BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

62 / 106
BLEACH El fuego no se apaga.56

 

 

 

 

 

彼の視界に今や色彩は無い。

いや、正確には色はある。

 

それは赤。

 

その一色だけが彼の視界を塗りつぶし、他を排し景色を写していた。

何故そうなったのか、何が起こったのか、本来ならば疑問に思うべき事態であるが彼はそれを気にも留めない。

ただあるのは薄い(・・)という衝動。

目に映る赤、視界を塗りつぶした赤、しかしその赤は彼からすれば酷く薄い赤。

もっと、もっともっと濃く、もっともっと鮮烈で、もっともっと艶やかな赤を彼は求めていた。

他には何もいらず、考える必要も無く、ただ求めていた。

自分の視界が赤に染まった事、その理由を求めるよりも尚、赤を求める彼。

 

彼にとっては今やその理由とやらは瑣末に過ぎないのだろう。

最も重要なのは、この薄い赤を濃い赤へと変える事だけ。

そしてその方法だけが彼の中には今満ちている。

 

 

 

より濃い赤を見るためには、全てを殺せばいいのだという事が。

 

 

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 

 

咆哮と呼ぶには生易しい衝撃波を伴ったそれは、双頭の竜の口より発せられる雄叫び。

人としての形をかろうじて保っていたころの彼の口は、堅い岩の外皮に覆われすでにその顔諸共覆われ、怒りの意匠が掘り込まれたような岩の兜からはただ爛々と輝く赤い目だけが見えていた。

吹き上がる霊圧は緋色の爆風となって辺り一面に撒き散らされ、そこがもし空中ではなく地上であったなら大地の悉くは割れ、爆ぜ、塵となっていただろう。

まるでこの世の殺意がその意を行うためだけに形を持ち、雄叫びを上げるかのような姿。

左右非対称の外見は歪さを強調し、しかしその歪さこそその者にとっては最も似合うものですらある。

 

ネロ・マリグノ・クリーメン。

虚圏の神を自称し、憚らず、思うがままに振舞い、そして蹂躙する暴虐の嵐の名。

十刃として司る彼の死の形こそ今の彼を何よりも端的に顕す。

 

曰く“ 暴走 ”。

 

肉体、精神、その全ての箍、錠前が壊れ、止まる事無く加速し、行く当てすら定まらずただ暴威を振りまく。

ネロに起こっているのはそういった類の出来事。

本来無意識に押さえ込まれた霊圧、それは自身の肉体と精神を安定して保つための一種の防衛本能に近い行為。

しかしネロはその防衛本能を破壊し、理性を放棄し、本能を凌駕し、意思と呼べる全てを手放して押さえ込まれた霊圧を開放した。

その対価として得たのが今の彼の姿。

消し飛んだ肩の肉を補いながらそれ以上に膨張し生まれた二本目の竜頭、歪に巨大化した右手、新たに生えた岩の尾、そしてより強固に全身を覆う黒い鎧。

機能ではなくただ殺すというために大きく、或いは鋭く変化したその姿は恐ろしさすら漂う。

 

まるで底なしかのような霊圧にものを言わせた再生と強化を得た代わりに、彼が失ったのは彼自身。

愉悦も、快楽も、喜びも、悲しみも、怒りも、その何もかもを彼は手放した。

無意識に押さえ込まれたものを無理矢理に表へと引き出すことへの代償。

本来許容できないものを扱うために、しかし許容できる範囲が決まっていると言うならばその為の場所を空けてやればいいとでも言うかのように、かれはその膨大な霊圧を得るために、自らを定めるものを手放していったのだ。

 

今の彼にあるのは最低限のものだけ。

理由もとうに失った、しかし譲れ無いものだけ。

ただ敵を、それ以上に命を殺す為に必要なものだけ。

 

そう、殺意だけだった。

 

 

 

衝撃波のような雄叫びの後、ネロはその竜脚をもって一息に宙を駆けスタークへと肉薄する。

その後にあったのはただ一方的な乱撃の舞台だった。

竜爪が、竜脚が、竜牙が、そして竜鱗までもがスタークを切裂き、或いは引き千切らんと乱舞する。

反撃の(いとま)など無くそれ以上に反撃に転じる事すら考えられないかのような乱撃は、一つの区切りも迎える事無くスタークを追い立て続ける。

その悉くをギリギリの間合いで避わし続けるスターク。

大きく避ければ危機は減る、しかし同時に勝機も減る。

命の奪い合いとは常に表裏一体の理の中にあり、転じる事に刹那の間すらないのだ。

それ故にスタークは間合いを詰める。

銃という特殊な武器、本来間合いは開いていてもそれ程勝機を逃すものではない。

しかし、本能の部類でリリネットの射撃を避けたネロならば、スタークの攻撃も避けられてしまう可能性は捨てきれない。

故に接近する。

避けられぬ距離からの掃射をスタークは狙っていた。

 

 

乱撃の最中、振り上げられたのは手首から先が異様に巨大化した右腕。

巨大な掌とそこから伸びる五指、そして五爪、肩から腕が今まで通りである為その巨大さは際立ち、そして明らかに広がった攻撃範囲でもってスタークを切裂こうと振り下ろされる。

だがスタークはネロの右腕から繰り出された素早く強烈な攻撃をギリギリで避わすと銃を構え、反撃を試みた。

 

