BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.57

 

 

 

 

「いいや、いいんだよスターク。 彼の相手は私がしよう」

 

 

 

さほど大きい訳でも無く、しかしその声は絶対的な力を帯びていた。

やや低く、しかしよく透るその声。

口元に笑みを浮かべ、だがその瞳には虚圏の夜空より尚暗い闇を宿した声の主、名を藍染惣右介。

虚夜宮において唯一人に座すことを許された玉座の主、死神でありながら破面という存在を生み出し、束ね、支配する絶対の王はその言葉と共に静かに玉座から立ち上がった。

 

眼下には未だ雄叫びを上げる魔獣の姿。

第2十刃(ゼグンダ・エスパーダ) ネロ・マリグノ・クリーメンの成れの果て。

暴走した精神、暴走した肉体、それをしてなお暴走に暴走を繰り返した彼の姿は既に人型を捨てている。

しかしネロに止まる気配は無い、それどころか感じる霊圧はなおも加速しているとすら思えた。

雄叫びを上げ、そして肩から生えた巨大すぎる竜の(アギト)から時折放たれる極太の虚閃は今尚闘技場を崩壊に向かわせる。

 

その姿を藍染は笑みを浮かべて見下ろす。

笑み、怒りでも悲しみでも憤りでも哀れみでもなく、ただ笑みを浮かべている。

まるで全てを判っていたかのように、まるで全てが上手くいったとでも言わんばかりに。

その笑みからはただ絶対的な自信と、自負が溢れていた。

 

 

「は~、それにしても二番サン、益々けったいな格好になってしまいよったなぁ。もう面影も殆ど残っとらへんのとちゃいます?」

 

「戻ったね、 ギン。 ご苦労 」

 

 

そうして眼下のネロを見下ろしていた藍染の隣に、白い羽織を靡かせる様にして降り立ったのは銀髪の死神、市丸ギン。

藍染の“眼”として天蓋の上で戦うスタークとネロの戦いを見守っていた彼。

しかし天蓋の上で戦いの決着は着かず、二人が図らずも天蓋の下へと降りたことから彼もまた天蓋の下へと降りてきたのだ。

 

 

「あら? もしかして隊長自ら二番サンと()りはるんですか?」

 

「あぁ、これもまた必要な事(・・・・)だ。彼らにとって、そして私にとって……ね」

 

 

何処か意味深な言葉を残し、藍染はスタークと市丸の前から掻き消えるようにして姿を消した。

その言葉が持つ意味、藍染がネロという御せぬ駒を生かし続けていた理由。

藍染が自ら戦いに挑むという由々しき事態、しかしそうして戦場に赴いたであろう藍染の姿に市丸、そしてスタークも何一つの不安を感じてはいなかった。

 

藍染惣右介という“王”の力を知っているが故に。

 

 

 

 

 

 

 

 

闘技場の砂漠、その中央に陣取り意味も何も無い雄叫びを上げ続けるネロ。

その声というより音と言った方がいいかもしれないそれに、感情の色は何一つ無かった。

ただ叫び、雄叫びを上げずにはいられないというそれだけの理由、叫ぶ事に理由は無くただ叫ばなければいられないネロ。

何もかもを無くしつつある彼は、次第動きにすら精彩を欠いていく。

虚閃もただ放たれるだけで狙いなど一切つけず、長く伸びた三本の尾はただ意味も無く暴れまわるようにして砂漠を叩く。

その姿はどこか痛々しくさえあるがしかし、そんな感情を抱ける者はこの場にはいなかった。

皆が必死なのだ、ネロという脅威から逃れるために必死にその場から逃げ惑う。

 

愉悦の為に他者を殺していたネロ、しかし今の彼にはそれすらなく、それ故に性質が悪い。

理論だった攻撃ではないそれは、突如として放たれそして理解不能な位置を撃ち抜いていく。

一介の破面がとても避けられるものではなく、まして下官、モドキといった位が低いものからすればなおの事。

ただ彼らは自らの運だけを頼りにこの場から逃げようとしているのだった。

押し迫るかのごとき暴雨から。

 

 

「みっともねぇなぁ…… それじゃぁ餓鬼が駄々を捏ねるのと然して変わらねぇぜ」

 

 

そんな虚閃の暴雨と雷の叫びの中心たるネロに、今話しかける者が居た。

フェルナンド・アルディエンデ、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ゾマリ・ルルーとの強奪決闘、十刃越えを終えてこの場から去ろうとしていた彼はあろう事か未だその場から去る事無く、縦長の大扉の前に座り、ネロと相対していた。

 

