東方雷魔伝~the story of magician's master~ 作:溶けた氷砂糖
言葉が被らないようにするのって難しいですね
「凄い……!」
魔理沙は顔を輝かせた。師匠の戦いぶりを見たのはこれで二度目。一度目は初めて出会った時。怪物茸との戦闘は一方的な蹂躙だった。それも強さを表現するには十分で。だけど二度目、あれ程強そうな妖怪と渡り合っている。どう撃つのかも分からないような弾幕を躱し、たくさんの武器を背後に作り出す姿は壮観だ。
魔理沙はまだ未熟だ。ヴィグラスと紫の実力も、情勢がどう傾いているかも分からない。それでも自分と彼らにある、塞ぎようのない圧倒的な隔たりは理解していた。
「あんなの、花火みたいなものじゃない」
つまらなさそうに、興を削ぐ一言を言うのは、紫が連れてきた紅白の少女。最初の言葉を皮切りに、唇を尖らせて不平不満を垂れ流す。許されるのならば早く帰ってしまいたい。そんな思惑が表情から見て取れる。
「まあまあ、じゃあ花火だと思って楽しみなさいな」
魅魔が不服そうな少女を宥める。そもそも、神社の奥に引っ込もうとした彼女を捕まえたのは魅魔だ。彼女は子供二人を連れて賽銭前の階段に座る。少女は今、魔理沙と並んで彼女の膝の上に座らされているから逃げることが出来ない。ばたばたと踵で膝を蹴りつける。子供の脚力では魅魔は動かせない。
「だいたい、なんで私達がこんなもの見なきゃいけないのよ」
「えー、面白いよー」
「別にアンタは面白くても私は面白くないし」
というかアンタ何者よ。少女は魔理沙を睨む。どうしてなのか、先程からよく自分に話しかけてくる。見たことはない。いつも一人だった彼女にとって、馴れ馴れしく迫ってくる相手には覚えが無かった。覚えがあるのは胡散臭い親代わりと滅多に出てこない堅物な狐くらいのものだ。
魔理沙はきょとんとして、目を丸くする。そっか、と勝手に頷いて、勝手に納得する。
「私、魔理沙って言うの。あそこで戦ってるのは私のお師匠様なんだ」
「……ふぅん」
貴方は? と尋ね返す魔理沙に少女はしまった、と思う。自分のことを話すのは嫌いだ。嫌いというより苦手だ。そもそも人付き合いの経験も少ない彼女が慣れている筈もない。元々口下手な彼女が、さらに無愛想になる。
「……霊夢。博麗の巫女よ」
「霊夢……って博麗の巫女なの!?」
「何よ、驚くことでもないでしょ」
「だって、博麗の巫女ってもっと怖いものだと思ってたから」
魔理沙の中にある博麗の巫女のイメージは、主に先代のものだ。どうしようもなく人の味方であり、善悪問わず妖怪の敵。その余りの執念に、助けてもらう側の人間すらも彼女を恐れた。間違っても自分と背丈の変わらない不器用そうな少女ではない。
「悪かったわね、強そうでも何でもなくて」
比較されるのが嫌いなのか、霊夢はさらに唇を尖らせる。
「えっと、そういうことじゃなくて」
怒らせてしまったと思った魔理沙は手をぶんぶんと振り、否定する。
「なんかね、ホッとしたの」
「ホッとした?」
「私、同じくらいの歳の友達って居なかったから。やっと出来そうな友達が怖い相手だったらどうしようって」
正確には対等な友人と呼べる者すら居なかったのだが。
霊夢を怖いとは思えなかった。博麗の巫女と聞いた後でも、何処か似た部分を感じ取っていた。
それは孤独。
誰にも心を開けなくて、ずっと自分の中に押し込めている時の胸が張り裂けそうな苦しさ。声を出し方を忘れてしまいそうな、うるさく鳴り響く寂しさ。自分がようやく片足抜け出した、その中に彼女が居ると思えた。
「友達って」
「嫌、かなあ」
