東方雷魔伝~the story of magician's master~   作:溶けた氷砂糖

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久々ですね。艦これの方にかまけて全然書いてませんが、そもそも自由気ままな不定期更新なので仕方が無いです。たぶん次も何ヶ月も後でしょう


第9話

 少女には記憶が無かった。自分がいつ生まれたのかも、自分の名前も。気が付けば自分はそこに居て、誰かに言われるわけでもなく死なないで来た。ただ、代わりにどうして自分が生まれたのかは知っている。

 

 怨むために生まれてきたのだ。呪うために我が存在はあるのだ。それさえ分かっていれば彼女は十分だった。人を憎めば良いだけなんて、なんて楽なのだろう。

 人を殺してさえいれば彼女は彼女で居られた。だから、彼女の周りにはいつも骸が転がっていた。自分が美人と形容できる姿であったことは分かっていたので、ちょろそうな女を演じては男を引き摺り込み貪っていた。

 そんなことを何年繰り返していただろうか。存在意義にのみ存在の確証を委ねていた彼女は、雲一つない新月の空に無愛想な魔法使いと出会った。

 

 最初はいつもと同じカモだとしか思わなかった。せいぜい見慣れない衣服を着ていることと、帽子から覗く銀髪が女のように長いことくらいしか、普通の人間と変わらない。

 

「お兄さん、私を助けてくれませんか?」

 

 使い古した手口で、彼女は男に近付いていった。村と村の間にある古小屋を探して住み着き、物乞いを装って男に声をかける。そしてのこのこ近寄ってきたところを殺すのだ。失敗したところで不憫な物乞いとしか思われない、楽な方法だった。まして、今の住処は数日前にやってきたばかり。男が初めての獲物だ。そういう意味で彼女は油断していたのだろう。相手が自分のことなど知っているはずがないと。

 

「お願いします。お恵みを、どうか」

「……お前、いつからここに居る」

 

 男が口を開いた。最初は気付かなかったが、右手に杖をついている。飾り気のない素朴なものだ。別段足が悪いようには思えないが、と僅かな違和感が彼女の頭をよぎる。

 

「ええ、もう三年は前になるでしょうか。私はある商家に仕えておりました」

 

 しかし、経験ゆえの慢心が彼女の直感を曇らせてしまった。いつものように偽物の過去を話し始める。豪商の使用人であったが主人に慰み者にされ、挙句に子ができたと知るや捨てられた。赤子は流れ、自らも死の淵を彷徨った。奇跡的に息を吹き返せば今度は悪徳な医者の取り立てに追われ、人目を避けながらこうして物乞いをしている、と。陳腐で悲惨な末路を涙ながらに語る。

 

 忘れないよう毎回同じ話だ。彼女は自分で作り出した物語が好きだった。或いは、自分がこんな人生を歩んでいたのなら、という願望があったのかもしれない。怨む記憶が無い。だから怨むに値する記憶が欲しい。だから彼女は自分の話に酔って相手のことを顧みない。男の目が鋭くなっていくのに気付かない。

 全てを聞き終えた後、男は大きくため息を吐いた。

 

「なるほどな」

「どうか、どうかお恵みを。何だって致しますから」

「何だってするのか」

「ええ」

「だったら」

 

 下世話な命令でもされるのか。彼女は成功を確信した。男が杖を持ち上げたときも、密かに釣り上がる口角は動かない。

 

「いっぺん死んでみろ」

 

 ばちん、と視界が白く染まった。何が起こったのか、彼女には理解出来なかった。たとえしっかりと観察していたとしても、分かりはしなかっただろう。

 杖から放たれた雷撃が彼女の脇腹をえぐり取った。支えを失った上半身がぐにゃりと曲がり、衝撃が彼女を吹き飛ばす。失われた体から血が流れることはなく、黒い煙が上がって傷口を覆い隠すだけだ。

 

「なん、で」

「理由がいるのか、悪霊」

「悪霊……誰が!」

 

