東方雷魔伝~the story of magician's master~ 作:溶けた氷砂糖
やはり戦闘描写は慣れないものですねぇ
森の中の開けた場所、太陽を塞ぐように生い茂る木々から逃れた日光が照らす中、少女が杖を構えている。鍔の広い黒帽子は彼女には合っていないのか、少しずらすと視界を覆ってしまう。西洋風の白黒の衣服を纏い、杖の先端を正面に向け、両足で立つ姿は魔法使いと呼ぶに相応しい。緊張で鼓動の音が大きくなる。散らされそうな意識を集中させると、ゆっくりと息を吐いた。再び空気を取り込むだけの心の余裕は彼女には無い。頭がくらくらするが、杖の切っ先は絶対に動かさない。僅かな揺れが命取りになる。そんなことはないのだが、完璧主義者の彼女は一つのミスも許せない。彼女は身体中が酸素を求めるのを我慢し、最良のタイミングを待ち続ける。
時間にしては数秒もない。しかし、ストーブに手を当てている時間が長く感じられるように、彼女自身は何分も経っているような錯覚を起こす。いつまでも続くのではないか、そんな彼女の不安は訪れた好機によって拭い去られた。今しか無い、彼女はそれを逃さず、しっかりと掴んで話さなかった。
「ナロースパーク!」
甲高い叫びと共に魔法陣が展開される。杖を中心として円型に広がる魔力が青く光り、張り巡らされた網目に込められた意味を連れて再び中心に戻ってくる。そこから放たれるのは一条の雷光。かつて見た光よりも一回り小さな線だが、確かにそれと同じ光が目標に向かって伸びていく。横に走る稲妻が向かうのは、彼女が睨みつけていた視線の先、地面に突き刺さり建てられた木製の的。如何にも手作りといった、壊れることを前提にした的をナロースパークは轟音を鳴らし吹き飛ばす。粉々に砕け、焼け焦げた破片が周りの木々を襲い、強靭な生命力に跳ね返される。その幹には既に何本かの破片が刺さっていた。
当の少女は緊張の糸が切れたのか、呆けた表情でその場に座り込む。腰が抜けてしまったのか、まだ自分の成果を信じることが出来ていないのか、すぐには立ち上がることが出来ない。それでも、やがて現実に思考が追いついてきて、少女は喝采の声を上げた。彼女にとって初めての成功だった。魔力を扱うステージは楽に乗り越えたのだが、それを実践で使える魔法にまで形作るのに半年以上の時間をかけていた。ずっと挑み続けていた課題を解決した喜びは一塩だろう。彼の師匠に言わせれば、半年程度で身に付けることに先ず無理があると答えるだろうが。その師匠は今は居ない。用事があると言って朝から出掛けてしまったからだ。師匠に成果を見せることが出来なかった事だけが惜しまれるが、帰ってきてから見せればいい、と彼女は一人納得する。
「上手く行ったじゃないか」
「はい、魅魔様!」
「最初は本当に出来るのか、って感じだったけど。どうにかなるもんだね」
師匠ではないが、同じくらいに尊敬している相手。自分を薄暗い世界から連れ出してくれた恩人。或いは洒落を込めて恩霊とでも呼ぶべきか。本人は自らのことを悪霊などと名乗っているが、おぞましさなんて何処にも無い緑髪の少女。
魅魔は座っている魔理沙の頭を撫でてやる。師匠であるヴィグラス・ウォーロックが飴と鞭でいう鞭ならば、魅魔は彼女にとって飴に近い存在だった。ヴィグラスが別段厳しい修行を貸すことは無いが、何処か距離を取られていることは魔理沙も理解していた。親身になってくれていることはなんとなく分かる。しかし、彼女だってまだ甘えたい年頃だ。親のように接してくれる魅魔に懐くのは当たり前のことだろう。
「魅魔様はお師匠様が何処に出掛けたのか分かりますか?」
「ん、知ってるよ」
魅魔は日光を手で遮りながら、太陽の位置を確認する。夜明けからは随分時間が経ち、そろそろ昼時に差し掛かる頃合いだ。
「ちょうどいいし、そろそろヴィグラスに会いに行こうか」
悪戯を隠した子供のように魅魔は笑う。幼い魔理沙にはまだその意味が分からなかった。
*