霊夢は沈黙する。友達とは何なのかが分からない。彼女にも、自分達が似た物同士だということは分かっていた。ずっと一人ぼっちで、自分以下は誰もいない。最下層の牢に閉じ込められた囚人仲間。違うのは、彼女が差し出された手を受け取ろうとしないのに対して、目の前の少女は既に刑期を終えていること。
今、自分の前には牢屋の鍵がぶら下げられている。それを手に取れば、孤独からは開放されるだろう。しかし、彼女は外の世界を知らない。全てに手が届く囚人としての世界しか彼女の中には無い。怖かった。もちろん今よりずっと過ごしやすい世界かもしれない。自分が笑える世界かもしれない。だけど、牢の中に居た方が幸せかもしれない。一寸先は闇か。それともやっぱり光なのか。
少なくとも、目の前に居る少女の楽しそうな笑顔は眩しかった。ああなれたら、とは自分でも思う。反面、自分が素直に笑っている姿など想像出来ない。
笑顔が作れない。それは彼女のコンプレックスだった。作り物ですら顔が引きつってしまう。何度紫に注意されたことか。女の子は可愛い顔をしてなくちゃ、そんなことを大真面目に語る紫が面白くて、オバサン臭いと言ったら吊るされたことがあったっけ。霊夢は答えを出すのが怖くて、昔のことを思い出して紛らわそうとした。
「良かったぁ」
魔理沙の声で我に返る。我に返ると答えを出さなきゃいけなくなって、それが嫌で、もっとぶっきらぼうになる。
「何がよ」
「だってそんなに嬉しそうにしてくれてるんだもん」
霊夢は慌てて自分の口元に触れる。大丈夫、いつもの仏頂面。変わらない、変われない。
「あっ……」
安心したその矢先、端が緩んだのが分かった。ちょっと上を向いている。たぶん今の自分は笑っているのだろう。初めての経験だった。だけど、不思議と悪い気分はしない。笑うってこういうことなのか。霊夢はいつになく冷静に理解出来た。
今笑ったということは、私は彼女と友達になりたいのか。きっとそういうことなんだろう。他人事みたいにそう思った。彼女の中に無い感情だったから、まだ上手く自分のものに出来ない。だけどなんとなく分かってはいる。似た物同士は惹かれ合うのだろう。
魔理沙が手を差し出した。霊夢は少しためらって、その手を取る。
「友達になろう?」
「仕方無いわね」
綻ぶ口を抑えきれず、精一杯生意気そうな表情で。霊夢は応えた。魔理沙が嬉しそうに笑う。
二人の頭の上に自分達より少しだけ大きな手が乗せられた。わしゃわしゃと頭を撫でられる。二人が慌てて見上げると、魅魔が優しげに二人を見つめていた。
「仲良くなれたようで何より何より」
「ちょっと、やめてよ」
くすぐったそうに体をくねらせて、霊夢は魔の手から逃げようとする。恥ずかしいからだろう。魅魔は構わず撫で回す。
「でも、そろそろヴィグラスの方も見てやりな。動き始めたよ」
頭上ではスペルカードが発動されたのか、眩い光が昼間だというのに辺りを照らしていた。
魅魔は既に理解していた。この戦いは、今膝に乗っている二人の為にあるのだと。少なくともヴィグラスはそのつもりなのだと。
だったら、彼女が彼の力になれるのは、目の前の光景を二人に見せることだ。伝えることだ。彼らの思いを。
さっきまでより少しだけ真面目に見始めた博麗の巫女を微笑ましく思いながら、魅魔もまた観戦することに意識を集中させた。
*
先にしびれを切らしたのは紫の方だった。本当に彼女が我慢出来なかったわけではない。その気になればこの程度の応酬は何年でも続けられるだろう。彼女がスペルカードを切った理由は別の所にある。