しかしネロの攻撃はこれだけに止まらない。

右腕の攻撃は空を切り、しかしネロの身体はその右腕の勢いのまま前転するように回転していく。

そして現われるのは無数の黒き剣と見紛うばかりの岩の棘が乱立した背中。

右腕よりも更に攻撃範囲が広く、そして殺傷能力に優れたそれがスタークへと襲い掛かる。

いかにスタークとて隙間無く乱立する剣の群れを掻い潜れるはずも無く、紙一重での回避を断念し後ろへと飛び退いた。

 

そしてそこは絶対の安全圏、二段構えの攻撃の外側、背中の剣さえやり過ごしてしまえば後は背中を向ける敵の姿があるだけの場所。

背中というのは全てにおいて共通の死角であり、それを晒す事は負けに直結してもおかしくない場所。

故にそこは絶対の安全圏であると同時に絶死の間合いとなるべき場所でもある。

 

が、今は違った。

スタークとてそれを理解していた。

右腕、背中、それをやり過ごしたとておそらく次があるという直感。

戦いにおいて自らの行く末を左右するものがスタークに警鐘を鳴らしていたのである。

 

そして黒い岩山の影から現われたのは三本の大太刀。

無数の棘に覆われ長く伸びた黒い三本の尾、身体の回転に合わせて振り下ろされ叩きつけられようとするその様は巨大な太刀にも似た雰囲気を感じさせる。

飛び退いた筈の絶対の安全圏は、一転し太刀による攻撃の最上の間合いへとその姿を変えた。

それをネロ自身が狙っていたとは考えづらい。

何よりそういった思考は今の彼には無く、強いて言えば彼の殺意という唯一残されたものが、その動きを可能にしているのだろう。

どうすれば殺せるかという事をその殺意が追い求めていたが故に。

 

振り下ろされる三本の大太刀、それを前にスタークは左右の銃を構えそのうちの一本を集中的に撃ちぬいた。

黒い岩の鋼皮、霊圧を込めたスタークの弾丸はまだそれ対抗する分には有効で、黒い棘を蹴散らしながら三本のうち一本を圧しとどめる事には成功する。

それによりややタイミングのずれた太刀と太刀の間をすり抜けるように響転によって移動したスターク。

そしてその彼の眼に晒されるのは今度こそガラ空きとなったネロの背中。

 

そして構えられる二丁の銃、硬度が増しているといってもその銃から撃ち出される虚閃が完全に弾かれたわけでもなく、今だ削れる事は先の一撃で証明済み、ならば再生を上回る速度と物量、そして威力でもって攻撃すればいいと考えたスタークは構えた銃の引き金を引こうとする。

 

 

が、しかしそれは叶わなかった。

 

 

彼が引き金を引こうとした瞬間、彼の視界の端に光る緋色の極光。

僅か、捉えたというのはあまりに微かなそれはしかし、彼に再びの警鐘を打ち鳴らす。

しかしそれは些か遅きに失し、彼を横合いから一発の虚閃が襲った。

彼を飲み込むには充分な範囲と、そして威力を伴ったその虚閃は竜の(アギト)から。

肩から新たに生じた双頭の竜の片割れは本来あるべき骨格、生物としての稼働範囲など無視し、回転する肉体に根元は追従しながらもお構い無し、回転に逆らうようにその頭部を捻り背中へと鼻先を向けると、開いた口から強烈な虚閃をスタークへと見舞っていたのだ。

 

その竜頭の動きは既に常識の範疇から外れ、しかしそれ故にスタークへと虚を突いた一撃を見舞う事に成功していた。

明らかに首の骨が折れる挙動、首が一周したかのような動きをして尚、その首の先の竜頭は顎を開き、雄叫びを上げる。

それはネロが既に外れている(・・・・・)という事を顕すには充分。

暴走した霊圧、暴走した肉体は既に常識という範疇から外れ、彼が唯一残した殺意を具現するためならばどんな事でも可能と判断するかのように、不可能すらその肉体を破壊しながらでも成してしまおうとするかのように動く。

そこに痛みは無い、痛みという感覚すら今の彼には無い、殺した後にある愉悦を感じる事すら今の彼には無い。

今の彼に最も重要なのは”殺す”という行為であり、それによって何かを満たそうとしてるわけではないからだ。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 

捻れた首はグルリと瞬時に元に戻り、何事も無かったかのようにうねりながら雄叫びを上げる。

双頭の竜による雄叫びの重奏、雄々しくも耳障りな声は暗い夜空でも吸い込みきれず辺りを満たす。

まるで世界が揺れているかのように錯覚してしまいそうな音の波はまるで全てを、それこそ生物と非生物の区別無く殺すと宣言しているかのようにさえ聞こえていた。

 

雄叫びの中、ネロから離れた位置で宙に奔る霊子の残滓。

その後に現われたのは白と灰色の毛皮のコートを纏ったスターク。

小さく溜息をつきながら視線をネロへと向けた彼、そこに映るのはいまだ雄叫びを上げ続けるネロの姿。

それを見て再びの溜息をつきながら、スタークは銃嚢へと両の銃をしまう。

 

 

「やってくれるな、まったく…… 流石に避け切れなかった…… か…… 」

 