それはあまりに無謀というもの。

敵、と呼べるかは疑問であるがそれでも味方ではない者の前で座るという行為はリスクが大きすぎる。

初動、重心、その他もろもろ座っているという姿勢は往々にして不利に働く場合が多い。

いかに解放したままであるといってもそれはあまりに浅薄、ネロという存在を軽く見ているとしか言いようがない行為。

そんな戦いに措いて下策と断じられる行為をフェルナンドが見せているという事への疑問、拭えぬ不可解がそこにはあった。

 

 

だがその考えは常人から見たならば、という言葉に尽きるだろう。

今、フェルナンドが座りながらも対しているモノは既に“人”ですらない魔獣。

そんな疑問を感じる事など無く、そして相手がフェルナンドであるという認識すらなく、ただ声がしていたというあまりにもな理由でネロの端が裂けたかのような人の口からフェルナンド目掛けて虚閃は放たれる。

緋色の閃光は瞬時に駆けフェルナンドを消滅せんとして迫るが、それは片手を前に突き出したフェルナンドが創り出した炎の壁によって阻まれてしまった。

高密度の炎と霊圧、それによて阻まれたネロの虚閃。

だがネロはそれになんら動揺する様子を見せず、それ以前に動揺という感情の機微を失った彼にそれは存在せず、人の口が駄目ならば竜の顎でと言わんばかりにフェルナンドへ向けてその左肩の竜の顎を向けた。

開かれる顎、鋭い牙が鎖鋸のように並び唾液を滴らせる様は醜悪で、しかし強烈なまでの“力”を感じさせる。

だがそれを前にしてもフェルナンドは動かない、それは油断でもなんでもなく彼が理解しているから。

 

 

この場の主役、それはネロでも自分ではなく、あの男(・・・)であるという事が。

 

 

 

 

「ハッ! 変ったのは(ナリ)と馬鹿みたいな霊圧だけかよ。何遍も言わせんじゃねぇよ、テメェに、探査回路(ペスキス)ってもんは、無ぇのかよ、ってなぁ。それにテメェは俺の獲物じゃ無ぇ、俺はただ此処で見物だ。そら来たぞ、テメェの相手はテメェの後ろに(・・・)居るだろうが」

 

 

「そういう事だよ、ネロ…… 」

 

 

竜の顎の射線上に身を置きながら、フェルナンドが勤めて冷静でありそして戦いの気配を見せていなかった理由。

それはネロと戦うのは自分ではないと理解していたが為。

元々ネロはスタークに譲った獲物であり、それが目の前に再び現われたからといってこれ幸いと喰らい付く様な野犬まがいの行いをフェルナンドがよしとする筈が無い。

誰彼構わず牙を剥くのは弱者の虚勢や威嚇と同じ、本来の牙とは本当の戦いまで研ぎ澄ましておくものなのだから。

 

フェルナンドはネロの虚閃を弾くために前に突き出していた手で彼の後ろを指差した。

その指先に居る者こそネロが今、最も戦わなければいけない相手。

探査回路が無いのか、とネロに言い放ったフェルナンドだが実際彼がその者の存在に気が付いたのは探査回路もあるが、戦闘後の研ぎ澄まされた感覚に起因する部分が大きかった。

暴れるネロの霊圧、その暴風に紛れフェルナンドに走った直感。

そして見上げた視線の先には、まるで自分がそちらを向くことが判っていたかのように彼を見下ろす暗い瞳があった。

故にフェルナンドは気がつけた、瞳の奥、その真意は闇に包まれ見えないながらもその男が纏う気配を見たために。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

指が指された先、それを見たというよりも背後から聞こえた声に反応し、ネロはその巨体を振り返らせる。

まるで黒い岩山が動くかの如く、ぶつかり合う黒い岩の棘がギシギシと大小の音を立てながら振り返った彼の赤に染まった視界に映ったのは一人の人影。

それが誰か、何者なのか、今の彼には判断出来ず理解も出来ない。

発せられた雄叫びはその人物に対してなのか、それともまた何の意味ももたない喉を通り過ぎた音の波なのか。

真正面から音の波を受け、しかしその人物、藍染惣右介は涼やかな風かの如くそれをやり過ごす。

彼にとってその衝撃を伴う音は、眼を細める必要すらない穏やかな春風なのか。

藍染の姿を察し、東仙がネロとの間に入ろうとするがそれは藍染が僅かに上げた手によって止められた。

そしてただ泰然とネロと相対する藍染、そしてネロが目の前の人物を誰とも判断出来ないのとは違い、藍染は自分が誰で、何者かをネロが理解する事を求めてはいなかった。

 

 

「凄まじい霊圧だ。 その姿も“力”を追い求めた末ならばキミに相応しい。 ……しかしネロ、先程の君の行動は些か看過できないな」

 

