東方雷魔伝~the story of magician's master~ 作:溶けた氷砂糖
そんなこんなで第5話です。
さらっと前話より時間が進んでいるのでご注意ください。
彼の目に映るのは赤、朱、紅。三つの色が網膜を焼く。一つは燃え盛る小屋の色。一つは掲げられた旗の色。そしてもはや動かない人の色。血に塗れ、倒れ伏す姿は自分の知っていた物とは余りにもかけ離れていた。少し垂れていて、彼女の優しさを如実に表していた目は痛みによって大きく見開かれている。好んで着ていた若草色のドレスは茜で染物でもしたかのように紅く、もはやどれだけ洗おうと元の色合いを取り戻すことは無いだろう。糸のようにすらりと伸びていた黄金色の髪は振り撒かれ傷付き、色白で無駄な肉のついていない美しい肢体に力は入らず、呼吸の音も聞こえない。絶命しているのは誰の目にも明らかだった。瞼を閉じれば容易に脳裏に浮かぶはずの輝かしい笑顔は、どうやっても彼女の表情とは結びつかない。
「あぁ・・・・・・うそ、嘘だろ」
喉から絞り出された声はか細く、誰の耳にも届かない。いや、例えはち切れんばかりの勢いで叫んだとしても最も届けたい相手は答えてくれないだろう。信じられない、信じたくない。こんな光景を想像しないわけではなかった。むしろ今までこうならなかったことの方が奇跡に近いと分かっていた。しかし、そこに倒れているのは自分の筈だ。けして皆に愛されていた彼女ではない。馬鹿にされ続け、忌み嫌われていた自分の方が殺されるべきだったのだ。だってそうでないと不公平ではないか。
魔法の技量は彼女の方が上だった。人々の助けになっていたのも彼女だ。自分はただで後ろをついて回って見ていただけだ。彼女の近くに居て、彼女と同じことをした気持ちになっていただけだ。愚鈍で卑怯なのは自分。それなら、罰を受けるのは自分の方だろう。それなのに、槍で貫かれたのは彼女で、自分は糸の切れた人形のようにへたりと地面に座り込んでいる。
「魔女は死んだ! 魔女は死んだ!」
戦闘に立ち、赤い十字の旗を掲げる男が声を張り上げる。いつも自分たちに良くしてくれた青年だ。歳は彼よりも遥かに下だが、彼よりも遥かに大人らしく、いつも皆のまとめ役だった。たった一ヶ月前までは気さくに笑いかけてくれたのに今は鬼のような形相で後ろに続く人間を扇動し、自分を殺そうと近寄ってくる。その途中、両者を結ぶ線にある彼女の体は、何の躊躇もなく踏み躙られた。ぎしゃり、という悪趣味な音に嫌な顔を浮かべる者は居るが、罪悪感を感じているのは誰一人として居ない。あの少女がほんの少し前まで自分達と陽気に過ごしていたことなど忘れてしまったかのようだ。何が楽しいのか笑い声まで聞こえる。人間は自分達が何を殺したのか理解しているのか。理解した上での嘲笑なのか。
彼女が何をした。彼女は確かに魔法使いだ。魔女と言い換えることは可能かもしれない。しかし、彼女が扱っていたのは治癒魔法だったし、魔法を使うことを好まず、長年集めた薬草の知識で村に貢献していたはずだ。巷で流行っている病と彼女は何の関係もないというのに、人間達は結びつけてしまった。何故だ。魔女とはそれだけで虐げられなければ、殺されなければいけないのか。
ぞっ、と背筋に冷たい物が走った。囁きかける自分の声が何処か遠くから聞こえる。絶望を知った弱虫な魔法使いが感じたのは恐怖ではない。
有り得ない光景、彼の中であってはならない光景。どうしてこうなった、自分達は悪くない、悪いのは、悪いのは奴らだ。人間だ。
魔法使いとして生まれ落ちて初めての情動。怒りなんて生易しいものではない。大罪たる
