【ベルリン】〔1932年1月〕
第二回のドイツ大統領選挙がおこなわれることとなり、私は出馬を表明した。
バックには右翼と左翼、中央党がつき、極右翼と極左翼を除けば約8割りの表を獲得できるものと考えられていた。
また、私のライバルになり得る現大統領のヒンデンブルクさんは高齢と老化を理由に辞退し、万全の体制で選挙をおこなうことができた。
ここでもヒトラーと心理学と演説の天才ゲッベルスがその能力を存分に発揮した。
〔3/13〕
投票結果が発表された。
私は約87%という表を獲得し、大ドイツ共和国三代目大統領となった。
私が大統領になったことにより内閣も変更し、首相にはヒトラーを、情報大臣にゲッベルス、無任大臣にハーバーにし、ミレニアムの影響力を強めた。
〔3/18〕
私が大統領になって初めて行動したことが大統領室と首相室の統合だった。
私とヒトラーが連携して政治を動かす環境を作り出したのだ。
〔3/24〕
高齢と身体的に活動困難となったゼークト兵務局局長が辞任し、新局長にホフマンがなることとなった。
ホフマンはすぐに改革を実行し、頭が凝り固まった古典派を一掃し、老練な者、優秀な若手、を多用した。
【国際連盟】〔5/28〕
私は各国の代表に持論を話していた
「約10万の軍隊では旧オーストリア領を維持していくのは厳しく、内部の極左と極右の治安維持にも支障が出るので再軍備宣言をしたいと思っています。ただし、海軍の戦艦建造、フランス、ポーランド方面約100キロ間に要塞を建設しないこと約束します!!」
「フランス代表的には反対だ!!これは明らかな復讐戦争の前置きだ!!」
「・・・私はフランス代表に代わりとしてさらに提案します!!賠償残高額の半分を条件を認めた場合今年中に支払うことを約束します!!」
と言うと周囲はざわついたが要塞の建設しないことが効いたらしく最終的に国際連盟は全員賛成でドイツ再軍備に賛成した。
〔5/30〕
国民に再軍備宣言を発表した。
これにより徴兵制が復活し、兵務局から陸軍、海軍、新規の空軍を加えた国防軍が設立され、大統領が最高司令官とし、初代国防軍参謀総長にホフマンが、参謀次長にはエヴァルト・フォン・クライストが任命された。
さらに、極東ドイツ軍とミレニアム軍を国防軍に統合し、一気に40万の軍隊に拡張された。(新兵を合わせると50万)
しかし、装備は空軍に情報錯乱用の難物戦闘機やスペックが異様に低い戦闘機を配備したり、陸軍は柔らか戦車(全周25センチ)や移動速度が遅かったり、海軍は空軍の難物を乗せる空母(傾斜9度のアングルド・デッキと各国はまだ有用性に気がついてない)を採用し、各国からは末期の軍隊、敗戦国の末路等とバカにされることとなるが、ミレニアムで開発された戦闘機、戦車、潜水艦が大量に秘蔵されていることを各国は知らない。
ドイツ工業力 180(240)
インフラ率 140%
国力 252(336)
理由としてオーストリアの工場が常時稼働するようになったことと、荒稼ぎした予算を内政に使ったため。