これはデモンストレーションだ。次世代の少女達に新しい幻想郷のルールを教えるのが役目。その意味では勝敗など毛ほどの興味もない。大妖怪としての矜持はあるが、負けてしまっても、大妖怪を打ち負かせるルールであると認知させることが出来るから問題は無い。しかし、冗長なのはいけない。
たいした動きもないつまらない試合になれば、彼女達は興味を無くしてしまうかもしれない。特に霊夢などは元から乗り気ではないのだ。竜頭蛇尾になってしまうことだけは避けたかった。だからスペルカードを宣言した。自分が不利になっても構わない。場を動かすことが第一の目的なのだから。
「罔両『ストレートとカーブの夢郷』」
紫が二番目に選んだのは、またもや数で押すタイプのスペルカードだった。魔法使いは緻密な計算に強い代わりに身体能力が劣る傾向にある。ヴィグラスの今までの動きから、彼がその常識にそぐわず体術も心得ていることは理解していた。それでも質より量を選んだ。というよりは、質においてヴィグラスを討ち取れるイメージが浮かばなかったのである。
不可思議な軌道、知覚しにくい弾道。そのどちらも真髄は無意識にある。どこぞのさとり妖怪も操るあの無意識だ。彼女が何故力に劣る妖怪ありながら、僅か未来において弾幕ごっこの強者として数えられるのか。
その答えは簡単。気付かなければ避けられない。意識の外からの攻撃は、たとえそれが貧弱な張り手だったとしても、正面から打ち出された突きに勝る。つまるところ不意打ちである。
しかしこの両者において、不意打ちなんぞはまるで意味を持たない。かたや妖怪の賢者。説明するまでもない。相手が考えれば考えるほど、彼女にとって弾幕は容易なものになる。
そして、ただの魔法使いであるはずのヴィグラス・ウォーロック。彼に小手先の技が通用しないのは、彼の専門が召喚魔法、いや転移魔法だからである。八雲紫にこそ劣るものの、空間把握能力は常人のそれを遥かに超えている。空間そのものに限った話ならば、スキマを使う権限を与えられた八雲藍よりも鋭敏に異常を察知するだろう。特に紫の用いる変化形の弾幕はほとんどが境界を操る程度の能力を組み合わせたものだ。仮に撃とうとも、全て知覚されて逃げられる。
故に数で攻める。どちらにせよ当たらぬのなら、より相手を疲れさせる選択を選ぶ。大妖怪らしい合理性だ。
こうなると厳しいのはヴィグラスの方だ。体力においては彼は紫に及ばない。持久戦に持ち込まれると苦しいのは明白だった。
両側から挟み込むように襲い来る弾幕から下に逃げ込み、目の前の大玉を打ち壊す。息を吐く間も無い猛攻は、先程ヴィグラス自身が紫に仕掛けたスペルカードと大差ない。ただ違うのは弾幕の密度だけで、それが何よりも違っていた。
「……チッ」
響いたのは彼のマントを掠めた弾幕の音か、それとも一歩遅ければ撃ち落とされていた彼の舌打ちか。
このままでは分が悪い。ヴィグラスは思考を張り巡らせる。紫のスペルはまだ半分しか効力を発揮していない。ただでさえ力の差があるのだ。避け切ったところで神経をすり減らしてしまうだろう。相手の切り札一枚と引き換えならば悪くないレートかもしれない。しかし、相手は八雲紫だ。そして、最初のスペルカードを見てしまっては、それが懸命な判断とは考えられない。スペルカードで撃ち返すにも、一枚一枚の価値が違う。
どちらに転んでも不利。それならば、最も忌避すべきはこのまま墜とされることだ。いわゆる抱え落ちというのが、魔理沙達に見せるショーとしても、紫との真剣勝負にしても最悪のパターン。
結果、彼は手札を切らざるを得なかった。懐から二枚目のカードを取り出し、宣言する。
