【ドイツ政府議事堂】〔5/8〕
私が緊急経済対策委員会で会議と今後の方針を話していると凶報が舞い込んできた。
フランス政府が委員会の構成員を含むクルップ社社長と幹部数名を不服従として起訴し、実行判決がくだったのだ。
ドイツ政府と国民はこれに激怒し、クルップ社で武力衝突が発生、労働者13名が死亡する大惨事となった。
さらにフランス政府とベルギー政府がルール工業地帯のドイツ人労働者約14万人を追放することとなった。
私はこの事件を機に労働者を一旦ラーイシュタットで最新技術の伝授をおこなってから総合商社に雇ってもらう方法をとるのだった。
〔6/16〕
ついにハイパーインフレーションが発生し、現在のドイツ内閣が辞職し、シュトレーゼマンが首相となり、女性初の大臣として私が労働大臣となり、引き続き委員会で活動することになった。
その時の就任演説は
「国民の団結によってこの混乱を打破する!!我々に必要な物はプライドでも主義でもない!!安心して食事ができる環境と平和だ!!」
だった。
〔7/14〕
私達の活動がアメリカとイギリスに伝わり中立的な最適間の設立を宣言された。
また、経済状態を改善するため抵抗運動の終決、新通貨発行、デノミネーションの開始、ラーイシュタットで最新技術を修得した労働者約14万人が総合商社で活動を開始、経営状態が悪い起業を政府が買収し、統合した企業を作ることを宣言する等、一気に統制経済に踏み切った。
〔8/1〕
フランス政府で今回の元凶だった政治家ポアンカレ率いる内閣が辞職に追い込まれ、新内閣はルール工業地帯から撤退することを宣言し、ルール工業地帯占領は終わりを告げた。
また、賠償金が大幅に減額(約1400億金マルク→約32万金マルク)となり、アメリカの民間資本をドイツに流入したことで一気に経済状態が改善にむかうことになった。
これを私は外交と民衆の勝利と宣伝し、民衆に自信をつけさせるのだった。
〔11/25〕
シュトレーゼマン内閣が別の問題で辞任し、私も大臣を一回辞めることとなった。
新内閣は私を引き続きどこかの大臣にあてたかったようだが、私が
「別の国難になった時、もしくは恩人が大統領にな時のために知識を蓄えてきます。」
と言って私はドイツ政府議事堂から出ていくのだった。
【ラーイシュタット】〔11/28〕
久しぶりに帰宅すると魔理沙とN達も帰宅していた。
私はスーツから私服に着替えると魔理沙達から魔法使いの世界の様子を聞くのだった。