかは定かでは無いが、それでも二人は動から静に移る。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■!!! 」

 

 

しかしその静けさはほんの一瞬。

イヨックは一度状態を更に深く沈め、次の瞬間首をしならせて跳ね起きると、角を掴んでいた件の破面を天高く放り投げたのだ。

そのまま後方に投げ飛ばされる件の破面。だがただ投げ飛ばされた程度でこの破面が動揺などするはずも無く、二度ほど回転しながらスッと砂漠に着地する。

対してイヨックは件の破面が着地する前には既に彼へと向き直り、再び突撃の体勢をとっていた。

おそらくこれが彼の戦い方。 猛烈な突進によって相手を貫くか、或いは踏み潰すか、非常に原始的だが振るわれる力は侮れない。

単純に、ただ単純にしかし、相手の息の根を止めるまで繰り返される攻撃と、繰り返す事が出来る単純ゆえの持続力。

多彩さではなく単一であること、幅がない変わりにハマれば強いという、言うなれば力押しの戦い方がイヨックのそれなのだ。

 

そして再びの突撃が来る。

二、三度前脚で砂漠をけたぐり、四肢の全てを推力として一直線に件の破面へと迫るイヨック。

迫り来るイヨックを前にした件の破面と、それを見るネル等三人。

そしてネル達は見た、見てしまった。 激突の瞬間、件の破面の口元が“ ニィ、と嗤う ”その様を。

 

 

件の破面とイヨックが交差した後、今度は長く続く砂煙は生まれなかった。

その理由は簡単、止められてしまったのだ、イヨックの突撃は。

それもただ止めたのでは無い。

 

激突の瞬間、件の破面はスッと上げた腕を振り下ろし、手刀の様にして叩き折った(・・・・・)のだ、イヨックの角の片方を。

 

角をへし折るほどの手刀、その勢いによってイヨックはそのまま砂漠に突き刺さるようにして転び、彼の攻撃は件の破面には掠りもしなかった

 

 

「解放すれば勝てる……かよ。 随分と甘ぇ見通しだ。俺とお前の“差”ってやつはさっき充分見せてやった、と思ったんだが……な。言っただろうが、お前じゃ足らねぇ、と 」

 

 

足下に突っ伏すイヨックに語りかける件の破面。

刀剣解放、帰刃とはそれだけで戦闘能力が倍掛けとなる切り札だ。

霊圧も、身体能力も上昇し、更には普段封じている本来の能力を肉体に回帰させることこそ、帰刃の真髄だろう。

故に解放とは切り札であると同時に、ほとんどの場合決着を意味する。

圧倒的な力、それが齎すのは勝利、故に決着と。

 

だがそれは、それすらも圧倒する存在を考慮していない考え方だ。

 

現にイヨックの前には現れた。

帰刃などものともせず、あまつさえ二度目の攻撃で彼をを完全に上回ってみせる。そういう存在が。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

だがそれでも、もう止まれない。

彼を突き動かすのは最早怒りではなく、かといって意地や矜持、ましてや誇りでもない。

 

それは“恐怖”だ。

 

得体の知れないもの、薄気味悪く、居るだけで己に害をなすのでは無いかと思えるもの。

正体を掴めず、理解も出来ず、故にただただ膨れるだけの恐怖。

それを排除するためには消すしかない、目の前から、己の世界から、だから殺るしかない。

イヨックに芽生えたそれは正しくはあるが、無謀でしかないもの。だがそれでも止まれないのだ、それが恐怖というものなのだ。

 

 

「これはテメェが俺に売った喧嘩(・・・・・・・)だ。さっきとは違うぞ? キッチリ、片は付けてやる」

 

 

前脚と上体を上げ、棹立ちになって叫ぶイヨックに静かに言い放つ件の破面。

そう、一重にイヨックが生きているのはこの言葉が大きい。

先程、解放前のイヨックとの戦いは、ネル達に向けられたものに無理矢理件の破面が割り込んだようなもの。それは彼が求める戦いの形とはいささか異なるものだったのかもしれない。