「寓話『マザーグースアポトーシス』」
現れたのは巨大な、赤く塗られた本だ。金の装飾を施されているが、表紙には何も書かれていない。魔力で作られた点を除けば何の変哲も無いただの本だが、まさか何も起こらないなんてことはないだろう。もちろん意識を集中させるための
ヴィグラスは誰よりも弾幕ごっこを重く見ている。それは発案者の紫よりもずっと強く。その理由は知らないし、知る必要も無い。ただ、彼が正々堂々とした弾幕ごっこらしい弾幕ごっこを望んでいることは良く分かる。
彼は目的のためにならどんな手段も選べる人間だ。たとえ卑劣な手を使ってでも勝たなければならない場面なら、彼は喜んで卑怯者の汚名を被ることだろう。だからこそ、今は正面からぶつかってくる。
本が開かれる。白紙の頁がぱらぱらと風に吹かれた。何も起きない。何も飛び出して来ない。ただ真っ白な紙があるだけだ。予想外の攻撃が来る気配も無い。
(何が狙いなのかしら)
予想されるのは、条件を満たした時に発動するタイプのスペルだ。本来なら弾幕ごっこの最中に細かな条件付けなど自殺行為でしかない。その為に紫は選択しなかった手段。しかし、目の前の魔法使いならば、使いこなしていても不思議ではない。何しろ先駆者だ。自分の思いつかなかった弾幕を知っていることもあり得る。
条件付き弾幕だとして、先ずは起動条件を探るべきか。普段ならば地雷を踏み抜く真似はしたくないのだが、今回は臆病風が吹いたような戦いは出来ない。そこも計算しての選択だろう。
紫は笑う。ヴィグラスに好きに動かされてるのは気に食わない筈なのに、何処かで嬉しく感じている自分も居た。今まで知恵比べをする相手など居なかった。人間は愚かだし、妖怪は腕っ節を疑わない。月の連中は訳の分からない超科学に頼り切り。そもそも頭脳戦で張り合える相手が居なかったのもあるが、強者ほど深く物事を考えないせいで彼女はいつも勝ち続けた。月への侵攻は失敗したが、あれは元々の技術レベルが違い過ぎただけで、戦術面においての負けは無かったと思っている。月への全面戦争を仕掛けて惨敗したというのに、紫が最強の妖怪であることを人間に知らしめた、その事実が彼女の自信を裏付けている。
八雲紫は力と知恵を兼ね備えた最強の妖怪だ。それは間違い無い。腕っ節なら敵う妖怪も居よう、彼女よりも知恵が回る者ももしかしたら居るかもしれない。境界を操る程度の能力は異常なまでに広い適用範囲のせいで、一見どうしようもなく強いように見えるが、それでも局地的に超えてみせる能力はある。ただ、それら全てを兼ね備えて、かつ、高い水準で戦いに取り入れてる妖怪が居ないのだ。
獅子が子鹿を狩るのに罠など使用しない。罠を使う人間は凶悪な爪など持たない。釣り竿があるのにわざわざ池に飛び込む馬鹿は居ない。紫は爪も罠も釣り竿も全て持っていた。だから獅子よりも、知恵者よりも、釣り人よりも強い。分かりやすい話だ。
最近になってだが、彼女はようやく自分と似た戦い方をする相手を見つけた。彼女よりも力は弱い、頭も回らない、能力など有るのかすら分からない。それでも自分の喉元を食い千切りかねない猛獣。それが今相対する無愛想な魔法使いだ。
力を持たないからこそ驕らず、知恵が無いからこそ知識を求め、能力を努力で補っている。本来あるべき油断がどこにも無い、彼女にとって最も戦いらしい戦いの出来る相手だ。
その相手がこれみよがしに罠を張ってきた。鬼が出るか蛇が出るか、どちらにしろパンドラの箱を開けない道理は無い。
「邪魔な本ね。それで盾のつもり?」
馬鹿にするのは安い挑発だ。同時に楽しんでいる自分を隠すためのブラフでもある。