 

上辺だけの褒め言葉を述べ、ネロと相対した藍染。

それ程離れていない二人の距離は、それこそネロが一息で藍染にその鋭い爪と牙を突き立てられる距離。

何の優劣も区別もなく、ある意味平等でしかし無慈悲にその爪を、牙を振るう今のネロに対しその距離感は非常に危うい。

こちらが対話の姿勢をみせたとてネロにそれが通ずる筈も無く、噛み付かれ、引き裂かれるのは微々たる時の差でしかない。

だがそんなネロを前にして藍染は常通りの笑みと、何処か芝居がかった口調をそのままに相対していた。

 

 

「君の先程の虚閃、 スタークが止めなければアレは私に当たっていたよ。これがどういう事か判るかい? 私は君達の“王”であり、キミは…… キミ達は私の臣にすぎない(・・・・・・)。ならば先の虚閃、あれは王に対する臣の反逆に当たるとは思わないかい?王とは寛容であるべきだが、寛容と甘さは違う。先の攻撃、理性が無いからといって許されるものではない(・・・・・・・・・・)よ、ネロ」

 

 

淡々と、しかし明確に発せられた言葉は言うなればネロの未来を閉ざすような言葉。

王である藍染、その彼に対してネロが放ったのは完璧なまでに殺意が篭った死の閃光。

そしてそれは逆臣の刃、王の喉下を突き刺し、或いは心臓を貫かんとする逆臣の刃そのもの。

ネロの普段の行い、藍染への態度、そのどれをとっても良き臣とは言えなかっただろう。

しかし、それらは全て藍染が寛容という名の下許していたというだけにすぎない、殊更ネロに対して寛容に振舞っていた藍染、ともすれば優遇とすら感じられるそれは恐らく間違いではないだろう。

それはただただ藍染にとってネロが必要な駒であったが故。

 

しかしそれもこれまで。

 

先の一撃はネロに対する優遇をもってしても目に余り、そして決定的だったのだ。

 

 

「残念だよ、ネロ。 キミは非常に優秀だった。ある意味他の誰よりも、こうして私自ら手を下さねばならないのは辛い事だ…… だがこれも王の務め、反逆には力を持って制裁とするより他の選択肢など、ありはしないだろう?」

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

藍染の言葉など理解していないネロが吼える。

それを前に肩を落とし、本当に残念そうに藍染は語った。

だがそれは何処までも上から降る言葉。

凶悪な霊圧を放ち、衝撃を伴う雄叫びを発し、醜悪ながらも暴力が具現したかのような外見を得たネロを前に、藍染は何一つ怯んだ様子を見せない。

その様子はまさに痛恨、しかしそれもまた上辺だけのもの。

薄い皮の下には何時も以上に深められた笑みが隠れている事だろう。

 

 

 

何故ならこうして彼自らネロを処分する事こそ、藍染の目的なのだから。

 

 

 

それこそ理由など何でも良かった。

不敬が過ぎる、命令に背いた、争いを起しすぎた、それこそ上げれば限が無いほどネロを処分する口実など溢れている。

それを今までしなかったのは一重にこの日、この時この瞬間、この場において彼を処分するため。

 

藍染が創り上げた集団、破面という名の化生たちが成すその集団、それは一つの目的の為に集まったのでも利害が一致したため形成された集団でもない。

彼らは皆一様に藍染惣右介という一人の死神が、自らの目的の為に彼等の意思など関係なくその力によって使役し、支配した集団。

云わば“力による支配”によって形成された集団なのだ。

それは絶対的な支配の形、逆らう事は許されずもし逆らえばそれ即ち死。

表立って見せしめを殺すのではない、ただ彼等破面の中に圧倒的な恐怖を、恐怖より生まれた彼らに恐怖を刻み付ける藍染の絶対的な力、それによる支配の形。

それはあまりに圧倒的で彼らに逆らうという思考を与えない。

自由に振舞わせ、それぞれの思惑を許し、しかしその実彼等の奥底を雁字搦めに絡めとる恐怖の鎖こそ、藍染が彼らを繋ぐ手綱。

それをして”力の支配”、圧倒的なそれを見せ付けることこそ彼等破面は藍染に着き従うのだ。

 

 

だが、圧倒的に見えるそれもその実脆くある。

 

恐怖とは与えすぎれば壊れ、しかし与え無さすぎれば弛緩してしまう。

時を置けばおくほど、恐怖を与えられていた者達はその恐怖を急速に忘却の彼方へと押しやり、忘れてしまう。

それは“力による支配”で統率される集団にとっては看過できぬ事態。

言うなれば彼等の精神を絡め獲っていた奥底の鎖が緩みだすという事、そして緩んだ手綱を引いたとて彼らは思い通りには動かないという事なのだ。

 