悪霊が少女を連れて空を飛ぶ。体に負担をかけないためのゆったりとした飛行は、人間の少女にとって二度目の光景だった。遠く届かない雲がいつもよりも大きく、近く見える。うろこ雲が小さく区切ったパンの一欠片なら、太陽は宙に舞うくずを面白おかしく照らし出す部屋のランタンだ。雲を掴むようとはよく言うが、そんな無理難題も今なら出来る気がした。
見上げた後は、当然地上を見下ろす。地に足を付けて立っていた魔理沙には、天と地の境目から見える光景は目新しい。初めて空中散歩に連れられた時は周りを楽しむ余裕なんて無かったから、こうして遊覧飛行している実感が未だ感じられない。今でも一人で足を踏み入れること躊躇ってしまう、恐ろしくて、広大な魔法の森は手の平に収まるミニチュアになり、簡単に握り潰せてしまいそうだ。試しに伸ばした右手を何度か開閉させてみる。パーの時は指の隙間から見えていた緑が、グーに握られた時には綺麗すっぽり消えてしまう。それが面白くて何度か繰り返していたが、手を避けてみるとあっさりと恐怖の森は復活してしまった。少し残念な気持ちになりながら、揺らされ続けるのにも飽きた魔理沙は自分を抱き抱えている魅魔に話しかけた。
「何処に向かってるんですか?」
「んーとね、博麗神社」
「えっと、博麗神社って、あの博麗神社ですか?」
博麗神社の名前は魔理沙も聞いたことがあった。というよりは、幻想郷に住むもので知らない者はいないだろう。結界を維持するための博麗の巫女が住まう神社。そこに住むのは妖怪と人間の
「さ、そろそろ到着するよ」
魅魔が指を差す方へ首を向けると、大きな赤い建造物を遠目に確かめることが出来た。二本の柱に乗せられたようにもう一つの円柱がくっついている様は門のようなものだろうか。端的に言えばそれは鳥居であったのだが、一般常識が欠けている魔理沙には表現する言葉が見つからない。
「あれは、なんて言うのですか?」
魔理沙が魅魔に尋ねる。小さな魔法使いは誰かに質問することに躊躇いを覚えない。人に聞くことを恥ずかしいと思わないし、そんな無価値な自尊心で学ぶ機会を失うのはとても勿体無く覚えたからだ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とはよく言うが、それを素知らぬ顔で実践できるのが魔理沙の長所であった。
「あれは鳥居だね。一般的には人間の世界と神の世界を分断するものと考えられているものだ。天照大御神を天岩戸から引きずり出すために鳴かせた常世の長鳴鳥にちなんだ鳥の止まり木だとされてるね。一説には、神社が作られる前にもうあったらしい」
些か専門的知識も混ざった魅魔の説明にも魔理沙は熱心に聞き入っている。二人とも好奇心旺盛であるから、その知識はいつも深い領域まで入り込む。ヴィグラスも同じような性格なのだから、これは彼に影響されたものかもしれない。彼自身は否定するだろうが。
「降りるよ。しっかり捕まってな」
そうこうしている内に、鳥居は眼前まで迫っていた。魅魔が速度を落として少しずつ降下する。元々がそれ程の速度ではないのだが、体の軽い魔理沙はそれでも吹き飛ばされそうになる。肩にがっしりとしがみついて、魅魔も魔理沙を抱き寄せて鳥居の前に降り立つ。
「わあ・・・・・・」
思わず感嘆の声を上げる。博麗神社の赤鳥居は外の世界に存在するという他の神社と比べても巨大だ。魔法の森にある樹齢何千年という木と比較してもその大きさは色褪せることはない。まして、魔理沙は大木以外に大きなものを見たことが無いのだ。その存在感に圧倒されるのは当然であった。
魅魔に手を引かれて、鳥居をくぐり抜けると、またしても大きな建物が彼女を出迎える。それは神社の本殿であり、博麗の巫女が独りで住む巨大な家であった。ヴィグラスの家だって、三人が寛いでいても狭苦しさを感じない程度には広いはずだが、目の前の屋敷はその家がいくつも入ってしまいそうだ。博麗の巫女はここに一人で住んでいる。