白紙の本に大量の弾幕が吸い込まれる。スイッチとして最初に考えられるのは三つ。時間と攻撃と合図だ。この内紫から条件を満たせるのは二番目だけ。だから試した。今この時においてはヴィグラスを倒そうという心積もりは欠片もなかった。
どうだ、と期待する紫の心境に反応したのか本に変化が生じ始めた。様々な色が頁に模様を描き始めたのだ。見た感じは子供のクレヨン。ぐにゃりぐにゃりと覚束ない動きで線が引かれていく。作られる模様を打ち消すように紫は弾幕を放ち続けた。彼女にしては短慮であったと言えるだろう。どんな効果であるかも把握していないのに、ただただ無駄に弾幕を放る。
ヴィグラスの顔付きが険しくなった。紫がわざと本を狙っていることに気がついたのだろう。自分を叩く気が失せている。それは好ましくも疎ましい事態であった。自尊心が傷付けられた部分もある。だが、次代の少女たちを忘れて紫自身が楽しんでいるように見えたことが気に入らなかった。
まあいい。ヴィグラスにとっては好都合だ。彼は静かにスペルカードが効力を発揮する時を待つ。本来ならばもっと早いはずだが、紫の弾幕がそれだけ複雑なものだったのだろう。自慢の本はようやく頁を捲り始めた。
突然だった。紫ですら、何かが起こることを期待していなければ避けられなかったかもしれない。本が撃ち出した弾幕を彼女は間一髪で躱してみせた。堰を切ったように溢れ出す弾幕を紫は距離を取ることで逃れる。まだ自分のスペルカードは動いている。弾幕の撃ち合いで負けるつもりは無かった。パワーならこちらが優っているのだ。攻撃をスイッチにしていたということは、反射型の可能性もある。それでも自分なら勝てる。
その自信が彼女の判断を鈍くした。
おかしいと感じたのは彼女のスペルカードが切れる直前だった。押されていた。倒せないのは分かる。しかし自分が撃ち負けていたことに気付いたのは、思った以上に自分の躱すべき弾が多かったことを理解した時だった。
まさか、紫は改めて自らの弾幕と、本が生み出す弾幕を見比べる。彼女の嫌な予感は当たっていた。自分の妖力弾はほとんど打ち消され、大回りして相手の弾幕は襲いかかってきていた。それはまるで、
このスペルの本質は、相手の弾幕に対するメタゲーム。起動さえさせれば撃ち負けることは絶対に無い。そういうコンセプトで作られたスペルカードだ。そして、必ず相手の弾幕を上回るということは、相手の弾幕が強ければ強い程、発生する弾幕も強大なものになる。
更に言えば、特性上、相手のスペルよりも必ず長く場に残る。使いどころは難しいが、ハマれば想像するどんなスペルよりも上に行くスペックを持ったスペルカードである。
「くっ……」
効力が切れてしまえば、また紫が襲われる番だ。ヴィグラス自身の発想では辿りつけないラインを超えた弾幕は、紫をもってしても容易に避けられるものではない。一進一退の攻防。紫は弾幕を放つことを放棄した。どちらかに寄ったままでは墜とされる。幸いにして、ヴィグラスのスペルも発動に時間が掛かったせいで長くは続かない。相手を疲れさせようとしてこちらも疲れてしまった。自分の想定を軽々と越えてくる魔法使いを改めて賞賛する。驚くべきはこれでもまだ彼は得意な魔法をほとんど使用していないことだ。
召喚魔法は弾幕ごっこには不向きだ。だから彼が使わないことに違和感はない。得意技を封じられた上でこれだけハイレベルな戦術を練ってくるのが驚異的なのだ。
