BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.88

 

 

 

 

 

「浄気結界は密閉型ではなく循環型で展開! 」

 

「患者の容態が第二安定域に移行と同時に搬送願います!平行して搬送中に施術を第六段階まで進めて下さい!」

 

「綜合救護詰所には霊力洗浄と回復準備を最優先で要請!受け入れ態勢を整えさせろ! 大至急だ!もたもたするなよ! 」

 

「患者は尸魂界(ソウルソサエティ)の恩人だ!俺達の誇りにかけて必ず助けるぞ! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間はほんの少しだけ遡る。

 

 

何処までも圧倒的に過ぎ去っていった災厄。

残された爪痕は彼等の世界とこころ、そして肉体に深々と刻み付けられた。

ウルキオラ・シファー、そしてグリムジョー・ジャガージャック、二体の破面が現世を去った後、完全に意識を失って倒れた一護。

彼が握っていた長めの日本刀の形をした卍解『天鎖斬月(てんさざんげつ) 』は、彼が纏う黒いコート状の死覇装とともに黒い炎を思わせる霊圧に包まれたかと思うと、その姿を出刃包丁のような始解状態と一般的な死覇装へと変えた。

グリムジョーとの戦いで疲弊しきった一護、心身ともにボロボロの状態では己の卍解すら支える事は出来ず、結果として卍解は解かれてしまったのだろう。

 

だがこれは一部の死神にとってある種の危険信号(・・・・)でもある。

 

死神が卍解し、しかしその意思に反し卍解が消滅する事、それが意味するのは一つ。

卍解修得者の死期が近い(・・・・・)という事だ。

一護の卍解が始解へと戻った事実、これが彼の意思によるものならば問題は無かっただろう。

だが、今の彼の状況を考えればその可能性は薄く、結果として黒崎一護は今、生命の危機に瀕していると言えた。

 

 

「一護! しっかりするのだ! 一護ッ! 」

 

 

一護の傍で必死に彼の意識を呼び戻そうと叫ぶルキア、ビルの瓦礫に倒れこんだ彼の身体を拓けた地面まで運んで横たえ、その傍に自らもしゃがみ込んで叫ぶ彼女、だが変わり果てた友の姿を前に彼女に出来ることは無い。

幾ら叫んだところでそれに意味は無くしかし、叫ばずにはいられない彼女の心境は如何ほどのものか。

感情は理性を凌駕し、どうしようもない思いをただ吐き出すより他無いもどかしさ。

だがそんな彼女に真子は、先程までの戦いの気配など感じさせない様な声で話しかける。

 

 

「退きや、死神の穣ちゃん。 アンタがどんだけ叫んだかて、一護の状態は変わらへんわ」

 

 

冷酷にすら聞こえる言葉は、しかし真実に他ならない。

友の声をどれだけ受け止めようと、友の思いをどれだけ感じようと、今の一護には何も出来ない。

それは友情が無力だという事ではない、だが時として現実は友情の美しさよりも、苛烈な真実を浮き彫りにするのだ。

真子の言葉にぐっと押し黙るルキア。

彼女にも判っているのだ、自分が今この場で何も出来ないなどという事は。

自分には四番隊隊士の様に自らの霊力を治癒に用いる才能は無く、かといって医術の知識も戦場での応急処置の域を出ない自分に、このような惨憺(さんたん)たる状態の友を助ける事は出来ないと。

悔しい、言葉に出さずとも彼女の背はそれを語り云われなくも己を責める。

地面に着いた両手を砂ごと握りこみ、強く唇を噛む彼女の様子を見ながら、真子はチラと視線を動かし再び彼女に声を掛けた。

 

 

「オレの仲間が来よった。 中には今の一護をどうにか出来るかもしれん(・・・・・・・・・・・・)力を持っとる奴もおる。アンタが一護を心配するんは勝手や、せやけど一護の事を考えるんやったら今は下がっとき…… 」

 

 

真子の声と同時に、彼の後ろに複数の人影が突如として現われる。

数は四人、男性が三人と女性が一人居り、皆現世の人間と同じ格好をしているが、その手や背中には確かに死神の斬魄刀が携えられていた。

 

 

「チッ! 粋がって飛び出してこのザマかよ。だから止めとけっつったろうが馬鹿野郎が 」

 

「そう言ってやるなよ拳西。 お前だって昔は後先考えないで飛び出したくちだったろ? ……あ、今もか 」

 

「うるせぇぞラブ! 」

 

 

現われるなり盛大な舌打ちをして一護を馬鹿野郎と罵ったのは、銀色の短髪で目つきが悪く、筋肉質な身体つきに上半身はタンクトップ下半身はミリタリー調のボトムに編み上げブーツ姿の六車(むぐるま)拳西(けんせい)

そんな苛立ちをのぞかせる拳西に若干ニヤニヤと笑いながら話しかけるのは、上下ジャージ姿でサングラスに星型を思わせるアフロヘアーの愛川(あいかわ)羅武(らぶ)、通称ラブである。

沸点のやや低い拳西を宥めるようなラブにも、拳西は怒鳴るようにして吼える。

だがその苛立ちは、彼が短気であるという事を差し引いても目に余るものではあった。

 

 

「こらハゲシンジ! アンタが付いててなんやねんこのザマは!ハゲイチゴも大概ええ様にボコられとるやないか!」

 

 

一言目で真子をハゲ呼ばわりしたのは、ラブと同じように上下ジャージ姿の少女。

サンダル履きでジャージの胸元には小さく“猿”と刺繍されており、金髪をツインテールに結んだつり目がちの少女で、名を猿柿(さるかき)ひより。

彼ら仮面の軍勢の中でもとりわけ真子とは付き合いが長く、それゆえの暴言ではあるのだが些か空気は読めていない。

援軍として現われたうちの二人が何故か苛立っているのは、何とも血の気の多い集団ともとれるが実際は違うのだろう。

所謂裏返し、苛立ちを見せる二人はどちらも、少々素直では無い性格という事なのだ。

 

 

「まぁまぁひよりサン。 そう怒らずに…… 」

 

「なんやハッチ! ハゲにハゲ言うて何がわるいねん!」

 

 

そんな彼女の隣、窮して指で軽く頬を掻きながらどうしたものかと一筋汗をたらすのは、有昭田(うしょうだ)鉢玄(はちげん)

寸胴な巨漢で身長は優に2mを超え、遠目から見ればまるで巨大な卵のような輪郭をした大男。

服装はスーツに蝶ネクタイ、鼻の下に髭を蓄え桃色の髪は短く、一部を黒くバッテンに染める奇抜な髪型ではあるが柔和な印象の人物だ。

 