 彼女は激昂した。失敗したのなら逃げるべきだった。それが出来なかったのは男が言い放った「悪霊」という言葉のせいだろう。自分はその在り方に納得している筈だったのに、男が口にするだけで耐え難い怒りが沸き起こってくる。

 しくじったのだ。不幸な女を演じる必要はもう無い。殺す、気に入らないこの男を惨たらしく殺してやる。首を刎ねるために彼女は腕を振り回した。伸びた爪は骨を砕くことも容易いだろう。不意打ちにも似た攻撃を男は間一髪のところで避ける。掠めた帽子が空を舞い、どろりと腐り落ちた。

 

 不思議な髪色をしていた。全体的には銀色の髪なのに、前髪の一部分だけがどす黒く染まっている。それはまるで血で染め抜いたかのようで、何故か彼女の不安を大きく掻き毟る。

 憎い。怖い。妬ましい。羨ましい。殺したい。逃げたい。死にたくない。死にたい。様々な感情が彼女の中で交錯する。ただ変な髪であるだけだ。何を気にすることがあると叫ぶ声もする。しかし、彼女には無意味なものに思えなかった。

 

「随分と積もり積もった悪意だ。お前はそれを誰に向ける」

「誰にだって向けるさ。誰だって殺すさ。もちろんあんただって」

「それで心は晴れるのか。晴れねえだろうな」

「黙れぇ!」

 

 男の言葉が突き刺さる。彼女は怨むことしか知らない。怨んで怨んで怨み尽くす、その先を見たことが無い。底なし沼に自分から埋まっているようなものだ。

 

 彼女は腕を振り回す。女の細腕ではない。長年、意味も無く積み重ねられた憎悪は鬼にも匹敵する破壊を引き起こす。呪いにも等しい死を振り撒く。一度喰らえば致命傷。それが絶えず襲いかかるのだ。男は杖を支えにしながら曲芸じみた軽業でひたすらに避け続ける。挑発的な物言いの割には逃げる一方だ。それすら彼女の怒りを買う。

 

 動きが速くなる。ぶおん、と風切り音がして、男の外套を掠めた。即座に男は外套を取り払う。地面に投げ捨てられたそれはどろどろに溶け腐っていった。そして、男の姿が月明かりのもとに完全に明らかになる。

 

 どうしようもなく異質だった。もちろん初めから普通の格好などしていなかった訳だが、そういった目に見える部分の違和感ではない。空気というべきか、男の周りだけ何処か歪んで見えるのだ。そこに男以外のナニモノかが棲み着いているような恐ろしさがそこにはある。

 

「俺が憎いか」

 

 男が口を開く。未だその声に焦燥の色は無い。無視してしまえばいいのだ。こんなにも気持ち悪く、腹立たしい男の言葉に耳を傾ける必要などどこにも無い。それなのに、彼女の心は勝手に答えてしまう。

 

「ああ、憎いね。どうしようもなく憎い。今すぐそのはらわた引き裂いてやりたいくらいにさ」

「俺もそうだ」

 

 何故だか分かるか。男が問う。彼女は考えてしまう。悪霊と呼ばれた彼女を、いったいどうしてこの男が憎むというのだろうか。分からない。当たり前だ、彼女はこの男の生い立ちなど知らないのだから。分かるような気がする。それもまた当たり前だ。

 

「同族嫌悪って奴だよ」

 

 彼女の胸元に穴が開く。雷撃ではない、そこだけ急にぽっかりと穴が空いた。

 

「がっ……は……」

 

 意識が飛びそうになる。知らない記憶が頭の中を掻き回して、自分という存在が希薄になるような錯覚に襲われる。

 

 私は誰だ。名前など無い。必要としなかったからだ。逆に言えば何があろうと私は私であるということだ。それなのに、今の彼女には自分が 生きている(死んでいる)自覚が持てない。

 

