【ベルリン 政府首脳室】〔1933年3月〕
私はミレニアムから最新のジェット戦闘機の情報が送られてきた
《A02 モデル F-86 セイバー
生産性の向上と脱出性能が向上
時速は1105キロとなっている》
と書かれていた。
(時間はかかったけど・・・これでドイツ空軍は戦略空軍になれたな。ラーイシュタットにはこれ等を指示できるような敵味方識別装置と発展型無線機を最優先で作ってもらおうかな?ドイツの三大研究機関にはレーダーと人工ゴム、火器制御システムの改良を最優先で研究してもらうようにしじしようかな~。ついでに私が保有している薬は一部除いて研究所に渡そうかな~。)
そう思うヤマメだった。
〔1934年1月〕
第三次4カ年計画が終了し、第四次4カ年計画を発表した。
内容は
《・各地に工場を増設
・工場を増設
・軍需企業の誘致及び開業の支援
・飛行場及び航空機工場の増設
・ポーランド回路にアウトバーンを適応》
となっていた。
ポーランドも自国のインフラが改善されるので喜んで協力してくれた。
【キール海軍基地】〔2月〕
私はキール海軍基地で現状の視察をしていると私の案内人としてラインハルト海軍中尉がつけられたのだ。
ラインハルトは最初の世界ではナチスの頭脳と呼ばれる人物でイギリス、アメリカは彼を殺害するのに躍起になった人物で有能な人物だった。
私は彼に自分の秘書にならないかと誘い、なんとか説得してミレニアムに引き込んだ。
彼はすぐに持ち前の頭脳で情報を整理し、ミレニアム軍の律の補佐(情報部として最高の地位)として活躍し、彼は妖力の使い方も上手く、彼独自の時間誘導弾幕の使い手としてラーイシュタット内の地位を築くことになるのだった。
〔5/14〕
今後のドイツ国防軍の改良を考えているとトロツキーの護衛につけていたウォルターから緊急連絡があり、ソ連のウラル山脈から東側全てをスターリン率いる急進革命派が掌握したのだ。
スターリンは東ロシア社会主義共和国連邦を宣言し、内戦に突入していることを教えられた。
(まずい!!ソ連をスターリンが抑えられるとドイツは東の安全が脅かされる!!)
すでに赤軍の半数(残った半数は私が過去育てた士官達と元白軍、トロツキーの思想に共感していた者)とソ連内務省の9割りがスターリン側についていた。
すぐに私はトロツキーに義勇軍を送ることを伝え、約3個師団(6万人)のⅡ号Y型戦車を中心とした機甲部隊を編成し、司令官はマンシュタイを任命した。
〔7月〕
マンシュタイ率いる勇義軍の活躍と残った赤軍達の活躍でウラル山脈を越えて攻勢していた東ロシア社会主義共和国連邦をウラル山脈より東に押し返すことに成功し、両者休戦状態となってしまった。
理由としてソ連側はゲンリフ・ヤゴーダ(内務省のトロツキー派)を筆頭に残った優秀な人材で壊滅寸前の内務省の建て直しに忙しく、攻勢に出ることができず、東ロシア共和国連邦はトロツキー時代の影響で豊かになった農民達の反対で攻勢どころではなかったからだ。
マンシュタイ率いる勇義軍はその後帰国し、実戦経験から最新の戦術を研究するのだった。