 

「ハァ~着いて早々うっさいのぉ。 後にせぇっちゅうねん後に…… ハッチ、急いで一護を診たってくれ。 ほぼゼロ距離で十刃の虚閃(セロ)くらいよった。それもとびっきりごっついのをな 」

 

「はいデス 」

 

 

到着早々機嫌の悪さを爆発させる二人に内心、それなら何故来たんだと思いながらも、真子は鉢玄を呼び一護の具合を診る様に頼んだ。

彼ら仮面の軍勢はそれぞれが非常に戦闘に特化した集団である。

しかしこの鉢玄だけは少々毛色が違い、彼らとはまた別の方向性(・・・・・)での能力に特化した人物であった。

後ろでまだ文句を言っている二名と他一名を背に、一護の下へと歩み寄る鉢玄。

彼は一護の傍で俯くルキアの隣に片膝を着いて座ると、ルキアの肩にそっと手を置き話しかける。

 

 

「退いて頂けマスカ? 死神のお嬢サン…… 一護クンはワタシが診マスから…… 」

 

 

鉢玄の声は穏やかで優しさに満ちていた。

ルキアに浮かぶ無念さと自責の念を少しでも晴らしてやろうとするかのように。

彼ら仮面の軍勢にとって死神とは、決して良い印象をもてる相手では無い。

だがそれでも鉢玄の優しさはルキアに、死神であれど傷ついた友をこころの底から案じる彼女に向けられたのだろう。

鉢玄の言葉から数瞬の間を置き、ルキアは静かに立ち上がると鉢玄の後ろに下がり、そしてその場で深く頭を下げる。

彼らが何者なのか、何処から来て何故一護を仲間と呼ぶのか、ルキアには何一つ判らない。

だがそれでも、“友を助けよう”という彼等の気持ちが嘘では無いと、自分と同じように一護を案じている思いは嘘では無いと、そう感じたが故に彼女は頭を下げた。

 

そこに言葉は無い、ただ何も言わず深く深く。

言えば、言葉にすればそれらは堰を切ったようにあふれてしまうことが判っていたから、だから声には出さない。

深く頭を下げるルキアの姿にこちらも言葉無く頷く鉢玄、そうして横たわる一護の横に胡坐をかいて座ると、その大きな手を顔の前で一度叩き合わせ一護の上にかざす。

すると一護の身体は瞬時に淡く光る直方体の結界に包まれた。

鉢玄の表情は先程の柔和さとは打って変わって真剣そのもの、目も鋭くほんの些細な変化も見落とさぬ、といった風に変わっていた。

 

 

 

 

 

 

「……どうや? ハッチ 」

 

 

鉢玄が一護の身体を結界で包んで二分ほど経つと、真子が鉢玄へと近付き声をかける。

他の仮面の軍勢たちは苛立っていた二人もそれなりに落ち着き、それぞれ少し離れた位置で周りを警戒していた。

真子の声に鉢玄は一護から視線を逸らす事無く答える。

 

 

「……ハッキリ言って状況は良くないデス。本当ならば今すぐアジトに連れ帰って処置できれば良いのデスガ、今の状態の一護クンを動かすのは得策とは言えマセン…… 」

 

「ほんなら此処で…… っちゅう訳にもいかんのやな?」

 

「はいデス。 ワタシの八爻双崖(はちぎょうそうがい)ならば、此処でも暫く見つかる事はナイでショウ。しかしそれはあくまで暫くの事、死神や人間が辺りに集まり出せば、例え一護クンを治療出来たとしても移動は難しい。残念ながらワタシの結界はそういう事には不向きデス…… それに…… 」

 

 

一護を診る鉢玄の答えは決して色よいものではなかった。

鉢玄の見立てでは一護の状況は極めて悪く、この場から動かすことも出来るならば避けたいと。

その鉢玄の言葉にピクリと震えるルキアを他所に、真子はこの芳しくない状況をどうしたものかと思案していた。

一護を動かすことは難しい、という鉢玄の言葉に真子はそれならばこの場で治療する事を提案しようとするが、曇る鉢玄の表情はそれが得策では無いと彼に悟らせるのには充分だった。

 

鉢玄の結界、“八爻双崖”は簡単に言ってしまえば、結界で覆ったモノの存在が生物の意識中から消し去られる、というもの。

意識中からの存在消失、それは例え結界の内側がその目に見えていたとしても、その眼に見えるものを認識できないという事であり、隠行としては非常に高度な代物といえるだろう。

だが結界にはある程度の種類があり、それによって可能な事と不可能な事が存在する。

鉢玄の結界は所謂“設置型”に分類され、指定した空間をその内と外とで完全に分断する事に主眼を置かれている。

これらは術者の力の及ぶ範囲ならば何処にでも設置できるという反面、設置後は結界がその空間に固定されてしまう(・・・・・・・・)という側面も持っている。

それは結界を張りながら移動できない(・・・・・・)という事であり、隠れる事には向いていても逃げる事には不向きという事。

 

確かに鉢玄の結界でこの場で身を隠す事は可能なのだろうが、それは即ちこの場に“留まる”という選択であり、彼ら仮面の軍勢にとってそれは下策。

何より一護の治療が終わったとして辺りはグリムジョーの一撃による大惨事の様相であり、人間はもとより事態収拾の為に尸魂界から死神の援軍が来る事は、予想に難く無いだろう。

そうなってしまえば尚の事此処から動くことは出来ない。

 

彼らはまだ見つかる事も、まして捕らえられる事もあってはならないのだ、彼等の目的、悲願、その成就の為に。

 

 

 

 

 

だが、鉢玄は更に深刻な問題を口にする。

 

 

「それに一護クンの傷は見た目以上に深いデス。肉体の損傷はもとより、最も問題なのは破面の膨大な攻勢霊圧を浴びたが為に、一護クンと破面の霊圧が傷口で溶け合って(・・・・・)シマっている事デス…… 」

 

「どういうことや……? 」

 

「ご存知の通り、ワタシ達や一護クンの霊圧は虚化により虚寄りになってしまっていマス。そこに破面の非常に濃い霊圧を受けた…… 破面も元は虚、虚の性質を持った霊圧同士が何らかの親和性を生んでしまったのショウ。ワタシの術は厳密には治癒ではなく、空間回帰に属しマス。それには対象を正確に指定しなくテは…… それに今の弱った一護クンには、おそらく虚寄りの霊圧を持つワタシ達の霊圧すら(・・・・・・・・・)毒となるでショウ」

 

「……チッ! 」

 

 