「お前は悪霊だ。そんなものは見れば分かる。ついでに一つ教えておくならば、悪霊ってのは生前の怨み辛みで成るものだ」

 

 男は杖を地面に打ち付ける。何か更に行動を起こそうとする様子はない。苛立ちを杖にぶつけた、というのがしっくりくる。

 

「だからこそ聞くが、お前は何を怨んでいる」

「そんなもの決まってるじゃないか」

 

 彼女は吠える。黒い煙に覆われた部分も、手品めいた動きで失われた腸も元通りになっていた。目を剥いて、爪を構え、歯を食いしばる。緑髪のケダモノは喉元を食い千切ることしか考えていない。

 

「世の中全てだよ」

 

 密度を増し、凶器と化した怨念を浮かび上がらせ、女はそれを機関銃の如く撃ち出す。

 

「笑わせるな」

 

 そして全てが撃ち落とされる。男の周りに浮かぶ質量を持った光が怨念と衝突し、相殺される。まるで浄化されるような光景に女は唇を噛み締めた。

 

 だが、男の表情は女の凶相が可愛らしく思えるほど、憤怒によって歪んでいた。限界まで見開かれた目は悪鬼羅刹を思わせる。噛み切れた唇から流れ出る血液はさながら夜の王。

 女はここでようやく気付いた。自分が相対しているのは人間などではない。人の皮をかぶった恐ろしい別の何かなのだと。

 

「世間知らずのクソガキに、怨める世界があるものかよ」

 

 背後から飛んできた光に、女の体はぼろぼろに引き裂かれた。

 

 

 男はただ一人そこに立っていた。血を吸った髪は黒に染まり、死の喜びに体は打ち震える。周りにはおびただしい数の死体。人だ。それは紛れもなく人であったものだ。そんな当たり前のことが疑わしくなるほど奇妙にねじれ、穴空きになり、赤く染まっている。それらに浮かぶのは一様に苦悶の表情。全てが自らの死を感じながら逝ったのだろう。痛みと苦しみ以外に感情は無く、怨みすらそこには残らない。

 

「ははっ、はははっ、あはははははははははははは!」

 

 男は狂ったように笑う。死体を蹴り飛ばし、踏み付け、心臓を抉り掴み上げる。命を奪った感触はその手にある。ぬめりとした気持ちの悪い感触をけして失ってなどいない。本来は人であったものを親しみと敬意を込めて握りしめ、愉悦を持って潰す。殺戮の自覚はあれども葛藤も倫理観も無い。彼にとって命は玩具であり、自分のものですらもそれは変わらない。

 

 そうしないと男は自分を保っていられなかったのだと理解できた。

 

 場面が動く。阿鼻叫喚の地獄絵図から最後の審判へ。笑っていた男は膝をついて項垂れている。首筋に刃を当てているのは六枚羽の天使。青とも白とも取れる格好が黒ずくめの男と対照的だ。

 

 男は目を瞑っていた。何処か安らかな表情だった。或いは祈りを捧げていたのかもしれない。来世に期待しようなんて馬鹿げたことは考えていない。後悔はなく、懺悔もない。なるべくしてなったと運命を受け入れるつもりのようだった。

 

 天使は困っているようだった。一息に首を刎ねてしまえば良いのに躊躇っている様子だ。

 口が動く。独り言のようにも、問いかけているようにも聞こえる。男からの返事は短かった。それからちらりと天使を見上げて、まるで早くやれと言わんばかりに睨む。

 

 そして、男の首が宙を舞い────────女は目を覚ました。

 

 ここは、ねぐらにしていた古小屋だ。まだ薄ぼんやりとした頭でそう思った。覚えていたことに彼女は驚く。彼女の記憶はいつも混濁して、怨みつらみに塗り潰され、雪のように溶けてしまう。いつも覚えているのは怨みと人を食うための偽りの記憶だけ。それは、ずっと変わらない生活を送ってきたからかもしれない。どうせ人を食うだけの存在、どんな餌でも違いはないし、わざわざそんなものを覚える必要も無いからだ。