藍染惣右介の計画、その第一歩である『崩玉(ほうぎょく)』の入手にはどうしても時間が必要だった。

それは長い長い下準備の末、万全をもって彼の手の零れ落ちる一滴に他ならず、万全を期すためには詰めを誤ることはできない。

誤ることの出来ない詰め、尸魂界と虚圏を行き来する中でそれを行うことは計画の万全を期す上ではあまりに危うい事。

その為藍染は数年の間この虚圏に、そして虚夜宮に足を踏み入れることは出来なかった。

 

年月とはある種、瞬きの如く過ぎていく。

そしてその年月は、瞬きの早さであるが故に、彼等破面の恐怖の鎖を緩めるには充分すぎるものでもあった。

少しずつ、藍染という絶対の恐怖の対象がいないことによって緩んでいく鎖。

誰もが藍染惣右介の絶対的“力”を恐怖と共に薄めていき、それは力によって集団を形成する上であってはならない王に対する侮り。

居ない者に従う事は出来ない、そして従わない事のどこを恐れる事があろうかという思考の芽生えとなる。

集団の崩壊は藍染が望むものではなく、彼の目的のための戦力として破面達は必要だった。

 

それ故に藍染が導き出した答え。

それは実に単純で、しかし効果的な答え。

 

 

 

薄まり、緩んでしまったのなら再び与えればいいと。

 

 

 

それもただの破面ではなく恐怖と畏怖と暴力、それを一身に集める者を凌駕する圧倒的な力の恐怖(・・・・・・・・)を、と。

 

 

 

ネロ・マリグノ・クリーメン。

自らを“神”と称して憚らぬ暴君。

暴虐を尽くし、暴慢を飲み干し、味方ともいえる破面からすら恐れられ、避けられる恐怖の対象。

その生き様はまさしく悪であり、誰もが疎み畏怖する者。

これこそが彼が今まで藍染に生かされ(・・・・)続けていた理由。

 

 

“力による支配”を再び強固にする為だけの生贄(・・)、それが、それだけがネロの藍染にとっての存在価値だった。

 

 

 

「どうしたんだい? 先程から叫ぶばかりじゃないか。此処は君の領域だろう? その爪で、その牙で、私を引き裂こうとは思わないのかい?」

 

 

前傾姿勢で雄叫びを上げ続けるネロと、それを前に佇む藍染。

その構図は一見あまりに危ういものに見えたが、どちらが危うく、またどちらが危うくないのかは見た目から受ける印象とは違っていた。

両手をやや広げるようにして僅かばかりあげる藍染。

さぁ、とまるで攻撃を待っているかのように腕を広げる仕草には余裕だけが溢れていた。

対してネロは三本の尾で砂漠を打ち鳴らしながらも雄叫びを上げるにとどまり、その鋭い爪を振り上げる事も、まして巨大な竜の顎を向けることもしない。

誰とも判らぬ相手、そもそも相手というより赤を撒き散らす肉塊程度にしか他者を認識出来なくなってしまったネロ、本来ならばこれほど藍染が語る暇すら与えず彼は飛び掛っていることだろう。

しかし、現実として藍染は傷どころかまともな攻撃すら受けていない、その不思議、その違和感、それはいつしか逃げ惑う事をやめ、眼下の戦いに再びその目を向け始めていた多くの者達にも共通する疑問だった。

 

いったい何故ネロは藍染に攻撃しないのか、圧倒的な霊圧を誇る藍染も今はさほど霊圧を発しているわけではなく、寧ろ霊圧はネロが勝っていると言ってもいい。

斬魄刀すら抜かず、両手を広げ武器らしい武器を持たず無防備を晒す藍染と、その身体の全てが今や武器と言える状態のネロ。

それが何故こうも、まるで攻めあぐねていると言わんばかりの緊張を生むのか、誰もが理解出来なかった。

 

 

 

 

ネロのその行動を見るまでは。

 

 

 

 

一歩。

 

ただ一歩、藍染がその足を踏み出す。

間合いを詰めるという訳でもなくただ一歩、何気なく踏み出されたそれ。

そして何故かネロもまた一歩を踏む。

しかし此方は前に出るのではなく、後ろへと下がる様に(・・・・・・・・・)一歩を退いて、だ。

 

 

まるで藍染の一歩から遠ざかろうと(・・・・・・)する様に。

 

 

 

 

「後退りかい? キミらしくないな、ネロ。それではまるで…… 君が、私に、恐怖している(・・・・・・)様に見えるぞ」

 

 

 

 