鉢玄の危惧は、この場で身動きが取れなくなることよりも深刻だった。

一護を覆っている鉢玄の結界は一護の現在の状況を彼に克明に伝え、それが判っていくにつれ鉢玄は、その状況の厳しさに顔を曇らせていたのだ。

肉体的損傷は当然の事、虚化が強制的に解除されてしまった事による力の逆流による霊脈の損傷、更には全力での戦闘によって衰弱した霊力、どれもが瞬時の回復などまず見込めない状態であるが、何より鉢玄にとって難題となったのは霊圧の癒着(・・・・・)だった。

 

虚化を修得した一護の霊圧はそれによって虚の性質を得ており、その性質は虚化することでより一層強くなる。

本来それは死神と虚の境界を踏み越える事で魂の限界を突破し、より強大な力を得るための一つの手段であるのだが、今回はそれが裏目に出てしまったのだ。

虚化によって虚に近付いた一護の霊圧、そして虚から仮面を脱ぎ捨てて破面へと至ったグリムジョーの霊圧、どちらも“虚”という同じ性質を持つが故の出来事。

これがただの虚閃だったならばこんな事態は起こらなかっただろう、だがグリムジョーが放った虚閃はただのそれではなく、虚閃の最上位とも言える技であり、それに込められた霊圧は膨大という言葉が生易しく思える一撃。

 

その霊圧は一護を引き裂き、それでも飽き足らずその霊圧すら蝕んだのだ。

 

一部を除いて他者の霊圧というのは本人にとって毒でしかない。

個々を識別できるほど千差万別である霊圧、本来混ざり合う事などありえないものが、“虚”という共通項を持って混ざり合ってしまった現実。

更に衰弱した一護の霊圧と残滓となって尚、禍々しさを色濃く残すグリムジョーの霊圧のどちらが勝っているかなど、考えるまでもない。

今となっては肉体を傷つけて尚、その回復すら阻むようなグリムジョーの一撃、それはある意味彼の剥き出しの敵意と殺意の表れにも感じられた。

 

 

「今はワタシの術で最低限生命維持が可能な段階までの回復は行っていマス。しかし、先程も言ったとおりワタシの術には対象を正確に指定する必要がありマス。この溶け合った霊圧をこの場で直に回帰させる事は…… 残念ながらワタシの力だけでは不可能デス…… 」

 

 

混ざり合いそして溶け合ってしまった霊圧というものは、そう簡単に分離できるものではない。

これを想像するとき、二色の絵の具を思い浮かべてもらうのが一番適当だろうか。

色は何でも構わない、しかし同じではない二色の絵の具を適当な量パレットの上に出し、それらを筆で混ぜ合わせたとする。

二色は混ざり合う事で新たな色を生み出すだろう、だがその状態からそれらを分離して元の二色に戻す事は容易なことではない。

一護に今起っている事も同じ事なのだ。

一護とグリムジョー、二つの霊圧は他者の霊圧として反発しながらも複雑に混ざり合い溶け合い、分離は容易では無い状態になってしまっている。

空間回帰と呼ばれる術は非常に高度な術ではあるが、それでも今この場で直にこの二つの霊圧を分離させる事は不可能。

時間をかければ或いは可能なのかもしれない、しかし一護の状態や周りの状況を考えると、それもまた不可能な事だと言えた。

これが織姫の能力“事象の拒絶”であったなら、彼女は一護の傷と減衰した霊力、そしてグリムジョーの霊圧を拒絶する事で一護を救うことが出来るのだろうが、彼女はこの場にはおらず、そして決して駆けつけることも出来ない。

 

もし時間があったなら、もし一護の状態がまだ軽いものだったら、そしてもし此処が安心して治療できる自分達のアジトだったら、鉢玄はそんなもしもを浮かべては振り払う。

“もしも”の可能性など考えるだけ悲しいだけだと、もしもという想像にふける事は、今という現実を直視することを避ける心の弱さなのだからと。

 

 

 

「一護は…… 一護は助からぬのか? 」

 

 

 

僅かな沈黙の後、口を開いたのはルキアだった。

その声は僅かに震え、告げられた事実を何とか受け入れまいとしているのが判る。

目の前の現実と告げられた現状、しかしそれを感情だけが否定していた。

誰かが今自分の口をついて出た言葉を否定してくれる事を望みながら、しかしそれが叶わぬ願いだと判っていて尚、そう期待せずには居られない。

易々とは受け入れがたい現実、それを前にルキアには問うことしか出来なかったのだ。

 

 

「……命だけならば救えマス。 しかし、今この場で、しかもワタシの力だけではそこが限界なのデス…… 例え命が救えても、このままでは一護クンが死神として再び戦場に立つ事は、二度と無いでショウ…… 」

 

「そん……な…… 」

 

 

鉢玄の答えに膝を折るように崩れるルキア。

沈痛な面持ちで語る彼、それがどれだけ残酷な内容かは彼自身理解しているのだろう。

命は救える、しかし死神として戦う事はもう出来ないだろう、鉢玄の答えはルキア以上に一護にとって残酷すぎるものだった。

ルキアには判っていたのだ、一護にとって死神の力がどれだけ大切なものか、そしてそれを失う事がどれだけ苦しいことかが。

例え命が繋がっても死神として戦えない、護りたい者達の危機を前にしても何も出来ずただその手をすり抜けていく。

一護に待っているのはそんな現実なのだ。

 

護りたいのに護れない、自分は確かに護れるだけの力を持っていたというのに今それはなく、その目に映る光景をただ見守る事しか出来ない、辛く悲しい、無力さだけが苛む現実が待っているのだ。

あまりにも残酷、それは最早命が繋がったといっても黒崎一護にとって、死に等しい生き地獄でしかないだろう。

黒崎一護にとって命が繋がろうと、それは誇りの死(・・・・)なのだ。

 

最後の希望が砕けたように肩を落とすルキア。

ただ前を向いて突き進み、無理難題を前にしても決して立ち止まらず振り返らず、颯爽と駆け抜けるようだった一護の姿。

そんな一護の姿を見ながら、彼女はいつからかこう思っていた自分がいたと気がついていた。

 

一護ならば大丈夫だ。

 

万難を前にそれらすべてを斬り抜けてきた彼の姿に、いつしかそんな思いを抱いていたと。

あまりにも速く進み続ける彼の姿に、倒れても必ず立ち上がる彼の姿に忘れていたのだ、彼もまた人であるということを。

こころは揺れ、揺れるが故に危うさを持ち、その身体も斬られれば血を流し、斬られ続ければ死ぬという至極全うな事を。

 

そう、忘れようとしていたのだ、そして目を向けぬようにしていたのだ。

 

 