寂しいな、と魔理沙は思った。家が広いとなれば羨ましがるのが子供の常だが、そんな感情を抱いたのは、魔理沙が一人きり閉じ込められていたからかもしれない。自分が居たのは狭い部屋だったから、取り残されたような孤独は感じなかったが、この広い家に一人で暮らしていたならば、心の奥に巣食う孤独はどれだけのものだろうか。
「遅かったな」
賽銭箱の上で足を組み、頬杖をかいていたヴィグラスがぶっきらぼうな声で二人を出迎えた。神をも恐れぬ所業だが、本人からすれば紫に勧められたから座っていただけに過ぎないし、本来怒るべきはずの博麗の巫女は、紫が賽銭を入れたらあっさりオーケーを出した。本人は降りるに降りられずにただ憮然としていただけである。そういう意味ではヴィグラスは彼女達の来訪を歓迎していた。
「これでギャラリーは揃いましたわね」
今度はヴィグラスの横からスキマを広げて境界の大妖怪が現れる。傍らにはヴィグラス以上にむすっとした顔の、紅白衣装が特徴的な少女も引き連れて、いつものように扇子を口に当てて隠しながら一礼した。魔理沙は新たな来訪者に怯え魅魔の後ろに隠れ、魅魔も彼女を庇うように立つ。魅魔と紫の間に面識はない。妖怪の賢者についての噂は聞いていたし、今回顔を合わせることも知らされていたが、たとえヴィグラスの紹介と言えど油断はしない。なにしろ、自分達に欠片も悟らせず彼に接触し、ここまで話を進めていたのだから。ヴィグラス自身が気付かれないように気を配っていたとはいえ、警戒するのは当たり前だ。
礼を終えた紫は扇子を閉じ、凛とした声で話し始める。
「初めまして。私、今回の催事を取り仕切らせていただく八雲紫と申しますわ」
「あたしらはヴィグラスに呼ばれてきたんだけど。アンタが面白いものを見せてくれるってことで良いのかい?」
「ええ、正確には私と彼の二人が、ですけれど」
「弾幕ごっこ、だったっけか。ヴィグラスから軽く説明は受けてるけど、どうしてあいつなんだい? 妖怪の賢者様なら幾らでもお相手は見つかるだろうに」
魅魔の質問は、ヴィグラスがしたものと大差ないが、その意味合いは大きく違う。彼女の質問はいわば八つ当たり、自分の預かり知らぬところで動いていた計画に機嫌を悪くしているだけだ。彼のように機知に富んでいるわけではない。だから、紫も本当に大切な部分は話さない。それを話すことはヴィグラスからの信頼を失うことだから。彼女がどこまで理解しているのかは分からないが、少なくとも連れて来られた霧雨魔理沙はヴィグラスについて何も知らないだろう。彼の有用性を理解していればこそ、彼女に対してはぐらかすのは道理である。
「だってお友達が少ないんですもの。お相手が居たって弱くては話になりませんわ」
「へえ、大妖怪のくせに交流関係は狭いんだ」
「魔法使いよりは多いけれどね」
引き合いに出されたヴィグラスはフンと鼻を鳴らし、皮肉の一つも返さないまま空へ浮かび上がった。愛用の黒いマントが風にたなびく。魔法使いなら帽子でも傾けそうな流麗な動作だが、生憎と彼は帽子嫌いだ。代わりに白銀の髪を根本からいじる。早くしろ、とそう告げる無愛想な魔法使いの主張に、悪霊を弄んでいた大妖怪は名残惜しそうにそれに応える。紅白の少女に二、三言話しかけて、彼女の背中を魅魔達の方へ押し出す。軽い体を押しやられた少女が文句を付けようと振り向いた時には、紫は既に扇子を畳んでスキマの中に潜っていた。
「前座はお嫌いかしら」
「つまらねえのはな」
冗長なのは性に合わない。杖を構える彼から十分な距離を取って、何も無い空間から現れた八雲紫も相対する。彼女の纏う雰囲気が変わる。信用ならない奇妙な妖怪から、誰もが畏れ敬う紛うこと無き大妖怪へと。魅魔はさっきまで抱いていた妬みも忘れて目を見開く。さっきまでと同一人物とは思えなかったからだ。オンオフは誰にだって存在するし、魅魔自身も感情の落差は激しい方であると自覚していた。その彼女ですら驚く程の変貌。果たしてどちらが真実なのか。
「スペルカードは三枚。被弾は一回。それでよろしいかしら」
「最初からその予定だろうが。さっさと終わらせようぜ」