彼の身に宿るのは彼ではない彼。失われることのない悪意。全てを飲み込む絶対的な感情。目の前のガラクタを砕いて粉微塵にして、そして塵芥を固めてもう一度叩き潰し、冒涜してもなお足りない怨念が彼を覆い隠す。
「・・・・・・壊す」
殺す、とは言わなかった。そんな言葉を使うだけの価値もない。殺されるのはイキモノだけだ。この男達が生物を名乗るなど烏滸がましい。立ち上がり、
「こ、殺せ! 我らが神のた────」
男の上擦った声が途中で途切れる。火が映し出す影が不気味な姿を見せた。司令塔を失った体は瞬時に物言わぬ肉塊へと変わる。立つ意志がそこに無いのだから、首無しの身体が重力の働くままに地面に崩れ落ちるのは誰でも理解できるはずだった。しかし、彼らは支えようとも、避けようともしない。誰も何が起こったのか分からなかった。ただ、忽然と男の首が消えた。まるで最初からそこに存在しなかったかのように。二枚の写真を続けて見せられた、そんな表現が最も近いだろう。非現実的な光景は他の人間をフィルムの外へ追いやってしまった。そのせいで、吹き出した血が彼らの顔に勢い良く降り掛かっても、愚鈍な人間達は現状を理解するのが追い付かない。
そして、その間は明らかに致命的であった。
「みんな・・・・・・ぶっ壊してやる」
低い呻きと共に彼がまた足を踏み出す。まだ距離があるのに、彼の持つ悪意によって彼等の間にある空間は、たった一歩で繋ぎ止められていた。捕食者が、殺人鬼が、逃れようのない天災が目の前に姿を見せたことでようやく事態を把握した
*
じっとりと湿った掌を見つめ、ヴィグラスは荒い息を整えないまま体を起こした。息は切れ、心臓が何倍も大きな音で脈打っているのが分かる。全身が雨に降られたかのように汗で濡れているのが気持ちが悪い。寝ている間に叫んでしまわなかったか、という彼の懸念は、魔理沙がこちらに来る気配が無いことで解消される。彼女が起きてこないということは、おそらく声を上げてはいないのだろう。助かった、と彼は安堵した。こんな姿を見られるわけにはいかない。今の自分を鏡で見たならば、思わず叩き割ってしまうほどに軟弱で悲愴な表情をしていることだろう。そんなことは容易に想像できた。
汗が冷えてしまうのは体に悪い。まだ夜が完全に開けた訳では無いが、タオルで体を拭くだけでもしてしまおうと彼は自分のベッドからのそのそと歩き出す。自分の足が床を僅かに軋ませる音が廊下に響くが、反応する者は誰も居ない。魔理沙はまだ寝ているし、魅魔も最近は毎日という程の頻度では来なくなっている。魔理沙を弟子に取ってから既に二年の月日が経過しているのだ。魔理沙のことを気にかける必要はなくなったと考えたのか、それとも単に飽きてしまったのかは定かではないが、ヴィグラスにとっては様々の意味で都合が良かった。
居間の箪笥から白いタオルを取り出し、簡素な寝間着の上を脱ぐ。傷だらけで、魔法使いらしからぬ鍛えられた身体が現れ、三日月よりも少しだけ大きな月の光に照らされる。上着は汗をしっかりと吸い込んでいて、再び着る心持ちにはなれない。それならばいっそ上も下も履き替えてしまえと新しい寝間着も続けて取り出す。箪笥を閉めると、ぎぃ、と嫌な音がした。周りを気にしてから上半身を拭き、上を着てからズボンを脱ぐ。完全に着替え終わった後、ヴィグラスは寝床に戻ろうとしたのだが、眠気はもう何処かに雲散霧消していた。夢を見た時にすっかり醒めてしまったのだろう。これではどうやっても眠れそうにはない。