後退り、退き下がる事。

相手を、敵を前にして敵の一歩から退き下がる事は危機を感じる防衛本能の表れ。

これ以上近付かれる事は危険だ、そしてこれ以上自ら近付く事も危険だ、保たれた一歩の間合いは即ちネロという化生が危機を感じたという現われに他ならない。

理性を失くし、感情を失くし、本能すら投げ捨てただ殺す事だけを追い求める魔獣へとその身を堕としたネロ。

その彼が藍染を前にし、その一歩に危機を感じたという事実は本来ならばありえない。

危機を感じるという事、即ちそれを生む恐怖という感情をネロは失っている筈。

故に危機を、危険を感じるなどという事はありえず、己が身を裂かれていようとも獲物を殺す事を今のネロは優先するはずなのだ。

 

だが事実、ネロはその足を退いた。

 

それは何故か?

答えは藍染の言葉どおり、まるでありえないものを見たような口ぶりでしかし、確信に満ちている言葉通り。

ネロ・マリグノ・クリーメンは理も情も失っている、だが藍染はネロに対し何か特別な事をする訳でもなく、ただ前に立ち己が存在を認識させるだけで彼の失われた恐怖を呼び起こした(・・・・・・・・・・・・・)のだ。

霊圧が強大な訳でもない、禍々しい武器を持つ訳でもない。

しかし、ネロがその赤に染まった視界に捕らえたのは他の誰と同じように赤く染まる獲物の姿ではなく、まるでそこだけが切り取られ、或いは塗りつぶされたかのように闇色に染まった藍染惣右介の姿だった。

視界に映る他とは違う姿、そしてその闇は何処までも深く全ての飲み込み這い出る事を許さない。

何もかもを無くしてしまったネロが見たありえないもの、それに対する僅かばかりの不安が彼の内には再び芽生え、芽を出したそれは“恐怖”と言う名の華を見事なまでに咲かせたのだ。

 

そしてその恐怖の華は、何もかもを持たぬ故に急速にネロを支配していく。

今のネロにその恐怖を押さえ込む術はない、理性による否定も、感情を移し変える事も、尊大な自尊心で覆い隠す事も、今までの彼が藍染に対して行えた全ての誤魔化しは獣となってしまった彼には出来なかった。

故に恐怖する、根源的な恐怖は呼び起こされそれは後退りとして表へと姿を現したのだ。

 

藍染惣右介という男へ、ネロが覆い隠していた恐怖と畏怖の証明として。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 

雄叫びが響き渡る。

まるで藍染の言葉を否定するかのように、自らの内にある恐怖すらその叫びで追い出そうとするかのように。

それもまたネロという破面が呼び戻した感情なのだろうか、認められないと、恐怖、畏怖、そんなものが自分の内にあると言うことが認められないと。

叫ぶ声に浮かぶのは否定であり、その否定の意は振り上げられた右腕が証明する。

五指を開き、鋭い爪を光らせるネロ。

吹き上がる緋色の霊圧の光を映したそれは、ついに藍染へと振り下ろされる。

 

完全な反逆の形として。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、ネロ。 やはりキミは優秀だ(・・・)

 

 

 

 

 

 

振りかかる爪にその身を晒しながら、誰にも聞こえない音量で呟かれたのは感謝だった。

誰でもない、藍染からネロへの感謝の言葉。

この一撃を持って全ては整ったと、虚閃の誤射では未だ弱く、しかし明確な殺意を込めたこの爪は反逆に足り、そして制裁にたる代物だと。

故の感謝、愚かなる道化への感謝であり、哀れで滑稽な生贄への感謝だった。

 

 

「縛道の九十九 “禁”」

 

 

それは力を行使するための言葉。

そして言葉と共に現われた変化は激烈だった。

振り下ろされたネロの爪は藍染のまさしく眼前で止まる。

それはネロが振り下ろす事を止めたのではなく、藍染が彼の腕を振り下ろせないように拘束したため。

ネロの身体には今、黒い皮製のベルトが無数に巻きつき、それこそ彼の鋼皮の刃などお構い無しにきつく締め上げ、拘束していたのだ。

 

 

「縛道の九十九 二番 “卍禁(ばんきん)” 初曲『止繃(しりゅう)』、弐曲『百連閂(ひゃくれんさん)』…… ここまでで充分だろう 」

 

 

更に紡がれるのはより強固な拘束の術。

霊子によって編まれた白い布とそれを固定する無数の鉄串、その布すらもネロの刃で裂かれる事は無く、逆に締め上げる事で悉くを折り、鉄の串は鋼皮など無いかのように深々と彼の肉に突き刺さった。

拘束され身動きできず倒れふしたネロ。

竜の顎は無数の鉄串に貫かれ縫い止められ開くこと叶わず、人の口には布が巻きつき音を閉ざした。

 