一護もまた須らく、“死”からは逃れられないという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待てや、ハッチ。 ワタシの力だけでは(・・・・・・・・・)っちゅうんはどういう事や?」

 

 

 

膝を着き肩を落とすルキアとその姿を辛そうに見つめる鉢玄。

だがそんな鉢玄に真子は疑問を投げかける。

 

“ワタシだけでは無理だ”

 

鉢玄が言葉の中に見せたそんな台詞、聞き逃すのは容易であるそれを、真子は聞き逃す事はなかった。

真子にはその台詞に何か意思が、明確ではないが鉢玄の逡巡(しゅんじゅん)のようなものが見て取れたのだ。

自分だけでは無理だと言う台詞、それは裏を返せば自分だけでないならば(・・・・・・・・・・)道はある(・・・・)”と言っているように真子には聞こえていた。

 

 

「……確かに。 ワタシだけで一護クンを完全に癒す事は出来まセン。しかし、道はありマス…… 」

 

「なんや? その道っちゅうんは 」

 

 

 

真子に問われた後、一度瞳を閉じて何事か考え込んだ鉢玄は彼にそう答えた。

道はある、と。

一護を現状から完全に癒す為の道は存在はしていると、そう答えたのだ。

 

だが鉢玄という人物を鑑みればそれが在るのあらば、一護のための道が在るのならば、始めからそれを告げるのではないだろうか。

一護の命を繋ぎ、かつ死神として生きる彼の誇りもまた救える道があるというのならば、彼はそれを真っ先に告げるのではないか。

そう思える人物、鉢玄がそれを口にしなかった、それにはそうするだけの理由があるのだ。

何故ならそうせざるを得ない理由、例え彼個人がその道こそが最良であると理解し、そうするべきだと思っていたとしても彼の属する集団はそれを由としないと、彼は理解していたのだから。

 

 

「……死神の力を借りる(・・・・・・・・)事、それが一護クンを救うために唯一の越された道デス」

 

 

チラりと他の仮面の軍勢に視線を送った後、意を決したように鉢玄はそれを口にした。

鉢玄の告げた道、それは死神に助力を求めるというものだった。

考えてみれば至極全う、霊的な治療に長けているのは何も鉢玄だけではなく、脈々と続く死神の技術を合わせる事で一護を救うことは出来ると、彼はそう言っているのだ。

だが鉢玄の言葉を受けても真子の表情は優れず、逆に僅かではあるがピクリと眉が動く。

その様子を目にした鉢玄は、堰を切ったように言葉を続けた。

 

 

「ワタシの術で一護クンと破面の霊圧を分離する事は容易ではありまセン。しかし死神の…… 四番隊の力ならばそれも可能でショウ。霊圧洗浄さえ済めば傷は深くとも、それを癒す事も霊力の回復もそう難しくは在りまセン。そして霊子に満ちている尸魂界の方が、ワタシ達の傍に居るよりも遥かに一護クンのためデス。何より四番隊の隊長は今もアノ卯ノ花隊長でショウ。彼女ならば信頼に足る  「アホな事言いなやハッチ!!!」

 

「ひよりサン……」

 

 

鉢玄が語る“利”は、今という状況を確かに打開しうる可能性を確かに秘めていた。

彼の術は死神達が操る鬼道に比べ先んじていると言えるだろう、それは彼が空間を操る術を持っている事からも明らか。

しかし、時として先んじている技術こそが全てを解決するとは限らない。

現状空間回帰という工程を踏まねばならない鉢玄の術よりも、古来より脈々と受け継ぎ積み重ねられた死神の治癒術の方が、一護を救える可能性という観点から言えば優れていると鉢玄は言うのだ。

更に、自分達仮面の軍勢が纏ってしまった虚の霊圧に比べ、無色といえる霊子が満ちている尸魂界の方が一護にとって遥かに治療に適した環境で回復の助けにもなり、何よりも一護の治療を担当するであろう四番隊を取り仕切る隊長、卯ノ花(うのはな)(れつ)は信頼に足る人物だと。

 

しかし、その信頼に足るという鉢玄の言葉は、別の人物が荒げた声によって遮られる。

声を荒げたのはひより、その顔には明らかに嫌悪と怒りが浮かび、握られた拳はワナワナと震えていた。

そんな彼女の様子に鉢玄はとどこか悲しげに言葉を漏らす。

そう、それは悲しみ、鉢玄にもこうなるであろう事は判っていたのだ、この一護を救える可能性を示す道は何よりも、彼自身の仲間にとって(・・・・・・・・・・)受け入れがたい道であると判っていたから。

 

 

「死神の力借りるやて? 何でうちらが死神なんぞの力借りなアカンねん!アイツ等は…… アイツ等はなぁ! うちらを切り捨てた(・・・・・)んやぞ!そんな奴等に一護のアホ渡せる訳ないやろ!!うちらはもう死神を信用せぇへん! 死神の力なんぞ借りる必要ない!一護はうちらの仲間や! 」

 

 

烈火のごとく捲くし立てるひより。

その勢いはまさしく彼女の怒りそのものなのかもしれない。

真子、ひより、そして鉢玄たち仮面の軍勢と死神、その間に何があったのかは今はまだ語るべきではない。

しかし、彼女の怒りに見え隠れするのは憎しみではなく悲しみや失望の色であり、それから生じる怒りとは、彼女自身がそれだけ傷ついたが為の痛みの発露なのだ。

そして一度傷ついた心は、その痛みを遠ざけるため怒りとして根源を遠ざける。

そうするうちに怒りは大きく育ちある一部に向けられていたそれも、それが属する全てに怒り、拒絶するようになってしまう。

 

ひよりの怒りは自分達を切り捨てたという死神全てに向けられ、その死神の力を借りる事も何より仲間である一護を委ねる事も拒絶した。

信じられないという思い、一度傷つけられ裏切られたという根深い心の傷が過剰な反応を見せる。

だが彼等の頭目である真子は違った。

 

 

「……ハッチ。 結界解いても大丈夫な状態まで一護を回復すんのにどんだけ掛かる?」

 

「え? あ、ハイ。 最低限の生命維持ならばもう直完了デス。今は平行して破面の霊圧の浸食を抑えている状態デスが…… 」

 

「さよか。 ……ほんなら死神の嬢ちゃん。アンタが(ちょく)で連絡取れる中で一番上…… 出来れば副隊長か隊長クラスが理想やが、ソイツに一護の状態伝えて大至急、上級救護班の腕利き連中寄越してもらい。渡りがついたところで俺らは消えるよって 」

 

「あ、あぁ! 判った! 直に手配を要請する!」

 

 