そう、夢。夢だ。どうしてあの夢を見たのか。ここ二百年は見ないで過ごすことが出来たというのに、魔理沙が来てからはもう三回目だ。彼女の存在が記憶を呼び覚ます切欠になってしまったのか。さらに伸びた髪を三つ編みにした、彼女の後ろ姿は確かに似ているかもしれない。活発な姿も近いと言えば近いだろう。しかし、ヴィグラスは魔理沙にその姿を重ね合わせたことは無い。もうずっと昔の事だ。今更思い出すほうがおかしい。そう心では理解していても、夢の中には彼女が変わり果てた姿で現れる。口汚い言葉で罵ってくれれば楽なのに。貴方は悪くないと優しく微笑みかけてくれれば自分はこんなにも苦しまずに済むだろうに。彼女は何も言わない。ただ体を血に染めて彼にこう囁くのだ。
駄目だ、昔のことを考えないようにしなければ。過ぎたことなのだから、もう引き返せないことなのだから。いつまでもそんなことを気にしては気分がもっと重くなる。弱った心が自分にまた悪夢を見せてしまうのだ。
ヴィグラスは寝間着のまま扉を開けた。どうにかして息苦しい今の感情を変えたかった。外に出ると爽やかな春の夜風が乾き切らなかった肌に当たる。固まった体をほぐすために大きく伸びをすると、服の中を擽るように風が通り抜けた。もう冬は過ぎたとはいえ、まだ夜風は冬とそう違いが無い。脇腹を急に冷やされたヴィグラスはゴホゴホと咳き込んでしまう。体の弱い魔法使いに夜の寒風は少し辛いものだ。ヴィグラスは喘息は持ってないが、それでも体の良い方ではない。
「やっぱ、春はまだ冷えるな」
「そんな薄着をしているからではなくて?」
ヴィグラスの鼓膜を揺らしたのは彼の苦手とする妖艶な女性の声。やって来たのはつい先程だと分かっていても背筋が凍るような威圧感と、含みを持たせた喋り方のせいで、ずっと前から見張られていたのではないのかと不安に心を掴まれそうになる。しかし、それを表に出す程ヴィグラスは若年者ではない。長く生きるモノは得てして相手の恐怖心を煽ってしまう。それが望むにしろ望まざるにしろ、強者を強者たらしめているのだ。呼びかけられただけで
「・・・・・・そいつもあるかもしれねえが、大妖怪サマが後ろに突然現れたから怖気が走ったのかもな」
「デリカシーの無い人。こんなか弱い少女に怖気だなんて器が知れますわよ?」
「さらに怖気の走るようなことを言うんじゃねえよ。アンタが少女だなんてタチの悪い冗談だ」
「へえ、面白い事言うのね」
ヴィグラスに掛かる重圧が途端に膨大になる。彼の皮肉が
「は、それで怒る時点で認めたようなもんだ」
「ほん、っとうにデリカシーが無いわね」
紫が放っていた妖力を萎ませる。彼の胆力に認めたのではなく、強情さに呆れてしまったようだ。ヴィグラスはまた汗で冷えてしまいそうな体を翻して彼女の方へ立ち直る。左手にはいつの間にか愛用の杖が握られており、右手には羽ペンが構えられている。臨戦態勢、という言葉の相応しい格好に紫はくすりと笑みをこぼした。馬鹿にしたのではない。大妖怪に片足踏み入れるだけの実力を備えているのに、けして気を抜かないその姿勢に感心したのだ。力を持つものには油断がある。余裕を持つ事が実力者の特徴だ、とも言われる程だ。隙を突かれた程度ではびくともしないのが彼女達なのだから、心に緩みがあるのは当然だろう。
しかし、ヴィグラスは違う。前世の記憶を色濃く受け継いでいることと、自身の経験のせい。そして大妖怪を前にしているという事実を冷静に認識する頭があるからこそ、彼は友好的な相手にも気を許さない。笑われたことも彼は眉を顰めるだけでやり過ごした。
「お願いがあるのだけれど、聞いてくれるのかしら」
「突然後ろに回り込むような奴が信用出来るとでも?」
「非礼はお詫びしますわ。だけど、これは貴方にしか頼めないのですもの」
「・・・・・・例の新ルールの話か」