ヴィグラスが基礎的な魔力弾を浮かび上がらせる。青、緑、橙、黄色と色鮮やかな光球が彼の周りを衛星が軌道を通るかの如く飛び交う。
八雲紫は掌を上に向けた。紫と基調とした、輪郭の曖昧な妖力が、不規則にゆらゆらと揺らめき、小型の刃、例えるならクナイのような姿へと変貌していく。お互いの総量は変わらない。相手の姿もかき消されて見えない中、ヴィグラスからは、八雲紫が笑ったような気がした。
八雲紫は手を振り下ろし、ヴィグラス・ウォーロックが杖の先端を突き付ける。それが始まりの合図だった。お互いの弾幕が弾け、ちょうど二人の距離の中心で混ざり、刹那絶妙なコントラストを生み出して襲い掛かる。網の目を潜り抜けるかのようにヴィグラスは宙を蹴る。右に避ければ、計算されたように二つの凶刃が迫り、彼は下に飛び上がって軸からズレる。そこに更に置かれていたクナイを新たに生み出した魔力弾で相殺し、岩場を走り抜ける獣の動きで隙間へ身を滑らせる。紫の位置を気配で把握し、背後に陣取っていた彼女へ顔を向けないままでレーザーを撃ち放つ。ノーモーションの動作だろうと当たるとは思わない。むしろ、まだまだ小手調べの段階だろう。まだ一枚も切り札を切っていないのだ。この程度で終わってしまっては困る。
紫は意表を突くように放たれた光線を最小限の動作で躱した。どれだけ回避困難な状況だろうと絶え間なくバラ撒かれる魔力を紙一重でやり過ごし、チリチリと肌を焼かれる感覚を心地よく感じながら、今度はより多くの弾幕を作り出す。ただでさえ不規則だった軌道が、今度は動き回る魔法使いを取り囲む。上下左右前後死角無く襲い来る脅威を回避することなど、背中に目でもついていなければ不可能だ。彼女自身ですら放たれてしまえばスキマを使う以外に選択肢は無いのだから、スペルカードルールの趣旨には合わないかもしれない。それを理解しながらも彼女が容赦無くグレーゾーンに足を踏み込んだのは、必ず避けるという一種の確信があったからだ。
しかして、現実はそうなった。ヴィグラスの姿がまるで煙か蜃気楼であったかのように掻き消える。紫ですらもその所在を把握するのに僅かながらの時間を要した。致命的ではないにしろ、絶対的な隙。ヴィグラスにとって攻めない手はない。
「夢符『砕けた夢』」
振り向いた彼女を待っていたのは、トランプ大のカードを胸の前に掲げる相手。宣言と共に彼の背後に空間の揺らぎが生じる。何かが現れる、紫は直感的にそう感じた。揺らぎを知覚できる彼女にしか気付くことはできなかっただろう予備動作。もし境界を操る程度の能力がなければ、次の攻撃を予測すること出来なかっただろう。
揺らぎから撃ち出されたのは西洋風の両刃の剣。それが二十、三十。さらに盾を貫く槍、鎧を断つ刀。魔力で作られた贋作として、様々な武具が射出される。勢いは止まることなく、その姿はさながら秘宝を惜しげも無く使う王者。恐ろしきはその量だけではない。中には霊力を宿している剣も存在している。本来ならばありえない事だ。模倣しただけの劣悪品に霊力は宿らない。だが、これら全てはヴィグラスが保有するれっきとした魔剣妖刀の類いである。誰よりも構造を知る彼だからこそ、その特異性まで不完全ながら再現することができるのだ。現界させる魔力、真に迫る模倣、ヴィグラスの実力の高さを感じさせる。
しかし、実際には一々これら全部を生み出しているわけではない。当然だ、そんなことをしていては魔力がいくらあっても足りない。それを補完してくれるのがスペルカードだった。
ただの紙切れ一枚と侮る事なかれ、スペルカードには弾幕を記憶する能力がある。一度記録してしまえば、殺傷能力を取り除かれるという欠点はあるが、消耗無しに再現することができるのだ。これが、新ルールが妖怪と人間の間の戦力差を塞ぐ決定的な理由の一つ。死力を尽くす戦闘では、どうしても地の力で劣る者は、優る者に勝てない。例え全力の二倍を出し切ったとしても、相手はその何倍も力を秘めている、なんてことはたいして珍しくもないからだ。だが、弾幕ごっこならば被弾は一度きり、多くとも回数は限られている。残機が三と百では覆しようもないが、三本先取ならば弱小妖怪にも、妖精にだって勝ち目がある。