だが、今この状況は違うと、彼はそう言うのだ。

そして違うからこそ、先程とは違うからこそ決着はただ意識を刈り取るという、あんな生易しい気絶などで終わることは無いと、そう言っているのだ。

 

対するイヨックとて必死だろう。

恐怖から来る強迫観念とでもいうのか、ここで勝たねば、殺せねば自分が死ぬという直感からか。

血走った眼で息巻く様子は、まさしく猛牛のそれだった。

 

 

だが、決着はあまりに唐突。

 

 

棹立ちのイヨックが大地に前脚を着いた瞬間、件の破面の姿が掻き消え、次には既にイヨックの懐に潜り込んでいた。

そして次の瞬間突如としてイヨックの顎が跳ね上がり、それだけに留まらず跳ね上がった顎を追うように身体までも仰け反り後方へ吹き飛ばされると、仰向けになって砂漠に投げ出される。

仰向けに倒れたイヨックの顔は無残なもの。 顎は完全に砕かれ原型を留めず、それだけではなく頭部は見るに耐えない状態にその形を変えていた。

見れば件の破面は左の拳を突き上げた状態。残心の後、歩き去る件の破面の意識は既にイヨックには向けられていない。

それは既に向ける必要が無いと、彼は知っているから。もうイヨックが立ち上がることも、あの大声を上げることも無いと知っているから。

 

歩き去る件の破面、その先にはネル、ペッシェ、ドンドチャッカの三人。

呆然とするネルに対し、ペッシェとドンドチャッカは彼女と件の破面の間に立つように。

そしてネル達との距離がある程度詰まったところで件の破面は立ち止まり、そしてこう口にした。

 

 

「怖ぇか? 」

 

「ッ! 」

 

 

それはきっとネルに向けられた言葉だろう。

件の破面の言葉にネルは息を呑み、何とも気まずそうな顔をみせる。

あまりに無防備に、そして一方的に親しみを感じていた相手。記憶をなくしていたという共通点もそれに拍車をかけただろう。

同類である、同じ境遇である、自分と同じである。そんな漠然としたネルの考えは、しかしたった今この瞬間打ち壊された。

 

最初に感じたのはあの笑みを見たときだろう。

戦い、命の取り合い、殺し合いの真っ只中にあって、件の破面は確かに嗤った。口の端を上げ、歯を見せてニィと嗤った。

そして今目の前で行われた一連の攻防、いや攻防とすら言えない一方的な勝利という名の搾取、惨殺。

ネルには何が起こったのかまったく判らなかった。だが確実に判るのは、砂漠に仰向けになったイヨックからは、何か“重要なものが失われている”という事。

それは熱であり意思であり、魂であり、総称して生命。

それが失われたという事、そして間違いようも無く件の破面がそれを奪ったという事、それによってネルは知ったのだ。

 

 

この破面は、自分とは違うと。

 

 

「怖ぇか。 いいさ、それでいい。 誰かが言ってやがった。『恐怖を感じないヤツなんてのは、狂った獣と同じだ』、ってな…… ハッ! しかしホント誰だったか(・・・・・)…… どうにも思い出せ無ぇ(・・・・・・)が、俺を怖ぇと思うなら、少なくとも今のお前は獣じゃ無ぇってことだ」

 

 

何も言わないネルを見て、件の破面は別段落ち込む様子も怒る様子もなかった。

そしてこう言うのだ、恐怖を感じるならそれでいいと。

無理に恐怖を感じないふりをする必要も無く、怖いなら怖いと素直に表現すればいいと。

何より、彼が誰かから聞いたと言った言葉、恐怖を感じない者など狂った獣と同じだ、というそれからすれば、ネルは獣では無いと、そう言うのだ。

今のネルにとっては判らぬことだが、嘗ての彼女を知るペッシェらからすると、戦いを避ける選択をしたネリエルであった彼女の本質を突くような言葉に、思わず目を見張る二人。

そしてグッと黙り込むネルだったが、振り絞るようにして声を漏らす。

 

 

「アンタ、これからどこさ行くだ? 」

 

「さぁな。 とりあえず虚夜宮にでも行くとするさ。あそこに行けばもう少し、色々思い出すだろうから…… な 」

 

 