「ええ」
弾幕ごっこ、と言い掛けてヴィグラスはやめた。少なくとも今の名付け親は自分であるが、迂闊なことを口に出すのを恐れたのだ。自分が決めてしまった名称に一種の気恥ずかしさがなかったといえば嘘になるが、それは些細なことである。
ともかく、紫が広めようとしているスペルカードルールの話である事はすぐに分かった。そして自分にしか頼めないこと。それだけでどんな頼みなのかは想像が付く。
「私と弾幕ごっこをして頂けませんこと?」
「なんで俺なんだ」
即座に返した答えは否定でも肯定でもなく疑問。少女の遊びなのだから男の自分が出てくるのは不自然だろう。八雲藍は主人に対して全力を出せないから仕方が無いとしても、幻想郷に有力な女妖怪は幾らでも居る。原作の知識を取り除いても、風見幽香や射命丸文の噂は何度も聞いたことがある。何も自分である必要は無い。もしくは博麗の巫女とやってもいい。どうせ天才なのだから自分よりも上手いことやってくれるだろう。
紫はどう答えるのか。ヴィグラスは彼女が口を開くのを待つ。どのような理由なのか。妖怪の賢者ならばそれ相応の理由がある筈だ。ただ思いついたから、だなんてありふれた理屈の欠片もない答えは望まない。
「一つは、貴方が
それは想定内の模範解答。これだけなら肩透かしだ。ヴィグラスでも簡単に思いつく。もしそれだけならば彼は魅魔にでも押し付けるつもりだった。どうせやるということは魔理沙と、未だ会ったことのない今代の巫女、博麗霊夢にも見せるつもりだろう。それならば十中八九魅魔もついてくる。そうすればスペルカードルールのことを知ることになる。先にしようが後に回そうがたいした違いはない。それならば彼女の方が本来の意味からして適任だ。弾幕ごっこはあくまで女子供の遊びでしかない。そこにヴィグラスが介入する道理はない。
しかし、一つというからには他にも理由があるということ。ヴィグラスは固い表情のまま次を促す。紫は珍しくもしばらく躊躇うポーズを見せ、端正な唇をゆっくりと開いた。
「貴方が、誰よりも
言葉が出なかった。ヴィグラスには弾幕ごっこについての知識があるのではないか、と紫は言外にそう聞いたのだ。それもある程度の確信を持って。自分に知識があることがばれたのか。一体何処から。それに例えミスを犯していたところで、そんな荒唐無稽な結論に至るわけがない。未来の知識を持っているなど、彼女のような聡明な者ならば尚更自分の論の馬鹿馬鹿しさに笑いをこらえられないだろう。何故ならば、未来とは定まらないモノだ。予定説なんて都合のいい理論は的外れで、特に彼女のように世界の理に干渉することの出来る能力を持つならばそのことは痛い程よく知っているはずだ。それならば、どうして。
目を見開かせたヴィグラスは目まぐるしく回る思考を一点で止まらせてしまい、咄嗟に取り繕うことも出来ない。それを知ってか知らずか、紫は一つ一つ言葉を選んで区切りながら話す。その様子はさながらブロックを崩さずに積み上げようと気を張っている幼子か。微笑ましくも取れる動作も、ヴィグラスにとっては詰めを確実にするために一手を考える智将に見えてしまう。
「確証はありませんわ。理由も分からない。だけど貴方は弾幕ごっこを知っている。私にはそう思えてならない」
「・・・・・・どうしてだ」
やっとのことでヴィグラスは反問の言葉を捻り出す。
「分からないと言ったでしょう。でも、そうね、あえて述べるならば、弾幕ごっこという言葉。貴方はまるで最初から知っていて口にしたように見えた」
「そんな理由かよ」
「ええ、そして今の態度で確信に変わったわ。