その声も雰囲気もいつもと変わらず、飄々としながらも的確な判断をする真子。

その様子に一瞬面食らったような様子の鉢玄と、一護を救う道が見えたことで僅かではあるが持ち直したルキア。

真子にとって此れは必要な判断であり、感情を優先するべき場面では無いと彼は理解しているのだ、しかし。

 

 

「なに言うてんねん真子! 死神はうちらの敵やぞ!信用出来ん! 」

 

 

感情、いや激情にも似たそれを顕にするひよりにはその判断は理解できなかった。

彼女からすれば真子もまた自分と同じ“被害者”の一人、当然自分と同じように死神に怒りと不信をもっていると思っていただけに、真子の判断は受け入れがたく。

死神という存在に失望しているからこそ、それを信じて仲間を託す選択は彼女の中にはなかったのだ。

 

 

「やかましいのぉ。 ほんならお前このまま一護見殺しにする心算なんか?」

 

「そんな事言うてへんやろ! 死神の力なんぞ借りる必要ない言うてるだけや!」

 

「アホらし。 ハッチがそうせな一護が助からん言うてるんや。せやったら死神の力でも何でも利用するんが一護の為やろ」

 

「そんでもっ! 」

 

 

大声を出すひよりに真子は、半眼に小指で耳をほじりながら面倒くさそうに問う。

それならお前は一護を見殺しにするのか、と。

今までの話を聞いていたならば現状、一護を救う手立てはそれしかないとわかる筈、そしてひよりもそれは理解はしているのだろう。

しかし、感情とは常に理性よりも先んじるもの、自分達を切り捨てた死神を信用出来ないという思いだけが彼女の中には満ちているのだ。

激情に身を任せるひよりと、感情を理性で押さえ込める真子、その真子の言葉にも信用ではなく利用(・・)という言葉が出る辺り、彼にとってもこの選択が煮え切らないものであるのは伺えるが、今のひよりにそれを察する余裕は無い。

だがそれでもと尚食い下がるようなひよりを見かねたのか、羅武と拳西がひよりを宥めようと近付くが真子は視線を送ってそれを制する。

そして真子は一つ溜息を零すと、ひよりに静かに語りかけた。

 

 

「ひより、俺らはみんな尸魂界に切り捨てられた、そこに間違いは無い。死神が嫌いなんもみんな一緒や。 ……せやけどな、死神が嫌いや信用ならへんちゅう小っさい意地で、仲間を死なすんは許されへん。尸魂界に切られた俺たちやからこそ、どんな理由があっても仲間を見捨てる事(・・・・・・・・)はしたらアカンねん。仲間の命救う為ならどないな事でもする……死神の手も借りる、それが俺の判断や。文句は言わさへん 」

 

 

静かだがその語り口は真剣だった。

お前の気持ちも判る、そして自分も仲間も同じ思いなのだと。

だがだからこそ、救うではなく切り捨てる選択をされた自分達だからこそ、仲間を自分達の意地のせいで失う事はあってはならないと、真子はひよりに諭すように告げる。

自分達と同じ痛み、同じ苦しみを分かち合える存在、その希少さとありがたさ、仲間の命を前に意地もへったくれもないだろう、と。

その言葉は普段の不真面目で飄々とした彼ではなく、仮面の軍勢という者達を束ねる者としての言葉であり、静かながら反論を許さない強さが伺えた。

 

 

「~~ッ! もう知らん! 勝手にせぇ! ハゲが!!」

 

 

真子の声、雰囲気、そして言葉にひよりは一層険を増した表情をしたが尚食い下がる事はしなかった。

勝手にしろと叫ぶと鉢玄が張った結界を突き破ってその場を離れるひより、慌てて結界の穴を塞ぐ鉢玄とその後姿に深い溜息を零す真子。

自分や他の者達よりもひよりの尸魂界ひいては死神に対する怒りは強い事は彼も知っていた、だがそれでもその怒りと一護の命は比べられるものではない。

何よりその怒りを生み出す根源となった者に借りを返すには、一護の力はどうしても必要なのだ。

感情よりも実利、そんな自分の行動がどこかその者と似通っていると思い、真子は誰にも気付かれぬよう自嘲気味に小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

そして場面は冒頭へと戻る。

 

真子の提案を受け伝令神機でルキアが緊急連絡をとったのは、先遣隊として現世に赴任していた十番隊隊長日番谷(ひつがや) 冬獅郎(とうしろう)

上級救護班の出動要請ならば、彼女が元々所属する隊の隊長である十三番隊隊長浮竹(うきたけ) 十四郎(じゅうしろう)でも良かったのだが、現場の切迫した状況をより理解しているであろう冬獅郎の方が適切だ、と判断したルキアのそれは正しかった。

ルキアより一護の状況を聞いた冬獅郎は、すぐさま四番隊隊長である卯ノ花に上級救護班の出動を打診、これを受け卯ノ花は上級救護班精鋭の即時現世出動と一護の綜合救護詰所への緊急搬送、収容を指示する。

ルキアの一報よりそう時を置かず現世へと到着した上級救護班の精鋭達は、一護の惨状にも怯まず、己に出来る最善を尽くし一護を救うために動いた。

 

そんな目まぐるしく変化する光景の中、ルキアは去り際の真子の言葉を思い出していた。

 

 

「……来よったな。 ほんなら俺らはここで退かせて貰うわ。 ……あぁそうや。 俺らの事、上に話したかったら話してもエエし、別に訊かれても黙っとけとは言わへん。どうせ上の奴らは(・・・・・)殆ど察しがついとる(・・・・・・・)やろうしなぁ」

 

 

四番隊の上級救護班が現世へと到着した気配を感じた真子は、ルキアにそう呟いた。

自分達の事、ここで起った出来事全て秘密にする必要は無い、と。

今までの口ぶりから彼らが必ずしも死神をよく思っていない事は明らかであり、彼らが死神に反目する集団であるというのならば、そういった者達は往々にして自らを秘すもの。

だがルキアの前に真子はそれをしないと言うのだ、ルキアが訝しむのも無理は無いだろう。

そんなルキアを他所に真子は彼女に背を向け立ち去ろうとするその時、あぁそういえばといった風で何事か思い出したように足を止め彼女に振り返る。

 

 

「死神の嬢ちゃん。 俺らは別に死神を信用したんと違うからな?全部一護の為を思えばこそや。 これでもし一護の奴に何かあってみぃ、そん時は…… 藍染より先に俺らがお前ら護廷潰したる(・・・・・・)。容赦はせぇへん。 一護はもう俺らの仲間やっちゅう事、忘れんなや」

 

「っ! 」

 

 