暴風雨の如く吹き付ける弾幕を、流れに沿うように体を滑らせて避けていく。わざわざギリギリまで引き付けるのは、彼女が放ったスペルが、弾幕から距離を取るほど回避が困難になるスペルだからだ。自然、そのメタであるヴィグラスのスペルも、それと似通った形になる。掠めていく弾にこれ以上無い緊張を感じながら、紫は踊るように空中でステップを踏む。
汗をかいたのは久し振りだった。もう数十年は、いや百年近くはこんな戦いをしたことは無かっただろう。幻想郷を作るために、様々な勢力の妖怪たちを一度に相手にした時以来の昂揚だ。まだ終わらせたくない。こんなところで終わりたくない。ヴィグラスが感じた通り、紫は当初の目的を見失いかけていた。見開かれた目が彼女の本能を物語っている。
対するヴィグラスは恐ろしい程に冷静だった。元々乗り気ではなかった彼である。彼女みたいに戦いに呑まれることはない。客観的に、自分の勝ち筋を計算して、あまりの可能性の低さに唇を噛む。もう負けてしまおうか、とも思った。デモンストレーションとしては十分な役割を果たしただろう。歯止めが効かなくなる前に上手い具合に終わらせてしまえ。
しかし、紫はそれをけして許さないだろう。興奮したこの状態じゃ迂闊に手を抜けば殺されるかもしれない。一人ならば逃げ切れる可能性もあるが、三人まとめてはおそらく不可能である。こちらはこちらで八方塞がりだ。
そして、ヴィグラスのスペルが終わる。紫は肩を上下させて、どうにか荒い息を整えていた。それを許す訳はなく、すぐさま新しい弾幕で紫をつけ狙う。紫が落ち着いてしまえば勝ち目が無くなることを理解していた。撃って撃って、休ませる隙を与えない。
「随分、余裕が、ないのねっ」
「余裕こいて勝てる相手じゃねえからな」
紫は辛うじて残っているような印象だった。ここまで彼女を追い詰めた相手がかつて居ただろうか。多くの制限があり、紫がスキマの使用を控えているとはいえ、或いは弾幕ごっこという弱者が強者に勝つ為のルールであったとはいえ、ヴィグラスの実力を疑問視する意味は無いだろう。
紫の勝ち筋はもはや一つしか許されていなかった。彼女らしくないシンプルな手段だけ。それでも彼女は勝つために躊躇無くその手を取る。
「紫奥義『弾幕結界』」
紫は最後のスペルを宣言した。自らの名を冠した、現時点では最も優れたスペル。彼女はどうしてもヴィグラスの意識を逸らさなければならなかった。万が一墜とせれば良し。無駄撃ちに終わっても回避に動いてくれれば猛攻からどうにか逃げ延びることが出来る。そうすれば彼の最後のスペルをやり過ごすことも不可能ではないだろう。尤も、ヴィグラスが攻撃の手を緩めてくれる可能性も低いのだが。
紫は両手にスキマを生み出した。相変わらず気味の悪い目玉だらけのそれを、彼女は体を一回転させ、遠心力を用いて思い切り投げ飛ばす。弧を描いて二人を取り囲んだスキマはゆっくり動きを止め、一際大きな亀裂を生じさせる。
逃げるためではない。身構えたヴィグラスには分かっていた。記憶の中と、実際の経験は似ても似つかないものだが、このスペルには見覚えがあるのだ。今までのもあった。攻略法なんて大層なものは思い付かなかったが、どんなものかは薄っすらと理解している。
ここから飛び出してくるのは無数の弾幕だ。全方位を取り囲む面倒なスペル。
それでも想像出来るだけマシだと、ヴィグラスは気力を振り絞る。実際のところ、彼にも限界が近付いていた。元々の実力差が天と地程もある。どうしようもない格上との戦いはこれまでも何度か経験してきたが、いつまで経っても慣れるものではない。相対するだけで精神を削られていく。紫が戦いに酔っているとはいえ、それを勘付かせない鉄面皮は流石だと言えよう。