ヴィグラスは答えない。答えられるはずがないだろう。知られてはならない相手に気付かれてしまったのだ。様々な感情が頭の中で交錯し、絡まり合い、形にならず共倒れする。
「勘違いしないでほしいの。私は貴方の素性について詮索するつもりはありませんわ」
「・・・・・・あ?」
「貴方が例え何を知っていたとしても、おそらく私には過ぎた知識でしょう。扱えないものを手元に置いておけるほど私は肝が据わってない」
それに、と紫は続ける。
「せっかくの有力な協力者をそんなことで失うなんて、勿体無いと思わない?」
「厚い面の皮で良く言うぜ」
いつものように嫌味を返してはおくが、ヴィグラスには紫が心にも無いことを言っているようには聞こえなかった。信用されているとも受け取れる。彼が警戒を解かないのは彼女に問題があるからではなく、中身が単純に納得出来ないからだ。
一つ目は理解出来ない答えではない。八雲紫が何処まで知っているかも分からないヴィグラスの記憶を恐れるのは自然なことだ。強大な
しかし、二つ目の理由はどうか。文面通りに受け取れば、紫がヴィグラスのことを高く評価している、それだけのことである。そう多く顔を合わせた訳でも無く、自分など赤子の手を捻るよりも簡単に殺せそうな相手から出る言葉だとは思えない。そもそもヴィグラスは表にはあまり出さないものの自分の実力を酷く下に見ている。彼の大妖怪に認められるだけの力を自分は持ち合わせていない。だから彼にとっては不自然で不可解なことに感じられる。
「謙虚なのは良いけれど、自分の実力を測り間違えるのは矮小な相手のすることよ」
「自分のことは自分が良く分かってる。実力があれば何でも出来るわけじゃないってこともな」
「そう。だから私は貴方を高く評価するのよ。感情的で冷静で、相反する二つを持ち合わせている。私には到底真似出来ないわ」
「それで褒めてるつもりか。とんだお花畑だな」
「私としては素直に褒めているつもりよ」
あっけらかんと答えられてヴィグラスは沈黙する。八雲紫とは自分が思っているよりも子供っぽい性格だったのではないだろうか、という仮説が彼の頭をよぎる。彼女の言動全てにおいて自分は深読みし過ぎているのかもしれない。少なくとも、目の前の少女は相手を手の平で転がすとか、言葉巧みに騙すとか、そんなことは好まない性格であることは確かなようだ。そんなことをするくらいなら大真面目に頼むか、力ずくで言う事を聞かせるタイプらしい。ある意味では大妖怪らしく、妖怪の賢者としてはそれらしくない。策を練らないその在り方はヴィグラスにとって好感が持てるものだった。誰もを不快にさせる言葉選びも対等に軽口を叩く相手を望んでいるからと捉えれば受け流すことが出来る。
ヴィグラスの紫に対する疑念は初めて会った頃に比べればかなり薄れていた。心を許すことはなくとも、一々言葉の裏を探す必要は無い。こうしてヴィグラスに自分を信用させることまでが全て計算のうちだとしたら相当なものだ。ヴィグラスも多くの人間を、妖怪を、魔法使いを見てきた。それを欺けるのならば、気を付けた所で彼女の思惑を防ぐことなど不可能だ。だったら警戒するだけ神経の無駄遣いというものだろう。こんな腹の探り合いも必要無い。騙すか騙されるかの戦いをしていたのは彼の方だけだろうが、彼が負けを認めたのだ。憎まれ口で本心を覆い隠すことなどしなくていい。
彼は詳しい話くらいは聞いてもいいと思い始めていた。
「話を戻すか。俺と例の新ルールを試したいって話だったな」
「そう。博麗霊夢。今の博麗の巫女と貴方のお弟子さん。その二人に弾幕ごっこを見せてあげたいの」
「そいつを皮切りにしてスペルカードルールとやらを普及させていくってか」