 

「些細な違いはあれどあの時と…… 数年前のあの時と同じだね、ネロ。あの時は“終曲”までだったが今回はそれも必要ないだろう…… 判るかい? 目に視えるものは同じでも、違っているんだよ…… そう、何もかもがね 」

 

 

倒れ伏すネロと見下ろす藍染。

それはまさしく数年前と同じ光景、ハリベルを殺そうとするネロの凶行を止めるため、今と同じように藍染が今と同じ術を用いてネロを拘束したときと同じ光景。

縛道の九十九 二番 “卍禁”、その完成形である“終曲”『卍禁大封(ばんきんたいふう)』をもって藍染がネロを拘束したあの時と同じなのだ。

 

だが今はあの時とは違う点もある。

一つはネロの姿、人ですらなくなったネロの姿ともう一つ、今回の拘束は弐曲まで(・・・・)で止まっているという事、そしてネロの霊圧が桁違いに上がっているにも拘らず、その彼を現状身動き一つ出来ない状態で拘束出来ている(・・・・・・・)という事だ。

威力の低い術で以前より強くなった者を拘束できる、その不思議がそこにはあった。

 

 

「覚えているかな、ネロ。 あの時、キミに架けたこの術を解いた時私は君にこう言ったんだ。 “急な事で力を加減してやれなかった”と。 あれは咄嗟の事で全力を出してしまった(・・・・・・・・・・)、という意味ではないんだ…… あれはね…… 咄嗟の事で、極力絞りはしたが君を殺さぬよう(・・・・・・・)力を絞りきれていなかったら済まない(・・・・・・・・・・・・・・・)、という意味だったんだ」

 

 

その告白はどこまでも桁外れなものだった。

そこかしこで息を呑む音と、驚愕の雰囲気、そして恐怖の気配が滲みだす。

あの光景を、数年前のあの光景を見ていた者からすればその衝撃は尚大きいだろう。

数年前、術をもってネロを拘束した藍染、その時もネロは身動き一つとることが出来なかった。

それは術の威力も然ることながら、込められた霊圧が強大過ぎる故だと誰しもが思っていたのだ。

しかし、語られた真実は彼等の考えを根底から覆す。

全力ではなく絞っていたと、それも殺してしまわぬよう極力、最低限の出力を目指して。

そんな操作は本来必要ではない、術をかけるということは霊圧を込めるという事。

しかし藍染は言うのだ、“絞った”と。

その強大すぎる霊圧を本来必要無い最低限に絞るという操作をしなければ、あの時ネロを殺していた、と。

 

規格外、何処までも。

その強大すぎる力はすでに彼ら破面の想像の域を超えていた。

想像を絶する者、そしてそれは同時に怖ろしい者。

逆らう術はない、逆らうという思考すら浮かべたその時には自分は死ぬだろう、そんな思いが破面達に広がっていく。

 

 

「判るかい? ネロ。 私はそう思えば何時でもキミを殺せたんだ。君は自由奔放に振舞っていた心算でも、その実全て私が許していたからに過ぎないんだよ。今、キミには皆の恐怖と畏怖と、怨念、恨みが詰まっている。しかし彼らにそれを晴らす術はない…… 圧倒的な恐怖を振りまくのがキミだとしたら、それを苦も無く処分する(・・・・・・・・)私は、彼らの目にどう映るのだろうね…… 」

 

 

観覧席には届かない、しかしネロにだけは届く音量で語る藍染。

その顔にはやはり笑みが張り付く。

全てが掌の上、自由など本当は存在せず全ては藍染の掌の上の出来事。

ネロ・マリグノ・クリーメンという存在は、虚夜宮の不平と不満、恐怖、畏怖、恨み、不の感情の全てが満たされた受け皿。

ネロの傲慢な性を見抜き、自らそれを認めるような振る舞いをとった藍染。

その藍染の振る舞いはネロの傲慢を助長し増長させ、そして何時しか暴走した彼の傲慢は自らを“神”と自称するまでに至った。

だがそれすらも藍染の掌の上、ネロの役目は一身に恐怖を集める事。

集められた恐怖、誰しもが煙たがり、しかし勝つ術がない相手。

 

それをたった一人で圧倒的に、そして苦も無く一方的に処分する藍染惣右介は一体彼らにどう映るのだろうか。

“王”か、“英雄”か、“神”か、いやそのどれでもなく彼等の“死”そのものか。

藍染にとってはどれでも構わない。

ただ一つ“力”を、彼らには決して届かない圧倒的な”力の存在”を魅せられればそれでいい。

 

 

 

彼等の内に藍染の持つ“力への恐怖”が生まれればそれでいいのだ。

 

