【ラーイグラード】〔5カ月後〕
私は約1年間の旅を終えて帰宅した。
(さてと・・・写したり、付け足した地図を使って第一次世界大戦の戦略を練らないとな~。あとは・・・保存食を何とかしないと。)
最初の世界でドイツでは全土で飢餓が発生し約40万人から70万人の民衆が死亡してしまったことから、私は旅の途中に作成した第1号令をミレニアムに発表した。
《第1号令
・保存食の製造
・長期保存食の研究
・レパートリーの拡大》
の3つが主な内容だ。
これにより戦車等の研究は全て後回しにし、缶詰や冷凍食品、カップ麺、携帯浄水機の開発、製造に主要製造ラインが組変わっていった。
ここで活躍したのが育てている子供で東洋人の顔立ちで私は新田光義と名付けた7歳の少年とシュレディンガーだった。
シュレディンガーは独自の補給論と生産論を持っており、これが少量栄養論と彼が呼んでいるもので、最小限で最大のパフォーマンスを出すためには栄養調整食品群の量産が必要だという理論だった。
私はこの理論からシュレディンガーに第1号令におけるミレニアム内で全権限を与えた。
そして、それを一番学んでいた8歳の少年が新田光義だった。
その子の口癖はディブアップドンッツ(諦めるな)で、少年少女達のリーダーとなっていた。
今回は、そのリーダーシップを活かして、初めての作業での混乱を最小限に押さえ込んだ。
新田光義はさらに効率と疲労の関係をレポートに纏めて私に提出した。
その顔はすでに青年のようなしっかりとしたものだった。
(・・・これなら第二陣を集めても問題ないかな。)
思った以上にしっかりしていた少年少女達に私は期待してフランソワさんに第二陣の孤児男子100女子100の200人を依頼するのだった。
〔3カ月後〕
イタリア投資の最終利益が出た。
投資した金額の2.25倍に膨れ上がり、元が大きかったので結構(現在の日本円で500億円)な利益を手に入れた。
このあと私はロシアの経済が好景気になることを知っていたので夫婦に利益の1割りを渡してロシアに3倍近くの投資を依頼するのだった。
〔翌年〕
グレーナーがとある田舎勤務になったので私は色々な資料を持って会いに行き、今後のドイツについて話し合った。
この頃からドイツ帝国最高の軍政家の片鱗を見せ始めていた。
補給の基本を独自に解釈したり、路線をひくならここを通す等々そんなこんなでこの年も終わるのだった。
〔次の年〕
この年は私達ミレニアムにとって喜ばしい年になった。
地下ドックで完成した潜水艦(そうりゅう型潜水艦)の御披露目となったのだ。
ただし、製造開始から5年で1隻ペースではとても潜水艦としてはコスト的にも合わないので現艦だけとなったが造れるなら最高をと言ってスクリュープロペラ推進を変更してウォータージェット推進を使用した。
名称は試作潜水艦UⅠ型になった。
新田光義の未来の顔は安西光義先生・・・。