弾幕が飛び交う。スキマがまた軌道に沿って回り始めたのだ。中心はそのまま、三次元に円を描いていく。弾幕の鳥籠と形容するのがもっとも適当だろう。思ったよりも速度がある。次々と撃ち落としていくが、ジリジリと距離を詰めていく妖力弾がヴィグラスの逃げ場を奪っていく。ちらりと目をやると、紫は既に囲いの外から逃げていた。攻撃の手が緩まった今、息を整えるには十分な時間を与えてしまったことだろう。疲れ切ったヴィグラスに逆転の秘策は無い。転移魔法で逃げることも考えたが、どうせ逃げた先でまた捕らえられるだけだ。転移魔法は膨大な魔力を消費するし、逃げ切ることは不可能。
最後に一枚、墜とされる前に残ったスペルカードを使用するべきだろうか。肌をチリチリと焼く距離まで弾幕が近付いた時、ヴィグラスは懐から虎の子を一枚を取り出して宣言────出来なかった。
喉がからからに乾いて声が出ない。使いたくないスペルカードであったことは間違い無い。しかし、自分が作り出した中で一番威力のあるスペルカードだ。自分の選択は正しいはずだ。それなのに、身体が鉛のように重く、喉に何か張り付いてしまったように、心が自らを締め付けてしまう。
目を見開いた先の弾幕が、鼻の先まで辿り着いていた。最初の一文字も発することが出来ないまま、爆炎が彼をを包み込んだ。
*
それまでの激闘がまるで嘘偽りであったかのように、余りにも呆気ない幕切れだった。爆発で煤だらけのヴィグラスは、俯いたまま服の汚れを払っている。ダメージを受けた様子はない。これも弾幕ごっこの利点の一つだろう。どれだけ激しく戦おうと一般人でなければ死に至ることは無い。
何故最後にスペルを発動させなかったのか、まだ興奮冷めやらぬ紫が上空でヴィグラスの襟を掴んだ。目は冷たく光り、いつも胡散臭い微笑をたたえている優美な唇は真一文字に結ばれている。何か罵倒するつもりだったのか、勢い良く開かれた口が、彼の表情を見てにわかに閉じた。
「わざと負けたつもりじゃねえ」
腹の底まで響くような重苦しい声だった。言い訳、であることは間違いないのだろう。彼が死力を尽くして負けたわけではないのだから、わざと負けたと受け取られても仕方が無い。それでもなお、彼の言葉には大妖怪を黙らせる気迫があった。相手に叩きつけるものではない。自分の内側に燃え盛る炎を、どうにか喉の奥に押し込めているような、ちろちろと隠しきれない熱が籠もった言葉だった。
「ただ
彼の言葉の意味を紫は理解していない。しかし、彼女はヴィグラスの心境を理解した。嘘ではないと、彼の中に潜む何かが、彼の動きを縛り付けたのだと。
彼女は何も言わなかった。言えなかった。ヴィグラスは自分の判断を鈍らせるようなことはしない。その彼が動きを止めたのは、彼にとって、心を包み込む程の理由があったからだ。一般論なら幾らでも口に出来るが、彼の生い立ちを知らない紫に、投げ掛けられる言葉は無い。
紫はしばらくヴィグラスの胸ぐらを掴んだまま立ち尽くしていたが、やがて手を話すとスキマを使って霊夢たちのもとへ戻っていった。
ヴィグラスは一人空に浮かんだまま、空を見上げていた。虚ろな目で、何を見ているのかも分からない。
誰とも顔を合わせたくなかった。最近になって、隠していた自分の弱さが表に出てくることが多くなってきたような気がする。それがどうしてなのか、彼は分かっていたが、気付かないふりをした。
「くそったれ……」
小さく吐き捨てる。そして、彼も転移魔法でその場から姿を消したのだった。
次回はまたちょっと時間を進める予定。といってもせいぜい一年程度ですが