 

 

 

「さて、一方的な語らいにこれ以上意味などありはしない。最後の時だよ、ネロ。 キミは何処までも私の思惑通りに動いてくれた…… 君の役目はここで終わりだ。 そしてこれは私のせめてもの褒美…… 棺だけは、私が用意しよう 」

 

 

 

終わりの時が来る。

身動きも出来ず、雄叫びすら上げられず、ただ砂漠へと縛り付けられるネロ。

最早彼に抵抗する術はない。

只の拘束術式で彼の鋼皮の刃は折られ、竜の顎は縫いつけられた。

桁違いの霊圧と再生のたびに人から離れる肉体を持とうともそれに今意味は無い。

襲い来るであろう終末の一撃にネロは耐えられないだろう。

死神、そして破面の戦いに措いて霊圧の差とは絶対的に越えられない壁、そして今、ネロの前に聳え立つのは天を鎖すかの如きそれなのだ。

 

故に死。

待つのは死。

ネロ・マリグノ・クリーメンの先には最早、死以外の選択肢は無かった。

 

 

 

藍染の片手が上に伸ばされる。

そして天を指すように伸びる人差し指。

直後襲ったのは全てを押しつぶすような霊圧の波濤だった。

まるで天井がそこにはあり、それが降下し押しつぶすような感覚。

それはネロだけにではなく闘技場全体へと及び、霊圧に当てられ気を失う者、ガチガチと歯を鳴らし蹲る者、片膝を付くにとどまる者など差はあれど全てに等しく降り注いでいた。

王の、藍染惣右介の霊圧、全てを押しつぶすかのような、まるで物理的に存在するかのような濃密でしかし冷たく、何処までも暗いその霊圧。

それこそ舞台の総仕上げとでも言わんばかりに、見せ付けるのは処分の光景だけではなく寧ろそれを行う自分の力だと。

何者をも抗えぬ“王”の力であり、お前達の“創造主”の力であると。

それを存分に感じさせ、そして藍染は詠った、ネロにとっての葬送曲であり鎮魂歌を。

 

 

 

「滲み出す混濁の紋章、不遜なる狂気の器、湧きあがり・否定し痺れ・瞬き眠りを妨げる、爬行する鉄の王女、絶えず自壊する泥の人形、結合せよ、反発せよ、地に満ち己の無力を知れ。破道の九十 …… ” 黒棺 ” 」

 

 

 

ネロを包み込んだのは巨大な黒い直方体だった。

四方を取り囲むようにして現われた線、それらが頂点へと向かって延び、直方体の辺が完成するとその後は早かった。

黒い、何処までも黒く暗い光。

その直方体の内側を満たしたそれはただ全てを飲み込む黒い光だった。

破道の九十“黒棺”、黒い光は重力の波、囲われた範囲の中を駆け巡るそれはぶつかり合い、反発し、時に巨大な波となって対象を切り刻み、そして押しつぶす。

包まれた後生き残る事は至難、そしてこれは“詠唱破棄”と呼ばれる簡易的発動ではなく“完全詠唱”とよばれる術の力を十全で発揮する手段を踏まれ放たれたもの。

それに藍染惣右介の超絶的霊圧が合わさった時、それはまさしく屠った者のための棺となるのだ。

 

 

(感謝するよ、ネロ。 キミは本当に、誰よりも優秀な捨て駒(・・・)だった)

 

 

 

藍染の内心の呟きは誰にもとどく事は無い。

それでもその言葉は藍染惣右介の数少ない真実だった。

 

重力の波濤、その奔流へと飲み込まれたネロ。

理性無く、感情も無く、ただ恐怖だけが満たされたその身体。

その彼の視界は赤ではなく黒に染まった。

何も見えない、何も聞こえない暗闇の中彼の身体は押しつぶされ消滅の一途を辿る。

これが終わり、彼の終わり、暴慢を尽くし、命を命とも思わず殺しつくし、捨て駒としてしか他者に必要とされなかった彼の終わり。

棺の内、拘束が解けた彼は断末魔の如き雄叫びを上げる。

 

 

しかし、その雄叫びすらも重力の波に飲まれ、誰に届く事も無くその身同様、闇へと消え去るのだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カツン、カツンと靴の音が響く。

何もない、誰も居ないその場所に靴の音は異様によく響いた。

そこは第2宮(ゼグンダ・パラシオ)、今は亡き虚飾の神が居城だった場所。

その場所を唯一人歩くのは、まさしくその場所の主を屠った男、藍染惣右介。

 

あの後、ネロを処分した後藍染はその場で解散を命じた。

各々が勝ち取った“号”、その他の事後処理は後日藍染の居城である奉王宮にて行うと通達し、その場は解散となる。

多くの命が散り、最後には恐怖が満たした強奪決闘は終了したのだ。

 