ネルを横目に、件の破面は歩を進める。

問いに対しての答えは、彼にとって僅か思い出した記憶を頼りにしたもの。

定かでは無いが最低限、自分が誰で何故此処にいるのかを覚えているのなら、その間を埋めるのは道理だろう。

 

 

「なぁぁぁああ!! 」

 

 

突然張り上げられる大声にギョッとした様子で振り返るのは、ペッシェとドンドチャッカ。

見れば声の主はネルであり、驚く彼らを他所にネルは自慢の特技“超加速”で、あろうことかなんと件の破面に突進をぶちかましたのだ。

 

 

「……ガキ、何の心算だ? 」

 

 

しかしそれも激突前に当然の様に捕まえられ、ペッシェらの方に再びポイと放り投げられるネル。

慌ててキャッチするペッシェとドンドチャッカを再び他所に、ネルは叫んだ。

 

 

「獣だなんだなんてネルの知ったこっちゃねッス! ……確かにアンタは怖ぇけど、そんでも受けた恩さ返さねでほっとく方が!ほっとける様(・・・・・・)になっちまう(・・・・・・)方がネルは怖ぇッス!」

 

 

お前が怖い、しかしもっと怖いものがあると。

それは恩を受けてもそれを返さないで居られる自分(・・・・・・・・・・・)になってしまう事だと。

教授する事、受け取る事を当たり前にしてしまうこと、それが当然だと思ってしまうこと、それは傲慢だ。

良い行いを受けたならば良い行いを返す、感謝を貰ったなら感謝を返す、そうした真心のやり取りこそが世を平穏へと導く。

ネルにとって恐れるものは、命を奪う行為よりも寧ろコレなのだろう。

だからこそこのまま件の破面を見送る事は、彼女の中で許されない。見送る事こそ恐怖だから。

 

 

「だから恩を売った心算は無ぇ 」

 

「売った心算なくても、ネルたつが受けたと思っちまったから仕方ねッス!この恩さ返さねようでは、ネルたつ“怪盗ネルドンペ”の名が泣くッス!虚夜宮でもどこでもネルたつが連れてってやるッス!」

 

 

食い下がるネルを面倒そうにあしらう件の破面。

だがネルは尚の事食い下がり、そう簡単には引き下がりそうにない。

どうしたものか、いっそ響転で逃げるか、だがこんな幼子相手に逃げる、というのも彼の矜持が許さないのか。

なんともどうしようも無い、そんな雰囲気の件の破面だが、事態は彼を置き去りにし始める。

 

 

「ネルッ! 」

 

 

声を上げたのはペッシェ。

顔つきは仮面で見えないが、声の調子は硬い。

だがそんな彼の様子にも、ネルは動じず食って掛った。

 

 

「なんッスかペッシェ! 」

 

「何度言えば判るのだ! 私は“グレート・デザート・ブラザーズ”しか認めないのだ!」

 

 

予想外の答え。

てっきり件の破面に関わるな、という類の言葉が飛んでくると思っていたネルに浴びせられたのは、本筋ではなく三人の呼称に異議アリというシロアリ、いやペッシェの叫びだった。

正直どちらでもいい、というのが大方の見解だろうが、彼らにとってはどうでもいいことこそ重要なのだろう。

そしてそうなれば残る一人も黙っていない。

 

 

「ダメでヤンス! “熱砂の怪力三兄弟”は譲れないでヤンス~!」

 

 

もうこうなれば収拾がきかないのは一目瞭然だろう。

ヤイヤイガヤガヤと三人集まって話し合う内容は、件の破面の扱いではなく三人の呼び名について。

何とも馬鹿らしい、そう思う件の破面を他所に三人にとってはこれ以上ない真剣で、馬鹿らしい話し合いは続いた。

 

 

「いよ~し判った。 とりあえず今後は大声とノリで押し切ったものの勝利、という事で決着なのだ。 ……さて、おいお前! 随分ハッチャけてくれたものだが、あのままでは私達が危なかったのも事実! ……私も鬼では無いのだ、虚夜宮の方まで連れて行ってやらんでもないのだ!」

 

 