《スターク…… 》

 

「心配要らねぇよ、大した傷じゃない。だがあそこでああ来る……か。 こりゃ接近戦はマズそうだな、どうせあの馬鹿げた動きもあれだけって事はないだろ…… ったく、面倒な事になっちまったな…… 」

 

 

呟きながらスタークは自らの足へと視線を落とす。

そこにはまるで脛から下が焼け焦げたような彼自身の右足、ネロが放ったスタークの虚を突いたかのような一撃。

スタークはそれを察知し、即座に回避行動に移ったがそれでも間に合わず、ネロの虚閃にその右足をもって行かれたのだ。

その傷を心配そうに気遣うリリネット、そんな彼女の言葉にスタークは問題ない風で答える。

実際ネロの間近からある程度の距離を置いた現在地までを片足で駆けたスターク。

移動という点で言えばまったく問題は無いが、戦闘においては不安が残らないわけではない。

更に予想外であったネロの動き、首が捻れ折れることすら関係無しに彼を狙い撃った様はスタークにとって不安材料でしかなかった。

 

予想、それは経験から導かれる積み重ねの幻視。

数多の戦いを潜り抜けた者のそれは、経験の裏打ちによってより確実性を増していく。

敵が次にどう動くか、何を狙っているのか、数多ある選択肢から或いは可能性からの取捨選択、思考を読み、戦いの流れを読み、身体の微細な動きを読み、そこから導かれる敵の一手。

そして戦いが高度になるにつれそれは先読みの戦いとなる。

一手先、二手先、と敵に先んじる事を己が利としての戦い、心静かに戦う者に見られる極地の思考。

スタークという破面はどちらかと言えばこちらに分類される戦士。

 

敵を見通す事に長けたその戦い、しかし今のネロにその戦い方は通用しなかった。

まずもって読める思考が無い、行動原理に殺意という一過性はあるもそれだけで流れを読めるはずも無く、自らの身体の稼働範囲、傷つく事など無視した攻撃はそもそも読めるものではない。

手詰まり感が否めないその状況、スターク自身も面倒な事と言っている通りあまりに割に合わない戦いですらある。

 

 

しかし、スタークの瞳は戦いを投げたそれではない。

 

 

口では面倒だと言いながらも、その瞳にあるのは勝利への道筋を探す狼の意。

どうすれば勝てる、どうすれば倒せる、どうすれば殺せる。

それを探し続ける餓えた狼の意が、彼に瞳には浮かんでいた。

如何に相手が強くなろうとそんな事は彼には今関係なく、彼にあるのは大切なものを傷つけられそうになった事への蒼く燃える怒りと、その大切なものを必ず守るという強い決意。

それがあるからスタークは諦める事は無いのだ。

 

 

「さて、どうするか…… って、オイオイ。いきなりどうなってんだ?あれは 」

 

 

痛む右足を意識から切り離し、戦いへと意識を向けたスターク。

上げた視線の先に映るのは黒く巨大な岩山とそこから生える竜の頭と尾。

だがその巨大な岩山を見たスタークは驚きと困惑の声を上げる。

それは視線の先で起こった不可解、考えられない光景によるもの。

 

 

スタークの視線の先にいるネロ、その彼は今、双竜の顎から幾本もの虚閃を無差別に、それこそ天地の区別無くただ無差別に吐き出し、連射していたのだ。

 

 

冴え渡り、尚且つ意表をつくかのような攻撃を見せたのは最初だけ。

ネロが、彼の殺意が追い求めた最良の形を見せられたのは、本当に最初の一合だけだったのだ。

冴えは影を潜め、ただ暴が暴として、そのあらん限りを撒き散らす光景。

殺意の最良すらもが暴れだし、ただ粗野で粗暴、見るに耐えないながらしかし力のみは本物であるが故に手におえない。

何を狙うでもなく、何か目的がある訳でもなく、ただただ降り注ぎ、或いは天を逆昇る緋色の雨。

雄叫びと、竜の顎から放たれる虚閃、竜吼虚閃(ドラゴ・グリタール・セロ)はただ無差別に放たれ続ける。

空の彼方、或いは地平線の彼方、時には眼下に広がる砂漠、そして彼等の居城である虚夜宮を掠めるようにして放たれ続ける虚閃群。

 

その行動に、とうに意味は無かった。

スタークを仕留めたのか、そうでないのかも今のネロには判っているか怪しい。

それは今のネロが一つの命を奪う事に執着しているのではなく、ただ命さえ奪えれば何でもいいと、殺戮し、虐殺し、よりこの赤の世界を濃くできればそれでいいとしている為。

質よりも量、大量の血が彼の視界を染め上げる事だけが今、彼がその殺意でもって求めるただ一つ。

 

故に荒ぶる。

 

もっともっと殺させろと、叫びはただの音ではなく虚閃を伴った雄叫びへとその姿を変え、今や降り注ぐ暴雨とすら思える。

災害、ネロ・マリグノ・クリーメンを称するのに最も端的なのはこの言葉かもしれない。

暴君も、暴虐の徒も、そして彼が自称する“神”という呼び名もすべては霞む、今の彼の姿の前では。

前触れ無くただ等しく降り注ぎ、無慈悲に、そして救いなく奪い去っていくその様はまさに災害。

巨大な台風、それが唯一つの肉体に収まったかのような、虚閃を雨の如く降らせる彼の姿はそう思わせるに充分たるものだった。

 