 だけど、今夜だけ──或いは昨夜だけ──は違った。あの男が同属と言った理由が今ならなんとなく分かる。夢の中で見たあれは、自分よりも醜悪な、怨念が凝り固まった存在だ。あの男はそこから何かを経て怨みを乗り越えたのだろう。

 羨ましかった。妬ましかった。それでももはや怨みは無かった。こんな気分は初めてだ。

 

 あの男はもう何処かに行ってしまったのだろうか。女は体を起こし、辺りを見渡す。何も無いあばら家には自分だけだ。男の姿は何処にもない。諦めきれなくて、まだ重い体を引きずって外に出ると、頭上から声がかけられた。

 

「もう動けるとはな。全く嫌になる」

 

 屋根の上に男が座っていた。煙管をくわえて、星を見ている。毒のある言い草だが、男の顔も晴れやかであった。

 

「なんで殺さなかったの?」

「俺がお前を殺し切れると思うか。もし思うんだったらそりゃ買い被りすぎだ」

 

 蜂の巣にしたというのに一晩も経たずに復活する。気絶しているうちに殺し続けたとして、先に力尽きるのは男の方。なんでもないようなふりをしているが、言われて見れば男はまだ疲労が取れていないようだった。

 

 女は上に登ろうと思い、少し考えて諦めた。近付けば遠ざかる、そんな気がした。

 

「アンタは、どうして生きていられるの」

「死にたくないから、で十分だろ」

「そうじゃない」

 

 なんて聞けば答えてくれるだろうか。女の意図は男に伝わっているのか、いないのか。

 言葉を選ぼうとしても、適切な言い方が見つからない。結局、変に誤魔化しなどせず、単刀直入に聞く。

 

「アンタはどうやって怨みに克ったのか。それが知りたいの」

「……読み取りやがったのか。いや、俺が()()()()()()だけか」

 

 男の顔が曇る。

 

「別に、克服したわけじゃねえ。ただ死んだってだけだ」

「死んだ?」

「ああ。俺の真似をしたところでお前のためにはならねえよ。結果は一緒でも、過程が全くの別物だ」

「それでも良いから。聞かせて」

 

 女は懇願した。たとえ何の役に立たなくても良い。それでもただ、自分以外に()()()()()()が居たという確信が欲しかった。男は顎に手を当ててしばらく考え込んでいた。本人からすれば消してしまいたいような歴史。だが、目の前の女が同じ轍を踏むのを黙って見過ごすのも、自分の手で殺してしまったように思えてならないのだ。

 

「話すよりも、直接伝えた方が速え」

 

 そう言うと男は屋根から飛び降りた。縁が折れたのかぱらぱらと木くずが落ちてくる。それを手で払い除けながら男は前に立った。

 

「ちょっと手え貸せ」

 

 言われるがままに手を出すと男は自分の手でそれを包み込む。

 

「……!?」

 

 その瞬間、女の頭の中に知らない光景が流れ込んだ。今までにもよくあった、心の奥深くにある記憶ではない。自分ではない誰かの、紛れもなくこの男の記憶だ。

 

 生まれた時の驚きも、幼い頃の美しく儚い日々も、脆く崩れ去った平穏と、彼の中に生まれた憎悪も全て彼女自身が経験したかのように染み入ってくる。死んだ、という男の言葉の意味がよく分かる。

 無辜の人々を引き裂く血も涙も無い自分の姿を、何処か遠くで眺める自分。世界を怨む心が、本当の精神から離れて生まれ落ちた。二人の間に繋がりは無く、男は自分が殺人鬼に堕ちていくのをただ眺めていただけだ。

 

 段々と夢で見た光景に近づいていく。煌々と燃える街の中で笑う道化を冷めた目で見つめる。男の意識は殺意に飲み込まれそうになっていた。

 

 時が流れる。テレビの早送りのように殺戮ショーが展開され、クライマックスは彼女の見た天使の姿。

 