 

そして藍染はその足でこの場所に、第2宮へと赴いた。

何もないように見えてその実その場所には無数の跡が見えた。

血痕、刀傷、割れた床に折れた柱、そして濃密なまでの怨念と腐臭。

藍染がこの場所を訪れたのは興味深い報告を目にしたため。

数年前、藍染がネロへと渡した一万の魂達、その末路が藍染の興味を惹いたのだ。

 

報告によればネロはその一万の魂を喰らうのではなく、その全てに殺し合いをさせていたというのだ。

武器を与え、ある程度の数を一箇所に集め、そしてただ一言、彼らにとって唯一の救いを見せびらかす。

 

 

「最後まで生き残ったヤツは尸魂界に帰してやってもいい。」

 

 

その一言は余りに甘く、魅力的だった。

元々尸魂界外縁部は治安が悪く、殺し合いなど日常茶飯事、元々彼らが持つ狂気と一縷の望み、生きてこの化物達の住処から帰れるという望みは彼らに容易く凶行を選択させる。

その後に広がったのは人と人の殺し合いだった。

皆が必死に、ただ自分が生き残るために他者の命を奪い続ける光景。

切裂き、或いは殴り、貫き、噛み千切る。

時が経つにつれそれは人ではなく獣のような戦いに様相を変えていった。

それは彼等の人格が崩壊していったという事もあるが、それ以上に彼らが人から外れていった(・・・・・・)という事の証明だろう。

その手を血に染め、それを拭う事すら許されず、命を奪った呵責と生き残りたいという欲望。

奪われた命達は怨念へと姿を変え、怨念の満ちたその場所は更なる血によって濡らされる。

人の身がそんなものに耐えられるはずも無く、彼らは一様に人ではなくなっていったという。

 

その報告を見た時、藍染は可能性を感じた。

自分が闘技場の地下に建設した実験場。

あの場所から生まれた虚と、ネロが殺し合わせた人間たちは同じではないかと。

怨念を背負い、それに食い殺されしかし止まらず殺しあう。

それは、その先には藍染惣右介が求める彼の目的のための道具、そうなる為の施術に耐えられる者が居るかもしれない。

その期待をこめ、藍染はその場所を訪れたのだ。

 

 

そして見つけた。

 

 

「やぁ、キミが九千九百九十九の魂、その怨念と怨嗟を背負った生き残りかい?」

 

 

問いかけた藍染の言葉に答えは返っては来なかった。

膝を抱え込むようにして座るのは少年。

膝を抱え、片手の親指の爪をかむようにして虚ろな目をした金髪の少年がそこには居た。

この場には彼以外の気配は無い。

故にこの少年が一万の魂、その唯一の生き残りである事は間違いなかった。

虚ろなその目は藍染を捉えてはいない、何を見るでもなくただ開かれているそれは、とっくにこの少年の精神が死んでいることを意味していた。

 

それを見て藍染は笑みを深める。

素晴らしいと、怨念と怨嗟と、呵責と欲望に苛まれしかしこの少年の肉体は生きていた。

藍染にとってこの少年の精神など瑣末に過ぎないもの、重要なのは肉体、藍染が求める能力を持てるかどうかの施術に耐えられる肉体だけなのだ。

 

 

「辛かったかい? それとも苦しかったかい?もしキミがそれを疎み、忘れたいというのならば私が忘れさせてあげよう。思いを発する事も、考えを巡らせる事も、過去を思い出すことも私はキミに求めない。私がキミに安らぎを与えてあげよう……」

 

 

藍染の言葉に虚ろだった少年の目が向けられる。

藍染の顔を見ているというよりはただそれを写しているに近いその瞳。

目の下の隈、こびり付き爪の間に入り固まった他人の血、そして藍染へと伸ばされる手。

伸ばされたそれは少年の救いを求める願いなのか、その手を握った藍染は笑みを深めた。

思わぬ収穫、そしてこの少年は“アタリ”だという直感。

これで藍染の計画はまたひとつ問題を消化した、後はただ邁進するのみ、己が手に入れたいものの為に他を全て犠牲にして。

 

そして藍染は感謝する。

それこそ本当に、心底感謝した。

つい先程自らの手にかけた愚かしい捨て駒に、この少年を偶然にも創り上げた愚かな道化に。

 

 

 

(ありがとう、ネロ。 君はやはり誰よりも優秀だったよ…… )

 

 

 

深められた黒い笑み、少年はただそれを見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新たなる座

 

新たなる主

 

埋まる十の円卓

 

遅れ来る者

 

去りゆく者よ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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