考えなど無く、ただ無計画に際限なく放たれ続ける虚閃。

暴雨の中鳴り響き天を引き裂かんばかりの雷が如き雄叫び。

まるで自分の霊圧に底等無いと言わんばかりの姿、霊圧を弱め数を増やしたわけではなく、常時以上の霊圧を込めた虚閃の大軍。

抛っておけば程無くこの場が更地になるのではないかというほどの暴雨。

それはネロが意図した行動ではないのかもしれない。

 

 

暴走。

 

 

行動に理由も意思も感情も何も無い、理論的思考は無く、説明する事さえ不可能。

どうしてそれに至ったのか、また至るのかを論じるのはあまりに無謀でありそもそもたどり着けるはずも無い。

何故ならそれに理由など無いから、思考も、理論も存在しないから。

唯一ある殺意だけが彼の指針を決め、その感情すら暴走し、何のためのそれだったのかすら忘れている始末。

故に行動に意味は無い。

ただ撒き散らされた災害と同じという事。

 

 

「ったく、仕方ない……か…… 」

 

 

それを前にし、スタークは意を決した。

こんな馬鹿げた者をこのまま抛っては置けないと、彼ら二人がいるのは天蓋の上、そしてその下には同胞が、数多くの同胞が居りこのままでは目の前の竜の餌食になることは目に見えていた。

天蓋の下にいる者にとっては今はどうという事は無い存在であるスターク。

しかしスタークにとっては、スタークとリリネットの二人にとっては彼らは等しく尊い存在。

 

ならばどうするか、問わずとも答えなど決まっている。

彼自身が決着をつけるという答えが。

 

銃嚢に納めていた彼の分身を引き抜くスターク。

銃把を握る手に力が篭り、霊圧はただ巨大に発するのではなく細く研ぎ澄まされる。

穿つ、それは大河の奔流ではなく一滴の水が如く。

自らの意思をそう在らんと変革し、その意思を弾丸に乗せるために。

 

宙を左足で蹴り、その一歩でネロを最も彼の武器が有効である間合いで捉えたスターク。

近すぎず、しかし遠すぎず、敵を捉え逃がさぬ間合いでありスタークの必殺の間合い。

もっともこれから彼が放とうとしている技は、敵に避ける術は無い。

一度放てば敵がその欠片すら残さず消え去るまで続くかのような技、スタークがもつ“切り札”。

故に間合いなど関係ないのだが、それは気構えの問題。

自らの状況、それが最良のものであるという自覚、それがある故に自分は負けないという一種の暗示。

強き想いとは力へと直結する。

自分は負けないという気概無く戦いに挑む者が負けるのと同じ事であり、“負けない”と考えるか“勝つ”と考えるかの違い。

それをもってスタークは殺意すら暴走させ、命奪う暴雨の源となったネロと対峙したのだ。

 

 

再び自らの視界に現れたスタークをネロは岩の兜に埋もれた瞳と、双頭の竜の瞳、合わせて六つの瞳でその姿を確認した。

しかし、今の彼にスタークをスタークとして認識する術は無い。

あれだけの屈辱、あれだけの痛みとそして僅かばかりの恐怖という恥にも似た感情を抱かせた相手、それが目の前に再び現われたというのに彼にはそれを認識する術が無い。

人も獣も、破面も大虚も死神も、今の彼には等しく同じ。

ただ殺戮の対象という区切りでしか認識できない。

血を撒き散らす肉塊としてしか。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 

左腕、そして左肩の竜の顎が岩で覆われ閉ざされたネロの言葉を代弁するように雄叫びを上げる。

如何なる意思も乗らず、ただ叫ぶ事だけが彼に出来る唯一と言わんばかりに。

前方へ、スタークへと叩きつけられるようにして放たれた重奏の衝撃波だがスタークはそれを叩きつけられて尚平然とし、その様はまるで柳を思わせた。

 

 

「相変わらず声だけはデカイな…… だが言ったろう?威嚇の心算ならそいつは無駄だ。 ……まぁ、これを言ってもきっと無駄、なんだろうが……な…… 」

 

 

雄叫びと衝撃波、それを全身に浴びてもスタークは揺るがない。

それはリリネットと同じ揺るがない瞳と決意、倒すという、そして護るという決意がそうさせる。

故に揺るがない、何の覚悟も無いただ撒き散らされるだけの力には。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 

だがスタークの揺るがぬ決意もそして僅かに浮かんだ悲しみも、全てネロには届かない。

繰り返されるのはただ何の意味も無い雄叫び。

何の感情も映さない音、暴走した殺意だけが乗るその音には最早彼に自身という“個”の概念があるかすら怪しくなりつつあった。

大きく開かれた二つの(アギト)、顎の付け根まで、いや、それ以上にまるで首までが半ば裂けているかのように大きく開かれた顎の内に出来上がるのは無数の砲弾。

そのどれもが無理矢理に押さえ込まれ、圧縮された霊圧の塊であり即ち竜吼虚閃と呼ばれるネロが虚閃の原型。

リリネットとスタークが放つ圧縮装弾虚閃に比べればあまりに歪なそれは、しかし歪であるが故に禍々しさを帯びている。

そしてその禍々しさはネロという破面には似合いすぎる代物、無数の砲弾が顎の中で解き放たれるその時を待つ。

 