話し合いの決着は何ともザックリとしたものだったが、それもまた彼ららしい。

各自異議なしを確認した後、ペッシェは件の破面へと向き直ると、ビシッと彼を指差して叫んだ。

虚夜宮の方まで連れて行ってやらんでもない、と。

 

 

「おぉ! ペッシェ! 見かけによらずいいこと言うでねか!」

 

「ホントでヤンス! 見かけとは正反対の対応でヤンス!」

 

 

無邪気に喜ぶ二人を他所に、ペッシェの胃はキリキリと痛む。

彼にとってこれはギリギリのラインでの行動。

本来ネルの事を考えれば、虚夜宮などに僅かでも近づく事は避けたい。

だが最早ネルの雰囲気は頑として譲らない、という方向で固まっており、今もそして過去もこうなってしまった彼女をどうにかするのは無理だと、彼はよくよく知っていた。

ネルと自分達は一蓮托生、こうなってしまえば後はその方向性の中でどれだけ彼女の安全を確保するかに、考えを巡らせたほうがよほど建設的だとペッシェは判断したのだ。

それでも出来るだけ予防線は張るらしい。

 

 

「いいか! 虚夜宮の方には(・・・)連れてってやるが、決して前までは行かないからな!正門の前とか絶対無理だからな! 僅かでも虚夜宮が見えたらもうそこでお終いだからな!絶対だからな! 」

 

 

ビシビシと何度も指差すペッシェ。

声は何故か涙声で、それがまた彼の苦渋の決断を物語る。

最早件の破面の意思など関係なし。 彼らが件の破面をどうしたいかが最優先となった状況は、なし崩しで彼等の勝ちといったところか。

なんともうるさそうな三人を前に、件の破面は小さく溜息を零す。

そんな彼にテトテトと近づいてきたネル。まだぎこちなさは残るが、それでも彼女なりに懸命に自分の中の恐怖、恐れと折り合いをつけているようだった。

 

 

「そういえばアンタ、名前はなんッスか? 名無しじゃねんだろ?」

 

 

件の破面を見上げるネル。

名を問う彼女の言葉に、件の破面は一度皮肉気に笑った。

その笑みは先程の怖ろしいそれと似通っているようで、しかし何かが違う笑み。

そして見上げるネルに件の破面は言った。 己の名前を、己を己と定義する最初の記号を。

 

 

 

 

「俺か? 俺はフェルナンド。 フェルナンド・アルディエンデだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

紅き炎の破面、フェルナンド・アルディエンデは生きていた。

理由は定かでは無い、それを知る者もいない、だが彼は生きていた。

代償として僅かな記憶を失う事で。

 

失われたそれがどれ程の量か、それは彼以外、いや彼ですら判らないだろう。

それはイヨックの攻撃で僅かにそれを取り戻した後、ネルに恐怖を語った彼の言葉に集約される。

だがこの言葉の重要性はそこでなない。

そう、重要なのは“失われた量”ではないのだ。

 

 

フェルナンドは言った、“誰だったか思い出せない”と。

 

 

この言葉の重要性、それは彼が未だ全てを思い出していないという事の証明あると同時に、何より彼が言った“誰か”とは、彼にとって最も重要な人物だということ。

失われてしまった誰か、その誰かを失ってしまった意味、その大きさ。

彼すら気付いていないその喪失は、彼にとって何より重要なものを失ったのと同義。

 

それに気付かず進む事となった彼は辿り着けるのだろうか?

 

失われたものに、重要な誰かに、そして。

 

 

 

あの日あの時の魂の誓いに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御機嫌よう

 

死神諸君

 

では

 

戦争を始めよう

 

 

 

 




まかり間違うこともなくGW明けの投稿……

GWを楽しく過ごしすぎたかな?
故郷の青柏祭を見てきました。 渋滞にハマリつつねw
電柱よりも大きな曳山(高さ12m)は勇壮そのもの。見ても引いても興奮ですw
おかげでリフレッシュ出来て、やっと書きあがった感じです。

中身はやっと主人公登場!
あまりに書いていないからまぁ掴めない事w
彼らしく書けているか不安です。
文章量だけで見ればかなり多いですけどねぇ。

ではまた次回に。

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