凄んだ様子も、霊圧も殺気も伴わない言葉にしかしルキアは息を呑んだ。

信じて任せたのではない、全ては黒崎 一護という自分達の仲間のためを思えばこそであり、そしてもし一護に何かあったときには許さないという意の言葉には、怒りや憎しみという熱よりも怜悧で冷たい印象が残る。

それをルキアに印象付ける最たるものは言葉の圧力よりも寧ろ真子の“眼”だった。

眼を見れば判る、と言われるほど、人の眼というのは言葉以上にものを語る。

そして真子の眼はルキアに彼が本気である、と思わせるのに充分なほどその意をありありと語っていた。

 

嘘や虚勢では無い、一護に何かあれば彼らは必ず報復する、彼等の戦力がどの程度かは判らないが、それでも戦力差など微塵も省みる事無く彼らは死神に戦いを挑むだろう、ただ仲間の為に。

ルキアにそう確信させるだけの眼差しを残し、その場を去っていった真子達。

一抹の不安は残るが今、ルキアは何よりも一護が無事に回復することを願っていた。

 

傷が癒えれば、一護は再び戦いの渦へとその身を投じるだろう事は判っている。

だがそれでも、それが黒崎 一護という青年が望む道ならば、彼女はそれを止めようとは思わなかった。

その望む道こそが、一護にとって誇りであると知っているから。

 

世界中の人を護るなんて大きな事は言えない、でも両手で抱えられるだけの人を護れればいいなんて控えめな人間でもない、だから俺は“山ほどの人を”護りたい。

 

いつか一護が彼女の前で口にしたそんな台詞、死神という力を得たからこそ、いや得る前からきっと彼はそう思っていたのだろう。

そんな思いを抱える一護だからこそ数々の困難を乗り越え、多くの人々を陰日向に護ってこれたのだとルキアは思う。

その彼が望む道を、誇りある生き方を誰が阻み止められるものだろうか。

 

だが同時に彼女はその道を進む一護の背を見送ることだけはすまい(・・・・・・・・・・・)、とこころに誓っていた。

 

誇りのため戦いに赴く友を見送る事だけはしないと、肩を並べられるかは正直判らない、しかし見送るのではなくせめて同じ戦場に立てる者でありたいと、同じものを見て同じ事で笑い、怒り、悩み、分かち合ってやれる存在でありたいとそう願うが故に。

誓いとは己のこころに突き立てるもの、そして今、彼女の誓いは間違いなく彼女のこころに突き立てられていた。

 

 

( 何も出来ず、ただ立ち尽くすことなどもう御免だ。私は強くなるぞ、一護。 残された時が例え僅かであったとしても、それでも強くなる事を、強くありたいと思い求める事を止めはせぬ。だから一護、必ず戻って来い…… 私達の傍へ…… )

 

 

強い思い、強い願いがルキアに芽生える。

そして眼とは口ほどにものを言い、彼女の眼はまさに“本気”のそれであった。

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「……きろ。 お……のだ、一…… 」

 

 

まどろむ意識の中、微かに声が響いた。

常に傍に居る様でしかし何故か懐かしいような、そんな低く落ち着いたその声。

眠りに落ちる直前のようなある種独特な浮遊感を感じながらも、その声に導かれるように意識は徐々に浮かび上がる。

 

 

「お…きろ。 ……護、目を……ませ 」

 

 

意識が浮き上がるにつれ声はより鮮明に、そしてその音量を増していく。

まるで暗闇をたゆたう様だった意識が浮き上がる速さは徐々に早くなり、それにつれた声はより明確に聞こえ始める。

そして暗い水底の様だった意識の周りは浮かび上がるにつれ明るさを増し、そしてついにはあまりの眩さに遂に意識は、いや一護は目を覚ました。

 

 

 

「ッ。 ここは…… 何処だ……? 」

 

 

 

ガバッと跳ね起きるようにして上体を起した一護。

状況がつかめず辺りを見回す一護の目に映ったのは、自分の視線に対して横倒しになったビルの群れ。

視線を落とせば自らもまたビルの側面に座っているという状態であり、あまりのことに一瞬驚くがそういえばと思い出したように納得する。

 

 

「まさかここは…… 俺の、精神世界…… なのか?」

 

 

そう、横倒しになったビルと空、それが示すのは彼自身の深層、精神世界と呼ばれる一護自身の内なる世界。

彼がこの場を訪れたのは都合三度、一度目は死神の力を取り戻すため、二度目は尸魂界の凶獣更木(ざらき) 剣八(けんぱち)との戦いの折、そして三度目は彼自身の内なる虚との内在闘争。

それら三度とも風景に大きな違いは無く、あえて違いを上げるとするならば、今まで三度とも抜けるような青だった空が厚い雲に覆われ、遠雷が微かに響いている事だろうか。

何処にいるかは判ったがそれでも何故此処にいるのか、という疑問が残る一護。

そんな彼に背後からその声は話しかけた。

 

 

「そうだ、一護。 ここは紛れも無くお前の精神世界だ…… 」

 

「ッ! 斬月の……オッサン……? 」

 

 

背後からの声に振り返った一護の視線の先にいたのは、細い鉄柱の先端に立つ一人の男。

裾が破れたような漆黒のロングコートを身に纏い、目元には色の薄いサングラス。

髪は癖の強い長髪で面長の顔立ちに髭を生やしたその男の名は『斬月』

 

一護の斬魄刀と同じ名を持つその男、それが意味するのはその男こそが“一護の斬魄刀である”という事。

死神が持つ斬魄刀には千差万別の形状と能力とともに必ずその斬魄刀の“本体”が存在する。

彼ら斬魄刀の本体はすべて死神の精神世界に存在し、死神は彼らと対話する事ではじめて始解を手にし、そして互いが互いを高めあった末に卍解を得るのだ。

この男、斬月もまた一護の斬魄刀の本体であり、言うなれば一護にとって最も傍にいる相棒のようなもの。

自分から少し離れた位置に立つ斬月の姿を確認した一護は、立ち上がると少しだけ興奮した様子で彼に話しかける。

 

 

「斬月のオッサンじゃねぇか! よかった。 戻って来れたんだな、霊力(チカラ)の中心に」

 

「あぁ。 お前のおかげだ…… 」

 

 

どこか嬉しそうな一護の声、それもその筈だろう。

一護の内側には二つの力が存在している。

一つは言わずともかな死神の力、それが示すのは今彼の目の前にいる斬魄刀の本体斬月、そしてもう一つの力は虚の力、それを司るのは一護とまったく同じ姿をした内なる虚であるあのもう一人の一護だ。