 

 

「なんだよ、そういう事ならこっちも望むところだ。手間が省けたな…… 」

 

 

 

二つの顎に生まれた無数の砲弾を前に、スタークはそう零した。

禍々しき放火が放たれると判っていながら、それにまるで脅威を感じていないかのような言葉。

そしてそれを待っていたとすら言いたげな言葉をスタークは発したのだ。

 

スッと両手に握られた銃の銃口がネロへと向けられる。

それは迎え撃つという合図、ネロの双頭の竜が放つ強力な虚閃を迎え撃つというスタークの意思表示。

単純に竜頭が増え二倍となったその量、そして尋常ならざる霊圧をもってして形成された砲弾の威力、それをスタークは逃げる事無く正面から迎え撃とうというのだ。

 

 

そんなスタークの決意、意思表示など今のネロに伝わるはずは無い。

ただ殺意の砲弾が完成したという理由で、或いは血肉が弾け赤く視界が染まる事を望んで緋色の砲弾は放たれた。

無数の砲弾からさらに生まれる数える事すら馬鹿らしくなる数の虚閃の群れ。

そのどれもが触れただけで命を奪う死の光、そのどれもがネロが暴走の果てに産み出した虐殺の雨。

 

それを前にスタークは銃を構える。

目の前を覆うほどの緋色の群れを前にやはりその瞳は揺れない。

精神は波立つ事無く、全てを見通すかのような灰色がかった蒼い瞳はただ見据え、そして引き金は引き絞られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――― 無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

 

 

 

 

 

 

 

小さく、しかし明確に発せられたその言葉、そしてその後の変化は劇的だった。

目の前を覆うかのようだったネロが放った緋色の虚閃群、竜吼虚閃。

その強大な波濤はスタークを飲み込む事無く、それどころか彼の遥か手前で押し留められていた。

 

 

 

スタークの銃から放たれる際限ない虚閃の嵐によって。

 

 

 

威力、弾速、連射性、そのどれもが規格外だった。

ネロの放つ虚閃の群れ、その虚閃一発に対し数え切れないほどの虚閃が迎え撃つようにぶつかっていく。

まったく衰える事が無いその攻撃、ネロの虚閃が無数の点によって面を覆い尽くすものとするならば、スタークのそれは点など生ぬるいまさしく壁そのもの。

それを何の苦も無く行っているスターク、そして銃として彼を支えるリリネットの二人。

無限装弾虚閃、リリネットの圧縮装弾虚閃が“千を一”として放つ攻撃とするならば、スタークのそれは“千を千”として、しかし一度に放つかのように、そしてそれを維持し続けられる無限の攻撃。

完全な面制圧、敵に逃げ場など与えない単純且つ苛烈な攻撃。

それをしてスタークはネロの虚閃を迎え撃ったのだ。

 

いや、迎え撃ったという言葉には語弊がある。

攻撃をしたのはネロが先、それに合わせたスタークは確かに迎え撃ったともいえる。

しかし今攻撃をしてるのはネロではなくスターク。

スタークは今攻め立て、そしてネロは押されているのだ。

 

その証拠にじりじりと緋色の光が根元へと向かって後退を始める。

押し込むのは当然群青色の壁、僅かの衰えも見せずただ淡々と、しかし確実に緋色の光を圧し戻していく。

ネロの虚閃はスタークのそれと似て無数の虚閃を放つ技。

しかしそこには違いがある。

それはスタークの虚閃が冠する“無限”という名。

ネロの虚閃には限りがあり、そしてスタークのそれに限りは無い(・・・・・)という事、細々とした違いは多々あれど全てはそこへ集約される。

そして有限と無限のぶつかり合いに勝利するのは必然、無限であるのだ。

 

最早竜頭の鼻先まで圧し戻されたネロの虚閃。

スタークは面で制圧していた虚閃を器用に撃ち分け二つに絞り、双頭の竜へと撃ち続ける。

顎を閉じる事も出来ず、ただ押し込まれ続けるネロ。

そして有限とは終わりがあるという事、ついにネロの虚閃はその照射を終え消え去ってしまう。

それはよくもった方と言えるだろう、無限を相手に有限が出来た抵抗という点で言えばよくもった方、だがしかしそれだけ、そしてスタークの攻撃はまだ終わっていない。

 

開かれた竜の顎、そこにスタークの無数の弾丸が次々に叩き込まれる。

際限無く、次々と、止む事無く叩き込まれ続ける群青の弾丸。

そして口の中にまでネロの鋼皮、黒曜鋼皮は存在せず外皮に比べれば格段にやわらかいその肉を突き破るのに、スタークの虚閃が苦労するはずも無い。

次々と撃ち込まれる弾丸は肉を裂きしかしそれでも収まらない。

見る間に膨れ上がる双竜の頭、そして腕であり首。

だが硬すぎる外皮はその膨張を許さず、スタークの虚閃により許容を超えて膨れ上がる自らの腕の膨張すら押さえ込んでしまう。

 

 