もちろん、だからといって大妖怪のアドバンテージが失われたわけではない。スペルカードルールは、言うなれば同じ土俵に立てるようになっただけで、実際の実力差が縮まったわけではないのだから。例えば一度に記録できる弾幕の量が違う。甘いもの、厳しいものを比べれば密度は何十倍と違うだろう。
また、一度の弾幕に組み込めるパターンも、強者と弱者では雲泥の差だ。一度しか使用しない弾幕ならともかく、何度も繰り返し用いるスペルでは、同じ形ばかり撃っていてもいずれ攻略されてしまう。その為、一つのスペルにも数種類の弾幕を用意しておくのだ。基本は変わらず、ただし同じ避け方は出来ないように、逃げ場をけして潰さないように。
ヴィグラスの弾幕は未だ試作段階の状態で六十の組み合わせを記録させていた。元々が針の穴に糸を通すような精度での回避を要求する難関スペル。それが何十とあるのだと考えれば、その恐ろしさが分かるだろう。
「その程度かしら」
しかし、相手は妖怪の賢者。無間の闇の深さすら計算してのける女傑。プログラミングされた動きなど避けることは難しくないし、彼女にとって六十という数字は児戯にも等しいちっぽけな数である。針の穴を粒子が通り抜けるのが容易であるように、速さすら異なる凶器の群れを風に揺れる稲穂よりもしなやかな動きで躱し続ける。
「偉そうな口叩く割には、さっきから避けてばっかだな」
ヴィグラスの挑発に、紫は扇子で口元を隠す。図星を突かれた、と彼が受け取ったのは半分は正解だった。贋作の刃を圧し折るのに弾幕五つ分の妖力が必要であることは理解していた。序盤で相手のペースに乗らせるわけにもいかず、避けることも不可能でないため、反撃は現実的な手段には成り得ない。そう、避けることが出来るから、彼女は防戦という選択肢を選んだのだ。
「それに、こいつで終わりじゃねえ」
ヴィグラスの手から、大量の魔力弾が放たれる。さっきまでのある程度指向性を持った弾幕とは違い、動きに規則性も、もはや敵性すらも感じられない。
いわゆるバラ撒き弾、という奴だった。砕けた夢は、彼が模倣した武具の射出と、その場その場で作り出す完全ランダムな弾幕の二枚重ねになっていたのだ。そのパターン数は、無限。こうなれば、途端に難易度は跳ね上がる。これまで針の穴程度で済んでいたのが、今度は粒子の海を抜けていく光子の如き速さと正確さが必要とされる。幾ら八雲紫でも、目の前に広がる火花と、絢爛豪華な弾幕を前に、躱し切るという絶対的な自信は持てなかった。十回やれば七回は無傷でやり過ごせるだろう。しかし、三回は落とされる可能性がある。弾幕ごっこもまだ序盤、ここで出し惜しみする場合ではなかった。
彼女も袖から取り出したカードを掲げ、品位を失わない落ち着いた、色気のある声で宣言する。
「結界『生と死の境界』」
それは優美なドレスだった。豪勢な衣服を身に纏い、死の舞踏を以って客人を持て成す女公爵。彼女を取り囲む弾幕はそう形容するのが相応しかった。弾幕の種類としては特筆することは無い、彼女を中心として渦巻きのように楕円球の青白い妖力弾が、ヴィグラスの弾幕によく似た丸い塊が、赤く見せ掛けばかりの巨大な光球が、黄色く、或いは水色に輝く弾幕がバラ撒かれる。相手を倒そうというつもりのない単純な構成。彼や彼女程の実力なら鼻で笑うような幼稚なスペル。それなのに、ヴィグラスはしてやられたと唇を噛む。
量が違うのだ。五つぶつけなければ破壊できない弾幕ならば、五倍撃てば良い。それで足りないのなら六倍にすれば、いっそのこと十倍にすれば圧倒出来る。子供じみた理論だが、それが出来るのが大妖怪の特権だ。逃げ場を作らなければならないデメリットも彼女には関係ない。
対するヴィグラスとしては、大技の模倣武具を全滅させられるわけにはいかない。バラ撒き弾と違って記録された弾幕には限りがあるのだ。必然、バラ撒き弾は紫の弾幕を撃ち落とすことに比重が向けられる。それが彼女の狙いだと分かっていても、最善の行動を取るしかない。