だが二つの力は元を辿れば黒崎 一護という一人の霊力に起因するもの、故に斬月本体ともう一人の一護は表裏一体の存在であり、一護の内側で死神と虚どちらの力がより強く支配し、どちらがより一護の霊力の中心に存在しているかでその姿を変える事になる。

 

元々は死神の力である斬月が一護の霊力の中心にいたのだが、本格的な内なる虚の目覚めより仮面の軍勢の下でそれを御すための内在闘争に至るまで、一護の霊力の中心にいたのはもう一人の一護だった。

だが内なる虚との内在闘争の果てに彼を倒し、かろうじて御した事で一護の霊力の支配権は虚から死神へと移り、結果霊力の中心に戻った斬月は再び一護の前にその姿を顕す事ができたのだ。

 

 

「でも何で俺は此処に居るんだ? 俺は確かグリムジョーと戦って…… ッ! そうだ! こんな所に居る場合じゃねぇ!アイツを止めねぇと! 」

 

 

再会の喜びもそこそこに一護はようやく自らの状況を思い出した。

自分は戦いの最中だったこと、そしてその相手はとてつもない強さを振るい、命を奪う事に何の躊躇いも見せない相手であった事を。

 

 

「案ずるな、一護。 あの破面は既に退いた。 差し当たっての危険は、無い」

 

「退いた……? どういうことだよオッサン 」

 

「お前にとどめを刺そうとした破面をもう一体の破面が止めたのだ。そしてその破面の言によって奴は退いた 」

 

 

自らの状況を思い出し早く戻らねばと焦る一護に斬月は至極冷静な口調でその必要は無い、と告げる。

あの破面は、グリムジョー・ジャガージャックは既に現世から虚圏へと退いている、と。

その言葉に訝しむような表情を見せる一護、彼が感じたグリムジョーという破面の戦いぶりを思えば、あの状況で退く事などありえないという考えに至る事もあながち間違いでは無いのだろう。

だが斬月はその考えも理解しながら実際に起った事実を一護に告げる。

そしてその言葉には一護にとって信じられない台詞が混ざっていた。

 

 

「待ってくれよオッサン。 “とどめを刺す”って一体どういうことだよ…… 」

 

「言葉通りの意味だ。 一護、お前はあの破面が放った黒い虚閃の直撃を受け戦闘不能状態に陥った。その後、お前をあの破面が殺そうとしたところで別の破面が割って入り、結果お前は今も生きているのだ…… 」

 

「なん……だと…… 」

 

 

そう、一護にまるで悪い間違いのように聞こえたその台詞はしかし間違いではなく。

とどめを刺すというその台詞は暗に自らの敗北を示されたようで、それを認められず聞き返した一護に返って来たのは冷酷な現実だった。

グリムジョーが放った圧倒的な虚閃、黒虚閃を受けた瞬間から一護の意識は既に無いに等しい状態だった。

それでも微かに残る意地で剣を握り締め、更に最後の最後に搾り出した意思で立ち上がりはしたがそこまで、その後意識は深く深く奥底へと落ち、彼は自身の精神世界の奥へと埋没していたのだ。

斬月が語った自身の敗北に驚きを隠せない一護、そんな彼の様子を他所に斬月は今の彼自身の現状を語って聞かせる。

 

 

「お前は現在、尸魂界の護廷十三隊四番隊隊舎にある綜合救護詰所内の、第一級集中治療施設で眠っている。あの破面との戦闘でお前の霊体と霊力は極度の疲労と衰弱を起していた。死神達の治療で窮地は脱したが、目覚めるには暫し時間が必要となるだろう…… 」

 

「そんな…… 待ってくれ! 破面(アイツ等)がまた何時攻めて来るか判らねぇってのに寝てられるかよ!オッサン頼む! 今すぐ俺を戻してくれ! 」

 

 

斬月が語ったように現在一護は、護廷十三隊四番隊隊舎綜合救護詰所内にある第一級集中治療施設の一室で眠っている。

綜合救護詰所内でも最も高度でまた最も容態の重い患者が収容されるその施設、そこで治療を受けているというだけで一護の状態が如何に危険なものだったかは、窺い知る事が出来るだろう。

だが一護にとってそんな自分の状況など関係は無かった。

敵、破面達がまた何時攻めてくるのか判らない状況で動けない自分、一護にとってそれほど怖ろしいものは無いだろう。

それは自分が身動きがとれず無防備だからではなく、自分が動けないばかりに仲間が危険に晒されるのではないかという思いから。

行動原理の根幹が“護る”という思いから来る彼にとってこの自らの状況はあまりに無力なのだ。

故に叫ぶ一護であったがそんな彼の姿を見て斬月は瞳を閉じ、溜息を漏らした。

 

 

「一護、今のお前はまるで駄々をこねる子供だ…… 今のままでは(・・・・・・)お前を戻すことは出来ん。暫し、此処で頭を冷やす事だ…… 」

 

「ふざけんな! こんなところで止まってられるかよ!邪魔するならいくら斬月のオッサンでも容赦しないぜ」

 

 

それはどこか一護らしくない態度だった。

強い言葉に強硬な姿勢、そして伸ばされた手は背に背負う刀としての斬月の柄に伸ばされる。

邪魔をするなら押しと通るまで、そんな考えすら感じさせるその行動は気持ちばかりが逸っている所謂“焦り”にも見えた。

駆けに駆け、駆け抜けたからこそ立ち止まる事が怖ろしい、駆け続けていなければ何かが止まるような錯覚、一護の中にある彼自身にも気付かないそんな焦り、自らの状況や周りの状況、それらが一息に押し寄せその小さな焦りが表に出ているのだろう。

だがそんな一護の焦りは、斬月にとっては手に取るように判るものに過ぎない。

 

 

「邪魔……か…… 子供の言葉とはいえ悲しいものだ、お前にそう言われるのは…… ならばどうする、一護よ? その手に握った私で私を斬るか? ……いや、それもよかろう…… だが私とてそう易々と斬られてやる心算は…… 無い! 」

 

 

斬月のサングラスの奥に見える瞳が僅かに悲しみの色を浮かべた。

だがそれはほんの一瞬、次の瞬間にはいつも通りの強い眼に戻りその視線は一護を確と捉える。

そして斬月が言葉お言い終わると同時に腕を振るう、するとそこには先程まで無かった刀としての彼が握られていた。

それが示すのは一つ、押し通ると言うのならば応じるという意思だ。

 

斬月が示した意思に一護は背に背負った刀を抜き、正面に構える。

その顔には先程と同じように焦りの色とそして、僅かに余裕が見て取れた。

 

 

「いいのか? オッサン。 俺は一度オッサンに勝ってる(・・・・・・・・・・・)。もう負けるとは思え無ぇ 」

 