押さえ込まれた膨張、しかし無限に撃ち込まれる弾丸は止まらず、次第その砲撃の勢いに圧されネロの身体は天蓋へと落とされていく。

天蓋に脚が着き、しかしそれでも無慈悲な弾丸達はネロに襲いかかり続けた。

足元の大地、天蓋に罅が入り徐々に彼の身体が沈んで行こうともお構い無しに。

 

それが戦い。

無慈悲に、容赦なく、敵と定めたならばそんなものをみせる事無く進む。

それこそが戦いであり、スタークが選んだ道。

 

 

「悪いな…… アンタには、容赦はしないって決めたんでな」

 

 

膨れ上がりしかし押さえ込まれた膨張は、竜の頭から徐々にその根元へと広がっていく。

鋼皮は押さえ込める限界に達し、ひび割れを起すがしかし未だその存在意義を全うするために新たに生まれ、そして硬くなりながらそれでも割れていった。

最早限界、もしネロに今も痛みというものがあり、苦しみというものがあったならば叫び声を上げていたかもしれない。

しかしそれも群青の弾丸によって叶わず、発しようとした音は群青の流れに圧され喉へと戻っていくだろう。

 

双頭の先からの膨張は肩という竜と竜が交わる部分にまで達し、それでも撃ち続けられる弾丸と霊圧を内包したそれは、外皮と膨張の危うい均衡によって形をとどめていた。

いまや雄々しき竜の姿はそこに無い。

あるのは醜く肥大した最早竜とは呼べない膨張した肉とそれを覆う黒い岩。

悲しきその姿、しかし自分の現状すら今のネロには判らないのかもしれない。

 

 

何も無い、最早彼には何も無い。

雄叫びすら今の彼はあげる事ができない。

 

 

 

そして遂に、無限の虚閃と鋼皮の均衡は尚も打ち込まれる弾丸によって崩され、ネロの腕の内側で極限にまで膨張と圧縮を繰り返した攻勢霊圧はネロの腕を消し飛ばし巨大な爆発を伴い、天蓋を巻き込んで爆ぜた。

 

 

 

 

崩れ落ちる天蓋、今まで奇跡的に形をとどめていたそれが今崩れた。

大きな穴を開け、しかしその破片すら消し飛ばした爆発。

膨大な量の霊圧が圧し留められ、限界を迎えたために起こった爆発は蒼い火柱のような霊圧と爆煙を発生させた。

 

 

「殺ったか? ……いや、まだ生きてる。 下に落ちたってのかよ。こいつはどうもマズい……な 」

 

 

爆発によって乱れた霊子の流れ、その中にあってスタークはいち早くネロの生存と行方を掴んだ。

天蓋へと押し込んでしまったのは拙かったと内心で零すスターク。

あのまま消し飛んでいたならば問題は無かったが、霊圧を見る限りネロは未だ生きており、天蓋の上にその身体が見えずまた感じられない事から天蓋の下へと探査回路を広げれば案の定、高速で落下するネロを感知する。

それもどういう確率か、広い虚夜宮の中で今もっとも命が集まる闘技場へと落下するネロの姿を。

 

小さな舌打ち、それは悪運を引き寄せるネロに対してか、それとも戦場を移したというのに結局意味を成さなかった自分の間抜けさに対してか。

しかしそれでもスタークは駆けねばならない。

今あの場所にネロを解き放つ事はあまりにも危険、理性の欠片すらなく、ただ殺戮を行おうとする彼を解き放つのはあまりにも危険であるが故に。

その為に彼は駆ける、暗い夜空から明るい晴天の下へと急ぐように。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

炎の波濤、拳の意を乗せた炎拳とも呼べる一撃はその行く先にあった事如くを灰燼と化し、無に帰した。

波濤が治まると炎へと変わっていた拳、そして腕は人のそれへと戻り、残心の後フェルナンドはその構えを解く。

元々崩れていた闘技場の一角、それが今は何も無く外へと繋がる巨大な穴となり果てていた。

瓦礫も、そこで息絶えていた破面もそして彼が戦っていた相手、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ゾマリ・ルルーすらも飲み込んだフェルナンドの炎はそれらを何の区別も無く焼き尽くし、消し去った。

火葬、そう呼ぶしかないその出来事。

その場面を見ていた多くの破面は言葉を失っている。

解放の後あまりにも呆気なく訪れたその結末、十刃が文字通り手も足も出ず、いや、出す事すらなく圧倒的な力の前に敗北を喫したという事実。

元々弱っていた闘技場の結界だが、しかしものともせず突き破り、まるで彼方まで炎で道を開いたかのような一撃。

世の開闢にも似た炎の波は、言葉を失わせるには充分に強力で、なにより美しかった。

 

 

「ぼさっとしてんじゃねぇよ。 終いだ、俺は行くぜ」

 

 

炎髪を靡かせながらフェルナンドは立会人である東仙に対しそれだけ告げると踵を返し、その場を後にする。

一瞬目の前の出来事に呆けていた東仙は、しかし慌てた様子を見せずにフェルナンドの勝利を宣言した。

だがフェルナンドはそれを背にし、別段気にしている様子すら見せない。

 