 自分とよく似ていた。出会い、殺し合い、敗北する。そこに運命の絡む余地は無く、純然たる偶然として、二度と起きてしまった奇跡として、その景色は在った。

 力を使い果たし、膝をつく男。天使が問い掛ける。

 

────何故、貴様の心は安らいでいる。これから死ぬ、その時に何故貴様は悔いぬのか。死を恐れぬのか。

 

 やっと聞こえたその問い掛け。その答え。

 

────死ぬのも、予定通りだからな。

 

 さあひと思いにやってしまえば終わりだとでも言うかのように、視線を上げる。刃を握る天使の手に力が入り首が空に飛ぶ。夢の終わりだ。

 

 ここからは現実。その物語は終わらない。

 

 男の首は繋がっている。飛んでいったのは幻だったのか。一番驚いてるのは死んだ筈の男だった。

 

────なんで殺さねえ。

 

 男が食ってかかる。伝えられているだけの彼女には分かる。間違いないなく片方は、殺人鬼は死んだのだ。男は共犯者ではあるかもしれないが、それ以上に傍観者であることを天使も知っていた。

 

────死すべき者は死にました。これ以上、無益な殺生をするつもりはありません。

 

 無機質で冷酷な天使の姿はもうそこにはない。そこにあるのは人の心とはかけ離れながらも慈愛に満ちた、絵画に描かれそうな天の使いとしての姿。

 

────違う。誰も死んでねえ。

────いえ、貴方にも分かるでしょう。彼は死んだのです。貴方とは無関係に。

────あいつは俺だ。あいつの罪は俺の罪だ。どっちが悪いなんてことはねえ。

 

 男はなおも食い下がる。男にとって彼は自らの怒りの代弁者であった。それは即ち自分自身であることと同義。

 

────いいえ、貴方と彼は違います。ただ、どうしても貴方が彼の罪を共に背負うというのなら。

 

 天使が続きを話す、その直前で女は現実に引き戻された。最後の言葉は聞き取れなかった。男があえて聞かせなかったのだろう。

 

「今のは」

「俺の記憶。を俺が思い出していた」

 

 伝える程度の能力。彼は自分の先天的なその能力を、また異なる彼の記憶からそう呼んでいた。どんな力なのか、説明するのは容易いようでなかなかに難しい。

 

 端的に言ってしまえば、自分の思考を相手に送信する能力である。だが、使い勝手は最悪だ。何故なら使用している間、自分の思考は相手に筒抜けになってしまうから。それと意識して発動している間、自分は他のことを考えられないから。少し思考が逸れてしまえばすぐに効力を失う。そしてそもそも、思い浮かべる物事にも限界がある。そのせいで頭一つで送れるのは精々音だけか、限界まで行使しても映像くらいのものである。

 

 ただ、彼だけは例外だ。彼の内側には死してなお残る亡骸がある。空っぽの思考の器。分かりやすく現代的に言えば、完全並列思考能力とでも呼んでしまおうか。極限まで能力を行使しながら、平然と活動が出来る。逆鱗に触れるような物事があっても、もう片方が冷静であることもある。

 

 その全てを男は女に話した。誰も知らない秘密を出会ったばかりの彼女に話したのは、彼女を見ていると失われたもう一人を思い出すからであろう。わざわざ足を止めて、彼女を糾弾したのも、影を追っていたからに過ぎない。

 

「分かっただろ。俺とお前は同属だ。だけど、全く別もんなんだよ。お前の参考になるようなことなんか何もねえ。無様で、救いが無いだけだ」

「そんなの分かってたさ。でも救いを求めたって良いじゃないか」

 

 女の悲痛な言葉が響く。

 

「そんなもん俺の知ったことか。救われたきゃ自分で足掻け」

 

 それだけ言って、男は夜闇に姿を消した。掴もうとした手は宙を掴み、残された女一人がその場に崩れ落ちる。

 

