【東部方面司令部】〔12/24〕
西部戦線ではクリスマス休戦がおこなわれているが、私はオーストリア=ハンガリー帝国軍(今後オーストリア軍)の救援軍司令官に選ばれた。
(・・・オーストリア軍も何やってるんだか・・・冬季攻勢なんて、死ねと言ってるようなものなのに・・・。まぁ、ルーデンドルフ閣下は犠牲がでないようにするのが最優先と言われたし・・・やれるだけやってみようかな~。)
この後私はミレニアム幹部を集めて損害を抑える計画をたてるのだった。
このとき、ロシアに行ったことがある私と雨咲、ロシア士官のトハチェフスキーを筆頭に冬季のロシアに耐えられる装備の研究を急激に進めた。
〔12/30〕
(トハチェフスキーを筆頭に私に忠誠を誓う士官や下士官が現れたけど・・・それでも6割か、あとは同志レーニンや同志トロツキーの創る赤軍に入ってもらうかな?)
そう考えながら、装備を救援軍に配るのだった。
【オーストリア軍前線司令部】〔1915 1/15〕
私は救援軍代表としてオーストリア軍総司令官のコンラート将軍と話し合いをしていた。
はっきり言って無謀な作戦を立案していた
「コンラート閣下、これでは犠牲者の数がいくらになるかわかりません。」
「うるさい!!ワシの戦略は完璧だ!!貴様らはさっさと作戦開始を待てば良いのだ!!」
(・・・ダメだ。最初の世界では時代に自軍がついていかなかった天才と言われていた戦略家だと評価されていたけど・・・ただの老害か。)
私は軽蔑の目で老害を見るのだった。
〔1915 1/23〕オーストリア軍 カルパシラ山脈登山作戦が開始された。
しかし・・・。
(最悪だ・・・地獄だよここは。)
私が指揮するオーストリア救援軍は充分な冬季用装備を整えていたので凍傷は出なかったが・・・オーストリア軍ではすでに40万人が戦闘不能になり、中には士官が凍傷で動けなくなり壊滅した部隊も現れる始末だった。
〔1/25〕オーストリア軍の一部隊で司令官が射殺され、革命がおこった。
すぐに周りの部隊に革命は波紋し、内部争いが始まってしまった。
(・・・これはまずいな。)
私は通信兵から通信機を借り、即改造して各オーストリア部隊に通信を入れた
「・・・諸君、革命勢力諸君、オーストリア救援軍司令官クロタニ・ヤマメだ。・・・いや、同志レーニンの友と言った方が良いか。諸君が望むのはこの馬鹿げた作戦の抗議だろう。私は君らを保護しよう。ただ、忠誠を誓ってもらう。・・・さて、司令官にもこの作戦がどれだけ馬鹿げた作戦か理解しているだろ。部隊の全員を救ってやるから協力しろ!!・・・西カルパシラ山脈の中部に来い!!希望はそこにある!!」
そうして地下鉄を使って全面撤退をするのだった。
これにより私達はオーストリア軍経由で壊滅したことになったが、ルーデンドルフ閣下の計らいにより元々私は東部方面司令部内にいたことになった。
これにコンラート閣下は何も言わなかったそうだ。
ちなみに撤退出来たオーストリア軍は5万人の一般兵だけだった。
残りの40万人は凍死し、オーストリア軍は壊滅した。
新聞では
《オーストリア軍85万人壊滅
ドイツの救援軍は撤退に成功》
と書かれたのだった。