彼からしてみればその場所は既に用済みの場所であった。

戦いが過ぎ去ったその場所は既に彼の居場所ではなく、戦いの内にこそ目的を見出すフェルナンドにとって“終わった”場所は無意味だったのだ。

戦いの方も確かに面白くはあったが未だ燃え尽きるほどのそれではなく、当然それで彼の求めるものが手に入ったわけも無くまだ彼の胸は空虚。

十刃が相手でも満たされない彼の実感、そしてそれを得るにはただ強者であるというだけではなく恐らくはもっと別の、力だけではない何か(・・・・・・・・・)を持つ相手が必要だと、フェルナンドは感じ始めていた。

 

 

(確かに厄介で強い相手だった…・・・だがそれだけだ。 それだけ、他に何も無ぇ・・・・・・ 俺が求めてんのはこれじゃ無ぇ、もっと熱く血が滾るような敵だ。血が沸き立ち、だが身震いが止まらねぇ様な、そんな戦いだ。それにはアイツじゃ足りなかったってだけの話かよ)

 

 

戦いの後に残ったのは空虚の実感。

そしてそれを満たす術を更に求めるフェルナンドの姿。

戦って、戦って、戦い続けた先にある“生”の実感。

追い求めるのはそれ一つ、他は余分で瑣末な事。

故に彼は戦いを求める、戦いが終わったその瞬間から次の戦いを。

空虚を実感したが故にそれは強く、彼の瞳にはより強い炎が宿ったかのように紅を深める。

全ては究極の戦いの先にあるだろう、たった一つを手に入れるために、と。

 

 

(やっぱりお前なんだろうさ、俺の直感にきっと狂いは無ぇ・・・・・・俺の実感を、空虚を、そいつを満たしてくれるのはきっとお前との戦いだ・・・・・・なぁ、ハリベル・・・・・・ )

 

 

背に降りかかる歓声は無い。

罵声も、謗りも罵りも、その背にかかるものは何も無かった。

皆が無言、それぞれがそれぞれに思う事はあれど口には出さない。

そんな中で彼の内に芽生える確信、いや芽生えたのはきっともっと前なのだろう、だがそれは再びの確信なのだ、自分の求めるもの、それを手にするための戦いはやはり彼女が、ティア・ハリベルが目の前に立っていてこそ得られるという確信。

ゾマリとの戦いで改めてそれを強く意識したフェルナンド、無音の闘技場を悠然と歩く彼、その姿は堂々としたものでただ内と外に渦巻く熱さは触れれば火傷では済まない熱を帯びていた。

 

 

 

 

 

その無音の闘技場に突如巨大な音が響く。

音の主は巨大な砂柱を伴って現われ、それを雄叫びによって消し飛ばした。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

 

 

雷の如き雄叫びは、割れた岩の仮面の下から覗く口から。

牙を剥き出しにし、口が裂けているのではないかと思わせるほど大きく開いたそれから発せられた大音量は、それだけでその場を支配した。

 

 

「ハッ! 随分と派手にやられた様じゃねぇかよ、えぇ?クソデブ」

 

 

縦長の大扉の前より闘技場の中央へと落下したそれを見たフェルナンドはそう呟いた。

見た目は明らかに変わり、姿形から本人である事を推察するのは些か困難ではあるが、発せられた霊圧の感触は間違いなく彼のもの。

第2十刃(ゼグンダ・エスパーダ) ネロ・マリグノ・クリーメンのものであった。

だがフェルナンドの眼に映るその姿は奇怪極まるもの。

ネロの身体を覆っているかのような岩は所々砕け、その裂け目から血を滴らせ右腕はおかしな方向へ曲り、垂れ下がる。

背中に生えている棘は悉くが折れ、或いは拉げ、そして何より左腕が肩口より先を失い、その付根から鼓動と同期して大量の血を流し続けていた。

 

明らかに瀕死といえるその姿、だが今尚続くその雄叫びに痛みや苦しみの色は無い。

そもそも感情の色がその雄叫びにはなかった。

理由など要らずただ叫ばずにはいられないといった風のネロの姿。

尋常ではない、それだけがその姿を見た全ての破面の共通した見解でありそれは正しかった。

 

 

ネロの霊圧が一瞬膨れ上がる。

すると折れた右腕は跳ねるように暴れまわりながら元通りに。

そして腕を失った左肩は、その根元から肉が盛上ると竜の首が伸びるのではなく、左肩から直接彼の上半身と同等の巨大な竜の顎アギトが生まれ、誕生の雄叫びを上げたのだ。

最早“異形”と言うより他無いその姿。

人を捨て竜となり、竜を捨て魔となったその姿でネロは吼える。

 

そして雄叫びと共に生まれたのは、巨大な竜の顎から放たれた極太の虚閃だった。

何の前触れも無く突如として放たれた虚閃は闘技場の一角をそこにいた破面ごと消し飛ばし、消失させる。

突然の凶行、それは今にはじまったことではないがそれでも理解不能の行動は、それを見た者達を恐慌に陥らせるには充分すぎた。

ただ命を奪う、という行動しか出来なくなったネロがその蛮意を存分に振るい続ける。

彼の視界の赤は深まり、それでも満たされずただもっと多くの赤を求めるネロ。

 

 

「見境なし…… か。 とてもじゃねぇが見るに耐えねぇな」

 

 

そんな言葉がフェルナンドから漏れる。

それは最早戦いとすら呼べない暴力であり、それ故にネロらしくしかし、醜悪でもあった。

意志なき力の愚かさ、それが今闘技場に産み落とされ如何なく振るわれ続ける。

意思も、目的も無いその行動。

それ故に醜さと愚味は際立ち見るに耐えない。

 