「これからの幻想郷を導くのは彼女達だと思いません?」
「それは完全に同意見だ」
新しき者には新しき役割が、古き者には古き者なりの役割がある。八雲紫のことを古いとは欠片も思わないが、博麗霊夢や霧雨魔理沙が未来を作っていく新しき者であることは疑いようがない。一つの時代に生まれた別のベクトルの天才同士、そこに運命によって定められた歯車が無いはずがない。時代の変革期である、ということだ。幻想郷にとってだけのものか、それとも外の世界すらも巻き込む規模にまで達するのかは分からないが、ヴィグラスも歯車を回すために動くことはやぶさかではない。古き者として、知識を持つものとしては当然の帰結だ。
「まあ、構わねえよ。無償で動かされるつもりもねえがな」
「それはもちろん。何がお望みかしら」
「賢者の石」
賢者の石とは錬金術における伝説の物質。卑金属を金属に変えることが出来るとも、不老不死をもたらすとも言われるが、ヴィグラスの告げた賢者の石とはそんな都合の良いものではない。実際の賢者の石とは高純度の魔力を大量に保持した自然界の結晶。普通魔力を閉じ込めようとすれば多かれ少なかれ、影響が出て本来の魔力とはかけ離れてしまうものである。しかし、自然に作られた賢者の石はまだ染まっていない真っ白な魔力を含んでいる。そのため、魔法使いの間では最高の触媒とも呼ばれる貴重品で、金塊に換算しようものなら山一つ分は悠に消えるだけの価値を持つ。間違っても軽々しく要求するものではない。
ヴィグラスはこの要求が通ることを確信していた。八雲紫の能力ならば賢者の石を作ることが出来るからだ。境界を操る程度の能力はただ魔力が込められただけの石を賢者の石に変えることなど造作もない。そして、紫もさして迷う素振りを見せることなく了承した。
「良かった。貴方に断られたら代わりを探すのに苦労する所でしたわ」
ほっとした表情を浮かべる少女の姿は、さっきまでの大妖怪ではなく、本当にただのか弱い少女にも見えた。
「それでやるったって何時にするんだ。あまり早くにやるなんて無理だぜ」
「それもそうねえ」
彼にスペルカードの構想が無かった訳では無いが、頭の中だけのものを即座に実体に変換できる訳では無い。実際に使用したことがない状態ならば、修正を含めて最低でも三日、魔理沙に魔法を教えながらになると一週間は作成に要する。紫だっていつでも時間を取れるわけではないだろう。幻想郷の管理者としてするべき仕事はけして少なくない筈だ。
紫はしばらく扇で口元を隠し、考える素振りを見せる。頭の中のスケジュールを整理しているのか、即答はしない。うん、と唸ってから次の満月の日、太陽が頭上に昇っている頃でどうかと聞いてきた。次の満月の日と言えば十日後のことだ。スペルカードを作るには充分な猶予だろう。
「博麗神社に来てくだされば大丈夫ですわ。参拝客なんて来ませんもの」
「主でもないのに言い切るのかよ」
「主より詳しいのだから当たり前じゃない?」
紫が誇らしく答える。主より詳しいとは随分と尊大だが、誰よりも博麗神社と長く関わっているのは、祀られている誰とも知らぬ神様を除けば彼女なのだから、本当に自分が詳しいと考えているのだろう。
「俺にはどうでもいいことだけどな。とりあえず、そういう事で良いんだな。これで終わりなら俺はそろそろ寝させてもらうぜ」
「ええ、おやすみなさい」
まさかされるとは思っていなかったのか、別れの挨拶にヴィグラスは少し戸惑い、そして一言も返さずに家の中へと戻っていく。無礼な態度にも紫は腹を立てることなく、スキマを開いて夜の闇に消えていった。
次回弾幕ごっこ(かもしれない)