 ただ、その混ぜかえった心の奥底に灯った火は、消えなかった。

 

 

 

 

 

 

「……さま、魅魔様! 聞いてますか!?」

 

 彼女を呼ぶ声で目を覚ました。目の前には口を尖らせた魔理沙の姿が見える。ここはヴィグラスの家か。そして座っている椅子が、自分が普段専有しているものであったことにも気付く。うっかり眠ってしまっていたようだ。本来ならば睡眠なんて必要ないというのに。自分がどんどんと人間に近付いて来てしまったような気さえする。

 

 家主は何処かへと出掛けているようで、何処にも姿が見えない。普段ならこの机で紅茶を飲んでいるか、面倒そうな実験を行っているのか。それか今でこそ余り見られなくなったが、魔理沙に魔法を教えているか。どれにせよ、彼女が寝ていたことには気が付いた筈だろうに。

 

「ごめんごめん、何の話だっけ」

 

 魅魔が聞き返すと魔理沙は頬を膨らませる。出会ったときには男か女かも曖昧になるような姿だったのに、いつの間にやらすっかり女の子っぽさが板についている。もっと大人になれば、さぞかし美人になるのだろうな、と魅魔はふわふわと頼りない頭で思った。たかだか数年ですらも、人間には長過ぎる。

 

「師匠が何も教えてくれないんですよ!」

「まぁだヴィグラスと喧嘩してるのかい」

「喧嘩じゃありません!」

 

 大きな声で怒られた。彼女なりに言いたい事は山ほどあるのだろう。ヴィグラスは魔法は自分で学ぶものだと一辺倒なことしか言わない。

 

 しかし、彼女はきっとヴィグラスのような魔法使いになりたいのだろう。彼が使う魔法を、自分も使えるようになりたいのだろう。ヴィグラス自身がそれに気付いているかどうかは分からない。頭が切れるようでいて、肝心なところで爪の甘い男だ。全く気が付いていないのかもしれないし、或いは分かった上で追い返そうとしているのかもしれない。

 

 彼の歩く道は茨の道だ。それも、致死に至らないだけの毒針がそこら中に散りばめられた、痛みと苦しみの先にしか見えない大穴。真っ暗で、一度落ちれば地面に潰れることも、這い上がって日の光を見ることも叶わなくなる。

 霧雨魔理沙は天才だ。おそらく彼が辿り着くのにかけた年月よりも遥かに早く、その地獄に身を投げることになる。その時、今も落ち続けている彼のように耐えていられるだろうか。

 

 魅魔はそうは思わない。魔理沙が弱いと言っているのではない。ヴィグラスが強いと褒め称えている訳でもない。彼の為に作られた地獄への片道切符は、彼だけが乗り越えられるものだ。魔理沙には誰かの後を追うのではなく、我が道を進んでもらいたい。きっとヴィグラスも同じ思いでいることだろう。

 

「ヴィグラスは頑固者だから引っ込みがつかなくなってるのさ。一旦諦めたふりをして自分の力を磨いてみな。あいつが忘れた頃にもう一度頼んでみれば、案外すんなりOKしてくれるかもしれないよ」

 

 きっと、お前には無理だと言っても、彼女が意固地になるだけだ。

 

 ふと外に目を向ければ、闇の帳がそろそろ落ちてこようかという時間だった。魔理沙が来てから、ヴィグラスが夜まで帰って来ない、なんてことは随分数を減らしたように思えたが、今日は珍しくその日なのかもしれない。そうしたら、魔理沙を守るのは魅魔の役目だ。

 

「忘れた頃に、って何十年掛けなきゃいけないんですか!」

「いやいや、ヴィグラスは意外と忘れっぽいから大丈夫さ。この前なんか三回連続で同じ罠に引っ掛かったんだから」

 

 こういうモードに入ると魔理沙は面倒くさい。宥めつつ、彼女の食い付きそうな話題へと話を誘導する。

 

「罠?」

 