 

そしてそれはフェルナンドのみならず、この場に居る力ある者達の総意でもあった。

 

 

 

叩きつけられた拳によって豪奢な椅子の肘掛が脆くも崩れる。

それに座す老人、第1十刃(プリメーラ・エスパーダ) “大帝”バラガン・ルイゼンバーンはその顔を怒りに染めていた。

眼下で繰り広げられるあまりに醜悪な見世物、何の意思も無く暴走する目をかけていた者の末路の姿は彼を怒らせるのに充分すぎた。

 

 

「馬鹿タレめが…… 御すべき力に溺れ、更に溺れた力に飲まれるとはッ!なんという醜態! 十刃の恥曝しめが! 最早彼奴に何の価値もありはせん。聞こえておるか! ボス! この賭け儂の負けじゃ!あのような愚物に僅かばかりでも期待した儂の愚かさよ…… 席などくれてやる! 誰なりと座らせるがいい!!」

 

 

轟々と燃える怒りの中、バラガンはネロを完全に斬って捨てた。

少しでも、ほんの少しでもネロが成長し、戦士たらんとするならばバラガンもここまでの怒りを見せないあっただろう。

だがしかし、彼の眼下に広がるのは己が力に飲まれた愚か者の姿。

暴を振るう(・・・)のではなく暴に振るわれる(・・・・・)見るに耐えない末路の姿だった。

 

故にバラガンは怒った、そして何よりそんな愚物を見抜けなかった自らの愚かさに彼は怒ったのだ。

虚圏の王が聞いて呆れると、あの程度の者を見抜けずに何が王かと、そして何よりあのような醜悪なものが勝ち取る醜悪な勝利で玉座を得るなど耐えられないと。

それ故バラガンは藍染に向かって叫ぶとそのまま観覧席を後にした。

もしこのまま見ていれば彼自身、他の破面など気にせずネロに“死”を吹きかけてしまいそうだったため。

賭けという訳の判らぬ単語を叫ぶ主をして、しかしその後に続くかのようにバラガンの従属官達もその場を後にしていく。

従属官を引きつれ大股で肩をいからせながら歩くバラガン。

その瞳に浮かぶ怒り、そしてその怒りに隠れた哀れみが何処か悲しさを誘っていた。

 

 

 

 

 

「フフッ…… 」

 

 

ネロが暴れ、バラガンが去った闘技場で藍染は一人笑みを深めていた。

眼下で繰り広げられるのは些か滑稽に過ぎる喜劇、いや三文芝居。

その主役たるネロの姿は藍染の想像以上に醜悪で、しかしこれ以上ないほど滑稽な道化だった。

 

だがその微かな笑い声を聞き取ったのか否か、ネロが藍染へと向けて竜の顎を開き、そして虚閃を放ったのだ。

極太の虚閃、極光は奔りしかし藍染は座したまま動くことは無い。

それが当然であるかのように、それをせずとも自分には何の問題も無いという事を示すように。

そして事実、藍染に迫った緋色の光は上空から降り注いだ群青の雨によって遮られた。

 

 

「すまなかったね、スターク。 おかげで私は無事だ」

 

「別に…… それに俺が何もしなくても、怪我一つなかったと思いますがね」

 

「そんな事はないさ、感謝しているよ 」

 

「へいへい…… 」

 

 

群青の射手は上空から藍染に背を向けるようにして彼とネロの間へと降り立った。

藍染の謝辞にどこか呆れた風で答えたのはスターク。

天蓋よりネロを追い、駆けつけた彼が見たのは消し飛んだ無数の命の残滓だった。

護れなかった、そんな苦い思いがスタークには浮かび、ギリと奥歯を噛ませる。

 

 

「すんませんね、藍染サマ。 俺が…… 俺達が(・・・)直ぐに終わらせますんで」

 

 

そう言って両手の銃を銃嚢へと納めようとするスターク。

それは決意の表れなのだろう。

この状況で銃を納めるという事は銃を用いた切り札、無限装弾虚閃ではなく別の何かを示唆する行為。

そしてそれは即ち、スターク、そしてリリネットが使用を躊躇った“ 狼 ”と呼ばれるものに他ならない。

それは覚悟、使いたくないといったものを使う、使わざるを得ない状況を前にそう決断する覚悟の現われ。

多少の強張りをみせるスタークの表情がそれを物語る。

 

 

 

が、それは思わぬ人物によって止められた。

 

 

 

 

 

「いいや、いいんだよスターク。 彼の相手は…… 私がしよう 」

 

 

 

そう言って立ち上がったのは彼の後ろにある玉座に座していた彼等の“王”。

笑みを浮かべ、しかし暗い瞳で世界を見る尸魂界はじまって以来の大逆人。

世界をその掌中に納めんと、いや、世界は既にその掌中だと言わんばかりに誰も座った事が無い”天の座”に自分こそが相応しいと豪語し、そう言えるだけの尋常ならざる力を持つ異端の死神。

 

その人物こそ、“絶対王” 藍染惣右介その人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君は優秀だ

 

他の誰よりも

 

だから

 

君は

 

私の為に

 

消えてくれるかい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。