 

そう、一護の表情に見える余裕の正体はそれだった。

卍解の修得条件それは斬魄刀本体を“屈服させる事”である。

方法は斬魄刀本体それぞれが示すが、往々にしてそれは持ち主が本体と戦って勝利する事に集約されるだろう。

そして一護は卍解を修得している、それが示すのは一護は一度斬月を屈服させたことがあるという事、つまり一護は一度斬月に勝っているという事なのだ。

易々と成った訳ではない、しかしそうだったからこそその勝利は自身と力を彼に授ける。

 

 

 

 

 

 

「その考えが既に子供だというのだ、一護 」

 

 

 

 

 

 

一護の視線の先、ビルの屋上から張り出す鉄柱に立っていた斬月がそう呟く。

彼と斬月との距離は多く見積もっても20m程度、とてもではないが動けば判る距離ではあったがそれは起った。

刹那の瞬間、ただ一度の瞬きにすら満たない瞬間で斬月は一護の“視界から消えうせた”のだ。

 

そして次の瞬間一護が感じたのは喉元にチクリと触れた冷たい感触。

 

斬月へと向けていた視線を僅かに落とすと、そこには先程まで確実に視界に捉えていた斬月の姿と、自らの喉元に突き付けられる斬月の切先だった。

 

 

(なっ!! )

 

 

突然の出来事、人はそれに対峙したとき本能的に身を固めてしまう。

だがこの状況でそれは確実に間違い。

そして一護は身を固めるのではなく、構えていた刀を振るって突きつけられたそれを払った。

ぶつかり合う斬月と斬月、衝撃が爆風を生みそれに弾かれるように両者が再び距離をとる。

 

 

(視えなかった……だと……? 完全に置いていかれてる(・・・・・・・・)…… あの時、卍解修行のときとは比べ物にならねぇ…… )

 

 

一護の頬を一筋の汗がつたう。

予想だにしない衝撃、まるでかつて自分が朽木(くちき)白哉(びゃくや)双極(そうきょく)の丘で対峙した時の戦いを焼き直したような展開に、一護は驚愕していた。

喉元には汗とは別に熱いものが流れる感触が残り、それは斬月の切先が彼の喉に突き刺さる直前だった事を如実に物語る。

驚きと衝撃、何よりも速さにおいて完全に後れを取った事が、一護の精神を大きく揺さぶっていた。

 

 

「私の力があの時のまま(・・・・・・)だと思っていたのか? そうだとするならばお前はもう目覚めるべきではない。 戦いの最中、一度勝った事がある(・・・・・・・・・)などという不確かな理由で油断を見せる愚か者め。 私はお前の斬魄刀、お前の力が増せば私もまた強くなるが道理。 今の私すら捉えられない者が、誰かを護るなどと口にもするな 」

 

 

斬月、死神の力の根源とは一護自身の霊力。

その霊力が強く成長すれば斬魄刀である斬月もまた、その力を増すのは道理だろう。

今の攻防、一護の最大の失敗は“見誤った事”だ。

姿形が同じ相手、そして一度勝ったことがある相手、特に変化を見せずまた変化している事を見ようとしなかったがために一護は思い込んだのだ。

 

あの時のままの斬月だと。

 

だが実際は虚の力を御し、またあれ移行数々の戦いを経験した事で一護の力は増しており、その力の増加は斬月にも影響していた。

始解の斬魄刀である斬月、その彼が一護を完全に振り切るような速力を見せるという現実。

一護自身の油断と僅かな慢心、そして焦りによって彼本来の力が出せていなかった事も大きく影響しているがしかし、確実に強さを増した斬月は一護に突きつける。

 

私に、自分自身の斬魄刀すら越えられぬ者に誰かを護ると言う資格は無い、と。

 

 

「一護よ、この曇天の空を見ろ。 これはお前の心の乱れ、心が乱れれば力もまた乱れる。そして乱れた力では誰も護る事など出来はしない…… 故に一護、お前は今一度、己の力と心を見つめ直さねばならない。私に後れを取ったお前に今、卍解を使わせてやることは無い。そして私を倒さねば、お前は一生目覚める事も無い(・・・・・・・・)。もう一度卍解を手に、し目覚める事を望むなら今一度、私を越えてみせろ!一護! 」

 

 

一護の周りに広がる風景は全て彼の心の風景。

抜けるような青空はそのまま不安も憂いも何も無い彼の心を表し、しかし今その青空は厚い雲に覆われている。

斬月はそれを心乱れだと言った。

一護の意識にそれはなくとも精神の深い部分は何もかもを顕にする。

グリムジョーという強敵、その後に控える十刃、そしてそれらを束ねる首魁藍染 惣右介。

手も足も出ずに敗北した藍染との戦いや、グリムジョーとの数度にわたる戦い、それ以外にも実力の片鱗すら掴めぬ敵や圧倒的な闘気を見せ付ける敵、それらの存在を相手取り自分は本当に戦えるのか、一護とて戦う力はあれどその中身は唯の高校生であり人間、そんな不安をまったく感じないわけが無いのだ。

それを乱れと呼ぶにはあまりに酷ではある、しかし不安は力を僅かに曇らせその僅かな曇りは決定的な場面で命取りになる。

 

一護の名を叫び再び彼に斬りかかる斬月。

今度はかろうじてその斬撃を受け止めた一護だがその圧に押し負け弾き飛ばされる。

だがそれでも斬月は止まらない。

どこか鬼気迫るような斬月の攻めに、一護は必死で喰らい付く事しか出来ないでいた。

 

 

「クソッ! なんでだオッサン! なんでッ! 」

 

 

展開の速さについていけずそんな疑問だけが一護の口から零れる。

刃と刃がぶつかり火花が散り、ギリギリと音を立てるように二人の間で刀と刀が鬩ぎあう。

押しつぶそうとする斬月とそうさせまいとする一護、視線が交錯し斬月はこう告げた。

 

 

 

「お前も剣で戦う戦士ならば、剣を合わせた相手を感じろ(・・・・・・)。ぶつかり合う刃から伝う相手の考えを、こころを、そして覚悟を感じ取るのだ。そうすることで初めて見えるものがある…… さぁ一護、私の“ 覚悟 ”がお前に見えるか!」

 

 

 

刹那の拮抗と言葉、そして拮抗は崩れ一護が弾き飛ばされる。

その姿を泰然として見下ろすかのような斬月。

斬魄刀の主と斬魄刀本体の戦い、傷を負い眠る身体の奥底で繰り広げられる戦いはまだ、始まったばかりであった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滅せよ

 

封じよ

 

無垢なるものよ

 

唯一それが

 

お前の価値也

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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