【ラーイシュタット】〔1925年3/12〕
大統領選挙が近づき、私はある人物と連絡をとっていた。
「ヒンデンブルクさん。ルーデンドルフが再びドイツの覇権を手にいれようと動いています。社会党と中央党は私がなんとかしますから、立候補してください。」
「うむ、しかし時間がかかる。なんとかして1回目の各代表の投票を過半数にいかないようにしてほしい。できるか?」
「なんとかします。」
私はそう言うと各政党を説得しに回った。
その時にヒトラーが活躍し、社会民主党、中央党、民主党、バイエルン人民党の協力を取り付け、1回目は代表を乱立させ、票をバラし、2回目にヒンデンブルクさんに統一代表にすることを約束させた。
〔3/29〕
第1回投票が終わり、蓋を開けてみるとルーデンドルフだけが惨敗するという結果になった。
〔4/26〕
第2回投票がおこなわれ、ヒンデンブルクさんが二代目ドイツ共和国大統領に就任した。
ヒンデンブルクさんは新内閣をつくるように求め、なぜか私を指名した。
ヒンデンブルク大統領は
「司令部の働きで内政に詳しく、指導力があり、人気もある彼女程首相に相応しい人物を私は知らない。」
とラジオで語った。
〔5/27〕
結果一応社会党に所属していた私は陸軍から退役し、新首相に任命された。
これを受諾し、民衆の喝采を受けながらドイツ共和国首相になった。
就任演説では
「私はどこで生まれたかわからない孤児であり、戦争という不幸な出来事によって出てきた女に過ぎない。しかしだ!!ドイツ国民諸君に私は宣言する!!私は政策を必ず成功させよう!! 我々自身がドイツ国民固有の労働、勤勉、決然さ、不屈さ、頑強さによって繁栄させる!!時間はかかる。だが必ずドイツを復活させ、全員で言おうじゃないか!!我々の力によってドイツは豊かになったと!!」
腕を高くあげ最後に私は叫んだ
「我々に栄光あれ!!」
民衆の喝采で演説は終わり、新内閣のメンバーを発表した。
副首相
シュトレーゼマン
外務大臣
コンスタンティン・フォン・ノイラート
経済大臣
シャハト
運送大臣
グレーナー
軍需大臣
トート
工業大臣
シュペーア
他3名となった。
〔1926年7/4〕
第二次4カ年計画を発表した。
《・造船業の活性化(輸送船の量産)
・大規模研究施設の設営
・アウトバーン計画の拡張
・ベルリン改造計画ゲルマニア(初期)
・食料自給率を10%上げる(現在70%)》
とした。
ベルリン改造計画の初期段階では、大規模な空港とそれに伴うドイツ航空省庁舎の設営、道の拡張等だった。