ランダムだった弾幕が指向性を帯びたことで、起こり得る可能性が無限から有限へと成り下がる。紫は口元を綻ばせ、甘くなった弾幕の壁をすり抜けていく。彼女の頭には既に有限のパターンと、その打開策が練り込まれていた。
「くそったれ!」
スペルカードに記録されていた弾幕を使い切り、主力である武器の類は全て破壊された。ルールに照らし合わせれば、彼のスペルカードは破られたことになる。残りは二枚。最初の一枚に劣る訳ではないが、力技で突破された後では心許なく感じられる。やはり生まれ持った才能とは厄介だとヴィグラスは心の中でもう一度舌を打ち、
紫の弾幕は先程も述べたように量が多いだけである。普通はそれだけでも避けるという選択肢が嬲り殺されるものだが、彼はそちらは大きな問題ではないと結論付けた。頭が一つあればそれで十分、足りなくなることはない。
問題は効果的な攻め手が存在しないことだった。このままでは後出しジャンケンをされて負けてしまう。かといってスペルカードを使わずに追い詰める自信は無い。相手にスペルカードを使わせて、それを破る方がまだ幾分か勝ちの目が存在する。ヴィグラスは最低限の牽制だけ放って、紫の次の手を待つことにした。
八雲紫の弾幕が打ち止めになり、ただのクナイに戻る。互いの表情だけ見れば、涼しい顔をして、扇子で自らを仰ぐ紫と、額に滲んだ汗を拭い、歯を食いしばっているヴィグラス。どちらが優勢かは一目瞭然だ。しかし、他人が思っている程紫は余裕でいるわけではなかった。
予想外、と言い換えるべきかもしれない。彼女の予定ではまだスペルカードを切るつもりは無かった。一枚目をやり過ごしてから、数の有利で追い詰める手筈だったのだ。それが一枚を、もっと後半で使う筈のカードを切ってしまった。油断があったつもりは無い。ヴィグラスに言わせれば十分慢心しているのだろうが、それでも気は一切抜かなかったつもりだ。使わされたのは単純に彼が強かったからだ。
特に、生と死の境界は疲れ果てた相手を絶望させる為のスペルカードだ。正常な思考が出来るなら避けられる筈のものを、目に見える脅威ですり減らした精神力を打ち砕くことによって捕らえるスペル。ここで追い詰めるための手札を切ってしまったのは痛い。
「本当に、貴方は強いわね」
「安い挑発かよ。人の本気を手抜きでやり過ごそうとした奴に言われてもな」
「ええ、貴方を甘く見ていた」
だから、と彼女は言う。さらにもう一段階、身に纏う圧が変わったのはヴィグラスの気のせいではないだろう。弾幕も、紫のクナイだけだったのが、水色のものも増えて単純に倍になっている。しかも、それぞれ速度が違うという本気ぶりだ。
「ここからは全力で行かせてもらうわ」
「俺としちゃそのまま余裕こいて負けてもらった方が楽なんだがな」
「そういうわけにも行かないでしょう。強者を相手に弱者を装うのは失礼だわ」
「買ってくれるのは勝手だがな」
軽口を叩く間も二人は弾幕を避け、弾幕を放つ。ヴィグラスも魔力弾に加えてレーザーを多発するようになり、スペルカードを用いない部分での攻防が激化している。この状態で会話を成立させる二人には驚愕という他ない。
レーザーで挟み込まれた紫が池の鯉のように滑らかに空を泳ぐ。三百六十度どの方向にも回るレーザー付きの光球もクナイで破壊して、お返しとばかりに今度は三倍のクナイでヴィグラスを狙う。
数で落とされる彼ではない。自分の領域だと言わんばかりに自在に空を駆け、紫の弾幕を叩き落とす。どちらも拮抗した状況を崩すには至らず、二人の戦いは千日手の様相を呈してきていた。
これは我慢比べ、先にスペルカードを使用した方が大きく不利になる。それが分かっているからこそ、両者は逸る心を抑えているのだ。
二人の弾幕ごっこはまだ、最高潮にすら達していなかった。
ヴィグラスのスペルカードである「夢符『砕けた夢』」は某慢心王の財宝みたいな感じです。設定的には赤い弓兵ですが