 予想通り食い付いた。なんだかんだと言って師匠のことが気になって仕方がないのだ。せっかくだからとびきりの面白い話をしてやろう。腹を抱えて転げ回って、さっきまでどうして怒っていたのか忘れてしまうくらいの話を。

 

「魔理沙が来る前なんだけど、あたしがこっそりこの家に忍び込んで魔法結界の設定をいじったんだよ」

「さり気なく魅魔様凄いことやってませんか?」

 

 今まで数多くの魔法使いが挑戦したであろうが、ヴィグラスの結界を解読したのは魅魔だけである。

 

「どんないじり方したんです?」

「ヴィグラスが家に入った瞬間に包んだ大福が腹に向かって撃ち出されるようにした」

「それで師匠のお腹に大福が……!?」

「一回目出力失敗してさあ、痛みに耐えてるヴィグラスとかかなりレアだったと思うよ」

「師匠、そういうの意外と引っ掛かるんですね」

「次の日も同じ手に掛かったよ。寸前で受け止められたけど」

 

 魔理沙からでも、こめかみを引くつかせているヴィグラスの顔は容易に想像がついた。魅魔が相手では怒ったところで暖簾に腕押しだったであろうし、同情の念も湧くものだ。

 

「三回目なんか傑作でさぁ」

「誰が傑作だって?」

「そりゃもちろんヴィグラ、ス……」

 

 低い声が背後からした。恐る恐る振り返ると、その頭蓋を掴まれる。逃げ出そうと試みるも手遅れ。

 

「だからそれは痛いってぇぇ!?」

「師匠、帰ってきてたんですね」

「たった今な」

 

 悪評撒き散らす悪霊にアイアンクローを決め終えると、帽子掛けにいつもの黒帽子を掛けていつもの席に腰掛ける。

 そして、唐突に言った。

 

「明日の夜、霖之助んところ行くぞ」

「香霖のとこ!?」

 

 魔理沙が顔を輝かせる。頭を抱えていた魅魔もすぐさま復活して聞き返した。

 

「そりゃまたなんで急に」

「紫の思い付きだよ。元々霖之助のとこに顔出すつもりじゃ居たんだがな」

 

 ミニ八卦炉を扱うのは魔理沙だ。それならば彼女にも製作の過程を見せておくのはけして悪いことじゃない。魔理沙が霖之助のことを慕っていることも知っていたから、近いうちに会わせるつもりでは居た。

 

「明日、流星群があるのは知ってるだろ」

「そういや、そんな話もしていたね」

「それならいっそ博麗の巫女も連れて祈願会でもやるかって言い出したんだよ」

「霊夢も来るんですか!?」

 

 親しい人物二人と同時に会えるとあって魔理沙のテンションはうなぎのぼりに上がっていく。さっきまであんなにも膨れていたのが嘘のようだ。なんだかんだと言っても、まだ目先の楽しみに心を奪われる無邪気な子供であるということだろう。

 

「それまた不思議な話だねえ」

 

 魅魔が意味有りげに呟く。ジッとヴィグラスを覗き込んでいたが、彼はなんだ、と言うだけで気にすることも無い。

 

「ヴィグラスがそういうのに乗るのって珍しいなって」

「都合が良いからな」

「都合が良いから、か」

 

 魅魔にはこれからの知識など無い。この流星祈願会が魔理沙の将来に影響を及ぼしうることなど知りようがない。それでも、ヴィグラスが何かを企んでいることだけはなんとなく分かる。遠く離れてしまったようでいて、どうしようもなく似たもの同士の二人は、互いに気付かれたくない秘密を抱えたまま生きている。

 

「俺はさっさと寝るぞ。邪魔すんなよ」

「はいはい」

 

 居心地が悪くなったのか、座ってから何もせずに立ち上がり、彼の部屋へと戻っていく。小躍りしている魔理沙を、横目に、魅魔はヴィグラスの後ろ姿をずっと眺めていた。

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